2011年9月30日金曜日

動物虐待はいけない

 原発の宣伝に使われたダチョウが哀れ。豚、牛は結局殺すのかい。日本の政府は人にも冷たいが、身近な動物たちにも酷いしうちをする。ほんとうに助けられないのだろうか。

 「原発事故は人災と認めない」「全面的な賠償はしぶる」で、原発の再稼働ではね。

 鴨川でチュウゴクオオサンショウウオが繁殖し、オオサンショウウオと交雑しているって。大きさは1.5メートルにもなる。ペットか食用として持ち込んだものらしいという。京都市内の6つの河川を調査すると。

 中国では、人口繁殖しているが成長が遅くコストが高くて希少食材とか国際希少野生動植物種で外来種扱いができないらしい。オオサンショウウオは絶滅危惧第二種の天然記念物だし、これも悩ましい話だ。

チュウゴクオオサンショウウオ、対策検討会(京都)http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000104005.html

オオサンショウウオ・チュウゴクオオサンショウウオhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AA%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%A6%E3%82%AA

2011年9月29日木曜日

ツイッターで動くかもしれない


 「ハゼへの放射線物質汚染の調査して」と、ツイッターでつぶやいてみた。ツイッターがどんなものなのか、恐る恐るやってみている。
   釣りの催しの参加者集計をしたら、あちこちから通知のある参加者の住所やら電話など、必要事項が足りなくて、再度連絡をたのんだところもあった。
   会報の原稿もそろそろ送らないといけないので、その編集作業もやってほぼ一日かかった。ディスクトップを「入院」させたのでノートパソコンを使ってやったが、使いづらくて往生した。
   それで、ツイッターの研究が中断してしまった。たまたま、27日に衆議院予算委員会の志位さんの質問をみていたら、民主党の岡田克也氏がとなりに座っていた。
   その方、途中で大あくびしているのが見えた。質問は東電社長に「人災と認めるのか」、首相に「東電に全面的に賠償させるきがあるか」とかなりシビアで的を射た内容だった。
   関係ないと思うとあくびも出るんですかね。今からだとツイッターでは遅いだろうから止めておくけど、今度みたらただちに「つぶやいて」やろう。

2011年9月28日水曜日

ハゼへの影響を調べて欲しい

 きのうの釣りの会の会議で、放射性物質がハゼに影響していなだろうかと話題になった。


 S会員が、T水産課に連絡して何度も話をしたところ、一度はやるという返事があったものの、後日撤回するということになった。理由は「流通していないものは調査しない」とのことだ。


 ハゼはつりの対象魚として、多くのつりの会が行事の種目にしている。私たちの会は、今はおもに木更津のアクアラインの周辺で実施している。


 ハゼ釣りは、釣りの中でもだれでも楽しめる魚種として人気がある。東京でも江戸川放水路、浦安、城南島、お台場など夏から秋口まで、手軽で身近なレクレーションになっているから、このハゼへの影響をぜひ調べるべきだと思う。
 

 「江戸前のハゼ」の歴史をすたれさせるようなことになってはならない。

2011年9月27日火曜日

逃げる東電、庇う政府

 昨日のニュースで、福島の原発30キロ圏外でセシウムの規制値を上回るコメが出たと報道した。今はちょうどたわわに実った稲が、どこでも見られる。


 手塩にかけた稲を刈り取る生産者はいたたまれないおもいだろう。しかも、作付け前に「調査」して大丈夫とされていたのに。調査は抽出して(手抜きして)やったものらしい。


 このときに、東京電力はさっさと補償の申請を要求している。立証責任を被害者に被せるのはおかしい。「申請内容が解りづらいから直せ」などという次元じゃない。解りづらいのは、補償内容を狭くしているからだろう。


 キチンと補償しなさいよ、補償の中身はなんなのよというのが国の仕事のはずだ。今日の国会での東電社長は、原発事故の人災であることを認めなかった。


 今思うと、共産党の東京都議団が早々と自力で放射性物質の調査を始めたのは、非常によかったと思う。国や自治体に先駆けて調査をしたから、対策を打たせる元になった。調べる気もないし、カウンターも無い状態を変えていくことに結びついた。
ちゃんと調べておけば、作付け前に止められたのではないだろうか。

2011年9月26日月曜日

パソコンついにダメか

 朝、パソコンが立ち上がらずに、何回か電源を入れ直している内に立ち上がって、またすぐにフリーズになる。これを繰り替えして、夜9時過ぎにやっと使用可能になる。

 もう、このパソコンを諦めようかと、他社の商品をあたってみた。メモリーの向上で使用分野がひろがって、その分負荷をかけているんじゃないだろうかと思ったりもする。

 でもパソコンの変化にもついていかないと、そこから手に入る文化もあるから「適当な」おつきあいも必要ということもある。自分の場合はやり過ぎかもしれない。

 などと思いつつ、やれブログだツイッターだ、YouTubeだと手を出したりして。これも道楽の内かな。やっと立ち上がったパソコンで、最後のブログとなるのかな。

 これからしばらくはノートパソコンを使うことになる。岩手の爺のところから持ってきておいて良かった。

2011年9月25日日曜日

釣りができそうな日は帰る日

 今回はつりは蚊バリつりの支度をしていった。淡い期待は残念ながら台風の影響で水かさが多くて、見たところポイントにできそうなところは見あたらない。川面を眺めるだけだった。
 
 

 3日目になるとさすが水量が落ち着いて、釣りができそうな感じで、ちょっと生唾が出そうな気もする。

 帰る日では仕方がないから、カメラを持って散策に出かける。釣りができそうな水の流れを何枚か撮ったら、戻って爺様を風呂にいれた。

 自分も暖まろうかと思ったが、気温が低くて寒そうなので、足湯にしておいた。帰る途中に寄った道の駅は大変な混雑で、例によって買い出しの品物を買いあさって仕入れた。12時前には関越自動車道に乗って、昼過ぎには家に着いた。





2011年9月24日土曜日

忘れがたき故郷なり


 昨夜、旅館からは往復可能な距離なので田舎に行くこうかと話をしたが、結局体調が良くないとか、もう一つ気がのらないとかいうことで、そろっては行かれなくなった。娘の提案で、自分と娘で現地の写真をとってこようということになった。

 片道230キロはあったので、10時半の出発では夕食の5:30には間に合いそうもないので、時間を遅らせてもらうように連絡した。途中の越後川口辺りでは、稲刈りが始まっていた。実った稲の田んぼに、耕作機械が置いてある風景が見えた。

 大渕は自分も最近は行っていなかったので、住宅の跡地がわからなくて、現地で電話をしてたしかめた。昔の記憶からはかなり違って、変わりようにもびっくりした。

 跡地に埋めた杉の木が太くなって、しっかり「花粉」を作っているようだった。そこらあたりの田は稲刈りにまだ手をつけられていなかった。先日の台風のせいか、稲穂が倒れているいるところが多かった。

 撮ってきた写真と映像を、パソコンにとりいれて見せたら、喜んでいた。

故郷の川


2011年9月23日金曜日

犬も歩けば魚供養



 その無線LANの通信速度は、グーグルのドキュメントファイルで、ブログの原稿を書きこんでいたときのものだった。Google Chromeを使うと改善した。Internet explorerでは相性が悪いということだろうか。

 いずれ、どこの旅館、ホテルなど旅先でもインターネットを使えるようになるのは便利だ。無線LANなら料金もいらない。スマートフォンなどの通信料は結構高いし、ノートパソコンからの通信ならば利便性が高い。

 奥四万のダムまでかるーくドライブ。雨が多量に降ってるはずなのにダムには水がない。流木やゴミなども見えないから、たくさんは降らなかったのだろか。ダム湖の水の色が濁っていている。

 途中の日向見神社に鳥獣魚供養塔があったので、これは「魚供養」のために賽銭をはずんだ。



2011年9月22日木曜日

デジタルさんお手柔らかに頼みますよ


 晴れ間が出たので、朝方軽く散歩に出る。ついでにアイスクリームをセブンイレブンで買って帰る。このアイス我が家で人気商品。といってもおばあちゃんか自分がもっぱら消化をしている。
 
 今日は出かけるので、午前中に危なくなったパソコンのファイルを整理する。いよいよ終末が近くなっているようで、4回も立ち上げを繰り返さないと使えなくなってきた。

 メーカーの修理部門に問い合わせても、いまひとつすっきりしない。立ち上がらければ、再インストールするというだけ。同じ状態が起きているので、ここに起因するなにかが原因になっていると思うのだが、追求するだけの技量が足りない。

 いろいろなことに使っているから、音をあげてるのか?使用頻度の高さで、劣化でもしているのか。2年を過ぎたところで5回の不具合なんておかしいとは思うのだが…。

 旅館でノートパソコンを使って「無線LAN」なるものを試してみた。簡単につながったものの、通信の速度が遅くて閉口した。

2011年9月21日水曜日

ことしは台風の影響が多い

 朝の雨はたいしたことはなかったので、車椅子の通院は心配したほどでなかった。昼が近づくにつれて、雨に風が加わって時々家が揺れた。

 リハビリと風呂の介護をしてもらう日なので、本人は忙しい。動かない身体でつかまり立ちしながら移動しなくてはならない。風呂の介護にきてくれた頃には雨が酷くて、靴が濡れてびしょびしょになっていた。

 テレビのニュースを見ながら、「こんな日は出かけなくても良いのに」などと話したが、そうも行かない人もがたくさんいる。

 念のため、雨戸を全部閉めて備えた。ことしは台風がたくさん被害を起こして置いていく。杉の山の脆弱が影響している様子も。

 相手が自然だからそのものを恨むわけにもいかないが、大量の雨も理由がないわけではない。賢明な対策を追求することを考えたいもの。

2011年9月20日火曜日

デジタルとハサミは使いようか

 you tubeに昨日の「さようなら原発1000万人アクション」の動画を載せた。You tubeは、とりあえずはブログの映像を表示するために使ってみるつもり。

 ツイッターも使えるようにと研究してみる。使いこなすにはもう少しかかりそう。

 デジタルも使いようだろうから、いいこと・必要な情報はどんどん知らせあうことで「社会進歩」ができればいいかな。

知らせたい一つ
新宿東口15秒にある小さな店「ベルク」

 ルミネから契約を打ち切られそうになっている。そんなこと止めてと応援団がすごい。

パソコンのフリーズが頻発するようになって、今日は酷い。いよいよ入院かな。5回目の。

2011年9月19日月曜日

さようなら原発1000万人アクション

  明治公園で開かれた集会に行ってみた。たくさん集まるだろうとは思っていたけれども、予想をはるかに超えた人たちが集まっていた。公園内は、歩き回れないほどぎっしり人がいた。

 少し遅れて行ったのに、千駄ヶ谷駅前は公園に向かう人の列がとぎれず続いていた。


でもなぜかこんな人も、応援宣伝に立っていた。

手作り広告を持参して。





会場の外でパレードを待つ人
演壇をなんとか見たいものだと、人垣をかき分けて歩くけれど…


少しでも高いところは。

やっと手を伸ばして撮れた。

パレードの出発もたくさんの人が順番待ち。


パレード出発。





 この集会の様子を、珍しくNHKの18時のニュースで取り上げていた。会場での発言ということで、鎌田慧、大江健三郎、落合恵子、内橋克人、澤地久枝、フーベルト・ヴァイガー、山本太郎、武藤類子の各氏の名がプログラムに載っていた。









2011年9月18日日曜日

暑い日はハゼ釣りが似合う

 中野例会で横浜市金沢区の富岡八幡にハゼ釣りに行く。4人が参加。始めていくところなので、現地で迷い、釣り開始は8時半になってしまった。

 ふなだまり公園という名称があるので、古くは船が泊まっていたのかもしれないが、今はまったく見えないで、全体が集合住宅と水辺の公園になっている。生活圏のなかなので、危険なところはないし、ゴミ類もまったくない。

 


 私は3.2メートルの竿で脈づり。一カ所で3尾ほども釣ると、移動の繰り返し。全部で70尾ほど釣る。いわゆる釣り場の様相とちょっと違うが、暑い中楽しんだ。近くの広場で、小学生の子供たちがサッカーの練習を懸命にやっていた。
 自動車専用道路を使わなかった分だけ時間がかかった。帰りは横浜の名所を車から眺めながら、「よかった」。

2011年9月17日土曜日

学習の一日、知恵熱が出そう

 5時半には目が覚めた。まだ薄暗いのでスタンドをつけてYouTubeの本を読み始めて、やっとそのホームページまでにたどりついた。ブログに付けている映像が見られないらしいので、昨夜から研究を始めた。

 YouTubeに「獅子の踊り」をアップして、10日のブログを編集しなおした。文言も、日にちがたって後から読むと独りよがりのような言葉を使っている。

 「映像が見えねーぞ」などとリアクションがあればわかるのだけれども、これまでの映像も見えないのもあったかもしれないと思うとゾッとする。孤独な闘いかな。

  共産党の前区議山口かおり氏の講演会に行ってみた。中野区の行政がどういう方向を向いているのか、区議会会派の主張や野田政権の動きとねらいはという話を聞いた。この地域みに特養ホームを造って欲しいという要望に、ベット数は増やすといいながら、具体的には言わないなど身近な情報を聞くことができた。

 震災対策にしても中野区だけは、耐震補強の工事に補助金不要としているということ。その一方で駅前開発には財政を投入すると、けしからんやり方。行政のチェックはとっても大事と思う。

 夜は科学史技術研究所の「福島原発事故の放射能問題」と題した講演会を聞きに行った。マスコミで「引っ張りだこ」になった野口邦和さん(日本大学専任講師)は、放射性物質について東北の東電原発被害地から、対応についての意見や、講演会を依頼された内容について話をされた。

 野口さんが、放射性物質の除染問題について提案した方策について、政府が後追いで対策を取ると言ったようなことが連続しているらしい。

 「原発が安全できれい」といったようなことで、批判的な意見を遠く追いやってきたものだから、この事態になって対応の知恵が示せないし、みんなの目から隠そうとしていることで、放射性物質に対する正確な認識と対策をを持つことができないという状況なのかなと感想を持った。

2011年9月16日金曜日

役所は住民のためにがベスト

 

改善必要と確認したと返事がきた

 区役所に昨日打ったメール(植え込みの雑草繁茂への対応)の返事がきて、現地の改善が必要なことを確認したので、至急除草するとのこと。

 思ったより早い対応でなによりだった。内心、対応が遅いようだったらブログで書いたぞという手でいこうかと思っていた。

 役所の組織には、連絡先の電話とメールが必ずあるのでこういう場合に利用できる。記録が文章で残るから電話よりも良いかもしれないと思った。
 

 横浜市の放射性汚染焼却灰の埋め立て凍結に 

 横浜市が、放射性物質が含まれている下水汚泥焼却灰の埋め立てを、15日から実施するとしていた問題。

 当然ながら相当な抗議が住民から出て、凍結すると発表しました。「十分な説明をすることができず、市民の皆様にご心配をおかけしました」ということです。

 しかし、市は「埋め立てをすることの安全性が確認できた」ということで実施しようとしたものなので、「騒がれたから延ばす」ということのないように注視する必要がありそうです。

2011年9月15日木曜日

区役所にメールを打った

 隣接する学校敷地の道路側が、植え込みになっていて相当雑草が生い茂っている。

 その前がゴミの集積場になっているので、そのイメージがあるのか植え込みに缶やらペットボトルがよく投げ込まれる。

 区に連絡しようと、中野区ホームページからメールを送ってみた。中野区は駅前再開発を熱心にすすめている一方で、地域センターからの職員撤退、保育園の民営化など区民サービスを縮小しているので、その現れかなどと思いつつ、区の返事を待つことにした。


 住んでいる住宅地の風景というか、雰囲気はやっぱり環境がいいのが望ましい。10分ほど歩くと川島通り商店街があるが、年々寂れてしまって、今は見るも無惨な状態。

 中野新橋駅まえの通りで、14F立てのマンション工事が始まった。商店街の一角だが飛び抜けた高さのビルが建つことになる。

 駅前通の商店街は、入れ替わりが相当ある。ほんの一歩はいると低層住宅地域なので、渾然一体といった雰囲気。だんだん落ち着きのない町になっていくようで、物寂しい。

2011年9月14日水曜日

東京湾岸に放射性廃棄物を投棄するな

 横浜市がセシウム入りの下水汚泥焼却灰を、9月15日以降に南本牧廃棄物最終処分場に投棄すると発表した。 
 

 埋め立て地だから、もれだす可能性が否定できません。それこそ津波や、地震の液状化などが起きること考えられます。

 湾岸部の浅い海域は、魚の幼稚魚が成長する大事な場所です。本来ゴミの最終処分場であること自体が問題です。

  金沢区と鶴見区にある下水処理施設で保管されている2700トンを今年度中に埋め立てる予定としている。

  大御所の東京も、同様なやり方をするでしょう。湾岸を取り巻く自治体がみんな?東京湾中が放射性物質で…。
東京電力に返してやるのが筋なんだけど。

横浜市長への抗議の様子

http://togetter.com/li/187666

2011年9月13日火曜日

釣りの支度はかどる


 尿袋が壊れて、今朝は一騒動。洗濯は3回することになった。本人は知覚が弱くなっているようなので、なかなか自分では言える状況にない。

 爺様につきあいながら、ハゼの針巻きを始める。最近はパソコンの方に時間を使うことが多いので、釣り道具の整理が後回しになっている。

 最近は、釣りに行く前日に針巻きしたり、仕掛けを作ったりしている。時間があるはずなのにできない。もっともあれやこれや、好き勝手に手を出しているせいもある。

 釣りの支度はつりの一部で、次の釣りへ向かうトキメキを感じる瞬間だ。仕掛けの部品はたくさん溜まっているので、使わなくては。

 天気が上々だったので、洗濯物は2時には乾いて取り込めた。3時過ぎにかかりつけの医師が訪問、ちょうど良かった。

2011年9月12日月曜日

ちょっと寂しい日

 今朝ゴミを集積場に持っていくときに隣の奥さんと会った。隣は明日転居をすると言うことで、丁寧なご挨拶をして頂いた。

 爺様が退院した折には、手づくりの寿司をいただくなど随分世話になった。家の周囲は我が家のほか一件が残るのみとなった。三〇年もたつと人の入れ替わりというものは随分あるものだ。

 写真合評会は、一人が入院中で参加できず、二人だけになった。金山、肘折温泉の写真をまだまとめていないと言うことで、たくさん持ってきたので楽しんで見させてもらった。

 自分の分は、午前中に12枚印刷して準備した。プリントしたものを、使用済み「写真用紙」の入れ物に入れたのに、もっていくとき別のものを持って行ってしまった。そういうこともあると同情された。

2011年9月11日日曜日

勤労者ハゼつり大会で夏の終わりを楽しむ

 木更津周辺でハゼつり大会。72名が集まって実施した。14時まで、にわか雨に見舞われた人もいたが、無事終了。1キロ以上を釣った人9人(なんと9位は自分だった)だった。

 昨年は13人いた。今回は釣り場範囲を増やしてやってみたが、その効果が上がっていない 様な気もする。気温は高かったが、時々曇り加減だったので暑さが避けられた。

 釣り始めたら結構連続して釣れるので、だんだん入賞(入賞は15位まで)したくなって、頑張ってしまったら疲れた。最近はハゼが多いと帰ってきてからの調理が大変になってきた。


2011年9月10日土曜日

写真三昧

 写真の講習会に品川まで行く。御嶽山信仰の神事を撮ったものを中心にして紹介した。今に伝わる文化は、通常の旅では味わえない。


 写真を撮る動機がまた広がる。40年もの間木曽の文化に入り込んで撮り続けた山口 勝廣氏のセミナーには、木曽から「獅子の踊り」の紹介もあって、なかなかのものだった。

 獅子の踊り

 帰り道で撮った品川界隈のビル模様。「もっと、光を!」と言いたくなった。

もっと光を












2011年9月9日金曜日

今夜は満月近く、諸行満足

 9時過ぎに3回目のウオーキング。金曜日のせいか人気が多い。健康づくりの人もいるが、家路へと急ぐ様子の人が多い。駅の近くでは若者の集団が二次会へ行こうと気勢を上げていた。

 今日は早朝からウオーキングを一度やり、残業分を夕方に買い物ついでに稼ぐつもりででかけた。目的は露店。先週のお祭りの時に雨だったので、露店がだせずに今週になった。

 福島の物産ということでいってみたが、時間が少し遅かったか、半分くらいは終わっていたようだ。焼き鳥が1本100円だったので10本、トウモロコシが250円で、「焼いた」ものだったので、懐かしくなって2本買った。

 最近のトウモロコシときたら茹でたのしか無くて、焼いたものが食べたいと常々思っていた。 それに焼きおにぎり、うまそうだったのでこれも。

 で、荷物が多くなってしまったので歩数稼ぎができなくなった。

 都合、3回で11000歩になった。でも、美味しかった焼き鳥とトウモロコシで大部効果薄になってしまったかな。
 


 8月14日からの山形の写真がようやくまとまって、ホームページ(虚鯊の数多フォト) ←リンク にアップできた。

2011年9月8日木曜日

保険料の口座振替行は選択してやるべきじゃないの

 今月分の国民健康保険料を払おうと思ったら、国民健康保険の保険料納付は口座振替を原則としてお願いします・・・と書いてあるのに気がついた。徴収にかかる人件費の考慮をしてのことだろうが、これは問題だ。

 口座振替は確かに便利だ。忘れずに「納付してもらえる」し、納付期限内にキッチリ「納付してもらえる」。これは、徴収率の向上につながる。徴収率を上げるのは、当該機関の自己目的で、業績評価につなげている。

 今年から、保険料が相当引き上げられた。従って、払いきれない人は増大しているに違いない。失業者や非正規雇用がたくさんいて、不安定な収入であってもキッチリ納付してもらうには、担当者だって大変だろうが、払う方はたまらない。当然のこととして滞納者は増える一方だ。

 こういう制度を作り上げている国の責任は重い。納付する環境にない者からも取ること自体が無理なんだ。

 口座振替を原則にすることなんかできはしない。そんなことができたら、民主主義の国ではなくなる。だから「原則としてお願いします」と書いてある。あたかも法定されているかのように。

2011年9月7日水曜日

写真展を見て8月15日に戻された

 4日、「昭和史のかたち」満州侵略から沖縄決戦までの歴史を、撮した江成常夫の写真展を都立美術館でみた。ここ数年間に撮ったものだった。中国人を1000万人も殺すことになった歴史が浮かぶ上がる〈偽満州国〉、インドネシア、ラバウル、テニアン、レイテなのどの島々で残っている爪痕〈慟哭の島〉。「風化」から切り抜いた写真は、生々しく迫ってくる。

 お国のために死ぬことを美徳とされて、敗戦色濃くなった時には軍の幹部が突撃命令を出して、徹底抗戦をさせた。そうしておいて自分は自決をするというなんともたとえられない行動。

 他国を支配、侵略することはあってはいけないことと、今なら当たり前に言える。侵略を正義だとすり替えて、天皇の名をもって国民を動員した15年戦争。その行為は侮蔑の言葉以外いらないだろう。

 広島、長崎の原爆投下は事前にその情報をつかんでいたということが、先日テレビ放映された。国民を助けるとか生き延びるようにするということなど、これっぽっちも考えつかなかった時代だった。


 被爆をして未だに苦しんでいる人、実相を語り継ぐ人、焼けた懐中時計、眼球がないマリア像…犯した罪の大きさを見るよう。
慟哭の島、偽満州国、シャオハイの満州、ヒロシマ、ナガサキをテーマとした写真は、日本がしでかしてしまった歴史を改めて顧みさせる力を持っていると思った。この歴史を抜きにして「平和」や「友好」を簡単に言うことはできない。


15年戦争が終結した8月15日。
リンク→その日付に撮った写真からなにかでてくるか。

2011年9月6日火曜日

世論は怖いんだぞ

 フジテレビHPの「コンパス」でオピニオンリーダーが、「民主党代表選挙におけるテレビ報道」についてどう考えるかという設問にに答えた。
主要な答えのうち多かったのは、報道に「やや問題がある」と「問題がある」という7人の答えだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「やや問題がある」が2人、「問題がある」で5人、「まあ評価できる」2人、「評価できる」で3人、「どちらとも言えない」1人、「そのほか」4人  回答合計17人
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 政策的な掘り下げが不足していた点を問題として上げている。これは正論だと思う。報道が、正面から論じることが少ないから、世論との乖離が起きる。

 切り口はやっぱり世論に寄りそうのがいい。「これが目に入らぬか」が廃れないのはそういうことではないか。5年で6人目の首相なんてどうみたって恥ずかしい。日本の「恥」をちゃんとみて、切り口鋭く行こうよ。

フジテレビ・コンパス
http://www.fujitv.co.jp/compass/view_25.html#midashi_answers

2011年9月5日月曜日

ウロハゼの遅ればせの自己紹介

 木更津の港でハゼ釣り大会をすると、マハゼに混じってときどきウロハゼがかかる。これは外道としての扱いになって、成績とはならないルールになっている。

 我がつり会は歴史もこれあり、つりの競技は要項を定めて役柄を決め、規則をつくってスポーツらしく運営するようになっている。

 関西の釣りの会では、ウロハゼは一人前の魚の扱いをされているのに、こちらでは鼻にもかけないというところが面白い。ベラの扱いもそういったふうになっている。

 ちょっとボテッとした風采が憎めないのだが、冷たくあしらわれるのは「江戸前の文化」のせいかもしれない。江戸前の「魚」は、ハゼもそうだが味がよい。東京湾に流れ込んでいる川の数が多くて、その「栄養」によるものということだが、湾を取り囲む浅瀬はほとんど埋め立てられて、幼稚魚が育つ領域が無くなってしまった。当然漁業はすっかり廃れてしまった。

 横浜の鶴見川で、ウロハゼを調査した論文があった。人間社会とのかかわりで、ウロハゼの盛衰に影響をがあったという論文。ちょっと面白い。自己紹介を兼ねてこのブログ「ページ」項目に載せた。

ウロハゼの数奇な運命

2011年9月4日日曜日

アマモが消失した

東北水産研究センター

http://tnfri.fra.affrc.go.jp/pub/letter/20/20.pdf

 これは大変なことだ。松島湾のアマモが無くなってしまった。松島湾の島々によって、守られてきたアマモが津波で一挙に消失した。アマモは藻類や甲殻類を葉に付着して幼稚魚の餌場となっている。

 漁業に大きい影響が相当な規模で起きそうだと、東北水産研究センターの研究員が警告している。神奈川県の水産技術センターでもこの植え付けを熱心に実施していて、浅場の海に保育場を増やそうと努力している。山の森のように、無くてはならない存在だ。一刻も早い状況把握とモニタリングをするように提起している。

 この上、海にも内陸の川にも放射性物質の影響が明らかになってきた。福島県伊達市(阿武隈川)のヤマメはセシウム810ベクレル( 8月31日)群馬県(赤城大沼)ワカサギはセシウム640ベクレル(8月29日)などが暫定規制値500ベクレルを上回って検出されている。

当然、釣りにも大きな影響がある。


各都道府県等における水産物放射性物質調査結果  9月1日

水産庁がまとめた各県の調査結果
http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/Q_A/pdf/110901_result_jp.pdf
暫定規制値(魚介類、海草) 放射性セシウム:500ベクレル/kg 放射性ヨウ素:2000ベクレル/kg

2011年9月3日土曜日

五七五、生みの悩み

 今宵は中野新橋の盆踊り。台風の影響で時々雨が飛んでくる。散歩がてらタコヤキを買おうかといってみると、こぢんまりとした感じでいつものように踊っていた。

 天気が悪いせいか夜店がほとんど無くて、家族用のシートを持ち出して座り込んでいる家族連れもいた。

 タコヤキ屋さんは普段もやっているところで、今日は行列ができていた。まあ、一回り歩いてきてから買おうと、そのまま通過して歩き出した。

 3,4日前に、コオロギだろうか、ちょっと頼りない鳴き声を、マンションの隅で聞いたから、一句まとめてみようかと、宿題にしていたので推敲しながらのウオーキングになった。
  

  チチコロロ 初鳴き競う 宵の口
  秋のぞき コオロギコロロ 宵の口

 あれこれ考えて、ようやくできあがったものは識者がみたら噴飯者かもしれない。でも時間はかかかった。だいたい俳句も川柳も知らないのに恐れ多いことで。

ところで
 松島や ああ松島や 松島や

の句は言わずとしれた、あまりの景色の良さに言葉がなかったとされる芭蕉の句。これが面白い。

 芭蕉は旅に出発の際は松島を絶賛したらしい。ところが松島では一句も詠まずに、一泊しかしないで通過した記録になっている。あれ、そしたら詠むヒマがなかった?

 仙台藩の要塞・黒羽の瑞巌寺、藩の有力商業港・石巻には熱心に見物しているので、芭蕉隠密説を構成しているとか。

 後から困ってつくりあげた句だなどと想像したら…もちろん虚言妄言です。

 ともかく五七五ができあがって、元のタコヤキ屋さんに戻ったら、なんと行列が増えていた!
 買うのを諦め、目標達せず。歩数は午前の部と合わせて10300歩。目標達成!