2011年8月31日水曜日

美食のくらし

 食欲は普通にある。普通よりも上かもしれない。家の食事では年寄りの食事が少なくて済むから、惣菜は残り加減になる。

 少なくて良いよと、製作担当者に言うが、造るときには一定の量がないと難しい。買ってくるにしても、皆のばらばらの好みに合わせるのは難しいし、ましてや量を少しにする註文は、する方が無理というものだろう。

 同じ物に何回も出会うのはいやだから、少し残った状態の物は食べちゃおうと頑張る。なるべく捨てたくはないし。

 さて、体重は減らしたいし、血圧も下げたい、尿酸値も気になるとあって、食べるだけの何の心配もない生活なのに、「闘い」が存在する。

 今日は、ブログの編集でページをもう一枚追加した。右上の「ページ欄」の「写真は自分を映す」をクリックすると展開。

2011年8月30日火曜日

大山鳴動ネズミはでるかな

 野田党首が誕生した。新首相となってやることは消費税引き上げらしい、財源問題では増税について一番はっきりした態度をもっている。

 民主党の公約は4年間は上げないということだったが、いまや10%にするという表明をしている。

 原発への対応は、期待はできないし、沖縄の普天間基地の問題もこれまでと同じ。となると、野田政権がこれまでと変わるという理由が見あたらない。人が変わっても、やることが同じならハツカネズミのコマ回しだ。

 ご祝儀かどうか知らないが、首相の「人となり」をエピソードで紹介し、奥さんの内助を報道して、支持率を上げるものの、政策の大事なところでは支持を失って…次の政権へ。

 マスコミもこんなこといつまで繰り返すのだろう。

2011年8月29日月曜日

メモリーVS脳

 脳の方が優れているに決まっている。パソコンはメモリーが大きいほど処理が早くなる。脳のメモリーはどうだろう。容量が決まっているようでもあり、無いようでもあり、本当のところはどうなんだろう。

 脳の場合はとても高度な働きをしているようだ。執着や好みには脳の働きがより活発になっていく気がする。だからその点では容量の問題を心配しないで抜きにしても大丈夫の模様だ。

 しかし、精神や気分のうえでは「頭がいっぱい」になることがしょっちゅうある。これを始末するのがまた、脳の働き。

 たまった、ストレスやひらめきを溜めておかないで出す。出すことで、リセットする。(様な気がする…が正解か)

 つまり、ブログに書く、日記に書くことなどでリセットさせるということが、デジタル社会のやり方の一つになるんだろうか。心理的、精神的な作用はそう単純ではないような気もする。

2011年8月28日日曜日

博多祇園山笠、電線おじゃま

 博多祇園山笠のテレビ放映を見た。勇壮で迫力がすごい。

http://yamakasa.cocoj.jp/kazariyama/yama_11/index.html

 伝統を感じさせる祭りだった。山車を引き回すときに電線が障害になるので、山車の高さを一度縮めてから、先に進むという方法をとっていた。

 山車を引く時に、電線を持ち上げる「担当者」が、先日の新庄市金山町の祭りのときも、若者が懸命に作業をしていた。まあそれも風物の一部と無理に言っておこうか。



 風景写真でも電線がなけりゃねとよく言う。無くては困ることになるが、見えないようにすることはできるはずだ。

電線撮っちゃえ



 電力会社は、原発の「安い経費」で相当蓄えがありそう。本来ならこれまでに「地下化」だってできたはず。岩手の爺のところでは電柱設置使用料が年間3000円だ。このやり方の方が安いということか。

ああ無粋

2011年8月27日土曜日

5年間で6人目の首相誕生

 福島市渡利(わたり)の「あぶくまクリーンセンター」で、焼却炉上部の排ガス処理施設から回収した灰から、同9万5300ベクレルのセシウムが検出された。 

 このほか、計16施設の灰から8千ベクレルを超えるセシウムが検出された。 これらの灰は、国の方針が決まるまで一時保管にされるという。

 灰を缶や袋に入れて施設内に置くか、管理型の最終処分場で保管することになる。

 放射性物質の測定があちこちで実施されて、状態の深刻さわかってきた。東京でも江東区とか、下水処理施設で高い数値が出ている。

 管首相が、いまごろ福島県知事に「中間貯蔵施設を」と依頼したが、放射性廃棄物に汚染された土壌や瓦礫の行く先は、どこになるのか、深刻なものになってきた。「直ちに身体に影響のでるとはない」という言葉ではもう決着は付きません。


 5人の党首候補のなかには、脱原発を言う人はいない。世論と違う政治をやっていることが、短命内閣になってしまう原因でしょ。5年間に6人目の首相誕生!

2011年8月26日金曜日

ブナの森なら

 14時過ぎから、雷雨が始まった。中野区では80ミリの降雨だった。最近の雨は多量に降ることが多い。

 神田川は「50ミリ改修」で河川の工事を続けている。かつて、神田川の氾濫で水害が発生していたが、「地下導水工事」や改修の効果か、被害が少なくなっているようだ。

 しかし80ミリとなるとなると、その上をいってしまう。これまでの認識を超える「想定外」となっている。

 降ったときの対策がどこまで有効に働いてくれるのかはわからないが、自然界の変貌はすさまじい。これも自然界のリアクションなのだろう。

 ブナの森の保水能力は「50ミリ」と聞いた。その雨量なら森の地面は保水し、沢の水は増えない。日本の都市部で50ミリ改修というのもおもしろい巡り合わせだ。そして、自然の偉大さを感じさせる。

2011年8月25日木曜日

2年前にできたものなんだそうで

  日頃お世話になっているデジタル道具に、翻弄されながら「苦労の絶えない」ものと、生意気ながらおつきあいいただいている中に、こんな「風刺」があろうとは思ってもみなかった。
 これもデジタル文化なんですね。デジタル文明、捨てた物ではない。414000超のアクセスがある。

 あれだけ「地デジ対応」を叫んでいながら、切り替えできない所帯の数さえも把握していない、御仁たちはご覧になっただろうか。

 今は党首選だからいそがしいでしょう。今のこれからをどうするのかがさっぱり見えないで、というよりも誰がやっても同じことをやっていくから、それは無いと言うことか。

 政治の「格付け会社」がなくてよかった。あそう、格付けは国民がやるわけだ。

2011年8月24日水曜日

スマートフォンなんか買うか!

 池袋からの帰りの電車の中、スマートフォンか携帯電話か判らないが、前側と左右の座席16人あったうちの9人がそれを眺めていた。

 ほぼ30才代前の若者たちだった。それが、楽しそうな顔をしているわけでない。目的地に行くまでの短時間を時間つぶしに見ているのだろうか。

 情報にアクセスできることが可能な方が良いとは思う。提供される情報が「まし」ならば。

 情報の取捨選択も必要になる。だからそのために使うという論も成り立つ。

 たとえば60歳以上のパソコン使用のパーセンテージはどのぐらいだろう。間違いなく圧倒的に低い。だから「アナログ社会」の現実を粗末にしてもらっては困る。

 情報取得の格差は広がっていく。この格差の責任を己が追うべきという結論はだせない。

スマートフォントは携帯電話にパソコンやPDA「携帯情報端末」の機能が備わったもの)

2011年8月23日火曜日

しっかり情報伝えてよ

 デジタル放送になって、一ヶ月。何が良くなったのか改めて思う。チャンネルの多さに対応した番組が少ない。無論有料であれば幅は広がる。

 BSときたら、韓国ドラマ、大昔のドラマ、商品宣伝番組がほとんどで、これはという物が少ない。

 仕掛けがあるのに大事な情報が伝えられないのは、なんのためのデジタル切り替えだったのか。

 チャンネルのうち一つぐらいを、原発や被災地の情報を常に知らせる物などに使えないものか。マスコミの報道はトーンが落ちてきている。

 放射能汚染された瓦礫の行く先で、受け入れ先をどこにするのか。このごろ国会で決まっている法律の内容はどんなものなのか。放射線の状況はどうなのか。必要な情報はたくさんある。

 官邸の「掲示板」がある。でもアクセスできる人はどのくらいいるのか。避難先や、仮設住宅でみられる条件のあるのはそうないのではないか。情報に格差があってはいけない。知らないのが悪いと言えるか。言わなくてもやらないのは同じこと。

2011年8月22日月曜日

「がんばろう東北」

 24時間テレビは「感動場面」がたくさんあって、共感を覚えるところもある。でも、あの「マラソン」はどうもいただけない。今回は特にそう思った。

 「感動づくり」となるとそれこそ「やらせ」のパターンをみているようでいけない。

 夕食時に、「あれは、虐待みたいだ」と、それを言ったら息子が、「違う人でもいいんじゃないか」と寛容だった。番組全体は見ていない(いつもそうだが)けれども、東北の被災地にどれだけのアクセントを置いたのだろうか。

 先日行った、山形県新庄市金山町の祭りの山車には、「がんばろう東北」と大きく書いた山車を、若者が勢いよくひいていた。「おー」と思わずつぶやいてしまった。なにか嬉しかった。


2011年8月21日日曜日

江戸時代を超えてないぞ

 我が釣りの会が、ヤマベつりやアユつりで度々楽しませてもらっている酒匂川は、江戸時代の1707(宝永四)年に富士山の「宝永噴火」で火山礫や火山灰による甚大な被害を受けていた。

 近世の江戸近郊で起きた大規模噴火だった。振動と灰は江戸まで届いたということだ。

丹沢山地、足柄山地の火山礫・火山灰によって噴火の翌年、豪雨による水害が発生して被災に輪をかけた。その後も治水工事の一方で水害がたびたび発生して、使者も出た。

 農地が火山灰で覆われて、作物ができなくなったので、餓死者も出た。動きの悪い小田原藩に、領民たちが幕府に訴願行動をおこすことでようやく食料支給に動き出したとか。


 幕府も動き出し、直轄地にすることを決めた。そしておよそ80年かかって、復興を手がけて、江戸川幕府の直轄地として管理していた。

中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/14/shiryou4.pdf

 1708(宝永五)年2 月に幕府直轄領となっていた相模・駿河両国のうち、およそ半分が復旧を遂げたとみなされ、1716(正徳六)年に小田原藩に戻されました。その後、1747( 延享えんきょう四)年になって、駿東郡や足柄平野の一部を除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれ除いた多くの地域が小田原藩に復帰し、1782(天明てんめい二)年には駿東郡の一部を除く大半がそれに続きました。そして、1785(天明五)年から翌年にかけて、復興の遅れていた大お御神村(現在の静岡県小山おやま町の一部、須走の東)を除いたすべての地域が小田原藩に返った。
 

 水没した土地や田畑はどうする?復興の責任を考えているのか?被災地の要望に応じた体制になっていないのではないか。国の責任でということが薄い。いまは江戸時代より下か。

2011年8月20日土曜日

分割ウオーキングで目標達成

 今朝は涼しいので、張り切ってウオーキングにでる。表通りコースで回ることにして、最終的にはい喫茶店に入ることにした。

 土曜日は朝食がゆっくりだから、よくこのパターンをとることになる。問題は、そこでサンドイッチを食べることだ。このカロリーで歩いた分くらいは簡単に取り戻しているんじゃないか。

 今週は旅に出ていたから、豪勢な料理ではないにしても、アルコール入りでがっちりカロリーを身につけてきた。

 その分の燃焼、消化となると、ちょっとくらい歩いても追いつかないだろうから、出るときに本を二冊持ち出した。せめて脳の働きでカロリーを使おうという作戦。

 爺様がショートスティにいっているが、皮膚科の医者に行くということで、息子が援助に行ってくれた。先日退院したお婆ちゃんも、通い付けの医者に行くので、医院から車椅子を借りてきた。

 休日には家族も頭数がおおいので、いろいろあってもなんとかなっていく。

 新聞の切り抜きの整理すすんだところで、少し遅くなった健康保険と介護保険の納付書を持ってコンビニに。そのついでに遠回りして帰って歩数目標は達成した。

2011年8月19日金曜日

最果ての大連立

 マニュフェストが存在を否定された。少なくとも、約束事は変えたよと言わない限り、マニュフェストさんはいたたまれないだろう。

 当たり前の政治を求める声が、強くなった。せっかく選挙制度を“都合よく”いじって、二大政党政治に持ち込もうとした作戦は、ここで憂き目を見ることになった。

 圧倒的に日の目をみる、二大政党が大連立するなんて、本来想定外。支持を失った連中の窮余の作戦。それが上手くいかないときは、強権政治ではないだろね。

 同じ穴のムジナでは、公約もマニュフェストも捨て去った実績しかないのだから、期待のしようもありませんよね。
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 ブログの投稿が復活した。前回は先方から通知があって、事態はわかったが、今回はなんの音沙汰もなかった。お陰で、いくつか改善できたので、それはよかったが。

2011年8月18日木曜日

ブログの投稿がおかしいぞ

 出かけている間には、携帯電話から投稿していた。うまくいっているようだったので安心していた。帰ってから一部修正しようとしたら、編集機能が不調で、アクセスできない。

 いじっているうち別の投稿方法がでてきた。本来はこちらでやるのだろうか。このヘルプは英語対応なので質問をだせないし、英語訳がわかりにい。

 いつも「やってみる型」の解決手段で突破できるといいけど。

 撮影した写真を整理した。結構数があったからまた、HP用に編集しなくてはならない。撮ってきたものを見返すのは楽しみ。歩いてきたところの記録と記憶と結びつけて思いだすと、また次への夢へと広がる。

写真は14日の金山町。あと数時間で宵祭り。

2011年8月17日水曜日

ランクアップできるかな。

 肘折温泉の朝一。朝市に出かける。大蔵村在住に限って出店できるのだと、旅館の人が教えてくれた。旅館の従業員さんは写真を撮りにきたとわかって、なんやかや情報を提供してくれる。

 写真はただ撮るだけより、背景や歴史がわかると深まる。というより、知らないで、感性だけでは失礼にあたるときもあるかも知れない。

 肘折温泉の朝市、最高齢は88歳。それを知って、おいそれとはシャッターを押せなくなった。知らない軽さと、知った重さ。また、ひとつのステップを負った。

写真は肘折温泉の朝市

2011年8月16日火曜日

天と地の味わい

 遊佐の朝は雨。海は波だっていた。酒田の山居倉庫の撮影してから、土門拳記念館へ。

 ヒロシマの原爆をテーマにした写真と、<古寺巡礼>をじっくり鑑賞。ヒロシマの原爆被災・被爆二世の写真は凄い。恨みを写したものでない。が、写真が訴える力をもっている。

 泊まりは肘折温泉。夜は仮装盆踊り。デジカメはブレて、撮影は苦戦。


2011年8月15日月曜日

早起きで得した

 早朝、朝日を撮ろうと、昇ってくる方を目指して車を走らせた。あった!出始めた稲穂に水滴が光る。バックは林を抱えた農家が、靄に霞んで、絶好のロケーション。
早起きは三文の得だと話ながら、朝食に戻る。

 金山町の祭の本番。山車を追いかけて、汗だく。そこから鳥海山へ向かう。玉簾の滝は家族連れで賑わい。

2011年8月14日日曜日

古里の暑い夏、若者帰り元気な祭

 写真撮影の旅へ。初日は新庄市の金山町に。新幹線車中は暑かった。町中の古くて立派な民家を使った蕎麦屋さんで、鳥蕎麦を注文。量がたっぷりで美味しい。

 撮影対象で狙っていた成人式は、午前中に終ってしまった。金山の見所を一回り。大美輪という杉林を撮り、川で遊んでいた子供達をスナップした。

 あまりの暑さに、立ち寄ったレストランで、成人達と遭遇。写真に収めた。


 夜は、宵祭。アルコールを控える大決断をして行ってみた。小さな町でも、大きな賑わいだった。

2011年8月13日土曜日

猛暑の問題点は熱中症だけ

 気象庁の発表を聞いていると、なぜこうなっているのか、というあたりの原因に立ち入った話が少ないように思える。何年前にあったとか、それ以来だとかと聞いていると、また起きただけのことという受け止めになる。

 台風でさえなぜあんなに緩やかな動きなのか、変だと思う。雨の振り方は尋常でない。いまや危険なのは地震だけではない。「お気おつけなさいよ」というだけの情報でいいのだろうか。

 12年前の今日(8月13日)丹沢湖で、熱帯低気圧による豪雨があって河原でキャンプをしていた、13人がなくなった。「自己責任」としてあつかわれた。

 この丹沢湖は我が釣りの会が、昔からヤマベつりを楽しんでいるところで、事故を聞いて驚いたのを覚えている。

 台風が日本列島をかすめたりして、大陸にむかったときは台湾なり韓国、中国なりが酷い目に遭っていることもあるだろうに、このとき日本のマスコミは全くと言っていいほど何も言わない。

 スポーツ、文化では交流が活発にされたいるのに、「知らん顔」。世界は一つ、人類皆兄弟でない。

 暑い中汗を拭き拭き、JR中野の駅まで出かけた。明日行く金山町のそば屋さんの土産を買うために、往復歩いて8800歩。7日間の平均8852歩。

2011年8月12日金曜日

日航の安全航行は大丈夫だろうか

 日航ジャンボボーイング747SR-46 が御巣鷹の尾根に85年8月12日墜落。

 1978年6月尻もち事故で圧力隔壁修理をボーイング社がやった。修理が適切でなかったとされているが…。未だに原因は疑問が出されている。

 このとき労組の委員長をアフリカへ配転していた。「沈まぬ太陽」(山崎豊子)では「恩地」。

 この小説の内容を巡っても、日航は画策した。
 日本航空機長組合のHP
http://www.jalcrew.jp/jca/public/taiyou/asahi-shintyou.htm


 委員長をしていた小倉さんは、
 「この小説で白日の下にさらけ出された、組合分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめなどは、私および私の仲間たちが実際に体験させられた事実です。日本航空の経営側にいた人たちは、(中略)数々の不当労働行為やその他の不祥事を思い出されたらいかがでしょう。人間である限り、そんな事実はなかった、などとはいえないはずです。」と話している。


 いままた、ベテランのパイロットと客室乗務員を解雇して排除しようとしている。稲盛日航会長は、「御巣鷹事故以降の安全意識はトラウマになっている。利益無くして安全なし」と恐るべき発言。


 「二度と事故を起こしてはならない」と安全運行を支えてきた人たちを首に?こんな歴史を繰り返すのはあってならないこと。


 御巣鷹の尾根に墜落したこの航空機は、このあとも墜落している。


2002年チャイナナライン611便ボーイング747空中分解事故。
1980年尻もち事故 修理した圧力隔壁が金属疲労で壊れて墜落。

2011年8月11日木曜日

あのソニーが150人を雇い止め計画

 政府の復興構想会議に委員を出しているソニーが、期間社員150人を雇い止めにしようとしている。新しい就職先を斡旋しているということだけれども、非正規雇用で県外というものらしい。

 仙台テクノロジーセンターの浸水被害は、保険金でほぼ全額まかなわれるそうだしソニーの会長さんは8億8千万円も役員報酬をもらっているそう。

 普通の神経なら「ご心配なく、落ち着くまで頑張って」ぐらいでもいいんじゃないか。


 「海のリスクと共に生きる」と言って震災直後、崩壊した港で、宣言した水産加工会社の社長さんがいた。

 気仙沼での再起を誓った阿部泰浩さん。三陸最大の水産加工会社は今、800人いた従業員を「全員解雇しない」と決め、孤軍奮闘。

 「通院する病院がなくなったり、家族の都合で気仙沼を離れざるを得なかった社員100人が辞めてしまいました。でも、残った700人の雇用は守り抜きたい」

 岩手県大船渡市にある工場の一部が再開した。1日も早く、全従業員に仕事が行き渡るよう、再建を急いでいる。

「復興ニッポン」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20110803/221861/?P=1&ST=rebuild


同じ企業でも雲泥の差。恥かしくないかな。

2011年8月10日水曜日

コメを投機の対象にして

 日本人の主食が、先物取引の材料にされた。マネーゲームをそこまでやってどうするのか。

 どうして今やるのかについて鹿野農林水産大臣は、「やらない理由がない」と答えた。それじゃやる理由はなにか。財界でしょうね。

 今だって生産者価格を割って、買われているのに、なお下がることに歯止めもない。放射性物質の影響で心配しているときに、なんということだろう。


 アメリカ国債の格付けが下がったとか、円高で輸出企業の打撃だとか、「自由主義経済」が動揺して、コントロールできない。「社会主義が崩壊」して勝者となったはずなのに。


 社会構造が「大地震」か。正しいかどうかはさておくとして、今日の日刊現代のタイトルは「資本主義崩壊」と書いてある。

2011年8月9日火曜日

被災地の首長さんに見習え

 津波で破壊された町は、ところによって瓦礫の片付けがすすんでいる。更地が元のように生活の場をり戻すのにどれだけかかるのだろう。

 起るべき地震には、備えを十分対策することで対応することは必要。日本のどこであっても大切だ。

 中野区にあっては耐震改修助成は「個人財産の形成」になるためとの理由でやらず、まだ使用できる区庁舎の建て替え、駅前再開発には積極的に取り組むらしい。

 毎年やっていた「なかの祭り」は会場が確保できないから休止すべきと判断したので、区として支援しないと言っている。原発は「幅広く論議」と、判断せず。さてこれでは、東北の首長だとしたら勤まらないだろうな。

2011年8月8日月曜日

イベントとは違う祭り

 江戸時代に大飢饉で多くの餓死者がでて、疫病が流行した。8代将軍吉宗は翌年慰霊と悪病退治のため隅田川で水神祭りをした。

 そのとき両国周辺の料理屋が、許可を受けて花火を打ち上げた。というのが隅田川花火の由来とされている。

 陸前高田の「動く七夕」が昨日実施されたとNHKが報じた。12台中10台の山車が流された。協力者を増やし5台を復活させた。瓦礫の後を引いていくところが痛まくて思わず涙。

NHK


 

 南相馬では「野馬追い」の行列だけを敢行。鎮魂と復活の思いをこめた行動に、こちらが励まされる思いがした。人が生きていくためのエネルギーをわき出させるのが祭りなんだと、祭りの見方が変わった。

2011年8月7日日曜日

雷怖い、デジタルも怖い

 雷が鳴っているときに温泉に浸かっていた。雨がポツポツと頭に当たって、濡れたっていいんだよと思った。

 でも思い出した。家の近所を歩いているときに雷にあたったことがある。近くに雷が落ちた音がした。その瞬間傘を持つ手がピリピリと痺れたので、驚いて傘を放りだしたことがあったっけ。

 「飛び散る」ような感じで放電していくらしい。長居はさけて上がることにした。

 温泉に浸かるために、ブログを2本用意して自動で投稿するようにしたつもりだった。これがまた失敗した。「下書き」でなくて「予定」としなくてはいけなかったらしい。
 ゼロかイチかのどちらかの世界といえども、使いこなすにはそれなりに大変だ。

 雷に当たった人は長生きすると言うが、生きながらえる世も苦心が絶えないものだ。

2011年8月6日土曜日

散歩の文化は、食文化と相互依存

 ウオーキングに出ると、若者も年配の人もよく走ったり歩いたりしている。若い人は走っている人が多い。労働の質が相当か変わってしまったから、ともかく運動不足解消ということが、生活必需文化になった。

 健康器具の宣伝もすごいし、気を使って(金を使って)いる人も多い。カロリー過多の要因もある。「これおいしい」という番組や「早食い競争」のテレビ番組が、過食ごころをくすぐる。

 「メタボ社会」には摂取カロリーを減らすことは、いまや社会の課題。一定体重以上の就職排除みたいなことにならないとも限らない。まずいものを食べようというのでは説得にもならないが、「美味しいもの」から「満足感のある料理」への食文化の転換がいる。

 正直、おいしいものは悪くない。しかしこれだけなんでも食べ物が手に入ってくるのに、なんで「インド洋のクロマグロ」でなくてはならないのか。

 手前みそだけれども、西湖で釣るヤマベ(オイカワ)は、唐揚げ、マリネ、塩焼きなどで十分美味しく食することができる。東京湾でこれから旬になるハゼも天ぷらは最高。マグロに凝っているひとはいるでしょうけど、身近な魚もカロリー源として貴重。

 釣りを楽しんでから、食べるのは現代社会ではもっとも合理的な食文化といったらちと言い過ぎかな。そこで一句。美味な物食べては痩せる身の不幸。

2011年8月5日金曜日

ウオーキング新境地

 雨が降っても、傘をさして歩くことでウオーキングの発展になったかな。「一万歩あるかなけりゃならない」では辛い。そこで歩きながら考える。

 歩く効用の一番は、ブログのネタ推敲。これは本当に効果絶大。いかに普段ものを考えていないかと思えるほど。あれこれ、古くなりかけた能から、さっととはいかないまでも、ウツウツと出たり消えたりする程度のわき出しがある。

 種があれば芽が出るし、栄養は新聞とテレビでなんとかなる。感性をナチュラルというか、A、A'、a、エー、えーみたいの柔軟に転がしておく。これがおもしろいことに、AがBに近い方が良いかなどと、時間がたつにつれて変化していく。

 そうやって歩いている内に、思考が止まるか同じ処を回り始める。そうなるとだいたい散歩も終了間近となる。

 最初の一歩。どこに行くかと迷った。迷っていると歩き出せないので、ともかくいえの玄関をでる。出ると、右か左にしかいけないから、まったくの任意で右か左をその場で決める。曲がり角のどこに行ってもこの方法をとる。これも歩くコースの一種。

で、ふと思った。これは「ハイカイ」に至る過程かもなんて。

2011年8月4日木曜日

ゴミの収集日は、カラスが人を見てる

 見たところどうも、おチョックッテいるようだ。ゴミの集積場に近くで、ありつけそうな残飯をねらっている こちらが近づいても、一段高いところへ移動するだけで、そこからまた様子を見ている。

 悔しいから手をたたいたり、もっているものを回したりして脅す。でもそこからまた少し飛び去るだけで、態度は平然としていて「ここまでおいで」という感じだ。やっぱり知覚がたかい。


 「脅かす」などというと動物虐待みたいだけど、人間は追ってくるんだと思ってもらったほうがいいかと、やることがある。カラスの嫌いな東京都知事が捕獲させて、カラスの減少につながったらしいけど、捉まえたカラスは「処分」されたんだろう。

 それよりは「脅かす」ほうはまだ友好的かもしれない。
 カラスは人間のおかげで、いろいろな見方をされている。神の使者というのもあるし、悪魔や魔女の使いにされている。明治時代に、飛ぶ格好を見て始めてゴム動力模型飛行機をつくった人もいる。

 人間の飽食社会のおかげで「悪者」に過度にしたてられたんではないかな。「夕焼小焼け」「七つの子」では、友好的に歌われている。

 カラスがねらう物は、焼却炉で燃して海に廃棄か穴に埋める。 
 つい先日まで、食べ残しは食文化ではなかった。都会に残る膨大な食べ残しを、カラスが処分するという限りでは合理的なんだけど。

 カラスは、人間社会の馬鹿さ加減をうんと笑ってるんだろうな。
危ないことを大丈夫だと言ったり、やるべきことを遠回しに「やらない」と言ったり、利益に群がってやらせの演出までやって、迷走する人間たちの愚かさを。

2011年8月3日水曜日

シンタロウサンがまた

 石原東京都知事が、東京の埋め立て地に100万キロワットの天然ガス発電所をつくるとテレビで発言していた。アーまただ。

 原子力発電所を東京にでもというのは、さすがに引っ込めたのか。それにしても、カジノをつくろうと画策したり、築地市場移転を強引に危ない場所へ誘導したり、「新銀行東京」で失敗したり、オリンピックの誘致を二度もやるとか、着想豊かな知事だ。

 その思いつきを都民の意向と要望に添ったものにお使いいただくと歓迎なんだけれどもね。都民の税金を使わないで、私財でやるならちょっと考えさせてもらいます。

 議会で表明もせずに、しゃべり出すこともあの方らしいが、都議会の皆さんは怒るんでしょうね。「共産党を除く」なんてことにならないようによろしくお願いします。

 職員の中から、一ヶ月も被災地へ向かわせているというが、大変なことだ。

 被災地に行って頑張っているボランティアやNPO団体の活動は本来「公務」というべきもの。国が手を抜いているのは「住民に寄り添うサービス」。手を抜いていないのは電力会社サービスのようだ。

 東京都庁では格好をつけて、電力25%削減をやらせているとか。しかし、九時半になっても都庁の明かりは消えないな。都の役人を「使いこなして」なにをやっているんでしょ。


2011年8月2日火曜日

やらせは常套手段かい

 中曽根内閣のとき、財界のてこ入れで「行政改革」で福祉切り捨ての大なたが振るわれた。生活保護世帯も標的にされた。マスコミが、「暴力団が不正に給付を受けている」というキャンペーンを大々的に張った。

 80万世帯が受けていたものが1993年には60万世帯を割るところまで減った。つまり、暴力団が20万人も「不正受給」していたことになる?これもやらせの一手法。

 中曽根康弘について記述があった。ウィキペディア(フリー百科事典)

一議員でありながら原子力研究開発のための予算を上程、これを通した(具体的には科学技術研究助成費のうち、原子力平和的利用研究費補助金が2億3500万円、ウラニウム資源調査費が1500万円、計2億5000万円。これが現在に至るまでの自民党の原子力是認につながっている。

 先の生活保護世帯数は2010年には概数で140万世帯までになっている。やらせの根本は同じとこ。

2011年8月1日月曜日

金山町へまた行くぞ

 先日金山からコンテスト入賞賞品が届いた。

 金山杉の額縁、菜種油、ごぼうのたたき、くじら餅、純米吟醸「金山田楽」ほか特産品が詰め合わせてあった。

 額縁は新しい木の香りがするよう。早速自分のお気に入りの「滝沢村のブナの新芽」を入れて飾った。部屋でぶら下がっている物は釣り道具のほかはないので、我が部屋もほんのちょっとだけ高級感がでた。

 「ごぼうのたたき」で飲む、純米吟醸はなかなかのものだった。

 今月、金山町の祭りがあり、再度金山町に行くつもりで、計画ができあがった。写真展で世話になったそば屋さんで、昨年食べられなかったおいしい蕎麦をいただこうと、こころづもりしている。

 午後、月一の写真合評会で新宿へ。金山、鳥海山、肘折温泉をめぐる旅の打ち合わせをする。鳥海山は麓で海を撮ろうと、計画に加えた。あとは昨年も行っているところなので、祭りの様子もだいたい分かっているから、要領よく行きそうだ。

 
 
 ただ、婆ちゃんが具合が悪いので、出かける体制になれるかどうかちょっと心配。