2017年4月23日日曜日

回線工事は来週か。IT社会にしてはのんびり。

 昨日も今日も、ネット業者から連絡があったのだが、運悪く直ぐ電話に出られなかった。折り返して数回かけたが、例の「ただいま、大変混んでおりまして」とのコメントがながされて、なかなかつながらず、夜になってからようやく話すことができた。新しく回線を引く電話番号が間違っていたらしい。その結果工事の日が一週間先になるという。

 店頭での申し込みでは本人確認をしただけで、申込書も書いていないしあとは電話による確認だけで、それこそ「証拠のメモ」さえ残っていない。そんなものだという解釈をしても、アナログ時代のスタイルは過去のもという扱いになってしまった。なにかあって確認をし直すわけにもいかない。これでは「振り込み詐欺」は増えるばかりだ。

 回線を変えれば割り引くとか、キャッシュバックでお得ですみたいな話の電話が、始終かかってくる。業者が違うところからかかるわけだから、個人情報などはダダ漏れということだ。ところで、NETのつながりが悪い状況が一週間続くとなるとどうしたらいいものか。手持ちのWifiルーター接続機器を使うしかない。データ量が増えると料金がかさむがこの際しかたがないのか。IT社会が本当に便利で効率的なのかどうかまた考えさせられる。

2017年4月22日土曜日

岩手山麓、NETは一世代前でゆっくり動く

 無線LAN器機を持ち込んで、NETをつなげようとするのだが、3G回線でかろうじてつながる。やっとつながっても、なかなか動かないので思うようには働いてくれない。都会の利便さに慣れてしまっているから、ストレスを感じてしまうようだ。日記はグーグルドライブを使うが、この更新も動きが悪くNET環境に依存しているブログもまた、更新するには半日以上もかかりそうだ。データ使用量ばかりが増えていって、効率が非常に悪い。

 WiMAXを使おうかと相談してみたが、この環境では料金は高くなるとのことだ。4GLTE)回線が使えない環境では、安くならないというのも妙なことだが、弱みに付け込んでという気もする。やむを得ず固定回線を使うことになった。工事が終わるまではまだ時間がかかるので、スマホで日記を書き込み、メール送受信も間に合わせているが、字数を多く打つものはスマホでは大変なので、パソコンの動かしは少しの間不便になるし遅くなる。

 東京での生活がいかに「速い」動きになっているかを実感することになったが、地下鉄が一時間に24本も走っているような生活に慣れきってしまったから、ものをこなす時間がかかるのが、「許せない」気分に陥る。岩手山麓の家の天窓から見える空を見ながら、もう少しゆっくりでもよい生活を楽しまなくてはと思い直してはみた。

 早朝の窓を見ると空に雲がかかっているのかと見えた。やや時間がたつと今度は逆に黒い部分が青空かと見え、また時間がたつとその影は松の木だった。人の目とはいい加減なものだ。写真は別の天窓から見た空。

天窓に映す宇宙の大ドラマ




2017年4月15日土曜日

やめて!戦争

 アメリカがシリア爆撃をした。対北朝鮮に「やるぞ」という脅かしをするためだと理屈をつけた。生物化学兵器使用で幼い子供を傷つけたという映像が流されて、酷いことをするというイメージが植え付けられたうえでのこと。

 アサド大統領が「映像は作られたもの」と言い、それが文字通り受け取れるのかどうかはわからないとしても、大量破壊兵器が使われたかどうか国連が調査をすることになっていることを無視してアメリカが攻撃をしてしまった。いわば「私的な制裁」をしてしまったということになる。イラクの大量破壊兵器保管を口実にしたことの二の舞になるのではないかという見方も当然起こってくる。

 問題の解決に武力をもってあたるということが、虚構の上に成り立つことがまた繰りかえされることになるのか。マスコミがアメリカの北朝鮮に対する決意を中国に知らしめるためだとか、北朝鮮への脅しをかけるためとか、単純化してシラクへの爆撃を解析することに骨身をやつすだけでは、また泥沼にはまっていく道になってしまう。

 日本は日米安保協力堆積積極的にかかわって、米軍と自衛隊の共同行動を進化させている。だから反撃の目標とされる十分な条件をもっている。北朝鮮の態度を見て仕方がないこととしては、日本がかつて通ってきた暗い道にまた入っていく。治安維持法を直接知るわけではないが、国会に出された同じ性格であるものであることは予想がつく。戦争に反対する「輩」を取り締まり押さえつける意図は過去のことではない。「戦争はダメ」といまいうべきところ、その声はまだ小さいように思う。

2017年4月11日火曜日

海に春が来なくなった!?

 地上では見事な桜があちこちで、やっと咲き誇るようになった。天候不順の要因はなんとなく温暖化を疑るが、寒さ暑さがずれこんでいることの影響は大きい。

 春を告げる風物詩といわれているコウナゴが伊勢湾、三河湾で今年も禁漁。播磨灘、大阪湾で不漁だという記事をみた。コウナゴは30年も不漁になっているとのこと。コウナゴをとって40年以上の漁師さんは、今は心騒ぐ季節で「春の始まり、正月の始まりだ。自分たちにとってはコウナゴが出てくるのは、長い冬の間待っていた春の始まりだ」と話している。

 この原因も温暖化が主因の海流への影響が言われている。愛知県水産試験場では、「2つの大きな要因が重なった結果。冷たい水を好むコウナゴは、夏に冬眠ならぬ「夏眠」をする習性があり、伊勢湾の入り口で砂に潜って水温が高い夏を過ごす。しかし去年の夏は、この海域の平均水温が平年より約2度も高い状態が続き、夏眠中のコウナゴが衰弱し、数が減ってしまったもの」と分析している。(2016.3.1東海2016.3.1東海NEWS 

 確かに水温や水流(潮流も)の変化によって、魚の食餌、移動、産卵、生育は相当影響を受ける。それに「漁獲」という圧力を受ければ、たまったものではないだろう。京浜運河はハゼ釣りのメッカだが、釣り人の多さからその付近のハゼが少なくなるという現象を体験した。どういうわけか、「圧」がかかると魚が「寄らなくなる」という現象が確かにあるようだ。

サイト< The first one海や釣りを楽しむすべての人へ>は、釣り人の視点もあり、面白い。

2017年4月10日月曜日

魚が獲れないぞ~様々な魚が…

 漁業技術も船の大型化やIT技術を使って飛躍的に進み、「効率的」に魚を獲れるので、「資源量」が枯渇するまでは、心配なく獲りまくる。日本はここまできても特に、調整が必要という態度をとっていないらしい。国家間の漁業調整に消極的、後ろ向きでいいのか事情に疑問だ。これも大手の漁業会社の意向が大きいのだろうか。

 よくいう「資源」という言葉も、ナリワイからみての言葉だから消費者や自然人としての見立てからすれば正確ではない。生態系にゆだねて生きている生き物なのであって、特別に人間の食に「貢献させているもの」だ。特に現在は容易くマグロでもなんでも「おいしいもの」が口に入れられるから、その求めに応じた事業が盛んに維持される。

 要求が先なのかどうかは一概に言えないが、生活に心配のない人間であれば、マグロがなくても必要なだけのカロリーは十人分に摂取しているだろう。その「資源的思考」から脱する必要はないのか。人の食に資するものとして、あがめられればいいわけでない。

 大量消費社会が目的化されて、流通方法も「発達」した今は、手で釣った地物の魚が店に出回るなどということは、なくなった。港に水揚げされた地物は、その場で売り捌かれるくらいの程度だ。だから魚屋さんが我が近所では絶滅した。売れ筋の魚だけというスーパーでは、食べる魚種も限られてくる。地物の魚も人のカロリー量としていいものになってしかるべきだと思うのに、すでに追い出されてしまった。

「初期資源量(漁業が無かった場合の資源量)の10パーセント未満で増減を繰り返す太平洋クロマグロ。現在の資源量は2.6パーセント(1.7万トン)。大西洋は推定資源量65万トンです。太平洋の40倍。」という。

真田康弘氏:マグロで玉砕外交を続ける日本(7分52秒)





2017年4月4日火曜日

魚がいなけりゃ釣りは成り立たない

スリランカの釣り

 桜の開花時期を迎えると、水が温んでくるから釣りもシーズインとなる。テレビ放映でスリランカの海岸で釣りをしている場面がでてきた。番組はネコの写真を撮り歩く趣旨のものだったのだが、波打ち際に木の枝を立ててその木に上って釣りをするところを背景にしていたので、思わずスマホで写真を撮ってしまった。海岸から23メートル程度はなれたところに、「ペッタ」と呼ばれる竹馬のような棒を立てて、そこに登り、エサもつけずに糸をたらして釣りをするのだとか。潮が満ちてくれば相当の水深になるが、また引いていくときまで、そこに乗ったまま釣りを続けるわけだ。「竹馬漁」と表しているものもあるが、この釣りはエサをつけないで釣るらしい。それほど魚影が濃いということになる。

 これとよく似たものが日本でも「脚立釣り」として60年前に存在していた。能登半島のどこだったかは忘れたが、木を組んだものが残してあったのを見たことがある。記録として観光用に残されていた。戦後の高度経済成長期に東京湾奥で湾岸の埋め立てが無謀に進められて、千葉県浦安や長浦海岸で初夏を楽しんだ「アオギスの脚立釣り」はなくなってしまった。

 スリランカの漁法をみると、これは日本でも漁法としていたものだろう。江戸時代には東京湾のいたるところでこの風流なつりが見られたらしい。アオギスの生息環境がなくなったのは、それだけ生態系が壊されてしまったことによるものだ。当然にも東京湾の漁獲量は減少の一路になり漁業者は激減した。かつては豊饒の海と称された東京湾は、埋め立てで甚大な影響を受けた。

 60年前には、海岸にでればどこにでもアサリは湧いていたし、今は絶滅危惧種になったハマグリも生息していた。潮干狩りの業者がアサリは撒いて、日数を置いてから客に獲らせていたが、アサリは撒いてから獲るもの?と子供心に思っていたほどだった。埋め立てによって、大部分が改変されてしまったうえに、「公害」で痛めつけられた結果は、アサリのタネをほかに求めて、海に撒いて育てるようになっていることにも現れている。

 神奈川県水産技術センターの主任研究員をされている工藤孝浩さんが、「東京湾は日本で最も人間に痛めつけられた海」と、魚の生息環境を取り戻すためアマモの繁殖活動を続け、また啓発活動をされている。一度壊してしまった自然を取り戻すのは容易なことではない。アオギスの養殖放流によって復活を図ろうという試みもされたが、うまくいっていないらしい。アオギスの脚立釣りを復活させようという催しが20149月に木更津で実施されたとのことだ。結果がどうだったかはわからないが、釣り文化の継承が意識されていることはうれしい。

→東京湾は日本で最も人間に痛めつけられた海と語る工藤さん

→アオギス専用の竿写真あり

→脚立づり復活