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2025年8月14日木曜日

戦争の意味を考えさせられる8月

  戦争が終わった翌年に生まれた。正確には戦争を知らない世代だから戦争というもののはかり切れない事柄については、後日談的に耳から入ってくことが知識として積み重なっている。戦争を「やってはならないこと」「侵略のための武器は持たぬ」こととして日本国憲法に規範としてもったはずなのに、顧みることなくそれを踏みにじろうとする言動が公然と広まっているのには、80年たってもこのありさまは何だと思うばかり。

 今世界で起こされている戦争行為を理由にして「軍備増強」することで緊張関係を拡大させ、それこそ火種を増やすようなことが起こされている。万が一戦争にかかわってしまうことが起きたら、日本の80年の歴史は逆戻りするばかげたことになる。この間で積み重ねてきた日本のみんなの「価値」はどうなってしまうのか。トランプ大統領やプーチン大統領の言動や中国の領土覇権行為は、「万一」が「万一」と言えなくなるような状態に思えてくる。

 4日、武蔵野の東京都水道局境浄水場にむけてあった専用線の跡地を武蔵境駅から歩いた。途中から中島飛行機工場で使用された引き込み線跡地を歩き延命寺に寄った。中島飛行機武蔵製作所は当時、世界有数の航空機メーカーだったため、敗戦直前9回にわたって空襲を受けた。

延命寺にある爆弾の破片(売っているわけではない😁手前が露店の場所)


延命寺平和観音像

武蔵の区役所の食堂の冷やし汁うどんで涼んだ


2025年6月1日日曜日

朝ドラ(NHKの連続テレビ小説)で蘭子役を演じた河合優実さん、交流サイトで評判

「蘭子の場合は確実に戦争反対というところに進んでいった。戦後80年という節目に、反戦を担えてよかったなと思っています。やなせさんの戦争体験、そして『戦争は大嫌い』というやなせさんの思いを届ける本作も、届ける意義があると強く感じています。その声をもう一度はっきり伝えるべきだと思っています。

今起こってしまっている戦争にも、私たちには実感がないところがありますが、もしかしたら当時の人も、よくわからないうちに大きなものに絡め取られていくような日々だったのではないかなと想像しました。みんな気がついたら、赤紙が来たら戦争に行かなきゃいけないシステムの中に居た、というだけのことかもしれません。

やなせたかしさんには、哲学があって、やはりそれは戦争体験や幼少期の体験があったから生まれたものなんだなと感じました。『逆転しない正義とは、飢えた人にパンをあげることだ』という言葉は、戦争を体験していない私の口からは、こんなに実感を持って出てこないと思うんです。本当に身をもって体感されたからこそ、アンパンマンが生まれているし、この気持ちに嘘がないなと。すごい強度だと思います」

戦争を体験している人は減ってきている。目下特に「戦争してはならない」の意志を表に出すことは大事なことに思う。憲法で「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する二度としない・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。」と書いているというだけでは防ぎきれない。

体験なしでも学びでそれを理解をすることはできる。ただその先が一段あるようで、一般的にやってはいけないこととの認識はあるのだと思うが、反戦を口に出して言うことはレベルが違ったことだということも言う人もある。

同じNHKのブラタモリで宮古島の観光地のすばらしさを強調していたが、実際の島としてはそれだけではすまされないことを感じる。ミサイル基地としての備えがされていることが後景に隠されてしまってよいことか?それに、ウクライナでもガザでも戦禍が止まない。それをもって軍備の増強を競い合うことが日常のニュースで飛び交う。かつての「一触触発」の時代と同じところへ落ち込んでいってしまわないか。

こんな時だから、戦争するの国づくりには批判の言葉を出さなくてはと思う。「あんぱん」のストーリについてSNSで発出されていることに、うれしくもあり注目が集まるのだろうと思った。

宮古島~

尖閣諸島(中国名・釣魚島)からはたったの160キロメートルの距離だ。20192020年に自衛隊の「ミサイル部隊」が入ってきて以来、島は名実共に米中対立の最前線となった。


 

2025年4月10日木曜日

戦争が始まっている

 「関税騒動」は、穏やかでないことはシロウトにも感じる。もう戦闘状態ではないのか。世界で実際武力戦争をしているところがあるのに、その火種に加えて拡大するようなことにならないか、不気味な気がする。自分の国さえよければいいという主張は、どんな仕掛けをしてもいいということにはならないだろう。ヨーロッパの国でも武力増強を図るところ増えているが、日本も「防衛力増強」で7,498億円増の84,748億円も使うという予算を組んでいる。「きなくささ」をとうに超えて、一路戦争行為に向けて動いている状況には背筋が寒くなってくる。軍事予算がこれでいいのかは、マスメディアではほとんど語られない。意見を言わせないなにかの圧力がかかっているように思える。二度と戦争の道に行かぬようにするのは、憲法に書き込んだ総意を守ることだと思う。連日報道される事件もその種類の大さに驚きながら、もしかしてその「乱れ」をも昇華させる行為と結び付けられる危険もあるのかと思う。

X(ツイッター)から

東ちづる

私は日本が好きだからこそ、全ての人が居心地良くなる社会をめざして活動している。それを「左」とカテゴライズされるナゾ。「右」でも「左」でもなく「前」へ。皆んなと繋がりながら前へ!がいいでしょ?

大野たかし

86歳の急病人など助ける必要がない」というツイートに多数の「いいね」がついていました。 これが容認されると、次は「障がいのある急病人など」になり、次は「生活保護を受けている急病人など」になり、さらには「収入の少ない急病人など」になります。 助けなくていい命などありません。

 自治労連

<記事より> 1人で何度抗議してものれんに腕押しだったのに、団体交渉という場になると要求がかなうことに驚いた。 「労働組合ってすげえ」

小池めぐみ

今日の東京新聞。杉並議会で起きている人権侵害について。何度も繰り返される暴言や大勢の嘲笑は仕事への前向きな意欲を奪い、議会での発言を萎縮させます。健全な環境とは言えません。区長に対して「インチキ区長」「ダメ区長」、副区長に対して「杉並区の恥」「杉並区政の癌細胞」という発言も。

関西万博の子供便所 まさか!!!



2025年1月3日金曜日

2日から奇跡の9連休に参戦

 我が家のメンバーがそろうのは2日。温泉があれば食事はなんでもいい派と温泉と食事を両方満足したい派が一堂に会して、美ヶ原温泉に出陣。出陣とは穏やかな言葉でないが、参戦よりもいいか?しかし今年はなんとかして戦争に歯止めと思い願う。このままいけばの先は考えたくもない。安全保障で軍備と軍事の拡大といっても、社会方負担増や値上げにさいなまれる日常生活の「安全保障」はどうしてくれるのか。経済成長があってとの幻想は、もう消費期限はとうにすぎてる。せっかくの与野党逆転。びしっとした政府追及に腰を入れてもらいたい。この正月も平和であってこそのこと。






2024年10月13日日曜日

「被団協にノーベル平和賞」には驚いたけど選挙戦の議論のテーマに

 核兵器を使うとの言葉が戦争当事国から出てくる。今、戦火にある当事国で、片方の任意のきっかけで攻撃する行為が、拡大にいたることが目の前で起こっている。「核兵器」を持つことで脅威に備えることになるどころか、使用することまで眼中にあるのだから、歯止めの意味合いは持たない。軍拡競争で核兵器を増強し軍事同盟を強化しても、世界の「核兵器をなくしていく」ことにはなっていないし、軍縮の課題からも遠ざかってきたことが実相。

 目下の「裏金かくし解散」では右往左往しつつ、安全保障環境が厳しくなっていると言って、軍備に膨大な税を導入することを隠さず、「アメリカの核の傘で日本の安全が図れる」と日米同盟を金科玉条にして、「核兵器の共有」も公言。被爆国の歴史と被爆者の長い苦しみにも、見返ることがない有り様は、大きな争点として議論してほしいし、核兵器禁止条約加盟へ一歩進める選挙結果になってほしい。ICBMを買い核シェルターを作って国民の安全をと生活を守るなどと言うけれど、能登の豪雨被害の対応にはまた補正予算を充てておいて、本格的な復興はどうするというのだろうか?住まいや電気や水ではなく、核シェルターやICBMでは安心安全の課題にははまらない。

 ノーベル平和賞受賞までの道のりは、武器は「ことば」だった。とてつもない苦労と時間を使って、核兵器禁止条約を成立させるまでにいたった。核兵器をなくしてくのは「核を持つこと」ではなくて、「言論と意見表明」よって実っていくことを再確認したい。




 

2023年11月16日木曜日

旧海軍工廠の歴史が見えた

 明治時代に軍事態勢を築きあげるために、呉に海軍工廠が作られた。

呉軍港空襲

19456229時、B-29290機が飛来。海軍工廠関係の死者は約1900名。

19451015日呉海軍工廠廃止。

1945年 株式会社播磨造船所が呉海軍工廠跡に呉船渠開設。

以降、曲折を経て石川島播磨重工業株式会社設立。呉工場での自衛艦艇の建造は無いが、修理はしている。「造船船渠(大和の建造用ドック)」は1993年に埋め立てられ、跡地は工場として再利用。大和の修理を行った「船渠(ドック)」は現存。自衛艦や米軍艦船などが現在も使用中とのこと。隣接する港には艦船、潜水艦が停泊して、見学をさせている。海軍工廠があったことで働き手が増えたものの、明治時代から湾岸は軍事用の施設が優先されて、戦後も「占拠」しているので、住宅地は山際の狭い傾斜地に追いやられているのが写真を通して分かる。呉市街には潜水艦の内部を見学できる施設が「観光場所」として案内されている。










2023年11月6日月曜日

広島呉へまた撮影旅

 呉の日新製鋼工場跡をもう一度みたくて呉へでかけた。日新製鋼は「旧呉海軍工廠製鋼部」と紹介されていて、明治時代から軍国の時代を通り抜けてきた。戦艦大和を建造したことで有名で、20219月に高炉を休止した。今後10年かけて解体していくとのことで、前回呉を訪れたときに、その工場の規模におどろいた。なんとか赤茶けた色の工場をもっと撮ってみたいと思っていた。そのほかにも島部の古い由緒のありそうな家並みや島の小高い山が砂利取りで削られているシーンをカメラに収めたいと思っていた。

 KYODOニュース~

 呉から「撤退」日本製鉄は30日、瀬戸内製鉄所呉地区(広島県呉市)を全面閉鎖した。72年にわたり地元経済を支えてきたが、鉄鋼需要の減少などを受け全設備を休止した。解体作業には10年程度かかる見込み。  同地区の高炉は1951年、太平洋戦争中に戦艦大和を建造した呉海軍工廠跡地に建設された。日鉄は2020年、国内需要の減少や輸出市場の競合激化を背景に経営合理化を図り、設備規模が小さく老朽化が進む同地区の閉鎖を決定。219月に高炉2基を休止した。今月14日には最後の製品の出荷を終えた。日鉄呉地区によると、10月以降、高炉などの解体に本格的に着手する。跡地の活用方法は決まっていない。

 今回は現地が見える三津峰山展望台へ車で上がってみた。運用区ほぼ全景が見えて目的が果たせた。写真はスマホで撮った。帰りの新幹線からアップ。後日カメラ分をアップするつもり。こだわっているのは、この跡地がどのように使われるのかを気にしてのこと。「兵器産業の期待」があるのではないかと深謀遠慮。





2022年11月9日水曜日

呉市街から付近の島をめぐるドライブ4-1

 あとから思うと、友人の観光のおすすめにもう少し行くべきだったのかと、やや反省の気持ちがでてきた。写真は観光スポットを撮るよりも、昔が偲べるような建物や物を見られればよりいいな、との思いでいたところだった。これぞという対象は、さまざま巡り歩いて濃密な撮影になった気がする。

 ぜいたくを言えばきりがないけれども、下調べをもっとしておけばさらに有意義な内容になっただろう。東京に帰ってから、当地の情報をまた詳細にNETで調べたときに、その中間の情報が不足していることに気が付いた。

 それはさておき、三日目は車で回ってくれるとのことで、最初に旧海軍工廠、呉基地係船堀に行き、「自衛隊と米軍の街」を撮った。観光案内にも「基地関連の施設」がじつに盛りだくさんにあり、日本の戦後からの成り立ちを継いでいる。あまつさえそれが美化されている風景とされている。やっぱり戦後は終わっていない。そんな気がした。












 

2022年11月2日水曜日

リュックのカメラがだんだん重くなる

  汗を拭きながら「かつて軍港として栄えた」とパンフに紹介してある「入船山記念館」に行ってみることにした。旧呉鎮守府長官官舎、旧呉海軍工廠時計、急高烏(たかがらす)砲台火薬庫などが移築されている施設で、東郷平八郎が、1890(明治23)年からの約1年7か月間、 呉在任中に住んでいた家の離れ座敷も移築復元されていた。

 最初に行った「てつのくじら館」(潜水艦)とこの記念館を見ただけでも、呉の歴史が「軍国の歴史」に浸かってきたところだということが、いやおうなく感じさせられる。自衛隊の建物にある塀に、にこやかで元気のよい入隊勧誘のポスターがずっと並べて掲示されているのを見て、ロシアの徴兵と重ねてみてしまった。













2022年10月31日月曜日

呉の「軍国の香り」観て回る

 友人が住む街は広島県呉にある。話を聞きながら、訪れてみたいという気になった。つりの会の会議でずいぶん前に行ったことがあり、そのときにしたハゼ釣りが思い出に残っていて、しばらくやっていない釣りもいいなと、旅の動機が膨らんだ。事前にたくさんの「観光案内」情報を知らせてくれて、イメージをつかめたのはよかった。観光地はさておいて、街の歴史が見えるようなところと、注文を付けさせてもらって、日程が出来上がった。

 初日は友人が仕事だったので、一人で呉の観光地を中心に回ることになった。潜水艦のモニュメント(本物らしい)がドカンとおいてあり、内部を紹介する展示施設を観た。こんなものかという以上のことはなかったが、機雷の掃海にしぼった掲示などは、生臭さを感じさせないということなのだろうか。来観者は多くはないが、若者が潜望鏡から眺める港の景色を見て何を思うのだろうと気になった。カメラ以外の荷物が入った手提げのバックはホテルに預けてでかけたから、カメラのリュックを担ぐだけでよかったものの、気温が高くなってまた夏かと思わせる気温になった。