2014年8月31日日曜日

代々木ゼミ、受験生が少なくなったから縮小とは。

子供が少なくなったから、競争が無くなって、大学入学が容易になってきた。大学の定員割れが起きて、教育産業には打撃になっているとか。定員が少なくて、受験競争が激しくなる方が事業として成り立つわけだから、悪く言えば人の不幸につけこんで利益を上げる産業だ。親のスネかじった金を当て込むことで成り立ってきたのだから、理屈の上では良いことと言えるのだが…。代々木ゼミは大幅に縮小するそうだが、駅から5分以内の場所にゼミ校舎・施設設置しているので、廃校によって売ってしまうにしても地の利がいいから、需要が見込めるのだとか。その学生寮なども購入企業の宿舎として利用できるということまで想定していたという。これを持って「見通しのよい」優秀な事業者だったと評価する向きもある。

教育が私的事業者に依拠することは、教育に責任を持つ国や自治体の本来あるべき姿ではない。大学もいまや教育「事業」として、私企業から補助金を受けて研究開発の一体化へと走っている。産学協同はいかがなものかと言われてきたが、最近はほとんど聞こえない。しかし、いまや産学連携は「常識」のように闊歩している。教育が私企業の開発のための下請けになって、その研究に従事した学生が、ノウハウをもって企業に吸収される。それでいいのだろうか。大学の自由で豊かな研究、学習を歪ませていないだろうか。

公務員の場合も公務員専門学校がある。本来は事業者が企業業務の教育をするべきところ、就職前から自己の責任と金で、事前教育を身に着けさせるという可笑しげなことがまかりとおっている。新規採用者の教育にかかる費用が安くて済むという話だ。事業者にはやさしい制度が堂々と許されている。

―東海大学のソーラーカー開発に多くのスポンサーがー
  →東海大学木村研究室







2014年8月26日火曜日

自然を邪険に扱うこころ

自然とのかかわりから人間は抜けられない。であるのに自然に対して冷たい仕打ちばかりが目立つ。人間集団の運営は、自然に対しての考慮も配慮も先送りしている。もっとありていに言えば、事業活動優先の「ものみな」有意義な資源としてみているところに原因があると言えるのではないだろうか。

農業でもコメ作りを大規模化させて淘汰し、日本の一つの県ほどの面積が減反として切り捨て誘導され、「耕作放棄地」とその名も主体的にしたかのような文言で切り捨てた。写真に撮る「棚田百選」でも、美なる田んぼはもはやオーナー制度の観光農園としてしか生き残れないところもある。これが文化として残っていくのだとあれば、あまりに皮相すぎないか。

以前にも書いたが、佐渡のトキを増殖させるために、ドジョウが田んぼに生息する環境に回帰させる、つまり田んぼの昔の姿の戻すことに金をかける。「特別」の資金(税)を投入して。これを素直に、自然への配慮という評価するわけにはいかない。自然の体系が守られることが必要だと、気が付いたことは良しとしても。

経済成長の美辞句のもとに、事業活動の有効なグッズ=自然としてしか扱ってこなかったこと、その影響が様々な分野で問題を生じ、指弾を浴びるのは当然だ。これに気付くべきだということは声を大にしなければならないことだと思う。一刻も早く今からどれだけのことができるかを考えなくてはならない。

自然を大切なものとて考える団体も少なくない。なのに、市町村や国の機関はどれだけの施策を持っているのかを思う時、期待の大きさとの隔離を思わないではいられない。「資源」としての活用という範囲しか見ていないという、これがネックとしてあるといえないか。沿岸海域の魚貝類はおしなべて養殖したものが幅を利かせる。そのことを全部否定するわけにはいかないが、それほど海が疲弊化していることだと、しかたがないことに終わらせていいのか。




もともと自然の力は壮大なものがある。気仙沼市の唐桑町は3年前の津波被害で大きな打撃を受けた。
漁業従事者が生き死をかけた復活を試みて、皮肉なこと津波で変化した海岸にアサリが繁殖しているのを見て、復活にかける決意をした。15メートルもの防潮堤を造ってしまったらそれさえもなくしてしまうと、建設不要と言っているとのことだ。

津波にあって、海底の改変がおきたところでも、アマモの繁殖がすすんでいるのだということも明らかになった。しかもアマモは湾を跨いで流れていって繁殖するということだ。神奈川県の水産試験場が、東京湾にアマモを増殖させる努力を続けているが、自然の力とはそもそも凄いものだ。これをほとんど失くしてきたのが自然への「もてなし」だった。東京湾の三番瀬でもアサリが繁殖している。湾のほとんどの浅瀬を埋め尽くして造成してしまった今、この残された貴重な干潟にアサリが息づいている。その稚貝はかつては東京産として地方から求められていた。自己再生が不可能になった今、日本の各地でもアサリは種苗生産としての道を残すだけになってしまった。





2014年8月22日金曜日

開発と言う名の自然破壊になるのでは

 広島県の<土砂災害危険箇所>特別警戒区域の指定が遅れているという記事があった。

~「特別警戒区域」の指定は、320か所と全体の2・7%にとどまる。同課は「警戒区域の指定を先行させ、まずは住民に危険箇所を知ってもらうのが狙い」としているが、新築時の建築確認など規制や制約を伴うため、「地価下落や風評被害を心配する住民の反発を避けたい」との思いもあるという。
 特別警戒区域の指定も、住民の同意を得る必要はないが、県は「納得してもらった上で指定したい」と説明を尽くす方針だ。このため、警戒区域との同時指定を目指す、ある1市約20か所については調査から1年以上経過しているが、警戒区域に指定しておらず、特別警戒区域の指定にはさらに時間がかかりそうだ。~YOMIURI ONLINE  

 昨日のブログで指定に反対すると、行政側が指定しないと書いたが、広島県は「反発を避けるために納得してもらって…」というやり方をしていると、事実上反対があれば指定しないと述べている。住民にとって地価の下落を心配するというとが、本筋なのだろうか疑問だ。16年前に起きていることへの教訓はどうしたのだろうか。

 広島市の住宅開発は、丘陵地を利用したものを重点的に描いている。これが、広島西風都市という名の開発計画によるものらしい。土砂災害がひどかった安佐南区がこの都市開発に組み込まれている。
 ここは市街地の原爆ドームの前を流れる大田川の上流部が、婉曲して囲んだエリアになっている。被災地の広島市安佐南区、安佐北区の航空写真をみると、低い山のいたるところがおおきく掘削されて、住宅地として開発されているようだ。山頂付近の住宅の一群に単独の「丁目」がついているところさえある。こんな開発でいいのだろうか。

 グーグル地図→広島市安佐南区

 航空写真では、山や森の役割をほとんど無視しているように、「人のテリトリー」を拡大している。むりやり山を削って痛めつけ、ヒートアイランド現象を増大させること、このリアクションが今の破壊的な豪雨の元になっていると言えるのではないのか。人が住み続ける場所の造成は、本当は「山のエリア」ではないのか。ないがしろにしているツケ、そんな風にも思える。


ひろしま西風都市開発推進協議会→ひろしま西風新都




(昨日のブログで「京都」と記してしまった。他、不正確だった部分を訂正した。)




2014年8月20日水曜日

災害を自然のせいにしておくのは策略だろう

 土地値が下がるから、「特別警戒区域」指定に反対すると、行政側は指定することがでないのだそうだ。そんな馬鹿な話があるのかと思うが、京都市の地すべりではたくさんの犠牲者が出てしまった。平成11年にも30名上の犠牲者があったとのことだから、同じ轍を踏んでしまったことになる。広島市の消防担当者は対応の遅さと判断が遅かったことを反省する弁を述べていた。大島の土石流の被害でも自治体判断の責任の重みが言われた。身近な自治体の対応が大事なことには違いないが、この豪雨の予報もまだ的確なものと感じない。

 8月初めから11号台風の影響と合わせて、間欠的な豪雨が続いて四国地方を中心に被害を受けたが、さすがにこれまでの台風被害にたいする弾性をもっているのか、その割に大きな人的被害にはならなかった。このときたしかに「特別警報オンパレード」のように警鐘乱打したことが功を奏した面もあるのかとこの時思った。

しかし要は「温暖化」をまだ正面から見てない、というより見ようとしていないところに原因があるような気がしてならない。ここのところの雨の降りようは、なまじなものでない。「何年に一度の」だの「8月の降雨量を3時間で」などといってなんの意味があるのだろう。たくさん振ったものだからしかたがないと言う気かと皮肉りたくなる。

広島市の宅地開発は、山際までどころか傾斜部へ競りあがってまで住宅を造っている。テレビ画面を見ながら、すさまじい住宅の密集具合に驚いた。冒頭の開発事業者の発想とも思える「特別警戒区域」指定を蹴飛ばす安全とはいかなるものなのだろう。住宅地開発の際の安全性の調査は、その気になれば簡単にやれるものだったろう。アルプスの急峻な山というわけでないのだから余計にそう感じる。

当日夕方のニュースでは、すでに地層の種類まで言及されていた。わかっていながら、いわば結果として野放しにしてきた。調べた後の行政側のリードがあってこそ、安全を手に入れられるのではないか。おそらくどこにでもあるように、潜在している問題を掘り出しえないまま、開発容認の方向へすすんだのだろう。丹沢湖のキャンプ場の河川敷無許可使用の行政指導(6回やったと)といい、どうしてこうも事業者の「規制」に優しいのだろうか。


平和と安全を守るためにと戦後をひっくりかえすようなことに執心の政権だけれども、国民の生活の安全や平和な生活のために、さっさと手を付けるべきはここにもある。



2014年8月18日月曜日

戦争は犯罪でなくてはならないと思うとき

2年前のNHKビデオを見た。アッツ島の「玉砕」で2600人が死んだ。軍司令部は「なんの援助も求めなかった」と支援を求めていたことを隠して美化し、「捕虜の辱めをうけず死ぬこと」を遂行させた。このとき19438月。自らの手で死ぬことを選ばせることを、玉のように美しく砕け散るというワード「玉砕」ですり替えた。終戦まで2年も軍部の玉砕戦略が続く。海軍の回天(人間魚雷)、神風特攻隊はこの象徴。これは狂気としか言いようがない。

某幹事長がいう「血を流せ」は戦闘地域に行って死ねと言うことに連動する。だからアッツ島で傷を負って捕虜で生き残った人は、生き残ったことを恥として心にしまいこんできた。戦争に反対することを残虐な手法で封じ込めてきた当時から、いまだに血の匂いを嗅ぐのが当然とする主張が出されてくるのはどうしてなのか。
 
 NHKの討論会で若い学者に「アメリカの若者が戦場で戦っているのに日本の若者が血をながさないのはおかしい」と言わしめる。こういう番組がNHKの真骨頂と思わせる場面だった。15日のNHK番組「大人のドリルSP」では~「第二次世界大戦で、日本はどこと戦ったのか?」「その時の日本の同盟国は?」10代・20代の若者たちに質問すると、なんと半数の人たちの答えは「わからない…」!!!これは、学ばなかった若者たちの問題なのか、伝えなかった大人たちの問題なのか!~と問題提起した。

 マスコミの戦争協力報道を自己批判する発言もあって、これはNHKの良心かなとちょっと感じさせた。出席した解説委員から、「学校教育の中で戦争の問題を学ぶようにする」という発言もでた。日本は戦争の反省もなく教育からもその問題を遠ざけているわけだから、若者が学ぶことは、将来中国や韓国などとの友好にも役立つことだろう。しかし戦争を知る世代が、知らない世代へ伝えることは、繰り返してはならない時代の一番効果的な方法であることは違いないことだろう。アジアで2000万人、310万の日本人が犠牲になったという重みは、過去にあった出来事ということで置いておくだけではあまりにも大きすぎる。



2014年8月14日木曜日

アジの開き、上出来の自己満足

昨夕、Sさんが釣ったばかりのアジを持ってきてくれた。18センチほどのものだったが、30尾ほどもあるのでどうしようかと考えてしまった。どうしようかではなくて、実は気の利いた調理はやったことがないので、どうしたものかと考えあぐねたというのが正確なところ。干物なら塩水に浸して干せばいいのだから、なんとかやれるかととりかかった。小物を切る出刃包丁がちょうどよいので、ハラワタを出して、5枚だけ塩焼きにするもののほかは全部開いてみた。包丁の入れ具合もままならないから、何枚かに一枚は偶然きれい開けた。ギザギザに身が切れてしまったりしたもの多かったが、なんとか「開き」らしきものができあがった。海水は相当辛いものだから、真水に相当塩を溶かし込んで、一時間ちょっと漬け込んだ。風もなくて乾燥できるのだろうかと心配はしたが、翌日の午前中までともかく干すことにした。干し籠に入れてベランダにつるしたら、奇しくも3段の棚がちょうど一杯になった。

21時ころにウォーキングに出かけようと外に出たら、雨が落ちてきた。あわててベランダの干し籠を取り込んだはいいが、干し場所はもとよりない。ドアの洋服掛けフックに括り付けてぶら下げた。多少臭うだろうとは想像したが、その匂いたるや想定外のものだった。生ものの匂いには慣れているつもりだが、その凄さに驚いた。幸いにも23時ころには雨が上がったので、また外に出すことができた。部屋の匂いがすごいので、このまま寝ることもできないから、しばらく窓を開放して空気を入れ替え、竹酢液を小皿にとって匂い消しのために置いた。


翌日は曇りで、予報では午後から雨とのことで、いつ降り出すかという空模様。でもなるべく外に置きたい干し籠。空を眺めては様子を見ていたが、黒雲が厚く見えたのを機会に、干し籠から取り出して新聞紙に3つに分けて包んだ。まだ生乾きみたいな気もするが、空模様を変えるわけにもいかない。昼食時に3枚焼いて試食してみた。魚の新しさからか、思ったより旨い。上手くできたのかどうかはわからないが、食べられるものになっているだけで上出来ということにしておこう。ただ、塩味がちょっときつかったから、この次の時は塩漬けの時間を短くした方がよさそうだ。






2014年8月12日火曜日

釣りは無念だったが、雨降りの中断に観光できた幸せ。

 83日、帰る日なのに容赦なく雨が降り続きている。しかし実は情けなくも、すでに体中が疲れてきているから、友人とは違って気分はそんなに悔しさ100%と言うわけでもない。15時ごろに高知空港に着くまでの過ごし方を相談しながら、散らかった釣り道具と衣類をもとのように戻す。

 どうかなと迷いながら、時間つぶしのドライブで室戸岬に行こうと決断した。風雨で影響がどこまであるのか心配ではあるが、距離はそんなに遠くないので、ときどき強く吹き付ける雨と風を体感しながら、海沿いの道を南東に向かった。現地に着けば晴れるだろうと、昨日のドライブでは体験した「根拠」をなかばやけっぱちに言い放ったのだったが、不思議なことに室戸岬に着いたときには雨が上がるという偶然に恵まれた。


 そのわりにはあまり波が高くない岬を覗いてから、最御崎寺(ほつみさきじ)を傘なしで回った。寺は室戸岬の高台にあり、24番札所とのことだった。神仏には日頃は縁遠いのだが、風雨のさなかよい時には晴れにしていただいたことに恩義を感じて、お参りの真似事をさせていただいた。











2014年8月11日月曜日

台風接近で雨が降り、ときたま雨が上がるとき狙う釣りも…。

 



 82日、朝から釣を諦めさせるには十二分の雨降り。なんとかしてやりたい気持ちはあるが、この降り様ではと泣く泣くあきらめて、ドライブに出かけることにする。雨がひどいと道路にも影響が出るのではないかと思いながら、室戸岬へ行こうと下り始めて間もなく、道路遮断の表示が。11時までは通行できないと工事関係者が話す。回り道はないというから、ふうてんの身をしょうがなく山の方へ車を回転させた。

 昨夜、温泉のレストランの女子が、自分の家の近くは素晴らしいところと紹介してくれたのを思い出して、魚梁瀬(ヤナセ)に向かうことにしたのだ。しかし途中、雨が気まぐれのように間欠しながら降っていて山道の暗さも、少々恐怖さえも感じる。「道路に砂利が落ちているところは崩れやすいんだって」などという話題で余計気になってくる。対向車もあまりない細い道路をしばらく走ると、ダムに行き着いた。展望台を探し当てて眺める景色はなかなかのものだった。

 女子の話のように、なるほど景色はとても素晴らしい。そのとき、降り立った瞬間だけ雨が止んでいた。春や秋にはよほどの景色だろうなと思う。幸運にも写真を何枚か撮ることができて、ドライブの甲斐を賞することができた。



 温泉に戻ってきて、またちょうど上がりそうな雨をにらみながら、よし釣りをやろうと身支度を整えて、川に降りたら途端に雨が降ってきた。それもなまじな降り様ではない。おまけに雷まで鳴りだしてきた。熱意は天に通じない。ウーンダメだとギブアップ。夕餉にまた、地酒と焼酎を飲みほして、明日の帰京日の朝に淡い期待をかけることになった。レストランの女子は、車で通う道で崩れた砂利をみると、手袋をして道路の砂利をどけるのだとか。馬路村の良さをしきりと教えてくれた地元を愛する心意気が伝わってきて、有名温泉地で聞くような表面ばかりの案内とはちがった気持ちをもたせてくれた。






2014年8月10日日曜日

生涯初のアユ釣りは面白みどころでない体験。

 81日は、河口から20キロはある馬路温泉泊の早朝、安田川の上流部でアマゴを狙おうかと3人で出かける。車から眺めながら見る流れの落差はそんなにないが、道路からの降り口がなかなか見つからず、あっても川からは高いので、なかなか流れには降りられない。渓谷は素晴らしい眺めだが、探しながらいくら上へ行っても同じ状態なので今度は逆に下ってみることにした。

宿泊している馬路温泉近くまで下りて、見たところよさそうなところに車を止めて降りてみる。流れの落ち込みで、頭からネオプレンのタイツを纏って、釣竿を持ちながら、箱メガネで川を覗いている人がいる。半身以上川に浸かって、アユの泳ぎを観察しながら竿を振ってひっかけるようだ。あとでわかったが81日から、「しゃくり釣り」の解禁になっていた。見ている間に3尾もかけて、見事なものだった。さて釣りを始めようかと川を眺めてみるものの、動き回るにはちょっと足元が悪いと見えたので、再度の移動となった。

川は平たい流れになって、歩くにも危険はなさそうなので、釣り場を定めた。東京から持って行ったブドウ虫を分けて、針に付けて流すと、第一投でかかったのはカワムツ。渓流でこれが圧倒的に多いのは、以前に四万十川で体験したから、覚悟はしていた。しかしそれが入れガカリだ。なにもアタリがないよりはいいにしても、どうしてこんなにいるのかと思う。この魚は天ぷらだとか唐揚げで食べられる魚なのだが、日常のつり種目にないものだから、疎んじてしまう。釣ることの楽しみは十二分味あわせてもらったが、すべて放流した。そんな状態で、やっと小さなアマゴが1尾だけ顔を出してくれた。

朝食後はアユ釣りだ。私とすれば、アユ釣りはお付き合いのつもりだ。(というと友人には失礼になるかもしれないが、)アユ釣りの面白さは、周りの釣り師たちの突っ込み具合を見ていると解る。釣りはなんでも面白いが、突っ込んでやるのは一つの魚種でもとても奥が深い。いまだにハゼやフナ釣りでさえも、確信に至らないから、ずば抜けて面白そうなアユつりには手を出さないと決めていた。でも信条に反するというほどのことはなく、やらせてもらうことにした。

なんでも知らないことを初めてやることが上手くゆくはずはない。友釣りのためのおとりアユをつけてもらった後は、一人でやることになって、どうにもならない。泳いでくれぬオトリアユをやたら引きずり回して弱らせてしまって、可愛そうなことをした。ところがそんな状態なのに、アユが掛ってきた。目印がとんでもない方へ走ってくのだから、シロウトでもわかった。かかった魚をどうして取り込むのかは、友人が近くにいないからわからない。タマ網をどうやって使うのかのイメージも不明で、ともかくも苦しがるアユを見よう見まねで付け替えて、再投入。反応がないので場所を変えたくてもどうやって魚を運ぶのかも想定できない。やむなく引きずり回すことになった「虐待」行為。それでも2尾目も掛ってくれたから、まあよかった諸体験だった。魚はたくさんいるのだろうということだけはわかったが、ガッツーンとかかる面白みは、もっと授業料が必要なのだろう。
午後からは馬路温泉の直ぐ下の河原でカワムツ承知の釣りをする。今度はアマゴが2尾釣れてきた。これはアユと一緒に塩焼きになって夕食の食卓に上った。


2014年8月9日土曜日

土佐の高知でアマゴが釣れたらいいな。しかしまず、カツオを食べる初日。

 関西の釣りとなると、魅力的で気持ちが動く。めったにいけるものでないから、誘われてうれしい旅だった。それにしても、最近は出かけるときの天気はどうして雨にたたられるのだろうか。家にいることが多いこの頃ではあるが、ウォーキングや買い物に出て、2回も傘なしでどしゃ降りに合っている。昨今の天候せいもあるから、もっぱら運が悪いというわけでもないと思っているのだが、今回また12号台風が居座って、向かうところの高知県には雨の予報で埋まっていた。

 731日には、なんなく高知空港に降り立って、市内でカツオ料理を昼食にすることができた。運転手役には申し訳なかったが、せっかくのカツオにビールがつかないのでは片手落ちと言うもの。一杯だけと遠慮しながら美味しくいただいた。




 食後、レンタカーを西に向けて走らせ、蒸し暑くはあるものの、幸いにも曇りがちの天候の仁淀川河口にたどり着いた。シロギスは釣れると聞いていたので、途中でアオムシを購入して張り切って、竿をのばした。延べ竿でシロギスがかかったら、引きが強くて面白いと言いながら始めたものの、音沙汰はまるでなくてウロハゼとウミタナゴの小さいものが顔を見せてくれただけだった。事前にグーグルの地図を見ながら、シロギスは釣れそうだがハゼはいないだろうかとあたりをつけて、釣具屋に連絡を入れてみたら、ハゼはどうやら無理のようで、シロギスもことしはまだよくないとのことだった。