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2025年9月22日月曜日

総裁選の≪熱い≫戦いを持ち上げるマスメディア

ようやく朝方に涼しさが届くようになった。ともかく暑くてたまらない酷暑が去るかと思えば、線状降水帯なるものが、豪雨を続けてとんでもない災害を引き起こしている。マスメディアが総裁選レースを連日報じているが、あんまり涼しくなる話題ではない。

総裁選を通じて政権党が変わるのかどうかは、これまでの所業を見ていればわかるが、朝日新聞のアンケートによると、自民党が変わるとする人は26%、変わらないとする人は68%なのだとか。もういい加減に大きめの変化が期待されているといっていいのだろう。総裁選の候補者がこれまでの政治の枠内で、つまり議会での様々な意見に見向くことはなしにやっていこうということなので、これはダメだと思われるのは当然なことかもしれない。

物価の上昇に対する消費税減税についても、世論調査では比較多数の結果になっている。少々の税からの「戻し」でしかやらないということなら、小手先のごまかしということだ。賃金を上げるという点も、とても違和感がある。

およそ企業は利益をあげるため人件費をいかに抑え込むかということに執心する。「コスト削減」という目的で株主に納得させる活動、(つまり株価の反映)をしているので、その味方である政府はそれゆえ賃上げを「お願いする」次元の、またぞろ減税を策す。賃上げは労使交渉でやるものだから、労働組合がまともであれば成果が上がることは違いない。

総裁選候補者がもし目を見張るような、例えば「温暖化対策に命を懸ける」だのと言ったら…核兵器禁止条約参加を望むことに73%の世論が賛成していることに「自民党としても…」といったことを言うなら、ちょっとは見直してもいいけど、それはむりなことなのだろう。であれば粛々と政権から去っていただくのがこの先のあり様となるんじゃないだろうか。秋は短いというから、せめて涼しい話題が欲しい。









2025年5月29日木曜日

暑くなってきたからアイスクリームが美味しい

テレビ番組を時間つぶしでよく見る。ニュース関係の報道は、同じネタを一日何回も使っている。大谷選手の活躍はうれしいが、ホームランをその場で何回も見せられるのは、ちょっと鬱陶しく感じる。その時はチャンネルをほかの番組をさがす。

同じ事件のニュースでもその違いを探してみるけど、何か代わり映えのしない内容になっている。「警察の取材」によって報道内容が同じようになってしまうのだろうか。取材に手をかけていないのかその他の情報があまり出てこないことが多い。

警察取材だけでは事件の全容はわからず、わからないことをもって、ああだこうだとコメントするのがコメンテーターの役目。なんの事件でもその背景は社会の構造があり、深堀が必要なことがたくさんあるように思う。社会の有り様や人権や民主主義に配慮したうえで突っ込んだ内容があればなと思う。

「警察取材で新たにわかったこと」が、ニュースにでてくるときは、コントロールされているようでどうも気持ちが悪い。予定がない時の休養時間なのだから、いい番組があれば良いのにと思う。

先日アイスクリームのランク付けを実際に食べてみてやってみるというものがあった。MBS毎日放送の「サタプラひたすら試してランキング」で、紹介された。暑くなってきたので、美味しいアイスクリームを食べたらすっきりできるかも。

ひたすら試してランキング





2025年2月9日日曜日

八潮の陥没は特殊ではない「都市災害」

下水施設の老朽化に対して検査が追い付かないという。修理のための工事が遅れていると指摘されている。事故が起こるまで事実上放っておくことになっている。素人ながら思うに、巨大な下水道管に流れ出ていた土砂が見過ごされていたのかと疑問がわいた。何かの前兆がなかったのか?あれだけの「空洞」があったことに気づかない?関心を持って調べていないということなのだろうか。

原発事故の時には放射線の検査をするために処理場に堆積した処理物を使ってやったことがあった。流れてでたものを処理して川へ流し込んでいるシステムが「完全自動」に近いものなのかなと。人の問題もあるのだろうが、前兆がとらえきれなくて、積極的な検査体制もなかったとなればなおさら対応のお粗末さを考えなくてはならない。

「安全性」にコストをかけないことが当たり前のようになっている状態で起きていることではないか。老朽化した橋梁を架け替えしなければならないのに、順番をつけて「あきらめる」自治体さえあるらしい。交通機関で起こる「点検により」止められる列車も日常茶飯事に起こっている。点検は事前に周期的にやるものでなかったかと思う。

高層ビルがこれでもかというほどあちこちに建設されているが、下水処理量も飛躍的に増えることを考えると、都市のリスクが増えていくことになるのだろうか。アルプスに穴をあけてリニア新幹線を作り上げることが本当に必要なのか?資金を必要とするところが多面的にあるのに、国の資金(税等)をそこに当てるようなことではやっぱりおかしいと思う。

昨今の集中豪雨によってマンホールの蓋が開いてしまうことは多発している。昨年8月には新宿西口のマンホールの蓋が10メートルも吹き飛んだことがあった。その四か月前の4月に新宿区は「雨水流出抑制対策へのご協力をお願いします 最終更新日:2024年4月25日」を区のホームページに出して雨水流出抑制計画書提出の要請をしている。

都市化により雨水が地面に浸透する面積が減少し、下水道施設や河川への負担が大きくなっています。また、近年の台風や集中豪雨の増加に伴い内水被害が発生しており、河川や下水道整備とともに、各施設に雨水流出を抑制する浸透・貯留施設を設置する流域対策が重要となっています。このことから、新宿区では総合治水対策の一環として、新宿区雨水流出抑制施設の設置に関する要綱に基づき、建物計画の際、雨水流出抑制計画書の提出をお願いしています。







2024年8月27日火曜日

これから天気予想は下駄にしようかな

 10号台風がずうっと西寄りになっていった。そして時間がたつごとにどんどんと移動していく。26日には旅に出かける予定だったのに、前々日には見事に旅コースをたどっていくというので、やむなく中止にした。最近の新幹線は「計画運休」で、気軽に(ではないだろうけど)止めてしまうので、危険は回避されるようになる。ても妙なところで足止めになっても困るので、転ばぬ先の杖を選択することにした。

 ところが、10号台風のコースは高気圧に押されてどんどん西方へ流されて、なんのことはない予定していた旅コースの危険はなくなってしまった。天気予報は天気予想という場合もあるらしくて、予想といえば競馬のイメージからハズレがありかという悪口も浮かんでくる。スーパーコンピューターを駆使しても、当たらない天気ってなんだろうと思うと高い買い物だなと思ってしまう。

 いろいろな「天気予報機関」があっても、予想がつかめないのはどうしてなのだろうか。天気の状況は「気象レーダー」を使っているとテレビで説明しているから、やっぱり「デジタル頼み」ではだめだということなのだろうか?原因はわからないけれども、これまでの気象具合で経験できないほどの変容が起きているということだろうか。

 最近台所の流しに汚れ(カビ?)がこびりつくことが多くなった。ステンレスだから水で流せばという考えではだめらしい。水分をふき取る雑巾の汚れもこれまでより早くなっていると感じている。着衣の匂いをとる洗剤が宣伝されて我が家でも利用しているが、O157、アニサキス、鳥インフル、ダニ…気温の上昇が身体への影響も与えている可能性は大きくなっていると思える。


 

2024年2月29日木曜日

サッシの雨戸が暖まる頃でも体調は

 今日も幸い目が覚めてサッシの雨戸を開けようかと手を触れると、昔のぬるくなった湯たんぽのようにほんのりと暖かい。もったいないからそのままサッシを上げずに硝子戸だけを開けておいた。でも残念ながら日が当たるのは、隣の家のおかげでそう長くない。その温かさを有難いと思いながら、暖房機の熱で補充しないとちょっと寒くなってくる。まだ2月だから、無理もないけれども、アッツイ日の体験が妙に記憶に残っていて、逡巡したりする。

 光が強くなってくると、その光と熱が脳に刺激を与えてひとの活動に影響する。体が温まることで当然頭脳にも刺激をもらうことになる。暖かさが少し感じられて頭が涼しさ加減なら一番気分もいい。しかしいこうも寒暖の激しい日があると、体の慣れがうまく追いついていかない。

 最近知り合いの中で転んでけがをした人が4人いる。いろんな事情の違いはあるのだろうけど、「命に別状はない」程度の事故が起きているのをきくとなんらかの影響があるのかと思う。急な寒暖差で筋肉の動きにだって影響があるものだろう。

 相変わらずというか裏金天下人たちの所業はあきれてものが言えない。こんなふうになっている責任は己も背負いこまされることだけど、ほんとに何とかしてもらいたい。先日確定申告をしたら、少し年金額が増えていた。ところが介護と老人保健の年間の徴収額で帳消し近く持っていかれている。

 この先、少子化の対策の負担だの軍事費の被せだの社会保障費の削減だのと、聞いているだけで胸糞も悪くなって、寒暖差のストレスに加えて体調までもおかしくなる。血圧が高くなっているのはそのせいだろう。

白日の下にさらしてやる



2022年10月8日土曜日

秋がきているよ

 「医療費の2割負担」が10月から始まった。診療項目が多くなっていく身にはつらいことだ。健康、安全な生活を守れて「安全保障」と言ってもらいたい。先制攻撃能力で得するのはだれなんだ。硝煙がしてくるようなことが横行していて、かの「民主主義の国」もあったものではない。聞く耳があるのかどうはわからないが、たとえ聞いたとしても、聞かなかったことにする。こういう国が民主主義と言えるのか。

気温が急に下がって、まるでジェットコースターの乗っているかのようで、身に応える。温暖化対策は一刻の猶予もない。でも自然界はそれでも忠実に四季を刻もうとして、頑張っているのだろう。

会津レクリエーション公園で













2021年1月29日金曜日

多摩川の河川工事を見て、気候変動の影響をまた感じる

  気象庁気象研究所が昨年(2019年)10月に関東や東北など広い範囲に激しい雨を降らせた台風19号は、10月の平均気温が約1度低かった1980年の条件でシミュレーションした結果と比べて、降水量が約11%増えていたという研究結果を発表」と昨年暮れに報じられた。地球温暖化の影響を正面から問題視しないなかでは、ひとつ突っ込んだのかなという印象をもった。

 11日の「どんど焼き撮影」ツアーの終点は多摩川で、その影響の爪跡を又見ることになった。去年(2020年)の7月の豪雨による被害は、ニュースでは主要な被害を取り上げているが、自分が実際に体験したのは、肘折温泉、妻恋村だったけれども、全国ではどれだけの被害を受けているものだろうか。それだけの深刻さが日常わからないというのもおかしいことだ。

 コロナ禍の深刻な状況で、それだけの被害の大きさが後景になっているのも、ある意味仕方がないのかもしれないが、政治の上では、何があってもまともな対応がされないことが先行している昨今、写真に見える「テトラ製造」も凄まじい河川被害を想像できるが、どんなふうにしようとしているのだろうか。ただ、川の有りようと我々の都合で、コンクリートを埋め込むということが、マッチングしているだろうかと心配な気がする。何百年に一回かどうか知らないが、集中豪雨がまた起きたら耐えられるのだろうか。

2020年7月14日火曜日

「避難の掛け声」だけの対策ではこれから先どうなることか

 命を守る行動を呼びかけ、数十年に一度の降雨だから避難してとしきりに気象庁が警告する一方、また大きな災害が続いて拡大している。亡くなる人も80人を超えるかの様相。「経験」もなく想像を絶する降雨量はすさまじい。毎日のニュースで知らされ、コロナ禍に加えてのダメージで大変な思いをしているだろうと思うと、心が痛むばかりだ。早く行動を起こせ、避難しろと、外からは「現実的」解決法が繰り返されるのを、何かむなしさを感じる。 

 スーパーコンピューターが導入され、予報の正確性が向上しても、災害を直接止めることは不可能。せいぜい「早くしろ」と掛け声をかけることが、その成果なのだろうか。昨年から天気の種類15分類が8分類になったとか。「快晴」「地吹雪」などが死語になるという。もって「効率化」と説明されている。横文字ばかりが余剰に使われて、日本語が死語となっていくのは、文化の衰退にもなっていく。この折本論を控えず、温暖化への対策も議論してくべきだとは思うが、なかなか立ちこまない。4年も5年も同様の被害にあっている現状に「ハザードマップ見て逃げろ」の対応だけじゃしょうがない。

 

「快晴」「地吹雪」がなくなる!?東 北5気象台、来年(2020年)2月から自動観測に仙台は目視継続  @20191217 11:15 河北新報ダイジェスト

仙台管区気象台は16日、仙台を除く東北5カ 所の気象台で目視による気象観測から気象レーダーなどによる自動観測に切り替えると発表した。運用は来年(2020年)23日から。観測技術の向上に伴い可能になったものの、機械で判別できない「快晴」「地吹雪」などが観測できなくなる。

対象は青森、盛岡、秋田、山形、福島の各地方 気象台。青森、盛岡、秋田は17回、山形、福島は同4回、職員が決まった時間に目視で観測している。天気は「晴れ」や「曇り」など15に分類されているが、今後は8種類に減る。

 自動観測は1時間ごとと頻度が大幅に増え、 観測を効率化し、データの客観性や均質性が高まる効果が期待できる。一方、天気の観測が減るほか、雲の種類や量、「黄砂」や「虹」といった現象も記録されない。見通しの利く距離(視程)の観測も自動化される。

 仙台管区気象台は目視観測を続け、比較して自動観測の精度向上に生かす。各地方気象台は、警報の発令などのため目視で監視する体制は維持し、「防災への支障はない」としている。 

 自動化は今年(2019年)2月、関東甲信地方8カ所で先行して実施。来年(2020年)2月、東北地方を含めた39所で始まる。~



2020年3月1日日曜日

ちょっと酷いかなり酷い政治

 突拍子もないことで人心を乱す…のが戦略なんだろうか。こんな言葉よりも「独裁」という言葉がNET上でも出回っている。独裁と言う言葉、昔はよく聞いた。けれども最近は、より分かりやすいということか、より具体的な言葉で批判がされているみたいだ。皆が理解をし易いことがなにより大切なことは間違いない。支持率を覆すような「説得」はトーンが強いということだけではダメだろ言うことはわかる。でも今は「独裁」で十分いいと思う。


 コロナウィルスの検査に後ろ向きなのが、これまた「利権がらみ」らしいことが表に出てきた。取り巻きの利権集団のための政治が、この抜き差しならない問題でも貫かれている。コロナウィルス対策の予算は予備費を使うと、ここに至って言い始める。どれだけものかは、これまでのことから信用が置けない。だったら野党が提出した補正予算案を審議すればよかった。ただただ、やらせたくないためのことだったのだろう。支持率を浮揚させるために~。そんなこと考えるたびにこっちの気持ちまで暗くなってくる。

 温暖化の影響で雪が降らず、早めに新潟や北海道に移動していると噂している。222日現在、餌場に行き来している白鳥の数はめっきり減った。











2019年12月26日木曜日

「ホタルイカの身投げ」と称する文化


 溜まっているビデオを見ている。「ニッポンの里山」、「新日本風土記」は各地の自然と人の活動の姿を映している。綺麗ごとみたいな側面もあるが、日本にある素晴らしい自然や豊かな文化を取り上げている。できればいつかは写真を撮りに訪れてみたいと、思うところがたくさんでてくる。
 とはいえ、北海道のなどの自然といわれても、なかなかいかれるものではない。とりあえず「夢」にして頭の隅に置いておくしかない。

 ビデオのうち、富山湾のホタルイカの漁を取り上げたものは印象的だった。3月から5月にかけてホタルイカが産卵のために浅場にやってきて、産卵後深場に戻るホタルイカを定置網で捕獲するという内容だった。漁師は稲わらで編み上げた網を、定置網にして追い込む。ホタルイカは網の目が体の数倍もあるのにくぐることはなく、誘導されて袋の部分に入り込んでいく…。漁のあと残された藁製の網には、海藻が付着して繁殖し小魚などの棲み処にもなる。藁はやがて海に溶け込んでいく。

 プラスチックの投棄、海洋汚染が大問題になっているとき、自然との共存が考えられていたことに驚いた。稲が機械で収穫されることで、藁が手に入らなくなっているとのこと。自然との循環がどこかでボタンを掛け違えている気がした。

 NETで富山湾のホタルイカ情報を補足したところ、この時期の観光や、4月の祭りやらが紹介されていた。闇夜でホタルイカが産卵した後に方向を見失って、波に押されて浜に乗り上げることを「身投げ」と紹介している。観光のひとつの目玉としているらしい。ホタルイカの「目」を口で飛ばして「競技する」という催しもある。これが現代の娯楽、笑いの文化なのだろうか。茶碗に残った米粒を「ちゃんと食べろ」と怒られた世代からは、そこまでやるかという気がする。

 富山県農林水産総合技術センター水産研究所の調査では、2019年の予測で漁獲量減少となっている。水温の上昇が大きい年は漁獲期が短くなると…。温暖化の影響が自然界に圧をかけている様子がうかがえる。





2019年12月3日火曜日

おおらかな自然に取り込まれて…といきたいもの


 CP25で気候変動の条約を議論する。「努力が足りない」と叫ばれている。叫んでいるのは「人」でも、ほんとうは「自然」の方だ。台風でも台風がなくても重大な自然災害が日本でも多発している。そこから考えれば、自然そのものへの重い負荷を急いで解消することが求められている。

 のしかかっているのが経済成長という怪獣。そこから抜け出ることができなければ、地球の滅亡につながる。サクラを楽しまずに集めた人に権勢を誇る輩が政治の中心にいるのでは、気候変動への「行動」に期待はできない。せっかく咲いた花も怒っていることだろう。

高尾山の自然はなごむ










2019年10月31日木曜日

利根川における八ッ場ダムの「洪水調節効果は小さい」


台風19号、利根川における八ッ場ダムの洪水調節効果 ( 八ッ場(やんば)あしたの会)が「八ッ場ダムの治水効果は小さい」と発表している。(1013日)

 内容を読んでみた。
 治水のための指標について担保されれば洪水被害はかなりの程度効果を上げると考えられる。現状は河床の掘削、堤防造成などの対策が進んでいないことが報道でも指摘されている。温暖化の影響は大きいものに違いないが、その前に対策がとられていないとなると、「想定外」との言い訳は通じないものと思える。

内容書きだし→
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〈注1〉計画高水位・・・河川の水位は、ダムなどの洪水調節施設をつくる計画により、一定程度下がることが想定されています。堤防を整備する際には、計画高水位まで川の水が流れても耐えうるよう設計することになっています。
〈注2〉計画堤防高・・・計画高水位に余裕高を加算した堤防の高さ。
〈注3〉河川整備計画・・・河川管理者(利根川の場合は国土交通大臣)が定める具体的な河川整備に関する計画。

 今回の洪水で利根川の水位が計画高水位(注1)に近づきましたが、利根川本川は堤防の余裕高が2mあって、計画堤防高(注2)にはまだ十分な余裕がありました。
 したがって今回の台風では、八ッ場ダムの洪水貯留がなく、水位が多少上がったとしても、利根川が氾濫することは考えられませんでした。
 また、「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果(国交省の計算による八ッ場ダムの洪水ピーク流量削減率)」は以下の図とおりです。この図が示すように、八ッ場ダムの治水効果は下流に行くほど減衰していきますので、今回の八ッ場ダムの洪水貯留がなくても、利根川の中流下流の水位はそれほど上昇しなかったと考えられます。

 今回の洪水の最高水位は9.67mで、計画高水位9.9mに近い値になっています。栗橋地点の最近8年間の水位流量データから水位流量関係式をつくり(下記の図「栗橋の水位と流量の関係(利根川・栗橋地点の年最高水位と年最大流量の関係)」参照)、これを使って今回の最高水位から今回の最大流量を推測すると、約11,700/秒となります。
 利根川河川整備計画では、計画高水位9.9mに対応する河道目標流量は14,000/秒です。すなわち、今回の洪水は、水位は計画高水位に近いのですが、流量は河道目標流量より約2,300/秒も小さいのです。このことは河床掘削作業が十分に行われず、そのために利根川中流部の河床が上昇して、流下能力が低下してきていることを意味します。
 下記の栗橋地点における水位と流量の関係図を見ると、河川整備計画に沿って河道の維持がされていれば、今回の洪水ピーク水位は70㎝程度下がっていたと推測されます。

 一方、八ッ場ダムの治水効果は「国交省による八ッ場ダムの治水効果の計算結果」を使うと、栗橋地点に近い江戸川上流端のピーク流量削減率は1/501/100洪水では3%前後です。
 今回の最大流量の推測値、約11,700㎥/秒を97%で割ると、12,060㎥/秒です。八ッ場ダムの効果がなければ、この程度のピーク流量になっていたことになります。
 12,060㎥/秒に対応する栗橋地点の水位を、上の図「栗橋の水位と流量の関係」から求めると9.84mになり、実績の9.67mより17㎝高くなりますが、大きな数字ではありません。
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10月29日の八ッ場ダム






2019年10月21日月曜日

台風19号で各地のダムの放水は検証が必要

 小河内ダムでは12日(土)18時以降に放水量を増加させた。「余水吐放流」についてプレスでの発表が14時にあり、当初の見込み、毎秒600立方メートルが750立方メートルとなるというものだった。午後10時過ぎに世田谷区玉川で浸水被害が発生しているので、小河内ダムの放水が影響をしていることは考えられる。放水が決定的だったのかどうかは即断はできないが、この検証が必要なのではないだろうか。


 神奈川県の城山ダムは放水をいつするかで、いくたびか変更した。県の放流開始の判断が変更されたことで結果的に混乱を招くことになった。氾濫などの大きな被害にはつながらなかったとされるが、相模川支流の串川では同日午後10時半ごろ、家族4人が乗った車が転落し、全員が遺体となって発見される事故が起きた。放流開始と同時に市町への通知ということになったのは、行政の稚拙とでもいう大きな問題を残した。水位上昇の想定をつかむのは難しかったと神奈川県河川課がコメントした。

 「緊急放流が始まったころ、ダムへの流入量が以上に跳ね上がった数値を示したままデータの更新が滞っていた」とまでなると、ダムがあれば安全という見解も神話としか言えない。城山ダムが「逡巡」している間に、複数のダムで緊急放流するとの発表があった。「赤信号…」みたいにというと軽薄と言われそうだが、放流したダムと堤防決壊した箇所との関連性を検証する必要がありそうだ。放流を実施した6ダムでは「事前放流」はしていなかったのニュースもあった



2019年10月4日金曜日

行政機関が魚釣り人の意見を聞くことの大切さ

 こと「釣り」に関しては、人のそれぞれの好みで趣向するという範囲を緩く括っているのみだろうと、これまでの経験から思う。早い話が「金儲け」とはさほどの縁もない「つり好き連中」が、世に物申すことになにかの意義をみいだすことなどは、通常の目からは考えもつかないものとなっているだろう。

 それは「行政」の位置づけがなせることでもあり、一部のつり趣向者の問題だと切り捨てられることに異議を言わざるを得ない。つり趣向者の要望は、例によって著名な「…つり団体」の意向ぐらいがせいぜいの扱いだろう。それでいて、「侃々諤々」の議論などは期待できそうもない。

 そこで言いたいことは「釣れなくなった」ことだ。これはつまるところ、人類の存亡にかかわるというのが問題意識であり、他の様々な自然と社会の認識の過程を共有する。「釣る楽しみ」の本家の漁はいまや悲惨な状態で、痩せたサンマが皿にのり、細身のイカが半身で食卓を飾る。ウナギはどこへ行ってしまったのか。焼津のシラスは漁獲調整ということだ。

 「つり」は一部の楽しみであることは違いではない。それでもゴルフを「趣味」を持つ人たちと、どっこいどっこいでの「経済効果」は統計として発表されている。趣向者数を考えるならば、隅に置いておくべき処遇にはならない。日本が「自然に取り囲まれた」環境に存在しているのだからその特性は生かされて間違いはない。その「愛好者を含む楽しみ群団」が結果として減少していくという状況であることは、いま風に言えば「削除、削減」されていくということ。そんな点からも放置されておくべきでない。

 「削除、削減」は多くの要因によってつくられている。生態系のかく乱、混乱の現状からも言えるし、したがって「政治」の面からも言えることだろう。温暖化のもたらす影響は今や最上位の政治の課題だ。この影響は「常習魚釣り者」には焦眉のことと感じている。この影響はどこでも同様に起きているだろうと思う。

 日本の自然環境と社会を作り上げてしまった我々の責任も免れることはない。「魚が釣れなくなった」ことを他人事にしたくないし、江戸時代から栄えた魚釣りの文化を絶やしてはならない。そんなことを想った「都議会共産党議員との懇談会」だった。

2019年9月28日土曜日

イカも獲れなくなっている状況が続いている


 昨日は合唱団演奏会のリハーサルでみっちり練習をした。それでいつもよりは、「一応」の達成感によって、ビールの一杯も飲みたいという気になった。9時過ぎの街を探し回ったが、金曜日でもあり心宛の店は客が混んでいる。やむなく高級めいた飲み屋に流れ込んだ。

 つまみの値段を気にしつつ、イカ焼きも注文した。小型で痩せ気味のイカが半身で、品よく皿の上に載ってきた。箸で三つぐらいは掴んで口に入れたいところ、それは我慢をして一つだけ口に運んだ。

 最近はサンマも獲れない。酒の肴として好きな魚が「高級で」口に入らないなんていうことにならないかと心配になる。本来南の海に生息するサンゴが、北上して繁殖しているというニュースも最近伝えられた。

 スウェーデンの16歳の活動家のグレタ・トゥーンベリさんが各国の代表を前に演説したのが話題になっている。
「人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。」

 手厳しいが思い当たることだ。暴風雨災害が日常茶飯事に起きて、死活にかかわるまでになっていることは、放置しておけない。それにしても、新環境大臣が国連で発言した内容は情けない。