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2025年6月19日木曜日

米づくりは自然と共生してきた

モーニングショーでコメの生産量を増やすのに、「乾田」でも生産ができるようになっているからそれで増やせるという話がでていた。乾田で作る技術がどうなのかは知らないが、なんと皮相な発想だろうかと気になった。(生産調整という)減反を55年もの間続けてきた結果、ついに生産量が需要に追いつかないまでになってしまった。農家に所得を補償し、消費者の負担を軽減してきた食管制度をなくしたのも、とりわけ小規模の農家を持続不可能な状況に追い込んだ。

田んぼの果たしている役割はとてつもなく大きい。降雨による水の利用によって、水量を調整する「ダム機能」が水害の予防になっていることは、よく言われている。そして田から穏やかに染み出して川に戻る水の循環は、河岸に生息する生き物たちが生きる豊かな環境を作っていた。

いまや豪雨時のもっぱら「放水」を役目とする河川改造で、雨は一気に下流へ降下する結果、あちこちの河川の普段の流量は悲惨なものになった。むろん多くのダム建設が原因になっていることも見過ごせない。米づくりへの希望を奪って、「耕作放棄地」を作ったのはだれだ?

自然との共生から遠ざかって痛めつける有様が、気候変動を呼んだのではなかったのか?佐渡で絶滅危惧種のトキ養殖をしているが、餌が少なくてなかなか育たなかった。エサを確保するため、田んぼに水田魚道を作った。川から田圃への通水路をつくったことで、田んぼでトキの餌になるドジョウなどの生物が生息するようになった。そしてトキが繁殖を始めたというニュースは最近だ。

自然を回復させることへの舵切が大切だと教えられることだった。白鳥は落穂と水草、水生生物を餌としている。「乾田」ではそういう冬の風物詩もなくなる。

山間部は小さい田んぼが多い






 

2024年9月30日月曜日

森のクマさん

 🎵ある日森の中 熊さんにであった 花咲く森の道 熊さんに出会った~

クマが「人里」に現れて食糧を探すというニュースがあちこちにある。昨年一年では198件もあって、人が襲われるということが多くなったと聞くと、クマの顔つきがだんだん悪く印象付けられる。ダークダックスのこの歌は、意識されていたかどうかはわからないけれども「共生」状況を捉えたものだろう。

「共生」は口で言えても簡単にはいかないことが多いのは確かで、クマの問題に寄らず存在する。いま人間の側がクマの被害者になっているのは、人間側が人以外の自然界への介入が原因とみることができる。秋の食糧の実りが悪いのは、なにより温暖化の気候変動が影響している。そのうえ山が放置状態になっているところが多くあり、山里の環境=高齢化農業放棄も、クマの生活エリアを広げる原因になっている。

クマによる被害は、加害者がクマであっても、人間の側のこれまでの所業を考えると被害者の顔だけでいるのは厚かましいと思う。でも今の状態を解決するのは容易ではない。人の「戦争」であれば止めることは、物理的には可能で「止める局面」を作り出せればいいが、相手がクマでは同じ土俵がない。

クマの生息数が増えているのが分かっているはずなのに、それらしき対応がずさんなのが報道でわかる。ある程度の「管理」的対応が必要なのに、まったく一部のこととして「知見」として生かされない行政の対応が一番の問題ではないか。クマが人の生活圏にきて、人の被害を生み出したら、駆除するだけのことでいいのか。国でも少々のクマ対策の人員はつけているらしいが、これまた自治体職員はこれでもかというほどの人数に押し込められて、対応の困難さもある。

「共生」の見地を議論しながら、対策に動き出すことが必要に思える。それにしても「総裁選」の発言で温暖化、気候変動への政策が全く出てこないのは、どうしたことだろうか。

森のくまさんの替え歌があるそうで、全国にバリエーションを違えて広がっているらしい。


これも「加害者」的なトーンではないのは、現在と違った状態だったからだろうか。

岩手県の豊沢川に行ったときに、クマさんの目を盗んで拾ってきたクルミ。なぜか9個でも総裁選には関係ない。