2019年2月27日水曜日

釣り心刺激された

 久しぶりに、釣り友と飲んだ。一昔前、テントをもって、缶ビールを詰めた思いリュックを背負って、山越えをして目的の渓流に入る「本格的」な釣りに同伴した。この醍醐味を人並みに味わえたのは彼のおかげだった。自分の体力のなさを十分自覚させられた釣りでもあった。山歩きをためらいなくやれる経験者なので、すべてお任せの計画に乗るだけで、その上荷物の負担まで軽くしてくれる頼れる人なのだ。

 複数回行ったつりは、別天地だった。だれでもが行って、よほど時間がたって、おまけに雨でも降らなければ釣れはしない場所とは違って、魚は無尽蔵と思えるほど多い。彼は「あのときは釣れなかった」と話すが、それでも持って帰るのを考えるほど釣れるのだから、これまでの釣り経験のなかにはほとんどないことだった。

 渓流釣りを志す者は、本当はこうなのだろうなと思わされた。行くときには相当の覚悟をしてのことになるが、釣りの会の行事も立て込んでいることもあり、その後この釣りでのお付き合いはしていなかった。彼の友人を何人も案内して楽しんでいたと、一杯やるときには話をしていた。

 手近なところで一緒行くことはまれにあった。でも「手近さ」を「釣れなさ」を伴うが、そこにこだわっても仕方がない。つりの楽しさは、計画してから仕掛けの準備、道具用意など事前から始まる。たいして釣れないことはほとんど承知の上で、それはそれとして「宴」の賑わいも範疇に入ってくる。昔話しをしているうちに、案の定釣り計画ができあがった。ああ、足腰大丈夫だろうか?と家に帰って思った。





2019年2月24日日曜日

月島を周って撮る

 もんじゃ焼きを食べようという催しがあった。フリーな身の上を生かして、夕方から始まるその会に参加させてもらうことにしていた。もう一つの意図は写真を撮ること。始まる時間より早く現地に行って、銀座から歩き始めて勝鬨橋も撮り、橋を渡ってから水路の風景をねらってみた。

 勝鬨橋のゴッツイ造りは、眺めてみると面白いものだった。不思議なことに人がずいぶんと歩いていて、何か催しでも?と最初考えたが、そうではなかったらしい。勝鬨橋にも映り込んだが、高層のマンション群がアピールしているかのように、立ち上がっている。どうやらそこへの出入りがあるらしい。

 調べてみたら、月島地区でこの一年で増えた人口が1592人、うち外国人の増加が3分の一を数える。水路にある屋形船繋留の風景と、街の変容のコントラストに少々とまどい感をもった。もんじゃ焼きの店群の周りは、高層ビルと変わりように置き去りにされる、古い家並みが取り巻いているようだった。







 



















2019年2月22日金曜日

気分は春の胃カメラ結果


 前回の検査からほぼ2年になって、その間胃薬も飲んだが、アルコールもそれなりに胃袋を通過していった。ピロリ菌の除菌が2回目でうまくいって、危険の回避へは整ってきたものと思っていても、ときどき胃の一部に違和感があるので、少々心配はしていた。

 胃カメラの結果は、大丈夫とのことで一安心。あとは「大腸がん検診」でひっかからなければ、一年くらいは安心していられる。(つまり、酒も飲める)

 家を出るとき持って出た「本」を抱えて、いつもの喫茶店まで行って読もうかと、明るくなった気分をウォーキングに転嫁して歩いた。初めて通った道で神社が目について、ちょっと寄り道した。古めかしいたたずまいにスマホでカシャリと2枚撮影した。

 喫茶店で一時間ほど本を読んで過ごし、神田川沿いに家に向かった。途中咲き始めのサクラをスマホに収めた。河津桜が見ごろとのことが新聞に載っていたが、この桜も河津桜なのだろうか。





2019年2月21日木曜日

五色沼、モノクロに近い世界を雪が造った

 10人ほどのメンバーが、ガイドさんに案内されて雪の世界を歩いた。スキーをしたことがあるので、スノーシューを履き、ストックを持つのは全く違和感がなかった。スノーシューのストッパーの締め方が弱かったのを、ガイドさんが直してくれた。

 元が自然探勝で使われているところであるし、前に通ったらしい雪上に、フミ跡があるので緊張もせずに楽しむことができた。雪と、時折雪をまき散らす雲のおかげで、沼の水の色がわずかに青色に見える以外は、全くのモノクロの世界。水が湧きだしてそこだけ石に張り付いている苔の緑が、いやに印象的になった。











2019年2月20日水曜日

新雪を踏んで歩く五色沼

 スノーシューを履いて歩きまわるのは楽しい。新雪を踏むのが、なぜか楽しい。坂を滑り降りるのも、子供の頃に帰ったようで面白い遊びだった。念のために坂から滑るのは遠慮しておいた。危険は避ける年齢になったのだから…。山の中は、雪のない時ならば自由に歩き回ることができないから、今どこへでも入り込んで歩けるのは、なかなか体験できないことだ。

 いつも雪に見舞われているところでは、面白さや楽しさは後景の話なのかもしれない。そこまでも「楽しみ」に昇華させたのが人間のすごいところだが、雪との闘いの歴史をないものにしてはならないことは、東北出身の者として思うこと。