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2023年11月27日月曜日

江田島は旧海軍の歴史が残されている

 江田島湾(江田島)は広島市に向かって口を開けたようになっている。湾から出たところに厳島が左側に見える位置になっている。湾の中央部あたりに海上自衛隊の基地がある。グーグル地図で見ると海上自衛隊幹部候補性学校、技術学校などのほか、戦艦「陸奥」の主砲塔、旧巡洋艦「明石」マストなどが見える。長居はできなかったが、基地となりの町に入って回った。洋服店が自衛隊用の用品専門なのは場所がらのよう。呉の「海軍」の歴史を背負って時間が流れていることが感じられた。











2023年11月16日木曜日

旧海軍工廠の歴史が見えた

 明治時代に軍事態勢を築きあげるために、呉に海軍工廠が作られた。

呉軍港空襲

19456229時、B-29290機が飛来。海軍工廠関係の死者は約1900名。

19451015日呉海軍工廠廃止。

1945年 株式会社播磨造船所が呉海軍工廠跡に呉船渠開設。

以降、曲折を経て石川島播磨重工業株式会社設立。呉工場での自衛艦艇の建造は無いが、修理はしている。「造船船渠(大和の建造用ドック)」は1993年に埋め立てられ、跡地は工場として再利用。大和の修理を行った「船渠(ドック)」は現存。自衛艦や米軍艦船などが現在も使用中とのこと。隣接する港には艦船、潜水艦が停泊して、見学をさせている。海軍工廠があったことで働き手が増えたものの、明治時代から湾岸は軍事用の施設が優先されて、戦後も「占拠」しているので、住宅地は山際の狭い傾斜地に追いやられているのが写真を通して分かる。呉市街には潜水艦の内部を見学できる施設が「観光場所」として案内されている。










2023年11月11日土曜日

呉の旅、「日新製鋼」の赤茶けた色の工場を撮る

 広島県呉市の日新製鋼(株)(旧海軍工廠製鋼部)は今年9月で操業停止鉄。戦後鉄鋼産業として呉の街の成り立ちに影響を与えた。この先10年かけて取り壊すという。呉在住の従業員が整理されて市への影響は大きい。このご時世でまたぞろ軍事産業復活めいたことにならないか気がかり。

 三津峰山展望台から撮った景色は、明治時代から呉海軍工廠として軍事優先の時代を過ごし、戦後も一帯が製鉄工場、造船所、海上自衛隊で占められている。造船所は曲折を経てはいるが、石川島播磨重工業がかかわっている。戦艦大和を建造した技術からか10万トン、20万トンのタンカーを建造してきた。タンカーは「折れる」事故が続いて、大型のものを造るのは止めたと、昔聞いたことがある。