2012年7月31日火曜日

ハゼの放射能汚染の調査検体確保


 この時期のハゼは、一潮ごとに大きくなると表される。5センチ程度のものが、木更津周辺のハゼはまだこの大きさのものが多かった。10センチくらいのものも混じって釣れるときには、その瞬間力強い引きに驚かされる。

 10日ほど前に釣ったときには、まったく小さいものばかりのサイズだったものが、今日はよい型のハゼが混じった。台風がまた近づいているとの予報だったが、まだ影響はない。海の水の色も悪くない。青空に白い雲が少しでて、夏の日差しが本番といったとき、海に立ちこんで足が水に浸かると、体温も下がって気持ちがいい。これがハゼ釣りの妙味だ。

 魚のアタリは間断なくあっても針にかからないのは小型すぎるからのようだ。なんとか針にかけようとするが、相手の方がエサをくわえる程度なので、うまくゆかない。大きいものだけ拾って釣るのが常道とのことだが、逃げられるとなんとかそいつを釣ってやろうという気になって、こだわってしまって時間ばかりが過ぎてしまう。

 それでも釣りに来たメンバーは、今日の検体確保に十分な成果(各場所500g以上)を上げることができた。いつもならのびのびと東京湾のハゼ釣りを楽しむのに、放射能汚染調査の検体のためのハゼ釣りでは情けない。





2012年7月30日月曜日

「魚の国のしあわせ」推進会議で!?

 魚類のセシウム汚染の状況を農水省のホームページからみてみた。水産庁は、汚染が、「100ベクレル以上」あれば、市場に出すのは「自粛」させるという扱いにするための調査をしている。

 726日公表したセシウム汚染濃度は、福島県沖や河川、湖沼をはじめ、宮城県や栃木県でも魚類に高い数値が出ている。漁業で生計をたてている人への影響はまだ大きいものがある。釣りを楽しむ者にとっても、趣味のこととはいえ、憂うべき状態が続いている。
 
単位 BQ/Kg
  渡良瀬川上流のイワナ      110~160
  福島県金山町沼沢湖ヒメマス  130
  茨城県沖イシガレイ        150
  福島県大倉川 イワナ       180
  福島県久慈川 ヤマメ       200
  茨城県北浦 アメリカナマズ   120
  宮城県浜市沖 クロダイ     3300
  福島県九野浜沖 アイナメ    460
              ババガレイ  640
  福島県石田川 ヤマメ       420
  宮城県名取川 イワナ       460
  宮城県蔵王町小阿寺沢 イワナ 130
  栃木県中禅寺湖 ヒメマス     170
           ブラウントラウト   160
  栃木県足尾町深沢川 イワナ   250


 ところで、水産庁のホームページで「魚離れ」止めるための対策を考えているらしい。
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本年、3月に閣議決定された水産基本計画において、「国民の「魚離れ」を食い止めるためには、関係者が一丸となって消費拡大に取り組むことが必要」とされたところです。
 このようなことから、魚の消費拡大の取組について、関係者より取組内容を発表していただくとともに、意見交換を行うため「魚の国のしあわせ」推進会議を開催します。
 なお、今回の会議資料は、会議終了後、次のURLページで公開します。
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 放射能汚染の影響を食い止めるための方策を、どうするのかはよく見えない。セシウムは魚には蓄積せず、排泄されて時間の経過とともに深海へ流れ込んで拡散するという見解のようだ。


2012年7月29日日曜日

今日は官邸前でキャンドル包囲


 今日の首相官邸周辺の抗議行動も大変な賑やかさらしい。IWJの中継で様子を中継していた。異常なことが異常だとなっていないことはおかしい。認められていないからおかしいと言いにきたなどと、インタビューに答えていた。憲法で保障されている権利を行使に来ているという人も。


 NHKが今朝、警察が「規制」に入ると報道していたそうで、そのとおり、かなり警備を強めている状態。それなら、止められた場所で抗議、スピーチをしようと、主催者側が応じているという。無理をしないで安全に脱原発の声をあげようという素敵な「抵抗」をしている。隅田川の花火もきれいだったが、国会のキャンドル包囲もなかなかきれいだ。(19時ごろ)


 議事堂前には8時前には非常に多くの人たちが車道を埋め尽くして、灯りをつけた抗議行動を繰り広げた。国会議員のスピーチもされたということで、ついに国会内へ「声」がやっと届いたのかな

昨日の「脱原発中野もパレード」写真
http://www.facebook.com/tooru.itou.509





2012年7月28日土曜日

暑い中、脱原発、原発止めろの声中野の町に響いた


 昨日に続いて、暑いなか、脱原発の集会とデモがあった。「脱原発中野も パレード」という集会。杉並の集会をきっかけにして中野「でも」やろうと、相談してやることになったという。

 出かけた帰りだったが、中野駅近くの公園に寄って参加した。ブラスバンド隊、ドラム隊、エイサー隊が賑やかに演奏して雰囲気を盛り上げ、「脱原発」の替え歌を歌う部隊も登場した。参加者は、子供連れもあり、仮装する若者もあり、賑やかなものだった。

 集会の企画がなかなか良く練られていて、途中参加、抜け、休憩自由と呼びかけて、トイレや給水、授乳所まで配慮をしていた。集会参加者の打上げを割引で、扱うという「デモ割」は中野では30件になったとのことだった。子供から若者、年配の人まで幅広い人が集まった。








2012年7月27日金曜日

Facebook(フェイスブック)は異人の発想かな

 パソコンがわけのわからないゼロとイチの集合体だとして、金槌で釘を打って板を止めたり、ペンチで針金をねじったりというアナログ?世界からみて、まったくもって実体が見えず、分かりにくい代物であることは間違いない。


 これまでの生活体験のなかに味わっていないことだから余計にそう思えるのかもしれない。その上に、FaceBook(フェイスブック)という奇妙奇天烈な「交流サイト」。これまでの行きがかりがあるから、よしやっちゃおうと取りかかった。


 いじってみてこれはなんだ?ということばっかりだ。そのなかで一番の(多分)要は、実名と経歴、生年月日、性別、趣味、これまで住んだところなど、事細かに「書き込み公表」することができるということ。これにはいささかまいった。


 無論書きこまなくてもいいし、書く項目を選択することも、公表の範囲を友達に限ることも可能ではある。でも、このFaceBookは「自分から先に名乗る」というエチケットを、交流を始める最初に持ってきている点は面白い。(ツイッターは有名人以外は匿名が多い。自己紹介、名前、場所をプロフィールとする)。その「名乗った」人との交流を申込みして、広げていくということになるから、全部を明らかにする方が信用度は高くなる。


 嫌であれば「友達」にならなくていい。「今何している」という命題に書き込んでいくので、その会話をたどって輪を広げていくことができる。これが「アラブの嵐」の情報伝達有力な一つになった。毎週金曜日の首相官邸デモにもツイッターと並んで有力な伝達手段になっている模様。

2012年7月26日木曜日

トヨタが東北復興にかける思い???

 トヨタは、本社、アジアへの輸出基地福岡に続く拠点として東北地方仙台に第3のトヨタ自動車製造基地を造った。トヨタ系列の関連会社を合併して設立した。トヨタの技術、専門知識を教え込むトヨタ東日本学園も設立する。


 愛知にトヨタ工業学園という社内訓練学校があるが、これとは別に、トヨタ東日本学園を東北に開校して「人材育成を図る」ことにしている。昨年7月には設立決定していたとのこと。


 しかし、額面どおりの歓迎ということになるのか疑問を感じる。生活の再建でほとんど前に進んでいない中、「復興バブルで好景気で仙台には建設業界を中心にカネが集まっている」という状況(=「ビジネス立体思考」)。


 非正規従業者を都合よく雇用して、賃金コストを低く抑えるということが見えてくる。世界と戦って利益を出すことを目標とするということだから、復興を「足掛かりとして」のたくらみとも思える。

トヨタが東北復興にかける思い




2012年7月25日水曜日

パソコンは便利とやっかいの機械


 今日は朝から暑くて、冷房なしにはいられない。ファイルのバックアップの不十分なところがあったので、修正した。パソコンが壊れたときのバックアップは、やっておかないと心配だ。オンラインのストレージを2種類でやっておいた。

 パソコンのファイルが無くなってしまっても、財産や健康がどうなるわけでもないが、あれこれ時間ばっかりかけていじってきた「成果」も財産と言えば財産。慣れ親しんだものが無くなるのはやっぱりショックかもしれない。

 パソコンは人間の命と同様に寿命がかならずあるらしいから、扱いもぞんざいではいけないのだろうが、なににつけてもわからないことが多いから、どうしても荒っぽくなる。間違ったやり方をしたときに、「違うよ」「なにやりたいの」「これじゃないの」と応じてくれればいいと思う。(それに似通った動きをするものもあるが)。
 
 パソコンを使い始めてもう10数年になるが、よくわからないことに輪をかけて、通信技術も機械的な容量も変わっていって、それに応じた「ソフト」がまたどんどん進化する。これが「オタク」をつくるのもわかる気がする。

 バックアップで時間を使ったので、30分でレジメをつくって釣りの会の会議にでかけた。来月のハゼ釣りの段取りを決めて帰ってきた。レンタカーの空き状況をネットを使って調べ、予約を入れて、つりの例会成立となった。

2012年7月24日火曜日

アメリカにものが言えないのが、日本のあり方では。

 アメリカは横暴なところがある。世界の「覇者」だからですか?
オスプレイの配備については、「日本の政府」以外は沖縄県も配備計画されている宜野湾市長も、岩国市長も受け入れに賛成していない。全国知事会も自治体の意向無視を批判している。


 日本政府の態度はなんだろう。喩は悪いが、ヤクザだって「「ここは一番…願いたいと思っているところでござんす」くらいは言うだろう、こういうときは。イエスマンと言う言葉があったが、それに輪をかけて、先回りまでして従うことはしても、モノを申すことはない。これが日本の政府の状態。


 これは政治でもなんでもない。国民の大事なことはお任せする資質は持っていない。これが今までの日本の政治の在り様だったのだと今更ながら思う。「安全が確認されない」の言質にすがって、調査団をアメリカに送るというが、そんなことで理解できることでない。わかりきっている結論だ。「ああそうですか」しかないんでしょ。


 プロ野球選手会がWBCに「苦渋の選択」をした。WBCは、日本野球機構が日本チームは参加するといっているから、国内の問題だろうと逃げた。(結果として出なかったら、「訴訟」でもする気だろうか?)。日本のスポンサーも金を多く出していながら、日本野球選手の「受取」が少ないことに異論はないのだろうか。それともアメリカスポンサーに配慮するのが日本の企業メリット?

2012年7月23日月曜日

自分の意見を気兼ねなく主張するのは大変なこと

 これは命題。なかなか難しいことだと思う。「原発事故では放射能では直接的な影響で死亡した人はいません…」とエネルギー政策の意見聴取で発言した「電力関係者」がいた。これは自分の意見ではないだろうと思った。電力会社の幹部が言葉に出しそうなセリフだから。


 電力会社は、意見聴取の場に、関係者を意図的に出席することはしていないと言っているが、これも信用していいのか、これまでの「やらせ」具合を見ていると俄かには信用できない。


 会社のために「亭主元気で…」とまで「もてはやされ」、過労死という新語を生み出すまで尽くすのが、社員の宿命とされてきた。会社と同じ考えに立たないと身分が危うい。


 原発の下請け作業員は放射線線量計器を鉛で包んで、反応を鈍くして作業する。いやなら仕事から外される。こんな立場で本当に思っていることが言えるのか。飛び降りなければ仲間でないという中学生の論理に似る。

2012年7月22日日曜日

今季初のハゼつりに慌てて準備して

 釣りの会のハゼ釣り例会だった。初回はいつもバタバタと道具の支度にあわてる。昨年のハゼ釣りから9カ月もたっているから、頭のてっぺんのつり傘から、足の先(スパッツ)の支度まで、大騒ぎだ。おまけに朝になって、餌箱がないのを思いだして早朝からガタガタとやかましくてご近所に「ごめんなさい」。雨もようにつき雨具も用意して、やっと支度完了。


 アクアラインのトンネルからでると、天気は悪く雨が降ってくる。天気が悪い時は、千葉は東京よりもう一つ悪い天気が通例だ。おかげで、木更津港の脇の小さな港(内港)には、人影は見えない。傘を被って雨具をきて、始めたのは8時をまわっていた。


 さっぱりアタリがなくて、申し訳なさそうに一尾釣れたのは30分以上たってから。満潮の状態から干潮にかかるときだから、かなり深さがあるのは新しい港のほう。粘ってみたがちょっとダメなので、浅場になっているほうへ移動した。


 牡蠣が育ってへばりついている浅瀬には小さなハゼがたくさん見える。これを釣るしかないと、集中したが、針が6号なのでもう一つ針がかりが悪い。ちゃんと準備すれば5号針で結構いけたろうにと悔やみつつも、懸命につり上げる型は5センチ程度が大方で、10センチがちょぼちょぼ。


 10時過ぎになって雨がやんできたころに、釣り人が何人かやってきた。港の足場のよい高い位置は、干潮になったら水がなくなって、釣りにはならない。歩き回らない「えんこ」づりのお二人ができなくなったころには、次回のためにと場所をあちこち変えてみた己も釣れなくなっていた。少し早いけどどこに行っても、竿がだせないだろうとあきらめて、帰ることにした。


爪楊枝が大きく見える!63尾




増税を公共事業にと臆面なく要求するか?


 消費税が増税になるのを見込んで、公共事業へ資金投入を要求する。参議院での審議が始まったところなのに、増税可能と読むや、公明党も自民党も公共事業に100兆円とか200兆円とかを投入しろと、あけすけに要求。やっぱり、消費税増税で「社会保障充実」という化けの皮が剥がれる。自民党が政権取っていた時代と同じことを求めていると思っているとしたら、時代錯誤。そんなことを言っていて支持率があがるはずはない。






2012年7月21日土曜日

軍艦と釣り舟並走キスの釣り   緑水

 つりの名人の句をいただきました。この釣りに私は参加しませんでしたが、光景が目に浮かびます。東京湾の風物詩で、誰もが楽しめる、ハゼ釣りの次に楽しめるつり。つい最近までは、木更津の小さな港近くでは、ハゼに交じって「陸っぱり=オカッパリ」(死語ですかぁー字が出ません)で釣れたこともあります。「オカッパリ」とは、陸から立ちこんで釣ることです。

 日本海側では今でも5メートル竿があれば釣れます。その強烈な引きには、「なんだこの引き方は」と思わせるものがあります。東京湾じゃ今は船で出ていく以外にありません。しかもちょっと遠くへ。せっかく出かけた海原に無粋な軍艦。「日本を守る」のだと言っている。しかしねぇ、守るったって東京湾じゃぁ埋立で稚魚が育つ場はほとんどなくなっているわけで、「マコガレイ釣り」などという冬の風物詩も消えましたね。無粋な輩に「生命、財産」を守っているといわれても、釣りも文化も消失のみじゃぁ守ってることにはなりません。

 このキスつり場面写真撮ろうと思ってみた。無論夢想ですが。
 カメラは海原で、キス釣りを目いっぱい楽しもうかという釣り船を、当然ながらメインに据える。後景に軍艦を配する。この軍艦は、ボカす。携帯でないカメラは「ボカす」ことにポイントを置く。ここが携帯カメラとの違い。平和の下で安心して(放射能は心配!)釣りを楽しむ。これが絶対だから。米軍や自衛隊は「後景」だから皆幸せなので、表に出てきては「戦前」より悪くなる。

 しかし今はそれにとどまらない一歩先を要求している。安保体制への言及も始まった。沖縄県知事、山口県知事も「オスプレイ」配備では「安保条約について」表明するところまできた。いまのうちに思い出しておこう、安保条約10条「…もっとも、この条約が十年間効力を存続した後は、いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後一年で終了する。」





2012年7月20日金曜日

西と東と日本列島が揺れる


 西の市長さん6年前の不倫報道、どうどうと否定もせず「潔さ?」をウリですかね。昨今の閣僚なら、首は間違いないでしょう。でも、「人気があると」まだマスコミが持ち上げているから、凌げるまでの時間稼ぎというところ。

 しかしご本人は、民主、自民、公明党などが、エールをだして風見鶏ふうのお付き合いだから、その上をいっているつもりでしょう。それもヒットラー風の。それなら、よけい政治的にはお引き取り願うのが妥当。市民の批判はあるということは言明して分かっていらっしゃるようなので。

 東では石原都知事さんが、体調不良でオリンピックへの招致行脚を取りやめたとか。とりあえず、ファーストクラスの「旅行代金」経費は使わないということになるのか。であっても税の浪費は大きい。知事本局を中心に大掛かりな招致体制だから。さて人件費はいかほどになるのか。

 西と東で自然界が荒れたあとに、同時に起こるなんて、妙なこと。そして今日は雨の中の脱原発官邸包囲デモに鳩山前首相が。その是非はともかく、風向きが変わってきたことは違いない。
日本列島30か所で脱原発のでもがあったという集計もある。


メルトダウンブルース音頭ができたそうで、出所は四万十のデモとのこと。

2012年7月19日木曜日

「宅男」「宅女」は「パソコンお宅」だって

 中国の国語辞典での改定で加わった言葉。横文字を散りばめる日本語と違って、なにかわかり易い気もする。その「宅男」でいろいろ情報を見ていた。


 毎週金曜日は首相官邸前の脱原発集会で、参加者がうなぎ昇り。主催者発表で15万までになった。歩道では間に合わないという状況になってきたという。


 それを計算したわけではないだろうが、28日(土)に中野区内を巡る「脱原発中野も」のパレードが準備されていた。5月から着々と準備されていて、ブラバン隊、歌声隊、コスプレ隊など楽しそうなパレードになるようだ。


 これもツイッターとホームページ、フェイスブックが情報伝達の手段になっている。だから、首相官邸前の集会後の「デモ割」(=飲み屋さんの割引)を、中野でもやることになっていて、グーグルの地図でその店の場所もわかるということになっている。(うれしいことだ・本音あり)。


 野田総理殿、大飯原発再稼働のツケはおおきいですよ。


「脱原発中野も」ホームページ

2012年7月18日水曜日

17万人集まった「さようなら原発10万人集会」の大きさ


 朝日新聞は「警察発表で75千人を数えたがあとは未集計」などと書いたりした。主催者発表と警察発表を「根拠」にしないで、独自に数えたらいかがなものか。ある部分では警察はかなり信用しきれないというところもある。

 マスコミの使命としては、独自集計で発表するのも必要なことと思う。選挙の開票速報は独自集計でやってますよね。もっとも、あんなに集まったのを見たことはまずないだろうから、数えることもできないか。先輩方の出番ですよこういうときは。


 FaceBookやツイッターの交流サイトで、いろいろな情報を見た。「ストップ・脱・さようなら・なくせ、原発」の行動に、持ち寄られたものは非常にひろい分野のものが結集しているようだった。



 若者のラップ≪=メロディをあまり必要とせず、似た言葉や語尾が同じ言葉を繰り返す、韻を踏むのが特徴的(ライム)で、口語に近い抑揚をつけて発声する唱法。曲の拍感覚に合わせる方法(オン・ビート)と合わせない方法(オフ・ビート)がある≫は、原発を日本がアメリカの意図に乗って…と謳いあげたし、原発を告発する素晴らしい写真も目にした。両方ともFaceBookでは共有させてもらった。


 集会当日の武藤さんの静かな口調でも、心にしみこんで揺すぶった話にはまいった。こんなにたくさんの分野からもちよられた力は、「何かの音」などでない。何かが起きていく前兆と言うほうがふさわしい気がしてきた。



2012年7月17日火曜日

民主主義って難しいけどお付き合いしないとと思って

 原発意見聴取会で「電力会社関係者」がちゃんと出席しているという報道。抽選だから不正はないというが、問題になったら不正はないのに「改善する」ということ、これもおかしなことだ。民主主義とは日本の政治には「ないに等しい」ことと見える。


 そう思えば「自由」だの「民主」だのという文言を使って、実はそれとは中身の違う政党がずっと存在しているというのも、そういうことかと思う。民主主義がなんたるかは、わかりにくいし、なかなか我々の身に付きにくいことだと、日ごろ思う。多数決というものだけの「利用法」では魅力は語れない。


 情報の共有というのも民主主義がないといけないのだろう。プラスの情報もマイナスの情報も共有できなくては共通の土台に着けない。原発利用をどれだけにするかの論議を、数か月で結論を出すこととしているが、それを聞いたドイツの人は「我々は5年かけて」論議してきたと批判したという。


 民主主義が時の権力者にとって都合よくつかわれるのでは、多くが望むことが通らず、世の発展とはならないものだろう。小選挙区中心の選挙制度が、圧倒的な死票を生み出しているから、皆の意に沿わない民意のねじれがいつまでたっても治らないということになる。まったくもって議会制民主主義に反する。


 アラブの嵐で役立ったツイッターやフェイスブックは民主化闘争の手段となった。と聞いて、登録して参加してみた「Facebook」に、昨日の「さようなら原発10万人集会」の写真集を載せてみた。圧倒的な民意を集めたと確信をもった集会を、たとえちょっぴりでも伝えたいし、共有したい。


FaceBook

 Facebookの「友達になる」ための通知を、手広く発信してしまった。ご迷惑の向きもあったかもしれない。複数の友人から、「なんだかわからない」と連絡があった。でも私を知る人は「私が危ないもの」とは思わないでしょうから、アクセスしても大丈夫。(写真をクリックすると拡大しますが、その写真をクリックすると次の写真に展開します。都合28枚。)



2012年7月16日月曜日

さよなら原発10万人集会、すごい人並み


 つりの会の仲間と一緒に、代々木の集会に参加した。11時過ぎに会場にはいったときには。まだ日陰を選んで座る場所を確保できていたが、12時を回るころには会場があふれ出して、競技場の外回りはもちろん、道路までが集会場となっていた。

 とても暑い中でも、呼びかけ人の方々は心からの訴えと呼びかけをして、暑さなにするものぞとの、力のこもった話だった。

 会の20人がデモに参加して「原発はやめろ」の声を、「現職」の方々と一緒に訴えて行進しました。17万人が結集とのことだったが、ヘリコプターも4機ほど飛び、空から現認できただろうから明日はどのような記事になるか。

  帰りに寄った「デモ割」はなかったが、好意的に早く受け入れてくれた飲み屋さんで、会の運営のあれこれの情報交換やら将来の話やらが交流されて、これも有意義だった。原発効果としていただいておきましょうか。



午前中はまだ空きがあった
瀬戸内寂聴さん参加 撮り損ねた!

2012年7月15日日曜日

さようなら原発10万人集会は一面トップでお願いします

 朝日の天声人語に、首相官邸前の金曜集会について書かれている。日米安保改定の時との違いなどを。


 いわく「300人で始まったものが万単位になっている」「750万筆の署名に、政府は再稼働で応じた。声が届かないなら、届く大きさにするしかない」「代々木公園で明日、大江健三郎さんや瀬戸内寂聴さんがよびかけた<「さようなら原発10万人集会>がある。…アジサイの季節に広がった運動が大輪に育つかどうかの山場でもある」と。


 やっとこれだけのことを。マスコミなら、300人で始まったときから書いてもおかしくない。朝日新聞が「反?脱?…原発」に身を置いたとも聞いたが、それなら、もっと正面から記事としてかいたらどうなのか。


 750万もの署名が集まったならどうしてその価値と大きさを伝えないのか。<声が届かないなら届く大きさに…>に至ってはあきれ返った。まるで他人事だ。届かない大きな原因は新聞やテレビがこれまで伝えてこなかったからだとは、素人でもわかる。


 テレビ各社、新聞社が取材に来ているのに報道されないという事実は隠せない。<大輪に育つかどうかの山場だ>とまで言ったんだから、16日の「さよなら原発10万人集会」は一面トップでしょうね?

2012年7月14日土曜日

立野ダムは洪水時にあてになるか?


熊本市の白川が氾濫した日に川を見て回り、「洪水についての見解」をまとめた緒方紀郎さん。白川流域の河川改修が進んでいないこと。立野ダムが洪水時に当てにならないことを明らかにしました。

立野ダム計画の問題点の映像(27分)(2012115日)

当日のニュース
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NHKニュース( NEWS WEB)
熊本 白川流域全域に避難指示
712 1027
大雨の影響で、熊本市は午前9時20分、市内を流れる白川が氾濫危険水位を超えているとして市内の白川流域周辺に住むすべての世帯を対象に避難指示を出しています。
59年前に大水害
白川は、阿蘇地方から熊本市の中心部へと流れる一級河川で、いまから59年前の昭和28年6月26日に梅雨末期の大雨で氾濫し、熊本市などで死者・行方不明者が400人以上に上ったほか、流域の広い範囲の住宅などで浸水の被害があり、「白川大水害」と呼ばれる大きな災害が起きています。
また、白川では昭和55年と平成2年にも大雨や台風で増水し流域で被害が出ています。
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この活力に尊敬です!情報は川辺川メーリングリストから。



2012年7月13日金曜日

除染技術を開発した水処理メーカーが「原子力利益共同体」から妨害を受けた


 オゾンの酸化力で建物や道路、土壌に吸着したセシウムを剥がすという技術を開発し、複数の学校や商店街から要請があるのに、機構の妨害によって活用できない状態になっているという。

 この会社の前社長が機構を相手にして謝罪と損害賠償を求める訴訟を起こした。機構は、内閣府の委託でやった実証実験で、「最終段階で中止、除染効果は低い、コストが高い」とし、メールや文書で当会社の役員にはたらきかけて、社長解任させた。

 また、原子力機構の実務責任者が、新技術を機構やゼネコン、東京電力などと連携して研究するようにとメールで「アドバイス」までしたということだ。

 そういえば、東京都が受け入れたガレキ処理の事業者は東京電力関係会社だった。滑って転んでも、東電やゼネコンが設ける仕組みが出来上がっているというわけだ。

2012年7月12日木曜日

クラゲごときに惑わされるな

と経済産業省副大臣が関西電力に対策を指示したとか。自然は甘く見ることはできないのはわかっているだろうに。いや、もっともわかっていても再稼働するのだから、わかっていないのと同じこと。


 保安院が「クラゲ来襲」と発表しているところをみると、もう言葉の使いようもまともでなくなっている。官邸前の抗議デモの声を「音」としか表現できないのも。取水口に詰まったクラゲを取りだすための間は、出力をダウンさせなくてならない。


 地震がこなかったとしても、使用済み核燃料の廃棄方法、廃棄場所も含めて、安全は「想定」できない。原発の稼働を止めることが一番の道。クラゲごときにと思っても、取水口に入り込むクラゲは事前には排除できない。


 電力会社の傘の中に野合する政治家、大企業の心配ばかりする輩をクラゲは笑っているのではないか。まさかクラゲを取り除く費用まで電気料金に入り込ませるようなことはないでしょうね。

2012年7月10日火曜日

水産庁の水産物放射性物質汚染調査の結果は


 7.6にまとめられた、水産物放射性物質の汚染調査結果は、福島県沖や福島、栃木県の内陸部の魚にも濃度の高いセシウムが検出されている。北浦や印旛沼などの沼地の魚種に高い傾向もある。特異なのは宮城県沖(東松島市浜市沖)のクロダイに3300ベクレルもの値が出て、この理由を解明したいところだ。


単位はBq/Kg






2012年7月9日月曜日

釣りを続けるためにやること


 仙人が留守の間にまた転んだらしい。歳を取るとこういうことが多くなるんだなと、いとこが言う。身体のあちこちの機能が低下してと、頭ではわかっていても怪我をする。完全に防げないとしても、気をつけてもらう以外はない。自分もだんだん他人事ではなくなる。

 痛みが幾分かはやわらいできているらしいから、明日は医者に行けそうだ。そういう己も怪我こそなかったが、釣り場での藪こぎでは急坂を上下してよく転んだ。足が上がらなくなって笹竹に足を取られた。転んだ先に倒木のとがった枝が出ていたこともあった。

 疲れが残っているのは当たり前。しかし、釣りも単独ではこんなことは適わない。釣り場の選択や、昼食の支度、交替の運転…と、協働の力とはこういうことなのかも知れない。釣れたという満足感が残ればこの上ない喜びになる。そしてまた行こうとの意欲が湧いて残る。

 この間メールの連絡でいくつかやることができた。とりあえずHPの更新をした。釣りの会として、7月16日の「さようなら原発10万人集会」に参加しようと、取り組みを始めている。ここ3回の放射能測定調査で、魚の汚染状態を測定した。一部には高いものもある。安心して釣りができる海、山でないと楽しむことはできない。


 3
回目に調査した手長エビ、イサキ、シロギス、ハゼは低い値だったが、汚染がどう変化していくのか注目だ。→放射能測定結果

2012年7月8日日曜日

イワナより、ミズもみやげに


 最終日はUさんが、午後には帰るので近めの渓流を選択して、春先に開発した沢で、入りやすそうなところを選んだ。そこも沢に入るのには藪こぎをしなければならない。

 沢の流水は一度増えたようだが、今は通常の量に戻っている様子。春先と違って、安定している沢に、イワナの反応は少なかった。代わりに、ミズが勢いよく成長して、「美味しそうな」姿態を見せていた。

 前回の釣りの時も、採って漬け物にしたが、今回は大きく成長した上に、生えている場所も増えていた。反応の悪いイワナよりミズ採りに変更して、根元が赤いものを、束ねて採った。

 Uさんも、宿泊所の部屋の冷凍庫を占拠したイワナに加えて、ミズがみやげに加わった。今日の天気は一転して晴れ上がり、気温が上昇したので、イワナの反応が悪いのはうなずけた。

 それでも、アタリを取れない場合も複数あったから、イワナがいないわけではない。最後に良型を一尾あげた。今回の釣行は二人の合計で60尾になった。これまででは一番多かった。自然がその形を残している場所で、渓流魚にまた出会えるのは嬉しいことだ。いつまでもこういう状況が続いて欲しい。

2012年7月7日土曜日

天気が味方してでは、腕前が関係なし?


 同行のUさん。今回の釣行は随分釣っている。早朝はかなり雨が降っていた。今日の天気は昨日よりも雨の確率が高かった。しかし、朝からの晴れ間が曇りはしたものの、一日雨が降らずに過ごせた。

 午前中は葛根田支流の有根沢。この2.3年まあまあの釣果だったので、釣り場に決めた。土曜日なので、他の釣り人が入る可能性があったが、岩手の釣り場では自身欠かせない場所なので、様子は見てみたい気持ちもあった。

 今回の釣行がいつもより時期が遅かったのもあって、草木がかなり伸びてはいるが、この渓流は幅が広いのでそれが気にはならない。竿を出すところ、調子よく釣れて、ここぞと思うところでは必ず反応があった。こんなことも珍しい。

 二日前の初日には大雨に振られて、難儀はしたがやっぱり反応は良かった。昨日の秋田の沢もイワナはよく出てきたので、この雨の影響がでたものと思われた。

 三日目の今日は、朝から昼ちょっと過ぎまでに二人で29尾のイワナが釣れたから、結構な釣り具合だった。しかし釣れたほうにしてみれば、腕前で釣ったと思うのだが、「もし」雨がなかったら多分そうはいかないだろうと思う。

 ここ三日間の釣れ具合は、これまでに経験したことのない結果だけど雨の影響がとUさんに言うと、いささか釈然としないようだった。釣り始めの流れは相当濁っていたけれども、終了時にはもとの透きとおった渓流に戻っていた。最後に釣れたイワナはとってもきれいだった。


昼食後は、これも昔釣った沢に行ってみた。小さな沢で水量も少なかったものの、Uさんは4尾を釣った。

 早めに釣りを切り上げて、宿から7分歩いて入った野天風呂。なかなか良かった。



2012年7月6日金曜日

雨ならチャンスでイワナ湧きだす


 出がけは晴れていて、天気予報が外れることを念じながら、秋田の生保内に向かう。46号線のトンネルを超えて、すぐに左に折れると生保内川の上流に向かうことになる。

 降りてすぐの沢で、短時間にイワナを結構釣った記憶があった。それを頼りに、今日の釣り場と決めたが、川の様子を見ると本流の流れもなかなか良い水色をしている。川のすぐそばに車を止めて川に近づくと、80歳ほどの老人が長い杖をもって川を眺めていた。

 袖すり合うも多少の縁と、挨拶して「魚釣れますかね」と声をかけると、「ここいらへんじゃあ釣れないよ」と返事が返ってきた。話しているうちに、かのご老人結構釣りに詳しい人だとわかった。昔はよく釣れたとのことで、カジカも昔はずいぶん釣ったとのことだった。


 それから雨に追いかけらながら、やっと見つけた屋敷沢。二人で12尾。良い型も交じって喜んだが、雨が降らなかったことを考えるとずいぶん助けられた感じだった。雨でやや増水、笹濁りという条件がなかったら、釣果はどうだったろうか。場所を変えて釣ったところでは二人でイワナ3ヤマメ4尾だった。

2012年7月5日木曜日

大雨の中でも、渓流釣りに挑戦


 天気予報がよくない中、Hさんが盛岡へ着いた。車で迎えに行って、ぱらつく雨の中を、雫石川に合流する荒沢に行ってみる。ここは何回か行っているところだが、一時釣れない結果が多かった。昨年は釣れ具合がよかったので、第一の釣り場とした。
 
 釣り場に向かう途中から本ぶりの雨になって、着替えをどうするか、雨に濡れながら着替えるのもいやだなと話していた。林道に入ってから、炭焼きの小屋があって、小屋の屋根を利用さしてもらうことにした。すっかり着替えで上流へ。

 しかし、林道から沢に降りるには相当藪こぎをしなくては行かれそうもない。車をおりて少し下ってから、思いきって下った。沢は雨の量に比べてそんなに水量は増えていなかった。二人で釣り始めて、都合7尾をあげたところで、雨脚が強くなってきた。濁りも入ってきたし、身体はびしょぬれで体温が下がってきたので、止めることにした。

 釣っていたのは正味一時間ほど。釣り竿をたたんで、林道目指して上り始めたが、熊笹の中を歩くのが一苦労。急な斜面を必死に上ることになった。足が上がらなくなって転んだり、笹に押し戻されたりと、なかなか林道に出られなかった。息が上がってほうほうの体で林道にでた。大雨の中のイワナ釣り、貴重な体験をした日だった。疲れたぶんだけ、ビールはうまかった。

2012年7月4日水曜日

東電社員の年収、また3割削減で電力料金値上げ?


 一般家庭の電気料金値上げで、賃金を3割圧縮して値上げ幅を削減することで決着させようという政府の対応。一般社員はすでに2割の削減をされている。そのうえでのカットとなるが、ほんとうにそれでいいのだろうか。
 
 マスコミは「批判が強い」といっているけれども、マスコミが書くからそういう意見がでてくるということもある。これまでは、学校を卒業したら、就業はなるべく条件の良いところ、ということが「至上命題」だった。今後もそれはかわらないだろう。企業間の競争による格差は、これが競争状態にあることで人材を確保してきたはずだ。

 それがいいこととかどうかはさておくとしても、東電で働く一般の社員は、原発稼働を率先して進めてきたわけではない。「業務」として進めてきたわけだ。企業目的や社会的な責任は、そこで働く者が負わなくてはいけないことか。唯一責任があるとすれば、「原発の稼働は危険だ」という意見をどこかの場で表明することくらいだろうか。

 しかしそれは社員として表明する自由はない。日本ではそんなことは非常に難しい。賃金を5割削減された社員の生活は成り立つのだろうか。結婚前の若者は?子供が小さい家庭を持つ社員は?住宅ローンを払っている社員は?

 東電社員の賃金が大きく削減され、東電料金の値上げがそれによって成り立ち、原発が再稼働?そんな馬鹿な!

スペイン旅の写真のまとめがこの間出来上がった。「スペインの旅8 どこでも音楽が聞こえる」が最終のページになったが、今日YouTubeで面白いものを見つけた。どこでも音楽が聞こえるという趣旨に合った映像だった。



2012年7月3日火曜日

お別れは辛いが、皆と会えて


 叔父の葬式。親戚が顔を合わせて、互いの近況を伝えあう「葬式外交」のようになる。病気で調子を崩した話しが多い。良く聞く病名、症状をこの場でも聞いて、多いことを実感させられる。顔を合わせて無事を確かめられるのが幸いのよう。就活で苦労している若者もいた。

 中年も少々いるが、高齢者が多い中で若者の顔が見えるのがなんとなく嬉しい。新庄市までの往復400キロくらいを二人で運転したが、疲れた。10年前は東京から岩手山麓までの600キロほどを運転していたのだが、もう及びも付かない。

 仙人が腰を痛めていたから、行かれるかどうか心配した。幸い痛みが薄らいでいるというので、弟の別れに参加することができた。仙人も兄弟がすべていなくなってしまった。

2012年7月2日月曜日

山に雲がかかっても、雨がさほど降らない日


 歯医者治療のつきそいで、盛岡市郊外の新住宅地まで行った。待っている間、ウォーキングをと歩き始める。つい川が気になって、橋から川伝いに歩いてみた。小さな川ながら、水量から見て、魚が棲めるなと思えた。

 小砂利が底にあって、ちょっと変化が少ない気もした。でも川の造りは、「都会」と同じように排水溝としての作り方のようだ。脇から流れ込んでいる支流のほうも水量は確かにあるが、直立した壁で流れを囲んでいる。本流のも、見栄えは川をきれいに見せるように気を使っているようだが、川に降りて流れと触れあえるようには作っていない。

 出雲に行ったとき、同じように流れている川があった。川は昔(相当昔)は生活にとって必要で大事なものだったから、川沿いには、どこからも川に降りていく階段が作られていた。その古めかしい階段が気になって何箇所か見て回ったが、川と見事に融合していた。

 今日見たところは違っている。川と生活が対立関係になっているように思えた。その上、川を渡る道路の橋には「名前」がなかった。新興住宅地にとって、川が、必要のないただ水を流すものだけになっている。金をかけて、護岸を整備したのだろうから、生活の場と川との融合にもうちょっと工夫があっていいのではないか。

 などと、余計なことを考えながら歩いていたら、治療が終わったとの携帯電話がかかってきた。



2012年7月1日日曜日

9日ぶりに山麓を下りて

 親族の不幸があって、3時間ちょっとかけて、車で先方にでかける。高齢に属するので、半ばそうかという気分もある。4月に癌の診断を受けてのことで、短い間の変容だった。東京と地域的には離れていたので、これまでそう多くは交流がなかった。優しい人だったという、子供のころの印象のままだった。職人肌で自分の家を建てたほどの人だった。