2016年3月31日木曜日

それにしてもコンピューターは始末が悪いもの

 先日の集会のビデオを編集ソフトで、3本ほどにまとめた。ビデオを編集する作業は一年近くやっていなかったから、簡単な作業も忘れてしまっていて、新しい体験をしたような錯覚(でしょうね)に捕らわれてしまった。パソコンのソフトはそれぞれ、使い方が「ヘルプ」という形でソフトに書き込まれているし、NET上にも同様の使い方や不具合についての情報がたくさんある。しかし、要するに問題が起きたら自分で調べて克服することが基本になっている。

 カメラで撮影したビデオの最初の部分に、当日の日付だの内容だの「出演者」などの情報を作って挿入し、後書きのようなものも作る。それをどうやったらできるかと「試行錯誤」しながらやるが、それこそ「ヘルプ」を参照するのが常道なのだが、読んで理解するよりはやってみたほうが、早くはないかと考えて作業をしてしまう。にパソコンとの付き合いを重ねた結果なのか不思議なこと、うっすらと解決方法がみえることもある。しかしなんであれ自己流だから危ないものだ。ソフトを手に入れるには懐が痛むが、使うのには自分の自由だからと我儘をさせてもらう。これが実際早いかどうかはわからない。

 なんとかまとめ上げて一服というところなのだが、ぼちぼちパソコンOSをWindows10に切り替えようと、その作業も始めた。切り替え導入してみてから、もしも「不具合があるWindows10」に陥った時のために、バックアップをしている。戻すことも想定してやれということなので、ちょっと乱暴な話だ。それでもWindows8よりは良いと言う話も聞く。この種のグレードアップは、製品の安全、確実、安定性が求められることは当然なのに、見切り発車のように使用をしてしまうのはどうなのかと思う。だからだろうか「7」「8」について無償でグレードアップするということになっている。ちょっとは心が痛んでいるかと笑いたいところだけれど、不具合を通報してもらって修正していくということだから、製品の「完成」に人の手を無償で借りるという図式になっている。


37日に山手線の新型車両「E235系」が営業運転を「再開」した。昨年1130日に実働したものが、停止位置をオーバーランしたうえ、車両ドアにトラブルが出たりしたために運行中止になった。修正(修理?)に3か月以上かかったが、こちららは場合によっては命にもかかわることだ。あまり問題視されていないようだが、くれぐれも使う側の安全や不便を軽んじないようにしてもらいたい。こちらはまさに「見切り発車」だろう。

出来上がったビデオ
3月20日釣りと環境シンポジウム
~リニア新幹線と自然環境~


2016年3月27日日曜日

「学習能力がついた」コンピューターが勝てば…。

 囲碁棋士とグーグルのAlphaGoの対戦で、人がやっと一勝したとニュースになった。人の方が勝つだろうと大方の予想に反して負け続けていたのだから、ほっとしたニュースだ。5番勝負で3敗してからの勝利だから、勝負としてはきまったものだ。対戦相手の過去の勝負手を全部読み込んで、対応するソフトをこしらえたのだからある意味負けて当然と言えるのだろう。だからイ・セドル棋士が、勝った勝負はこれまでの手筋を「変えて」しまったことが一因になったとも言われている。

 この対戦を巡って韓国内から様々な批判が出ているらしい。閲覧してみたら確かにうなずけるコメントがけっこうある。コンピューターと人の対戦が公平なルールになっているものかという点など、IT専門弁護士が指摘することがおもしろい。対戦時にインターネットと繋がれていて、グーグルのクラウドコンピューターの資源を無限に使えることで、あらゆるパターンの手を探索できるなどという方法をとっていることなどは、公平な「競技」とは言えない。

 グーグルは日本のロボット産業を手中に収めている。こうした開発が軍事産業を狙ったものだろうこともうかがえる。敵との闘いにあらゆる場面を想定して、確実に無人で効果的に殺傷できるという「願ってもない」方法はもう使われているらしいが。



2016年3月20日日曜日

さくら咲くころ

 東京の開花宣言が今日あたりになるかなと、気象庁の開花監視係さんが連日靖国神社に詰めているらしい。近所の神田川界隈では、早咲きの桜がすでに葉を抱えているものもある。先日歩いてみたら、神田川沿いで見られた桜が、河川の改修工事に伴って切られていることに気が付いた。川にせり出した桜が陽を浴びて枝振りよく伸びているところがあったのに、もったいないことだ。

 隣の敷地は学校だが、ここにも桜が鮮やかなピンク色で咲いたものだったが、どういう理由かわからぬまま、さっぱりと切られてしまった。事情は様々あるのだろうが、結果として「都市化」によって邪魔にされてしまったということだろう。貴重なものがなくなっていくのは寂しいものだし、なによりズルズルと自然の環境が奪われていくことは、「都市部」では特に配慮が必要なのではないかと思うのだが、気にする話はあまり聞いたことがない。

 近所の某会社の住宅跡地が、一時広場として利用されていた。ここに小中学生が優先して使える競技場が造られ、合わせて災害時の井戸やトイレなどの施設も造られた。半分ほどは樹木も植えられて、土に触れられるようになっている。ここに、以前鉢植えの桜を解放するため、むりやりお願いして植えてもらったのだが、その桜も無事に育っていた。(植えてもらったことはナイショ)この桜は「早咲き」ですでに葉だけになっていた。工事中だったので観ることができなかった。










2016年3月14日月曜日

4月18日~24日からの写真展が近づいてきた

 能登の2月の風物に接して、今回もまた同様なコースを巡
り歩いた。前と同じところを見て歩いても、また新しいもの
が見えてくるものがある。そうでなければ歩いても仕方がな
いわけだし、撮る甲斐がない。写真を撮る動機も、日頃の写
真に対する理解が深化して出てくるものなのだろう。これが
いいと言えるものは、自分の思いだけではなかなかない。時
間をかけていって、いろいろなことがみえてくるのだろう。

 ゼミの写真展の準備が進んで、いよいよ418日からの開
催が近くなってきた。テーマは「共生」として14人で、思っ
た切り口を披露する。能登の生活の厳しさを描いて組み写真で表わした。自分の思いと重なるところ、共感をしてもらえるのかどうか、ハラドキしながら最後の準備をしている。








2016年3月10日木曜日

東京大空襲があったのは71年前の3月10日


 71年前の3月10日にあった東京大空襲、10万人以上が犠牲になった。戦争は二度とやってはならない不文律が破られようとしている。平和な日本で手に入れたものは多かったはずだ。「戦時」を想定した道は、転落に等しい。武力による紛争地域や国に安寧な生活のところはない。


おはようミドリ♪ 3月10日は『東京大空襲の日』です。1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃がありました。 死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害を出しました。#東京大空襲
林 毅彦さんの投稿 2016年3月9日




1945年3月10日。東京の街が焦土と化しました。 #東京大空襲
HuffPost Japanさんの投稿 2016年3月9日


隅田の流れに♬


合唱 ぜいむ合唱団


2016年3月8日火曜日

氷見線伏木駅操車場と北陸新幹線とのコントラスト

3月から開業した北陸新幹線によってか、到着した8日の金沢駅は人でごったがえしていた。開通によって訪問者が増えていることを実感した。これで経済効果が「いくらいくら」といソロバンがはじかれていることに地元は期待しているのだろう。実際レンタカーの従業員も車の貸し出しは増えていると話していた。

我々のように開通前から通っている者にとっては、身勝手ながら古き良きものの伝統と風合いが、改変されてしまうのではないかとの危惧が湧いてくるのが率直なところだ。

能登の旅の最終日に、たまたま見つけた操車場は、その陰の部分を見た思いだった。壊れて野ざらしになった車両、錆びた線路、枯れたつる草にとりまかれた小屋、陸橋がなんとも哀れげに見えて、4人で撮りまくることになった。かつては盛んに活躍した場所であったことは疑いないが、今は新幹線が3時間ほどで東京から来てしまうところで、時間が止まっているかのようにみえるのはなんとしたことか。

場所は高岡駅と氷見駅を結ぶ氷見線で、伏木駅の操車場だった。法外な力で忙しく過ぎている時間と、活躍の場がなくなって静かに佇んでいる朽ちた電車とを、どういう整合性をとればいいのか。帰京してから、NETで検索したら

2015314日の北陸新幹線開業を控えて、2010年にJR西日本の佐々木隆之社長は、赤字対策として氷見線を廃止してバス転換を行うか、本数削減などを含めて地元自治体と協議したいとしていたが[1]2012128日に北陸新幹線金沢開業後も引き続きJR西日本が運営するとともに、運転本数についても大幅な変更はないと発表した[2]。このため、本路線は、城端線のほかにはJR西日本の在来線路線と接続しない路線となる。全区間をJR西日本金沢支社北陸広域鉄道部が管轄している。」

とあった。やっぱり廃線の危機にあったらしい。いきさつはわからないが、もちろん廃止はしないでとの声が高かったのだろう。地元の足が確保されてないよりだったが、損得勘定で差し引いてJR西日本がこれを切り捨てて、「経済効果」をあげると言うなら、やっぱり誰のための新幹線かということになるだろう。氷見線の時刻表を見ると一時間に一本(時間帯によって2本)で、「運転本数に変わりない」と言えるほどの本数ではない。









氷見線氷見海岸


2016年3月6日日曜日

氷見漁港の周辺は昔の賑わいがある

 4日のルートが入り混じるが、10日に寄った上庄川と漁港は古くからの歴史を感じるところだったし、それをカメラに収めることを目標とした。能登は全域を通じて歴史と伝統がどこにも刻まれていて、写真に限らずその文化を調べ歩いたら、日本のもっと深まった理解ができるだろうと思いながら回っている。

 氷見漁港の周辺もその古きものが垣間見えて、日本の歴史と文化を感じさせるところだった。人に出会えればもっとその思いを深めることができるかもしれないが、通りがかりの人は元々少ないし、しょせん通りがかりの「馬の骨」なのだから、なかなか思うようにはいかない。

 歩きながら、しかし「なにかありそうだった」臭いを嗅ぎ取ることに集中して、結構な時間を費やした。氷見漁港は、もう市場の人がいない時間帯だったのか、烏とサギと鳶が港の中をにぎやかに凌駕しているだけだった。












2016年3月4日金曜日

立山連邦のシャッターチャンスを追って、雨晴海岸、義経岩から富山新港へ

 今回の能登撮影旅新プランは、立山連邦を撮ることだった。4日目は往路になる雨晴海岸で、立山連邦を撮るのが日程になっていた。広々と北西から南東の方向に伸びている雨晴海岸からは、立山連邦が遠望できる。カメラを持っている人は誰でも撮りたくなるポイントだ。

 この日は朝天気が良かったのだが、なぜか誰も朝陽を撮りに早起きして…と言う声をあげなかった。朝食をのんびりと摂り、コーヒーをしっかり飲んでからの出発だったから、海岸にでたときは明るい陽射しが輝いていた。そこにカメラ道具をリュックに詰めて海岸の右の方を狙っている人がいた。その人は今朝早く朝陽を撮ったと言い、「私は今また来てみたのですが、今頃来てもダメです。」とダメ出しをくらってしまった。朝陽なんかという気もあるにはあったが、ちょっともったいなかったかなと少々反省をした。

 朝方には大勢の写真愛好者がきているそうで、海にせり出している石のブロックにでていくといいのだと、場所を指さして教えてくれた。そこから、「義経岩」の立山連邦のビューポイントに向かい、新高岡までの途中でも立山連邦の眺望を追いながらの行程になった。富山新港の貯木場からの景色は拾いものだったかも知れない。







2016年3月2日水曜日

観光資源という言葉に抵抗を感じるな

 資源というと「金」に結びついたイメージで、すなおに飲み込めないものを感じる。日常の生きるための事業活動によって手に入るものが、生活の大部分を支配しているのだから、否定することや無視することもかなわないわけだが、「ナントカ資源」「資源化」などと地球上の存在するものを資源として見立てて、事業活動に結びつけるということに違和感がある。

 地球規模で見れば、温暖化の原因として鼻つまみ者になってくる原油生産も、値段が下がっても生産を縮小せず、「競争で勝つまで」掘るというところまで陥ってしまって、「事業」の性格が歪んでしまっているのではないかと思う。原油は戦争の種にもなって、その財貨で兵器までまかなわれるとなれば、人類史の汚点にもなっているのではないか。

 観光も多分にもれず資源として、人を集めて金を落として行ってもらうという方法がまかり通る。必死で地域経済を活性化させるのは、今無視することはできないとではある。世界遺産もその最たるものに利用されて、またそのことに人が新鮮さを求めて訪問すると言う仕掛けに入っていく。それが間違いだとは言えないが、人が歩んできたことや文化としての保存を大事なものとして、後世に引き継ぐという視点からは、どこかネジ曲がっているという気がするのだが…。


世界農業遺産の白米千枚田にはちらりと寄っただけだったが、見るたびに観光農園が農業の発展なのだろうかと、そんなことを考えてしまう。雨の中でポツンと人形を販売していたお婆ちゃん、撮らせてもらえばよかった。写真の幅が広がっただろうと反省。能登三日目、氷見漁港と上庄川周辺を撮る。歩いているうちに雪から晴れになる。他と同じように人気は少ない。