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2024年9月18日水曜日

ひさしぶり!ヤマメと岩魚に対面!

釣り道具は大方断捨離していた。でも長年親しんだ渓流釣りの道具は、始末しかねて残していた。先日たまたま以前に行ったことがある、岩手県の花巻に釣りに行こうとの声がかかって、「最後の夢」が果たしたくなった。釣行(ちょうこう)の要領はわかっているし、一緒に行くメンバーもまったく知らない間柄ではない。ただ問題は身体が耐えうるかが一番の心配ごとだった。

かつては東京から車で出かけたものだったが、今は新幹線で新花巻まで行き、レンタカー使用という設定になっている。ほぼ空き家になっている古民家の「別荘」で、6人が掃除から食事調理に大奮闘して賄いをする。広い敷地に生える雑草の刈り取りも機械を使ってきれいにする仕事もこなして、釣り行動の大事な仕事になる。夕食は「釣り談義」が果て無く続く。

起床時間は最近ではずっと遅くになっているから、4時5時に起きるとなると結構気合がいる。前夜に用意されたおにぎりやゆで卵、沢庵などを手際よく用意されたものを、リュックに入れて出発。釣り場までは一時間~2時間車で走るが、釣り場の選定もこれまでの経験を寄せ合って、各自の要望を加えて釣り場を割り振る。6人のメンバーが目当ての渓流に向かい、それからようやく釣り稼働という具合になる。

釣り場での釣りそのものはそう問題はないが、移動するときの動きがやはり厳しい。石の段差を繰り返して歩くとき、上下の位置で踏ん張りがきかない。足元は形状の違った石があるから、角度の違いに早く合わせることが難しい。どうしてもふらついてしまうので、慎重に足を運ぶことになり、時間がかかる。普段平らなところしか歩かない足の筋肉だけでは済まなくて、ひざ下のわきの筋肉に疲労が起きていた。

断捨離を逃れた渓流用の靴もしばらくぶりに履いていた。大丈夫か?の一抹の不安があったが、歩いているうちに靴底のフェルトがはがれた。歩くたびに尻に水が跳ねてくるので、見てみるとベロのようにはがれて、水を跳ね上げているのだった。それも左右ともに。

その次は川縁での転倒だった。幸い少しバランスをくずしただけで、亀がひっくり返るときのように、ゆっくりしたもので、身体のどこにも影響はなかったのは救いだった。

最終日には、午前中に豊沢川の渓流で釣りをする予定だった。体が相当疲労しているので釣りは遠慮して、4人が釣りをしている間にカメラを取り出して、山の景色を楽しみながら何枚かシャッターを押した。釣りでは目に入ってこない山中の様子が急に眼に入ってきた。

ブナと栗、クルミが道に落ちていて、熊のテリトリーにいるのだと思ったところ、下方の渓流に入ったメンバーの二人がクマにあったとのこと、持ち歩いている爆竹の使用は忘れちゃいけないと反省の弁。大沢温泉で温泉に浸かってから岩魚庵に戻って、丁寧に囲炉裏で炙ってもらった、お土産の岩魚ヤマメをそれぞれ10尾以上持ち帰ることになった。










2024年5月12日日曜日

むかしの話が多くなってきた~イワナ釣りと山菜~

いまどきは、釣りに行こうと胸をドキドキしていた昔。支度は仕掛けを真っ先につくる。春先で木々が変化してくるときだから、新しい葉や小枝で仕掛けがよく絡まって消耗する。その支度から始まって、渓流の岸で仕掛けを竿につけてエサをかけて第一投をするときが、わたくし流春のセレモニーだった。ほかの釣りでも同様、支度が釣り活動の始まりになる。本当は「行こうか」と思った時からかもしれない。

渓流で釣りをはじめてからは、魚の反応有り無しでダメなときは徐々に気持ちがしぼんでいく。釣れないことはままあるが、結果(「釣果」という)がよくないときは、誰かが釣りをした後だとか、天候がどうだとか腕前はさておいて誰かの「せい」にする。どうしたらもっと釣れるかという反省をしないと、釣りでも上達はしないのに。

悔しいから「また行こう」という気分を醸造させる。初期の渓流釣りのおりは、山菜がよく顔を出しているので、釣りはあきらめて山菜取りに鞍替えすることも楽しみを広げる。この時期の元気の源はそこにあったのだろうと思う。先日の旅で只見線の車窓からみえた渓流の情景を見て、イワナの生の匂いを感じたのはそのせいだったか。





 

2022年11月6日日曜日

円形校舎(港町小学校)の古い歴史とハゼ釣り

 23日、呉線川原石駅にある呉市立港町小学校は駅に接着するように立っている。「円形校舎」は、紹介してもらいながら見たGoogleの地図でみていたから、イメージ通りだった。この学校もポイントを置いてしっかり撮っていこうと構えていた。しかし思い入れどおりとならず残念にも、中に入れることができずに周囲から眺め撮ることしかできなかった。

円形校舎にも敗戦後の歴史あり

 ~円形校舎とは敗戦後の時期に全国で100校くらい建設されたとか。敗戦後教育基本法、学校教育法制定下、制度的前身がない中学校は施設が不足急増された木造校舎は粗雑で、台風のたびごとに壊れていたらしい。文部省が建築学会に学校建築の標準化を依頼して、東京都建築局が建築モデル指定した新宿区西戸山小学校などの設計に採用された(1950年<昭和25年>)。大成建設の設計技師だった坂本鹿名夫氏がかかわり、のちに独立して、全国の円形校舎建設に貢献した。しかしベビーブームに対応する増改築に適合しないことで、60年代後半には建設されなくなった。2010年代前半には約30棟が残存という状態になった(ウィキペディア)~。

 現在は日本中でどれだけ残っているだろうか。周囲の状況を見ながら「その頃」からの時間経過を想像するのが精一杯のところだった。この地には、友人が通っていた呉市立片山中学校も円形校舎だったが、2017年に年度解体しまったという。彼はその写真をきちんと撮って残している。残存するものは東京にも関東第一高校があるので、これも見る機会があればと思う。ハゼ釣りの方は、友人が下見もしてくれていたが、相手をしてくれたのはクサフグだけだった。やはりもう少し早い時期がいいのだろうか。とはいえ瀬戸内海で釣りをしたのだから…。




校舎下の石垣に防空壕の後がある












 

2021年3月1日月曜日

フキノトウが顔出したとなりの庭

 フキノトウは、雪が解けた後につぼみを出すものだと、ずっと思い込んでいる。雪が春の日差しをうけて、溶けたあとの際にフキノトウが元気よく飛び出す。これをつまんでとるときに、春の実感がわく。

 ちょうどその頃に渓流釣りのシーズンが始まる。早いところでは2月から山に入って釣ることが許されるが、雑誌に出ているような山奥に分け入ってというところまではなかなかできなかった。体力があるころでも渓流のほんの入り口で、魚との出会いを楽しんでいた。それに加えて、釣りの会に加わって、行事計画をこなすことを優先したことで、好きな渓流釣りには集中するわけにはいかなくなってしまった。

 たまに行く渓流釣りは、やっぱり昔の方がよく釣れていた。多分、高速道路などの「整備」と「開発」が人の動きを変えたのだろう。沢に入るとどこでもたいがい「先行者の足跡」をみつける。それだけ釣り場の減少と自然破壊が影響しているのではないか思う。挙句の果てに気候変動による豪雨でどれだけの川が荒れ狂って破壊されていることか。それも我らがなしていることには違いない。

 「釣れなくとも山菜取りで…」と始めから半ばあきらめた釣行が常だった。写真はイワナとフキノトウ(2000年5月)。他の写真は隣の庭のフキノトウ(先週)。








2020年8月13日木曜日

今年はハゼがよく釣れるらしい

  ハゼつりの情報があったら、メールで知らせてくれるアラート(おかげでどこやらの知事が「アラート」という言葉をつかってもよくわかる)で、良く釣れているとの情報がしょっちゅう届く。いわゆるAIというものの仕業なのだろうか、こういうことに使われるならいい。

 釣りの会に人がたくさんいた頃は、関東圏のあちこちに出かけて、そのつり場の情報が伝わってきたものだったが、今はその広い活動範囲に出かける人は少なくなったから、無理な注文になった。

 ハゼつりは「つりの道」では、釣りの最も基本的なやりかたで釣れるものだから、つりの愛好者になるのには、おおいにきっかけになる。今年のように魚の数が多くときは、その意味で初心者にもなじみやすいし、釣り場の安全度もわりあい高い。家族連れで楽しむことができるので、もってこいのレクリエーションになる。

 今年は雨が長かったせいで、釣り場に人が入らず、餌が豊富だったからだろうか、大きいものも混じって良く釣れているらしい。

 やっと梅雨明けになって、急に暑さが襲ってくると、夏場環境への慣れついでにハゼつりもいいなと夢想はするけれども、異様な暑さとコロナ禍での対策を心配しながら、ハゼつりをやるのも、ちょっと心配でもあり気持ちが揺れる。

 小供と一緒にハゼ釣り 1時間で25尾手中【東京・大井ふ頭中央海浜公園】

2020年2月25日火曜日

真鶴半島ウォーク、後半は港の様子が目に残った


 過去に何回か歩いたことがあって、うっすらと当時の記憶が残っていた真鶴半島だった。でもその時は写真撮影を意識してのことではなかったので、その意味では初めての経験だった。高台にある道路から見える遠景は、東側からの太陽が海に照射して光り輝いていた。

 熱海の方角だろう半島の形は、全体が陰になっていて霞が掛かったようになっている。手前の木の影と双方とも墨絵のような具合になっていた。半島の先端に着いて、昼時になったので、小さなレストランで昼食に。三ツ石の磯には降りずに眺めただけでUターン。

 途中には、魚付き保安林で活躍してきただろう老木があり、その力強さに圧倒された。帰りの道は少々疲れがたまってきた。ゴールに近づいたところに真鶴港が見え、そこに漁具が干してあった。港いっぱいに広がった網は、漁業の活性を感じた。そういえば真鶴半島の東側の福浦から、釣り船でカワハギつりをやった昔を思い出した。



















2019年5月31日金曜日

外来魚駆除つり、たくさん釣れればそれも楽しい

 「ブラックバス防除市民ネットワーク」の仲間でもある会からの招待があって、再び駆除つりをやるというので労釣連の仲間8人で参加した。印西市にある別所谷津公園の池が外来魚つりのつり場だった。千葉ニュータウンになるのか、印旛沼、利根川、下手賀沼の中央あたりに位置する。

 周りは宅地造成が進められている新興住宅地の環境にある。利根川の支流亀成川の分流にあたるようで、調整池として造られたものとのこと。この池にも外来魚が「密放流」されてブルーギル、ブラックバスの釣り場になっていたが、現在は柵が造られていて水辺には近づけない。

 「倉成川を愛する会」の人たちが水辺の生態系を守ろうと、外来魚駆除の行動にもあたっている。亀成川を愛する会の人との合同で今回は計667尾のブルーギルを駆除することができた。日ごろの釣りものと違う魚が対象であっても、「鍛えし」腕は役に立ったようで、何回も感謝の言葉をいただいた。

 生態系への圧力は大きくなるばかりで、外来魚の影響は無視できない。なにがしかの役に立てて何よりのことだった。釣っている最中、オニヤンマがブンブン飛んでいた。しばらくぶりで見たトンボだった。帰りの車中で、「釣りの対象魚がだんだん釣れなくなっているから、外来魚つりも行事計画の中心のつりものにしたらどうか」と言って笑った。



2019年5月11日土曜日

イワナつり数はでなくても余禄は盛りだくさんあり

 友人の誘いでイワナつりに出かけた。那須の別荘を起点に奥鬼怒と阿賀野川水系に行くことになった。友人はつり場は詳しいので、おまかせのグータラ釣行だ。

 先日、釣り道具の「断捨離」をしたので、釣り身支度が整うか心配だったが、うまい具合にすべてが揃って準備万端と思ったところ、コンパクトカメラの電池がなくて使えない事故が起きた。

 それも電池の残りがすくなくて心配だったので、替え電池をいれたのだが、変えた電池が空であったというミス。やむなくスマホを使うことになった。

 淡い緑の色が新鮮ですばらしいので、釣り場に向かう道からコゴミの群生やら雪の山やら、小さな花をつけた樹々を楽しみながら撮った。

 つり場へは相当上り歩いてから釣るのが友人のスタイルで、高いところなどへはほとんど行く気にならない己としては、ついていかれるかの心配もある。おりしも体重増加傾向に歯止めをかけようかと、このところ懸命にウォーキングだけはやっていたので、心配したほどのことはなくて幸いだった。