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2019年5月14日火曜日

うす緑色の葉が山中で映える快感


 この時期の草木は淡い緑の色がすばらしい。自然の懐に入ると日常の憂さから解放されて心地よい瞬間になる。山道を歩けるかが心配だったが、雪でほんの一部だけ残っていて、通れなかった車が走れるだけの足場の良い道だったので、5時間ほどの行程も気分も楽に周囲を眺め、楽しみながら歩いた。

 その分だけカメラが使えなかったのが返す返すも残念だった。今を「時めく」スマホのカメラ機能で、その替わりを果たしてもらったのが慰めだった。イワナつりは渓流を歩くのも心もとないし、連休明けでもあり難しいものと思っていたので、流れに仕掛けを投入すれば半分は釣りの目的が成就する。「大漁」はまずありえないというのがこれまでの経験からも考えられることだった。

 渓流で友人と別れて釣り、先に上がって待つ間、周りを見渡して、スマホ写真のターゲットを探した。自然が作り出す造形は面白いものだ。そこに気が付いたのも今回の成果だった。















2017年5月10日水曜日

山麓の移ろい

 もう、岩手山の雪もさすがに、融け急いでいるようで白い雪だったものが、汚れたかのように黒っぽい肌を見せ始める。それでも頂上に雲を頂いて、次々と送り出しているように見える。溶けだした雪は山麓にあるやがては田植えが始まる場所まで運ばれてくるのだろう。

 朝方は冷蔵庫の温度くらいの冷たさでも、昼過ぎには日向はぽかぽかとあったかい空気が蔓延する。お隣の桜もそれとばかりにどんどん蕾を膨らませて、競争を始める。山麓生活のバタバタいやちょっと重いゴタゴタを慮ることなく、季節が移ろっていくのを体感する。これおも幸の物差しをあてて喜ぶ以外にない。





2017年3月19日日曜日

山から下りてマキを運び、床屋に行くアナログ生活。

 岩手山麓にまたやってきた。上ってくるまでの道路に雪はまったくないが、山林が生えているところに入ると、圧雪されたところが急に現れて、轍部分だけが溶けて道路面がみえるようになる。国道のほうは、車が頻繁にエンジンの熱を吐き出していくから、すっかり雪はなくなっていて、やっぱりこの排気が温暖化に貢献しているのがわかる。

 家は床暖房があるのだが、零下から冷蔵庫並みの温度では、ちょっと寒さに耐えられない。しゃれこんで買った暖炉にマキをくべて、空気を温める。くべるのは97歳のオヤジの仕事になっている。山小屋程度の2Fはこのおかげで「南国の雰囲気」を味わうことができる。でも、最近は燃やすことに熱心のあまり、マキの消耗が激しい。それとマキの出来が良くないのか、なかなか火がつかなかったり、燃えてもすぐに消えてしまったりで、まだ部屋が温まらないだろうと、奮発しているからだ。

 昨日はそのマキが底をつきそうなので、山から下りてホーマックで購入することになった。ホーマックでも近くのところにある店には置いていなくて、町中の店まで行かなければならなかった。従業員さんが二人がかりで、軽自動車に運び込んでくれた。

 今日は床屋に行くというので、十数キロはなれた理髪店までで行くことになった。もしかすると、もっと近くにあるのではないかと思うが、以前に出前出張できてくれたところなので、気心が知れているということなのだろう。

 理髪に40分ほどかかるという言葉を聞いて、散歩に回ってくるとことわって外に出た。すぐそばに愛宕神社があって、山に向けて階段が見えたので登ってみた。「忠魂碑 山本なにがし」という碑があり、今は訪問する人もない寂れた社殿が静かにたたずんでいた。

 余った時間は山を下りてから北上川に向かって歩き、岩手山の全景が見えるところで、数枚スマホ撮影をした。北上川はたっぷりとした流れが、雪解けの水を運んでいた。理髪終了時間があと15分ほどになったので、理髪店目指して歩き始めた。











2012年5月20日日曜日

今年は気候がおかしい

 気候が荒れ模様なのは、身の回りでも感じる。岩手山麓はいつもよりも寒いと言っている。この時期には床暖房を使ってぬくぬくと過ごしていたのに、今年は靴下をはかないと寒くていられないという状態だったと言う。


 そういえば4月の始めに、オタマジャクシが泳いでいたのを思い出した。カエルは早く出過ぎて、「フライイング」だったらしい。その直後にまた大雪が降ったし、そのころ出ていた蕗の薹も一度でるのを止めたらしい。


 4月末頃まではまだ花を出していたから、時期を合わせるのが大変だったことだろう。今はすっかり伸びて、タンポポみたいに綿帽子を飛ばしている。とっくに伸びている蕗を取りにいって、東京へのみやげにした。
4月3日
 4月3日
 4月6日
 5月8日

2012年4月24日火曜日

春のやまい


 仙人が腰の痛いのが治らないというので、整形外科に行った。わが身も実は足首が痛かったので、昨日一緒に行こうと行ったのに何とか理由をつけて行かなかった。

 今日になってやっぱりおさまらないというので、整形外科をネットで調べてでかけた。レントゲンを撮ってみて、腰椎は大丈夫そうで筋肉痛だから痛みは引いて行くでしょうということだった。

 10日ぐらい前の強風で「雪囲い」が飛ばされたので、片付けようとして腰を痛めていたので、脊椎でも痛めていたらと気にしていたが、身体の状態がわかってよかった。

 医者に年齢を聞かれ、92歳とは信じられないといわれて、気分を良くしたのも効果的だったかもしれない。仙人は胃の薬を飲んでいるので、痛み止めはやめて湿布薬だけもらってきた。

 わが身のほうはどうも痛風の炎症らしい。15日の釣りで立ち通しだったのがきっかけになった気がする。従来から尿酸値が少し高めだったので気になってはいたが、ここ三年くらい炎症が出ていなかったので、だんだん注意心が薄らいでいたようだ。

2012年4月9日月曜日

仙人の暮らしは厳しい


 岩手山の登山口に向かう道は、見たところ雪が溶けているようだった。この本道に出るまでの小道が、ぬかるんでいてまだ雪を残している。そこだけぬかるみに入らないようにと、ウオーキングシューズで出てきたので、快調に歩いて登っていった。前方に何か見える。だんだん近づいてみると除雪車だ。道路の脇に車輪が入ってしまって傾いていた。

 前回雪がまだ残っているときには、木が道路に倒れかかっていた。まだ、通行止めの時期だった。

 先週は、強風のために木が折れて電線に倒れかかって、切れそうで危険な状態に見えた。その電線の行く先は一軒家だったが留守。ちょうど隣の人が外にいたので事情を話したら、その家のポストにまで行って、電気料金の請求書を見てくれた。請求書に載っている東北電力に電話をして、現地の所在と電信柱の番号をしらせた。

 昨日は牧草地にある堆肥施設の屋根が飛ばされていたのを見た。今期は特に酷いのかも知れないが、自然のなかの暮らしも大変なものだ。仙人になるにはこんなことで驚いていてはダメなんだろうな。







2012年4月8日日曜日

釣り場探索、あった。


 晴れた。朝の気温は、東京と5度の差だった。暖かくなってきた証拠かな。いよいよ岩魚釣りができるかと、ひととおり朝の仕事を済ませて、車で葛根田川に流れ込む沢を見に行った。

 以前、雪があるときにやってみたところに行ってみたら、やっぱり雪がしっかりと積もっていて、水の流れも多くない。雪の縁からやっても、こちらの姿が見えてしまって勝負にならないから、やるのはもう少し先になりそうだ。

 もうひとつの場所、有根沢は雪で入り口さえわからない。道路から少し入り込んだところなので、もう2週間前後は無理かも知れない。もっとも、スキー場と同じくらいの標高があるところだから、天候の荒れたドカ雪の後では無理なのだろう。

 午後からは歩いて、「下界」の方へ行ってみた。ウオーキングがてら見つけていたところを、覗いてみたら、雪は溶けてはいたが、なんと雪の重みで雑木が沢に倒れ込んでいる。雪が溶けているところにはクマザサが頭をもたげ始めていて、まさに藪の中。なかなか難しいものだ。

 農場があるところまで行ってみると、南向きのなだらかな丘陵は雪がほぼ溶けていた。緩い谷を流れる沢が、ちょうど水の量が良いようだった。朝方だと雪解け水が少ないから、状況は変わるだろう。釣りができそうなところの当てができたので、今日の探索は成功。

2012年4月3日火曜日

釣り場を見て、フキノトウ摘み

 ここ数日は5000歩程度しか歩いていなかった。昨日から強風で荒れる天気になると、気象庁が記者会見で注意を喚起していたので、なにか変な気がした。気象庁がこれまで記者会見というのをしていたのだろうか。官庁だからやる記者会見をやること自体はおかしくはないけど。


 それで、こちら山麓は午後から荒れるということなので、午前中早めに外に出て歩きだした。気温が上がってきているので、道路の雪は少なそうだったが、ほどなくやろうと思っているイワナ釣りの小沢をのぞいてみたい気がして、長靴で出かけた。


 3か所ばかり、水の流れ具合を見てみたが、水が増えているところもあり、雪解けが入っていないところもあり、様々だ。しかしこれから先は雪解け水が増えて水量はもっと多くなる。標高は400メートルくらいあるが、人家や畑が造成されているから、やさしい渓で、落差は小さい。


 かといえ、もっと下流に行けば水の流れは多くて雪が溶けるまで難しい状況になる。どこいらを入渓場所すればよいか、じっくり地形を眺めながら歩き回った。


 帰りがけに、一昨日採れたフキノトウのでている場所へよって、雪の切れ目から出ている若芽を、ビニール袋にいれて土産にした。一昨日採ったフキノトウは、調理にちょっと失敗して苦かったので、もう一度やってみることにした。


 このレシピもネットで見てみたら、いろいろなやり方があるようで、何回かやってみてうまくなることだろう。なんでもそうだけれども。かくして歩数計9000歩を超えた。

2012年3月15日木曜日

上越市の地滑り

 上越市板倉区国川は頸城平野の際にある。頸城平野は、地図で見ると見渡す限りの田園だ。上越市が出身地である我が年寄りは、「上越市の」としか言わないテレビ報道にどの辺だろうかと心配していた。


 新聞には地域名が書いてあったので、グーグルの地図検索にかけてみると「航空写真」では田園風景が見える。親戚のあった新井から東10キロ程度のところだと、パソコンをみせると「ふーんそーか」と安心した。


 平野が山にかかる際にある。道路より山側に建てられた家なのだろう。家の裏に3枚くらいの田んぼがあってその後ろが山になっているようだ。


 様々な事情があってその位置に「新築」の家を持ったのだろうと思うが、こんなことになるなど想いもよらなかったことだろう。板倉区国川は、山と平野のほんの間際だから雪解けのころは水が多く出ていたと考えられる。際には沼地が細く点在しているようで、水流となって支流をつくり、関川に合流して、直江津港まで流れていく。


 元は田んぼだったところに家が建てられたのだろうか。これも「減反」ということがかかわっているのではないか。考えすぎかもしれないが、全国4割でも減反を迫られた田んぼの処理の結果だとしたら、これも政治が絡んでいることになる。田んぼのままだったら被害が違っていた…。