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2020年5月18日月曜日

アマゾンの世話になりたくないけど

 オンラインで写真の合評をすることになり、ヘッドセットをアマゾンから注文しました。この時期需要が多くてしばらく時間がかかるとのことでした。払い込みは「コンビニから払い込み」にして同日メールがあり、すぐに払い込みを済ませました。 

 17日後になって商品はキャンセルというメールがあり、代金は返すとのこと。しばらくたっても連絡が来ないので、チャットで紹介すると「アマゾンギフト券」に返却したとのこと。現金で払い込みをしたのだから、それに応じた返却があってしかるべきと思い、銀行振り込みをするように依頼して決着しました。アマゾンギフト券として処理しい、「返した」との通知もなかったことに苦情を言いました。

これまでも商品の買い入れを何回となくやっているが、「プレミアム会員」になれとの勧誘がうるさく、一度は会員になったものの、会員になっても実利を得ることが少ないようなので退会をしました。そのご何かの注文をした時に、郵送料が無料と言う甘言にのってまたうっかり会員に登録してしまった。会員をキャンセルするのに一か月分をしっかり取られて、商魂たくましさに呆れました。

 新型コロナ感染拡大のおかげで、また売り上げを伸ばしているとか。従業員をこき使って、莫大な利益を上げていながら税金は、それに応じたものを負担していないと言われているので、商品購入ではなるべく使わないようにしているけれども、NET購入の利便さから逃れられない。楽天しても送料出品者負担として、アコギな商売をしているし、わかっちゃいるけどといったところ。ほかのサイトから見つかるときはいいけれども、やむなく利用することも多い。

2019年9月6日金曜日

韓国報道でのバランス感覚

 毎日毎日韓国の報道を続けられて,もう大概にしろと思う。「反韓」とか「半日」というヘイト用語を使って、「たまねぎ男」などと枕詞にいつも使う報道は見ていられない。時期の韓国大統領選挙を前にした、韓国の野党からの攻撃に加わっているようだし、ことの真偽がどうであっても、基本は国内での議論と対応に任せられるべき事柄だろう。

 マスコミが日本政府の目論見に乗って、「それいけ」みたいな報道になってしまっていいのか。韓国のメディアが自国の政治の在り方に、意見や批判をぶつけるのは当然なこと。それに比して日本のメディアがそれを使って、事細かに知らせてくれるのは視聴率のためとはいえ、メディアの軽さと安易さを考えさせられる。日本の政治の様々な汚点を追及もできずにいるのは、マスコミに対する陰陽の脅しで腰抜け状態になっているからだと。

 別の面で思うのは「いじめ体質」がこの社会に色濃くあると思うことで、徹底的に集団で相手を叩くという手法がとられているということ。おりしも親の虐待で幼児が死亡するという事件が報道されているのをみて、「言うことを聞かないと徹底的にやっつける」構図が重なって見えて仕方がない。

週刊ポストの「反韓」記事を書き、批判を受けて及び腰の謝罪をしたが、売り上げを考えて、ここまで書くかと思うと同時に、先日ビデオで見た「2.26事件」のようなクーデターがまた…などと思ってしまった。


 ポスト記事(朝…新聞から)

『嫌韓』よりも『減韓』、『断韓』を考える 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない!」と題した全10ページの特集を掲載。中には、「怒りを抑えられない『韓国人という病理』 『10人に1人は治療が必要』」との見出しをつけた記事も。


ツイッター投稿から


https://twitter.com/ChizuruA1/status/1169075169928761345?s=09

2019年7月8日月曜日

久しぶりに曇天の空に陽がさした


 参議院選挙告示になって、近所にまた不思議な静寂が始まる。この広い東京でも、駅の演説会にでも出かけなければ、政党の選挙政策やら論戦がほぼわからない。わずかにテレビで「討論会」なるものを短い時間でやる以外は、どこかの国でやってるのかなというくらいの「印象」しかない。

 「印象操作」と言う言葉の好きな人がいるが、思えば知らしめないでいる前提での逃げともとれる。おおいにやったらいいのに、宣伝カーの台数、駅での宣伝にも、戸別訪問にも規制がかけられて、結局強いつながりや利益誘導で票を囲い込む。職場ではおしなべて政治活動、選挙活動へは「禁」の状態が、組織を使って保たれる。

 判断できない状態に置かれて、さあ選挙へ行けと言われても投票先は「指示された人」に落とし込まれる。日本の民主主義とはこんな選挙制度に縛られている。18歳になった高校生も政治活動参加へは「届け出」がいるとか。暗闇選挙と言ってもおかしくないかもしれない。だからと言ってあきらめるわけにもいかない。

外交を軽んじて他国と武力でやりあえる憲法でいいのか?
低賃金の非正規者が半数以上もいる日本でいいのか?
男女平等の実現に向かっているのか?
増え続ける生活保護者の生活向上はどうするのか?
結婚し子供が育てられる様々な環境は?
原発再稼働は?
払った税を惜しみなく軍備に投入するのか?
社会保障と税の一体改革でいいか?
消費税率値上げで消費、家計はどうなる?
年金を払えない人をどうするのか?
もらう年金が生活費に及ばない状態をどうするのか?
税金の再配分はどうするのか?
まだまだある。

一票の重みはこんなにある。

山形県東根








2019年3月31日日曜日

「上から目線」ではなく「下から目線」の優位性


 「上から目線」とよく言う。偉そうに上位者であるがごとき言辞を批判して使われる。もちろん「上位者」である場合もある。世の中は競争社会で人より上に立つべきだという思想が、教育を通じても植え付けられるのだから、その観念は身に沁みついていく。

 社会に出てからも出世しなければ「負け組」と、分断を揶揄する言葉さえ飛び交う。「人を差別してはいかん!」の言葉が今は死語か絶滅危惧種になってしまったのだろうか?と言うに応えて「優位者」が言う。古くは「努力したもの」だと…。しかしその結果、相当多数の「非優位者」が手に入れたものが、差別する側の貶めに合うことを享受することだったのか?

 思うのは、平等とか人権とか民主主義と言う理念を身につけるべきということを、認識するに足りていないということ。家族や近隣の人たちは「敵」であるはずはない。「助け合いのコミュニティ」を、あれこれの事情で後景にしてしまった社会が、安心、安全で快活な環境とは隔たりをもってしまったように思う。少なくとも江戸から昭和にかけての庶民の暮らしは、今よりは「仲間意識」に育まれた社会だった。

 ネットで中国や韓国などに対して排外的な言動をする人がいる。これも「上から目線」と同質の分断行為ではないか。日本がかつてアジアで起こした侵略戦争までさかのぼって照らせば、過去のアジア支配の歴史恋しというところだろう。まるで現為政者と同様の位置にいる。

 「上から目線」では昔の苦い時代に無反省のままになる。悪気がない場合もあるとは思うが、なるべく「下から目線」で社会を眺める方が、世の中を正確に見られることが多い。


~ネット右翼とは一般的に、保守的・愛国的な政治志向を持ち、中国や韓国などの近隣アジア諸国に対して排外的な言動を行う人を指すことが多かった。
回答を分析した結果、排外主義的な傾向がある層は全体の21・5%ネットで政治的議論をする層は20・2%「憲法9条改正に賛成」など政治的保守志向がある層は12・8%――だった。
三つの要素を全て満たす人は全体の1・7%。の要素は満たすものの、政治的な保守志向のない層は3・0%だった。永吉さんは前者をネット右翼、後者を「オンライン排外主義者」と分類した。~


2019年3月19日火曜日

50銭2枚は1円ならず、お宝には縁のない生活


 使用済みの切手は、なにか価値があるかのような気がしていたが、それも今の世の中では価値はほとんどないらしい。未使用のものであればともかく、たとえ発行当時の文化を留めていようと、今の世では価値はないものらしい。

 趣味は「蒐集」などとかつては言ったが、しょせん金には縁のないものの慰み事だった。「将来の夢」に意義を見出していただけのこと。記念硬貨もお宝かと思っていたらそんなことは全くない。

 記念硬貨は500円玉などでいろいろなものが発行されているが、商品としての価値は特別高額なものでなければ、銀行で取り換えるだけのことだ。銀行に「両替」に行ったら、両替ではなく通帳に振り込むことを要求された。

 そのうちに10銭と50銭紙幣があったが、現在は流通していないから両替できないという。502枚なら1円にならないのかな?なんて急に惜しく感じてきた。でも、「大日本帝国政府紙幣」など使えない過去のものである方がいいには違いない。




2018年11月18日日曜日

「こんな」世の中に振り回されて時間が飛んでいく


 年を取ったら神様が「もういいよ」と言って、やらなければならないことを減らしてくれる。そのために、「えーと、なんだっけ」とけっしてお惚けでない忘却を与えてくれるものだと思っていた。しかしどうもそうでもないらしいことが、毎日の暮らしの中で現れる。

 若いころの世の中の変わり方は、もっと穏やかだった。時間がゆったり流れていた。新幹線は、金曜日には背広服のサラリーマンが東北方面へと移動(帰省?)する。

 「こんな」とは、まさに困ったこと政治のバカげた有り様や、ニュースで流される不祥事件。人権や民主主義、言論の存在は無きものにされてしまうのかということ。企業の有益ばかりが突出して政治の課題にされることにはあきれ返る。

 新幹線はビジネス特急と言われた。まさに日帰りで使われるビジネスマンの移動速度が、企業の懐を潤す。デジタルの情報とそれを使った「決済」は格段にその速度を速めた。人がそれに振り回されている。

 もう少しゆっくりさせろよ、人間らしさを持たせろよと、そんな気がする。いわきの海はすでに夏を終えていた。でもまだ太陽に照らされて、輝きを放つ。もうじき冷たい風が吹くのだろう。




2018年1月18日木曜日

ご近所の建設ラッシュ

 経団連が賃上げに前向きの検討をしていると報道している。アベノミクスで「賃金に回ってこなかった」ことを暴露することになった。内部留保だけが潤沢になっていることは、マスコミでも報道されるようになったし、個人消費への期待は当然のこと。

 リニア新幹線の受注談合、豊洲新市場の「工事費つり上げ」、オリンピック施設も埒外ではないだろう。都市再開発への傾注など、こんなに前のめりになって資金投入をして、われらの懐と生活が潤っていくのかおおいに疑問を感じる。

 気が付いてみると我が家の近所でも、「ウォーキングコース」で建設ラッシュが起きている。タクワンを漬けるときに糠を購入していた米屋が消えてしまった。カワハギつりの時に餌のアサリを購入している魚屋はかつて近所に6軒あった。いまや最後の1軒も駐車場になっている。新築ビルはマンションだろう。住宅地の道路は人通りが徐々に増えているが、いっそう人が増えることになるだろう。カラスがごみの集積場で獲物を狙うチャンスが増えることになる。






2017年9月22日金曜日

日本語が軽くなってどっかへ行ってしまわないように。


「優性」「劣性」の言葉をやめて「顕性」「潜性」に変えると日本遺伝学会が発表した。さまざまな格差が当たり前のように闊歩し、なくすべき差別が時には煽られる社会で、優劣を想像させる印象を変えるというのは一歩前進というべきだろう。なじみがないからわかりにくさもあるが、世の発展方向という理解はできる。

「組織犯罪処罰法」が2年前に批判を受けながら成立した。この法案が戦前の治安維持法と同質の弾圧法だと大きな批判だった。だから「共謀罪」というもっともな性格を表す言葉で表示されて「残って」いる。マスコミを含め社会が動いたあかしだ。 

 わからないのは「都民ファースト」という言葉、政党の名だけど、トランプ大統領が選挙戦で使った言葉をもじった。横文字で横文字でしゃれたつもりなのだろうか。アメリカは「強い覇者」を受け入れるところがあるから、世界で一番というわかり易い言葉ではある。日本の「ファースト」は何に先立ってファーストなのかがさっぱりわからない。政権党との「競い」で利用したのが思うところに違いない。

 物まねばかりする中国との揶揄がよく言われるが、この話はこういうときは「ものまね」とは言わないものだろうか?横文字なんかに胡麻化されるかと言いたい。そしたらその上がまだあった。
(前置きは、ニュースサイトBAZZAPから)

市場移転問題の方針について「財源や運営費などを検討した記録が残っていないことが毎日新聞の情報公開請求で明らかになっているが、最終判断が知事と顧問団による密室で下されたことが情報公開という小池都知事の方針に逆行するのではないか」と記者が質問。
小池都知事はなんと文書が不在の理由を「それは、私がAIだからです」と回答。さらに「最後の決めはどうかというと、人工知能です。人工知能というのは、つまり政策決定者である私が決めたということでございます」と答えています。

 AIの意味を正確に捉えていないのでは?という解釈しているものの、AIという英語で煙に巻くつもりが、意味不明になってしまったという結果になった。言葉をちょろまかしに使うというあり様が問題なのでしょう。日本語でおしゃべりなさい!

 こうした日本語の使用と、意味の明確化を考えることが、日本の文化を引き継ぐうえで大切なことではないか。わざわざ英語を学ぶというよりも、優先順位は上だろう。英語となると身近な友人でも、英語塾に行くのが流行っているが、後世に伝える言葉は英語だろうかは大いに疑問だ。



2017年9月9日土曜日

バッシングはどこまで行くのか

 政治家になるには、名が通って知名度が高いことが、一番の条件となる。票を集めれば良いからだ。政治家としての資質というのも、ひとつの言論として存在感のあるNET社会に洗われて、どんどん批判にさらされるようになった。たとえ新聞やテレビ報道に手を尽くして、控えさせるということがあっても、不祥事を隠し通すことは難しくなった。

 「色恋沙汰、不倫」は、マスコミ、情報発信方のエジキとして格好の材料となっている。それが政治家となると、日頃の「悪政」の恨みもあるから、報道ネタとしてはすばらしい視聴率稼ぎになるだろう。しかし政治活動の倫理的要請はあるにしても、それ自体が犯罪かのようにまで叩くのはどうなのだろうと思う。

 投票に込められた重みから考えれば、当然ということもあるにはある。「不倫」をこれほどまでに報道するのは異常ではないかと思っていたら、新聞に「不倫報道 なぜこんなに過熱?」という記事が朝日新聞に載っていた。文春が記事元のニュース(山尾氏)では「羽鳥モーニングショー」は約45分だったとのこと。メディアコンサルタントが調べたところ、「不倫」が含まれる在京キー局の番組やコーナーの放送時間はここ2年「異常な増え方」をしているとのことだ。

201427時間42
201521時間29
2016170時間5
2017120時間54

 同記事では、不倫に伴う慰謝料の相場が10年前と比べて、2,3割減だ下がっていると弁護士が語っている。「裁判所が、円満な家庭を維持することの価値が下がっている、と考えているのかもしれない」ということだが

 許せぬこと、寛容との境が時代によって変わるのは肯定するとして、根掘り葉掘りの追及が必要なこと、ほかにもいくらでもあるのではないか。

2016年6月23日木曜日

しかしこんなに早く動く時代ってなんだ その1

 参議院選挙告示日の第一声を、新宿西口でやるので行ってみた。告示の都度行くのが習慣になっている。今という時代の中にいる実感を持ちたいからだ。テレビや新聞、NETで見ている情報がこのとき結びついていく。政治のしかけがはっきりしてくると、わずかでも政治に参加した気になってくる。政治にかかわることがわかってくることは、380円の交通費とは比較にならないほどの価値だ。

 西口は10時少し前についたが、目的の街頭宣伝と違う人たちが占拠している。かち合ってしまったようで、東口に急きょ変えるというアナウンスを頻りとしている。いままでこんなことはなかったから、なんということかと一瞬思った。「先行者」がさっさとやってしまえばそれでOKということも、社会的常識からいえばどうなのだろう。第一声はだいたい各政党が、同一の場所にかち合わないようにしているはずだ。どうやっているかは知る由もないが、法的にというよりはエチケットの範囲で処理していることなのではないかと思う。かなり前から宣伝物で告知がされていることなのだから、少なくとも知らなかったということにはならない。

 その「先行者」のFacebookをのぞいてみたら、20日のニュースには「22日の街宣は新宿西口で1100からやると書いてあり、21日になってから1000からと変更している。一日前に急にぶつかるように設定したわけだ。先行者は中核派だという情報がNETに出ていた。政権の差し金による後ろ暗いつながりを連想させることだった。

 前日の21日に、シールズの呼びかけによる「野党共闘」街宣があった。少し離れた後方から騒音がするので行ってみると、右翼の街宣車が妨害にきて、カウンターの人たちと「舌戦」を交わしていた。警察が「騒音検数機」(名称不明)と思しきものを、がなり立てている方へ向けて計測している様子はわかったが、警察官や背広服の公安の方々は取り締まる風でもない。それよりその街宣に抗議する人たちに、警察官などが規制をかけているのが目についた。「駐禁で取り締まれ」と抗議をしている人がいたが、一般の路駐なら絶対に捕まるところだろう。警察官が、右翼の行動に抗議する人に笑い顔で規制をかけていたが、あの笑いはどういう笑いなのだろうか。

22日新宿西口

21日有楽町






2016年1月28日木曜日

グローバリズムという病(平川克美)の読書会

 予め本を読んでおいて、読書感と意見をだすという集まりで、毎回本を読んで行かなくてはならない。だいたい本が嫌いな自分にとってはやっかいなことではあるものの、新しい本を読むたびに、若い時にもっと読んでおくべきだったと思わされる。最近、「いらないもの」の整理を心がけているにもかかわらず、もう一つの学習会も含めて、本が増えていくということに陥ってしまった。しかし、体験から判ってきていることが、「学習」で裏打ちされると、なんかステップアップしていくようで、これも一つの快感になる。

 今回は、グローバリズムとはということで、アメリカが世界に広めたイデオロギーという定義で、その内容とそこから起こってくることについて述べられている。そのなかで、言語は文化で、多国籍企業が共通用語で英語を使用するということについて、企業同士がコミュニケーションとして使用するのは合理的であっても、自分の母国語以上に重要なものはないと言うくだりがある。英語を使う欧米人も母国語であるが、英語文化の影響から逃れられず、使う言葉はものの考え方や価値観におおきな影響を与えるということで、そこに覇権的なバイアスがかると書かれている。

 日頃なぜ英語なの?ということに疑念をもっていたこともあり、先ごろ読んだ本の内容の一部を思い出した。
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「日本亭主図鑑」(井上ひさし) 
男と女の差について述べたものでそれぞれどんな言葉があるか書き出したもの (国立国語研究所 分類語彙表からとの断り書きあり)

~男子 夫子 漢字 男郎 漢郎 男児 男丁 男人 百夫 万夫 忠実男 勇士 健児 白面郎 玉人 壁人 美男子 愚夫 哲布 小丈夫 鈍漢 木強漢 男聖 年男 他230

~女子 婦人 女人 内人 女流 女性 髪長 鬼女 洋婆 魚婆 好女 玉女 美姫 麗姝 清姫 傾国 仇物 力婦 不別嬪 弁女 700種 

男の3倍もあるとして、「亭主の可憐純情さ」を述べたもの。もうひとつ  取る」の使い方についての多様さを取り上げたもの。読めないものもある。

「折々のギャ句辞典」(夏井いつき)  「取る」が続く言葉として 

本 胸ぐら 手 足 蝉 蛇 山菜 事務 指揮棒 指揮権 金メダル 舵 免許 弟子 月謝 税金 コピー 財布 評判 客 相撲 写真 栄養 お肌のシミ 揚げ足 アブハチ 鬼の首 面一本 年
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「グローバリズムという病」では、英語でビジネスや学問研究をするグローバル人材の育成を、多国籍企業がするならともかく、国の産業、教育政策としてやるのは、国の産業育成や競争力強化のために必要な人材育成ということにならないと断じている。

多様で豊富な言葉が存在し、その意味と風合いを文化として語り継いできたのに、「グローバル化」とその人材育成のため突っ走るのはどんなものだろうかということにつきあたる。桐生で写真を撮っているときに目に入った「方言の暖簾」も、「絶滅危惧種」としてしか残れなくなっているようで気になっていた。


2015年3月31日火曜日

3月末でメール便がなくなる

 廃止の理由は「生活者が突然容疑者として刑事手続きに巻き込まれるリスクを一日も早く取り除き、安心して便利なサービスを利用できる社会を実現するため」とのこと。しかし妙な理屈だ。そんなリスクは郵政民営化の初めからあったのではないか。民営化によって「安いサービス」をと売り物にしていた。率直なところ、送るものの内容を脚色して利用させてもらったことも事実ではある。それは、「いいことだよ」として民営化をすすめた政府に責任はないのか。

送達されないリスクも承知したうえでの利用をしたのに、あえて責任を取らせる議論はいいがかりを受けたようなものだ。それによって相当の売り上げを手にいれたのではないか。コンビニのアルバイトや送達する人の「安い人件費」によって、事業としてなりたたせてきたのだから、どうも屁理屈にしか思えない。

ヤマト運輸=
【法律では「信書と呼ばれていますが、メール便で送ることを許されている「冊子や書類との区別が曖昧なうえ、近年、個人向けにカスタマイズされたビジネス書類の増加によって、管轄する総務省の窓口に問い合わせても、その書類が信書なのかどうか即答できない事例が多発しています。
この問題は、多くの識者が指摘しており、政府も専門委員会を設置し、何度も議論の場が用意されました。私たちもトラブルの予防に努めながら、現実的な解決策を専門委員会に提案しましたが、その度に規制の見直しは見送られました。


相手に送るものが、信書かどうかは申し出以外に把握することはできない。メール便の場合は、送る者にとってさしたる中身ではないものは、簡便に安く送ることができるが、確実に届かなかった場合は誰が責任を持つのか問題は残る。信書の秘密を担保するのは、本来「公」の分野でいいのだろう。郵政民営化のツケともいえるこんな事態を招いたのは、政治の責任が大きい。リスクが発生するたびに、そのツケを回すのは止めて貰いたい。「規制の見直し」提案もなされずにいるのは、結論が出せないということになっているわけだから、なんでもかんでも民営化ありきの責任は大きい。






2014年5月8日木曜日

ロボットの行く末

原発・災害向けのロボットの競技会が開かれ、今年の12月に最終競技会が予定されている。日本のベンチャー企業「SHAFT」が参加している。この競技会は米国防省計画局が主催するということで、軍事用利用が想定されているらしい。勝ち抜けば事業化に向けた資金が手に入る。東大出身者が立ち上げたベンチャー企業は、グーグル社が買収した。

グーグル社はこのほかに最近2か月間で7社を買収していた。ロボット産業は「産業用ロボット」と「サービス用ロボット」に分類されて、産業用では成長産業として発展している一方、サービス用ロボットの方はビジネスモデルが確立しておらずに市場規模が小さいとされている。

グーグルは、商品をグーグルサイトで販売して、当日発送するためのロボット用、工業製品のロボット生産開発、人間の脳の仕組みと同様の自己学習をするロボット開発などを視野に入れている。原料調達から生産、販売をロボットで合理化ができることを狙う。サービス分野では家事、健康管理、医療、介護・福祉が対象とされて、人間の作業時間を削減できることに期待できるとする。
日本で研究、開発されたものがアメリカの企業に利用されることになることは、なんとなく消化不良だし、米国防省の息がかりは軍事兵器として使うことを想定していることには違いないことだろう。ロボットが殺人に使われることになることは喜べない。


商品の生産や移動をロボットがかわってやるようになり、「人力」が削減されることは、労働時間の短縮につながらなければ、貢献することにはならない。またぞろ、従業者の削減になったのではしかたがない。「サービス部門」でもロボットが日常生活の軽減に利用できることは歓迎できることにしても、人力が効果的な医療、介護がお粗末になっていくのではいただけない。








2014年2月2日日曜日

お江戸日本橋は七つ立ち…

 日本橋が陽の目を見るようになるという話。どういうことはない界隈の再開発することによって、高速道路を「動かす」ことを考えているとか。1964年東京オリンピックの首都高建設で、日本橋を陽の当たらない場所にした経緯を反省したわけでもなくて、再開発に不都合にならない範囲で何とかしようかというものなら、いままでと大差はない。

 オリンピックの名のもと陰に追いやった日本橋は、12歳くらいで江戸に奉公に来た少年たちが20歳になって初めて関西に帰るとき、「七つ立ち」をメドにしたという。「初のぼり」は、初めての「帰省許可」があって、従業員の多い大店に帰省する従業員が多くて、にぎわっている様子だった。

 日本橋とて、江戸の働き手の心躍る帰省の出発点だったことを考えれば、江戸の歴史に対して泥をかけたに等しい仕打ちだろうと言いたいところだ。正月の箱根駅伝も本来なら日本橋起点でもと言えるのではないだろうか。東海道という日本文化の道筋を通るのであれば。読売新聞社からという文化というにははばかる事業者の会社の前から出発では味気がちょっと違う。

 「戦災」でなくしものは数えることができないほど膨大だ。それをさておくわけにもいかないが、幸いにも残ったものを日本の文化として丁重に扱っていないことに、問題がないのだろうか。都市集中を誘導する再開発を金科玉条のように扱って、それによって経済が発展するという決まり文句で説得にあたる。そうかなそれではと乗っかっていくことで、どれだけの東京や地方の、身近な地域の文化を壊してしまったことだろう。

 大きくても小さくても、営々と繋がって醸造された文化を、一部の自己都合で簡単に消してなくしてしまうということは、あってはならないことだ。そして、それが当たり前のようにされていることが、人の精神構造に影響を与えている様な気する。

 「戦争への道」が日本の国土も文化も破壊したということを、いつも思い返さなくてはならない。ところが、日本が他国を侵略したという歴史が間違いではなかったという真逆的な考え方が、実は日本の環境も文化も顧みない発想とつながっているような気がしてならない。日本橋が、国の重要文化財に指定されたのは1999年5月。首都高速建設から実に35年後だった。





2014年1月13日月曜日

米大手ソーシャルニュースサイトの「日本のストレス」

 「レディット」という名のサイトで、「日本のこんなところが不満! 日本に住む外国人の本音とは?」という質問した。外国人は普段、日本や日本人に対してどうのように感じているのだろうかということを集約したもの。
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【日常生活における不満】
外国人が日本で日常生活を送る上で、ストレスとなっているものは何なのだろうか?次のような意見が寄せられた。

 「ATM24時間やっていないし、休日には手数料を払わないと銀行からお金を引き出せないよ。ゆうちょ銀行はそこまで悪くもないけど、夜の8時以降に行ったときは、顔をしかめて帰るか、コンビニの機械を使うために手数料を払わなければならなかったよ。

 「公共の場にゴミ箱がないよ」

 「クラブではダンスをすることができない。夜遅くになると、警察官がたまにクラブの中を見に来るんだ。」

【日本人の行動や言動に対する不満】
また、日本では当たり前となっているような日本人の行動や言動も、外国人にとってはイライラさせるものに映ることもあるようだ。

 「人々がドアや建物から周りで歩いている人を待つこともなく、見ることもなく、勢いよく出てくる。」

 「2人以上の友達や同僚と歩いているときは、道いっぱいに広がって歩く。」

 「自転車を運転している老人は最悪だよ。彼らのブレーキはたいてい作動しないから、いつも割り込んでくるんだ。」

日本人の言葉遣い、外国人の扱いに関する次のようなコメントも見られた。

 「新しい人に会うと、日本の食べ物は食べられるかどうか聞いてくる。はい、と答えると、納豆は?海産物は?っていう風に聞いてくる。」

 「箸を使うたびに「上手ですね」と言われるんだ。 アメリカ人でアジア人がフォークとナイフを使って同じことを言われているところを想像してごらんよ。」

 「かわいい、すごい、おいしい・・・といった言葉を使いすぎている。いくつか形容詞を覚えれば日本語の25%が理解できるよ。」

 「忘年会でのスピーチ。3時間の忘年会の中で、1時間はスピーチに費やされるんだ。これが家に帰る言い訳になったらいいのに。皆つまらなさそうに見えるし、スピーチする人もたいてい嫌がっているんだ。なんでスピーチをするの?

日本人にとっては普通である慣行も、外国人にとっては理解できないこともあるようだ。以下がその例である。

 「贈り物の文化。お土産が大嫌い。無駄な包装も好きじゃないし。お土産はたいてい値段が引き上げられているけど、どこかに行くたびに贈り物を買うよう強制されるのは嫌だ。」

 「結婚式では、日本は結婚するカップルに贈り物をする。たいていお金だ。それはいいよ。問題はそのカップルがお返しに贈り物をしなければならないということなんだ! だいだいもらった贈り物の3分の1の額でなければならない。これはバカバカしいよ。結婚式の準備でもお金を使ったのに、結婚式に来てくれたみんなにあげる贈り物まで買わなければならない。」
~~~~~~~~~~

 「日常生活における不満」「日本人の行動や言動に対する不満」は、多分に同様の思いはある。不便なサービスごとに手数料をとられているのは癪に障る。テロ対策と称して、とうとう駅のホームからゴミ箱をなくしてしまった。ダンスをする自由も規制を受けるという、これを当たり前のこととしておきたくない。だんだんマヒしていくが、ただの人として解決する問題ではない。道を広がって歩く、譲らないことはよくある。歩道が狭すぎるということも当然だが、事務所事業所をやたらめったら増やすことばかりが都心部の「活性化」となれば、けんか腰はやむを得ない???。


 「日本の言葉づかい」も確かにそう思う。日本に「勤務」している外国人との交流は、日本人には辛いものなのかもしれない。文化の違いは相当なものだろう。この点日本は皮相すぎるのだろう。外国人を受け入れきれない。日本の良い文化が体感できていない証拠だ。「英語を聞き流し」ことが国際化ではないだろう。「贈り物の文化」はその通りで、考えればモノをあげることが付き合いの重要なこととされるのは、合理的でないと思う。これは反論があうのかな。憲法にある「両性の合意」に至らず、「両家」のワードが厳然と生きているし。





2012年5月24日木曜日

車安くしときます

 トヨタがインドで50万円台の車をつくる。インド市場は地場で20万円台の車が発売されているので、かつての80万円台の車からさらに低廉の価格で造るとのこと。そのくらいの車が作れるなら、日本でも享受に預かりたいものだ。


 山のふもとあたりの車は、4WDABSが備わって、降雪の対応が備わっていればだいたい間に合う。買い出しや病院通い、農作業に行くのだから実用本位でいける。


 今は軽自動車であっても200万円近くまで払わないと、手に入らない。車の原価は安いものだと聞いていたが、50万円で儲けもでるということがわかった。


 もちろん「自動ナントカ」とかカーナビだとかはついてないだろうけど。買う方の身で考えると、多くはない年金収入生活では、買い物はままならない。非正規雇用者の場合だって300万円までいかない収入では車をたやすく買う条件にない。


 車の製造技術は難しいものでないといわれているが、中小の事業者では対抗できない。そういう構造が出来上がっている。そういう「自由主義経済」なんだ。安い車を造って大メーカーさん。

2012年4月25日水曜日

理のあるところに動いていけば


 東海村村長さんが、東海第二原発の廃炉求める集会に「原発事故の原因究明、責任も明らかにすることもなく停止原発の再稼働に向けて突っ走っている」と旗幟鮮明にしている。ヤクザと同様に札びらで顔をたたくようなやり口で、補助金をぶら下げて原発 建設、稼働をおしつけてきたことに対しての批判になった。

 そうですよ、もう安全神話をやめる時期とだれもが思うときです。しかし、そういう態度にまだ勇気が必要な状況は残念ですが、いまに流れは変わっていく気がします。

 市民の目線はもう一つありました。佐賀県武雄市議会で、共産党の江原議員が米海兵隊を「殴りこみ部隊」と表したら、議会の品位を汚したということで、議長が祖先して懲罰にかけてしまった。多数で「出席停止一日」を強行してしまいました。

 このとき、自民党の谷口議員が懲罰委員会で「少数意見の留保」を提起して、懲罰に反対の意向を表明。この谷口議員は「市民の目線で見て大事」なことと、政党の違いを評価しつつも、物差しをキチンとあてて態度表明をしたものです。

 昨日(24日)の佐賀県武雄市議会の臨時議会で当の牟田議長が議長の辞任を申し出ました。辞任の理由は「この2年間に江原議員と保守系無所属の議員に対し、合わせて2回懲罰を可決したことの責任を取る」と表明、副議長もともに辞任し全会一致で承認されました。

 まさに少数波から多数派への変転となりました。最初は少数でも、理のあることは道がついていくことに希望をもてたことがらでした。

2012年3月19日月曜日

若者が元気で働けるようにならないと

 若者の雇用の実態が大変なことになっている。内閣府の調査結果で、一昨年就職した若者は569,000人だった。このうち辞めてしまった人は199,000人。無職やアルバイトとなっている
140,000人。


 二人に一人が再就職できないでいるとのこと。政府に雇用の責任を果たさせることが必要ということは言える。企業が新規採用を絞っているのに、政府は効果的な手を打っていない。公務員の採用も減らすということまでしているから、就職口は余計狭まってしまう。


 「ゆとり教育のマイナス」を言う人もいるが、それは現状を見ていない。労働条件が整ったよい職場だったらそう辞める若者はいないのではないか。ついこの間まで「休暇が取れて、給料が高くて、残業がない」という企業を若者が求めていたはずだ。


 労働条件がいまどれだけのものか。「過労死」「躁鬱症の増加」「賃金の低下」「残業代の未払い」など、マスコミにでてくるものだけでもその環境をうかがうことができる。つい最近でも、「パワーハラスメント」の実態が報道されていた。


 別のニュースだったが、富士重工のディスクトップの組立工場が被災して、生産が止まった。その教訓から、緊急時には別の工場でその生産ラインを動かすようにしたという。その「研修」は、「一挙手一投足」を管理して無駄な動きを排除して実施したという。


 「生産性向上」のために、こんなことが職場に実在している。こういうことが当たり前で、黙って従わない方が間違いということでは済まない。「就職がめんどくさい」と若者に言わせているのは誰なのだ。


 秋葉原の大量無差別殺人は、非正規雇用の若者だった。職場から放り出されることを気に病んだ。犯したことは許されることではないが、その背景にあるものが、誘因となったことには違いない。


 若者が元気で働いて、賃金や労働条件も保障されることで、結婚できる条件を整え、子供も育てていけるとなれば、日本の将来に希望がでてくるというものだ。そうならないと社会的なマイナス要因は増え続けてしまう。

2012年3月1日木曜日

休もうよ


 爺がショートスティにでかけた。何回か通っているうちに慣れたせいか、不平も言わずに。家族は口には出さないが、少々の休養がとれることにほっとした気持ちでいる。

 休みは何をやっていても必要だ。労働基準法で休息時間を設定しているが、なかなか労働条件がそうなっていない。

 朝から昼までのあいだにも15分の休憩があるはずだが、昔の話労働組合が労働時間短縮の交渉をしていたときにはまだ、そんな論議ができていた。

 人間の集中力からするとせいぜい1時間半がいいところだろう。最近のカーナビもそのくらいになると「休みをとれ」と指図する。その昔の農作業では「小昼」と言って休みを取ったと年寄りが話している。そのときに、簡単な食事をしたり授乳をしたりと…。

 それが現代の休息時間になったのかどうかは定かでないが、労働基準法ができた戦後まもなくの頃は、勤労者の社会運動が盛り上がっていたらしいから、もしかしたらそんなことも…。

 いまは「ゆとり豊かさ」などという文言も死語のようだ。死語であっても大切にしたいことだから復権させたい。大雪の日に、滑る道路をどうしても危険を顧みず走らなければならないし、学校は始業時間を遅らせてもやるし、どうしてこんなに動体でいなければならないんだろう。

 「こういう時は休みにしよう」ってなればいいのに。二十日間の休暇を与えることができるという法律があっても、現実には使えない環境なんだから、そのくらい事業者も管理者も、もちろん政治も配慮できるようになればいいのにと、外野から思う。

2012年2月26日日曜日

年金が消えていく

 企業年金の運用事業で資金の行く先がわからないと、なにがわからないのだかよくわからない話。


 公的年金の責任放棄の結果生み出した、企業年金制度の導入で、やむを得ず賃金から割いて積立をした。これも民営化の一種だったのだろうか。


 運用すれば利息を生んでもどってくるという、不確かな博打にかけたようなもの。ちゃんとした公的年金を整備すべきだという意見がなかったわけでない。


 いまや共済年金も厚生年金と一本化してしまおうとする法案が出される気配。成り立ちが違うものを、「多い方はけしからぬ」という論法で改革するという。改革ではなくて改悪だ。


 かつて国鉄の民営化の時に年金が破たんすると言って、共済組合の年金財源から一部を回したという「改革」もあった。カナダなら革命が起きるという話を聞いたことがある。


 おとなしくしていると、何をされるかわからない。先日、支給される年金から、介護保険の徴収額を天引きするという通知が来た。まったくこういうところは、しっかりしている。