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2019年1月30日水曜日

ぼーっと生きていない証拠を報告しあう同窓会

 先週、職場をとっくに卒業したメンバーの「同窓会」があった。1年に一回、日程を固定して、集まることにしている。ほとんどが70歳を超えているので、参加できないメンバーもいる。今回は新しいメンバーが参加されて、歓迎をうけた。一年間の生活の報告をしあうのが恒例になっている。

Aさん
30年間で旧職場から他職場へ移動、民間になった…センターへも。月に500キロを自転車で走り、体力維持。シルバー人材センターで2年、来月から夜勤が入る。病気は盲腸と腸閉塞。
Bさん
保育園理事、団体の役員をしている。特に病弱でもない。(Cさんがかかわった)先日の講演会はとてもよかった。満員でいいできごとだった。月1回、退職者会の囲碁の会に行っている。
Cさん
運動していない。先日の講演会は会場が1200人だったが、一杯になるのは美空ひばりくらいと言われた。9月中秋の名月に中国旅行に8人で参加した。ひ孫が5月に生まれた。姫路で生活している。
Dさん
たまに離れたところに行って歩くが、毎週歩いている。3年前からクロールを泳ぎ、今はバタフライに挑戦中。医者は止めているが。
Eさん
腰回りに痛みがあり、調べたら腹部動脈瘤だった。力仕事はダメと行動制限がある。4月から孫の送りだしを辞めた。8000歩を目標に歩いている。
Fさん
母親が亡くなったので後始末している。今は…でインストラクターをしている。スペインに行く予定。仕事は週4日。沖縄旅行はでぜひやりたい。
(「早くやらないとドクターストップになる」の声)
Gさん
危険を感じるくらい忘れることが多くて。免許更新は何とかクリアした。3年前だったが、「裁判員」を断った。テニスとダンスをやっているが、目一杯やると翌日動けない。
Hさん
一年間なにもやっていない。自然の変容を感じる。農作業で切り干し大根、サツマイモの作り方は難しい。簡単にいかなくなった。天候を気にしながらやっている。
Iさん
隣にネパール人がきて、うるさくて建て替えすることになった。ストレスがたまったらしくて、腰が痛くなった。医者の薬はめまいがする。武道は続けているが、「ときめき」がなくて…。昼食は自分でやる。
J
「上海旅行で70歳以上は指紋採らない」「ネット回線の申し込みで70歳超えは同居の家族の同意」ということが起きている。親父がなくなって散骨をした。

体調が悪くて参加できなかった二人、活動が重なった一人、北陸で湯治中の一人も加えて、ひ孫、忘れ、体調などのことが、今回のキーワードで記憶に残った。自覚も込めて、老いることへの対峙を感じた同窓会だった。

2017年5月29日月曜日

芽吹く季節の到来、生命の躍動を実感するとき

 もうアレヨアレヨとみるまに、桜の季節も通り過ぎてしまった。田んぼは雪融けの水を待っているし、山の眺めは雪がどんどん解けだしているようで、黒っぽい山肌が広がっていく。田起こしをする農作業の人たちが動き出すと、どこも静かだった山麓もいよいよ春の息吹をかんじることになる。ちょうどフキノトウが伸びきって、出たての頃のウキウキするような春の装いのページがめくられるときになる。頭の中では稲のちょっとだけ伸びて、風になびくあの姿が目の前にちらつく。大地に命が噴き出すように、うっすらとした緑のじゅうたんがそこかしこに敷かれると、感動と躍動の思いに浸ることができる。







2015年10月24日土曜日

食べるのか食べないのかが悩ましい

 岩手の親父のところへ行って逗留する。その間従妹が山形へ行って免許証の書き換えをすることになっていた。おやじは最近おかずをあまり食べなくなっていて、なんでも箸をちょっとつけるだけだ。もともと好き嫌いがあるのかもしれないが、漬物と肉類とご飯だけは食べる。釣りが好きだったのに魚をあまり食べない。今はシャケの切り身くらいだ。

 二人きりで食事をすると、従妹が用意していってくれたものは、なんとなく自分が多めに食べてしまう。食べ物は残してはならないという教育とアルコールによる食欲増進が、そうさせる。半端になったものは捨てるわけにもいかない。自分とて自宅ならば、食べたいだけ食べると言う我儘が多少は可能だし、口に入る量は多くは必要なくなってきていることもたしか。

 連れ合いが懸命に作ったものを、年寄りはほんの少しの食欲しかないものだから、口になかなか運べない。だから穏やかでなくなるのもわかる。我が身も、塩分だの、いやその前にアルコールだのカロリーだのを、控えめにというダイエットの圧力が立ちはだかっているのだから、なるべくは口に入れないようにと、闘いを避けることはできない。

 食だけで軋轢が起きてくるなど馬鹿なことだが、毎日のことゆえなにか折り合いをつける方法を捜さなくてはならない。従妹が山形から戻ってきて、土産に親父の好きな「納豆餅」を購入してきてくれた。ところが、歯が抜けていて食べたいが食べられないという。歯の詰め物が取れてしまったり、抜けたりするのもしょっちゅうだ。こういう状態も食べることの障害になっているというわけだ。おかげで、自分も好きな納豆餅を余分に食べることになった。うれしさ半分というところだ。餅は旨かったけれども。従妹が少々太目になった事情がこれでわかった。










2014年10月5日日曜日

危険なところに行くとき

 御嶽山の捜索活動に、総理大臣の声ガカリで自衛隊が派遣された。御嶽山の噴火活動と降雨によって、活動がたびたび中断された。マスコミの報道は、自衛隊の活動ぶりを露出度をあげて流していた。自衛隊だけでなく、警察も消防も地元の自治体もことに対応していたのに、自衛隊だけがやっているかのようにさえ見えた場面もあった。
 
 注目の自衛隊員が、足元を滑らせながら心肺停止者を運ぶ姿を映像で何回も見ながら、その苦労は感じ取れた。しかしその捜索救助活動は自衛隊だけでない。そういう報道で、警察、消防で同様の仕事を担った人たちは、一言あったのではなかったろうか。

 地下鉄サリン事件のときは、消防隊が防毒ガスマスクをつけて救助活動をしていたのを記憶しているが、御嶽山でもその「防毒マスク使用」である程度の活動をできるのではないだろかと思っていた。硫化水素ガスに対応したマスク(簡易なもの?)をつけているのは見えた。そんなものでは効果が薄いだろうと見た目でもそう思えた。有効な防毒マスクをつけた大仰なスタイルで、山腹を歩き回るのはできないことなのかもしれないが、そもそも安全な装備があるのかどうか。テレビで見た画像と新聞からは読み取れなかった。
 
 危険であってもやれというのは、乱暴すぎるだろうが、そのあたりの判断をしていることとは思うものの、どうなのだろうか。報道が一面的だと想像たくましくする以外ない。軍隊なのだから、どんな所へも「戦闘」であるなら行くのが当たり前で、そうでなければ成り立たないという解釈も成り立つ。その論が現れた。もちろん一般的な常識からそう論じていいと思うわけではない。


 命に係わることなので…ということが合理的に説明されるなら、それを踏み越えてやるべきことではない。しかし自衛隊の場合、かつてのイラク戦争のとき 
「派遣される自衛隊員に対して、任務中に死亡した場合、国は弔慰金の最高額をこれまでより3000万円増やして9000万円支払うことを決めている。さらに首相から払われる褒賞金の最高1000万円を合わせると1億円となる。さらに、多くの人が加入している防衛庁職員団体生命保険や国家公務員災害法のもとづく報奨金をあわせれば、さらに数千万円上乗せされる。そのうえ、サマワの自衛隊基地の外での警備員などに特別手当が一日2万4千円が支給される。」という命がけへの扱いが処遇された。


 この憲法に反した「軍事行動」参加による場合と、他の場合とは違うとされたし、自衛隊派遣の命の代償とは違うことはわからないわけでもない。しかし命の重さは変わるわけではない。今回の際の扱いはどうなのだろうか。一定配慮が当然あってしかるべきと考えられる。隊員の命の安全は否定されるべきでない。ただ、だから安全のために「消極的な捜索活動」になってしまったら…。警察や消防も含めてその処遇はきちんとされるべきだし、そのことも心肺停止者に一刻も早く近づける条件を整えるひとつにはなったのではないか。


 書いているうちに、命との引き換えに金が用意されていれば「やれ、行け」みたいなことになっていることに気付いた。本当に硫化水素と爆発、土石流の危険を考慮したということで、捜索活動を保留したことが実態的に運んだのかどうかの夢想にさいなまれてのこと。ことを外しているかもしれないが。




2012年8月22日水曜日

命尽きるまで山越え

 岩手の仙人が夜間にトイレに行く途中で転んで、歯を折ったと従妹から連絡があった。食欲もあるというから心配はなさそうだが、暮れ以来腰を二度も痛めたりして、危なくなったものだ。高齢によるところなのでやむを得ないこともあるのだが。

 こちらの義父は、見舞いでみたところちょっと不機嫌に見える。強心剤の点滴も止めて、心臓に負荷をかけているということだ。人工呼吸器もはずれたので、心臓も含めて自力で働いている。身体はきついのだろう。

 入院前に歩行器でようやく歩いていた状態だったから、その上の状態には回復しないと何回も説明を受けているが、今後はどういう看護になっていくのか、できるのか、リハビリを含めた病院との関係など、考えなくてはならないことが続く。

 手術自体も危険だし、いくつも危険な山があると医師から説明をうけていたが、冠動脈の血管を修理して以降一路順調に回復してくると大丈夫なんだなという気が大きくなってくる。日ごろは「医者はあてにならない」と悪口を言うことが結構あるが、こういう優れた機器を使ってかつまた篤い看護で具合がよくなってくると、信頼の気持ちが湧いてくる。

 体中に心臓の補助や呼吸のためのパイプ、輸血から栄養剤、強心剤などを注入して、モニターを4台もつけていたころから想像もできなかった。 

2012年8月16日木曜日

生命の重み感じて

 半分眠らされて安静を保っている義父。付けられている器具が沢山で、痛々しい。なにか言いたそうにするが、咽喉にパイプが通っているからままならない。刺激をしすぎると心臓に負担をかけるから、声掛けも控えめにする。

 モニターに囲まれて、画面を見ながら作業する看護士さん。その数三つある。心筋梗塞を直すのが目的の今の治療だが、自力で生命維持をさせるための補助装置。命の重みを感じる。

 それにつけても、命を粗末に扱うことが多すぎる。危険な原発の稼働を、承知でやるのも生命の軽視。命が大事だと思い知った戦後を思い返すことも大切だ。「反省ぬき」に歴史を振り返る報道も多い。ここにも、生命の尊厳への考え方が問われている気がする。

 大津市長が襲われて、怪我をした。いじめをなくす対応に、責任をもっていることは確かでも、暴力で解決するというのは「絶対にダメ」という発想を持たなくてはいけないのだろうと思う。

 魚釣島上陸で、摩擦が起きる。この機に乗じて、警察のピストルの数が少ないだの、巡視艇の作りが弱いだのと動き出す、議員もある。正面から話し合える政府ができないといけないのだろう。

 危機を煽って「武力行使」などということでは、「命」の軽視に陥ってしまう。