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2020年2月9日日曜日

♫梅は咲いたか桜はまだかいな

 表題をパソコンに打ち込んだら「梅は咲いた笠倉はまだ買いな」となった。世上、AIが活躍するとまことしやかに宣伝されるけれども、文字入力でさえこんな程度では危ないものだ。清元節の「東京小唄」は有名でラジオの時代に三味線の音が調子よく耳に残っている。親父が道楽していたわけでもない。今聞いても艶やかな音色がやさしくて懐かしい。

 梅が咲いたとの話がテレビでも取り上げられた。熱海梅園が満開だとのこと。そんな時期だと何となく春めいて、このところの寒さが気持ち和らぐ気分になる。実は高尾山に行くことになっていたが、一緒に付き合ってくれる娘の体調がもう一つよくないらしくて、相談の結果温泉に行くことにした。以前行った十谷温泉源氏の湯がよいかとNETで確認したらなんと廃館!

 ウォーキングするところをと、真鶴半島を歩くことにして、NETで半島を探しても温泉が良さそうなところはない。湯河原をGoogle地図で検索して、やっと一軒見つけた。検索では旅館やホテルの「写真」が紹介されている。温泉の様子も写真にあって、良さそうだとその旅館に決めることにした。

 真鶴駅近くの駐車場に車を止めて、半島の先までふらふら景色を眺めながら歩いて「高尾山登山」に引けを取らないくらい歩いた。さすがに足が痛くなったが、温泉に都合5回も入って温まって癒した。翌日、湯河原から近い熱海梅園に寄ることにした。平日だったのに、広い駐車場はほぼいっぱいだった。広い庭園を歩きながら写真を撮り歩いた。観光地にしては珍しく外国人が少なかった。コロナウィルス騒動の影響なのかもしれない。




さくら


2019年2月20日水曜日

新雪を踏んで歩く五色沼

 スノーシューを履いて歩きまわるのは楽しい。新雪を踏むのが、なぜか楽しい。坂を滑り降りるのも、子供の頃に帰ったようで面白い遊びだった。念のために坂から滑るのは遠慮しておいた。危険は避ける年齢になったのだから…。山の中は、雪のない時ならば自由に歩き回ることができないから、今どこへでも入り込んで歩けるのは、なかなか体験できないことだ。

 いつも雪に見舞われているところでは、面白さや楽しさは後景の話なのかもしれない。そこまでも「楽しみ」に昇華させたのが人間のすごいところだが、雪との闘いの歴史をないものにしてはならないことは、東北出身の者として思うこと。











2018年1月22日月曜日

寒空に冬の情緒

 写真展の案内があり、青梅まで出かけた。せっかくの遠隔地なのだから、近くに何かないかと、ネットで見たら会場の裏側に広い公園があるのがわかった。よしそれではと、カメラを支度をして出かけた。

 初めて行くところはどんなところかと、期待をして出かけたのだが、朝食の時間が遅くて待ち合わせまでに余裕がなくなってしまった。橋を渡ってもうひとつの橋から折り返すコースを撮って歩いた。多摩川は広い瀬があり悠々と流れていて、広がった河原の空間が気持ちよく、おおらかな気分にさせてもらった。








2017年3月19日日曜日

山から下りてマキを運び、床屋に行くアナログ生活。

 岩手山麓にまたやってきた。上ってくるまでの道路に雪はまったくないが、山林が生えているところに入ると、圧雪されたところが急に現れて、轍部分だけが溶けて道路面がみえるようになる。国道のほうは、車が頻繁にエンジンの熱を吐き出していくから、すっかり雪はなくなっていて、やっぱりこの排気が温暖化に貢献しているのがわかる。

 家は床暖房があるのだが、零下から冷蔵庫並みの温度では、ちょっと寒さに耐えられない。しゃれこんで買った暖炉にマキをくべて、空気を温める。くべるのは97歳のオヤジの仕事になっている。山小屋程度の2Fはこのおかげで「南国の雰囲気」を味わうことができる。でも、最近は燃やすことに熱心のあまり、マキの消耗が激しい。それとマキの出来が良くないのか、なかなか火がつかなかったり、燃えてもすぐに消えてしまったりで、まだ部屋が温まらないだろうと、奮発しているからだ。

 昨日はそのマキが底をつきそうなので、山から下りてホーマックで購入することになった。ホーマックでも近くのところにある店には置いていなくて、町中の店まで行かなければならなかった。従業員さんが二人がかりで、軽自動車に運び込んでくれた。

 今日は床屋に行くというので、十数キロはなれた理髪店までで行くことになった。もしかすると、もっと近くにあるのではないかと思うが、以前に出前出張できてくれたところなので、気心が知れているということなのだろう。

 理髪に40分ほどかかるという言葉を聞いて、散歩に回ってくるとことわって外に出た。すぐそばに愛宕神社があって、山に向けて階段が見えたので登ってみた。「忠魂碑 山本なにがし」という碑があり、今は訪問する人もない寂れた社殿が静かにたたずんでいた。

 余った時間は山を下りてから北上川に向かって歩き、岩手山の全景が見えるところで、数枚スマホ撮影をした。北上川はたっぷりとした流れが、雪解けの水を運んでいた。理髪終了時間があと15分ほどになったので、理髪店目指して歩き始めた。











2015年12月29日火曜日

岩手山麓の豆腐づくり・大豆の会

 急な話で、豆腐を造る講習会があるから行ってみないかと誘われた。「造る」よりは、写真を撮るのにいいんじゃないかという言葉にはまった。岩手山麓の仙人の家から車ですぐのところだというので、豆腐を分けてもらいに行くついでに、便乗させてもらった。近所のR子さんが「大豆の会」に加わっているということで、写真を撮らせてもらうという話は直につながった。ものの数分も走らないで現場についた。入り口を開けると、10人ほどの人たちが、豆腐を造りあげるまでの工程に動き回っていた。

 会釈で挨拶は済まさせてもらって、すぐに撮影に入った。豆腐の香りと湯気が部屋いっぱいに漂っている。予備知識はないのだが、火おこしやら窯から上げるところ、絞る・固める・詰めこむなどの所作を見ながらたくさんのポイントを撮った。

 外は氷点にちかい気温で、大きくはない部屋は白い蒸気が始終湧き上がって、窓から見える雪に溶け込んでいくかのようだった。岩手山麓に吹き降ろす乾いた粉雪と、豆腐づくりの熱気で温まった部屋の趣は、寒さに抗する人の心のようだ。暖かな心持を分けてもらい、そのうえ出来立てのお土産までもらってしまった。テーブルでちょっと醤油をかけて口に運びながら、残っている豆腐のぬくもりを楽しませてもらった。


 先日のデジタルカメラ研究会で、パソコンによる写真集が簡単にできることが分かったので、東京に帰ってから造ることにした。初春の課題も手に入れることになった。












2015年2月21日土曜日

能登、白米千枚田の珍景もカメラに

能登の旅一日目の夕方近くに、世界農業遺産になっている白米千枚田に着いた。先日A新聞にL・E・Dを使ったライトアップの写真が紹介されていたので、ここを撮ろうとは言わずもがなの予定に入っていた。到着時は雨だったもののほどなく止んで、寒ささえ堪えれば絶好の撮影になった。

ホテルの食事は遅くしてもらって、6時半まで千枚田を撮って、ライトアップも撮ろうということに、もちろんだれの反対もなくて頑張ることになった。手がかじかんでくるが、何回もあるチャンスでないので、懸命に撮り続けた。確かにライトアップの効果が上がっているようで、いまどきにしては観光客が結構集まってきていた。雨が止んだうえに、遠目だが西方には太陽の明かりさえ見えて、今回の旅の満足度を高めてくれた。

 以前にもブログに書いたが、この田んぼはオーナー制度になっていて、四季折々の訪問者で賑わいがあるらしい。農家が立ち行かなくなって、観光農園としてにぎやかなのを否定するわけではないが、世界農業遺産として「遺産」になったことを農耕民族としては釈然としないものを感じる。TPP交渉も内容が秘密のままにすすめられているが、日本の農業全体が「遺産」になってしまっていいものだろうか。だからというわけではないだろうが、高名な政治家がオーナーになって、農業を「支えている」という珍景も記録として撮っておいた。















2015年2月3日火曜日

湯の花を 乱して雪の 一番湯

齢を重ねても元気なのは悪いことでない。いくらかでも社会の負担を避ける意味でも、懐から年金を割いて日本経済に貢献するとなれば、まことに意義あることといってもいい。旅の道連れは8人。雪見しながら酒を飲み、温泉を楽しむという趣向は、天が我らに味方したかどうか、東京駅から出発するときには、はや雪模様。新幹線で大石田駅に着くまで絶え間なく雪景色が展開するありさま。それしきのことは人生の中で嘆きの部類には入らない。ツウともなればフグの毒さえ食べたくなるのと同様だ。

銀山温泉へは送迎バスで一時間もかからない。車中で胃袋に詰めたアルコールの解毒を、一眠りで進めている間に温泉街の入り口の高台に到着する。温泉は小ぢんまりとしていて、とっとと歩けばものの10分もあるかどうか。足元の明るいうちに、一回りする。もちろん部屋で飲むお酒を手に入れるのを忘れるわけはない。翌日は出発までの朝の余裕がそうなさそうだから、お土産も手に入れておく。

旅館は建物も充分古くて、内部は木造の黒光りする建具で造られている。その壁には鏝絵が飾られて、格調を感じさせた味わいがある。宴会が終わってまた、夜の温泉をまた回ってみる。明るい時とは違って若いアベックと中国語が飛び交わしている家族連れが、スマホを片手に街を眺め撮りながら歩いている。我が道連れの8人も、旅館が貸してくれたコートと傘と長靴を履いて、つかず離れず歩き回る。

その味わいはそれぞれに任せるとして、銀山温泉で印象に残っているのは、田舎の法事で泊まったときだった。隣の部屋から聞こえてくる歌。お婆ちゃんの声で「花の山形、紅葉の天童…」という歌が聞こえてきた。このひなびた温泉にピッタリあっていた。それからは何年も経過して温泉の様子も少しずつ変わってきたようだ。数えること7回になるが、今回は宴会場のお手伝いさんも、ポンポンと料理を運び込んで、なにか都会的なものごしで、方言交じりで話をするということで、年季の入った建物の雰囲気とは少し異なった感じがした。

 扱いがぞんざい過ぎるということはないが、せっかくの雰囲気をゆるりと過ごせるというゆとりがあってもいいかな、という印象はあった。旅館街の中でも朽ち果てていきそうな旅館もあり、経営の大変さもしのばれる。温泉は良い。十分に楽しんでめずらしく3回も温まりに行って、旅の目的を満喫した。