2013年6月30日日曜日

白米千枚田の夕陽は残念ながら…。(5月27日)

 ここは3回目になった白米千枚田。ここで夕陽を取るのが、今回のメインのひとつ。輪島まで距離も遠くないから、一時寄って昼食を食べて撮ろうかと車を止めた。観光地なるゆえに賑やかに、さあどうぞという割には、腹にたまるような食べ物がなくて、食事がわりの簡単な食べ物を買って間に合わした。観光客もひっきりなしにやってきているが、田を回ってみる人は多くはない。

 すでに稲が水から立ち上がっている。田植えのアトラクションか何かで使ったらしい、飾りの残骸がぶら下がっている木が、一本だけ異様に残っている。それを入れたら絵になりそうもない。2年前に世界農業遺産に登録されているが、一体それが何をもたらしたのだろうかと、観光事業にばかり力点を置く現世に、また疑念を感じた。だが、否定していいのだということも、言い切れることではない。

 やや苦労しながら見通しの良い上の方にも行って、記録として残した。これも感動が薄れてきているせいか、力を込めた写真にはなりそうもない感じだった。





 輪島のホテルにチェックインしてから、輪島の港のほうへ一回り回った。夕方なので、港の活気はない。代わりに子供が遊んでいるのが被写体になってくれた。チェックインした時に、仲居さんに今日の夕陽の時分の天気はどう?と問いかけたらまあダメでしょうと即答だった。でも万一晴れたらお客に申し訳のないことになると、天気予報を確認して、「外れても怒らないで下さいよ」と念押ししていた。







 



2013年6月29日土曜日

狼煙から輪島に抜ける途中(5月27日)

 ここも場所が特定できないが、海岸線を走っているとでワカメを干す作業している漁師さんが見えたので、急きょ車を停車させて、また頼んで撮らせてもらった。午前中に干して午後から芯の部分を取るのだと説明していた。そのほかいろいろ話をしてくれたのに、言葉がよくわからずに生返事したりして失礼してしまった。 お母さんたちもしゃべりながら、手際よく作業をしていた。昨夜停まった狼煙のことを話したら、学生さんが来ているんだよねえーと言っていた。地元のことは、よく伝えられていくものだ。






 そのあと、これも海岸より高いところを走っていたとき、車窓から小さい港が目に飛び込んできた。衆議一決ここに入り込んで、パチパチと撮りまわった。私の場合は奇をてらって撮るのが策略だから、小さな湾を回り込んで今は使っていない、壊れた港の様子を何枚も撮り込んだ。水の綺麗さと、豊かな海藻群、わりと新しい住宅の鎮とした風景が、面白かった。人影が全くないのが不思議な感じだった。









2013年6月28日金曜日

狼煙(のろし)漁港、夜の活性(5月26日)

 能登半島の北東の先端にある小さな港。二日目はここの目の前の旅館で滞在し、今回の目玉である漁船の水揚げの様子を撮らせてもらおうと、旅館にも事前に話し、状況を聞いて準備をしていた。
 夜8時半に旅館のすぐ前で、明かりに照らされて浮かび上がる水揚げ作業が始まった。撮らせてもらう時には、その人に断りの一言を言うのがエチケットだが、それで断られるのがイヤで、いつもすんなりと入れないものだ。しかし今回は、幸いにもちょっとお酒も入っているので、滑らかに話ができた。魚となれば多少の知識は素人方よりはあるから、魚の話をすると漁師さんの口も軽やかになって、写真を撮らせてもらうことができた。

 網にかかったオコゼを取り上げて、これは危ないんだよと何度も話して教えてくれた。先刻承知という言葉は呑み込んで、そうですかと相槌をうった。漁師さん、よっぽど痛い目にあったのだろうか。
 だから、この場は私のおかげで写真家の皆さんも撮りまくることができたのだと、少々鼻高な気分になった。









 
 お母さんは口に五寸釘を噛んでいる。魚を外すときに使うのだと話してくれた。まとめて買い入れてあるのだそうだ。魚は大きくい足水揚げは少ない。長期的には減っているらしい。でもだから、網中に大きいものが入った時はうれしい。ちょっと持ち上げてと声をかけた。よい型のクロダイだ。網の色は2種類あって、狙う魚によって替えるらしい。この漁師さんは、お隣とは違うものを狙っていたんだと言っていた。




2013年6月27日木曜日

五箇山、相倉の校倉づくりの里から狼煙漁港まで(5月26日)

 二回目の訪問になった五箇山・相倉は少し観光のトーンが強くなったみたいだ。でも、民宿の奥さんお話を聞くと、深刻な状況が浮かび上がる。どこにでもその悩みはつきものでもあるが、若者は職を求めて出て行ってしまうし、人手の減少と高齢化は稲作の維持が困難さいなって、観光農園として繋ぐ以外にないということに至っている。校倉づくりの屋根はいまは「結」もなく、農林組合が順に定例的業務として回しているという。好き勝手に訪れて「らしさ」を要求しながら、そんな話を聞くとこころ穏やかに写真を撮って伊r場合かと、駆け出しの写真ヤはなにか反省を迫られるように思う。そういうところが見える写真が、撮れるものかどうか、自信はない。








 五箇山を後にして、狼煙(のろし)漁港に向かう途中で、名もない港(本当はあるが思い出せない)に寄って、港の風景を一通り撮り、その町か部落の一帯を歩き回ることになった。通りかかったお母さんが「写真撮るなら、こっちの高台から見ると港が見えるよ」と親切に案内してくれた。内心、イヤーこの古い町並みから見えるものを撮りたいんだよ、と声を飲みこんで、案内に従って台地に上った。


 神社(神杉神社と後でわかった)と言われて登ったら、いつの間にか古い寺に入り込んだ。由緒は感じるが被写体以外のものを撮るだけで、どんな歴史を抱えるところなのか、調べるゆとりはない。だからこういう時に、後でどこだったかなと、困ることが出てくる。車までの帰り道は、イヤー港町じゃないよねーといいながら、どういう町なのか解らず、一様に想像がつきかねるという感想だった。
















2013年6月26日水曜日

写真家(シャシンカとシャシンヤ)4人の旅の一日目(5月25日~)

 能登方面へのこだわりを持つ4人が、最初にめざしたのは国宝瑞龍寺。といっても予備知識もなく、正直言えば好みからは少し外れる、知らないところだった。以前からこの地に通っているTさんの案内だから、お任せしてお寺「参り」。偶然、お茶会の催しがあって、ちょうどこれから始まるところでに遭遇した。ご婦人方が和服を着て並んで、会場に向かうところは、シャッターチャンスにさせてもらった。お寺のワビサビ風情と、うまい具合にコントラストが立った。





 そこから、珠洲市の散居を目指した。HPで検索して調べて下さったKさん案内で、迷わず展望台に無事到着した。ところがここには、日暮れのワンチャンスを求めて、競争相手が撮影場所を占拠している。写真撮影のスタイルは、そういうやり方もあるが、こちらは何カ所も撮影場所を予定しているから、こだわらずに望遠で何枚か撮って、さっさと退散。山を下って、展望台から見えた「散居」の場所へ向かった。

 田植えが終わったばかりで、田には透き通った水が蓄えられて、気持ちよい撮影ができた。水がある風景とはかくもきれいなものかと、来訪したことに満足した。田に写る夕陽も狙いどころだが、雲に隠れているし、遅くなっては宿泊先の民宿に悪いので、切り上げて五箇山へ向かった。







2013年6月25日火曜日

三保の松原、消波ブロック投入は安倍川の砂利採取が原因と。

20071231日中日新聞)の記事があった。
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 三保半島で浸食が目立ち始めたのは1980年代。
市内を流れる安倍川で砂利採取が盛んに行われた結果,65年ごろから河口東側の海岸で浸食が発生。浸食域が年平均270メートル幅で進み,約10キロ先の三保の松原に消滅の危機が浮上した。
・・・・・・
 安倍川は山梨県との県境をなす山間部から、静岡市内までおよそ50キロを一気に南下してくる一級河川。安倍川は三保の松原の西南にある。ここから砂利が供給されたことで、できた三保の松原。黒潮に流されて長い間にこの海岸ができあがった。清水港もその結果できたものではないだろうか。

 安倍川の砂利は、おそらくビル建設や道路など、大型の公共事業に利用された。上流部は、崩落しやすい地質で、砂防ダムが多数ある。大雨のときは、常に上流から大量の土砂が流されてくるため、平野部は川底がどんどん上がってしまい、いわゆる天井川状態になっている。それほどの砂利や砂が海に流れ込んでいた。

 砂利の利用はある意味「合理的、効果的な」利用だったのだろうか。だが、海岸を保全することはできなくなった。当時は日本全国の河川がこの憂き目にあった。国民の共有財産である自然が、さる特定の意図=内需拡大のために破壊された。自然がバランスを崩されたがゆえに、そこから起こることは、当然人間の側が引き取らなくてはならない。

 富士山をめぐる文化の内容からは、十分その価値があるとしても、ここにきて三保の松原を、対象から除けとされたことは、一面では自然の仕返しかもしれない。「説得が功を奏して」この地も世界遺産にということは歓迎するにしても、認定されればその荷物を負うことになる。それは当然のことだ。

しかし、中日新聞は、続けて書いている。
…静岡県は消波堤を設置して砂を補給するなどの対策を講じ,砂浜の回復に見通しがついたとしているが,現状は名勝と呼ぶには悲しいありさまである。対策の成果が表れるのは20年先の話になりそうで,地元は松枯れの心配も追い打ちをかけて苦悩している。
「せっかく補給した砂が,大波に削られたこともある。地道な対策が必」。200712月下旬,羽衣の松近くの波打ち際で,浸食対策工事の監督を務めていた杉山博康さん(32)が話した。
 海岸線は,消波堤などを置いた部分に砂が堆積し,のこぎり歯のようにギザギザしている。付近では1日に大型ダンプ60杯分の砂をブロックの上に投入するといい,杉山さんは『羽衣の松の前で、ブロックが見えてはまずいという事情がある』と説明した。

 補給した砂が流出して漁場を荒らすなどの問題が起きた。NPO法人「三保松原・羽衣村」(宮城島史人理事長)が07年10月、国や県、市などに提言書を提出した。「名勝というにはあまりに無残な工事現場さながらのありさまになってしまった。
静岡県の浸食対策費は89年度から2007年度までだけでも71億円に上る。…

安倍川の様子



 (2013/5/25 8:35)Yahooニュース(現在は削除されている。ちょうど一カ月で削除するらしい)
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富士山を望む三保松原の浜辺で野外学習をする高校生=静岡市清水区の三保海岸
 富士山の世界文化遺産登録に関連し、諮問機関のイコモスが構成資産からの除外を勧告した「三保松原」を見つめ直そうと、静岡市清水区の東海大翔洋高の2、3年生35人が24日、地学の総合学習の一環で現地でフィールドワークを行った。
 同校は三保松原に最も近い高校。生徒は学校東側の海岸を「羽衣の松」に向かって約1キロ歩いた。大迫崇史、加藤忠義両教諭の案内で海岸の石や崖の様子を観察し、地質学的な特徴を確認した。
 
 イコモス勧告が除外理由の一つに挙げた消波ブロックにも着目した。汀線(ていせん)の形状から、ブロックは海岸を浸食から守る半面、海流による岩石の運搬を妨げる副作用があることを学んだ。
 生徒は浜辺にごみをみつけると、その都度拾い集めた。三保の海岸をじっくり見たのは初めてという3年生の中谷翔太君は「三保松原も含めて世界遺産になってほしい。僕たちにできることとして、この海岸と松林の美化に取り組みたい」と言い、2年生の石橋健志君は「海岸の浸食を抑えながら美しい景観を守る手だてを見つけたい」と話した。
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自然を元に戻すことはできない。それほどダメージを与えることだと、つくづく思う。






2013年6月24日月曜日

役得でつまみ食ったのはマスコミだ

産経新聞 622()1820分配信
職員による不適切な事務処理の続発を受けて、訓示をする河野昌弘市長=兵庫県西宮市役所(写真:産経新聞)
 「もったいない」。そんな理由から、兵庫県西宮市の半数以上の公立保育所で調理員らが余った給食を食べていたことが明らかになった。余った給食は廃棄される決まりで、保育所長会でも「食べてはいけない」と取り決めていたが、周知徹底されていなかった。この問題で市は、所管部署の幹部らを文書訓告としたものの、調理員らについては「食べてはだめと知らなかった」として処分を見送った。給食費を払ってないのに“役得”でつまみ食いをしていた行為は、市民の目にはどう映るのだろうか。(吉田智香)
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 給食費を払っていないのに“役得”でつまみ食いをしていた行為が、市民の目から見てどうなんだろうという提起に、ちょっと違和感を感じた。揚げ足をとるつもりでもないが、払えば役得でないからいいということにもなるが、そういう質の問題なのだろうか。余ったものであれば廃棄すればいいという「取り決め」がその整理になっているのは、通常のことかもしれないが、考えたいのは「余ったもの」の方だ。

 食べ物は賞味期限を目安にするが、本来、期限切れでも食べられるものもあるので、色をよく見てみたり、臭いを嗅いだりして、場合によっては味わってみて判断をするのが、「もったいない」の解決法だった。そうする人は結構いるだろうと思う。
 コンビニでは賞味期限が切れただけでお弁当などを廃棄、消費期限までまだ34日あるようなパック入り豆腐、パンや麺類などがトラックに山積みで廃棄されるということもあるらしい。安く仕入れて大量に流通させるやりかたでは、「賞味期限」によって売れなくなるから、処分したとしても割に合うという計算なのだろう。

 食品廃棄物は年間500万トンから800万トンあるとされ、昨年のコメの生産量852万トンに匹敵するくらいのものを廃棄しているという。賞味期限や消費期限切れ、期間限定商品の売れ残り、試食品、へこんだ缶詰、規格外農産物、賞味期限の印刷ミスなども食品ロスとして廃棄されるとか。
 
 家畜の餌などとして利用されるのは一部で、大半は焼却や埋め立て処分されるそうだ。食べるために作られた食品が、傷んでもいなくてもそのままゴミとなっているのは、もったいないと言わないのだろうか。ご飯粒ひとつさえ残さずに食べるようしてきたのは、食料を大事にしようということでやってきたことだ。
 納豆は冷凍保存もできる。家庭ではちょっと気をつけていれば、食品を捨てることはほとんどないと言えるだろう。
核家族化だとか、賃金が少なくて結婚もできない若者が、料理に縁遠くなって、そういった食文化が、伝わらなくなってきた事情もあるのかもしれない。

 戦前の庶民の暮らしも楽でなかったろうが、戦後の食糧事情を体験したものには、大量に廃棄されることに釈然としない思いを持つ。西宮市は「食べてはだめと知らなかった」として処分を見送ったとのことだが、食の無駄をなくす方向からの検討も、しなくちゃならないのではないだろうか。「金を払わずに役得でつまみ食い」とことさら問題に持ち上げたいのらしいが、役得でつまみ食っている人は外にいくらでもいる。首相官邸に呼ばれて、役得でつまみ食ったのはマスコミの諸氏ではなかったのかな。



2013年6月23日日曜日

携帯電話15年6カ月の付き合い

 携帯電話の契約内容を、NETで調べてみたら156か月の付き合いになっていた。購入のきっかけは、身内の病気だった。ひところは便利に使っていたし、子供たちとの会話もあった。子供に電話を掛けたら、別の部屋にいたことがわかったという、馬鹿なこともあった。どこに行くときも携帯がないと不安みたいな状態になっている。特に待ち合わせの時などは、欠かせなくなっている。神社のお守りより、お守りになっているわけだ。

 だから、文句を言うと罰が当たるかもしれないが、固定電話を離れて携帯電話に費やしている金額は馬鹿にならない。今は利用料が減っているが、おおよそ月平均4000円の使用料とすると、156ヶ月で80万円近くになる。家族4人が使っているから320万円払ったことになる。いまは、こどもたちもスマートフォンに換えているから、月の利用料はもっと高い。

 問題は、これにつぎ込んだ少なくない財から、十分対価を取得できたかどうかだけれども、それはよくわからない。電話は情報を伝えるもので、必ずしも幸せを運ぶものではないからかな。
 利殖を求めて使っているものでないから、金にも換算できないし、受け取る電話は、マイナーな話の方が記憶に残っている。

 荷電しておいて「いま、しゃべれますか」という枕詞は面白い。固定電話なら必要ないセリフだ。相手が明確だから、立場を考えるのは当然と言えば当然。トイレの最中だったらまずい。
 電車のなかや、病院、観劇の時などいちいち切るのも煩わしいエチケットだ。いまさら、携帯電話のない環境に戻るわけにもいかないだろうけど。もしかしたら、煩わしいこの器具をなくしたらいいんではないかと、チラリと思う。そしたら、固定電話しか通じなくて煩わしさからは解放される。老い先を鑑みるときに、煩わしいことを減らしたいというのも一つの要求だ。
と、思いつつも釣り場では「こっちの方が釣れてるよ」という電話は、必要欠くべからざる情報だ。




2013年6月22日土曜日

中禅寺湖、釣り大会、釣り教室を実施。放射能汚染検査行動を位置づけて。

中禅寺湖のニジマスルー釣り大会(6月2日、脱原発共同行動の日)の様子が朝日新聞にのった。釣った魚を持ち出さないことを条件にして、キャッチアンドリリースで実施した昨年より、やや緩やかにした。釣り場範囲を広げ、警備員数も減らした。中禅寺湖は震災前は年間2万人以上も訪れていたから、待ちわびた釣り人たちも多かったようだ。

 3月の時点では、放射性物質汚染は、ヒメマス130 Bq/Kg、ブラウントラウト210 Bq/Kg、ニジマス52 Bq/Kgだった。今回は釣ったものを、放射性物質測定にするということで、積極的に踏み込んだつり行動となった。そういう自己評価があるかどうかは不明だが、この催しに付随して「第一回中禅寺湖岸釣り大会・岸釣り教室」が催された。岸釣り参加者は88名、教室参加者35名という参加者があった。

「皆様のおかげで無事岸釣り大会と教室を終了することができました。ダイワ グローブライド株式会社様をはじめ、各関係機関様、協賛・後援をしていただいた皆様、大会・教室に参加して下さった皆様、沢山の御協力と御支援ありがとうございました。数年先を見据えて、この企画は状況を見ながら継続していきたいと思います。また、船を使った大会も予定しております。」とその思いが、中禅寺湖漁業協同組合HPで表明されている。

原発のおかげて苦難を強いられながらも、釣り愛好者のために、変則ながら釣りができるように運んだことに、拍手したい。
 なお、62日の検体では、ブラウン 250Bq/Kg 、ホンマス 160Bq/Kg 、ニジマス 検出せず、 レイク 219Bq/Kgという調査結果だった。




2013年6月21日金曜日

さっさと原発廃炉へ向かわないと

 福島第一原発が、記者に原発を公開するということで、集めておきながら「見せてもらえないんですか」という記者の質問に、酷い対応で拒否したという。東電という会社が、北朝鮮以上の対応をしているとの記事が投稿されたが、急に消えてしまって、どう探しても出てこない。(もしかしたら、投稿記事は不穏当ということで消されたか?わからない)
 ユーチューブに、取材でのやりとりがアップされているが、このブログに貼り付けようとしたら、「ない」とコメントが出る。
ここをクリックすれば見えるはず… 

 
 東電の態度が悪いということと、担当者が会社の指揮下で不都合は隠さなければならないという、両側面の問題があることになる。社員は会社の「利益」を守ることを要求されるから、担当者個人の責任に終わらすわけにはいかないこと点もある。さっさと原発は使わないという方向へすっきりいかないと、この軋轢はもっと酷いことになっていく。八ツ場ダムの旅館業者や、有明海の漁民のように人の間にくさびが打たれたまま、憎しみ合うようなことになっていくだろう。この修復はとてつもない時間がかかる。自然界の修復もどれだけ時間がかかるだろうか。日本がこういう国でいいわけはない。

2013年6月20日木曜日

日々これ好日ではない

 今朝は雨だが、吹き込んでくるほどでないので窓を開けてある。さて、今日は爺の退院だ。入院して4日になるから、また動きが悪くなっているだろうな。腰を入れるのが大変になって、もう一階と二階の移動も無理なのではないかと思って話をするが、寝たきりになれば余計ダメになる。やっとでも無理でもギリギリ動かないと「退化」の様相がでてくるから、動かす方がいいのかとも思う。これまでもそういう感じがあったから。

 先週エアコンを取り換えたのに、昨日使用中に突然止まってしまった。風向が開いたまま、反応しない。リモコンの説明書を見たら、なんとまた変な仕掛けが沢山ついていて、読みながらリモコン機能をいじってみるがらちが明かない。結局本体の方の不調だろうということに落ち着いた。説明書には本体については書かれていない。電話の連絡は18時までとなっているから、あわれエアコンは口を開けたまま一夜を過ごすことになった。

 それにしても、ナントカの機能みたいなものが増えて、面倒で仕方がない。シンプルなものになっていくのが進化だろうと思うのに。それに、エアコン設置の時に200ボルトの対応にするとかで、コンセントと元の配電盤の工事をしたが、節電の効果をあげるのに電力を強化するってどういうことなんだろう。このところのエアコンは、大型化しているそうで、購入する際に据え付けできないものを決めてしまった。うかつだったが、本来なら小型化していくのではないかと思うのだが、電気製品のメーカーは何を考えているのだろう。

 月曜には洗濯機の廃水が詰まって、業者に来てもらう手はずになった。担当者の話で、排水溝の床部分に衣類のゴミが詰まっている可能性が高いから、見てほしいということで開けてみた。言われた通り、しっかりゴミがへばりついていて、割箸で除去することができた。こちらはアナログ模様だからわかりやすい。
 さて今日は何が起こるだろう。





2013年6月19日水曜日

株の功罪

 株を買って喜ぶ人がいる。これが富裕者だけでないから、アベノミクスに翻弄されることにもなる。だいたい博打だから、上がったって下がったって、そのサヤで儲けるという「庶民には縁遠いもの」という具合に自分では切り捨ててはいる。しかし本当にそうかというところではひかっかるものがあった。

そのことで、どのくらいの人が株に関わっているのか調べた人(Aさん)がいた。

 2011年度全国5証券取引所上場会社も発表は4591万人だが、延べ人数なので実人数は解らない。日本電子計算株式会社のある論文では実人数の推計で、1690万口座を個人株主数とみなして、「株主保有者は投資家全体の74.3%」という証券業協会調査を元にして逆算し、約2300万人とみなしている。日本総人口の約18%、20歳以上では人口の22%に相当する。
 貯金から直接投資へと投資家増やしが行われて、参入した人は60歳以上が約半数、有価証券の金額は300万円未満が半数で、平均金額では426.3万円という調査結果がある。
 日本電子株式会社の論文では、個人投資家の通算損益はイーブン:7、プラス:20.6マイナス:72.4で、300万円以上投資した人では、平均投資額1775万円に対し平均損失525万円、損失率は約3割。
 
 人口100人に対し22人が株主というのは少なくはない人数だ。高齢者が半数を占めるのも、年金や社会保障の貧弱さがもとにあるし、若い世代にしても賃金は十分とは言えないだろう。自社の株を持たせられることも輪をかけていることだ。そんな背景を抱えていくばくかの実利を得た人には「良かった」という言葉も必要となる。Aさんは続けて

 少しでも株価が戻ったり利食い利益が出た人には「良かったですね」と言ってあげながら、「でも、さらにバブルや投機に血道をあげるアベノミクスでは、それこそ泡と消えかねませんよ。ここは雇用、賃金、中小企業や農林漁業の土台をちゃんとしながら、確かな経済発展に切り替えるべき。泥船は船頭に力んで漕がせれば漕がせるほど、船体が崩れてしまう。ここは作りと船長のしっかりした船に乗り換えるのが一番です」と語りかけるのが一番ではないのだろうかと思った次第である。

 なるほどそうだと納得させられた。なお、このことに関して巨大信託銀行の証券代行部に働いていた人の投稿があった。

 皆様、吉井は、昨年3月末まで、巨大信託銀行の証券代行部(株主名簿管理人)で7年半働いていました。230社余りある取引先のうち、上場企業は少なく、圧倒的に未公開会社が多かったです。
 名簿確定、株主総会、エクィティファイナンス、IPO、企業再編、新株予約権による企業買収防衛策もしました。
善良な個人株主よりも、敵対的企業買収を繰り返すヘッジファンドがやたらと目につきました。(これ以上は、いくら退職していても守秘義務がありますので・・)
 その意味で、グローバルヘッジファンドに手を貸すアベノミクスは、「売国奴」と、言えるでしょう。そこが本当の論点だと思います。
 株主であるかどうかだけで選別すると、彼らの分断政策に乗っかってしまいます。ここは、一致団結して、「亡国のアベノミクス」をたたきましょう!!


(引用させていただいたのは本来、Facebook上でシェアすることで、広げていくべきものですが、そこへの扱いでは重複する人が多いので、ブログに掲載させていただいたものです)




2013年6月18日火曜日

チヌ釣り

 チヌ釣りは木更津の防波堤で一度だけやったことがある。小さいのが釣れた記憶があるが、チンチンだったのだろう。チヌを昨夕の食事で食べたとFacebookの書き込みがあって、自分もそれに合わせて「山形県の武士の鍛錬にチヌ釣りが薦められたとか。釣り方は、現在は防波堤から釣るようなものですが、渚釣りという浜からつるやり方もあります。贅沢な魚です。」と知ったかぶって書き込みをした。

庄内藩のチヌ釣りは、その筋には知られたことだろうけど、NETで検索したら省内のチヌ釣りは、落とし込み釣りづりという記述があった。日本海側、山形あたりは磯が多いから、すっかり磯からの釣りだと決め込んでいたが、そうなんだろうか。でも当時は防波堤もないから、落とし込みというのはどうなんだろうかとちょっと不思議に思った。

渚釣りという手法を京都労釣のリンクで見たことがあったので、アクセスしてみた。リンクに「チヌ渚釣り研究会」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~nagisaturi36/)があり、ここから「庄内黒研」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~nagisaturi36/)に突き当たった。

そこでは
 中通しでの仕掛けを全て「庄内釣り」とは呼ばない。「庄内釣り」は庄内磯でその仕掛けや棚にマッチした場所に竿を振り込む釣りを「庄内釣り」と呼ぶ。つまり庄内釣法は庄内地方の黒鯛ポイントと釣法が一体化した釣法なのである。

という説明であり、落とし込みとはちょっと違うようだ。庄内藩の釣りの勧めが、体力づくりということも言われているが、江戸中期のことで「武士道の退廃を憂いて」(http://www.nishinippon.co.jp/nsp/fishing/cat511/chinu/)という背景もあったということは、うなずける。

一度だけやったチヌ釣りに一緒に行ったYさん。釣りの会の会報を送っている関係のまま、30年以上過ぎてしまった。





2013年6月17日月曜日

パソコンまでトラブル

 岩手山麓から戻る新幹線のなかで、義父がまた緊急入院したと連絡があった。先週の日曜に血尿が止まったから、大丈夫でしょうと退院したのが木曜日。貧血のようになったとのことで、また緊急入院となった。救急車の人が搬送先を探すのに、一応掛かりつけの病院を指定するけれども、泌尿器科が休日はいないということで、また違った病院へ運び込まれた。

 緊急の処置が施されて、専門科の医師はいないが、やっぱり掛かりつけがいいだろうとなったらしく、処置記録と一緒に移動した。ちょうど家から必要なものを運ぶところに、帰っていったので、そのまま病院へ向かった。本人は落ちついてすっかり楽そうにはなっていたが、貧血の程度が悪いということで入院することになった。


 パソコンである作業を急がなくてはいけないので、取り掛かるがうまくゆかない。なんとなくわかる意味だけを頼りに横文字と戦いながらやっていたが、パソコンの調子もおかしくなってきているようだ。作用のための無料ソフトを、インストールしているからだろうと思うが、ちょうどセキュリティソフトの更新時期で、その通知も煩く入ってくる。もうちょっと持ってくれと思うが、この手は自動的にアクセスしてくれるから、便利なものでもこういうときは困る。







2013年6月15日土曜日

ヤマメ釣り、今日はぐうたらで。

 従妹と釣りに出かける。道路のわきに流れる沢があり、ガードレール越しに竿をいれることができる。やり易いから、何回も通ってきた。しかし今回、親父はいかない。最近耳がとくに遠くなり、目も衰えて見えなくなっているし、立ちくらみもあるという。普通に歩いてもぶつかって痣をつけたりして、もうだめだと釣りはあきらめている。無理やり連れて行くわけにもいかないから、朝食を一緒に食べてからでかける。

 ひととおりの渓流装備をもったが、ぐうたらにやるのが今日の釣りだと決め込んで。雪駄をはいていくことにした。岩手川口から東に走って、葛巻川沿いに行くと少雨で渇水状態の中、しっかりと水量がある。何回かやってみて、ヤマメの濃いところということは分かっているから、従妹の保養になるように釣ってもらえればと場所の選択をしたつもりだった。

 しかけを準備して釣り始めたのを見計らって、少し離れたすぐ上でやってみる。すぐにイワナがかかった。そこから少し下りながら、ガードレール越しに竿を入れていった。型はいつも来ている時期よりは遅いので育っている。もう一つ大きさがほしいとも思うが、幅広のいいヤマメだった。途中県内の釣り人とであって、情報交換をした。この場所も相当人がはいいているということだ。近くの小沢で良い型のイワナを上げたと話していた。ここらは沢が非常に多いので、今後も楽しみにできそうだ。





2013年6月14日金曜日

選挙への期待

 400万票を取った猪瀬知事が、なぜそんなに票を集めたのか?そんなことをしゃべっている人が身近にはいないから謎がとけない。
 田舎の地方議会の選挙で、隣か同じ地区からでた候補者には一升瓶を持って挨拶に行くのが習わし、というのか普通されていることだと聞いたことがある。だから、その人に入れるということも起きるだろう。選挙は政策でというのが選択の基準であることは疑いないにしても、そういう選挙にはならない現実がある。公約は、政策はと、マスコミだって一応取り上げはするが、政権政党の公約も含め、掘り下げた内容にはなかなか踏み込まないように思う。

 原発の稼働についてさえ、稼動推進だとか他国に売り歩くといった馬鹿げたことに、主体的な論点を持たないから、選挙に対する影響も薄いものになる。石原慎太郎の後継者で、オリンピック誘致に熱心だというだけの知り合いとして投票対象になったとしたら、と考えることもできる。

 都政がどう運営されているのか、都民の暮らしに同直結した政治になっているのか。放射能汚染に対する取り組みはどうなのか。保育園の問題はマスコミもやっととりあげてきた。が、待機児を持つ母親の運動を見てのこと。どれだけこれまで問題になっていたのか。築地市場の移転は食に通じる安全の問題。400万の票をあてにしてか、知事提案に全部賛成してきた輩が、この時に及んで都政を批判しているかのようなポーズも可笑しい。

 選挙制度の「べからず法」で選挙活動の抑え込みをはかっていることも、選択できない選挙の性格を保守することには役立っている。よしこの人だと選択できるような選挙になればいいと思う。12兆円をどう使うかという大きな選択だ。短い間の選挙でも、できるだけの情報を出し合うことで、いくらかの討論活性化になるのかと思う。どこかでつながった「知り合い」の範疇で選択することになったら、政治の発展はまた遠いものになる。



2013年6月13日木曜日

イワナ、尺2本とれた

 昨夜飲みすぎたので今朝はどうかと思ったら、体調が復活しているようで、「釣行」可能な感じがした。支度は先実ほぼできているので、問題はどこにするかということだけだ。さて、岩手も雨が降っていないとのことで、適正地をどこにするかをトイレの用足しをしながら考えた。朝食を手に入れたいので一度下に降りたい。とすると秋田かということで、50キロを少し超える距離はあるが、よい印象が残っている生保内の子沢に決めて、カーナビをセットした。

 前回車を止めたところで沢を見ると、水は三分の二くらいだ。溜りには魚がいるだけの流れではあるので、まず行ってみようと身支度を整えて沢沿い歩き始める。落ち込みが見えたので、すこし元に下ってから川に入った。水が澄んでいるが、20センチほどの水深であり、蜘蛛の巣が川を覆っているのでチャンス。


 睨んだ通りアタリが出て、初回ゆえに慎重に取り込む。針を外してよしと満足して、魚籠に入れようとしたところ、口にひっかけて擦り抜けられた。20センチ超えのよい型ではあった。残念!しかしこれなら、もっと釣れそうだとふんで、遡ると、すぐにまた好ポイントが現れた。

 よしと投入するとグッと抑えるような大物の気配。今度は慎重にとタモを腰から取り出して、竿をたたんで寄せてゲット。一目見ただけで尺は超えてると見えた。これは相当魚がいると思えたが、こういう時はたくさん釣る必要もないと、なぜか帰る気持ちが湧いてきた。たしかにボサがひどくて、上るのには相当エネルギーを使いそうだ。遡行距離が長ければ、帰りが大変だ。その先で流れの中の小さい石の反対側へ2メーターほどに縮めた竿で仕掛けを投入すると、20センチほどのイワナが餌をくわえた。間違いなくいるなという実感を持ったところで、その一つ上の落ち込みでまた、大型が竿を絞った。

 その後、遡るとき岩盤に足をかけたところで、岩が崩れてしまい、倒れて竿の5番目くらいを折ってしまった。まあこういうときにはそんなものだと自分をなだめつつ、5番目まで伸ばした竿を使って、流れが絞られている早い流れで、ヤマメをゲットして終了することにした。

 帰りは沢ぞいのボサを抜けたが、ピーカンの天気で気温が上がって暑くなってきていた。入渓地点に戻ったのは9時過ぎだから、正味一時間ほどの釣りだった。





2013年6月12日水曜日

鳥羽の海の神事復活・「御潜神事」

 


 Faceboookで最近友達になった方からの投稿で、「鳥羽の神事」があった。元の投稿は「海の博物館Sea-Folk Museum」だった。友達がシェアされたものが流れてきた。まず海女さんが沢山泳ぐ姿の写真にびっくりしたが、アワビの稚貝放流をしているとの書き込みを見て、先日のテレビ放映を思い出した。磯焼けで海藻が育たなくて、あちこちにコツコツと藻を植えているというものだった。

 そのテレビ報道を見たことを書き込みしたら、「藻場を増やす取り組みを4年前から実施している。鳥羽の各所でそういった活動がある」と海の博物館からの書き込みで返事があった。



 自然の改変はすさまじいものだ。「御潜神事」も自然界では成り立たないということだ。海女文化のユネスコ無形文化遺産登録するためというきっかけを、生かすのも歓迎できることだとは思うが、そうしないと守っていけない現状に、暗然たる思いもする。


2013年6月11日火曜日

携帯電話の料金は、さっぱりわからない

 携帯電話の通信料がよくわからない。頭が少々回らなくなったせいではないと思うが、新聞の投書欄にスマートフォンの料金がよくわからないという記事が載っていた。「料金プランも機種によって違い、利用項目を見てもよく理解できていない。子供のパケット通信料金は140万円だが、定額払いでゼロ円。友人のものは300万円が全額値引きだった。最初に契約時にいくばくかの料金を組み込めば、何十、何百区万円がただになるというのはおかしい。そうやって成り立つパケット通信料というのはもともとそこまでかかるものなのか」というものだ。

 毎月送ってくる携帯電話の請求書も、よく見ても何が何だかわからない。子供たちに聞いてもよくはわからないという。今月の携帯使用料金の割引の内容には「一年割引△750円、ファミリー割引基本料△750円、2カ月繰越適用額△1144円、パケ放題 ダブル無料適用額△371円」と、説明を聞けばそれなりの理屈はついているのだろうが、ジャガイモやニンジンと違って、相手が見えないものだから評価のしようがない。高いか安いかの判別はつきかねる。

 光回線の使用料に至っては、「2年間契約するなら20000円キャッシュバック」などというオマケをつけて、実質負担料金の安売りをしている。他会社が料金の安いものを開発して商品化した場合でも、乗り換えようとするとすれば罰金まがいの9000円負担ありなどという「付加価値」をつける。本当の値段はどうなんだろうというのを、解明するのはやっぱり自己責任なんだろうか。その種の話はとんと聞いたことがない。

 現役のときは携帯電話の使用も結構あったが、現在は頻度が下がった。基本契約料金では高すぎるという実態だから、割引は当たり前だともいえる。便利な携帯電話ではあるが、身の回りには携帯電話から卒業する人もいる。電話を掛ける際には、固定電話を使う方がいい場合もある。固定電話で済むのならそれでいいわけだし、携帯電話をかけた相手に「今話せますか」というセリフも使わなくて済む。不在なら用は使わらないことになるが、相手の事情を無視して電話に出させることにはならない。そういうアナログって、お互いの距離感が合って、穏やかでいいような気もする。



2013年6月10日月曜日

救急車も慣れてしまった

 義父の尿に血液が混じって、出が悪くなった。ときどきおきるので看護士さんに依頼して、処置してもらった。掛かりつけの医者には不幸があって、来てもらえないので、電話で看護士さんが指示を受けながら対応してくれたが、つまっているものがでてこない。結局いつも通っている、大きい病院の方へ行った方がいいということになった。

 介護タクシーで行こうと手配をしたら、先客があって一時間半ほどかかるという。それでは救急車でということで、依頼して病院の方にも電話を入れたら、あいにく泌尿器科の先生が当直していないので、来てもらっても処置できないだろうとのこと。救急車が到着してから事情を話し、行く先を探してもらったが、近所の病院が可能ということで運んでもらった。

 この病院も2年前まで通っていたところだから、気分的には安心さもある。運び込んで処置はすぐできた。医師の説明を聞いたら、血尿の原因はパイプの傷によるものだろうと判断できるが、原因は調べた方がいいというものだった。尿が出なくなって、腹が張ってしまったのは以前にもあるので、心配したものでもないかという気もあったが、原因特定はと言われると判断できる能力もない。4日ばかりの検査入院を承諾することになった。

 我が家の婦人軍団が、催し物に出かけている留守のことで、ちょうどエアコンの取り付け工事にくることになっていた。業者がて救急車と入れ替えで到着して、作業に入ってもらったら、購入したエアコンが大きくて設置場所につかないという。いまのエアコンは、風向だの節電だので機能がよくなった分だけ大柄になったということらしい。商品を買い直しということで、改めての工事となった。

 エアコンは息子の部屋のものも、取り付ける予定だったので、本人が家にいたから、病院に付き添って貰えて助かった。病院は歩いて近いところだから、渡し損なった保険証を持って病院に向かった。入院手続きが終わって3時過ぎに、スーパーで昼食食品を手に入れて家に戻った。昨日は休肝日のつもりだったのに、発泡酒の大きい方を飲むことになった。



2013年6月9日日曜日

「いいね」が良いと悪いと

 Facebookのタイムラインに「友達」の投稿が流れていく。投稿にいいものがあれば、「いいね」をクリックするのが常道というか、交流サイトへのお付き合いみたいなもの。ところが、この「いいねクリック」がなかなかの曲者で、なるほどそうだ共感したという場合に実行することはもちろだが、例えば橋下なにがしが従軍慰安婦のことで、発言していることも「いいね」で付き合うことになる。投稿者の意図はもちろん批判だから、そういう意図を理解しての「いいね」ということになるが、最初は面食らった。

 ある意味ではこの「いいね取り」が交流のステップということになっているのだろう。いいものはいいのは当たり前だが、そのきっかけで思ったこと、感じたことや意見を書き込んだりする。そうして共感を広げていくということになっている。

 これに首を突っ込んでから3年目に入った。
 友達になっていくのは二種類になる。一方はこれまでの付き合いでの知り合いだ。こちらの方は、目下のところ何人もいない。いないという意味は、友達としてこのサイトに登録していても、やりとりの関係にはなっていないということ。でも一度にということではないが徐々に広がっている。

 もう一つはこの交流サイトの参加者で、友達関係が構築されるもの。こちらの方は、コメントがあれば、ご本人のサイト(自分の投稿を集約したページ)を覗いて(覗きでなく通常の所作)趣向やら投稿内容やらを参照する。よしとなれば、友達申請ということになる。承認作業を経て友達成立となれば、ご本人の投稿が自分(私)のタイムラインに入ってくるようになる。その投稿で共感を広げる「クリック」ということになる。

 しかし最近思うようになったが、友達が100人単位以上もいて交流している人がいるが、その友達の投稿をみることができるのだろうか。全員が投稿しないにしても相当量の投稿をみるわけだから、そうなったらパソコンやスマートフォンに張り付いていなければならないだろう。飛ばし読みになると交流の趣旨から離れるのではないか。すくなくとも、投稿交流を通じた友人関係の深化(進化)にはならないのではないかと思い始めた。

 Facebookに限らず、交流サイトやHP、ブログ、掲示板などは無料で使うことができるが、ページにコマーシャルを載せることでの稼ぎが原資だから、どんどん使用する人を増やすことで事業拡大になる。Facebookの場合は、これに走りすぎるくらい突っ込んでくる。友達関係を広げるのに、メールアドレスを使う方法があるが、やや不明な動作もあり、クリックしたことによって、全員に「ーーは、Facebookを利用しているからあなたもどうぞ」という通知を出した。しかもご丁寧に2度、3度。

 タイムラインに時たま流れる企業宣伝があるが、これにも「いいねクリック」があって、いいと思うものにクリックをすると、友達のタイムラインに「ーーさんが〈いいね〉と進めています」とやってくれる。余計なお世話をして走り込むようで、若干違和感を覚える。

 言いたいことがちょっと逸れたが、これは絶対にいいと思うものを投稿したら、「いいね」のクリックはなかった。私の友達には自然の感性の豊かな人が少ないのだろうかと思って、今日のブログのネタとなった。

投稿したのは



紹介文章をつけて「友達」の投稿をシェアした
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写真は大槌町源水川のバイカモ(撮影:森誠一)です。震災後ずっと大槌町の支援で現場に通っておられる岐阜経済大学の森誠一先生は、湧水生態系を生かした町づくりを呼びかけておられます。その大槌町ではイトヨも湧水域に復活したようです。先生のメッセージと「湧水とイトヨを生かした町づくり」への提言をご本人の承諾を得て紹介させていただきます。

















2013年6月8日土曜日

コンビニに手数をかけた

 針小棒大な話かもしれないが、ちょっと厚い文書の束を送ろうと思って、コンビニに行ってメール便でお願いした。持っていく前に、宛先が郵便局私書箱になっているので、やや気にはなったけれどもポストには違いがないのだから、届くだろうと判断した。受け付けはしてもらったから、判断はよかったのだろうと思っていたら、夕方コンビニの人が訪れて扱えないものという説明だった。

 そういう決まりなのだろうからやむを得ないものだろう。
釣りの会員への会報郵送には、ひところは10数通をコンビニに持って行って扱ってもらった。ところが、一通ずつシートを張り付ける作業が面倒そうに思えた。担当している人がそういう態度をしたわけではないが、こちらも待っているのに時間がかかる。結局80円切手で間に合う重量なら、切手を買って貼り付けてポストに入れた方が、先方に早く届く利点もあるからそのほうがいいと、最近は切手をはることにしている。

 ただ、分厚くなると切手では費用がかさむので、そういうものはコンビニを利用することにした。分厚いものは少ないから、こちらがまっている時間も少なくて済む。

 分厚い郵送物は署名だった。宛先が私書箱になっているのは先方の合理性の問題だろう。あちこち散らばって集めるより、一カ所にということだ。こちらも団体の活動でやっていることだから理解はできる。でも、活動の費用は抑えたいからやっぱりコンビニから送りたい。そうでないと、「民営化」した恩恵がないことになる。先方の個人宛に送ることにしよう。時間が余分にかかってしまうが、まだ締め切りは先だし。




2013年6月7日金曜日

出で立ち

 年寄りは年寄りの出で立ちというのがあるのだろう。仕事がないという場合の出で立ちはどうなんだろう。まあ、いまならTシャツに作業着風のパンツが自分の定番。これは楽でいいが、ゴミ置き場までの範囲だ。出かけるときには、ジーパンに履き替える。人生にあまりこだわりを必要としなくなったっからか、刺激がないから家人に文句を言われない程度のスタイルで暮らす。

 ジーパンは便利で、なんとなく本数が溜まっている。いつも穿くお気に入りは決まっている。ところが、旅に行くにつけても同じジーパンを着用してしまう。表だって批評する人もいないと高をくくっていた。

 そしたら、最近の脱原発デモの参加者服装について、コメントしている人がいた。高齢者は、パリッとしない服装で、昔の儘のスタイルじゃないかというもの。言われてみれば、昨今のデモやパレードの、特に若者のスタイルときたら、仮装行列みたいだったりして、鳴り物入りでともかく目立つということに、主眼がおかれているようだ。それはそうだ示威行動なんだから。ヨレヨレに近いTシャツにくたびれたジーパンスタイルでは、ダメというわけではないが、ちょっと足りない服装なのかもしれない。

 ただ、一言弁解させてもらうとそれなりには考えたつもりだ。それは傘で、釣り用の傘。ビニールコーティングだから雨のときにもいい。なにより風通しがいいから、汗かきで帽子嫌いの自分には最適。これに原発ノーと書けば上出来ではないか?6月2日の集会では、釣り竿に「魚」をつけてリュックに括り付けた。「らしさ」がでてきたと自画自賛のスタイルだった。

 蛇足ながら、この傘は撮影の時にもいい。カメラを構えたときにはカメラが傘の下に入る。夏祭りを撮っていたときかぶっていたら、若い女の子が「おじさんかっこいい」といって正面を向いた。瞬間一枚パチリといったことは言うまでもない。