2018年12月30日日曜日

奈良公園にホテルいらない


 11月に4人で奈良を巡った。紅葉を追いかけてのことだったが、終わりかけた紅葉が寂しさを感じさせた。それを切り取るのも“写真や”の腕だと強がりを言いながら、お寺を訪れ、小路を歩き回って日本の古い文化に触れた。

 本当は歴史を味わうほどには触れてはいないのだが、知らないなりにも古さゆえの表情から、わからぬなりの想像力を働かせて、「ウン、なにかある」程度の感動を得ることはできる。

 時間を積み重ねてきた重みをわかりもせずに、カメラに収めるのも礼を欠くことではある。あまり考えても足が動かなくなるので、そこはいるも折り合いをつけていく。

 撮った写真はまとまりができないままブログに載せたが、家に戻ってからまもなく「奈良公園にホテル建設」のニュースに接した。奈良を訪れた二日目に現場近くで写真を撮っていたのだった。

 「奈良公園のホテル建設に反対」する住民運動の先頭に立っているのは、モンベル創業者の辰野勇さんとのこと。NETで見てみると、奈良県が極めて熱心に建設を目指しているらしい。反対の声を聴かず推進するところ、いずこもある眺め…に感じる。

 せっかく出かけていくのにホテルを撮れと言うのか?「観光立国」などと4000万も海外から日本に呼びこむというが、これでいいのかと大いに疑問だ。だいたい、海外より日本人が観光に気軽にでかけられる賃金なり、休暇取得なりの処遇をよくするのが先ではないのか。


奈良公園の架橋を守る会HPから切り抜き
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県= この計画に対して「反対者はいない。むしろみな喜んでいる」
◎ 県は奈良公園整備計画検討委員会(貴庁の担当官が「アドバイザー」として出席されている)において、県が住民説明を行う前から「住民の反対は無い」「むしろ賛成意見ばかり」であると説明されています。これは県による虚偽の説明です。このような「ホテル建設ありき」の「県の意向に誘導する」審議は不当です。民意の絶対的多数は「反対」です。住民説明会会場での発言者の意見の100%が懸念や反対でしたが、その事実を県は黙殺しました。さらに県は、「建設に賛成ありき」の説明会でなければ、以降話し合いは持たないとまで明言され、わずか二度の説明会以降、住民との接触を断絶しました。これを受けて、私たちは「高畑町住民有志の会」「奈良公園の環境を守る会」を結成しました。そして開始した「署名活動」における民意(3万筆以上)をお聞ききとどけください。
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http://www.nara-park-mamoru.jp/menu167/

2018.12.28現在の対署名数
オンライン署名 25000目標にもう少し


2018年12月29日土曜日

2020年度開業という文字が躍る京都開発

 先日テレビで、京都で遺跡発掘が進んでいて、保存する場所がなくなっていると報じていた。それほど「発掘」が多いのは開発が進められているからだろうと思って、NET検索したら案の定、不動産業界の「活況状況」がでてきた。

 報道は保管場所がなくなるほどの埋蔵物保管場所を問題視していた。京都の土地を掘り返す、あえて言えば「破壊が進んでいること」に驚くと同時に、事業者だけではないなり国、自治体の誘導にも疑問を持たざるを得ない。

 埋蔵物を掘り出したら、その扱いを「しまっておく」だけでいいのか。一定期間が過ぎれば建築もどんどん進めることが可能だから、京都が持っている遺構や遺跡、埋蔵物が片隅におかれて、全く違った建造物が出現するということになる。

 ゼロからのスタートでなく、プラスであるものがマイナスにされたうえで、性格の違った似非プラスが出てくるということになるのではないかと思う。京都と言う町が持っている特有のものは大事にしてもらいたいし、将来に残すべき共有の財産だろう。それが今の在り方にならなければいけないのではないか。

 事業や建造物がそこに本当に必要か?の検討が十分されているのだろうか。公共事業が評価されない失敗例が後から現れてくる。そうしてはならないという教訓は生かされているのだろうか。形式ばかりを整えた「事業説明」だけでやっていないか。

 しかし、土地を掘れば歴史的な遺跡が現れるとは、埋め戻して研究に資することもできるだろう。過去を大事にしないものが今を大事にできるはずはない。過去の歴史に触れて日本の文化を想うことより、2020年のオリンピックで外国人観光客を呼び込むための…という「不動産業活況」であれば本末転倒だ。





2018年12月28日金曜日

きじ、青イソメあります!


 東京勤労者つり団体連合会の「50周年祝賀会」に参加された方を、翌日スカイタワーと浅草に案内した。スカイタワーの上から東京の下町を眺めたあと、浅草通りを西に向けて歩き浅草寺へ向かおうとした途中で、(業平当たりだろうか)釣道具屋を見つけた。

 店は閉じていたのだが、入り口に「きじ、青イソメあります」と断り書きが貼ってあった。どこで釣りをするのかは測りかねるものの、「釣り」をしている人がいることがわかった。現在は釣具店の上州屋も売り上げが下がるばかりで閉店が続く。我が家に比較的近い店も閉店となった。釣りに行くときに、あらかじめ買っておく餌が購入不可能となって、また少し釣り行動がしにくくなってしまった。

 こんな事情の折に、「きじ、青イソメあります」の言葉はうれしい断り書きだった。富の集積地である東京が、ほんとに富んでいるのかどうかは疑わしい。東京湾が都市機能や物流のための仕様として造られたことは否めないし、よってそこで海の機能すなわち生態系の維持が「後景」ならまだしも、考慮の対象にもしてこなかったと言えるだろう。こういう中でも、隅田川に通じる水路ではハゼが確かに生息している。スカイタワーの足元に。




2018年12月26日水曜日

自分が釣りの絶滅危惧種か


 今年はとうとう一度も釣りをしなかった。写真と旅に身を置いたことでしなかった事情もあるが、気持ちの中にやりたいという気分が湧いてこなくなった。道具を断捨離で廃棄してしまったのも、気力が薄れてきたせいだ。

 時間があればやる気になるかはわからないが、しばらく前の渓流釣りで、流れをさかのぼるときに転んだことがある。けがはなかったものの、ショックを受けた打撃は大きかった。これはもう自粛する方がいいかもしれないと思っていた。

 もともと足腰が丈夫な方ではないから、そこを乗り越えてやるには一時の気合も必要だ。難しくない対象の魚だったら大丈夫だろうと。そうこうするうちに写真の方が忙しくなってしまった。

 先日、船のハゼ釣りにという話があり、のりかかったのだが、船宿で船は出ないということだった。今年の落ちハゼつりは「釣れていない」という話を聞いていたから、その事情によるものだろう。

 つりの会のハゼつりでは、木更津アクアライン周辺の港を中心にしてつり大会をやっていた。ところが、やるたびに釣果が減ってゆき、大会運営としては耐えられず、釣り場の範囲を広げてやることになった。最近のシロギス釣りも釣果が非常に悪いということで、東京湾の状況が悪化しているという気がしている。

 海底のセシウムだの最近クローズアップしている、マイクロプラスチックの影響もあるのではと疑いをもつ。東京湾に流れ込む主要な川は、15、6本ある。かつては豊饒の海と言われ、江戸前の…という誇りをもたれた魚を育んだ海に、どれだけの異物が入り込んでいるのだろうか。

 小物の魚さえ「絶滅危惧種」になるようでは、生物多様性の東京湾は終わる。釣りの楽しみと言う極上の文化は抹消されてしまう。その前に、自分の釣りも「絶滅危惧種」になりそうだけど。



2018年12月24日月曜日

雪との戦い発祥地の故郷新庄市


12月初めに墓参りに行った新庄市で、「雪の里情報館」に寄り道した。そこに雪害対策の発祥地だったことが記録され、資料が展示されていた。雪(害)の対策を国の政治問題として取り上げた活動が大正時代に起きていた。当時の雪国の困難な生活を救い出すという運動が広がった。雪国で、安心・安全で快適な生活を続けるためには、雪氷技術の開発・普及が必要だと、現代に継がれた取り組みが提示されている。

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雪国とそうでない地方ではあまりに格差がありすぎる・・
山形県の現村山市出身の代議士、松岡俊三は雪国の人々を救いたいと運動を起こしました。これが雪害救済運動です。松岡は県内各地を調査しながら講演を行い、人々の意識を高め、皆で雪害を克服しようという気運を高めました。そして農林省の機関である、積雪地方農村経済調査所を誘致したのです。
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大正15124日のことです。松岡俊三代議士は、山形県大石田町での演説会で風邪をこじらせて、肺炎となり、山形市の済生館病院に入院しました。そこで彼が見たものは 、次々と運ばれてくる乳幼児でした。寒さと栄養状態、保健衛生が悪いためであり、その根源は「雪害」だと気づいたのです。雪国の人たちが背負っているハンディキャップを支援する法令上の施策がないことが問題で、政治的に解決することが、自分の使命であると決意した。 
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大正時代の終わりから昭和10年ころは、凶作と慢性的な米価下落で、東北農村はかなり疲弊していました。小作争議が頻発。また、世界大恐慌により、たいへんな不況となりました。生活が楽でないため、娘の身売りなども頻繁にありました。
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 豪雪地帯だからこそおこる貧困や格差を是正させるため、政治問題化を図った歴史を持っているとは、我が故郷が持つ歴史に鼻が少し高くなった。また、克雪問題に取り組んだ「日本一の健康村」沢内村の紹介があり、雪の学術用語が雪国で普段使われていた呼び方を、採用しているという記述も面白いものだった。





2018年12月21日金曜日

辺野古の海へ土砂投入の「愚かさ」

 基地問題などに言及すると「政治的発言」といって排除される。都知事選の際の石田純一立候補にあたっても、メディアを使ったあくどい攻撃に晒し、仕事を干してしまうなどえげつない方法を使って断念させた。政治に対して自覚的に意見を表明するのは、タブー化して、排除の対象に祭り上げる。

 企業はもちろん選挙の際には投票行動にさえ、組織の干渉をうけるし、公務員に政治活動の自由はない。それこそ憲法が保障するところの権利は、存在しないかのような社会になっている。

 「ローラ・りゅうちぇる」の沖縄辺野古をめぐるNET署名呼びかけ発言も、ごく普通の感覚なのだと思えるのだが、SNSのフォロワー数からして、影響は少なくない。だからこその「攻撃対象」ともなる。世論調査も辺野古埋め立てに反対の数が多くなってきた。「愚かさ」などと言うと不遜にもと言わないと、引っ込みがつかないが、一度壊した自然が元に戻ることはない。「元のように」戻るのには膨大な時間がかかる。

 東京湾はかつての干潟は、ほとんど埋め立てられてしまった。漁業者は仕事をつづけられなくなった。魚の保育園、幼稚園である干潟が、三番瀬や小櫃川河口干潟しか残っていない。魚も減ったのだから当然漁獲量も数分の一に減った。最近では木更津周辺のハゼも減り、アサリも他から取り寄せたものを撒いて育てている。ハマグリは絶滅危惧種になった。

 「自然を守る」一点でさえも、埋め立ては容認されない。しないのがこれまでの環境破壊への答えだろう。基地問題の有り様も「日米地位協定の見直し」要求まで高まってきた。造られたタブーを破る時期に差し掛かってきた。

ローラ「干される」心配は的外れ? 辺野古発言はむしろ「プラス」も

2018年12月19日水曜日

きも~いブログ参照数増

 ブログの参照数の記録が最近増えている。正直なところ、せっかく書いたものだから、参照してもらって批判を仰げれば、うれしいし広義の意味で「民主主義」の範疇とはいえるが、ほぼ一方通行ではある。しかしつまらない内容なら、無理やりということにはなりもしないと承知はする。

 だから、なにか共鳴されたものがあるのかと思うが、理由はさっぱりわからない。消去法でいけば、興味を引く題材のキーワードが、広げているのかとも思うが、同等の可能性としてはブログの統計が「壊れている」のも有力だと思うのだが…。スペインとウクライナの参照が多いというのは、なんなのだろう。




2018年12月16日日曜日

勘違いと思えるだけからの飛躍かな。


「来週望年会の会費を集める」ということだった。だのに望年会をやるとすっかり頭に刷り込んでしまった。例会は欠席してハゼつりに行くつもりだったが、ハゼつりは絶不調で、船を出さないことになった。急いで、いまからでも望年会に乗れるかとメールを入れ、都庁近くの例会場所にいくと、例会はやっていない。場所も違っていた。

 頭の中は、都庁近くの中華料理屋で望年会との記憶になっているから、突拍子もないことになってしまった。急いで本来の例会場所の築地に向かった。終えてからの小宴会で笑いの種になったことは、言うまでもない。しかし、ブレーキとアクセルの踏み間違いは、絶対あるよねと妙な確信を共有した。

 帰りに見た「やっぱり築地」のポスターを見て、心が少しほっとした。




2018年12月14日金曜日

奈良の柿みて、一句ひねるというのかモノマネ俳句

 ときどき俳句の「ようなもの」をやってみる。まともにはできないし、季語だの法則だのはわからないのだから、これも己の性癖のひとつで、モノマネに過ぎない。勉強となるとかったるいので、未踏の地としてある。

 冬の銀山温泉に行ったとき、だれもいない朝風呂が災いして「ひねる」気になった。その場では完成品にならなかったが、あとからまた続きの「ひねり」努力をして作り上げた。まえにもブログに書いた気がするが、結構いいんじゃないかなと自画自賛しているがどんなものだろう。

※湯の花を 乱して雪の 一番湯

 それから近所の神田川に散る桜を見て作ったもの。これはもっと推敲の余地がありそう

※花筏 名残とどめて 神田川
※散り際も こころ持たせる 神田川
※花筏 旅路の仲間 そろい踏み


 そして今回の奈良で、とても気になった柿の木を写真に撮ったものだが、写真と題材としてはいいと思ったが、どうも「華」がないようで、俳句めいたものを添えたらなんとかなるかと作ってみた。これは結構あれこれ「ひねり」回した。(句の間は、本当は空けないんだってね)

※奈良小路や 鐘の声待つか 柿ひとつ

2018年12月9日日曜日

奈良で気になって撮っただけの写真5室生寺

 とはいえ、この写真はいいだろ!という「素直な思い」で撮るものだって、それはある。邪な考えもシャッターを押すに十分な動機だから、おかまいなしに撮る。つまり早い話が「へたくそ」だからたくさん撮るというほうが、当たっているのかもしれない。いいさ、写真の合評会でこっぴどく叩かれて挫折感をもつことを覚悟さえすれば、怖いことはない。

 旅の終盤ともなれば、ちょっと疲れ気味の足と頭を励まして、鵜の目鷹の目で対象を探す。今回も結果900枚は撮ったが、パソコンによる処理なので、昔のように写真屋さんにもっていくわけではない。取捨選択も自分がすればよいのだから、そういう意味で自由度は高い。

 やっぱり「数打ちゃ当たる」になるのかな。ちょっと冗漫になってしまったこの項も最後は、室生寺で締めることにした。











2018年12月8日土曜日

奈良で気になって撮っただけの写真4


 奈良の三日目は早朝に出かけで、洞川(どろかわ)温泉の景勝を撮るつもりだった。4人はバラバラに部屋を出て拡散した。皆より遅れて旅館を出て、その方向を眺めるが、どうもその雰囲気を感じないし、川の流れを見た限りでは、そんなによさそうな感じがない。

 仕方なしにとりあえず近くの橋を渡った。するとなんとも大きなお寺の敷地に誘い込まれた。お寺とはそのありがたさがわかることを抜きにしても、長期にわたって保存されている、下世話の変化に動じない態様がある。時間を重ねてほとんど変わらないその古さが、安心感も醸し出す。寺に託された人々の歴史が見えてくるかと、そんな気でシャッターを押した。











2018年12月7日金曜日

奈良で気になって撮っただけの写真3


 自然は取り繕いをしない。鷹揚に自分の定めを歩き、人間にとって厄介な事柄であっても、知ったことではないというかのようだ。そのクールさが我々に警鐘を鳴らしている。

 自然と仲良くしなければならない。「仲良く」でないと作物は実らない。売れ筋の魚を無原則に獲って、再生産が追い付かないままでは先がない。折り合いを付けなければならないのに、「利用」に徹する人間側の身勝手さが、ここまできてしまった。

 人の手がかかって、環境が変容されてしまってもそこから先の時間に,自然がまた自分らしく態度を変えていく。そのとき人の側はなにを得ることになるのか。









2018年12月6日木曜日

奈良で気になって撮っただけの写真2

 生き物の様々な仕草は、その時の一面だけではない。だから、ただの一時を取り上げて語っただけではおこがましい。人が造ったものでも、創造の心は存在するものだろう。それを瞬間で切り取ることができるのか。「駆け出し」にはちょっとむずかしい相談だ。

 気を引くものがあれば、眺めるのも写真に切りとって収めるのも、一瞬のわずかなふれあいの場にはなる。「気」がうまい具合に発動して、最初の一撃になったとき、非常に失礼ながらそれをもって、理解したふうに装うことになる。

 かくして生き物のしぐさも人の造ったものも、その意図のほんの一部を、分け与えてもらえたことになる。不思議さは気を引く、魅力的なものと同等でいえるだろう。これはなんだ、なぜこれが、と想像豊かに脳細胞を動かすとき、心臓がときめく思いに浸れる。









2018年12月5日水曜日

奈良で気になって撮っただけの写真1


 自分が気に入ったからと言って、プロ筋は許してくれない。許してくれなくとも、気になったものは気になったものとして、「自己責任」で人目に晒す場にさらしても怒られはしないだろう。

 すぐれたものだと言われなくとも、目に留まったものだからデジタルの情報写真へ保管しておく。使い道は、たいがいはない可能性の方が高いから、今時の効率本位でいけば、次の撮影対象にあたる方が、よっぽどいいのかもしれない。

 それでもお気に入りを捕獲したのだから、これも楽しみと満足の一つとして置いておきたい。