2013年4月30日火曜日

千葉県、旅の記録7 白浜フラワーパーク

 花はなんでも美しい。名前も知らないものが多いが、写真を撮るのが楽なので、ついつい撮ってしまう。ただ花だけ撮るのでは「差別化」がされないが、花の咲いている場所を入れ込めば、その場所の雰囲気がわかる。

 時間があるなら、三脚も使ってきちんとやれば、ピントがちゃんと合ったものが撮れる。スナップ模様ではそうもいかないから、複数枚とっておいて、後で取捨選択とする。一眼レフの記録カードが一杯になったので、コンパクトのカメラに換えて使ったが、液晶画面は、明るいときには見えない。だから、これも複数枚撮るしかないが、成功率が低い。

 カステラを買った工房の前に鯉のぼりが、ちょうど風具合にあって、格好よく泳いでいた。じき5月になる。










2013年4月29日月曜日

千葉県、旅の記録6 鯛の浦の遊覧船と鴨川の千枚田


 鯛の浦で鯛を見てもな、と思いながら観光船にのって餌付けされた魚を見る。天然の魚?になっているのかどうかはわからないが、餌付けされている鯛を見ようという心理が湧くのが面白い。

 日蓮上人の化身として信じられている鯛は、地元の漁師はずっと漁をしていない。それどころか、毎月誕生寺で法要しているというから、信心深さには驚きだ。昭和10年ころに「冷たい潮」で死んで、打ち上げられた鯛を葬式したのが始まりだそうだ。昭和42年に史蹟名勝特別天然記念物「鯛の浦のたい」と指定された。誤って獲ってしまったときも、鯛塚で供養してきたという。漁業としてはやっていないということだ。

 鯛が育つ環境を保全する意味合いがあるのかと想像していたが、そんなことではなかった。してみると、帰りに買った「鯛のひらき」は、どこかから仕入れて持ってきたものになるな。物はハナ鯛のようだったが。真鯛でなくてハナ鯛なら…などということもありそうなことだ。

 鴨川にある千枚田は、話に聞いていただけので、一度訪れたいものと思っていた。よくあるオーナー制度で、水田を守っているという。千葉県内を巡ってきたときに、見えた水田では田植えをしているところもあった。ちょうど稲作の仕事が始まったときだ。


 ここでは水が入っていた。人気は見えないが、上の方でホースから田に水を流し込んでいた。水田のつくりはゆるいカーブを描いているつくりになっている。優しい曲線に囲まれた田んぼで、田植えが終わって稲が立ち上がったら綺麗だろう。すでに新緑の木立が見えていた。


誕生寺






鴨川の棚田






2013年4月28日日曜日

千葉県、旅の記録5 勝浦の朝

 前夜は3次会まであって、シッカリ飲んだら朝は少しばかり疲れ気味。でもバスの旅だから、寝ていけばいい。気合を入れてカメラ片手に表に出る。

 5時過ぎに目が覚めたときはすでに明るい。港に行くと、漁師さんがもう働いている。一仕事すんだところなのか、寄り集まって話し込んでいる人もいる。海側の波止めに、釣りをしている人が何人も見える。休日でないのになと、自分のことを忘れて思う。たとえ少額でも「消費拡大」に貢献しているわけだから、人にとやかく言われることはない。









2013年4月27日土曜日

千葉県、旅の記録4 月の沙漠をあるばると

 御宿の「月の《沙漠》公園」には、エラく勉強させられた。「ツキノサバクヲ ハルバルト…」の作詞家が住んでいたということから公園を造ったということなのだが、砂浜の看板に「沙漠」の文字があり、サンズイじゃないのと気が付いた人がいた。間違うはずがないよとの結論になったが、通常「サバク」とは「砂漠」だと、誰もが思っていた。

 ラクダの像から戻ると、近辺の看板には「沙漠」という文字があるから、間違いではなさそうだ。「沙」には「すなはま」の意味があり、海岸の砂がみずみずしいというところから使ったと、作詞者加藤まさをが説明しているとか。

 王子様とお冷え様が飛びだすこの歌が、異国情緒を感じさせるものだから違和感を持つところもあったが、これなら日本の風土に近づいてきた。講談社発行の雑誌「少女倶楽部」大正123月に発表した詩と挿画。佐々木すぐるがこれに作曲したとウィキペディアにあった。






2013年4月26日金曜日

千葉県、旅の記録3 成田山では坊さんの研修に会う

 成田山新勝寺では、「火渡り修行」の研修会に出くわした。パタパタと支度をすると見るや、ほら貝の音色の後に、偉そうな坊さん(注、下世話のエラそうでなく、格式の高そうな坊さん)が出てくるという時にぶつかった。火を焚いてそのあとに、火渡りの修行研修をしようということなのだろう。炊いた後には、集合時間が近づいて退散することになったので、全貌を見ることはできなかった。






ユーチューブから2010.5.28 成田山「火渡り修行」3
















http://youtu.be/gJiu5xYoQ-E



2013年4月25日木曜日

千葉県、旅記録2 隅田川水上バスから


 水上バスは、船の後ろ部分が抜けていて、窓がないから撮影位置になった。後ろ向きとは、スカイタワーが始終目に入るので、もっぱらタワー撮影に。

 川沿いに、美しいとは言えないビルの群像が続く。人が住み仕事をする場が、小さな閉ざされた空間で、汗水たらして働ていたり、生活しているのかと思うとやるせない思いがする。そんな風に思うとその塊が墓のように見える。(住んでいる人ごめんなさい。個人的思いです)


 河畔に、体操する人が見みえる。ホームレスのブルーシートの点在を見ると、人気を感じて、ほっとする。あとはどこへ行くのか、車とトラックの行き交う高速道路が見えるだけの景色。ホームレスの釣り好きは、隅田川でヒネハゼを釣るそうだと話すと、皆びっくりした顔をする。釣り人は自然人であることを知らないな。

定番の景色





 東京タワーも




2013年4月24日水曜日

退職者会の千葉の旅

 浅草寺、隅田川の水上バスから勝浦、誕生寺、鯛の浦、白浜フラワーパークと巡り歩いた退職者会のバス旅行。サロンがついているので、宴会をしながらの不謹慎かつうれしい旅。天気も良い谷間に入っていたし、カメラ撮影の対象にも恵まれた。勝浦港には朝市があるので、コースに入っているものと思ったら、違っていた。早朝には港の方に行って港の様子をカメラに収めた。しまった。堪能できた撮影の何枚かをアップ。


 浅草寺は朝方と言うこともあってまだ、人家は少なかった。入り口の名所では、観光客がひっきりなしにカメラを構えていた。中国人と思しき若者が、おもしろいポーズで撮っていた。お参りする人も外国語が飛び交っている。中国、韓国などの人が多いのだろう。国会議員168人が、靖国神社に参拝したということだが、「外交問題になるのがおかしい」という連中が、大手をふるうようでは、観光客も途絶えることにならないか。










我が田舎から、わらじの奉賛で、思わず一枚







2013年4月22日月曜日

千葉へバスの旅

 退職会の旅。浅草寺に寄って、船で隅田川から、川下り。川からの眺めは、面白い。天気が良くて、河畔の様子がよく見える。やっぱりビル群が目立つ。スカイタワーは、浅草側からは、逆光で撮影不可能。船からはずっと見え隠れしている。大分撮ったが、少し遠いか。成田山は、坊さんの研修の場に遭遇した。火を炊いて、燃やしたあと、<火渡り>をすると思われた。集合時間が間近で、見届けることができなかった。ここで撮影枚数がふえた。勝浦のホテルで、宴会。二次会まで付き合って、久し振りのカラオケ。部屋でまた続きを楽しんだ。11時だから、健康な終わり方だった。浜の波の音を聞きながら、穏やかに寝られそう。
〓携帯電話から

2013年4月21日日曜日

アド街ック天国で中野北口界隈を紹介したけど


 「アド街ック天国」で、中野北口界隈の紹介をした。出演者の中に中野に住んでいたことのある芸能人が結構いた。そういう出演者を集めたのかもしれないが、「下積み時代」を暮したときの出来事や思い出を話している芸能人もいた。

 中野警察学校(もっと言えば陸軍中野学校の跡地。諜報や防諜、宣伝などスパイをする訓練をしたところ)の跡地に帝京平成大学、明治大学のキャンパスが開講する。大学の中を放映したが、ホテル並みのロビーが広々として、大学のイメージからは想像できない様子だった。

 「1945年(昭和20年)1月に中野学校に入校した第8期生150名のうち、90%以上は一般大学や高等専門学校の出身者で、東京帝国大学出身者が最も多く、次いで拓殖大学、東京外事専門学校、そして早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学等が続いた。一般大学出身者から数多く選抜された理由は、諜報員として幅広く高い学識と冷静な視点が求められていたためである。(ウィキペディア)」ということだが、大学との因縁かつながりかが、浮き出てきたような妙な感じがする。まったく根拠はないが。

 中野駅に隣接して囲町公園があった。ここではトランペットの練習や、沖縄の演舞、空手の練習など、夜になると賑やかになっていて、なにかほっとしてうれしくなったものだった。先の芸能人もちゃらけてこの公園を話題にしていたが、中野北口界隈から育った文化もあっただろう。新大学に通り抜ける場所として、無くしてしまったのは残念だ。


 中野の町は基本的には居住地として歴史を重ねてきたところだ。大それたことは言えないが、町の在り方としていいのかなと思う。2万人の学生が増えることによって、地元はどんな影響を受けていくのだろうか。アドマチではブロードウェイの商店街が魅力の第一としていたが、ここに歩く高齢者も多い。わりと買いやすい商店街だからだろう。身の回りの大概のものは手に入る。2万人の若者が押し寄せたとき、それを対象にした店に改変していったら、町の様子が変わってしまう。




2013年4月20日土曜日

首相の好感度演出するマスコミの役割


 安倍首相のマスコミへの露出度がここのところ目立つ。アベノミクスが日本の経済を立て直すと確信する話はどこからもない。それどころか物価の方が上がり始めるということになっている。ボーナスにイロを付けた大企業もあったが、ほかは騒ぐほどの効果もあがっていない。好感度の印象だけを振りまいて、参議院選挙へなだれ込もうとしているのだろうと、誰しもが思うところだ。

 国民栄誉賞にしても、意外性をねらったわけでもないだろうが、二人同時に受賞したりして、釈然としない思いも少し残った。国民栄誉賞は 「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」との規定に基づいて、民間有識者の意見を聞いて総理大臣が決めることになっている。

 2月に故大鵬幸喜氏が受賞したばかりだが、「新年度予算」で早くも執行したということだ。この顕彰制度を造り、最初に王貞治氏が受賞した時は、福田赳夫首相だったがそのときに、この賞は王選手の偉大さに表彰したものだけれども、落ち目の内閣を浮上させるという効果を考えたのだろうと思った。

 20日は安倍晋三首相主催の「桜を見る会」が、新宿御苑で開かれた。各界の著名人ら約1万2000人が集まった。アイドルグループ「ももいろクローバーZ」のメンバーとポーズを決めて写真撮影に応じるなど終始、上機嫌だったということだ。

 「ももいろクローバーZ」は16日に発表されたオリコン週間アルバムランキング(22日付)で、2枚目のアルバム「5TH DIMENSION」(10日発売)が発売初週で18万枚を売り上げ、初登場首位を獲得したというニュースがある。この勢いにあやかりたいというところだろうか。

 マスコミ幹部と首相との会食が続いて、消費税増税、改憲、TPP参加を煽り、露出度を増やす行為が増えている。政治の監視役であるべき役割を投げ捨てたものだ。批判できないマスメディアが、背かれることになることは疑いない。




2013年4月19日金曜日

生活保護受給者は増える。増えるのは不正受給者のためでない。


歩行困難な肢体不自由者が、自動車を保有していることを理由にして、生活保護を廃止にされた。再度の申請も却下した。この牧方市の廃止処分、却下処分が違法であるとの大阪地裁の判決が出た。
 生活保護の受給者は「215万3642人で、前月より2477人増えて過去最多を更新した」と17日に厚生労働省が発表した。

不正受給をしていることが、増加させている原因と、まことしやかに自民党が国会で攻撃して、受給条件を絞り込んで事実上の制限をしている。しかし減るどころでない過去最高の受給者数になっている。不正に受給をしている人もいないとは言えないが、そう多いはずはない。福祉事務所では受給者の圧縮に向けて、さまざまな「努力」、たとえて言えばノルマもかけているだろう。だから、こうした受給廃止、申請却下が繰り替えされるのだろう。

 215万人超は、ちょうど長野県在住の全員が、生活保護受給者ということになる。それこそオリンピック招致どころでない日本の姿だ。このままいけば、「2020年」にはどこまでいってしまうのか。TPPの影響や消費税の増税によって、これは拍車をかける方向に動くことになるのだろう。「経済の再生」で、その成果が身近に出てくるようには、まず見えない。





2013年4月18日木曜日

写真展を見てまた刺激を受ける

 夜に釣りの会の会議があるので、その前に近しい団体が主催する写真展を見に行った。第9回と言うから比較的歴史は新しい。62点の出品で量的にもボリュームのある展示だった。自分もちょっとかじっている写真だから、興味津々で見て回った。

 なんでもそうだが、腕前の差はある。とは言え見る目にも限界があるから、なんとも言えずいい写真を見て、何がいいか評価できなかったりする。自分の意識外のものに出会うと、立ち止まってうんうん考えてしまう。そこに他人が居れば「どうなんだろう」と聞くこともできるだろうが、どうにもならない。そこを超えていくには自分だけでは足りないのだろうと思う。

 同じ写真を見て、プロがいいと言っているものでも、自分がいいと思わない場合もある。それは自分の見る目がないともいえるが、プロの目でも人が違うと評価が違うこともある。素人でいるうちは怖さが解らない。解ってくると怖さが出てくる。しかし、誰が見てもいいものがある。それ、そういう写真を撮りたいわけだ。それがなかなか捕まえられない。

 花、自然、動物、人、鉄道…誰でも撮っているものでも、撮って抜け出せる作品を造らなければならない。その目標を立てると、きついものだ。才があるのかどうかということも当然あるし、なくてもそれなりの努力なしでは、いい結果は持てない。「絵葉かよ」と講師によく言われたが、絵葉書に終わらない写真を撮りたいものだと思う。自分の感性だって研いでいなければ、しぼんでしまうことになる。しぼむのはもう少し先にしたい。






2013年4月17日水曜日

放射能汚染の影響はどこまで広がっていくのか

 福島で子どもの病死​者数が増加しているという。宮城県や岩手県には起こっていない。放射能汚染と心臓疾患の関係を指摘している人もあり、マウスによる実験でも、放射性セシウム137(Cs-137)が、唾液線(甲状腺の近傍)、心臓、腎臓に多く蓄積するという結果がある。
 
こういう傾向が「絶対的」と言うにはまだ、調査の継続が必要だろうと、一方では思うが、この状況を真摯に調べるという姿勢が国の態度にはなっていないから、ここにも風評が発生する余地が出てくる。

 今日おおい原発差し止めの大阪地裁の不当な判決が出た。関電の言い分を採用した酷いものだ。安全神話にまだどっぷりつかった裁判所の判断を認める人は少ないだろう。
 中野区で放射能や原発問題で活動している「バイバイ放射能@中野」が土壌の放射線測定をすすめている。区内でも100ベクレルを超えるところは多い。
 東京も大丈夫だという環境でない。



溺れた犬は棒で叩け


 日本維新の会が兵庫県伊丹市、宝塚市の市長選挙に公認候補を立てて惨敗した。「退潮傾向」と東京新聞が書いた。まあそうでしょうといいたいところだ。マスメディアがいくら「橋本・石原維新」の露出度に手を貸しても、これまでにの自民党政治のエリアにいる限りは、バレるのは早い。だって、メディアを利用した宣伝に憂き身をやつすだけのことだから。

 早い話が、橋下氏がすすめる政策については、やらないほうがいいという対極にあるから、日を追うごとに、それは解ってくる。選挙結果をアップした、Facebookに「おぼれた犬は棒で叩け」と書き込んだ。酷い言葉かなとMET検索してみたら

 「1926年、魯迅が反革命派が占める北京を逃れ南下するときに述べたといわれる。彼は当時の反革命派を「犬」と呼んで憎んでおり、反革命にそまった「悪人」に対しては情け容赦もかけるべきではない、と言ったのである。」との記述があった。

 革命というワードの評価が定まらないから、軽はずみには言えないが、しかし変革を求めて「飛躍的発展」ということであれば否定されるべきでない。主権者は国民であり住民だから、その多数が今よりの幸福を求めるときに、止めるための手を広げるものは、批判されてもしかたがない。

2013年4月15日月曜日

竿をカメラに変えて花を撮る

 この旅にでかける前にも、地図を眺めて釣り場になるところはないかと目算を立てた。芦ノ湖から流れ出る早川が近くに流れているのがわかったから、釣り竿を持っていこうかと一瞬考えた。

 釣りを始めたころに、早川にはハヤを釣りに何回か来たことがあった。3月の第一週に大平台だったか、解禁になって一週ごとに下流に広がっていった。ヤマメを放流するからそれを目当てにしていた。解禁を間違えて一週早い場所に入ってしまって、開始の花火が遠方から聞こえるのでおかしいと思って、気付いたこともあった。地図の上では広い川幅になっているから、やってみてもいいかなと思ったが、身支度の道具とエサも揃えるとなると大事なので控えた。

 二日目にカメラをぶら下げて早川の方へ行って見た。旅館の仲居さんに場所を教えてもらったので、目当ての方向へ歩くとすぐ川はわかったが、水道施設の敷地が占拠していて、そこを避けて川へ入るのは無理のようだった。それに川は石が沢山転がっていて、歩くには難しい感じがした。よしんば歩けても、移動には時間がかかるだろう。川は温泉が流入しているようで少し汚れていた。流れは立派な渓流だった。5000歩ほどの散歩の間、もっぱらカメラで花をねらった。







2013年4月14日日曜日

パソコンを旅に持っていく

 最近の旅にはノートパソコンを持っていく。宿泊先に紹介して付けるかどうかを聞くが、体験では使えるところは増えているようだ。ホテルの場合は大体備えているようだ。ホテルに備えてあるパソコンを使うのが多いようだが、無線LANWifiを使えるところもある。

 今回は、ホテルのラウンジで備え付けのパソコンもあった。持ち込んで使う場合は有線LANだった。事前に照会するときには、先方の人によっては話が通じにくいこともあった。以前にOKということでノートパソコンを使ったら、接続できなくてやり方を聞いても解らなかったこともある。接続の仕方は一様でないのでその時は自分が、方法を理解していなかったのかもしれない。今回は有線だったが、繋ぎ方はわかっていたのですぐに接続できた。

 SNS交流サイトやメールチェック、ブログの更新と必要なことが可能になる。逆にいえば家でやっていることを旅先でもやっているということ。どういうことはない、せっかくの旅の時間を消耗しているということにもなる。旅も最終日になって、食事後に年寄りを風呂に入れて、自分も最後の楽しみで湯に浸る。風が強くて、露天風呂の扉を閉めてあっても、上の隙間からが風が吹き抜ける。風が強いからどこにも寄らずに帰ろうといいながら、11時前に旅館をでた。



2013年4月13日土曜日

立派な料理とお酒

 ちょっと贅沢な旅は、我が家の一番の楽しみ。普段の生活では、外にも出ることが少なくなった爺婆ちゃん。もう30年以上も続いているが、唯一の楽しみは温泉旅行で年に1、2回の日本経済への貢献になる。今回は箱根だ。

 旅館の身障者の受け入れ態勢は、まだまだのようだ。部屋で介助しながら温泉に入れなければならないとなると、場所も含めて選択肢はすくない。値段も張る。自分だけで行く釣り宿なら、安さに越したことがないのが選択肢になる。回数を稼ぎたいから当然そうなる。だからもったいない温泉旅行だと思うのが本音。春先の残雪がところどころに残る早朝に、渓流釣りをして朝食前に入る温泉は何とも言えない。外気で冷えた体を湯につけると、手先がチンチンと暖まりはじめる。その感じは他に代え難い味わいがある。

 同じ温泉も、豪華な部屋付きとなると幸福感もないわけではないが、なにかが違う。旅館の案内を見たら、有名な酒のメニューと値段が書いてある。酒飲みには旨いと分かっている酒だから、親切な案内だ。でもその値段が実に「いい値だ」。値段を気にして飲むのは面白くない。旅館のすぐ入口にローソンがあるので、そこで酒を買おうと外に出る。庭の山桜が咲いて、真っ赤な椿も見える。写真を撮りながら下の降りていくと、枝垂れ桜が見えたので、他人の庭らしいがちょっとお邪魔する。

 コンビニで買いいれたアルコールを夕食前に口に運びながら、いつもと変わらないと妙な感傷にひたる。間もない夕食時にはビールを一本注文して飲み、無くなったころで「酒」を進められた。もう要らないというほど飲んでいないので、結局高いアルコールを註文することになった。どれをとっても立派な料理に、高いお酒も合わないわけではなかった。



2013年4月12日金曜日

NETでの選挙活動解禁でどうなるだろう


 NETでの選挙が解禁されるということでだが、どんな影響が出てくるのだろう。政党や候補者が発行するメールマガジンに登録をして、そこからの政策や情報をメールと同じように送るというのが一番多いのかもしれない。

 選挙期間中に誰でも自分のWEBサイトを更新して投票を呼び掛けることができる。(これは本名を公開するのだろう)これは当たり前のことだ。本来選挙活動がだれでもできることが他国では普通のことで、「日本はベカラズ選挙選挙」からの脱皮は遅きに失している。活動はメールを使うから、候補者(政党、候補者、)のメールは相手を知っていれば自由に使える。

 大阪の方のツイッターの好きな有名人は、フォロー者が100万人を超えたから、言いたい放題の選挙活動ができることになる。NETでの「論戦」はなかなか難しいことになるのだろうか。FacebookSNS(交流サイト)では賑やかな発言が出てくることになるだろうが、「司会」がいるわけではないから、どれだけ豊富な選挙討論になっていくのかはわからない。

 問題は、企業が「有権者」ではないのに広告活動で選挙に参加できることだ。客の情報を持っている企業が、NETで買い求めた品物の情報など、客の「好み」に区分けした選挙情報を、大量に広報できるとなったらどうなのか。私など、AMAZONJR東日本、ニッポンレンタカーほかから大量の選挙活動に見舞われることになる?としたら、これはやっぱりおかしい。

NET
情報で世の中が動くこともあるから、政治に対する意見を表明できるのは、いいことには違いない。とは言っても、NETにかかわらないパソコン不使用者には無関係なことで、ここは圧倒的に多い。NET世界でない選挙活動と、不公正な選挙制度を改めることが、もっと求められているだろう。高齢者になるほど、NET、パソコンはかかわれないわけだから、NETでの活動が社会の将来像に影響を与えるとしたら、ここでは不公正が広がる。

 自分のかつての職場では、パソコンが導入されたばかりの時代をくぐってきた。恥を忍んで若者からノウハウを仕入れたのが、いまいくらか役に立つ。NET社会と外の世界と、いよいよ影響が広がってきたことは違いない。



2013年4月10日水曜日

悔しさ晴らしにフナつりへ

 昨日は午後から釣りの会の会議。終わってから、一杯飲もうかといつものパターンだったが、先に失礼して家へ帰った。今日のフナつりに行くために、支度をしなければならなかった。31日のフナつり大会ではオデコの憂き目にあったし、中野のF会長も行きたいということだったので、急きょ3人で出かけることにした。

 大会とは違って時間は急がないから、少しゆっくりめで6時に迎えに行くことにしてあった。この時間はすでに明るい。環七が混んでいたので途中はどうかと心配したのは杞憂で、首都高もなんなく通過して東関道から8時少し前には、与田浦の目的の水路に着いた。休日ではないので当然ながら釣り人の姿は見えない。

 釣りの例会で休日以外に実施するのはめったになかったが、例会の出席者も今は多くないので、ここ何回かはやっている。黒須で横に少しずつずれて並んで、始めることにした。会長が、草刈のハサミを持ってきた。長めに使えるように柄の方を長く改造してある。今日の意気込みを感じた。釣り場のヨシを刈り取って、竿が広く振れるようにしてから、会長はいつものように座り込んで釣り開始。

 Mさんは道路に一番に近いところに座を決めた。キジを分けてから、ネリ餌を作る。ちょうど田には水が入れ始めている。そこから水を拝借して、準備完了。天気は悪くはないが、風が少し冷たい。練り餌で始めたが、モヤモヤとした浮子の動きがアタリと確信するまで、時間がかかった。一度当たりが取れると、間違いなくいると後は気が楽になった。

 今年2回目の釣りで、家での支度も段取りよくなってきたものの、釣り場での動きはまだ、すっきりといかない。玉網を前回は家に忘れたが、今回はもってきたのに、そばに置かずに、良い型のフナをばらしてしまった。これではいけないと反省するが、どういうことか10センチ超くらいの型が多くて、そばに置く間もないままになってしまった。

 3カ所目でやったみたが、2カ所目まではまあまあネリでもキジでもアタリがとれた。3カ所目は13時回って頃だった。このころアタリは遠のいてきた。田に入れている水のためか、時々水が動きその時に当たりが出るときもあった。仕掛けを3本消耗した。手前に逃げられて潜られたり、古い仕掛けだったから浮子が切れてしまったりしたが、それだけ違う仕掛けを使ったから、仕掛けの良し悪しもわかってきたのは収穫だった。

 2時になったころ、だいたい上がりの雰囲気になった。10数センチちょっとのサイズが圧倒的で、60%くらい。全部で28尾だった。会長はまあまあの型を8尾。Mさんは残念な結果になってしまった。帰り道も、これといった渋滞もなく4時半には会長宅に着いた。会長が釣ったフナは肥料にするとのこと、私の5尾も加えて持ち帰った。




2013年4月8日月曜日

「60過ぎ」の手習い

 どうやら強風も盛りを過ぎたかと判断して、東京へ帰る時間を午前中にしてネットから新幹線の切符を予約した。いつもそうだが、午前中の時間帯だからか、混んでいるわけでもない。盛岡駅で昼食のパンと飲み物を手に入れて、乗り込んだ。2時過ぎから「読書会」があって、天候の具合によっては間に合わない可能性があったから、一応その旨は伝えていた。

 残りのページ数が半分以上あったが、列車の中で懸命に読んで終了させた。新幹線は、出発時間は問題なかったものの、途中強風のために到着が40分ほど遅れた。それが幸いしていおみ終えたのだから、遅れたことに文句はない。上野で下車して読書会の会場へ向かった。

 最近は世の出来事が、これまでの経験からは判断できないことが増えている。生きている間は、多少なりとも生きゆく我が道も理解をしたいと思っていた。というと格好をつけることになるが、東京にいると様々な出来事と付き合いが増えてくるので、友人の話にのって、よしそれではと、普段は嫌いな本を購入して、自分としては非常に珍しく短時間で読了した。

 最近はNETや交流サイトで、相当の情報がわかるが、やっぱり顔を合わせた「議論」というのはいい。最近なかっただけに充足感を持った。日本の国はどうなっていくのか、特に東日本大震災や、原発事故という歴史に大きな印を残すような出来事があるのに、政治がどうしてこんなありさまになるのか、メディアだけでは捕まえきれないことを、少しだけ解明できたように思う。昔組合運動をしていたころのことを思い出しながら、一杯飲んだのもまたいい交流になった。



2013年4月7日日曜日

春の嵐が通って行った


 昨日、必要な荷物をまとめて、スーツケースに詰めた。結構な量があって中は満杯になった。もうちょっと入れたいものがあったが、別に持っていくことにして宅配便の業者にネットで申し込みをした。夜に取りに来るだろうと見込んでいたが、業者から電話がかかってきて集荷は翌日になるという。荷物の輸送は夜間するとのことで、今日中に集荷しても翌日夜の出発扱いなるらしい。

 朝、集荷に来た業者は、1430頃までの申し込みでないと当日の輸送は間に合わないということだった。今度は気を付けようと話をしながら、ネットで申し込んだ伝票の作成を待っていたら、端末機から配送先と依頼主の情報を印刷して貼っていた。その印刷したワッペンを、受付票全部に張り終えるまで、結構面倒な作業をしていた。

 こちらはパソコンで登録した「依頼主、配送先」を便利だと思って、「作成する」に選択しておいたが、伝票に書き込まなくていもいい便利さが、とても面倒そうなことになっている。今度は手で伝票に書き込んだ方がよさそうだ。伝票は白紙をもらっておけば、事前に書き込んでおける。

 雨の領域は北海道が中心になっているようだ。昨夜はさして雨も降らなかったので、荒れた模様がわからない。ここの岩手山山麓は特異な場所で、いつも「滝沢村の天気予報」と異なっているので、ピンとこない。桜は堅そうな芽が出ているだけだし、まだまだ咲く気配はない。家の周りの林は、枯れた雑草が雪の重さから解放されはしたものの、くたっとなったまま。フキノトウが3つばかり顔を出して、花を開こうかとしているところ。庭先は、何かわからない小さい花が、いくつか咲いているだけの春先だ。





2013年4月6日土曜日

悪天候の前に


 岩手山麓に置いてある道具が、いくつか入用になって、急にでかけることにした。山麓にいる時間が長くなる分だけ、あれこれの荷物が置き離しになっていて、この春の渓流釣りに必要なものを持って帰る必要があった。

 ここ岩手の仙人は落ち着いているので、東京にいる期間が伸びてしまった。傍に着いていなければならないわけでもない状況で、従妹の都合の兼ね合いもあってここはご無沙汰となっていた。

 東京にいると、「仙人候補生活」と違って、生の生活に浸ることになるので、これまでの関わり合いがまた復活になる。特に望んでいるわけでもないが、酒を飲むという機会も当然のごとく増える。家の年寄りも、心臓の働きが60%近くまで回復となって、いわゆる病人というスタイルからは回復を見せている。元気な分だけこちらも、こちらの活動領域を広げることになる。

 朝起きて思い立って、NETで新幹線の申し込みをした。低気圧が東京では午後から翌日にかけてとおり、悪天候になるということなので、今日早めにいくなら、帰りも荒れた期間は避けられそうだと決めて、家を出たが駅につくと、支線ゆえ、電車の数が少なくて、申し込みの時間に間に合わない。やむなく家に戻って、東京発の出発時間を一時間遅らせた。

 岩手山麓はまだ、雨も降らず曇り加減だった。天気予報では相当の悪天候を再三告げていたが、静かな事前に到着してなによりだった。




2013年4月5日金曜日

1ミリシーベルトが国際放射線防護委員会の勧告


 降圧剤がなくなったので、病院にでかけた。晴れ間が出てきたので、布団を干してから家を出る。昨夜は池袋で一杯やって、また釣りの計画ができあがった。友人は那須に別荘をもっていて、その周りの渓流に通っているらしいが、放射能汚染を心配して、遊漁券(年券)は買わないでいる。群馬の方へということで、やっぱりかなり昔に行ったことがる片品川にそそぐ渓流をねらうという話にまとまった。

 放射能汚染の状況をみていると、福島や栃木、奥多摩の川でイワナ、ヤマメ、ハヤなどの測定がされて、100ベクレルという基準からしても、結構な濃度が出てきている。首都圏の水瓶となっている利根川水域でも川底から高濃度のセシウムが測定されて、いよいよ東京湾に入り込む状況になっている。これが今後どうなっていくのか、本当に心配なことだ。

 だいたい、どこにどれくらいという結果がでても、その結果でどうすることもできない。食物はある程度避けることができるにしても、今の気候のように台風並みの風が、どれだけ運んでいるのか、空気中に拡散されているか考えると、あきらめにもちかい感じになる。これまで口から吸いこんだ分が結構あるのだろう。

 病院の帰りに見た測定値は、1時間あたり0.090マイクロシーベルト。年間換算で0.79ミリシーベルト。自然放射線分が毎時0.04とカウントされるから、その2倍の汚染になっている。




2013年4月3日水曜日

絶滅危惧種に効果的な一手がほしい


 2月1日に環境省が野生生物を分類した「レッドリスト」中、汽水・淡水魚類の改訂版を公表した。だいたい5年ごとに改定しているが、汽水・淡水魚はなぜか昨年8月の改定時に外されていた。動植物の絶滅危惧種はこれで合計10分類3,597種となった。

 不漁が続くニホンウナギを絶滅危惧種に指定した。50年前には3000トン前後採れたものが、近年10分の1以下200トンまで落ち込んでいるということで、ウナギの生息環境改善や漁獲抑制などに取り組んでいて、2013年度に18千万の予算も組んでいる。保全対策がとられているので捕獲抑制まではせずに、絶滅危惧1B類で「危険性が高い」部類とした。

 淡水魚の生息環境も例に洩れず、かなりはやい速度で壊れていっているというのは、釣りをやっているものの実感だ。護岸だの堰・ダムなどなんらかの人工の改変によって、従来の河川は生物の多様性が保てるような状況ではなくなっている。だから、魚も繁殖していくことができず、少なくなっていく。

 この日曜日にフナつり大会をした与田浦周辺の、フナの生息環境も「悪化」していると、心配をしながらも、漁協の放流に期待をするだけの状態だが、この地で50年前に魚を獲っていた方の話を見つけた。
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…話は、私が小学生の頃に遡ります。今から55年ほども前のことです。私の母方の実家は千葉県佐原の水郷地帯にあり、夏休みのたびに1ヶ月間ずっと遊びに行っていました。そこで地元のお兄さんたちに連れられて毎日のように魚獲りをしていました。水田脇の水路で四手網に追い込むとバケツが満杯になるほどタナゴが獲れましたし、透明度の高い川面を覗き込むと魚たちの群れが通り過ぎて行くのが見えましたから、それを銛で突いて遊んだものです。当時は魚の種名も知りませんでしたが、今から思えばタナゴ、フナ、コイ、ウグイ、オイカワ、モツゴ、ナマズなどが獲れていたように思います。とにかく50年前には魚の数は極めて多かったことを覚えています。…

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BB防除ネットワークの小林さんだった。

 絶滅危惧種に指定して、目に見えるような手を、環境省なりが打っていただくのはよろしいことと思うけれども、ウナギが日本の食になじんだ食材だから、金を使うというだけではなくて、生態系の復活にむけた対策がもっと欲しいし、いま必要なのではないのだろうか。外来魚の攪乱も含めて、水辺は危機に瀕している。子供たちが遊べる水辺が復活できれば、人間の成長に大きな効用が期待できると思うのだが。




2013年4月2日火曜日

釣りも格差社会か

 31日(日)のフナつり大会は、5キロを釣った人がでる一方38人もオデコという成績の格差がでた。与田浦周辺のかなり広い地域で、水路もたくさんあって時期になると、かつてはどこでも釣れたものだった。

 水路は例によって手が入り、文字通り護岸を整備した水路の流れへと変貌したところが増えてきた。田圃は冬の間は水を出してしまっているから、水路から田んぼへ生物が行き来することはできない。フナは卵を産んで繁殖ですることができなくなっている。ブラックバスやブルーギルの増加で、いよいよ増殖の期待はしぼんでいく。

 そんな中でも、日ごろ鍛えた腕前でフナをつり上げ立派な結果が出る。それはうれしいことでだ。でも89人が参加して、38人がゼロだったというショックは大きい。この時期は気温が低くて、魚の動きがまだよくないので、微妙なアタリを捉える事が出来ないとだめだと言われている。

 それなのに、5キロを釣った人が二人もいた。同じ場所だ釣った人3人が好成績だたというので、特定の場所では魚の動きも違っていたということなのか。そこだけのなにか特別な条件があったのか。ベテラン諸氏が、見込みと違っていた様子もあったから、釣った場所の選択の善し悪しもあったには違いないが、「読み」と違った状況だったことも確かだったようだ。

 同じ場所でダメなのであちこち移動して探ってみたが、フナのアタリは皆無だった。結果の差があったのはおもしろいことだと、言えなくもないが、このところの極端な寒暖が、魚にもストレスを生んでいるのも一つの原因かもしれない。フナだって、春には早く動きだしたいと思っているのは違いないのに、それを阻んでいるものは何なんだろう。次の釣りのチャンスに向けて、そんなことを考えるのも釣りの楽しみなのだ。



2013年4月1日月曜日

トモダチの「怒り」は当然だが。日本の将来にかかることでも。


 トモダチ作戦参加の米兵が、東電を提訴したとの報道があった。昨年暮れの話だが、三陸沖に派遣された原子力空母ドナルド・レーガンの乗組員の8人が約189億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。原発事故の正確な情報が得られなかったため被曝したということが理由。
 確かに、当時の正確な情報は出されていなかった。損害賠償について裏づけとなる被曝の状態について立証されることになる。国民に対して、被曝の実態を「隠す」ことをもっぱらの態度としてきた、東電や政府の責任が問われるのは当然だろう。(ただ、作戦行動を指令した責任はどうなんだろうという点も気にはなるが)。

 問題は、被曝の実相がどの程度なのかということ。福島の子供たちの甲状腺がんの検査では福島第一原発事故による放射線の影響を否定している。しかしそれは、チェルノブイリの甲状腺がんが4~5年で発見というこれまでの知見に基づくものとされている。

 4~5年たたないとわからいという「知見」がそのまま変わらないのかという点も含めて、今後気を緩めることのできない対応が要求される。「325日は、栃木県の牛肉4検体から4671Bq/kgが検出」と厚生省日報606号が伝えている。少なくない汚染量だ。関東一円でも汚染の状況は安心できるというものでない。汚染土壌の除去も行く先も解決には程遠い。
その間と将来にどれだけの被爆を受けていくのか。身体に影響が及んでくるのか。この対策は焦眉の問題だ。

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甲状腺検査:福島と県外年齢別…「ほぼ同様」の数値
 環境省は29日、東京電力福島第1原発事故による福島県の子どもへの放射線の影響と比べるため、青森県弘前市▽甲府市▽長崎市−−の3市で実施した甲状腺検査について、年齢別の結果を公表した。小さなしこりなどが見つかった割合は、各年代ともに福島県外で大きかった。ただ同省は「福島と3市との差はわずかで、差がないといえる程度」としている。
毎日新聞 20130329日 

新たに2人が甲状腺がん 福島の18歳以下、計3人 放射線による影響否定
 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べている福島県の県民健康管理調査の検討委員会が13日、福島市内で開かれ、18歳以下の2人が新たに甲状腺がんと確定したと報告された。昨年9月に判明の1人と合わせ3人となった。
2013.2.13 12:50 MSN産経ニュース

福島の子ども、半数近くが甲状腺被曝 政府調査で判明
 政府の原子力災害対策本部は17日、福島県の子ども約1150人を対象にした甲状腺の内部被曝(ひばく)検査で、45%で被曝が確認されていたことを明らかにした。17日、同県いわき市で開かれた説明会で発表した。すぐに医療措置が必要な値ではないと判断
2011.8.17朝日デジタル
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