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2025年6月1日日曜日

朝ドラ(NHKの連続テレビ小説)で蘭子役を演じた河合優実さん、交流サイトで評判

「蘭子の場合は確実に戦争反対というところに進んでいった。戦後80年という節目に、反戦を担えてよかったなと思っています。やなせさんの戦争体験、そして『戦争は大嫌い』というやなせさんの思いを届ける本作も、届ける意義があると強く感じています。その声をもう一度はっきり伝えるべきだと思っています。

今起こってしまっている戦争にも、私たちには実感がないところがありますが、もしかしたら当時の人も、よくわからないうちに大きなものに絡め取られていくような日々だったのではないかなと想像しました。みんな気がついたら、赤紙が来たら戦争に行かなきゃいけないシステムの中に居た、というだけのことかもしれません。

やなせたかしさんには、哲学があって、やはりそれは戦争体験や幼少期の体験があったから生まれたものなんだなと感じました。『逆転しない正義とは、飢えた人にパンをあげることだ』という言葉は、戦争を体験していない私の口からは、こんなに実感を持って出てこないと思うんです。本当に身をもって体感されたからこそ、アンパンマンが生まれているし、この気持ちに嘘がないなと。すごい強度だと思います」

戦争を体験している人は減ってきている。目下特に「戦争してはならない」の意志を表に出すことは大事なことに思う。憲法で「戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する二度としない・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない。」と書いているというだけでは防ぎきれない。

体験なしでも学びでそれを理解をすることはできる。ただその先が一段あるようで、一般的にやってはいけないこととの認識はあるのだと思うが、反戦を口に出して言うことはレベルが違ったことだということも言う人もある。

同じNHKのブラタモリで宮古島の観光地のすばらしさを強調していたが、実際の島としてはそれだけではすまされないことを感じる。ミサイル基地としての備えがされていることが後景に隠されてしまってよいことか?それに、ウクライナでもガザでも戦禍が止まない。それをもって軍備の増強を競い合うことが日常のニュースで飛び交う。かつての「一触触発」の時代と同じところへ落ち込んでいってしまわないか。

こんな時だから、戦争するの国づくりには批判の言葉を出さなくてはと思う。「あんぱん」のストーリについてSNSで発出されていることに、うれしくもあり注目が集まるのだろうと思った。

宮古島~

尖閣諸島(中国名・釣魚島)からはたったの160キロメートルの距離だ。20192020年に自衛隊の「ミサイル部隊」が入ってきて以来、島は名実共に米中対立の最前線となった。


 

2023年5月6日土曜日

連休の一日、憲法集会に。休養一筋というわけにいかなかった連休。

 腰が痛いけど、歩けないわけではないと憲法集会に出かける。退職者会の人たち、たくさんの参加者と一緒に、「憲法改正の危機」を共有できてよかった。「敵基地攻撃能力」という、かつての歴史も憲法制定にもなんとも反省のない主張がまかり通ってしまう危うさが、戦前のように落とし込まれていくことには黙ったままではいけない。さしたることはできないけれども、生まれたときから憲法のもとで生きてきたものとして思うこと。


―北海道新聞

敵基地攻撃能力に反対33%、賛成27% 防衛増税反対は過半数 全道世論調査

会員限定記事

2023429 22:35(429 23:11更新)


―「ほいくらし」HPから

お友だちのものを勝手に使ったり、自分のものにしたりするのはだめだよね。それから、お友だちに意地悪したり、叩いたりするのもいけないよね。
そういうルールがあるから、みんな安心して楽しく過ごせるんだよ。53日はみんなが住んでいる日本の、大切なルールが決められた日だから、記念日としてお休みになったんだよ。

2019年7月8日月曜日

久しぶりに曇天の空に陽がさした


 参議院選挙告示になって、近所にまた不思議な静寂が始まる。この広い東京でも、駅の演説会にでも出かけなければ、政党の選挙政策やら論戦がほぼわからない。わずかにテレビで「討論会」なるものを短い時間でやる以外は、どこかの国でやってるのかなというくらいの「印象」しかない。

 「印象操作」と言う言葉の好きな人がいるが、思えば知らしめないでいる前提での逃げともとれる。おおいにやったらいいのに、宣伝カーの台数、駅での宣伝にも、戸別訪問にも規制がかけられて、結局強いつながりや利益誘導で票を囲い込む。職場ではおしなべて政治活動、選挙活動へは「禁」の状態が、組織を使って保たれる。

 判断できない状態に置かれて、さあ選挙へ行けと言われても投票先は「指示された人」に落とし込まれる。日本の民主主義とはこんな選挙制度に縛られている。18歳になった高校生も政治活動参加へは「届け出」がいるとか。暗闇選挙と言ってもおかしくないかもしれない。だからと言ってあきらめるわけにもいかない。

外交を軽んじて他国と武力でやりあえる憲法でいいのか?
低賃金の非正規者が半数以上もいる日本でいいのか?
男女平等の実現に向かっているのか?
増え続ける生活保護者の生活向上はどうするのか?
結婚し子供が育てられる様々な環境は?
原発再稼働は?
払った税を惜しみなく軍備に投入するのか?
社会保障と税の一体改革でいいか?
消費税率値上げで消費、家計はどうなる?
年金を払えない人をどうするのか?
もらう年金が生活費に及ばない状態をどうするのか?
税金の再配分はどうするのか?
まだまだある。

一票の重みはこんなにある。

山形県東根








2017年12月22日金曜日

暴力は遺物の存在、いらないものにしたいこと

 このところテレビのワイドショーは、相撲協会の暴力騒動に乗っ取られて、北朝鮮の報道が後景になってきた。北朝鮮が核実験やらミサイルを打ちあげるたびに、そのニュースでテレビ画面を独占状態にする。そのときに首相がテレビに現れて、北朝鮮の行為に許せないことと「かっこよく」話す。たしか、モリカケ問題が国会で追及されてからは、ぶら下がり記者会見には応じることをやめていたことだったはずなのに。

 そんなことを考えると、北朝鮮が助っ人で現れるがごとき様相だと言いたくなる。きっかけは北朝鮮の無節操な武器示威行動だし、アメリカ大統領の一貫した「挑発」言辞ツイッターが輪をかけて危機を煽りたてる。ここにきてようやく「対話」の動きが伝えられて、何とかその方向に動いていけばと少し安心する。しかしこの状況を最大限利用して、憲法を変えて日本が戦争のできる国に変えてしまおうとする動きと、北朝鮮との「対話はしない」という政府の態度は危険な方向の選択だ。 

 相撲界の暴力事件は、暴力的指導をよしとする封建時代のあり様を引きずる。他のスポーツ界では克服する手は打たれているのに、なくせない甘さが角界に巣くっている。人権や民主主義をわきまえない、つまり憲法の精神を適用できない社会構造への警鐘としなくてはならないのではないか。言ってみれば、軍隊の組織維持の方法としての「暴力」が表で大手を振って歩き出すようなことになってはならない。

2017年8月15日火曜日

8月15日戦争の反省より、「開戦」の容認?

 戦後72年終戦の日だというのに、トランプ大統領から北朝鮮の対応についての電話が首相あるのだと…。ちょっとまってくれ、そういった電話があるというのはこれまで「事後」でしかなかったはず。嬉々として(とあえて思う)首相がこれをうけて、内閣支持率低下を食い止める手としてうってつけのことしているのだろう。どうせ、「存立危機事態」のうえでアメリカが打つ手を「理解する」ということなのだろう。

 でも、すすんでアメリカのために働くという唯一の方法が、戦争当事国になることと同一線上にあることであり、日本が歩んだ「繰り返してはならない道」になる。対話は捨てて圧力をかける状況だと強弁して、平気で憲法の平和の希求を投げ捨てることは、武力解決を否定した憲法を持つ日本の信用にかかわる。

 それなら日本を守るとする、防衛の体制はどうなのだろうとWikipediaで探ってみているが、SM3(イージス艦から発射)、PAC3(射程20キロ程度)の「効用」をみても首をかしげるものだ。
◇ミサイルに当たるかどうかわからない
2002年からSM-3を用いて23回の大気圏外での迎撃実験が行われ18回で迎撃に成功した。うち4回は海上自衛隊によるもので3回の実験が成功を収めた
◇SM-3ブロックⅡAの配備は2018年であり、ブロック1Aは中距離弾道ミサイルにも対処できない
2006年6月23日にはブロックIIAの日米共同開発に合意した。ブロックIIAはイージスBMD5.1と適合化され、キネティック弾頭とこれに搭載する赤外線シーカーを大型化させて破壊力と識別能力を向上させ、ロケットもさらに改良して速度を向上させるなどして高性能化をさせる。キネティック弾頭はアメリカ主導で試作し、赤外線シーカーは日米で別々の方式で試作し選考する。研究開発総費用は21 - 27億ドル、日本側負担は10 - 12億ドルである(配備費用は除く)2011年に地上試験、2014年に飛行試験、2018年から実戦配備を始めるスケジュールになっている。このブロックIIAが現在配備されているブロックIAを更新する予定である。この配備により中距離弾道ミサイル(IRBM)にも対処可能となる予定である。

 つまり、「迎撃はしない」のと同様ということだろう。兵器も他の様々な機械機器でも、これでいいというものはなく、SMシリーズでもSM6まで開発が進んでいるらしい。どこまで投資しても軍拡競争に資するだけの、不毛なシロモノという以外はない

イージス艦の建造費が1,400億円、年間維持管理費も40億円と護衛艦史上最高額
海上自衛隊は、2004年から4隻のこんごう型護衛艦に順次バージョン3.6.1のBMD能力を付加する改修を行い、SM-3ブロック1Aを調達するとともに、発射テストをハワイ沖でおこなった。1隻あたりの改修費とSM3取得費は340億円
アメリカは41隻日本は6隻

2016年7月15日金曜日

選挙が終わると「憲法問題」を取り上げる軟弱さ

 現行憲法がもっている規範はすばらしいものだと、この間の政権の挙動を見ながら感じ、再確認をさせてもらってきた。すべての法律体系や訴訟での争いは憲法をもとにした判断なのだから、たたえ知らないことでも、その効用は及んでいるし、日本が他国の侵略からたどった道を、不完全な反省ながら憲法を軸にしてすすんできたことは間違いない。

 参議院選挙が終わって結果が出た。論戦では「野党連合は野合だ」とばかり叫び、「解釈憲法」を変えてしまうとすることは、テーマでないかのように凝らしてきた。論戦がかみ合わないことは戦略として位置づけられたのだろう。日常の政治に対するメディアの姿勢はまた、ベッキーが何をしたの、清原がどうなるのと、「安保法案」の審議など大事な国会の論議も、まともに情報を取り上げることは少なかった。

 それは何時もそうなのだが、取り上げたかとみると「舛添劇場」のように、センセーショナルになることが目的のように見えなくもなかった。それでもこれまでよりは、ましだったと言えるのかもしれない。ともかくも真なる問題を表に出ないようにし、投票率は下がるまがいの印象をことさら植え付けることで、投票の動向を決めようとする戦略はものすごいものだったように思う。告示になるとピッタリとテレビ報道は選挙の話題を報じなくなる。

 政権の干渉から面倒を起こしたくないメディアが、類する報道をやめてしまうということがあるということ。だから週刊…という雑誌などが先行して、NETの交流サイトで拡散され、一定程度はましな情報が伝わっていく。憲法前文を乗せた週刊誌まで現れたのだから、大新聞やテレビ報道にかかわっているところは、頑張らないともっと購読者を失ってしまうことになるだろう。もちろんNETに流通する話題で、一定程度報道でとりあげて使うことはある。

 NHKの報道も選挙前日に「明日は納豆の日」(710日=ナットウ)とはいったものの、「選挙の日」とは言わなかったという。民主主義の形骸化がどんどん進められて、選挙に行っても仕方がないと、動機づけが薄められていくことは、いわば愚民思想に置かれているということなのだが、そこまでの「怒り」をマスコミが取り上げるようになるのは、もっと先になるのだろうか。

 政治のことを取り上げると週刊誌が売れるとのことだから、これから先もぜひオピニオンリーダーとして頑張ってほしい。都知事選が始まった14日から、なんともタイミングよく出所の「不明」な天皇退位説が、流れ始めた。これも随分とハデな報道でびっくりというより、またかよという気分が先行した。官房長官は「コメントは控える」と言いつつ、「皇室典範改正準備室」で検討はしているというので、出所は政府なのだろう。宮内庁はそんなことは言っていませんと否定している。

 出所不明の話題をそこのテレビでも一斉に取り上げて、内容も過去の天皇の発言などを取り上げて、かなりの準備をしていたことが覗える。公務に耐えられるかどうかは、国民が決めるわけでもないし、だからどうなのというふうに言ったら、「不敬罪」にされてしまうかな。しかし「憲法改正」と絡んでいることなのだろう。現行憲法を天皇はよく理解し、戦争という悲劇はあってはならないと表明しているから、そのこととの齟齬はなんとなく見えることだ。

2016年7月8日金曜日

フランスの渡り鳥の羽が短くなったのは「他人事」でない

 今朝のNHKで報道していたフランスの鳥の話。温暖化によって渡り鳥が長距離を飛ぶ必要がなくなって、羽が小さくなっているということだった。写真によると確かに翼の先端がとがっていた羽のものが、短くなって丸みを帯びて全体が小さくなっている。数十年での変化ということで、鳥の「進化」にも影響を与えている人類の営みを考えざるを得ない。対動物に限らず人間同士の社会にも様々な影響がないとは言えない。そこに思い至るのが人(類)以外にはないので、責任は大きい。

 ところで参議院選挙の報道では、NHKの政見放送以外はほとんどそれに関する報道がない。安保関連法、アベノミクス、TPP、憲法、子育て、教育など身近な問題の政策議論は、報道ではさっぱり取り上げられない。

 今日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、高知県でやったアンケートでは、「3分の2の議席で改憲」ということは知っているか?という新聞社の問に「わからない」という回答が圧倒的に多いということが紹介されていた。モーニングショーでは、知事選へ向けてのテーマを取り上げていたが、このときに知事選挙のことばかり伝えてよいのかという疑問が出されて、この話題になった。

 長嶋一茂氏が「『3分の2』の話私も知らなかったよ」と発言し、羽鳥慎一氏が「高知県のアンケートでそういう結果なのだからそうですよ」ととりなしていた。報道機関が政権を斟酌して「自粛」しているということはよく聞くが、まさに選挙告示後になると選挙の話題はきれいになくなってしまう。

 それどころか知事選挙の立候補予定者の動きばかりを、これでもかと伝える。この参議院選挙で、どういうことが進められようとしているのかということには、目を向けないようにしているという意図を感じざるを得ない。選挙の度に重ねられるこうした動きに、「目隠しされたまま」で、投票率の低下が生じまたそれを政権党が有利な選挙制度で結果をもぎ取ることが続いていいのか。

 ベッキーだの清原だのの話題を取り上げるなとは言わないが、適当なあしらいでいいのではないか。生活と将来に深くかかわる問題、憲法やら戦争やら、経済や税金、格差やら貧困やら教育の問題を政治のこととして、改善の道を考えあっていくべきだし、解決を迫っていくことで短兵急な犯罪の土壌を生んでいくことを防ぐことになっていくのではないか。

 政治を考えにくい日本人が作られて、押し込められては、フランスの「渡り鳥の羽」になって、飛べない鳥になってしまうのではないか。いや、すでになっているのかもしれない。

2016年3月10日木曜日

東京大空襲があったのは71年前の3月10日


 71年前の3月10日にあった東京大空襲、10万人以上が犠牲になった。戦争は二度とやってはならない不文律が破られようとしている。平和な日本で手に入れたものは多かったはずだ。「戦時」を想定した道は、転落に等しい。武力による紛争地域や国に安寧な生活のところはない。


おはようミドリ♪ 3月10日は『東京大空襲の日』です。1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分、東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃がありました。 死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害を出しました。#東京大空襲
林 毅彦さんの投稿 2016年3月9日




1945年3月10日。東京の街が焦土と化しました。 #東京大空襲
HuffPost Japanさんの投稿 2016年3月9日


隅田の流れに♬


合唱 ぜいむ合唱団


2016年1月21日木曜日

ベッキーとSMAPの大騒ぎ報道

 憲法の規定を破って、議会開催をサボタージュし、安保法の「丁寧な説明」を放り出して海外に行っていた首相の責任が大いに問われるべき国会が始まっている。そのときに、ベッキーが不倫しただのSMAPが解散するだのという大騒ぎしているのは何なのだろうと思っている人がNET上でも増えてきた。

 「不倫」だの離婚しただの、しそうだのという、これまでいくらもあるネタを、茶の間に大仰に持ち込んで、本人に「記者会見」で頭を下げさせる。SMAPに「お詫び記者会見」を仕立てるドキュメントを延々とやるなど、だからいったい何が大問題なの?と聞いてみたい事柄がテレビを占拠している。

 スポーツ新聞が先立ってこれを書き立てるということだが、これに乗じてワイドショーが追っかけ番組にするという図式はこれまでどおり。だがこれがご丁寧に連日とりあげるとなると、なにかおかしな感じを持たざるを得ない。予算員会でSMAP「解散」が撤回されたことを受けて、首相が「SMAPが解散しないでよかった」と答弁したのだが、どうみても立場の悪いときに、ニヤニヤしながら答える顔を見ながら、ハハアと考えてしまう。

 SMAPの後ろ盾はフジであり、読売新聞がリードしているようだから余計にそう見える。それに、官邸のメディア対策での「食事会」も薬になっているのだろうと勘繰る。12月の「懇親会」には首相とのツーショットを喜々として撮ったという話もあるし、マスコミが権力から独立して監視するということを遠ざけてしまっては、目を曇らせるだけの無益な役割だ。

産経ニュースが面白い記事を取り上げた。

 「…本来私たちが有益な情報として心に刻む作業に使うべき時間が、どうでもよいことに使わせられてしまっていることにこそ問題がある…。」との渡辺武雄(同志社大教授)のコメントはなるほどと思った。「産経」が取り上げたところに面白さがある。


2016年1月3日日曜日

新年のぐーたらテレビ視聴 「鳥越俊太郎の新春激論」をみた

 2016年になった。新年だからと言って、特に気色ばむほどのことはもうない。と思いつつも、昨年の彷徨を思い出しながら、どうなるかわからない今年の足の向きを占うのも面白い。それでちょっとは正月気分になれるのなら易いことだ。とは言え、洗いざらい持ち出して天日にさらすはずかしいので控えるとして、あんまり己を追い詰めないようにして、ときどきグータラしながらやっていくことにしよう。

 岩手山麓から戻ってきて、風邪気味になった。一日ゆったりいこうと、テレビ視聴と決め込んで電源を入れた。
 2日BS朝日の「鳥越俊太郎の新春激論」は面白かった。安保法制、安保条約、憲法、テロ、消費税などを多面的に取り上げた討論で、戦争放棄の憲法をいかに邪魔な存在にしているかということがみえた。
 
 「中国の脅威」をことさら取り上げて、そのために軍事増強が必要というあたりは、かつての戦争への道に道を開いていくという点で、危険だと言う点は、説得力があった。沖縄の問題も、安倍政権が辺野古基地建設を強行することで、「流血事態」も生じることになるとの心配も出されていた。報道もこのところ取り上げるようにはなったが、一地方の問題として放っておける問題でなく、安保条約、基地問題、安保条約をどうするのか、という議論まで必要になってきている状況が浮かび上がった。

 選挙で選ばれ構成された政府がやることなので、国民の批判を受けることなら、やれば選挙で負けるのだからやらないという話は噴飯もので、これで民主主義が成立しているというバカな主張にはあきれた。現行の選挙制度は、有権者の意向を多くの死票として扱う不公正なもので、自民党の中からさえよくない制度という声が上がっている。反対の立場なら口角泡と飛ばすところだろうに、為にする議論とはこういうものだろう。

 消費税問題は、参議院選挙での論議にもテーマに成なることだとの提起もだされた。これで軽減税率導入が論点かのように取り上げる報道の浅薄さが浮かび上がった。10%導入も実は政府にとっても、簡単だと思っていない状況らしい。景気回復もなく、勤労者の賃金も上がらない状態だから、批判が大きくなっていくのは当然のことだろう。

 韓国、北朝鮮の問題にもテーマが振られ、拉致問題の解決が進めるには、韓国や中国との共同が大事だということも出された。拉致問題は、自民党のための「政治利用」だという批判も出される中、解決する方策もみえない状況は、もう騙しきれないと言われてもしかたがない。TPPでいえば見事に「絶対反対」を全面賛成に振り替えたのだから、「別に恐れることはない」とでも思っているのだろうか。選挙が「同時選挙」かどうかという話題にも及んだ。やるかやらないかはともかくとして、自民党が有利だからやるという設定なら、それも含めた批判が集中されることだ。



2015年7月15日水曜日

戦争反対の声がますます大きくなる

国会前の座り込みに参加して戦争反対の声に触れた。真正面から率直に出す声は心に響く。なんとかして声を伝えようという思いから、たくさんのアイディアが生まれている。このところ座り込みと、昨日の日比谷野外音楽堂での集会に参加して、あってはならない戦争への道を止めろとの声が蔓延しているのがよくわかった。昨夜は二時間以上もデモの出発を待って少々疲れたが、10時近くまでかかっ行進後も皆元気だった。

若者の参加が目立って、もちろんオールドパワーも一緒になって行動しているが、これが確実に広がっているのがわかった。座り込みの時も、北海道から一人で上京してきている人に出会った。デモ行進の時も、デモ隊に向かって自分の主張はこれなんだと、ポスターを掲げてアピールしている人もいる。「戦争止めろ」「9条守れ」という揃いのポスターも、一斉に掲げると迫力があるが、自分なりのやり方と自分の思いでアピールするのはすごいことだ。かつての組合の「動員」のデモ行進ではなかったことが、いま起きている。

渓流9条の会で、ヤマメの版画を釣竿につけてアピールしているが、これがいつも撮影者のシャッターチャンスになっている。7月10日からはイワナが加わって、いよいよ「上流部」へさしかかったとシャレにもなった。


鍋は100円ショップ、アベ首相の顔は国会の売店で求めた手ぬぐい











2015年5月21日木曜日

憲法9条を心にとめる人が増えてきて

 愛川欣也さんが亡くなって、反戦平和を貫いてきた生き方に賛同が寄せられている。うつみ宮土理さんのブログに「キンキンが一番大切にしていた精神は平和…私たちは憲法を守る 憲法が私たちを守る 愛川欣也…平和を守りたい」と書きこんである。正しいこと当たり前のことを歯に衣着せずに公にすることは、有名人にはなおのこと大変なことだろう。主張を曲げずにNET放送も続けてきたということだから、なかなかできないすばらしいことだ。→うつみ宮土理のブログ



「最近では、憲法9条の解釈が問題になったりしていて、私たちがきちんと知っておかなければいけない時代だと思います。解釈改憲は、内閣が勝手に閣議で決めてしまえば、私たちは知らなければ知らないまま終わってしまうけれど、日本は民主主義じゃないですか。選挙で一票投じるときに、きちんと今の国がどんなことをやっているのかを意識した上で、一人ひとり投票する必要があると思います」とは、AKB48の内山奈月で現役大学生。『憲法主義』(PHP研究所刊)を発売したことで、握手会に、弁護士や裁判官の方も足を運んでくれるようになったとか。


 壇蜜と呼び捨てにするのはいかがかと自分でも思うが、「さん付け」がどうもしにくくて、愛称的親しみで…とはいってもテレビでたまに見ただけのこと。艶っぽさで有名であることが周りからコメントされてそのことを知った。この壇蜜さんが、9条のバッチをつけているという写真がNETで飛び回った。調べる人もいて、確かに9条の会がかつて発行したものらしい。それとなくでの主張と思うが、知れば相当のインパクトがある。




2014年4月24日木曜日

一杯の酒



 一杯の酒を飲みながら交わす会話は、ふつう良いものだ。次の乾杯の音頭で、なにに乾杯するかの表明だから、その前に「まあまあ」とか「さあどうそ」とか、酌をするほうの声掛けから始まる。我々のような貧乏人は、先に生ビールの乾杯だから、お酌はなしに始まる。友好関係のお付き合いいだから、けんかの手打ちを含めて悪い場面ではない。

 しかし、国の「代表」同志でしかもアメリカだから、その持つ意味も軽い者でない。この間もTPP交渉の決着を果たしたい状況で、背後の「交渉反対」の声を無視しつつ注ぐお酒だ。集団的自衛権容認の道もツマミかお土産ということになっている。沖縄の辺野古基地建設も「容認」あるのみので、なにをとっても日本のためとは絶対に言えないこと。対立関係にあるものが仲良しめいての演出と見えないでもない。

 注ぐ酒の中には、戦争のきな臭い香りもあり、TPPへの怒りの風味もある苦い酒になっているだろう。きっと高い酒だから隠し味になっているかもしれない。

 酌み交わすのはお別れの場合もある。早くそうなるように願いたい。「お元気で!私たちも幸せに暮らすよ」って。


 写真は内閣広報室が撮ったもの。税金だから使わない手はない。アメリカにはカメラから弾丸が飛び出すものもあるから、こんな位置では撮れない。弾丸は飛び出さないが写真を見た方から睨まれていることは間違いない。それもかなり多く。




2014年4月22日火曜日

オバマさんがいらっしゃるまで「お片付け」?

 17000人の警察官を使って、テロを防ぐのだと都心近くを通りかかる人たちの不便を我慢しろという。だいたい、テロなんか日本で起きるかと思うけど、TPP交渉に対する批判の声が「テロ」に見えるのだろう。TPP交渉に決着を求めているのは日米の経済界だ。一部の事業者のために日本全体の仕組みを破壊していく、亡国の道の選択を迫るわけだ。そちらの方がよっぽどテロにも似た行為だという思いがする。

 日本の農業、畜産業はたちゆかなくなると、交渉反対の声がでているのに、アメリカとの交渉をまとめたいと難しい顔をした大臣さんが「頑張って」いる。そんなに車や家電を売りまくりたいのか、それなりの売り上げでいいじゃないの?一部の企業だけが潤えば、あとはどうなろうと知るかということなのか。日本の棚田を見てみろと言いたい。もはや農業ではなくてオーナー制度の観光にしてしまったじゃないか。安いコメが外国からはいればいいというものでないだろう。温暖化による気候変動で、食糧生産に対する影響が危惧されるときに、自給力を弱体化させる選択などはありえない。日本の「譲歩」がちらついている。そのうえアメリカに対して、憲法の規定を捻じ曲げても、「集団的自衛権」を可とするおもてなしまで用意する。なんということか。


 スーパーの店頭は、外国産が目立つ。ここはどこの国かと思うほどだ。購入するには「安いかどうか」が基準になる。だから買うが、それでも日本産をなるべく選びはする。年金でも賃金でも、収入が少ないのだから、食材選びは苦労する。いったいどこの国で生活をしているのかがわからない。これで、日本を愛せよというのだから、おふざけでないよと思う。こんな日本にしたのは誰なのだ。





2013年11月2日土曜日

山本太郎の園遊会「直訴」に、天皇を元首として政治利用をしている方が政治利用という批判はおかしい

 大日本帝国憲法のときは元首だった天皇は、日本国憲法では、「元首」であることを明確にしていない。憲法上、象徴という言葉を使って天皇を保全したのは、戦後の歴史が生み出したというのは説得力がある。天皇ができることは国事行為で制限列挙されている。これさえ、内閣の助言と承認のもとでなされるということで、政治行為は想定されていない。それは当たり前で、天皇の名のもとに戦争を遂行されていったのだから、反省をして体制を切り替えることが求められていた。
 
 こうした憲法上の扱いに、政治行為を求めるのは国会に議席を持つものが、やることかといえば、「別のこと考えても」と言うこともできる。「気持ちはわかるけど…」という話もあるけれども、ちょっぴりこの面倒なことを除いて、「開かれた天皇」に対して、申し述べることが政治行為として断定されるのかというと、いまのところその手紙の内容が政治行為を求めている内容なのかどうかという点が、マスコミの報道の中では見当たらない(自分だけかもしれないが)。「辞職しろ」「ときがときなら刑罰ものだ」のと騒ぐことばかりが、議席多数占有者から出されている。

 天皇はいらないというとストレートに言うと、なにを言っているのかと、それにとどまらないご意見を賜ることにもなりかねない。が、今の政治制度の中では、なくても間に合う存在ではある。「心のよりどころ」のような親密さも醸造してきたから、気持ちが入り込むこともあるとは思う。当分象徴でもいいと思うが、だったら元首ではない開かれた天皇が、もっとどんどん開かれてもと思う。

靖国神社を参拝しないとか、外来魚のブルーギルを日本に持ってきたのはよくなかったと話したとか、先日誕生日を迎えた皇后の五日市憲法の話は、ちょっと認識が改まった。「開かれた皇室」いいんじゃないかと。

園遊会に手紙を持っていくのが違法ではないが、もらった天皇は侍従に預けた。開封しないわけはないだろうが、闇に葬られるのか。これだけ騒がれたら、一定の対応をすることになるのか。天皇がどこかの場で「あの手紙はいまの福島の状況を訴えたもので、大変大切なことを示唆していました。関係者がなんとかその対応に努力されることを望んでおります」なんて言ったとしたら、もう一歩開かれた天皇にならないか。続けて「天皇は政治行為が許されておりませんから、それにお応えすることはできませんが、願いは同じと考えております」って話したら…いいね!


 「憲法改論議」が持ち出されて、先には天皇を象徴から格上げする考が浮上している。憲法順守で「戦争の道は未来永劫なし」ということは言うまでもないこと。





2013年10月26日土曜日

皇后誕生日の宮内庁文書回答意味深長?

 秘密保護法制定や憲法96条改正(悪)をねらう安倍政権は、日本が「戦争ができる国づくり」としての道をすすむことを念願として、突っ走っている。「基本的人権」も「言論の自由」もあったものではない。
皇后誕生日を迎えた皇后の文書回答が発表された。憲法についてのものもあったので気になって読んでみた。質問は
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東日本大震災は発生から2年半が過ぎましたが、なお課題は山積です。一方で、皇族が出席されたIOC総会で2020年夏季五輪・パラリンピックの東京開催が決まるなど明るい出来事がありました。皇后さまにとってのこの一年、印象に残った出来事やご感想をお聞かせ下さい。
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宮内庁・皇后陛下の文書回答
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 5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。
 明治憲法の公布(明治22)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
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 基本的人権だとか教育・言論・宗教の自由、地方自治権についての文言がでて、すこし驚いた。5月の憲法記念日に訪問した先の感想だから、それはその限りともいえるが、「憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じ」てのことで、議論参加という意味もあると勝手に解釈した。猪突猛進で、憲法投げすてを計る方々への皮肉とうけとると言い過ぎだろうが、ここはぜひ皮肉にさせていただきたいところだ。

五日市憲法草案=
現在発見されている明治自由民権運動期の私擬憲法の中でも、国民の権利の項目に多くの条文が割かれており、現在の「日本国憲法」と比較しても引けを取らない民主的な内容を含んだ憲法草案であること、五日市地域の有力者や若者たちを中心に学習結社「学芸講談会」を組織し、憲法に関する討論会や学習会を実施しており、自由民権運動から憲法草案起草に至る経過がわかることが高く評価され、東京都の有形文化財にも指定されています。









2013年8月27日火曜日

「生きろゲン!」のネット署名21000を超える

 松江市の「はだしのゲン」閲覧制限が撤回された。市教委が校長会で直接制限を依頼したことは手続き上の不備だということだ。以前大阪市でも、高校の暴力指導の問題で、橋下市長が教育委員会に乗り込んで、自説を押し付けたことがあった。このときは教育委員会にたいしての「要請」のスタイルをとった。

 被曝や戦争の批判がよっぽど気に入らない「人たち」が議会に陳情して、閲覧制限を求めたが、否決されたという経過があるから、当然行政の側はそれに沿った対応を図るのが当たり前なのだろうが、教育委員会の判断にもゆだねず市側が、制限依頼をしてしまったことは問題だ。政府が漫画の記述の一部を取り出して、「子供に対しての影響を心配する声」を擁護したのは、戦争ができる国家をめざす意図を示した。

 地方自治体の教育委員会、人事委員会、選挙管理員会などは行政から独立して行政や司法の一部を行使する。「政治的中立の確保、長の指揮監督を受けない」ことが行政委員会の存在意義になっている。戦後の遺産としてできたものだが、その公正、独立の地位が軽薄化されている。市役所へも4000を超える意見が集中したということだが、黙っていれば「気にいらない人」の策略通りになると考えると空恐ろしい気がする。

 「生きろゲン!」と称したNET署名は21000名を超えたとのこと。過日署名したが26日に署名を提出したらしい。教育委員会開催日に間に合った。

2013年7月28日日曜日

誰から誰を守るのか

 原発警戒部隊は「最後のとりで」 警察庁長官が激励(東京新聞WEB共同)との報道があった。警察庁の米田壮長官が東京電力福島第1原発でテロリストによる襲撃などに備えて第1、第2原発を警備している県警の銃器対策部隊員らに「原発防護はいくつもの措置の組み合わせによるが、諸君は最後のとりでだ」と激励した。
 この銃器対策部隊は原発事故前から、サブマシンガンやライフルを携行し、交代制で24時間、原発や関連施設を警戒しているという。「テロリスト」なるものの存在を想定してのことというが、一体だれがそんなところへ行くのかわからない。それ以上危険なところはないというところにわざわざいって、原発の放射能拡散対策を妨害?

 他国からミサイルが飛んでくることを想定内としているのは、それさえも疑問のうえに、対策などできていない。発射されたノドンの追尾、破壊もできないのだから。国内のテロリストとは誰なんだろう。まさか国会前の「原発無くせ」の声にテロリストの幻影をみているわけじゃないだろうな。

 「在日特権を許さない会」が在日韓国・朝鮮人に「ぶっ殺せ」などという相当過激な言葉を叫んで、デモが繰り返されている。そんなことはやめよう、という働きかけのアピールもされているが、テレビに映る様子を見ると、機動隊がそのデモを守っている体勢をとっている。これまでの体験では、デモに対しては規制の態度しか見たことなかったのに。
 これも誰から誰を守っているのかという点で、おおいに疑問だ。デモは表現の自由の大事なものだが、「野放し」にはならないだろう。検察・警察への信頼が、不祥事の多発や発覚する冤罪事件で薄まるばかりでは、よくない。


18日朝日社説

2013年7月25日木曜日

東ちづるさんのインタビュー(週刊金曜日)

 ブログのネタは、思いついたときにNETや新聞記事やらで、メモしておくようにしている。でもこれが、時間がたつと使うのが嫌になってくるのが、通例で、ほぼ使わないことが多い。毎日のようにあたらしい事柄が、伝えられてくるから、古くなってしまうということもある。今はともかく事件、事故が次から次にでてくるから、一つに拘っていられない気がしてくる。

 そんなに忙しい「身分」ではないのだから、急ぐこともないのだけれど、物事そこに留まらず、昨日見たことが今日はちょっと違ってしまったりしてしまうから、うっかり気を抜けない。Facebookの投稿なども、よい情報が沢山あるから見ないでおくわけにもいかないし。


Facebookの投稿から(Nさんの投稿)=23日。
先ほどの東ちづるさんのインタビュー、出来る限り転載し直しました。

週刊金曜日臨時増刊号 
「憲法 あなたにも責任がある 知らなかったじゃすまされない』

 まず、なぜ日本国憲法を変えなければいけないのかがわからないんです。憲法審査会で、改憲派の議員が今の憲法を「理想主義」だと表現していました。それが否定する理由になっていることがとても怖いと思いました。
政治家の人にぜひお願いしたいです。「理想」を掲げてください、高い「理想」に向かって政治をしてください、と。

 アベノミクスなど、多くの人が目の前の"エサ"にとびつきたい気持ちはわかります。しかし、私たちは50年、100年先の日本人の先祖になるわけです。「あのとき憲法を改正していなければ、こんなことになっていなかった」ということは避けなければなりません。
自民党の憲法改正草案では、「公が重視されていますが、「公」ってバケモノだと思うんです。「公」を作っているのは「個」ですから。

国を強くしたい」と言われても、「国って何? 何のためなんだろう」って思ってしまうんです。スローガンの表現は上手だと思いますが、私たちはその言い回しを読み解く力を身につけなければなりません。
政治は生活です。逆にどうして表現者の人たちが自分の意見を表現したがらないのかが不思議です。「何とかしてもらおう」という依存した気持ちの表れかも知れませんね。


自由に発言する社会を実現するために、「青い」と言われようが、私は自分の言葉でも表現し続けたいと思います」憲法が理想主義で何が悪いの? 政治家には「理想」を語ってほしい 。




2013年7月21日日曜日

祭りごとの選挙に惹かれて演説会

 選挙戦の最終日。自民党の演説会に行って見た。30分も前からかなりの人たちがあつまっていた。高齢者が多いのだろうと思っていたら、意外に若い人たちも混じっている。前段の30分は、区議団のナントカ選対とか、都議団の選対とか、衆議院のとか入れ替わりで、挨拶をする。政策めいた話はなく、…は危ないからよろしく頼むという決まり文句が続いていた。内容がそういうものだから、聞いている方も拍手がまばらでいわゆる盛り上がりという雰囲気ではなかった。

 地元選出の衆議院議員が、候補者の手を取ってよろしくお願いしますと頭を二人で深々と下げても、拍手がいくらか上がるだけだ。石原のぶてる氏が登壇すると少し反応が変わって、拍手が少し多くなる。盛り上がりを感じない(いつも見ているほかの演説会と違う)変な雰囲気を感じながら、候補者がしゃべるのを聞いていると、聴衆はこれにもうなずくでもなし、拍手をするでもなし、ちょっと違和感があった。

 都議団の名前を人ひとり紹介して、会場に来ているということだったから、そういった関係からの動員もあるのだろうか。候補者は、安倍首相と一緒にやらしてくださいというのが、大まかの趣旨。道徳教育が悪いだの、国際貢献ができる日本を創るだのと、民主党がじゃましてできなかったことをすすめて、捩じれをなくしてアベノミクスでやればよくなるという話だった。

 安倍首相が登場して、ちょっと雰囲気がかわってくる。民主党がやれなかったことを六カ月間で、為替と株の上昇に転じさせたと自慢し、大企業68社で7%のボーナスが支給されたから、この方向でやればもっとよくなるというもの。焼肉食べたら注文の品数を増やせるとか、ビールをもう一本飲めるとか、乗せる話題で「景気回復」をアピールした。領土問題はさらりと流し、憲法改正問題や原発には直接言及しなかった。経済が回復すれば税収が上がると、消費税増税にも触れなかった。不利とみているのだろう。保育園を増やしますというのも「女性のために」と付加しながらアピールした。国会で共産党に追及されたことが効いているとみえた。

 話っぷりがうまいから、役者に見えて聴衆の方も安倍首相の演説に反応が違っている。それでも大拍手などということはないが、何本かの日の丸の旗と、どういうわけか真紅のハンカチを振っている人がいた。これもほんのわずかだったが。聴衆はもちろん意識的な人たちがきていると感じたが、30代くらいの若者が「東京はAと、もうひとりえーとB。5つくらいの議席だから、二つくらい取るんじゃない」としゃべっているのが聞こえた。壇上から3000人くらいと言っていたが、映像用のカメラが6台くらい使われていた。「安倍人気」ということがどう出てくるのか、東京は(というか大都市というか)選挙結果では、タレント的候補者が当選することがよくあるから、その影響がでるのかどうか。