2012年6月18日月曜日

ぼちぼち、あな恐ろしやの季節だけど


 昨年317日~19日に米エネルギー省が米軍機で、福島上空の放射線測定をして「汚染地図」を提供したのに、政府は放置したとのこと。原発事故後の対応記録をしていないというのもうなずけると、嫌味をいいたくなる。

 政府は情報操作だけはしっかりやる。知らせるべき情報を「知らせなくてはいけない」と判断できないわけだ。非難方向を誤って被爆させてしまった。こういう政治家連中はいらない。

 戦中に軍事上の「必要」から公表されなかった地震がある。「昭和東南海地震は44(昭和19)年12月7日、三重県沖を震源に発生。戦後の研究でマグニチュード(M)は7・9とされる。三河地震は45年1月13日、昭和東南海の余震で、規模はM6・8。いずれも正確な死傷者数、倒壊家屋数などは公表されていない」。

 こんな時代と同じじゃあ情けない情報隠し。原発の安全性はどこから見ても実証されないのに、「安全神話」に身を置く。祈る以外の手はない日本の政府。


スペインの旅4今宵の食事は