2014年11月23日日曜日

太平洋のクロマグロとハゼ

 太平洋のクロマグロが絶滅危惧種に指定された。過去22年間に1933%も減ったと推定されたことで、日本の捕獲量も2000トンほど制限をするとのことだ。その分を大西洋の方から獲るとのこと。日本人がマグロが好きだから…ということかどうかはわからないが、飲み屋では刺身を必ず頼むことが多い。日本が海産物を味わいやすい環境にあるから、ツマミやには必ずと言っていいつきものとなるのだろう。しかし、だから海のはるか遠くへ出かけて行って、獲りまくるということではマグロが枯渇するのは当たり前だ。需要に応えるのが「事業」だが、そういう意味での調整は賢明で必要なことと言うべきことではある。

 刺身を食う贅沢も、子供のころの体験として味わった。食べることが戦争に「勝つまでは」だったことが、敗戦後は生活に関わる物事が「復興」するまでは窮乏生活だった。「贅沢しないこと」が美徳として存在価値があった。いまはスーパーで、いつでも手に入る。そういう自由は手に入れたが、そこまでは漁獲技術の近代化のおかげということになる。しかし、世界で漁獲・養殖・畜養された天然魚(太平洋クロマグロ、大西洋クロマグロ、ミナミマグロ)、養殖クロマグロ(日本産)、蓄養マグロ(太平洋クロマグロ、大西洋クロマグロ、ミナミ マグロ)の70%以上を日本が漁獲・養殖または輸入しているというものすごさだ。そんなにマグロを食べなくては収まらない日本人の胃袋になってしまったのだろうか。

 クロマグロ漁獲量(主要港における水揚量の総計)は年々減少し、築地市場に上場されるクロマグロ(国産と輸入)の取扱量はほぼ一定とのことなので、輸入物に比重がかかている。今すぐというわけではないが、新しい耐乏生活になっていくのかもしれない。
スーパーではタイがよく並べられている。タイは高級魚(かつてはかな?)で、めったに食べられないはずのものだと思っていたが、これも今は比較的安価に手に入る。タイは種苗放流のさいたるもので、成長が12年の期間で商品化される。だから、比較的よく流通しやすくなっているのではないか。わが家の年寄りが、生もの苦手の人だが、タイなら、焼いたものを食べる。いわゆるイカ、タコほかの魚は嫌う。よって、結構高い頻度で食卓にのる。ほかのものも食べるものが少ないから、その意味でも贅沢というわけにもいかない。いつでも食べることができるのは悪いことではない。

 真鯛は近海ものだけれども、天然のものはほとんどいないだろう。稚魚放流で育ったものが、獲られる環境しかない。魚の種苗放流は、食を確保する重要な事業には違いない。貝塚からヒラメやタイの骨がでてくるように、大昔はいやというほど生息していたに違いない。現在の漁業技術なり、事業化によって獲りつくしてしまうことになったり、魚の生息環境を破壊しつくすほどの改変をしてしまった。そのことをしかたがなかったこととして無反省であってはならない。賢明な人間社会としてはお粗末だ。


 それはそうと、我が家の年寄りはから揚げなら魚もいける。よく揚げたものなら大丈夫で、気持ちの良いほどしっかりと何回にも分けて食す。シロギスも丸上げで良いし、ハゼも喜んで食べる。食物の好き嫌いは多少の我儘と味の勘違いによるものでないかと常々思うが、人間の舌は結構いい加減なところがある。どちらにしても幸せに思いながら食べるのがよい。今年はそのハゼつりも、一回やっただけだった。喜ばれる食べ物の獲得を大義に、もう一回ぐらいはハゼ釣りに行きたいものと、画策している。









2014年11月20日木曜日

たまたまテレビで見た、ラフマニノフ:ヴォカリーズ がすばらしい

 ラフマニノフが作曲した、歌詞のない歌「ヴォカリーズ」。ラフマニノフが曲を作り、親しい友人の意見を取り入れた。そしてその歌い手に送ったという。テレビ番組でははっきりと言っていないが、これは恋の告白じゃないのかな。そんな気がした。
 
 先日釣りの会の人が属している合唱団の「歌声喫茶」に行ってみた。昭和時代の知っている曲を多くうたって、気分が明るくなった。最近テレビの音声が少しだけ聞き取りにくくなった。朝になるとよく聞こえるので、体調によっても違うのかもしれない。 いい曲を聴くことで、聴覚にもよい影響を与えるのではないだろうか。


オーケストラで





歌で













2014年11月14日金曜日

一週間たってブログを書く

 前回ブログ投稿から一週間もたつと、また書かなくてはという気になってくる。もしかしたらだけれども、脱法ハープのような作用があるのかなと思えてきた。アルコールもそうだしタバコや、パソコンやスマートフォンと同じようにそのけがあるとしたら、ビョーキに近いことになるのだろうか。いやいや、家にいてウツウツとして身の回りに近いことばかりしていると、人間の活動としては「足りない」ということなのだと、自己弁護ノセリフが頭に湧いてくる。


 書きたいネタがないわけではないが、まとめて書くにはそれなりの時間もかかるし、下手なりの推敲だってある。けっこうなエネルギーがいるのも実感する。肩ひじ張らないでやるのがいいと思うのだが、それだって多少の時間をかけないとうまくは運べない。

  2日の日に臨海部の有明北に行って写真を撮ったが、そのとき動画も撮った。ちょうど、有明北埋立地と「豊洲新市場」の間の運河に釣り船が一艘、手漕ぎで操られていた。見ていた橋からは遠かったが、どうも和竿のハゼつりらしいと睨んで、近づくのを待ってからカメラを向けた。有明埋立地の脇をゆっくいり流しながら、二本竿で釣っているのが見えたが、あんまり竿があがった様子でもなかった。

 有明北はそうとう荒れ野原風のままだが、埋め立て反対、自然を守れという声に押されて、「カニ護岸」をこしらえることにつながった。有明北のその場所でハゼつりをやらせろと、冗談でなく東京都に打診したことがあったが、「液状化の危険」を理由に断りの返事があった。しかし、その脇のすぐ北側にある豊洲新市場の建設が進められている。有害物資があるとその対策にも相当の資金を投入されているらしいが、「液状化の危険」はなしなのだろうか。











2014年11月7日金曜日

埋めては掘って、「経済の発展」に資するとか

 しばらくぶりに有明北に行ってみた。東京都が2000年に埋め立てを強行したところだ。当時は埋め立てに反対する声の高まりで、都議会でもハゼ論議がされ、石原元知事が「ハゼはどこかへいくでしょう」と答弁したのが語り草になっている。再開発の起爆剤としての莫大な事業資金投入で、臨海部開発のための埋め立ては事実上の失敗に終わっている。企業からはそっぽを向かれて再三にわたっことて、「安売り」を試みたものの大方売れずに、14年たった今でも有明北は原野が残っている状況だった。

 2016年のオリンピック開催招致に向けては、「選手宿舎」として利用する計画があった。経済の活性化めざすとする大義だけが生き残っているようだが、今も大方はススキが原になってるだけだった。運河を挟んだ北側では豊洲新市場の建設が大仰にすすめられているが、有明北ススキが原とのコントラストが奇妙で可笑しい。


有明北埋立地


豊洲新市場工事








2014年11月3日月曜日

神田川界隈の紅葉狩り

 神田川の中野新橋から、中野坂上の高層ビルを見ることができるので、撮影の軽いメッカになっている。今日もそこから下流のほうを眺めでみたら、流れの右岸方に小砂利がたまっていた。少し上でこの神田川の拡張工事をしているので、そこから流れてきたものだろうか。その反対側は、なにか雑草が何本か立ち上がっている。川は本来の機能として、上流から流れてきた土砂を堆積することもあるし、養分を含んだ土には植物をはやす働きをもっている。ところてん突き穴のような角ばったへりに押し込められて、大型側溝として道を定められる工事にさいなまれても、川の本性をなくさないのだから大したものだ。

 川に沿って下ると途中にミニ公園があるが、ここの桜はまだ紅葉していない。山手通りから長者橋をのぼって中野坂上の高層ビルのところまで行くと、ビルの脇に公園がある。高層ビルには緑地を付けることになっているらしいが、大きくないその公園にまだ若い木々が育っている。そこはうっすらと紅葉がかかっている。行程一時間ほどの紅葉狩りだった。