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2025年10月5日日曜日

メガソーラー建設で全国に「環境破壊」が拡大

 メガソーラー発電所建設の環境破壊が総裁選でもテーマになっていた。再生可能エネルギーの花形のように扱われているが、熱海の土砂崩れでも問題になり全国各地で問題が広がっているにも関わらず、マスコミの報道が少なくて国や地方の対策がとても甘いものになっている。そんな事態からの指摘を受けて総裁選でも対策を打つことを表明しなくてはならない羽目になった。

産経新聞によると9月24日の総裁選公開討論会で、「太陽光発電など再生可能エネルギーの導入推進を主張してきた小泉進次郎農林水産相は、大規模太陽光発電所(メガソーラー)の整備が環境面の懸念から地域の反発を招いていることを念頭に、環境破壊につながる開発事業には対応が必要」と語ったと報道されている。

メガソーラーは最近になってマスネディアがようやくいくらか取り上げるようになってはきたものの、ここ数年の間にかなりの速さで建設がすすめられて、全国で環境破壊の声があがっている。

仙台・太白区秋保地区メガソーラー事業 地元住民らが計画中止を求める

横須賀市田浦 メガソーラーは環境にやさしいのか

千葉県・鴨川市のメガソーラー予定地に伐採散乱‥

釧路のメガソーラー建設にはかなり情報がYouTubeに上がっているので割愛

釧路湿原のメガソーラー建設は総面積約27.3ヘクタール

下の画像は福島・在庭坂メガソーラー、開発計画は約60ヘクタールで後楽園球場の13倍近く


福島県全体での法令違反は43件ある


金平茂紀さんのX投稿
福島の復興に乗じて…ソーラーパネルが海のように地表を貼って



2025年5月17日土曜日

二つ目の砕石工場みえず その1

二日目にもう一つの「削られた山」に向かった。そこは地図でみるとちょっと歩き出がありそうだった。でも歩けない距離ではない。少し歩くと「蓬山遊歩道」があった。ケヤキの森遊歩道という看板があって400メートルほどの行程と書いてある。どうせこの一日はたっぷり時間があるので、ゆっくり楽しもうかと行ってみることに決めた。

渓流沿いの坂道が緩く上に伸びている。小道を歩く間は誰に合うこともなかった。「クマに注意」とあるので、スマホにある合唱曲のボリュームを最大して歩いた。でも、効果は気持ちだけのことだったろう。ケヤキの巨木がたくさんあって、明るい森の中をしばらくぶりの「良い空気」を吸い込んだ。ケヤキは大きく育っていて見栄えがあった。特に木肌の模様の違いに目をとられた。












2024年11月13日水曜日

米沢の砕石場にもう一度行ってみる

 墓参りの帰り道は、蔵王で宿泊する道の途中にある米沢を通ることに決め、初日に行った砕石場に寄ることにした。もう一度行って、途中で断念した「山道」を歩きて行ってみようと考えた。

 初日の時には、砕石場の少し下流(1.5キロほど)に小さな部落があり、その端から山道のような通路があって、砕石場に近づけそうだった。車で入って行くとどうなるかという心配があって、行くのを断念していた。その道の先は地図で見ると砕石場に近いところだし、なんとか近づけられれば写真が撮れるかと、車を降りて歩いてみた。

 道は車一台がやっと通れるくらいの幅で雑草が中央に映えていて、往来ではあまり利用されていないふうだった。どんどん歩いてみるが、一向に山が見えてこないので、歩くにしたがって少し不安が募ってくる。「クマの行動」が頭をかすめるので、スマホを取り出して「合唱曲」を最大の音量にして、片手で振って歩いた。道の両側は針葉樹の森で、クマが好きそうな広葉樹林ではなかったのが幸いだった。

 突然視界が開けて、現場が見えてきた。T字路で過度に看板が立ててあり、「発破をかけたから近寄るな」と書いてある。もう少し行ってみたいが、広くない道路はタイヤの跡がたくさんあり、行けば出会わないとも限らない。行くのは止めてその場で200ミリの望遠レンズを据えて写真を撮った。








2024年5月31日金曜日

空を見上げりゃ妙な雲

 6時前に目が覚めた。雨がパタパタとどこかに当たって落ちている。外の空気は冷たさそうだが家の中はまだ、夜間の熱気が籠っているようだ。起きた時少し多めに開ている窓から、冷えた風がスーッと入ってくる。そういえば台風が近づいているんだったな。昨日のうろこ雲のような雲はそのせいだったか。

 子供のころは広場(身長が低かったから広さを感じていたのかもしれない)が遊び場として、今のような車の危険性もなくて、のんびりと座って空を眺めて遊んだこともあった。雲の形が何に似ているかを想像することも遊びのひとつだった。鬼ごっこや缶蹴り遊びのあとに…。

 いまはよっぽど空が狭くなって、余分な建物やらが幅を利かしているから、隙間から空を見上げても、気持ちが穏やかになることなどはずっとなくなった。それ以上に妙な雲行きと妙な形が幅を利かしている。田舎の方では田んぼに植えられた稲がピンと姿勢を正していることだろう。線状降水帯とやらの新規参入者が大手を振って、あちこちで被害を出していかないように願うのみだ。











2022年11月21日月曜日

明治神宮のイチョウ見物多賑わい

 息子の能を見に行くついでに明治神宮のイチョウを撮りに行った。今年これまで3回目の撮影と見物だった。今頃になるとテレビで必ず取り上げられるので、特に行くことはなかった。再開発で外苑の木を切ってしまうだとか、高層ビルを建てるのだとかとの話を聞いて、今更ながら出かけてみている。

 実に立派なイチョウが並んで、風物詩としても文化的価値も高いものだろうと感心する。これを改変するというのはなんたることか。ただでさえ少ない公園を、たとえちょっぴりであってもなくしてほしくない。イチョウのそばに壁を作ったら…、壁の土台で根っこは大丈夫か…、建物による熱や風でどんな影響を受けるのか…素人が考えても疑問が湧く。

 モーニングショーで、車で乗り付けた人が一時駐車をして、スマホで写真を撮る場面を放映していた。警察が車を動かすようにパトカーで説得している。でもだから考えたいのは、都市部でそういう場が圧倒的に少ないということだし、「車社会」の有様にも手が打たれるべきと思う。








2022年2月28日月曜日

フキノトウがまた芽を出した

 今日で2月も終わる。というと時の流れが早すぎる嘆きセリフが続く。己を水に例えれば「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に合わんとぞ思う」てな具合に、のちの夢か希望にこころすることならいい。でも、そうは問屋が卸さない。急く我が身の末は、治療の大小の岩に阻まれて、先がどこにあるのかさっぱり見えないのだから、夢と希望は棚の上。だからメタボリックは怖いよと言っただろと、どこからか聞こえてくるのは、もはや夢想の域かな。

隣の庭のフキノトウ、また芽を出した すごい!

昨年11月半ばに芽を出したフキ。暖かさに早く出てきたかと思っていたら、1月になっての雪で、枯れてしまった。2月に入ってからまた芽を出した。自然は偉大。

11月15日


1月8日


1月12日


2月15日


 

2021年11月8日月曜日

大王わさび農場は準備中~

 宿泊したホテルは、高山の高台にある。その分だけ見晴らしがいいのは悪くないが、見える下界は建物がひしめいて見えるだけで、面白みはなかった。ホテルから松本に出て松本城の近くで昼食。おしゃれなホテルのレストランだった。ここも時間が殆どなしだった。無理やり外に出てみたものの写真にはならなかった。

 安曇野のわさび農場が帰りのコースのメイン。ちょうどワサビの床を耕しているところだった。耕しているという表現でいいのかどうかわからないけれど、働いている人の動作はそのように受け取れた。思わぬところに出くわして、以前着たときの趣とは違った風情を味わった。 

 このツアーで一日目は9000歩、二日目9200歩、三日目8000歩を記録した。これが後を引いて、一大事件が起きるとは夢にも思わなかった。













2021年7月11日日曜日

「7月豪雨災害」が繰り返される

 「線状降水帯」として被害を受けることになった「梅雨」。ことは年中行事のようになってきた。気候変動の影響を受けての事だとは、「わかっていること」とされているのかどうか知らないが、公式公的にはその状況が正面から議論されているとは見えない。

 熱海の土砂崩れは、直接の原因は豪雨にある。極端な気候の変動は世界的に広がって、その対応に国によっては議論がすすんで、積極的な温室ガス対策を公表している。日本はどれほどのものなのだろうか。東日本震災の復興を中身より「五輪」で表する?などという心もとない災害対策で、起きてしまったことにさえ腰の据わった公的な支援がなされない。

 熱海の災害は、「不動産開発」をめぐって自治体と「争い」があったとのことも報道されている。総じて甘い規制のうえに抜け道があって、結果として責任が宙に浮かぶようになっている。山を削って開発に備え削った土をどこかへ運ぶ、都市開発のときでも発生した残土は、下請け業者の手を経てどこか行方不明。都市部や住宅地開発では背景にこの積み重ねがある。政治が手を出さなければならないことを抜きにして、「線状降水帯」の責任に押し付けるということにはならないと思う。

土湯温泉 


  

2021年4月24日土曜日

自然あってこその人間模様

 サクラは春先に華やかに皆を引き付けて楽しませてくれる。これから先の気持ちの良い時期の先頭集団だから、写真を撮ろうと思うとサクラぬきには物事が進まない。万人に愛される騒ぎが収まると、いろいろな木や草の新芽が顔を出す。

 この時期の樹々は、青空に薄い緑の小さな葉を噴出して、柔らかそうな呼吸を始める。眺めていると、これからさきの旺盛な繁茂の時期まで想像させて、活気を分けてもらい、ウキウキと元気が出てくるようだ。こんなときに山に入っていって、うまい空気を吸ったらさぞかしいいだろうと思う。いつもなら。今は「人流まかりならぬ」話になるのかな?

 でも、思うにコロナの感染が広がってきても、ペットの犬は「しっかりと」散歩に連れて行ってもらって、電信柱で片足をあげる、(はしたない?)しぐさをさせてもらえる。それなのに人間様の場合は移動してはまかりならぬと、為政者に脅かされるのはいささか不公平だ。自然の中に入ればおにぎりがおいしい。フィトンチッドをあびて、生理的要求に刺激が与えられる。家に閉じこもっていたら病気になってしまう。