2011年6月30日木曜日

あのルイ・ヴィトンが5億円の義援金を

「被災された方々と、被災地の復興支援のために5億円の義援金を送ることにしました。義援金は、復興プロジェクトを支える組織に送り、支援活動に役立てていただく所存です」

http://www.louisvuitton.com/jp/flash/index.jsp?direct1=faq&direct2=faqH_catJap

http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/files/Mori_wa_Umi_no_Koibito-Press_ReleaseJP.pdf?d=y

http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/20110622

 壊滅的な被害を受けた牡蠣養殖場 水山養殖場の復興、三陸地方の養殖・水産業の復興支援、水山養殖場やそれを取り巻く森川海をフィールドにした「森は海の恋人運動」へ支援とのことで、義援金を「復興を支える組織」へと目的を明確にしています。

 牡蠣を通じたフランスとの交流もあるようですが、海を守るために森を保全するという運動が広がっていることに、うれしくなりました。

 去年釣りでお世話になった船頭さんが話していました。「山が荒れて海が汚れて魚がいなくなる。木を植えてるんだ」と。

2011年6月29日水曜日

夕涼みはなくなっちゃうのか

 21時過ぎから、散歩に出た。我が家の近所は、神田川を底辺にして台地がとりまいている。緩い坂、アップダウンがどこにもあって、ふと風が抜けたりする。

 熱い空気の風も、少しでも涼しい風が混じると、冷房とは違った快感さがある。

 事情で、来月の釣りの会の会報を作らなくてはいけなくなった。とはいっても、原稿は複数のライターが別に苦労を重ねているのだから、ページ数をまとめる仕事。

 入れてみたら、8ページには足らず、少し空きができる。涼しい風に当たったおかげで、埋める記事を思いついた。

 夕涼みなどという言葉も、死語になっていくのだろうか。近所に風鈴の音もない。七夕飾りもまだ、目に入らない。

 そういえば、蝉の鳴き声が聞こえないけど、どうしたんだろう。
 
 夕涼みの散歩で目標歩数を補足したつもりが、800歩ほど足りない9200歩。残念。

2011年6月28日火曜日

事業目的が社会的な企業ほど、健全でなくてはね。

 今日も暑かった。天気が良いから洗濯物は気持ちよく乾いた。
暑いのは東電の株主総会があったせいもあったのか。9000人を超える株主が集まった。


 総会で当然ながら原発撤退の意見が出されて、「少数で否決」とか。どう数えてか手法は解らないが。

 だいたい、議長が企業の責任者というのは、聞いたことがない。もっとも株をもっていないから知らないが、株主総会はそういったもの、慣習になっているのかな。

 部長級が50万円ずつ集めて政治献金する。官僚が東電に天下りする。「安全神話」を作り上げて原発を推進する。まさに構造的な日本の政治と企業の癒着。

 株の配当を期待して購入する。でも配当が得るために、企業のやり方がなんであってもよいとはならないのではないか。

 原発依存しない企業のあり方は追求できるんじゃないか。海外では原発依存を断つところは増えている、当然にも。

 南相馬市、白河市は原発ノーの態度表明した。

 3%株主の東京都は、委任状だけで欠席。交通局の「収入」になれば原発OKということかね。
 

 夕方から釣りの会の会議があり、帰りは代々木から歩いた。汗を拭き拭き、今日のブログを考えながら。10200歩。OK。

2011年6月27日月曜日

地元の生活、文化、歴史に思いを馳せて復興計画をつくれるのかな?

  諸分野に関する政策立案・政策提言を主たる業務とする研究機関…いわゆる財界のシンクタンクである「NTTデーター」と「野村総合研究所」が、若者に被災後の日本を創るアイディアをフェイスブックで公開してもらう。

 そのうえで投票評価によって100人を選択、一同に会して議論する。それをリアルタイムで公開して議論を活性化させるという。 7月上旬から始めて8月に合宿するとか。


http://www.nikkeibp.co.jp/article/reb/20110621/275048/

 「成果物は、復興に役立つ事業プランを想起できるものであれば、動画や簡単なプログラムなど何でも構わない」ということだから、主催者の選択に任される。

 この「野村総研」は宮城県の復興会議に「三菱総研」とともに委員として参画している。復興計画にある漁業について、大規模集約化を図るとした方策に漁業者から批判を受けている。

 生活も、職も、できるだけ元のように戻りたいというのが一番の願いだろう。宮城県の復興会議はメンバーの大半が東京にいる(県内在住者は2人)ので開催は東京でという。


 被災者の思いはさておいて、頭越しに復興させる?それでは被災地が元に戻ることにならない。

2011年6月26日日曜日

捨てろ、捨てられない

 家の外装を塗り替える。家の外周を空かさないと、足場ができない。まいった。

 周りに植木が一杯置いてある。肥料やら鉢やら、土類、ところ狭しとひしめき合っている。加えて漬物用の桶もかさばって場所取りしている。

 息子の旅行用の鞄も、野ざらしに近いスタイルで狭い場所を占拠している。隣家との境はいまどき広くない。23区内に住んでいるのだから、懐具合からしたら贅沢は言えない。

 立て替えてから14年もたったから、あれやこれやが、隙間を埋めていくのは仕方がないことかもしれない。

 片付けの手抜きはあるにしても、そういえば家の中も同様。おいてある物、壁に掛けてある物、ぶら下がっている物。あらゆる空間に物がつまっている。大量生産、大量消費の社会が家の中ではこの有様ということかな。

 こちらは決して裕福ではない育ちだから、「捨てられない」。物を大切に使おうという時代もあったから、相反することを同じ人格がやるという時代の変遷を身に受けている

 どこかの国の総理大臣も大量生産、大量消費。この場合は、役に立たないということなのだから、さっさと捨てなくちゃならないのに、まだ国会にたくさんいる元総理大臣。

 日本は変な国。家の中は、きれいにしよう。せめて。

2011年6月25日土曜日

人に寄り添う政治がほしい

 津波で被災した、少し高台にある家のおばあちゃん(失礼、自分もお爺ちゃんに近い)が、津波で打ち寄せられた、卵くらいの大きさの砂利をリュックに詰めて運んでいた。

 家は床上浸水だった。家の前の砂利は津波によって持って行かれてしまったから、玄関先に砂利をひいて直すつもり。何回も運んで。

 「津波がまたくるかもしれない。津波には負ける。勝てねえってしゃべってんだ」「でも、来たら来たで、しかたねえ。またなおすしかねえ」と話していた。

 達観というのか、自然の脅威にもひるまない、折り合って生きていこうとする。人間てすばらしい。

 人間の生きていく力に寄り添った政治、お願いします。

2011年6月24日金曜日

暑い日身体が慣れなくて

 今日は暑かった。そのうえ予定通りことが進まなくてまいった。これは昨日からだったのかな。

 万歩計の電池が切れて、買うことになった。電気屋が少し離れた商店街でないとないので、もしかしたらとセブンイレブンにいったら幸い売っていた。
 そこからの歩数365歩が昨日の記録歩数。

 今日は、午前中の予定に手違いがあって、せっかく出かけたものの、用を足せないまま家へ戻り、パソコンに向かって、資料の整理をすることになった。

 メールの返事と、ホームページの更新作業で午前中を使ってしまった。

 夜の合唱レッスンに行き、帰りに「納涼パーティー」。結構歩き回って13000歩を超えた。それにしても暑い一日だった。

2011年6月23日木曜日

首相は首相でも違うなあ

 違うなあ。

 ドイツ政府はエネルギー政策を転換して原発撤廃へ舵をきることにした。

 メルケル首相の議会演説
 「…日本のような高度な技術国ですら原子力の危険は確実には制御できないという事実を、我々は福島の事態から認めざるを得ない。…だからこそ私は”新しい見方をすることにした”と明言したのだ。
 …私は“福島”以前には原子力の残存リスク(万全の安全対策をしたうえで尚残る危険)を容認していた。高い安全基準を持つ高度技術国ではおよそこうした事故は起こらないだろうと確信していたからだ。…」

 メルケル首相は、ドイツのエネルギー計画で原発の稼働期間の延長を支持していた。その態度を変えて、撤退の態度を決めた。

 日本はというと、なんか首相の首をすげ替えろなどという話を毎日繰り返して…。大連立がどうだとか。

 結局二大政党の形態は、基本的な政策の違いは無いわけだから、ほんとの意味で政策論争にはならない。エネルギー政策にしてみても、原発を続けるかどうかの選択などないわけだ。

 世論調査ではっきりしている。世論の意向に立つのが政治なのに、これまでどおりの政治と政策の踏襲で、なにも生まれないということになるのかな。政治家じゃなくて政治屋だな連中。

2011年6月22日水曜日

暑さに負けないように

 今日は夏至。早く目が覚めて、散歩に行こうと思ったけれども、あまり早すぎるので、新聞を読み始めたら7時になってしまった。

 朝食のあと、パソコンの前に座って、メールの整理を始めた。メールニュースも各種溜まっているので、目を通してあちこち整理をしたらもう昼。洗濯物は昼までで乾きそうな日照り。
 
 中野のつりの会の「常会」があるので、江古田まで出かける。その帰りに中野の駅から家まで歩いた。暑さに負けないで歩いたというつもりだった。でも歩数計が4700歩しかカウントしていない。

 釣りの会のHPと会報の原稿づくりで、時間を費やしたあと7時過ぎからもう一度外へ出かける。ブログのネタを考えながら。

 朝は年配の人がよく歩いているが、夜は若い人がジョギングしている。健康に気遣う人が増えている。体格のいい人(つまり太った人)がやっぱり多い。人のことばかり言えないが。

 これで9600歩になった。

2011年6月21日火曜日

スカイタワーの省エネという切り口だけでは

 東京スカイツリーの省エネ効果が発表された。「省エネ型地域冷暖房システム」によって、夏のピーク電力を40%から50%、冬で41%から52%カットできるという。

 地中温度を利用するシステムも利用、建物から地下にのばした配管に水を循環させて熱交換することで、冷暖房も効率をいっそう高められるとのこと。このほかLED(発行ダイオード)を使用することで従来の4割の電力削減できるといっている。
 そういう切り口の評価もあるけれども、東京の電力事情はそれだけでない問題を抱えているのではないか。

 「東京電力の発電量割合で22%が原発頼り」ということ現状に目をつぶったままの評価でいいのだろうか。実際これから「節電対策」で乗り切らなければならない事情もある。

 省エネになるとされる「40%から50%」というのは、「60%から50%」の分の電力消費量が現状より増えるということだから、すなおには喜べない。

2011年6月20日月曜日

歩け歩け

 血圧の薬が無くなったので病院へ行く。中野の北側の病院へはいつもバスを使って中野駅まで行っていた。

 雨は降りそうもないので、血圧対策を兼ねて歩き出す。青梅街道の交差点で、混んでいる上りの車を何の気なしに眺めていたら、運転しながら、歯ブラシを口に突っ込んで磨いている人がいた。

 運転スタイルはいろいろ見たが、歯磨きは初めてだった。続けてみていると、あごに手を当てている人、片手で運転している人も多い。両手でハンドルを持っていた人はタクシーだった。

 自分のスタイルはやはり、片手でハンドルの上部をつかみ、左手はギアのところへ置いておく。

 40数年前免許を取った頃は、チルトハンドルではなかったから、両手でしっかりハンドルを回さないと動かなかった。ハンドルが軽くなって、ギアもオートマになったことで女性も簡単に運転できるようなった。

 でも危険度が増した。片手が空いているから、携帯電話もかけられるし、おにぎりも食べられる。危険度は、車を使わないことで下がるのだろうが、生活の中の車の依存度は高い。産業も。

 もうじき己も運転卒業のときがくるだろう。そしたら危険度は下がる。もっともそのときは人生の卒業も近いわけだ。

 津波で、車がどんどん流された。三陸鉄道は再開の見通しはつかない。足の問題も深刻。

 話がそれた。血圧記録をみて今日の医師は「安定している」という。「血圧の薬をワンランク増やすのも良いが、1キロでも体重を下げれば血圧は下がる」といわれて、歩行作戦の努力を続けることにした。

 昨日は、レンタカーの店まで歩いたのと、釣りで歩き回ったので13000歩。もっとも帰ってきてからアルコールをたしなんだから、無効になったかな。今日は6700歩。

2011年6月19日日曜日

梅雨の合間のヤマベつり

 釣りの会のヤマベつり大会で那珂川支流の荒川へ行く。道の駅「きつれがわ」に集合して50人で開催。予報では晴れるということだが、朝方は曇っていたので心配した。

 尻上がりに天気は良くなって気持ちの良い釣りができた。朝までの雨でも少し水が高いかなという程度だった。8時の集合時間より早朝に現地に着いて、川虫をしっかり準備した人たちもいた。

 50人がどこに消えたかと思うほどあちこちに散らばって14時までのヤマベつりを楽しんだ。

 ヤマベは、瀬の浅い流れで良く餌を追った。二、三週間前には深いところでしか釣れないという情報だった。「試釣」(大会開催日より前に釣りをしてみるという釣り用語)の情報も、大会をみんなで楽しむとなると大切なことだ。

 道の駅のすぐ上流で川虫を捕って、やってみる。どこで魚は補食するか、仕掛けはどう流すか、キチンと底を流れているか、餌は傷んでいないかなど、いろいろ気を遣いながら少しずつ場所を移動、時には戻りながら楽しんだ。

 結局582グラムでおよそ30尾ほどの釣果(これも釣り用語かな。チョウカともツリカともいう)自分にしては結構満足の釣りだったけれども、優勝した人は2キロを超えていた。100尾は超えていたでしょう。朝早くから餌を準備したベテランさんだった。
 

  釣り大会の表彰の前に、被災地支援のバザーを実施した。自製のマーマレイド、タマネギ、仕掛け、竿など多数寄せられ、時には抽選や譲り合いながら5万円ほどの義援金となった。

 1000円料金終了の日のためか帰りの道路は混雑気味だった。

 この道の駅は、売店や食堂もあり、子供たちも河原で遊べるようになっている。近くに温泉も多いので、河原でバーベキュー、おみやげに新鮮野菜も手に入り、いろいろと楽しめる。

2011年6月18日土曜日

日の丸、君が代を愛す、国を愛すのとはちょっと違うかな

 日の丸と君が代は歴史的な遺恨を残している。 
 子供の頃、映画を見に行くとニュースの上映をしていた。そのとき「侵略戦争」という言葉を使っていたのを覚えている。

 戦争の道に入ってしまった国のあり方は負の評価としておくべきもの。そのことを抜きに平和は語れない。国がとったこの道は、アジアで300万人以上が犠牲になった。加えて原子爆弾の最初の犠牲者を負うことになった。

 日の丸と君が代は、先導の役割で使われた。今の震災地を見て、戦後の状況を思い出す人も多かったのではないか。好感度が高いとは思えない。

 日の丸と君が代は、現行憲法ができたとき、替わるべきものでなかったのではないか。様々な問題を棚上げしたとしても、歌詞がちょっとね。日本全員の賛意をえられるものなのか。

 日本語は最近乱れてきたというか、変化してきているけれども、「すばらしくいい歌、良い歌詞」がどんどんでてきている。歌い手も。

 国歌でいったら、アメリカの国歌なんか元気が出るような曲だね。こんなこと考えると新しい国歌っていうの造った方が良かったんじゃないかと思う。今からでも良いけど。

公募して「総選挙」なんていうのはどうだろう。

日の丸に礼をしてから、こちらを向く某官房長官。「放射線量はただちに身体に影響が及ぶものでない…」と臆面もなくしゃべる。国民、国を愛しているようには見えないな。

 政治にしてこの有様、こういう国を「愛さなければならない」のだ。起立して君が代を歌わなければ処分するという。よっぽど自分たち、為政者がなしていることに自信がないのだろう。

2011年6月17日金曜日

放射能線量調査して! 行政も動きだし

 国や自治体の動きに先立って、放射線測量の活動が盛んに行われています。


ウォールストリートジャーナル記事
 柏市では、母親らが中心となってネットを通じて1万人の署名を集め、子どもを放射線から守るために一段の対策を求める請願書を柏市役所に提出した。2日に柏副市長に会い、学校で毎日放射線量の測定を実施するよう要請した。だが、以来ほとんど進展はないという。


その後柏市も測量に動き出しました。


ウォールストリートジャーナル


共産党都議団の調査は早かった(5月6日から25日)

 
 東京都は新宿一カ所で18メートルの位置で調査という、お寒い状態。申し入れにより100カ所の測定を開始した。都の担当者のコメントでは、今後は模様眺めらしい。続けてよ!


今、住民の要望で行政が動くという事態が広がっているようです

なにゆえの雨か

 今日は我が家の爺の通院日。これまで3年ほどの間、傘を差すような天候はなかったのに予報通りの雨。爺には車椅子専用のカッパを着せ、自分は釣りの時使用する上下のレインウエアーを着て、傘なしで出かける。

 雨はまだ多くは降っていなかったから、濡れることはなかった。降雨量が多いと、どうしても濡れてしまう。

 そしたら、これまでの医師が病院を辞めてしまうとのこと。金曜日のこの先生は一日何人診るのか解らないが、順番待ちの人が相当いる。他所で医院を開くらしいが、やっぱり独立するのが夢ということかな。

 帰り道「わかった。先生が辞めるから、今日は雨だったんだよ」としゃべりながらいつもより早めに家に着いた。幸い雨はまだ少ない降りだった。

2011年6月16日木曜日

またやるんですかー2020年オリンピック誘致

 五輪誘致をまたやるらしい。4000億円も溜めているから大丈夫だっていうことか。「震災復興」の看板を立てるというけど、被災地の希望はそういうとこにあるのだろうか。

いわく 

 「東京が東日本の代表都市となって復興を開催理念に掲げれば、国内外で支持の広がりを期待できる」
 「9年先に希望を持って(震災からの)復旧、復活に励むということも一つの大きな刺激になるんじゃないかと思う」

 世論の支持が低いことで2016年の五輪招致が失敗した。世論を盛り上げられなかったというよりは、世論の支持がないところに無理にことを運んで失敗したんじゃないのかな。

 明日の生活がどうなるのか、いつになったら元の生活にもどれるのか、仕事はどうなるんだ、放射性物質はどうするんだ、二重ローンはどうするんだ…

こんなときに9年先の希望で刺激?

世論が支持せず、電通には大金を払った新宿西口の景色

キャプション 「ネバーギブアップhttp://29.pro.tok2.com/~urohaze/gallery2.html

2011年6月15日水曜日

世界農業遺産登録その2 佐渡はメジャーな話にしたい

 トキの餌作りのために「水田魚道」を設置して、サカナが田んぼで産卵・繁殖できるようにしていることが評価の対象ということでしょう。

 水路から田んぼにサカナが上れる魚道を設置することで、田んぼで繁殖したドジョウなどをトキが餌にできる。農業と自然の融合は当たり前のことだったのに、これが遺産の価値となることです。ちょっと寂しいことですが。

 この「自然回帰」が遺産登録されたのはうれしい。水田魚道をつくる試みは、昨年生物多様性条約締約国会議が愛知で開かれたこともあって、愛知県では熱心に取り組まれていた。

 宮城県の伊豆沼、栃木県那珂川、神奈川県茅ヶ崎などでもボランティア団体の受け皿で進められている。

 設置のスタイルによってサカナの遡上は変わるらしいが、ドジョウ、フナ、タモロコなどは常連とのこと。

 これを先導しているのは農林水産省で、行動部隊は「社団法人 農村環境整備センター」。

 ここが作った指針に「地域に伝わる魚とりの文化を再興する手段として水田魚道に期待が寄せられている…地方によっては数10種類にも及ぶ魚取りがあり…こうした遊漁の文化を再興する手がかりとして注目されている」とあります。
有機稲作との融合が当然にもかかわっています。

 水田魚道設置が広がれば、当然釣り場が保全されることになるでしょう。釣り人も大いに関心を持つべきです。

 大事なこと忘れてました。この「農村環境整備センター」が事業仕分けの対象になっているんです。

「 水田魚道づくりの指針」から

2011年6月14日火曜日

世界農業遺産登録、マイナーな話

 石川県・能登半島と新潟県佐渡市が世界農業遺産に登録された。

 能登半島の千枚田は、地元白米町だけでは高齢などで耕作できず景観が荒れていくのを心配して、白米町近隣の農家の方が集まって平成18年春に組織し、千枚田の一部の耕作を 始めた。

 オーナー制度で田の管理と指導するというシステムで農業を保全していることが、評価の対象とされたものらしい。
 
ここは
平成11年(1999年)に 「日本の棚田百選」(農水省)に選ばれていた。


 棚田の景観に惹かれて撮影に行った.のは、2009年5月12日。今年の「プチ田植え体験」が5月15日だったそうなので、ちょうど同時期だ。

その時の写真
http://29.pro.tok2.com/~urohaze/gallery10.html

 農業は大規模化が強制されて、結果減反を余儀なくされている。今や40%にも及んでいる。(およそ青森県の面積を上回る960,704ha)


 大規模化の推進によって、耕作しづらい細かい田んぼや畑は使われなくなってしまう。放棄地は増える事になる。


 田植えの時期、景色をながめるとどこでも休耕田の荒れ地が見える。基幹産業の位置づけを放り出しているから、農家の跡継ぎは生まれようもない。


 本当はなくなっている千枚田の景色が、オーナー制度によってかろうじて米の生産に取り組まれ、景観を維持している。それが評価されたということか。


ここにオーナーの一人である小泉純一郎の看板があった。

2011年6月13日月曜日

負担能力発揮どき

 11年3月期(通期)の売上高の合計額は前期比約7%増の約406兆円、経常利益の合計額は約56%増の約22兆円。第3四半期までの業績が良かったためだ。ただ、被災した工場や店舗などの復旧費用を含む特別損失は3.5兆円に達した。

アサヒコム

上場企業の決算は通年の経常利益で56%増の406兆円
負担能力の発揮どきじゃありませんか。

 この夏は長期休暇で「休ませる」会社が多くあるという。「節電」効果もあるのがメリットとなる。しかし、賃金減がついているのが日本の処遇。「働かせ過ぎ」で世界から非難されているのを思い出そう。

 本当なら、この折夕方の時間短縮をすればいいと思う。このところ随分時間短縮していない。

 朝早く出勤させて退勤時間を延ばすという腹が痛まない方法を、「電車が空いていてよい」「朝食が食べやすい」などというインタビューだけを取り上げて報道するだけじゃなくて、もうちょっとつっこんだ報道にならないものか。

 10日に「自殺対策白書」が閣議決定され、去年の自殺者が3万1690人と13年連続で3万人超と発表。
20歳から40歳が増加傾向で、非正規雇用の増大やセーフティーネットの脆弱性が背景だと分析している。

 被災地でなくても今の雇用の実態がどんなものかが見える。

被災地の失業者12万人。「負担能力」を是非コントロールして欲しい。

2011年6月12日日曜日

気温が上がってきた

 この夏は「節電」で暑くなりそうなので、いまから心配。小さい子供や高齢者には特に堪えることになりそう。

 放射性廃棄物が飛散しているのを考えると、東北関東周辺は特に窓を開けるというのも気を遣わなくてはならない。精神的には寒ーい話だ。

 太陽光発電促進付加金について再考してみた。

現在の電力料金は
電気料金=基本料金+電力量料金(燃料費調整額含む)+
太陽光発電促進付加金(電力使用量×0.03円)

 原油の価格を反映することにしてある。しっかりと。太陽光発電促進付加金は前年中の買い取りに要した費用総額を基に算定、国の審議会を経て決定されるとなっている。

 太陽光の余剰電力の買い取り制度は、その電力を使ってる消費者が負担をすることになっているが、 これから先、風力、水力、地熱、バイオマスにも広げることを検討しているとあるから、この付加金はどんどん増えることになる。

 ところで、電力会社が自前で、生産や生活全体をまかなう状態であると仮定した場合、(原発の問題が起こる前はほぼ100%)買い取った余剰電力はその分余るという理屈になる。

とすると、電力会社が生産する電力は少なくていいということになる。そうしたら、基本料金は値下げすることになるんだろうな。(期待してます)

 節電という文言は正しくないと私は思う。足りなくなったのは、原発に頼ったことによる国の行政や電力会社の責任によるものだから、消費する方が主体的にやっている節電とは訳が違う。計画的でも何でもない「計画停電」しかり。

雨降らず、血圧対策可能な良い日

 予報が外れて、釣りの計画を中止したのは裏目だった。
 それならと、カメラをぶら下げて今日は西の方面へ散歩に行くことにする。


 以前にブログに書いた、太陽光発電促進付加金のことが少し気になって、もう一度書き込もうかと推敲しながら歩いた。このところ良く歩いているので速度はゆっくり目で。

 蚕糸公園は早朝にもかかわらず、太極拳、体操やら池周りの散歩、子供たちの早朝野球練習など、賑やかに活気づいていた。





2011年6月11日土曜日

見れども見えず

 我が家の爺が午前中に帰ってきた。腰に力が入らないみたいで、寝たきり状態だったものだろうか

 午後晴れたので、「血圧対策」にこれ幸いと散歩にでる。アジサイを写真に撮ろうと最初にいってみたが、昨日見た以外にもアジサイを植えている処がたくさん目に入ってきた。

 散歩は、家を中心にして東西南北、結構歩いているのでいろいろ目に入っているはずなのに。心ここにあらざればということか。
 アジサイのおかげで7300歩の血圧対策になった。

昨日見たアジサイ
















あっちのアジサイ

















こっちのアジサイ

2011年6月10日金曜日

咲かせる楽しみ

 朝、散歩しながらツツジの花がもう終わりだなと寂しく思っていたら、その後続いてアジサイが、もうじき咲く勢いを見せていた。

 ツツジを植えているところも結構あるが、アジサイを家の前に植えて楽しむ人も多い。花を咲かせるということも楽しいことなのだろう。

 でもね。花は嫌いではないが、面倒を見るとなると大変だろうな。

  今日、「樹たちの声」を歌った。素敵な合唱曲で、歌詞に「エゾヒグマになって山を駈けてみませんか、かしわ、かつらぎ、ナナカマド、錦の模様が見えますか…」というのがあった。

 
 ナナカマドの花が、我が岩手山麓に咲いていたのを思いだした。紅葉の一番手で「目立つ」存在なのに、花はわりと控えめなのかな。



6月3日撮影

2011年6月9日木曜日

写真展「視点」を覧に川崎まで行く

 朝の散歩は4700歩だった。朝は良い。頭が回転するから、あれこれの思いつきを生み出す。HP更新のときの不具合修正の方法を思いついた。実際やってみたら正解だった。

 写真展(「視点」)を覧に、川崎まで行く。慣れない道のりで、乗り継ぎを間違えてしまった。

 写真展はテーマが平和だったり、生活や身の回りだったり、伝統だったり、都市の虚無感などを実直に見つめるて撮るものだから、撮影者が何を感じているのかを想像しながら覧る。主張があるから、美しいさばかりの写真とはひと味が違う。

 ウーンこんな良い写真を撮って…と羨ましいものがたくさんある。こういう素晴らしい写真を見て、また写真を撮ろうという気持ちがかき立てられる。

 帰ってきて、今日もトータル一万歩ぐらいいったのではないかと、確かめようと思ったら、歩数計をもっていなかった。こういうときは自分に都合良く、一万歩はいっただろうと、記録に止めることにする。

2011年6月8日水曜日

歩け歩け

 健康のために一万歩というのは大変。少し血圧が高いから、医者に降圧剤を増やすと言われて、そういえば最近頭が痛くなるのでもそのせいらしいい。

 また少し頑張って歩くことを続けようと、この間から歩数計を首からかけている。

 先日の釣りの間もカウンターをつけていたけれども、沢歩きではあまり歩数は多くなくて、4000歩ぐらいがせいぜいだった。

 昨日は張り切って2回散歩に出てようやく一万歩を超えた。

 今日は午後から晴れたので、高円寺の上州屋まで歩いて行くことにした。振り出し竿の先の方が固着してしまったのが、どうしてもとれなくて、モチヤはモチヤかと相談してみるつもりもあったから。

 なにか道具がいるんでしょうねと言うと、「そんなことはありません。原始的なんです。」と言って輪ゴムを二本使って、竿に取り付けてから、ゴムの反動を利用して床に当てると、見事にとれた。

 こっちだって何十年も釣りをやっていて、いっぱしのことは分かっているつもりだったが、ちょっとショック。

 竿が直って気持ちも軽やかに家に着くと9400歩。なんとちょうど良い運動になった。この勢いで、「出雲の旅」の写真HP更新作業も終えた。

http://29.pro.tok2.com/~urohaze/gallery9.html

2011年6月7日火曜日

いつまでも古いままでは

 政府が公務員の賃金1割削減を強引に決めた。こんなに「公務」が必要なときにどうしてそういう発想になるのか。

 公務員の「司令部」が十分な働きをしていないことを棚にあげて、住民の身近で働く公務員の給料を下げるのはおかしい。先頭で働く被災地の自治体の公務員、警察、自衛隊、支援に行っている公務員も多くいる。

 公務員の力がもっと必要なんじゃないか。

 被災地の失業者は11万人いるという。現地の復興事業に必要な仕事はいくらでもあるだろう。銀行が具合が悪いときには大盤振る舞いしたのだから、やる気になれば相当なことができるだろう。さっさと効果的な手を打ってもらいたいと思う。

 大連立ができたら、復興の手だてが進むとは考えられない。これまでの政治を引きずった政策を変えるのではなくて、消費税や原発のように同じスタンスにあるわけだから。

 岩手山麓のお気に入りのブナは、どんどん逞しくなっていく。政治もみんなのために逞しくなってもらいたいけど…。



5月13日の時は
6月3日には

2011年6月6日月曜日

ことの結末の日

 昨夜は家に着いたのが11時半を回っていた。午前1時まで日記の整理をしたから、今日は眠い。

 使った釣り道具や、衣類をすっかり洗濯してさっぱりした。9時40分にはコーヒータイムになった。

 もう一つ懸案の出雲の旅のエッセイがを、まとめなくてはいけないので、一日かけて4枚のエッセイにまとめた。もっとも、構想から下書きまでやってあったし、写真の選択編集も準備してあったから、推敲するだけでできあがった。

 デジカメはどうしても多くの写真を撮ってしまうので、保管するだけでは「見ない」に等しくなってしまう。エッセイと写真集をつくれば、結末がつく。写真集のまとめにもう一頑張りしないと。

虚鯊の数多フォト Diary Essayガイドからアクセス
http://29.pro.tok2.com/~urohaze/profile.html

PDFファイルが少し重いので、開くまでに時間がかかりそうで心配。

2011年6月5日日曜日

三日目の渓も楽し。

 三日目。少々疲労を感じるが、最終日につき元気を絞りだしてでかける。

 昨日の最上流部に行ってみるが、サラサラと小川が流れている状態。橋から魚が見えるが、釣りをするのは無理。少し下流から始めることにした。

 沢が暗くて、見ずらいところもあるが、太陽の明るさをさえぎって釣りの条件は悪くない。足元の石は小さくて釣り歩きやすいほうだろう。里川のように落差がない流れでも、ところどころに、落ち込みを造成している。

 ずいぶんつり落としてしまって、やはり集中力が欠けているのか、針のせいか。

 岩魚、ヤマメを5尾。当たりが頻雑にあったから、楽しめた。

2011年6月4日土曜日

自然と岩魚釣り満喫

 以前に行った沢の入口が分からなくて、貴重な朝の時間を浪費した。やむを得ず、昨年やってみた有根沢にいく。
 
 ゴミが少ないから、釣り人がたくさんは入っていないだろうと推測された。釣り人が捨てるゴミで、汚れていることが結構ある。

 有根沢は昨年釣りした時の印象は良くはなかった。今回はまあまあ、岩魚もでてきてよかった。入口で、ラーメンの昼食。タラの芽入りの贅沢なもの。インスタントでも、ソーセージも、キャベツも入っているとあっては、「650円」の値段は付けられるなと話す。

 次の行く先は、沢の様子が全然違って、落差がない平瀬が続く、鶯宿温泉の上流部。岩魚とヤマメの混在で、歓迎してもらった。

 出かけるとき、空気がうまいと実感した。岩手に来た時に味わう幸せ。

2011年6月3日金曜日

一日渓ですごす

 葛根田川支流荒沢で、一日暮らす。気温が低いので、合羽を着て備える。岩魚の反応が厳しくて、ウド、タラノメ、ネマガリダケを摘んでかえる。 
 田植えはほぼ終了。田と岩手山のコラボレーションがいい。植えたての田んぼは美しく、日本の原風景。

 今夜は山菜料理盛りだくさん。言うことなし。

2011年6月2日木曜日

柳の下の岩魚釣り

岩手山麓にでかける。釣の会の予定が、中止になったので急遽決める。雨のあとで、岩魚釣りに好条件。…だといいんだけど。このところ、よい結果に恵まれない。
盛岡からの乗り継ぎが悪くて、暇持て余した。

2011年6月1日水曜日

中野新橋の擬宝珠(ぎぼうし)は、新しいけど…

 中野新橋の「新橋」の工事が終わった。新しい装いでお目見えした。擬宝珠(ギボシ)がねェ。もともとは、銅か青銅で造っていたんだけど。

2011年6月1日















2010年5月3日 取り壊しの前はこんなのだった。















2011年5月23日 島根県 松江城の堀川で
 松江藩5代藩主宣維(のぶすみ)に輿入れした宮家の岩姫がみやげに「大橋と京橋の擬宝珠を持参され、京の三条に似せて京店を作った…」

  魔除けということですかね。柱の木材の腐食を抑える役割。




2011年5月23日(同日)八重垣神社で














擬宝珠(ギボシ・ギボウシュ)は諸説あるそうで、

 
 ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説


 仏教における宝珠から来ているとするもの。宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているもの。 この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味。


 ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説


 ギボウシ(擬宝珠)はユリ科の多年草、山間の湿地で自生。また花が美しく日陰でもよく育つため栽培される。茹でて食べるとこれが癖がなくておいしい。これも江戸時代に栽培されたらしい。
イワナ、ヤマメ釣りのいまどき、ちょうど生える。


 花言葉は「落ち着き」「沈静」「静かな人」。