2018年7月17日火曜日

釣りの夢だったのか

珍しく夢を見た。いつも夢はみたことがないのに珍しいことだった。夢とは脈絡がないものだと思っているが、人によっては具体的にみることもあるのか、義父の場合は事細かに話すことがあった。今朝は夜中に暑くて目が覚めて、冷房の温度を一度下げた。そのせいで7時過ぎまで寝こけていたので夢を見たのかもしれない。

 渓流で行水をするつもりで水につかっていたのが夢の最後の部分。自分を入れて3人がなにか大きなチラシの構成を考えていた。場所は山中のようだった。真ん中編に入れる文章を直すため、あれこれと言う一人がいるのだが、言っていることが難しくてわからない。経過はぬきにして最後は旨く行ったという筋立てだった。それで水浴び…だったのかもしれない。

 その場所は伊豆半島だったのが飛んでいる場面だ。それも狩野川でなくて南に流れる川だった。うっすら目が覚めてきていや南に流れる川はなかったよなと一瞬思いかけたが、ぼんやりとしていながら目が覚めるにつれて、いやあると思い出した。ハゼをよく釣りに行った青野川だった。

 なぜこんな夢を見たのだろうと、すっかり目が覚めてから思った。親父の散骨をしようと依頼し準備をしているが、海のほか粉骨した一部を岩手県の、「釣りをした川」に流してあげようかと話していたので、それが展開したものだろうか。「わからなかった文章」は読書会の本の内容が影響したのかもしれない。渓流での行水はたぶん朝方汗をかいたからだろう。脈絡がないとは根拠がないわけではないので、こうして思い返せるうちはまだ大丈夫だろう。



2018年7月14日土曜日

ブログの拙文を見直す、恐ろしや

 文を書くのは怖い。人目に晒すのだから当たり前だが、いちいち伝わる内容にするのには、エネルギーを使う。「書かなければならない」という切迫感は、自分の中では「健康を保つ」ことの位置づけがあって、ともかくブログに書いてしまえば、安堵感が得られる。なにか「ナントカ依存症」の一種なのかと思うところもある。

 毎日が日曜日である身で、メリハリと自己目的を持つのが健康法になると、あえて身を置くことを選んでいる。しかし、面倒なことでもある。自分が撮った写真をホームページに搭載しているが、構成に改善を思いついたり不十分さを見つけたりして、新しいサイトへ引っ越ししたことが何回かある。昨日、古いサイトが残っていないだろうなと、念のため検索していたら、そのサイトの引っ越しについて、自分のブログに書き込んでいるのが見つかった。

 読んでみると、なんだこれはと言うような内容だった。大筋間違いではないが、その表現たるやお粗末なものだった。ブログの下書きが出来上がったら複数回は読み直すようにしているのに、気が付かなかった。恥ずかしさを感じることなく、今日まできてしまった。今考えるとわからなかった期間は「恥」を感じなかったのだから、恐ろしいことだ。文章はもう一度手を加えて直しはしたが、今更手遅れだろう。恥はかいた方が「反省」ができていいと、反省よりは開き直りながら、次のブログのテーマを考え、健康維持に努めよう。

2018年7月12日木曜日

肉親がいなくなる寂しさとはこんなものか

 肉親がいなくなる環境などとは考えてもみなかった。正確に言うと、肉親がいなくなるだろうことは具体的でないにしろ予想した。予想はしても実際にその立場に入ってみるのと、その違いはずいぶんとある。自分の生きている位置を確かめるのに、時間がいるのだろうか。

 あれこれの思い出があって、良し悪しは別にしても自分の周りを形成していたのだから、いなくなって開いた穴を埋めることはできないことだろうが、これも身のうちとして、自分となじませなければならないのだろう。恨みつらみもないわけではないが、それを思い返しても今は意味をなさない。ひとこと言ってやりたかったことの思いは残っている。

 子供の頃の少ない思い出がある。金が欲しくてたしか千円だと思うが、財布から盗んで雑誌を買った。残った金を七輪の下に隠した。もちろん見つかって、がっちりお説教だったか、殴られたかは覚えていないが、金を隠した時の心臓のドキドキを覚えている。それからタケノコを盗んだ時。近所の竹林にでたタケノコを盗んだとき、なぜかこのとき罪悪感はあまりなかったが、怒られて家出をした。といっても近所で隠れていたのをすぐに見つけられて、首を抑えられて家に戻ったことが記憶にある。「窃盗」の思い出だが、それ以降人様のものに手を触れたことはない。念のため。

2018年7月6日金曜日

岩手山麓の仙人逝く

 移り住んで15年、彷徨の終焉がきた。温泉が出ぬかと採掘の手出し、山ブドウの養殖はと夢を追いつつ、岩手山麓に岩魚つりで遊んだ親父がついに身罷った。

 90歳を過ぎてからも、暖炉用の薪割りをものともせず、大雪にもひるむことなくシャベルをふるった元気さは、いつまで続くのかと周りの人たちは一様に驚いていた。今になって思えば、転んでも転ばなかったフリをする自尊心の高さも、これまでの糧になったのかもしれない。

 それでも着々と近づく終焉のときを想定して、自分の写真を撮れと言い出したことが思い起こされる。仙人とはいえ聖人にはなりきれなかったのは、今は過去の場面としてしまっておくことになるだろう。残された写真を整理しながら、親戚への思いがあったことがわかった。それは十分伝わらないこともあったやもしれない。

 その先どこへ行くのか、海への散骨を言いだし「‐家」の墓にという話にも答えずのまま、旅立ちをしてしまった。後は頼むということなのだろう。そう解釈するしかない。家族と言う単位の姿には恵まれなかったが、それだからこその山麓暮らしへの入れ込みだったように思う。

 好きだった釣りは一番の思い入れがあった。これを通じて甥姪とその子供たちへのかかわりが、温められていった。それは救いだった。80歳を過ぎてからもナンプレに挑戦し、数えきれないほどのジグゾーパズルを完成させ、家じゅう隙間のないくらい掲げた。ここに生きてきたと思うに十二分な足跡だった。