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2018年4月17日火曜日

言葉は悪いが「クソクラエ」の財務省。


 5時半に起きて、トイレに行く。そのまま起きてパソコンの電源を入れた。いつものように、窓を開け放って、空気の入れ替えをする。しばらくすると寒くなってきて、靴下と上着を一枚羽織る。今日は寒い日なのだろうか。

 どう記録しようかと置いてある、国税還付金払い込み通知書を見ると「手続き開始年月日」が記述されている。還付の手続きを始めたよと言うことなのだろう。持ってろよそのうち口座に振り込まれるよとの知らせだ。しかしどちらかと言うと、振り込まれる日が記述されているのが良いと思う。

 多量の還付金を扱うから、いついつという特定が難しいこともあるかもしれないが、手続き開始なら自分が確定申告をした時が手続き開始だともいえる。難しければ何時ごろという手もあるだろう。官僚的とはこうしたことを言う。元国税局長官や事務次官の醜悪な態度を見ていると、つい余計にケチを着けたくなる。

 だいたい確定申告は、年金受給だけの場合は申告は必要はないと、「申告権」さえないがしろにしている。納める税が何に使われるかを「さておいて」取ることだけは熱心にやってくれる。不幸にして寝たきりになっても、年金収入からしっかりと税を財務省の金庫に入れてくれるわけだ。

 「くそくらえ」のあの財務省がマイナンバーを使えとしきりに言うが、取り立てるために有効に使うことだろう。納税者が手を下さずに税が徴収されるのは、使途への悪意が高じるだけの相関関係だ。目下信頼関係にはない。

2017年3月25日土曜日

♪どんなにじょうずに隠れても♬

ひよこがね
お庭でぴょこぴょこ
かくれんぼ
どんなに上手に隠れても
黄色いあんよが
見えてるよ
だんだんだーれが
めっかった
(「かわいいかくれんぼ」中田喜直作曲)

 そのご婦人がこんなにかわいいというわけではないが、籠池氏証人喚問をみていて頭に浮かんできた童謡。「♫どんなに上手に隠れても…」の詩は本来の意味が違うとサトーハチローが怒られるかもしれない。幼くかわいいというところだけをちょっとだけ使わせていただいた。廃止された教育勅語に涙し、とりまきには誠実実直さを振りまき、Facebookで反論を試みるなどみると、隠しているようで見えているよねという以外ない。

 便宜を図っているということは、どんなに隠し立てしても消えることはない。逆説でいえば「あった」ことだから。首相とマスコミの常設宴会や報道対策、ネトウヨを使った圧力もほころびが見えてきた。隠し立てはやっぱり都合が悪いことを見せないようにすることであることを、また確認しなくてはならないだろう。

 隠し立ては、暮らしやら健康やら財政支出やらをつかさどるお役人たちが、政策の名のもとで一定の部分だけに優遇を施すために必要なことだった。そのため動くものだと、このところの報道でも明確になってきている。「せっかくのマスコミ対策」も、隠しおおせるものでないということがはっきりしてきた。

 これほどまで貶められている当該お役人たちも、ある意味気の毒ではあるが、当該の財務省理財局長が国税庁長官に異動という、まるで劇的な変身も漫画チックというか、妙に絡んだことになっている。税を使う方から取る方へという事情は、「使わしてもらった分は、税をいただきます」ということかい?というアホなことを考えてしまう。必然なのか偶然なのかはわかりようがないが、漫画では使えるだろう。

 森友学園の「ああ青春の胸の血は」も愉快な話だ。無断使用をさておいても、いくら好きだからと言って「建学の精神で」他者の歌を使うって何だろう。うちのカミさん、追っかけファンなのでご立腹だ。自分でするものだと、全面批判をしているブログがあった。

→ 校歌には見学の精神が

2013年11月14日木曜日

二日目の行程は東村高江から首里城公園へ。

1429年、尚巴志、三山を統一、琉球王国成立
1609年、島津の琉球侵入
1660年、首里城焼失
1709年、首里城また焼失
1879年、首里城明渡し、琉球王国の崩壊、沖縄県として「誕生」する
1853年、ペリー提督来琉、首里城訪問
1925年、首里城正殿国宝に指定
1945年、沖縄戦により首里城焼失
2000年、北殿で「九州沖縄サミット」城址などが世界遺産に


 首里城は、争いに巻き込まれ焼失を繰り返している。戦後は復元工事が徐々に進められて、近年書院や庭園が一般公開されている。修学旅行の子供たちのにぎやかな声が、響いていた。ここも沖縄決戦の要塞として使われた。時の権力によって支配される歴史をたどった沖縄。いま「基地はいらない」の声が鳴り響く沖縄が、独立国家になるべきという意見も理解できる気がしてきた。














2013年10月1日火曜日

南三陸町防災庁舎は解体される

 南三陸町防災庁舎は解体されるということだ。保存には遺族の感情もあるし、残すための財源もないという事情を抱えている。住民を避難させるために津波で命を賭して、仕事を全うしたということには、公務員への「いわれなき中傷」に応えたという意味でも残して置きたい話だと思う。しかし、遺族の感情もあることだし、周りであれこれ勝手にいうわけのもいかない。
 
 ただ、公務員とて人なのだから、美談ですませるだけではなくて、遠藤未来さんが助かるべき方法も想定していなければならなかっただろう。少なくとも3階建の防災庁舎はダメだったわけだ。公務員でも事業所でも今の仕事スタイルから見ると、人としての当たり前のことが認められてない。いかに参加型を装っても上意下達と自己責任はまぬかれない。津波で庁舎が破壊されて、命を落としてしまった美談と、「人間魚雷・ゼロ戦」と同じであっていいはずがない。

 昨日「NHKスペシャル 追跡復興予算19兆円」をみたら、復興予算は各省庁が予算要求したものに配分しているが、そのうち数十パーセントは「流用」だという。例えばコンタクトレンズ製造の会社が補助金を受けているのが、生産することで復興地の売り上げがあがり、雇用する人が増えるという理由になっているという。火事場泥棒的なやり方だ。
 南三陸町の防災庁舎が、財政難がネックという事情も、「金」の流し方ではいくらでも官僚の知恵を借りることができるのではないか。


2013年7月27日土曜日

「ダイジョブ」でなく、「イイネ」でもない日本

 殺人放火容疑で不起訴となった元警部補は、ニュースを見ていてなんだか腑に落ちないことだらけだ。殺人や放火という重大な事件を不起訴だから、どういうことなのか。本人は地方公務員法(守秘義務)違反の罪に問われて、これは懲役一年執行猶予四年の判決だった。昨年の12月に知人の会社役員夫婦を殺害、放火したとした容疑で逮捕された。

 以降9カ月間拘留されて取り調べを受けたが、放火殺人の容疑は認めていたという。「検察の取り調べ」は、自白をねつ造する場合もあるから、文字通りの解釈はしていいのかどうかわからないが、長期間に裏付けるなにものもなかったということになる。不起訴にする場合はおおむね二つのケースが多いようで、訴訟条件がある場合は明確な除外事項以外では「犯罪の嫌疑が認められないか、不十分である場合」「起訴の必要なしと検察官が判断する場合」となっている。

 いずれにしても、公判維持に耐えられないということだから、事件は「ヤミ」のままということだ。遺族が検察審査会に申し立てするのは当然のことだ。しかし、もし違っていたら、真犯人がいるということ。今の状態では両方否定しきれない。十分な手が尽くされた調査だったのかどうか問題だ。

 TPP交渉が始まって、3000ページもの文書を読み込んで、100人体制で内容を確認する作業をしている。これまでのニュースで交渉の余地があるとは思えないが、4年間も表に出せないという約束ができあがる。まったく内容がわからないまま、年内妥結!なんて冗談でしょうと言いたくなる。たった、5カ月の間?なにもわからずに?

 別件逮捕で9か月拘置して、なんだかわからない不起訴という検察の対応をみて、行政機関の働きのお粗末さと、日本の国の在り様の不快さをまた感じる。




2012年10月10日水曜日

冤罪はなくならない

 大阪市のインターネットに殺人予告が書き込まれて、コンピュータウィルスの発見ができなくて逮捕交流した府警察本部は、「不自然だという認識はあったが、当時は捜査を尽くした結果、確信を持って逮捕した」と言い放っている。

 警察部内の担当分野も相当の専門技術をもった人がやっているはずなのに、「確信をもって」結論出したということは、結論を急いだということではないのか。

 冤罪がなくならないのは、人格とか人権にかかわるという認識がいまだに重きを置かれていない体質をもっているということだ。不注意によるなどという生易しいことでない。「やっていません」と言ってもこうしたことを起こす世の中では、警察は信用されなり、犯罪の「抑止力」もなにもなくなる。

 江戸時代の自白強要による立件が今の時代に残っているなんて考えられない。そのうえ素直に認めることをしない。「ああ言えばこう言う」たぐいの言い訳を並べ立てる。それが日本の高級官僚の体質にしみついているように思う。

 いいか悪いかは別にして、こういう官僚を動かす「闘い」を挑んだ民主党も苦労したことだろう。あの維新の会から800人以上の議員希望者があるというが、よしんば議員が増えたとしても、寄り添うところを違えた姿勢では民主党の二の舞になることは目に見えている。