2015年2月25日水曜日

北風に 放り出されて 波の花


 能登半島を周って海を眺めているうち、波ばかりどれくらい写したろうか。同じものと思いながらも、ところによっては波立ちが違う。それでなんだか皆夢中になって撮っていた。寄せては返す波なのだから切りがない。

 切りがないと思いつつまた車を止めては写すのだから、デジタルカメラの功罪とでもいうべきものなのだろう。銀塩フィルムなら一枚いくらと費用を考えてしまうからそうはならない。だから腕前が上がっていないだけ、シャッターを押す数が増えることになる。

 波の花も名物らしいが、泡が汚れているように見える。汚れているのではなくて、多分相当海の栄養分を含んでいるのではないだろうか。陸地から運ばれたものが回りまわって陸に帰ってくると考えると、自然のダイナミックさとロマンを感じる。





波の花が吹き上げられた














2015年2月24日火曜日

輪島の朝市、出店が少なくて

 二日目の輪島は、水曜日で朝市は休みの日だった。毎月第二、四水曜が休みだったのを思い出した。前日に雨の合間をひと回りして、港の周りを一巡りして様子を撮っておいた。夕方5時ごろだったか、有線放送で「明日の巻き網漁は…で…」といった声が流れた。繰り返しの放送を確かめても、なんといっているのかはよくわからない。ちょうど行き交ったおばあちゃんに尋ねると、これもダイレクトには理解できない。聞き返して、ようやく天候が悪いから巻き網漁はやらないということが分かった。輪島まで来るまで眺めた海の海の様子はで、そうなんだろうなと思った。

輪島には二泊の日程だったので、翌朝これも雨の降る中カメラを濡れないように庇いながら市場に向かった。市場は撮りにくいものだ。店で働いている人、主にお婆ちゃん達を撮るのだが、ただ撮るのには気が引ける。撮影仲間同士で、誰かが話しかけてやり取りしている間に、他の仲間が撮るようにするという方法が、なんとなく身に着いた撮影方法になっている。しかしそれにしても、買って行けとあちこちから声をかけられると、知らん顔ばかりはできない。ちょうど当日コースの昼食時には食べられる店はないので、なにかを買って用意しておこうということで、おこわのお握りを買うことになった。


市場はこれまでになく出店しているテントが少ない。今の時期は野菜が採れなくて品物も少なし、高齢者がおおいから休む人が多いということだった。そういえば割り方若い人が目についた。ご多分にもれず高齢化の波は観光にも影響をしているのだ。北陸新幹線が開通になって、観光客が増えることになるのだろうか。















2015年2月21日土曜日

能登、白米千枚田の珍景もカメラに

能登の旅一日目の夕方近くに、世界農業遺産になっている白米千枚田に着いた。先日A新聞にL・E・Dを使ったライトアップの写真が紹介されていたので、ここを撮ろうとは言わずもがなの予定に入っていた。到着時は雨だったもののほどなく止んで、寒ささえ堪えれば絶好の撮影になった。

ホテルの食事は遅くしてもらって、6時半まで千枚田を撮って、ライトアップも撮ろうということに、もちろんだれの反対もなくて頑張ることになった。手がかじかんでくるが、何回もあるチャンスでないので、懸命に撮り続けた。確かにライトアップの効果が上がっているようで、いまどきにしては観光客が結構集まってきていた。雨が止んだうえに、遠目だが西方には太陽の明かりさえ見えて、今回の旅の満足度を高めてくれた。

 以前にもブログに書いたが、この田んぼはオーナー制度になっていて、四季折々の訪問者で賑わいがあるらしい。農家が立ち行かなくなって、観光農園としてにぎやかなのを否定するわけではないが、世界農業遺産として「遺産」になったことを農耕民族としては釈然としないものを感じる。TPP交渉も内容が秘密のままにすすめられているが、日本の農業全体が「遺産」になってしまっていいものだろうか。だからというわけではないだろうが、高名な政治家がオーナーになって、農業を「支えている」という珍景も記録として撮っておいた。















2015年2月17日火曜日

爺を鬼にして、いぬ間に写真撮影に。

 連れ合いが腰の手術をしてから3か月有余が過ぎて、その間に老健施設に入所していた爺が14日に家に戻った。いつ家に帰れるのかと、家族が行くたびに楽しみにしていた。家にいれば多少の軋轢はあっても、やってもらえることが多くなるし、我儘も聞いてもらえる。施設にいるのは気の毒なことと思いはするが、家に帰ってくれば率直なところ、世話をする方は楽でない。心と腹の虫の蠢きが並大抵でないこともある。

 義父が家に戻ってくる前に、さしかけの事柄…といってもアソビに属することではあるけれど、写真を撮りに4人で輪島に出かけた。これまでも輪島に出かけては何枚も写真を撮ってきたものの、撮影方法の未熟さもありかつセンスもいかがか、という自己嫌悪も抱えて、こと満ち足りない気持ちをなんとか挽回したいというのが今回の目的だった。

 昔写真の講習会を受けた仲間の展示会を6月にやろう、ということになっているので、やや日程が追い込まれてきてしまった。先輩にお願いしてこの時期にという設定に4人が行くことになったのだが、いずれもベテランの諸氏で車の運転も皆が可能だし、何回も通って知っているコースなので心強い旅だった。

 天気予報は雨か雪だということだった。金沢駅に到着したときには既に雪模様で、できるなら雨にはならなければという思いだった。レンタカーで走り始めて、最初の「のと里山街道」の途中にある千里海岸での初撮影は、車から降りたった時は雨だった。カメラが濡れないようにと庇いながら少しだけ撮った。車に戻りかけたところなんと、雨が止んで薄明りではあるものの、太陽の光さえ見え始めた。


 この天気の幕開けは、不思議なことに四日間を通しての展開になった。地元の人の話では場所が変わると天気がころころと違うものだということだった。山道に入ると雪がちらつき、かとおもうと次の道にはまったく雪なぞ見られないという話のとおりのものだった。














2015年2月7日土曜日

故郷だから足が向くかな

 先がどのくらいかなどと、具体的にといっても測れもせずに、穏やかにかつ楽しくやれればいいと思う。これに少しだけ恰好を付けて、何かが残れば一番いい。この旅は撮影に徹する旅でもなく釣りの旅でもない、なんとなく案内役になった旅だった。しかしカメラだけは離すわけにはいかなかったから、新しい切り取りを持って帰るつもりだった。銀山温泉から送迎バスで大石田駅に出て、新庄駅まで列車で行ってから、次の肘折温泉に行く送迎バスの時間までは、2時間ばかり空きがある。昼食は山形名物の日本蕎麦だから、以前来たところを見定めておいた。

 最上公園の城跡に行ってみるが、案の定雪ばかりの趣で、滑らぬように歩いて通り過ぎただけ。もっとも雪がなくても桜の時期以外は、これはというほどでもない。蕎麦屋はなかなかで、天ぷらに板そばを頼んで少々のアルコールで盛り上がった。特にゲソ天がうまかった。アオリイカではなかったろうか。
新庄駅から送迎バスに乗って、一時間もかからずに雪の壁を通り抜けて、肘折温泉に着いた。ここはカルデラ館という共同浴場がある。ぜひとも連れて行きたいと、歩くつもりが10分出はとても無理だという。16時までしか空いていないので、難しい話になってきた。結局往きだけは旅館の車で送ってくれるということで助かった。

 この温泉は炭酸泉を飲むことができる。なにせ胃が疲れ気味なのだからうってつけだ。朝方ならお湯がきれいなのだが、午後のせいか少し濁っていた。帰りは温まった身体で、傘に積もる雪の重さを時々払いのけながら、緩やかな下りの坂を温泉街まで戻った。20分以上はかかったろうか。

 旅の折々、温泉の部屋で飲む酒を仕入れたが、「花羽陽」(はなうよう)という酒が旨かった。帰りの新幹線まで楽しませてもらったが、この酒は肘折温泉がある大蔵村にある、山形県では一番古い蔵元で造られたものだった。以前に写真展をした金山町の特産品に「金山田楽」という酒がある。この酒が旨いので、昨年も注文したことがあったのだが、この酒造元が同じ小屋酒造だった。








旅館の窓から撮影














2015年2月3日火曜日

湯の花を 乱して雪の 一番湯

齢を重ねても元気なのは悪いことでない。いくらかでも社会の負担を避ける意味でも、懐から年金を割いて日本経済に貢献するとなれば、まことに意義あることといってもいい。旅の道連れは8人。雪見しながら酒を飲み、温泉を楽しむという趣向は、天が我らに味方したかどうか、東京駅から出発するときには、はや雪模様。新幹線で大石田駅に着くまで絶え間なく雪景色が展開するありさま。それしきのことは人生の中で嘆きの部類には入らない。ツウともなればフグの毒さえ食べたくなるのと同様だ。

銀山温泉へは送迎バスで一時間もかからない。車中で胃袋に詰めたアルコールの解毒を、一眠りで進めている間に温泉街の入り口の高台に到着する。温泉は小ぢんまりとしていて、とっとと歩けばものの10分もあるかどうか。足元の明るいうちに、一回りする。もちろん部屋で飲むお酒を手に入れるのを忘れるわけはない。翌日は出発までの朝の余裕がそうなさそうだから、お土産も手に入れておく。

旅館は建物も充分古くて、内部は木造の黒光りする建具で造られている。その壁には鏝絵が飾られて、格調を感じさせた味わいがある。宴会が終わってまた、夜の温泉をまた回ってみる。明るい時とは違って若いアベックと中国語が飛び交わしている家族連れが、スマホを片手に街を眺め撮りながら歩いている。我が道連れの8人も、旅館が貸してくれたコートと傘と長靴を履いて、つかず離れず歩き回る。

その味わいはそれぞれに任せるとして、銀山温泉で印象に残っているのは、田舎の法事で泊まったときだった。隣の部屋から聞こえてくる歌。お婆ちゃんの声で「花の山形、紅葉の天童…」という歌が聞こえてきた。このひなびた温泉にピッタリあっていた。それからは何年も経過して温泉の様子も少しずつ変わってきたようだ。数えること7回になるが、今回は宴会場のお手伝いさんも、ポンポンと料理を運び込んで、なにか都会的なものごしで、方言交じりで話をするということで、年季の入った建物の雰囲気とは少し異なった感じがした。

 扱いがぞんざい過ぎるということはないが、せっかくの雰囲気をゆるりと過ごせるというゆとりがあってもいいかな、という印象はあった。旅館街の中でも朽ち果てていきそうな旅館もあり、経営の大変さもしのばれる。温泉は良い。十分に楽しんでめずらしく3回も温まりに行って、旅の目的を満喫した。