2011年10月31日月曜日

洪水なんてへっちゃら?

 タイの洪水はますます酷くなっている。テレビに映し出される人たちの生活は、わりとあっけらかんとして見える。

 本当にそれだけかどうかはわからないが、洪水慣れみたいなものがあるのだろう。しかし今回は降水量が違った。日本だけでない豪雨が襲った。

 
 それがきっかけであったとはいえ、降水量が多ければダムは放流をしなければならないという「宿命」を負っているから、ダムが生活を洪水から守るという効用は信用はしないほうがいいことになる。

 
 信用してかどうか知らないが、人件費の安さを見込んで日本から進出(経済侵略か?)した企業が、工場が使えず製品不足になって、日本の商品供給にも影響している。

 
 タイの工場で右往左往する日本人と、水につかっても平気で肉を焼いて売っているタイ人、それを買いにいく人とのコントラストは、申し訳ないが面白い。
 
 自然を侮ることはできない。完全にコントロールなどできない。ある部分では自然と「溶け合って」生きるという生き方が、タイの人に見える。


2011年10月30日日曜日

首長の名を辱めないでほしい


 最近、首長の「制度設定」というか「品格」を低め落とす方々が多い。横浜市の中田宏サンはなぜか理由も不明なままお止めになった。宮崎県は東国原サンもしかり。大阪府も続け!か。

 人間は夢を持つのが大事だと最近「特に」思っている。「特に」の意味は残りの寿命のことが理由。今から先の時間がどう使われるべきかをおもんぱかってのこと。

 おお、そう子供も夢を持ってほしいよ。

 でもね。夢もいろいろあるね。「見果てぬ夢」、「夢想」なんていうのもある。

 大阪都市構想のためとか言って、知事を止めて市長に立候補?わかりません。制度をかえるなら法律ですよね。弁護士さんがそこいらへんはプロでしょうけど。

 西に彼の人あれば、東には「老骨がんばり知事」もいる。東の高名知事は、カジノとオリンピック再招致運動に熱心な他は、今回の防災訓練にも「不熱心」とか。

 週に二日勤務という豪華処遇を満喫している。「無理矢理自民党にに知事にされて」と新聞に書かれて。
こういう「首長」は日本の不幸。三陸の被災地で「首長研修」させてやりたい。

2011年10月29日土曜日

充実した一日というか。フー。


 昨日会報の原稿の催促がきてしまった。他の会が送付してくれた、ニュースのスキャンができていないので、手元に届いている他の会報を記録して整理した。

 会報をスキャンすれば、コピペができるから、頭を使うよりは作業。とはいっても一応文言と脈絡は確かめる。

 昼までに出来上がって、メールで送付。送ったことを携帯電話で知らせようと思ったら、留守電になっていた。あっそうだ、こっちは毎日日曜でも先方は仕事中だ。

 もう一つ連絡の文書を作って、メールを打つ。これは知らせたい内容なので、フルメンバーに。

 3時からは単会の常会で江古田まで出かける。会長が風邪から立ち直って、意欲満々。ハゼ釣りの計画が出来上がった。帰りのバスから夕陽間近の青空が見え、雲が風に蹴散らかされたような形をしていた。シャッターチャンスだったな。

2011年10月28日金曜日

自転車走行の取り締まりを厳重にするって

自転車の危険な走行を止めさせるのは必要なこと。自転車は道路交通法の適用を受けるのに、「研修」ひとつない。言葉は悪いが野放し状態だ。学校での講習会をちょっぴりやるくらいで、まったくと言っていいほど対策がない。

もっと対策が取られていないのが道路整備。「何とか環状線」だとか「専用道路」「バイパス」「高速道路」は極めて熱心に造るが、自転車が走行する道路はサイクリングロード以外はほとんど考えられていない。

事実上、歩道を走ったり道路を走らなければならなかったり、使っている方も人と車の間をすり抜ける走行をしている。これだけたくさん使われているのに、自転車に市民権がないのはおかしい。

言葉には出さないが、「車を使っていただく社会」造りばかりが優先されている。スポーツとしてはすごく発達している割合には、実社会での効用が危険ばかりと隣り合わせているのはいかがなものか。

 歩くには遠くて、自転車を使うとちょうどよい距離がある。交通機関の料金も馬鹿にならない。子供を連れて移動するのには欠かせない自転車利用のために、場合によっては自動車通行を制限して安全を図ることも必要ではないか。「交通権」として考えるべき時期かな。

2011年10月27日木曜日

厚生年金の支給開始年齢再「遅延」法案を来年はださないと


 小宮山厚生労働大臣が答弁。65歳から支給開始とする制度へ向けて経過期間中のものを、68歳から70歳へとさらに遅延する案について、来年国会にだすということでないという答弁があった。共済年金との一元化についても提案は難しいと。

 そもそも制度設計をするはずだったじゃないですか。65歳以上が人口20%ですよ。ここにしっかり陽をあててください。消費は必ず上向きます。

 民主党内での反対論でのことだそうですが、「捩じれて」いるんですよ。主権者の意向をちゃんと受け止めないから。

 TPP問題もそうですね。このところ漸く問題点をマスコミが取り上げているようですが、入り口論はいただけませんね。交渉に参加して論議すればいいと。アメリカに対して正面からモノを言うって?そんなことやれていたら、世の中もっとよくなっているでしょう。

 沖縄基地の問題では、言うどころか完璧な「イエスマン」で、自民党政権のころと同じ。
 
 農業は壊滅的になるでしょう。自給率なんていうのは死語になってしまう。いまでも4割減反になっている。今まで減反した100万ヘクタールが、保水できていれば集中豪雨の影響も多少は違ったんじゃないかな。

2011年10月26日水曜日

秋になってまた心配の増幅

わからなくて気になっていた木の葉。桂と教えていただきました。ありがとうございました。

16日に見たものだったので、あれから10日。いまはきっともっと色づいて、誇っているでしょう。木々の仲間の中でも競いあいがあるのだと思うと童話の世界になるけれど、「私のほうが美しい」といって競っているような気もする。でも風が強いときは、寄り添って風に対抗するとも聞いた。

もっともはやく赤く染まるのが漆、その次がナナカマドだと教えてもらいました。岩手山麓仙人の家のドウダンツツジも、まったく目立ちたがり屋の赤い色に染まってしまったろう。

しかし今年はそんな感慨だけに浸っていられません。伐採した枝葉にセシウムが付着して焼却ができないということを報道していた。

 那珂川のアユやウグイ、赤城山、檜原湖、榛名湖のワカサギからも検出されるのは、この木の葉に付着したものが、落葉して微生物から水生生物に食物連鎖しているせいではないだろうか。確かなことはわからないが、考えられることだ。

自然の生き物はなにがあろうと、懸命に生きる

2011年10月25日火曜日

ハゼの被曝を調べるについてのウンチク

 東京湾のハゼ釣りは、相当人気が高いし特に釣りの会にとっては、釣る魚種としては欠かせない存在だ。
 東京湾のハゼは「江戸前の魚」のひとつとして伝統的に愛されている。江戸時代には旗本や、大店の旦那そのおかみさんまで広く釣りを楽しんでいた。

  江戸前の魚は味が良いと言われてきた。東京湾に流れ込む河川は多いから、山からもたらされる「成分」が多様であることによるものとされる。

  和竿を使った釣り研究会を毎年実施しているが、この和竿も「伝統工芸品」として東京都の指定を受けている。
   →東京労釣連ハゼ釣り研究会

  正月前には「落ちハゼ」を釣って、年越しの料理に備えるという生活習慣がいまでもあちこちに残っている。(松島湾のハゼもしかり)

 この時期のハゼはやや難しい釣りとなるが、盛期のつりとなればとっても賑やかな、レクリエーションとして根強い人気を誇っている。

ここはお台場


 放射性物質の魚に対する影響調査は、「流通されているもの」と、絞り込まれている。というより、あまり調べる気はないからやらないというほうが正解かな。

  魚でも、白魚、鮎、ワカサギなどはセシウムの影響があると発表されている(農水省HP)が、社会生活のあらゆる分野で放射性物質の影響がどういう実態にあるのかは、「自主的調査」に放っておかれている。

  この放漫さを怒らずにはいられないが、いまは影響を調べたいし、「安全なハゼ」を文化的伝統として心配なく味わいたい。

  それで、なんとか放射性物質のハゼに対する影響を調べてみようと、今日の釣りの会議での結論となった。




2011年10月24日月曜日

わからぬことは気にかかる

 我が家の爺様がショートスティから帰ってきた。なぜかすっきりした顔つきになっていて、18日に会いにいたときにも感じた「かくしゃく」した感じがする。

 なぜかはわからない。もしかして家にいるより環境がいいのかと内心思ったりして…。どうだったのかを聞いても、面倒なのか覚えてないようなことを言う。

 帰った当座は腰が抜けたように力が入らなくて、施設は家での生活と違った動き方をしているようだ。家でリハビリの援助をしてもらうのも効果があることなんだとわかる。2、3日すれば力が入ってくるだろう。

 医者に行く予定日をはずしてしまったので、ネットで病院の担当医師のローテーションを確認して、金曜にいくことにした。

 留守の間、旅にも出かけられたが、胆沢ダムに行ったときに見た木の名前がわからなくて、木だけに「気」になっている。誰か知らないかな。


2011年10月23日日曜日

天は人の上に人を作らす、人間は人の下に人を作る

 職員の人事管理で、相対評価で5%にDをつける。大阪府の教育基本条例は、D2年連続した場合は分限処分にできるという。

 「教育向上のために先生を増やせ」「府政はおかしい」「労働条件を守れ」などという批判をさせないことが狙いだ。

 素直に「上」のいうことを聞くということが求められて、どんなに住民に対してサービスの低下、カットになろうとも従えという体制を作り上げる意図。

 マスコミも含めて、公務員の人件費削減の主張が「当たり前」の風潮になって、公務員は国、地方とも相当削減されている。身近な住民サービスは押しなべて縮小されているはずだ。

 民間の労働条件もいいとは思えないというより、相当ひどいから、それに比べて公務員は…といとも単純に論じられる。今は再任用で早く辞める人、若もので自殺してしまう人も後をたたない。

 クラスの中で何人有名学校に送り出したか、生活保護受給者を減らすために頑張ったかどうか、差し押さえをどれだけやったか、どれだけ検挙率を高めたか、そんな馬鹿なかなことがまかり通る!



ツイッターで紹介されたYou Tubeに喝采。

2011年10月22日土曜日

秋は、みんな実って楽しみ多い

 合唱祭があるのを忘れてた。気が付いたのは2時間前だったから大丈夫。昨日と一昨日に歩きすぎたせいでか、体が重くて動きが悪い。雨も降っているし、今日はゆっくりするかと思っていたら、いけねー!

 カメラで撮影するのをやることになっていたから、ずっこけるわけにはいかない。駆けつけると、知った面々がたくさん来ている。

 このところ練習に出席していなかったから、なんとなくばつが悪いが、会場から参加グループの写真を記録用に撮る。何回かやった経験を生かして、今回は設定を慎重にセットすることができた。





 休憩時間に窓から見えた木々はうっすらと秋模様。

 この時期、釣りの行事も多いが、写真展のどの文化行事もたくさんある。中野界隈でも、地域ごとの文化行事もあるようだ。今度行ってみるかな。

さわりを



2011年10月21日金曜日

ネット社会に置いてきぼりはいやだよ


 岩手山麓に行っていた間の新聞切り抜きをやろうと、ポツポツと始める。切り抜きは多方面に及ぶ。切り抜いたら、スキャンしてパソコンに取り込む。早い話が、己が知らないことが多すぎるということ。

 それにしても、だ。情報を管理するパソコンの変容はすさまじい。何を目指しているのかはさっぱりわからない。もしかしたら開発するほうもトータルの目標ってないのじゃないか。

 もっぱら、「ハサミの使いよう」で動かせればいいのだが、これがとりあえずこれが苦労。

 ネットでの交流は「紳士的」がルールになっているのかいないのか知らない。でも、人の意見も聞いて、自分の意見も出すには、「低劣にならない」紳士的エチケットみたいなものもいるんじゃないかな。

 ツイッターは140文字で「つぶやく」。今度知事をなぜかお止めになるH氏は140文字を連続して利用する。なるほどそういうやり方もあったか。

 でもこういうやりかたはどうなんでしょうねー。そりゃ自由さというのも考え方の中に当然ある。それも含めて考えればいいことか。

2011年10月20日木曜日

生態系かく乱の現れ?


 福岡で中学生がスズメバチに襲われた。軽症でよかったが、スズメバチが襲うパターンにはまってしまったのか。襲うのはスズメバチの「防御」でもあり、事前に対応できれば方法もあると聞いた。(指導者の責任を言っているわけではない。念のため。)

 動物や昆虫のテリトリーと人間の生活域との混交が広くなったし、気候の変動が生物界に相当インパクトを与えているのかもしれない。熊、イノシシ、鹿、猿、魚類も昆虫も。

 植物も穏やかでない営みをしてる。生態系を大事にすることも再生の大きな課題に見える。

 102日に香取市与田浦で清掃をした折に、段ボールに群がっている小さな蟻の大軍を見た。Youtubeに載せたが、尋常でない群がり方に見えた。これも生態系のかく乱なのだろうか。

折り重なって集まっている写真




映像




2011年10月19日水曜日

新しいメディアは怖いぞー

  原発デモの参加者は初めての人が半分近くいるとの調査結果があった。

朝日新聞
6.11脱原発デモ48%が初参加
(新聞記事なので、見られなくなるかもしれません。都留文科大学の平林氏記事)

 3.11、9.11に東京で行われた大規模デモを調査したしたところ、6月11日には初めての人が48%、9月は35%を占めた。半分は30代以下という。

 デモを知った情報源はインターネット、ツイッター、クチコミでで7割、チラシ、新聞・テレビ等のメディアからは5%程度。

 これまでの反原発の運動に加え、新しい参加者が音楽、ラップトップ、持ち物、衣装を「表現としてのデモ」文化としてデモを主催したと評価している。

 これを支えているのは新しいメディアデモの中継、ツイッターやブログでの発信などネットを使った情報発信をすることが、運動の重要な一部となっていると。

 政治の在り方やマスメディアへの不信が噴き出てきている。地震被災と原発被害への対応は根本から問われているということだ。情報発信が誰にでも可能になったことで、政治や社会のありようにもありようにも大きなインパクトをぶつけられるようになった。

2011年10月18日火曜日

異常気象黙過できない

 異常気象の影響でタイの日系企業が影響を受けている。部品の供給が止まってホンダ、トヨタ、日産などの自動車業界や精密機械関係もキャノン、ニコンなどに影響がでている。

 雨期の豪雨は50年間で最も多いという。その結果ダムが満水になってしまって、決壊を防ぐために多量の放水をせざるを得なかった。貯水機能を果たす田んぼや沼地などが開発で失われ、極端な増水現象が起きるようになったという専門家もいるという。

 日本国内の異常気象の影響も大きな被害を生んでいる。政府は温暖化問題に極めて消極的な態度を続けているけれども、もう無視できないところまで来ているのではないか。アメリカのハリケーン、日本の集中豪雨も想定外などとしては被害が広がるばかりだろう。

 そしてダムが洪水対策にはならないことがまた実証された。16日に見た胆沢ダムも「洪水防止」がウリの宣伝をしていたが…。

2011年10月17日月曜日

ウォーキングの効果出て

 マイゴールデンウィークが今日で終わりとなる。念願の三陸にも行き、去年もハゼ釣りをした山田町の惨禍を見て記録し、秋田でハゼ釣りをして昨年からの「ハゼ旅」をつづけることができ、胆沢ダムも見て、充実の旅だった。

 11日間あったから、それでも余裕の時間だった。一緒につき合わされた従妹と岩手山麓の仙人は、くたびれた様子だった。

 考えてみると、こんなことができたのは10000歩ウォーキングの効果かもしれない。東京で頑張らなくっちゃ。山麓にいる間は、ウォーキングで10000歩を超えたのは2回けだった。

 でも、坂道だから上って下るか、下ってから上って帰ってくるかのバリーションしかなくて変化に乏しかった。この点中野区界隈だと、バリーションに富んでいるから、飽きないであちこちコースが選択できる。

 次回のつりと旅をめざして歩こう。

2011年10月16日日曜日

自然を壊して得られる価値がほんとにあるのか

 胆沢ダムに行ってみる。日本最大級のロックフィルダムとのこと(最大は徳山ダム)。なるほど大きさはすごい。ダムはほぼできあがり、来年の冬から試験湛水に入る予定となっている。

 9月には「洪水吐きコンクリート打ち完成式」があった。この工事を受注していたのが、小沢違法献金で問題になった西松建設など。

ウィキペディア  胆沢ダム

 このダムのすぐ上に昭和28年に完成した石淵ダムがある。このダムは、胆沢ダムが使用されれば、水面下20メートルに没するという。石淵ダムの9倍もの水量をため込む。その大きさ故か、展望台にはしきりと見物客が来ている。「魚道がないね」と言う人もいた。

下流から見る

洪水吐き出し

沈む石淵ダムから胆沢ダムをみる

この石淵ダムの上20メートルまで湛水


ここも水面下に

手前が石淵ダム左奥が胆沢ダム



2011年10月15日土曜日

復興も力が湧くものでなくては


 県漁協から県議会に提出されていた水産業復興特区創設の撤回を求める請願について、県議会産業経済常任委員会は14日、「今後、県と漁協が協議して合意形成に努める」などとする付帯意見をつけ賛成多数で採択した。

 推進役の村井嘉浩知事は「結果として前に進むなということで、かなり厳しい。本会議の結果を見守りたい」と述べた。…産経新聞

 ビジネスチャンス優先では、地元の復活の願いに応えられないの声で、自民党の態度も割れたらしい。本会議がどうなるかだが、上意下達の復興でない復興のエネルギーが湧くやり方、方向がいい。

 9日に行った宮古、山田町、大船渡、釜石、陸前高田の写真をまとまめた。
言葉で表現できないこと、現れてくるか。



 






 


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2011年10月14日金曜日

仙人の山麓も番外ならずか

 パソコンの移動整理ができて、落ち着いてきた。たまったメールとニュースを開いて読む。パソコン関係のニュースは、新しい情報もいろいろあって、なかなかここで良いというところはないみたいだ。まさにハツカネズミだ。

 10時過ぎには散歩に出かけて、今度は下ってみる。いつも車で通っているところなので、折り返し地点ももくろんで歩いたが、以外と時間がかかる。田舎の道は遠いということだな。この道は小岩井に抜ける裏道で車の通行量が多い。

 途中の丘陵にショベルカーが
入って工事をしていた。昨日の岩手山方面の麓でも「砂防工事」が行われていて、自然の改造がすすめられている。「必要」な改造ならしょうがないが…と山麓の仙人の環境を思う。

岩手山が噴火したときに土石流を止めるという




 山麓の環境も、生活の臭いがだんだんでてきて、変わっていくことはある面ではやむを得ないこと。しかし無政府状態であって良いと言うことではない。
 






できたての消火栓、後ろは岩手山

2011年10月13日木曜日

頭は疲労、足も疲労

 釣りの会の資料を送るように頼まれたので、持ってきてあったバックアップ用のHDDから抽出して送った。

 資料は結構な量になるが、WEB上に保管できるストレージを使って「共有ファイル」の表示をするという機能を利用した。旨い具合に届くと良いのだが。

 今はWEBメールを使えばどこからでもメールを使うことができるし、ファイルもWEB上に載せておいて使うこともできる。便利になった。とは言え、分かり慣れるまでには相当の時間も使う。

 11時を回ってようやくできあがって、送った旨の電話を入れた。頭も相当疲れたので、岩手山の登山登り口めがけて歩くことにした。たぶん一時間くらいで着くだろうと思っていたが、時間はその程度でも、上りはきつかった。途中二三回休んでようやくたどり着いた。ちょいと疲労した。

途中で


岩手山はまだ先


下りの景色

2011年10月12日水曜日

夕餉に並んだごちそうは自前

 泊まりの猿倉温泉は鳥海山の懐で、海から遠かったから子吉川で釣りを始めるまでには一時間半かかり、9時半を回ってしまった。



 子吉川を目指して走り餌屋に飛び込んだところは、数年前に親父と二人で釣りに来た折に寄ったところだった。あとから携帯電話に登録されていたことも分かった。また来ることを想定していたのもかかわらず、忘れていたなんて!


 釣り場を思い出しながら付近を走ってみるが、様子が変わっているのか良く分からずに、川沿いの土手を走って、足場のよさそうなところを見定めて始めてみた。浅いところなので浮きづりのしかけでは苦戦したようだった。やっぱり脈釣りが浅場には向く。二時間ちょっとやって、皆でハゼ30尾程度。


 昨日は放したチンチンもゲットして、夕餉に添えることにした。
昨年始めた「ハゼつりの旅」を今年も続けられてよかった。


 岩手山麓の仙人の家に帰ってからの夕食の料理は、ハゼとチンチンのから揚げ、アイナメの煮つけ、道で拾ったクリと庭で採れた「モッテノホカ」と、ごちそうが並んだ。

2011年10月11日火曜日

ハゼはまだいた。

 秋田でハゼを釣ろうと出かけ、三時間走って、象潟港やってみる。餌を買った釣具屋のおばちゃんは、釣れるけど釣れない時もあると、至極当然の話。


 小さな港は、水深が3メートルほど。最初に仙人が、いい型のアイナメを掛ける。小さなアイナメばかりが釣れて、ハゼは掛からない。


 釣り場を移動して、日向川で挑戦。河口が砂浜で、シロギスも釣れそうなところ。ここで当たって、一時間ちょっとで30尾ほど。餌がなくなったので、終了とした。日が沈む頃、クロダイ狙いだろうか、海岸が賑やかになってきた。

2011年10月10日月曜日

三陸を見て心収まらない

 昨日の三陸の様子は、なぜだかの解明はできないが「一度見なくては」という思いがずっとあって、機会を待っていた。岩手山麓の仙人も、「邪魔にならないか」という心配をもちながらも、行ってみたいという思いだった。

釜石の港


 例えるものなどない状況を目の当たりに見て、気持ちの整理のできないままとりあえずは、そのまま、「見る」ということに徹することになった。宮古から南下して陸前高田まで走り抜けた。
 今日は休養日として、明日から秋田にハゼを釣りに行こうという約束になった。宮古方面のハゼ釣りは今回は、「どうなのか」という自粛ムードだった。秋田ならということでまとまった。

 従姉妹の竿を用意するために、長い竿を短くして使おうと、穂先を縮めてリリアンをつけ、手元のグリップテープを巻いてハゼ用の竿を作り上げた。釣り道具屋から仕入れた細いキャップを少し切り取って、太さを合わせた。キャップが少し外れそうなので、根付(それも桜の枝を削ったもの)をつけて出来上がった。4メートルちょっとあるのでまあいいだろう。仕掛けを2本用意して準備完了。

津波の爪痕を見る

 6時に出発して、宮古方面に行こうと昨夜相談が整ったので、早起きするが、親父が起きなくて7時発となる。宮古の町に着くと、何も変わらない様子で、どうしたんだろうと思ったが、通り過ぎてしまった。


 南下するに従って被災の様子が見えてきて、生々しさに圧倒される。報道で見た当時のものすごさが変わって、破壊された車の集合場所や破壊された家や商店の建物の骨組の残骸と周りの空き地など、人気が少ない「ゴーストタウン」が、南下するに従ってひどくなっていく。




 大船渡の港の船は、岸壁するすれすれまでの海面に浮いている。一見なにもない雑草地が、よく見ると作付けできなかった田圃だとわかる。岩手山の仙人たちと、「いつも行っている山田町まで行ってみたい」と言いながら、45号線を南下すると、道路は障害がなく走行できて、織笠川までゆくことができた。


 小さな港を海側に位置する山田町は、土台を少し残すだけの荒野。川で釣りをしていたおじさんは、「船を二隻もっていたけれども、流されてしまっていくら探してもわからない。自分は釣りが好きだからこうやって釣りをしているんだ」と話していた。






2011年10月8日土曜日

これも憂き世か仙人の家

 6時東京発の新幹線に乗って、9時半には岩手山の麓まで来た。空気がひんやりして、やっぱり空気の良さを感じる。麓の仙人の家はチラリと秋の気配が訪れている。

 今年はひとめぼれ、とうもろこし、シソが収穫できたとのこと。唐辛子もできが良くて、おみやげ用の品物になりそうだ。

ヒトメボレ冷気が当たらないように


 台風で倒れたクルミの木から、実を取って集めておいたら、リスが全部運んでいってしまった。そのリスが、庭先でクルミを隠す穴を掘っていたが、土が硬くて失敗し続けたのを見ていたという話。

 仙人の家は童話の世界だ。お気に入りのブナの木は、秋の装いだった。このブナは落葉がいつも遅い。

2011年10月7日金曜日

取り壊しと建設と破壊と復活

 今日は掃除がてら電源のコードを取り替えるために、ベットを移動させた。その下の綿ぼこりはずいぶんたまっていた。

 隣の建物が取り壊し中なので、窓を開けはしたが風向きによっては外のホコリが部屋に入ってきそうで…。でも風向きはだいたいよかったようだ。

 湿度が低くて洗濯物がよく乾くが、鼻も乾いてくしゃみがよく出る。3時にはひととおり、元に戻っておちついた。

 明日から、岩手山麓の爺の家に行く。春以降、ここしばらく行っていないうちに秋模様になってしまっただろう。胆沢ダムはわりと近いから、今回行ってみようか。もうじき完成するらしい。

 「小沢ダム」ともいわれているそうな。世田谷の土地問題なんて小さい小さい。胆沢ダムの建設にからんだ西松建設は、熊本の球磨川の荒瀬ダムを造った。荒瀬ダムは取り壊しが決まって放水が始まり、豊かな渓流が復活している。