2017年1月31日火曜日

キューバの子供たちは活発 キューバその2

 子供たちが、金曜日が「課外授業の日」で街中の広場にでかけてくる。キューバの歴史などを「図書館」で学ぶらしい。私たちを、ガイドさんが図書館に案内してくれて、担当者が蔵書を紹介してくれた。そこに手塚治虫の漫画があった。漫画のことはよく知らないが、ほかにも日本の漫画を翻訳したものが備えてあると、実物を示しながら教えてくれた。もし、日本で紹介してくれるものがあれば、連絡してくれという依頼もされた。

 子供たちは、公園が活動の場になっている。サッカーの蹴りの練習は、先生がついて指導しているが、子供が蹴るそのボールは、あまり飛ばないようだ。安全のため特別な造りになっているのだろうか。公園にきているギターリストの演奏に合わせて、先生と母親たちも一緒に楽しんでいる子供のグループもいる。先生がなにをしたのか子供たちから飛びつかれていた。親たちもリズムをとって踊っているが、子供同士でジルバを踊りだしたのには驚いた。これが「民族的」なものというよりも、「解放されている」という方があたっているのかと思う。

 なかにはゲーム機をもって、友達がのぞき込んだりしていた。子供が腕時計をしていたのが、撮った写真から分かった。腕時計がイミテーションなのかとも思うが、そんなファッションしているとは、「キューバは貧しい」という見方からは外れているような違和感をもった。子供たちの様子は、これが教育費無料という効果といえるのだろうか。子供たちの服装は端正できれいだ。子供たちは夕方になると、広場(空き地)に出てサッカー(の練習)をしている。その姿は私たちが移動するところの、どこでも見かけた。




































2017年1月29日日曜日

キューバにいってみて写真を撮る  その1

 どこに写真を撮りに行くときもそうなのだが、なにが写真に飛び込んでくるのかを、期待してドキドキしながら巡って歩く。今キューバに行ってみて“いいもの”に遭遇できればいいなと、とりあえずは踏んでのことだった。

 なにせ、社会主義を目指す国としてまともで、旺盛に政治が進められているところは、あまりないと言っていいのだろうから、キューバ共和国の人たちがどんな表情をもっているのかはとても興味深い。社会主義たるものがいかなるタチのものかは、簡単に図面を描けることではないにしても、資本主義がうまくゆかなくなって新自由主義も危うい将来を抱えていることからして、今の姿見に映し出して切り口にする価値があるのではないかと、そう思った。

 だが海外旅行はいろいろなハードルがあって、噛みごたえのある活動なので、緊張感とストレスに立ち向う覚悟をしながらの旅となった。撮った写真が“いいものであるための心構えは、これまでの修行のうえのことで、ジタバタするわけにはいかないが、撮りつつ考えつつ感じつつと、足らない脳の働きをフル回転させることになった。

 それで、キューバ共和国のどれだけの姿が見られるのかということだが、そこまで肉薄ができたかどうかはいささか自信はない。

 写真は最初のホテル目で撮ったトラック。ホテルの植え込み用の草木を運んできた。「……という車だよ」とスペイン語(だろう)で教えてもらったのだが、車名は覚えていない。このど迫力に驚いたが、キューバらしいものをのっけから出会ってうれしくなり、これだけで何枚も撮ってしまった。




2017年1月23日月曜日

川は危険なことがあるが、その機能を排除するということでいいか



 兵庫県の都賀川は、「親水」の役割を認識して河川造成が行われてきた。阪神大水害や阪神・淡路大震災などの大規模な災害を経験している神戸市が、防災、治水対策を推進し、都賀川は1996年から2005年にかけて河川改修が行われた。

 河川改修では治水対策だけでなく、市民の要請を受けて環境への配慮を踏まえた親水施設をも整備した。また阪神・淡路大震災の教訓により非常時に生活用水として川を利用できるように緊急河川水利用設備も求められていたため、階段、スロープ、遊歩道などの親水設備、自然石や環境ブロックを利用した水路整備が行われていた。

 ところが、20087月に突発的な集中豪雨が雨水幹線の排水域に一気に降ったため、水難事故(とががわすいなんじこ)が発生した。水位が急激上がり、水遊びなどで都賀川や河川敷にいた16人が流され、5人が死亡する事故になった。川は親水施設として親しまれてきたが、この事故はそれまで想定されていなかった問題の対応を迫られることになった。

 国土交通省、神戸市は事故の被害を拡大させた最大の原因は、「気象警報を河川にいる人たちに向けて知らせる設備がなかったこと」と判断し、都賀川に大雨洪水警報および同注意報発表時に点灯する回転灯を設置した。このほか川の危険を警告する看板を複数設置、小学校での啓発向けにDVD「楽しい川、あぶない川」を配布してする対策をとった。

 京都大学と神戸大学の研究チームが事故後に行った付近の住民の意識調査を踏まえた上で、都賀川沿いは子供たちが親しめる環境である一方で、川自体が氾濫する危険性も秘めていることを認識する必要があるとして注意を喚起しているとのこと。

 昨今の集中豪雨による災害は、すさまじい被害を起こしているが、しかし川を排水溝にしてしまうという選択は、都賀川の経緯からして、簡単にもうなずくことのできないものだ。(ウィキペディア「都賀川」参照)

2017年1月20日金曜日

善福寺川を眺めて総括的に思った

 善福寺川、神田川に限らないがこの川沿いには桜の木が目立つ。老木が目立ってきており、川の流れに乗り出して毎年春を楽しませている。ところによっては側道を占領してまで、生き延びている。いつの日かそれが耐えられなくなったら、切られてしまう運命にあるのだろうか。がんばれ桜!

 杉並区から中野区にかけての間でも、河岸の仕様が異なっていると今回思った。あえて言えば、都心に近づくにしたがって川としての性格を変えてしまって、単に水を流す場所として切り捨てられているような感じがした。護岸の造成の時期が異なっているし、造成工事区域の設計思想に一貫性をもたない発想が存在したのだと考えられる。少なくとも善福寺川は一級河川なのだから、管理責任は国にあるといえる。国の責任を災害対策の造成工事だけにしておいていいものかは問い直されていいのではないか。

 都市部においては、川のあり方が再認識されてきているところはまだ数えるほどだ。オリンピックの公共工事は、あれこれと数千、数百億円が「動き」回る。オリンピックなればこその成果が、生活のどこに充実感をもたらしてくれるのだろうか?あえていうなら、川と人との親和性を重んじた川の作りというのがあるのだし、公共工事がそういう方面に投入されれば、「幸せ感」は増すはずだろうと、対立させて言いたくなってくる。

 川との生活と遊びは、人間の暮らしに大いに影響してきた。神田川の「カミソリ護岸」で落下してけがをした人は、聞いただけで二人いる。流れ沿いに歩道があったなら、落ちて大けがをすることはないだろう。その発想での造り方を、今回周ったところで一部見ることができた。川と人の暮らしは対立関係ではないだろう。







2017年1月17日火曜日

下流部へ戻り神田川合流点の下、中野新橋から下流を見る

 中野新橋周辺は、災害対策で護岸のかさ上げ工事が終わって間もない。その結果コの字型の川、すなわち水路としての型が強調されたままかさ上げされた。安全を手に入れたと評価されることになったわけである。

 集中豪雨のすさまじさは否定すべくもないが、しかしそれで「川」はどうなったのか?というモヤモヤが残る。山手通りまでの間、川といえるのかどうかの水路はずいぶんと無粋だ。工事完了の時はつい最近なのに、もう「汚れ」が目につく。いや、汚れは「ドブ」との違いがない機能を前提としているからなのではないか。そんなイヤミを言いたくなる。

 都会には生活では使うこともない、邪魔者の雨水が、正直にその姿を見せている。ここでの流れでは、水草が黒々として、おそらくは半死状態にあると見える。この場にもカモのグループがいるのだが、浅い川底と形状はエサがいるのかと思えるし、型が小さいカモのグループは、子供たちの就餌訓練場かとも思えた。

遊歩道は綺麗にできている

工事区間の境目は統一性がない。こんな工事でいいのか?と思う


新宿方面に向けて幾何学的?

この汚れはなんなのだろう

水底の草は黒っぽくて上流部とは雲泥の差

2017年1月14日土曜日

荻窪へ出て、善福寺川を下ってみた

~善福寺川、神田川のカモたちが悠々自適ライフ~
 環七通りから西およそ5キロくらいだろうか。荻窪駅からこんどは東南方向に下ってみた。東南方向といっても、川はかなりの蛇行をして下っているので、相対的に東南方向になっている。環八通りにかかる橋から川沿いの道に入り込んだ。

 ここには川一面に水草が繁茂している。水の透明度が高くて、水草が流れに揺らめいているのが、「東京」にくくられるイメージと真逆のシーンみたいに思えた。太陽に照らされて輝いてところに、カモがたくさん就餌行動をしている。観察していると、グループで行動しているようだが、1~3羽でも動いている。

 就餌のときは、水草の上にある「何か」をついばむ、泳ぎながら足が川底に届くところでは、足をばたつかせて川底をかく乱して浮いてきた「何か」を頭から水に潜って食べる、もっと深いところでは90度転回して…つまり真っ逆さまになって「何か」をあさっているのが見えた。こんなことは知っている人もいるのだろうが、肝心なことはこの場でカモの就餌が可能になっている条件だ。

 エサがないところには当然集まらない。就餌ができるところを学習している。エサが繁殖できる条件がその場の川の構成にあるということだろう。水草が繁茂できるきれいな水、根を張れる川底、太陽光、それから水草の養分となるもの。カモの糞も水草の養分になっているのかもしれない。

 善福寺公園まで来ると、川としての機能に着目した岸の造成が考えられているように見える。現在は川には近づけないが、川近くまで人が寄って遊んだと思しき仕様ができている。水流を弱めるための穴を構成し、水生生物をも考慮した思われるパーツが作られている。スズガモだろうか、水流の変化の生じた場所で、水に潜ってエサを追っている姿が見える。













スズガモらしき鳥、水中でエサを追っている