2018年10月29日月曜日

ベランダの、目隠しとのお別れ


 ベランダの格子に、細い竹を編んだ「目隠し」置いてあった。風雨にさらされて、からからに乾いてしまったので、付け換える時期ではあったが、そのままにしていた。

 ベランダの防水工事をすることになって、それは邪魔になるので、このおりに始末をすることにした。玄関先に運んでから、ノコギリとペンチを使って解体し、ばらけた細い竹を半分くらいに割り揃えて束ねた。段取りは思ったより意外と支障なくできた。動き出す前の思案のほうがかえって時間がかかったようだ。

 なにせ3階の風の当たる場所に置いてあったのだから、腐っておらず不潔感がなかった。1メートルほどの細い竹を2本膝に当てて半分に割る作業は、「パチン」と音を立てて気持ち良く折れるものがほとんどだったが、3枚ある「目隠し」の竹の数は相当ある。ずっとやっていて、近所で煩いかなと気になってしまった。

 組んである竹を抑えている針金をペンチではずすが、立ったり座ったりする動作はちょっと厄介だった。枠の四角い木もノコギリで半分に切断して、折った竹と一緒に束ねたが、ビニール袋に入れた方がいいのか、紐でくくった方がいいのか考えあぐねたが、結局両方のやり方になった。植木類もあまり量が多い場合は有料だということらしいので、翌朝分けて出すことにした。


2018年10月26日金曜日

ススキはどこにもあるけれど、どうやって切り取ればいいのか


 洞爺湖の展望地に立ち寄って、ちょっと重たそうな空を眺めながら、ススキを撮ろうかとお土産屋はとりあえずパスをする。ススキの原っぱは、たわわに開いたススキが揺らめいている。

 どう撮るかはこっちの裁量でも、どうしたらいいものだかウーンとうなり声をあげそうになる。たくさんあるのだから、それだけいくらも可能性はあるということでもある。

 ともかく挑戦するしかないなと、原っぱの中に入り込む。もしかしたらこれで道極めれば、すごいことにならないかなと、淡い期待を持ちながら。










2018年10月25日木曜日

北海道、神仙沼の「木」を「フィルターキーワード『木』」に追加する

 ニセコの神仙沼で「木」も何枚か撮った。カメラの編集ソフトでこれまで撮った「木」の写真ファイルをまとめてあるのでこの仲間に加えることにする。編集ソフトは、写真にキーワードを付けることができるので、「海」、「港」、「祭り」とか「訪問地」などの名称で付っておくと、そのキーワードをクリックすることで全部の写真をモニター上に表示できる。これまでコツコツと写真に付っていた「木」には400枚以上の写真が蓄積されている。これだけあれば、下手な鉄砲も…で、いいものはないだろうかと期待しているが、さて。「木」も人であれば十人十色で、多種多様な風体をしているから、その表情まで考えて擬人化すると面白い。写真展に使えればと密かに思い込んでいるが、問屋さんはどんな思いだろうか。











2018年10月24日水曜日

ニセコ、神仙沼自然休養林で遊歩道を歩く

 ニセコ町から岩内へ抜ける、ちょうど真中にある神仙沼。16時少し前に歩き出し手約一時間のコースを歩く。漆の葉に触れないようにとガイドさんが注意をしたが、たしかに赤くて黒っぽい色が混じり、もう散りかけた葉が遊歩道に現れる。

 赤い色は紅葉の写真に欲しいが、きれいな葉を求めることは難しい。沼までの間の景色もシャッターを押すほどの視界はなかった。沼の水に映った景色に青空と白い雲が入るのがせめの機会だった。太陽が斜めに入ってくるのがよくて、いいチャンスだったものの、これはと言うものには恵まれなかった。














2018年10月19日金曜日

積丹半島、広々とした景色で、秋を楽しむ


 小樽の散策から、ウイスキー工場へ行き、試飲でのどを潤して積丹半島に向かう。半島へ行く歩道の手前に「食事処」があり、我々のツアー仲間も昼食を採った。半島の先の方へ少し歩いて海を眺めると、これが素晴らしい。気温が下がってきたこともあるのだろうが、透き通ったみずに青色を付けたような海を眺めて、気持ちの良いひと時を味わった。これだけの海はめったに見られるものでない。しっかり記録しようとしたが、あまりバリエーションがなくて、同じようなものになってしまった。











2018年10月18日木曜日

小樽から積丹半島、ニセコまで


 小樽の町の観光地は、あんまりシャッターを押すチャンスがなかった。1時間半ほどの自由時間をめぐったが、ここはというものもなくて初めて行ったみたわりには、もう一つ物足りなかった。お土産屋が並んでいて、同行の友人と眺めて回るのが主要な行動になった。ホタテの佃煮を買って、注文の「北海道土産」にした。






2018年10月13日土曜日

バスで走り抜ける北海道

 北海道は、いささかどころなく、とんでもない広い面積だから、三日ばかりの旅ではものたりない。と言っていいのかどうか、最近は気楽な旅でも疲れを感じてしまうことが多くなったので、旅期間の短い方が気力が保てることもある。出費も少なくて済むから、またどこかに行くきにもなれるし。

 待ち合わせに遅れて飛行機に乗り送れそうになった、北海道の旅が始まった。小樽で夕食の寿司を物足りなげに終わらせた後は、持ち込んだもので宴会が始まった。ホテルにはアルコールの自動販売機もあるし、製氷機も使えた。どれだけ飲んでいたかは不明。

 ともかく朝の港には行って、写真を撮りたかった。朝食前の一時間ほどを見計らって、ホテルを出たところ建物が大きいし、となりのこれまた大きな駐車場を、通り過ぎるのに大変だった。海際に立っているホテルなのに、その海にはずっと回りこまないと行かれなかった。

 港の一部にマリーナがあるだけで、そのほかの広い港にはほとんど船がいない。なんのための港なのか。聞いてみないとわからないようだった。造ったはいいけど…みたいなことがあるのかもしれない。ホテルの隣のビルが廃墟の様相だったので、そんな気が起きた。



 にぎやかにしゃべりながら、釣りをしていた



2018年10月10日水曜日

塩害というと悪者に聞こえるが

 葛西に住んでいる知り合いの家で、先日の台風で飛ばされた塩がベランダにこびりついてしまったとのこと。電線に付着してショートした末、電車が止まってしまったと報じているが、あちこちでその「被害」が報じられている。イチョウの木にも風上だった片面に張り付いて枯れてしまったという。農作物なども影響があったらしい。


 「塩分は控えめ」なのがいいと人間の場合にも注意喚起されている。だけど、人は全く摂取しないとこれもよくない。涼しくなってきたら忘れそうになるが、暑いときの水分補給の際は、塩分を採ることも大切だと気象予報の時に強調して話している。


 たしか稲作には「塩分」がおいしい米づくりには効用するというのを聞いたことがあるので、あらためてNETで調べてみると、「ミネラル」がよい影響があるという米作りの農家からの発信がたくさん出されている。その根拠は見た限りではわからなかった。この場合は潮風でのことなので、塩分の量は「害」にはいたらない。


 全国で海際の棚田などで稲作が盛んに行われているのだから、その効用があると考えていいかもしれない。東日本震災の「塩害」のよる、塩分除外の方策は研究されていて、1%以下なら大丈夫というのもあった。確かに、人間社会の特に生産物について、その成果に「害」を及ぼすというのは、そうであっても、こっち側で利用させてもらっていることもわけだから、害を与える悪者にされるのはちょっと気のどくな気がする。

夕鶴のふるさとで育つおいしいお米

2018年10月7日日曜日

飛行機に遅れそうだった危ない話…日記から


 6時過ぎ起床。トイレへ行ってからコーヒー。今日のコーヒーは薄くて、コーヒーの味が物足りない気もするが、牛乳の量がちょうどよい。牛乳を入れると温度が下がるから口当たりもいい。この一服がなんともここちよい。

 北海道への旅出発が1114分地元駅発。これにはきちんと乗ったのに、新橋で、京浜急行に事故があって使えなくなった。あわてて「ゆりかもめ」に乗ってしまって、「芝浦ふ頭」でおかしいと気が付き、折り返して行って新橋駅に戻った。

 ところが改札を出られなくて、インターホンで指示を受けて出られたものの、今度はJP新橋駅で入場できない。カードをもらって出たのだが、なにが違っていたのだろう。その場では清算されていないと言われたが、ともかく事情を話して改札からホームに上がった。

 今度はそのホームが違っていた。隣りのホームに移って電車に乗り込み、ようやく浜松町まで行き、モノレールに乗るが羽田到着したのが集合一分前。待ち合わせ場所には1分遅れただけだったが、焦って汗も出てきた行程だった。時間に余裕を見て出たからよかったが、危ういところだった。

 小樽で寿司を食べたのが一日目の日程で、一人前の寿司と生ビール一杯で、旅の夕食にしては物足りない感もあった。大浴場はないので、部屋の浴室でシャワーを使つかった。寝る前の時間は無論アルコール付き歓談。危うかった一日の「そろそろ危ない」話で盛り上がる。

2018年10月3日水曜日

断捨離の課題ができた 釣り道具との別れ?


 家のリニューアルで、ベランダのコーティングを張り替えることになった。ベランダには、釣り道具がほとんど詰まっている物置がある。最近は大工道具を出す以外はめったに開けることがなくなった。そういう意味では「この際整理してしまえ」という、連れ合いの言には説得力がある。

 それは惜しいという気持ちが今は和いでいるので、これを機会に際お別れしようかと思う。しかし、中には使わなかったものがいくつもある一方、使っていたハゼ釣りの道具などは、また釣りに出かけることもあるかと、惜しい気分も湧いてくる。

 渓流の道具や仕掛けなど、親しんできたモノには、思い切りができるだろうか。残しておいても金になるわけでなし、廃棄処分の憂き目にあうだけなので、現政権のうちに整理するのがいいことには違いない。涙…。

お台場

亡くなったつりの会員さんが作った

長い間世話になった