2015年9月24日木曜日

未体験の大きい、共感できたということかな

人生でも稀な経験だった。分かり合って共鳴するという、しかもその大きさは測れぬくらいのものだった。人々の力の結集ってすごいものだ。このエネルギーが日本を変えていくことになるだろうと思う。どう考えても戦争法が正当性のあるものという道理は存在しない。これから先、「自分の頭で考え行動する」というアグレッシブな行動の積み重ねがある限り、廃れることはないのだろうと思う。一票一票の積み重ねが政治を決めるという一見道理のあることが、民主主義としてはそれだけでは全く不十分で、政治に対しての意見表明をすることが必要不可欠ということを実証してくれた。

欧米ではそんなことは当たり前ということなのに、ようやくそこに追いついたということだ。正確に言えば政府の政策推進に対しての意見表明はこれまでもなかったわけではない。見事にとは言いたくないが、NHKをはじめとするマスコミが、政府の意向に沿って抑え込んできた。それがNETの活発な発信に沿って報道しなくてはならないことに追い込まれたといっていいだろう。この間の報道も腹に据えかねるほどの、報道ぶりだった。最終盤にはそれなりに旗幟鮮明にした新聞の報道も出てきた。そこまで大きな動きになってからか?と恨みつらみも言いたいところだ。

参議院特別委員会のNHK実況放送はどうみても、採決の事実が読み取れず速記録記載もない「戦争法可決」劇だった。採決シナリオを、決まったものとして扱かっていく。これじゃあ、お盆前のお化けじゃないか。足もみえない幽霊を、隠し通してか無視してか知らないが、随分と安っぽい議会にしてしまったものだ。その後の報道がまたひどい。ネトウヨの薄汚れた攻撃を大問題のごときに取り上げる。「自分の頭で考える」という見識をぜひとも差し上げたいところだ。諸外国からはお笑いの種になったのではないか。
しかし、もう駄目ですよ。「三日で忘れる」といわれた恨みは忘れられないでしょう。皆そう思っている。

「採決」の後、国会議事堂前で歌われていたのは「勝利をわれらに」だった。
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 勝利を我らに」(We shall overcome)は賛美歌第二編164番を編曲して新しい歌詞を付けたもので、一種の替え歌です。アメリカの赤狩りの時代にピート・シーガーが行ったワールド・ツアーで歌われ世界中に紹介されました。この歌を歌った最も有名なものはジョーン・バエズによるカバーで、1963828日のワシントン大行進で歌われたことで公民権運動を象徴する歌となりました。邦題の「勝利を我らに」は賛美歌第二編164番の「勝利を望み勇みて進まん」の歌詞や公民権運動を意識して付けられたのだと思います。確かに公民権法の成立はひとつの勝利であり、この法律によって公民権運動が完結したと思った人も多くいました。しかし法律の制定は人種差別を排除する法的な基盤ができただけで、その根底にあった人々や社会の偏見・差別意識を一掃するものではなく、本当の運動の出発点であったのです。ですから、この歌の題名は短絡的な運動の勝利ではなく、「We shall overcome」私たちは乗り越える(克服す)べきだ、というもっと深い意味での人々の意識・社会改革を成し遂げると強い意志を示したものでした。本来、あらゆる人間が平等であるべき真理を求める運動では、勝利も敗北もないのですから。
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まったくの個人的な希望では、「花はどこへ行った」のほうがなお良かったのかなと思った。第二次世界大戦が終了した後にアメリカに吹き荒れた反共の嵐の中、加わっていたフォークグループを解散した後、いろいろ攻撃を受けながらもピート・シーガーは一人でコンサートをしていた。そのときのヒット曲だとのこと。
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ウィキペディア=「戦争がいつまでも繰り返され、いつになったらその愚かさに気づくのか?」というメッセージ、今度こそもう戦争は絶対に止めようという思いを込めて盛んに歌われることとなった。

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2015年9月18日金曜日

民主主義を壊すわけにはいかない

 17日参議院の安保法制特別委員会の強行劇をNHKの実況中継で見ていた。自民党が「強行」するまでの展開をみておかなくてはと、ずっと見ていたが、委員長の不信任決議案が出されてそれが否決された後の展開は「見事」なシナリオの展開だった。委員会の運営を他党と確認しながら進めていくのに、やはり自民党がそれを反故にしていく過程が炙り出る。理解されるための丁寧な説明などというのは嘘っぱちで、どんなに時間をかけたかによって、だから結論・終結を図るという議会制民主主義など気にもかけないやり方をする。法案の中身はもうボロボロだから、国民に説明などできっこないことが知られて、議論できないということだろう。

 議会で「対決法案」の採決がされそうになる時期に、NHKが報道し動き始めるという。日本を戦争の道に引きずりこもうという重大法案が、委員会で採決という日程がはっきりすると、政府広報と認められるNHKらしく委員会の実況放送が始まる。NHKの放映は、委員長不信任案否決のあと中継していながら何をしているのか説明できないほどの混乱で、テレビを見ている方もなにがなんだかわからないという以外はなかった。数分後に「法案が採決された」という情報を伝え、法案可決したという虚構が作り上げられた。当時の速記録には採決の記録が記述されていないということだから、このことからも虚構と言うしかない。

 いったい議会の公式な記録としてどういう記述がされているのかを見てみたいものだ。法律が成立するうえでの瑕疵とはならないのだろうか。これまで自民党はたびたび「強行採決」をやって、その都度速記録にものこらない法律を成立させてきた。しかし今回はこれまでのことも含めた追及がされてもいいんじゃないかと思う。

 テレビ報道では、民報も与党と野党の攻防と描いてどちらがどうのという議論を展開するが、中身に入り込んでいくということを欠落させている。これも意図的だと言っていいんではないか。コメンテイターもあきれるような人物が配置されている。客観的を装ってどっちもどっちというのでは、それこそ自分の頭で考えて自分で行動するというデモクラシーには程遠いことになる。スポンサーと政府の働きかけが、報道の底の浅さを目的としているとしたら、日本の将来を語ることにはならない。

 国会前の16日はよく17日には委員会「採決」というとき。歩道には抗議の人たちがあふれて、車道の方にも流れていくことは自明なことなのに、わざわざ車道側を遮断して鉄柵をロープで縛って固定し、装甲車を間断なく並べる。軋轢を呼び込もうということなのだろう。非暴力で態度表明するということを明らかにしているにもかかわらずの対応だ。







2015年9月16日水曜日

金山町→真室川→肘折温泉

 山形の撮影旅の16日。朝食を摂ってから肘折温泉に向かう。その間は「犬も歩けば棒にあたる」というおももちで、写真の題材になる景色を選別しながら、車を走らせる。天気がよくなって夏の日差しがよみがえってきた。途中、「米湿原」という看板をみつけて脇道に入り、鮭川を跨ぐ橋を通る。この橋からの眺めがまた広がりが素晴らしい。

 湿原は、「50年ほど前まで田や葦苅の場所として利用されてきました。その後、放置され、荒れていた湿地を、米の地区民と鮭川村自然保護委員会が協力して復元活動を実施し、古来あったであろう植物が見事に再生した貴重な場所」としているところ。本命の場所までは行き着かなかったが、知る人ぞ知るというところのようだ。

 肘折温泉までには時間がたっぷりあるので、最上峡の天然杉林に行ってみることにした。樹齢1000年以上の杉が群をなして、さまざまな異様な形をしているのが面白い。写真を撮るにはうってつけのところだ。











2015年9月14日月曜日

ことし始めてのハゼに逢う 

 今年に入ってから、ろくに釣りをしていない。これまでなら、この時期ハゼ釣りには何回か行っているはずが、行こうかという気力がもうひとつない。13日はハゼ釣りの大会だし審判長なる大役もあることなので、連れ合いの「いいよ」というお墨付きもらって、木更津にでかけることになった。友人を途中で拾って現地へ向かうアクアラインは、トンネルの中を車が渋滞気味に走っている。なにかの催しがあるのだろうか、帰りの混雑を心配しながら、アクアラインを渡ったところで専用道路を下りて金田海岸方面に向かう。

70人が集まり要項と検量役員などの確認をしてから、今期の釣り場の具合を紹介してもらった。今期はこれまでは他のつり会でも、かなりの釣果もあったのだが、大きな被害がでた茨城、栃木のあの豪雨が、ここにも影響がでているのではないかと思われた。前日に実際に釣ってみたとのことで、雨水の流れ込みや、釣り場などどの程度影響しているのかを、試してみたという話を紹介してもらった。釣果は下がるだろうという話だった。期待に胸を膨らませることができなかったが、ハゼがどこにいるのかはやってみる以外にないので、ともかく「呑掘り」の船溜まりに場所を決めて小さな海苔船の繋留場所で始めることにした。

浅場に回り込んでみるとポツポツあたりがある。たくさんいるという感じではないので、外海の方へ行ってみることにした。船溜まりに流れ込んでいる小さな用水路から、外海へでる水門(出口)からは勢いよく水が流れている。そのわきの方を狙うと、何匹か答えてくれた。しかしここも釣れ続けるということはない。海岸に向いて左方へ歩き、波打ち際の緩い瀬になっているところで、ポンポンと小気味よくあたった。アタリが遠くなったら動くことに徹して、徹底的に歩き回ることにした。

場所を大きく変えることがなくても、ぐるりと歩き回ってまた戻って釣れるというケースが何回もあった。昼近くに黒雲が覆ってきて、見る間に風と雨が襲ってきた。午後から雨という予報は確かにあったが、ちょっと早い。そういえば房総側は東京よりは早く天候が変わることが結構ある。雲を見かけた時にレインウェアーを着こんでおいたので、風雨にめげずに釣りを続けたものの、風で辺りはとれないし波立っているときに、魚は餌を追わないようだった。

13時過ぎにもハゼが活発に食いつくので、これは少しは量がいくかなとおもいつつ、小気味よいアタリを堪能した。エサがかりして竿をあげると、水中から飛び走るようにでてくるときもあった。ハゼも餌を食って逃げるときの速さは尋常でない。結果、釣果は1キロにちょっと欠ける程度だった。後一尾あがれば超えたかもしれない。

ハゼつり大会の釣り範囲に、木更津基地がある。オスプレイが常駐するとか、整備基地として海外のオスプレイも使用できるようにするという、「軍部」独裁の動きが伝えられている。非戦をもって貢献してきた日本が、戦争の道へすすむことになれば、釣りどころでない。それは敵対させてもらう以外ない。木更津を「敵国」の反撃対象とさせるわけにはいかないし、第一いつ落ちてもおかしくない軍用機は、危なくて仕方がない。「オスプレイは来るな」の声をあげ、釣り大会の最後に示威行動した。








2015年9月11日金曜日

真室川の景色がぼうっと心にしみる

 真室川の台地の田んぼと、川のコラボレーションはどこの景色より気に入っている。イネに穂が出始めて黄色づく瞬間は特にすばらしい。田んぼの美しさをいいと思うのは、農耕民族の伝統をDNAにもっているからなのだろうか。代掻きから取り入れまでの流れはどの瞬間も、見逃せない。

 金山町本祭りの翌日(16日)の早朝には、だから当然真室川の台地に向かって、田んぼのずっと先から日の出を待つのが、ここを訪れたときの定番だ。遠くの山を背景にして、手前の杉林の間に見える家の少し右から出てくるはずの太陽。一緒にいる先輩が朝陽を撮ると所望しなければ、自分だけならきっとその気にはならなかったろう。しかし期待どおりにはいかず、暗さが解けて時間が過ぎて行っても、連日の雨の湿気がまとわりついて台地から離れないようだった。

 仕方なく車をあてもなく適当に転がして、霧が薄まっている畑の中に祠がみえたので、シャッターチャンスにさせてもらった。ちょうどネギの畠があって、白い人ニンニクの花(後から判った)がふうっと浮き出して印象的だった。辺りにあのニンニクの香りが充満していたが、アマガエルが出てきて歓迎してくれた。










2015年9月8日火曜日

バリウム検査の後騒動

31日はバリウム検査をすることになっていた。隣の学校の体育館に行けばよいので、このところそこでことを済ませるようにしている。終わってから下剤を余分にもらい、コンビニに寄って牛乳を仕入れてきた。家に向かう途中で「悪い人」に出会ってしまった。悪い人は釣に誘ってくれる人だし、飲み屋にも誘ってくれる人なので、ほんとはいい人なのだ。ハゼ釣りに行きたいねと言うし、飲むに行こうかといわれると、バリウム飲んだばかりだからと無下に断るわけにはいかない。それに先延ばしするとどうもいつになるかわからない。と、へ理屈を言付けて、5時にバス停で会うことにした。

駅に向かって二人で北口の路地を歩いているときに、「良い人」の知り合いと遭遇した。一緒に行っちゃおうということで、前に一度行ったウナギ屋さんの暖簾をくぐった。新しい人との出会いは刺激的で楽しい。それに3人になると盛り上がり具合が違うのか、ひとしきりの飲食の末にカラオケに行くと言い出した。もちろん嫌いではないから、ついて行くことになった。

そう遅くなったわけでもなく、いつもどおり風呂にはいってから寝たのだが、夜半になって腹が痛くなった。尋常な痛さでなくて汗まででてきた。2時間ほどで収まった後、朝方通じがありバリウムが一部出たという感じだった。ところがそのあと跡が便秘で出てこない。詰まってしまったのかなという想像がだんだん強くなる。

腹が張ってくるし、4日からはイワナ釣りの計画があるので、困ったことだと思い悩んだ末、3日に医者に行くことにした。家の近くで行こうと思った胃腸科は木曜日が休みということで家から近いと言うメリットは生かせなかった。いつも言っている診療所へ電話をすると内科対応でということで、そこでレントゲンを撮ってしらべてもらったら、バリウムはない。盲腸にわずかに入り込んでいるだけだった。下剤を貰って帰ったが、下剤の使用方法が上手くできずにこれも難渋した。騒ぎが収まったのは岩手にイワナ釣りに行く朝、通じが付いたときだった。これで落ち着いて旅に出かけられると、前日支度した釣り道具をキャリアバックに詰め込んだ。

 バリウム飲んだら酒飲むなとは説明書きにあるが、医者に行ったときには「飲んでもいいんですけどね」との話だった。バリウムが残っていないという検査結果のうれしさに、どうしてか聞いてみる気がそのとき起きなかったが、あとで、聞いておけばよかったと反省した。 















2015年9月4日金曜日

8.30国会10万人行動は参加者3万人の怪

31日の国会前に、息子に声を掛けたら行くと言うので一緒に出掛ける。1時を少し回ったところなのに、国会議事堂前の出口は人でもう一杯。多くの人が集まるだろうとは思ったが、通常見たことないような人波だった。国会議事堂へ向かう出口は早々と規制がかかって、進めない。この「戦争法案」に反対する集会は、弁護士の人たちが「過剰警備」を止めるように申しいれしているらしい。警察が歩道を狭めたりしていることを体験しているので、まあそうだろうと列につながりはするが、延々と人が続いていて、なかなか前には進めない。

国会前には釣りの仲間も来ているはずだが、無理かもしれないと途中電話をしてみると、議事堂前は「解放」されて人が入ってきていると言う。それならばと、気を取り直して息子とはぐれないようにお互いに確認しながら歩く。結局議事堂の周りを一周して、議事堂前面の後部にたどり着いた。あとからわかったが、国会前にはいかせないという規制を敷いているのだった。議事堂が見える車道にはすでに多くの人が入っているのが見えるが、なお警察官が規制のテープを持ち出して入れさせないように図っていた。規制をかいくぐって警官の脇をすり抜けた。「規制は止めろ、止めた方が安全だ」という声が聞こえていた。車道を国会前にむかって上り、すぐに渓流釣り9条の会の姿が見えた。

警察発表で3万人ということに参加した方からは批判の声が上がっている。産経新聞がヘリで撮った写真によって、九つに分けた国会前の写真によってのカウントで3万人ちょっとだったと報道した。警察発表と大差ない数でハハーンとその気脈を感じた。不思議なことに、NETと新聞を見る限り(全部見たわけでない)国会前以外の写真が報道されていないのが不思議だ。NHKの報道を見て、近くの駅での「出口調査」をやればいいのになどと馬鹿なことを思ったが、周辺の駅に照会して参加者を割り出した人がいた。
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データの取り方は
1-主に国会前に行くために利用する駅は国会議事堂前駅、永田町駅、霞ヶ関駅、溜池山王駅の4駅と思われるので、その駅を検証データにした
2-各駅の自動改札の改札出た人のカウンターデータを開示して頂いた
3-雨の日は通常の1割強の乗降数が減るとのなんで、データを最終的に通常の改札出た方の1割くらいのプラスをする

4-乗降数でみるのではなく、駅改札を出た人数のみのカウントをする
※以上4つの条件で割り出しました。
①東京メトロ 国会議事堂前駅(改札出た人)
通常日曜日1.900人程度 30日当日25.621
増減数:23.721
②東京メトロ 永田町駅(改札出た人)
通常日曜日7.000人 30日当日23.430
増減数:16.430
③東京メトロ 霞が関駅(改札出た人)
通常日曜日(日比谷線・丸ノ内線・千代田線)4.300人) 30日当日28.442
増減数:24.42
④東京メトロ 溜池山王駅(改札出た人)
通常日曜日7.000人 30日当日9.666
増減数:2.666
増減数だけの合計は66.959でした。
この4駅の改札出た全体人数は87.159
通常日曜日の利用者が2万人ほどに対してこの数字という事がわかる。これがデモの影響であるという事は間違いない。これに悪天候要因で通常は1割強減るという事ですから、それを加味すれば、増減数はこれに合わせて2千人ですかね。
結論、駅の乗降数という見方では12万人には至らないものの、いずれにしても3万人の参加者ということではなかったです。
この見方では7万人以上の参加者というデータは見て取れます。
これに赤坂見附駅(かたくなにデータ開示拒否された)、赤坂駅(3万数千人改札出る方利用客数)まで含めれば12万人は超えるんですかね。

規制が厳しかったんで、最寄り駅降りてから混雑に圧倒されて違う駅から出た方がよいと考えた方も居られたでしょうが、それほど大きな数字になるとは思えませんが、全くの排除もできません。
また、電車以外の交通手段も考えられますがそれは予測不可能なんで加味してません。
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 他方、総がかり行動実行委員会が配布したプラカードは10万という話もあるから、3万人というのはいかがなものかということだろう。今週の週刊新潮には「12万人はねつ造」まがいの記事がある。ここまでくると、事実を捻じ曲げた意図で暗躍している連中がいるとを実感する。