2011年7月31日日曜日

歩け歩け

 朝、軽くひとまわりしようと、玄関を出たらポツポツときた。あれ散歩は駄目かと一瞬思ったが、傘を差せば大丈夫と思い直してでかける。

 歩くスタイルは半ズボンにTシャツ、それに裸足に雪駄。本当はウオーキングの格好ではないな世間では。

 でもキチンと格好をつけると、その準備だけで時間をとってしまうので、間に合わせる。速歩をしたりとなるとこれでは不十分だし、朝方には向かない。

 今は10000歩を歩き慣れることが主眼なので、と言い訳しつつ歩くことにしている。一日の行動を勘案しながら、合計歩数が達するようにする。夕食後に再度歩き、目標を知り合いの家に決めて出発。裏道コースを選びながら10100歩達成。

 昨日は朝の散歩と、後楽園界隈の撮影散歩。それに中野駅からの歩きで9600歩。一昨日は9700歩だったからまあまあか。これで慣れていけばステップアップだな。

2011年7月30日土曜日

目糞が鼻糞を笑うというと品性が疑われるが

 海江田経済産業大臣の個人攻撃してなにになる。いつ辞めるんだなんていうことを、聞いてなにになるんだろ。今まで進めてきた原発行政を、なんら反省ない自民党が、よく言うよと思う

 同じ穴の狢(むじな)じゃないの。「原発は止めよう。タイムスケジュールはこうだよ。」と言ってごらんよ。拍手喝采だよ。スポーツ界は快挙の連続じゃないの。寂しい政治だねェ。

 国会でこんなことやってるんだ。これはたぶん外国では報道しようがないんじゃないか。泣いている大臣はなぜ?とコメントすると、日本は理解のできない国だぐらいが関の山。こんな日本にだれがした。考えてご覧なさい質問者さん。

 今日は釣りの会のメンバーが属する民医連の写真サークルの写真展におじゃました。百家争鳴のようないろいろ素敵な写真を見させてもらった。自分としてはやっぱり東北の様子に気持ちをそそられていたが、しかしそう簡単ではない。写真家の集まりではないのだから。 やっぱり自分で撮りたい。そんな気持ちが高まった。

 その後、科学者会議の「福島原発で何が起きたか、何が問題なのか」という話を聞きに行った。舘野淳さん(日本原子力研究所を経て中央大学教授退職)の話。

 シロウトが知らない話を丁寧に質問にも応えながら語っていただいた。短い時間なので、語り尽くせないことはあったようだ。

 現職時に労働組合の委員長をやっていて、「出世」できなかった。つまり原発の危険性を話をしに行くような人間は×(バツ)ということだった。いまやマスコミの引っ張りだこで、なぜかフジテレビがよく呼んでくれるのだと。

2011年7月29日金曜日

「やらせ」それは最悪

 保安院が、やらせ指示をした。調査をしてみないと解らないが、謝ると、保安院が記者会見した。
調査ししないとはっきりしないものを、謝るという神経もおかしい。身に覚えありと言うことだろう。

 「やらせ」は常套手段。

 熊本県の川辺川ダムは建設中止になったが、その過程でもあった。国土交通省の住民説明会で、建設会社が動員をかけて、参加するということもあった。

 日常目には触れないところでどれだけの「操作」が行われていることだろう。これが日本の政治の流れを決めているとあっては穏やかでない、ここいらですべて切り替えを願いたいところ。

 原発を続けるための策略としてやったこと。原発継続を願っているのはX。Xさん、日本の将来をどうするつもりなの?

 あなたの身勝手は許されません。

 「脱」原発から「減」原発はまたあたらしい言葉。中長期で考えるという。違うね、すぐどうするかでしょ。短期的にスケジュールを出すというのが真摯な態度でないのか。世論調査から言っても。
言葉だけ変えても意味ありませんよ。

2011年7月28日木曜日

安全でない安全なんかない だから神話にしたのかな

 三上元湖西市長は、10年前から原発反対を決意したそう。4月に静岡県の市長会で中部電力が浜岡原発ですすめようとしている災害対策について説明した際に「今の対策が不十分なら、まず停止しろ」と発言したら、同調者はだれもいなかった。

 マスコミが安全神話の片棒を担ぎ、国の外郭団体が原発安全の大宣伝をする。誘致には自治体の財政難につけ込んで、国が補助金で札びらを切る。

 旧「科学技術庁」が関係財団につくらせた世論操作マニュアルに

 ☆不美人でも長所をほめれば美人になる。原子力はもともと美  
  人なのだから、その美しさを嫌み無く引き出す努力がいる。

 ☆新聞記事も、読者は3日すれば忘れる。繰り返し書くことによ
  って、刷り込み効果がでる。

 ☆原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメ  
  ンテーターとしてマスコミに推薦できるようにしておく。

 ☆ほか

 とご丁寧なマニュアルがあった。かくして安全神話が構築される。

 中国の高速鉄道事故の隠蔽工作もひどいが、安全神話を創造した「原発推進軍団」の行為も「犯罪」なんじゃないか。

 テレビコマーシャルで「エコです。原子力発電。クリーンエネルギー」なんて何回も流されて。危ない危ない。

2011年7月27日水曜日

58年視ていただいてありがとうってお礼なし。

 アナログ番組が終わった。テレビ難民は何人ぐらい?との記者の質問に「わかりません」と片山善博総務相。NHKもなんのご挨拶もなく「砂嵐画面」に。

 これも日本の皮相な政治だと思わせる瞬間だ。電波を「ビジネス拡大のために」を先行させて、無理矢理デジタル対応のテレビを購入させる。

 いまので良いと思っている視聴者は許さないということ。こういうことやる国ってほかにあるんだろうか。

 テレビは売れるから、消費が伸びたようになるでしょう。統計の上では。

 番組にしても、なかには興味をひくものや、良い番組もある。けれども圧倒的につまらない。BS放送と来たら、商品の宣伝ばかり。まあ、見なけりゃいいんでしょう。

 節電のためテレビのスイッチはこまめに切りましょう。
 テレビみたけりゃ、原発必要となどと言われないように。

 アナログ放送さんお疲れさまでした。

2011年7月26日火曜日

地震と国民栄誉賞

 なでしこジャパンが国民栄誉賞を受賞した。もらってももらわなくても「快挙」は万人が認めるところ。政権浮揚をねらってと、マスコミもコメントする。

 王貞治が国民栄誉賞を始めて受賞したときは、福田赳夫内閣。そのとき、この賞は内閣総理大臣の人気浮揚のためだろうなと見えた。

 翌年(1978年)1月「宮城県沖地震」、6月「宮城県沖地震」があった。福田内閣は、12月に終わった。2年間の内閣だった。ロッキード疑獄の後の派閥争いがあって、田中派の大平正芳に替わった。

 今は被災の規模も比較にならないほど大きい。東電の援助は惜しみなくやっても、被災者の支援策は曖昧というのではまずい。

 「ともかく首相が退陣しろ」ということを先行させて、口角泡を飛ばす、これは政治ではない。

 国民栄誉賞は、今はいたらない政治家グループや財界にだって、対象にできるのでしょ?これまでのすべての不具合を更正するなら、もらえますよ。

2011年7月25日月曜日

パソコンの功罪

 つりの会の会報の原稿がまとまって、印刷屋さんに送った。

 パソコンで原稿を作るようになったのはまだ最近だけれども、原稿の持ち込みが、パソコンを使うようになって、以前とは様変わりしている。

 以前は、紙ベースで業者に持ち込んでいたものを、いまは編集ソフトを使うようになっているので、それなりに便利になった。文字の増量や削減も紙ベースでは大変だが、編集ソフトでやると、わりと簡単だ。

 ずっとやっているとおもしろいこと(本当はおもしろくないこと)に気がつく。つりの会の行事について、「報告的」文章をまとめるにしても、「寄稿分」を書くにしても完成品になっていないことだ。

 以前は、手紙や作文を書く場合は、誤字脱字は絶対ださないように気を配って書いた。あるいは下書きまでして、「清書」までした。それが、今は完成度が低くなっている。

 まとめる方から見ると、「手抜き」ということになる。が、必ずしもそうは言えないかもしれない。手を加えるときりがないことで、適当なところでまとめておくというのもあるんじゃないだろうか。 しゃべりはいいが、文章ははどうもという場合もある。

 それに、パソコンでの文書作りは慣れるに従って、いとも簡単に書き換えが聞く。これも完成に対する軽さとなっているのかもしれない。文字を打ち込んで漢字還元するときに、誤ってしまったので、打ち直してもまた誤ってしまうことがよくある。すぐに直せる気楽さとでもいおうか。

 完成品をつくりあげること。これはずっときりなく続く。

2011年7月24日日曜日

一番電車に乗ってヤマベつり

 ヤマベつりの研究会で、鬼怒川支流の荒川へ行く。高崎線の宮原で待ち合わせて車に同乗させてもらう。5時44分に待ち合わせのために、自宅を4時にでなければならない。

 近くの地下鉄では間に合わなくて、中野駅まで歩く。これが「一万歩の歩数稼ぎ」に貢献する。早朝で涼しいとは言え、駅に着くころには少し汗ばむ。

 新宿の乗り換えは、朝帰りの若者が始発電車を待っているようで、混雑している。不思議なことにチラホラ年配の人も見える。

 順調に荒川に到着して、まずは川を眺める。幸い台風の影響はなさそう。参加者がそろって挨拶し、入漁券を購入してから、先日実績があったところへ行ってってみることになった。

 川沿いに岸辺には背丈以上もある草が覆っている。この緑と透明な川の流れを見て、来て良かったと一瞬感激に浸る。

 ヤマベは産卵を終わって、あちこちに散って餌を追っている。流れが浅くて緩いところには生まれたての稚魚がたくさん見えて、オタマジャクシと一緒に遊んでいるかのよう。

 皆で黒川虫を採って、散らばってつり始める。ヤマベは集団でいるようで、つりのポイントを見つけると、続けざまに竿を立てることができる。

 7人が参加して、何回も竿を立てることができた人は100尾以上になった。アユつりの人は二人しか見えなかった。14時までやって58尾だった。今日は研究会なので、カウンターを使って記録し、釣った魚はすぐ放流した。水に浸かっても良いスタイルで、川を移動しながら釣り歩き、今日は旨い具合に10200歩に達した。
家に帰ると、ついついビールが恋しくなり、せっかくの一万歩超えも、効果半減かも。

2011年7月23日土曜日

川が生きていた

 昨日見た善福寺川の亀は、もういないだろうと思って見にいってみたら、いやいましたよ。どうやら棲み着いてるらしい。
 善福寺川の源流「遅野井の滝」から10.8キロ付近と書いた看板が近くにあった。

 亀を眺めていたら、オッ!鯉が泳いでいる。

 そのうえ、鳥がその溜まりで流れが緩くなったいるところを旋回している。餌になるものを採っているのかとも思える。

 もしや溜まりのところから虫が羽化しているんじゃないか。としたら、善福寺川は側溝ではなくて、「川」だよ。ごく小さいけど、

川の機能が生きているんだ。溜まりになっているところは、生き物のよりどころになっている。

 この川の生き物を見たのは私にとって大発見。広げてほしいね。こういうところ。河川改修は「50ミリ改修」だけでは不足している。川を自然に戻すことを視野に入れてもらいたい。

 

 潤い効果、計り知れないと思うよ。

2011年7月22日金曜日

暑さ対策は

 今日はシロギス釣りの予定だったが、台風の余波がありそうなので中止にした。天気は回復して、あららと思ったが、こういうときは、海の底が荒れてしまったり、風が残っていたりするので、つりの条件としては良くない。

 外装工事で、蒲団が干せなかったのでこれ幸いと陽に当てた。ちょっと薄日で物足りないが、敷布も選択したし、今日は気持ちの良い寝付きになるだろう。

 部屋に置いてあった釣り道具をベランダの物置に収納した。ただでさえ狭い部屋がいくらか空いた。これだけやっただけでも、すっきりした気分になる。

 それにしても涼しい。天気予報では明日からまた暑くなるらしい。

 江戸時代は、暑さ対策は「地面を覆わないこと」だったという。道路や高層ビルをどんどん建設して、熱源を増やし続ける現代とはちょっと違う。意識して政策に取り入れたとなると、その政治力はすごい。

 東京の学校の運動場も「土に返す」ということをしているが、空き地を増やして、はできるだけ「土」を表面に出しておくべきではないか。

 河川の氾濫にも貢献するし、なにより温暖化対策になる。電力の使用量減にもなる。ここ11年間で新宿区の延べ面積ほどのビル床が増えたというが、その分だけ公共事業も資金がかかり、電気使用量も「しっかり」増えた。

江戸時代の合理性に、現代は負けているのか。

2011年7月21日木曜日

不要なダム、不要な危ない原発なくして

 熊本県の県営五木ダムは建設中止と、蒲島知事が記者会見で発表した。32年前に工事を開始してから140億円(事業費の90%)も使ったんだそうな。

TKUスーパーニュース

 国からの依頼による「再検証」で、下流の川底が削られたから、流れが良くなって、ダムはいらなくなったと理由をつけた。

 ダムを造る必要性も、とってつけたような理由で建設しているから、止めるときも首をかしげるような理由だ。

 洪水で河床が削られるような事象が自然界におきるのだから、100年に一度の洪水に対処するためのダム建設などというのは、それこそ大義名分にはならない余計なお世話ということだ。

 川は川の性格、機能が尊重されるあり方が追求されるべき。無駄な資金を使った。無駄なダムを止めるという「課題」もあったね。

 浜岡原発だけ「一時停止」して、折を見て再開する。ほかの原発を停止することはないという、産業界におもねったスタイルは、ダムも同じよう。常套手段かね。

 台風の影響で、このところ歩けなかったが、レインウェアーを着て行けばよいと、ステップアップ。初めてのコースで、善福寺川に亀が泳いでいるのが見えた。思わず魚の姿を探してしまった。何日かぶりで11800歩。

2011年7月20日水曜日

女性が強い

 なでしこジャパンが凱旋して、明るく賑やかな話題でなにより。記者会見をみていても、よく分からないが、メンバーの持っている力が出せたということもあるだろう。

 高校野球のように、だんだん力がついていく場合もある。

 三浦知良氏が、活躍をたたえたうえで、男性陣も学ばなくちゃいけないと話していた。スポーツ界の女性の地位がまた上がった。
 社会の中では男女平等とはいってもまだまだ女性の地位は低い。管理職の数でも、議員の数でも。

 「原始、母は太陽であった」という平塚たいてふの言葉があった。気になる言葉だったが、いよいよ「女性上位」が定着していくのだろうか。家庭内はすでに定着済みだけど。

 中国人の女性も話っぷりに勢いあってすごい。昨年3月に旅したとき、そんな元気さを実感した。撮った写真にはあまり出ていないけれども。

写真   中国、女性模様

2011年7月19日火曜日

原発の影響、つり文化にも

 つりの会の会議で、これからハゼ釣りのシーズンになるけれども、放射性物質の影響はどうなんだろう。国や自治体は調査をしていないらしいし、漁業の対象となる魚でないというのをいいわけにしていると、話が出た。

 ちょうど今時は、藁を食べた牛からセシウムが高濃度で計測されていると報道している。

 ハゼ釣りは、どこのつりの会もつりの対象として楽しんでいるし、釣りの会でなくとも、シーズンにはたくさんの人たちが釣りを楽しむ。

 東京湾ではいまはほんの一部を除いて、海とは隔絶されている。それでも老若男女を問わずハゼ釣りをする人は多い。その被害は無いと言えない。調べるべきだろう。

 「江戸前のハゼ」もつりの歴史のなかでは貴重な文化の臭いを残している。ハゼを三枚におろして天ぷらで食べるなど、絶えさせてはならない食文化だ。

 つりは、自然に触れ明日の鋭気を養うにすばらしい効用を持つ。自然の大切さを身につける副産物も得る。ここへの放射性物質の影響はけして小さい物でない。

2011年7月18日月曜日

汗を拭きふき

 墓参りを道路が混まないうちにということで、7時にレンタカーを借りて、爺をのせて高尾へ行く。道路は空いていて、早く着いた。

 しかし日射しが強い。汗を拭き拭き、今回は都合が付いた息子と娘で、墓の掃除をする。墓の隣で、新しい墓の造成をしていた。

 この寺は行くたびに墓が増えている。
 帰りは例によって八王子インター近くの道の駅で、「スイカ、桃」の買い出しを目的に立ち寄る。


 これまた、例によってそれだけでは収まらずに、あれこれの食材を仕入れる。11時過ぎに帰路についたが、上りの道路が混み始めている。連休の終わりなのでそんなものだろう。

 
 外壁の工事が終わったので、植木を避難先から戻す作業を、明日やる予定だったけれども、台風の影響で雨でも降られるとやっかいだから、やってしまおうということになった。

 捨ててもよさそうなものがあるけど、とりあえずは元に戻すことに。疲れたが、「植木置き場」は借り物なので、これでホッとする。

 
 なでしこジャパンのビックニュースを、何回も見ている内に一日が終わった。

2011年7月17日日曜日

絵になる景色

 昨日と同じところにボートが泊まっている。湖の定位置、ブラックバスつりのようだが、ポイントなんだろか。

 背景に山が入って、絵になっている。彼等は絵になっているとは思っていないだろう。知らない間に絵にされている。

 自分も絵にされているときがあるんだろうな。そのときは風景にピッタリあっているといいな。
 
 歩くのにちょうど良い榛名湖畔だったのに、頭の切り替えがうまくなくて、魚ばかり気にしていた。浅場の足下にまで来て騒いでいる小魚がヤマベだろうと読んだが、確かめようとホテルのフロントに来たけど、解らなかった。
 
 いつもは、浅場に水草は見たことがなかったのに、かなり繁茂していたので、これも聞いてみたが不明。温暖化のせいかと、ふと気になった。

 合宿は終了。成果は「良」としておこう。

 

2011年7月16日土曜日

オタマジャクシと取っ組み合い

 自己の力量はさておいて、合唱で歌が揃うときの快感は、たまらない。合宿は、その味わいを得るために集中してやる。発表会に上手くできるように、練習に励むことになる。

 発表会がなくても…と思うけど、節目がないと、頑張りぐあいが違ってくるのも事実。練習後の飲み疲れの頭を起こしに、榛名湖に降りる。ブラックバスの釣りをしている。その脇で、ヤマベが産卵だろうか、騒いでいる。

2011年7月15日金曜日

暑い中ごくろうさま

 8時44分新宿発の列車に乗るべく、8時には家を出たいのに、朝のお務めが終わらない。少し焦り気味に、新宿に向かう。着いてみれば、10分ほどの余裕。

 現役時代と違って、1、2分の朝の争いがないから、時間の読みも感が悪くなった。ユラッと揺れた電車のなかで、軽く足を踏まれて、こんなことしょっちゅうあったっけと思い出す。

 混んだ列車で職場に行って、節電で暑いのを我慢して、仕事だな。労働者諸君の苦労は絶えない。いまも。会社に言われたら、やらせメールと分かっていたって…。

 列車と送迎してくれたバスは順調で、予定どおり榛名湖に到着した。

2011年7月14日木曜日

明るい話題を求めます

 今日はドアの養生ということで、玄関と勝手口をやってもらった。鍵がいるというので3Fへ取りにいったのを皮切りに、昨日のシャッターの養生の結果点検に立ち会って、そのたびに応対することになった。

 3Fと1Fを往復して、それだけで1900歩にもなった。半分は喜ぶべきことだけど。

 原発はすぐ止める気はないな。言葉では「将来」課題だし、官房長官が「遠い将来の希望」と打ち消しに回る。やっぱり産業界の顔をたたているんだろうね。

  「やらせ」の失点もあるし、7月2日には大きな集会、デモもあったしそれに日本中が、怒ってこっている。「脱原発」ぐらい言わざるを得ない。

 内容は物足りないし、どこまで当てにしていいものやらわからない。でもだからと言って、仮に首相が替わったとしても「民意」に沿った政治ができるんだろうか。

 「二大政党」勢力で首相のまわしっこしたって、きっと同じことしかできないだろうと思う。ドイツだってフランスだって、福島の教訓をくみ出して原発政策を変更した。これが政治というものだろうね。

 国会で中身がない「首相おろし」を声高に叫んでいる議員のみなさんも、ドイツでもフランスでもいって、勉強してきたらどうか。
それに、「脱原発」の記者会見発言に文句だけつけるのではなくて、自分の党で検討して、「原発廃止までのスケジュール」を国会で提案したらどうか。それで論戦してよ思いっきり。

 それに引き替え「なでしこジャパン」の活躍すごい。東京電力女子サッカー部に所属していたメンバーもいるのだとか。福島県の本拠が使えなくなって、移籍していたうえでの活躍。政治が混迷しているなかで、明るい話題になった。

 東京電力さん、政治屋さんも明るい話題つくってよ。

2011年7月13日水曜日

気に入らない、お気に入り

 上田のつりの会との交流会写真を、WEB用に編集して2本のホームページを更新した。デジタルカメラは、どんどん撮ることができるから、必然的に数が増えてしまう。それで、結構時間がかかった。

 よしできたと送信した。が、更新ができない。送信して届いてはいるのに、HPにアクセスすると更新していない。さて困った。送り先のフォルダー、設定などをいじってみてもはかばかしくない。

 各ホームページは「お気に入り」に登録してあるから、アクセスするときには当然そこから入っていく。

 編集ソフトのあちこちの設定を動かし、更新できないかと何回か試していくうち、ウィンドウのアドレスバーにある「最新の情報に更新」というボタンをクリックしてみた。そしたら、できた!

 Internet Explorer9をつい先日入れてみた。そのせいかと思われた。これまでは、こんなことはなくホームページの作成ソフトで更新作業をして、そこから送信すれば、「お気に入り」からアクセスして、すぐ更新されたのが確認できていた。

 Internet Explorer9はWindows7との親和性を前提にしているようだから、こんなことがおきるのだろうか。新しいソフトを「ただ」だからといって使うと、こういうことが待ち受けている。

 新しいパソコン、新しいソフトへ誘導。これもやらせみたいな物か。Windows7はまだいらないのに。

できあがった写真集
太公望     東京労釣連

2011年7月12日火曜日

釣りの会の始末

 つりの会の会報校正で今日は6人が知恵を出し合う。文殊の知恵は3人だからその倍の人数ともなると、豊富な知識が披瀝される。それでも収まらずに、文字にしても、漢和辞典やHPの検索をしてまで、記事の正確を期すこともままある。

 話すのと違って、文章を読むときは「考証」するときもあるだろうし、執筆者の意図もあるだろうから、気も遣いながら、校正作業をする。

 我が釣りの会は毎月、次の行事の運営について事前に相談する。受付、検量、集計、記録、賞品、取材などについて、分担を決める。

 少ないときでも50人くらいのつり大会となると、事前の準備ぬきに当日の運営はできない。大会当日の模様を原稿にしたものが今日の校正作業で会報の印刷となる。

 終了して、一杯飲みながら、釣り談義。これも話題が原発に向かう。原発を巡る対応に、皆から怒りの言葉が湧きだした。

2011年7月11日月曜日

川を侮るなよ No3

 多摩川を国道一号線がまたぐその下に、手長エビの好釣り場がある。梅雨入りの直前にシーズンがやってくる。その情報が伝わってか、若者、家族連れ、ちょっと場違いかと思えるような女の子などが詰めかける。

 ここに、路上生活者が、橋下の条件を生かして住んでいる。

 しばらく前だが、廃車同様の車を物置代わりに利用して、そこに生活道具を置いてあった。車の屋根に、ピカピカに磨かれたヤカンがあった。気がひかれて写真を撮らせていただいた。気に入ったなかなかの写真だった。

 住人は、普段から手長エビを釣っていて、状況がよくわかっていたようで様子を話してくれたこともあった。

 ブルーテントは隅田川にもたくさんあった。(今は、追い出されてしまったのか少ないみたい)夕方など行くと斜めから指す陽が、何とも言えない雰囲気を醸し出していた。

 つり好きがここにもいて、投げ竿で大きいハゼを何本もあげたという話を聞いた。

 山形県の女川は、イワナ釣りに何回か連れっていってもらったところ。そこに若者が、一人で生活をしていたところに出会ったと友人がいう。

 人には滅多にあえない山のなかでも生きている人間がいる。川は人間を排除しない。サービスもしないが川ができることは与えてくれる。川には人間を引き寄せる力を持っているようだ。

2011年7月10日日曜日

川を侮るなよ No2

 北海道の後志利別川(しりべつとしべつがわ)に親父と釣りに行った。20年も前になろうか。「清流日本一」と掲げられた看板を見ながら上流部へ向かい、ここぞと思ったところで、川に入った。

 背筋がゾッとくるようなきれいな渓流だった。これは魚は釣れない。そのころは釣りの腕前もたいしたことはなかったし、あまりのきれいさに「釣るところと違う」みたいな気後れがした。やっと一匹だけヤマメを釣った。

 当時は、「日本一の清流」を黒部川と競っていた。後志利別川はダムをつくり、その座が黒部川に渡った。黒部川はご存じ黒四ダムがあり、どうしてそこがBODが低いのか不思議だった。

 黒部川の「出し平ダム」がその頃ダムの排砂を始めた。たまったヘドロを下流に放出した。その結果、漁業被害が出て係争になり、今年和解が成立した。

 1985年に造った出し平ダムは、海岸線の後退を止めるため排砂ができるようにとの目的とされたが、想定した効果があがらない。

 そもそも川を人間社会の都合の良いようにしようという考えが、違うんじゃないかな。

 その黒部川、どこでBODをはかったのだろう。

 それからしばらたって、また後志利別川が日本一の清流になったことがある。現在は複数の「日本一の清流」が発表されている。

足の指先を魚がつついた

  
 つりの会のヤマベつり大会で西湖に行った。下界の予報も30度を超えるといってたが、西湖も暑い。水の中に立ち込んで身体を冷やそうと膝下まで入る。

 そしたらどうだ。足をコチョコチョつつくやつがいる。最初は気のせいかと思って見向きもしなかった。しかし、ヤマベが釣れないので、ふと足元を見るとなんだ!小魚が足先で遊んでる。

 ヨシノボリ、ヌマチチブのたぐいだ。

 昨日のブログの話の実践版になった。「自然を大事にする人間」になれそう。

今日は「川を侮るなよ」の続きの予定だったので、項を変えることにした。

2011年7月9日土曜日

川をあなどるなかれ

 放送大学で「川とこどもたちのかかわり」を話していた。山中康裕京大名誉教授は、自然に触れることによって子供たちの成長に良い影響を与えるよいう趣旨の話をしていた。

 川を非常に愛しているようで、「カワンセラー」と自称しているとか。臨床心理学の第一人者ということだが、退職してからは川歩きをして国内の河川を相当(35以上も)歩いたことを紹介していた。

 四万十川の135キロを歩いて22カ所の沈下橋を見たとか。



 日本の河川で一番きれいなのは四万十川だ。北海道の後志利別川(しりべつとしべつがわ・清流日本一に何回も選ばれた)もきれいだけれども、流域に人家はない。それに比べると、四万十川は人里がたくさんあるのにも関わらずきれいだと話されていた。

 人間と川との交流はずっと昔からあった。共存する形ができていたわけだ。だから川によって人間が生きていく知恵を授かり、獲物を得、たくさんの影響を受け生活してきた。

 山中教授の「人里がたくさんあるのにきれい」には感心した。写真撮影の場合も対象が「美しいもの」に限らない。感動したもの、気持ちが動かされたものに啓発されて撮ることがある。リアリズムといっていいものかどうかわからないが、そんなものではないだろうか。

 教授は「自然は脅威もあるが、予測できる」と言った。気象学も相当すすんでいるだろう。地震のメカニズムの研究もすすんできているようなので、怠りなく注意をはらいながらつきあえばよいと私も思う。

 川が人間の生活や形成におおきな関与をしているらしい。やたら詰め込む学習は、、自然がさしのべる宝には及ばないかもしれない。生きていく力は今の「勉強」だけでは足りない。

 教授が子供に「川の絵」をテーマにして描かせた。川に足を入れたら、その子供の足の指先を小魚がつつき始めた。足の指先、爪の間には皮膚の老廃物があって、餌になる!(知らなかった)。子供は足を動かすことができなかった。その感動を絵に描いたと。

 もちろん臨床心理学はうといが、内容は理解できた。子供は自然を大事にする人間になるだろう。きっと。

2011年7月8日金曜日

1ページといえども

 つり会会報の初稿が、修正初稿として送られてきた。最初、本来8ページ立てになっている会報を、そそっかしい私が7ページしか入稿していなかった。

 業者の担当の方が、気を利かして、写真を大きくするなどして、のばしに伸ばしてくれたけれども、まだ空きがあった。

 それならこっちだって考えがあると少々(相当)うろたえながら、入稿した原稿のなかで、長すぎてカットしていた部分を取り上げて、埋めることにした。

 元の原稿はテーマごとにワードでファイルしてあるから、コピーして貼り付ければOK。

 先方に連絡をとってメールで送付、修正したものが今日返ってきたわけだ。レイアウトはさておいて、うまく8ページには収まっていた。

 編集の担当者にこの修正初稿を送ったので、あとは校正作業がある。
 

 最初の原稿を送った後「まあまあ旨くいったんではないか」という余韻にいた自分が可笑しい。

2011年7月7日木曜日

写真撮れるか

 瀬戸内寂聴さんが、被災地へ行った。集会で話を聞こうと集まった人の中で、「私は写真を撮っていましたが、震災以降撮れなくなりました」と話している人がいた。

 寂聴さんは「撮ってください。今の状態を撮ってください」と明快に言い放った。さすがだという思いがした。

 実は自分も現地で写真を撮りたいと思っていた。きれいなものや人、風景を撮るのも写真だけれども、記録として撮るのも写真だから。

 あってはいけないことをちゃんと記録にとって見ておくのも必要なこと。大事なことじゃないか。

 しかし、悩み苦しむ人を真正面から見ることができるか。いささか自信がないのも事実。どんなに言葉で出してみても所詮他人事という気持ちの部分が、無いとは言えない。

 写真家の篠山紀信さんは現地へいくと聞いた。

 3月11日の津波の時、宮古市役所にいた日本野鳥の会のKさんが津波を目撃し、写真集にした。それを送ってもらったが、一過性の映像と違った、生々しさを感じさせる。

 代金は高額ではなかったが、一部を震災孤児基金に寄付とあった。整理のつかない気持ちをなんとしよう。

2011年7月6日水曜日

これって節電

 我が家の外装工事のため、全部の窓が封鎖された。洗濯物は外には干せない。洗濯機には乾燥機が付いているらしいが、使ったことはない。

 雨の日にはいつも部屋の中に干す。乾燥機をつかって、乾き具合をみながらやるが、相当時間がかかるから電気の使用量は多いだろう。今日は「雨対応」の乾燥となった。

 今は冷房を入れるから、部屋に洗濯物と共存することで乾かす。ところが、部屋が冷えているなかにあっても洗濯物がよく乾かない。

 エアコンは湿気も取るわけだから乾くはずだと思っていたが、思ったほど乾かない。

 そこで知恵を絞った。温度が下がると湿気の飽和水蒸気量が減ることに思い至った。

 そこで冷房の設定を28度にして一定期間部屋を冷やす。ちょうど自分の体温も年齢にふさわしく早めに冷えてくる。寒いかなと感じたときに、冷房を切った。

 それからしばらく、温度計が30度になるまで忍の一字。

 湿度計が上昇をしてきて、70%ほどになる。よし、ここで再度冷房を入れる。湿度がずーっと下がってくる。これを2セットやってみたら、なんと午前中に一点の衣類を除いて乾いた。

 いっとき30度までの我慢。これがコツだった。

 これって節電。

2011年7月5日火曜日

ホットしたホットな日

 つりの会の資料を二つ作り上げて、メールで送った。5ページと4ページになった。

 基本的にはコピーして貼り付けることで仕事は進むのでそう大変ではない。しかし何回かは見直しをしないと危ない。

 パソコンのやり始めの頃は原稿を打ち込むと、それだけで疲れてしまった。見直すゆとりが無かったが、どうしても誤字や変な文章が発生するので、時間をおいてから見直しをするようになった。

 文章表現も、見直すと修正したくなるところもあるから、よりよいものができることになる。

 ともかくできあがって、送信したら気分が開放された。たまさか、昨日の外壁工事で、今日は「乾燥日」なので工事人もいなくて、ゆったり気分になることができた。

 つりの会議があり、夕方から出かける。節電対応で夜間の集会所の使用がこの間できなかった。久しぶりの面々も集まって、熱心な話し合いがすすんだ。

 帰りは代々木から歩数かせぎ。汗を拭き拭きホットな時間を過ごした。朝の散歩と併せて10200歩。途中の立ち飲み屋で、うまそうにビール飲んでいるのを横目で見ながら。