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2026年6月10日水曜日

道行は試練もあり、貴重な「経験」は味もあるもの

 苗が植えられたばかりの田んぼを撮りたいと思い、広島の呉の友人に3年ぶりに会いに行った。以前から山里の風景を描く話を聞いていた。

昨今は寒さと暑さが入り混じる今どきの天候で、季節の変わり目がわからず、四季折々の…などというセリフが使えなくなってきた。それだけに田に植えられたばかりの苗と湛えられた水の様子は、新しい息吹を感じられて、とても好きな景色だ。きっと「百姓」のDNAがあるからだろう。

是非とも眺めて写真にしたいと、思っているところを彼の友人に話し、案内を乞うてでかけた。加えて瀬戸内海に浮かぶ小さな島、大芝島や北前船で栄えた竹原をめぐる旅を計画してもらい、3年前より充実した旅になった。彼の職場の関係で江田島での運動会の催しも見ることができて、変化のある楽しい行程になった。

目下そのまとめをするところで、写真展を二つこなして少々疲れ気味の身体と相談しながら進めていきたい。

ところで、広島での回遊を終えた帰りの話。広島発15:03東京行きの新幹線に、間違いなく乗ったと安心した瞬間、車掌が来て「乗車券拝見」され、「この列車は博多行」と告げられた。出発時間は間違ってはならぬと何回も確認したのにどうしてか?調べると、なんと出発時間がおなじ。そんな!(⁠≧⁠▽⁠≦⁠) 新山口で折り返し、自由席を使うことになった。

新山口で折り返すときの自由席で座れるかなと心配をしたものの、まだ席に空きのある状態でほっとした。無料で旅ができて得したと思うことにした。同じ時間に走らせるなよな👹😤でも、年相応の悲哀かも。



ほっとしてみる田んぼの景色




2026年5月28日木曜日

15268歩歩いた九州の旅最終日

 この「最終日」は3か月前の2月28日のことだった。時間がかかっているのは多少か、かなりかはわからないが、脳細胞の反応が悪いことが原因なのかもしれない。左側にあるものを右に動かすのにさっとはいかない時代にはいったことも理由にしておこう。

二番目の理由はこの間、二つの写真展に傾注しなければならなかったことがある。己が主催したわけでもないものなのに、開催に必要な事柄をこなすのに、やっぱり時間がかかってしまう。「やりがい」はさておき、ともかく済ませたことへの振り返りも不十分のまま、時間だけは消費する情けなさを人に言うわけにもいかない。

さて本題。九州の旅の最終日、飛行機に乗っていくのだから、目いっぱい帰り道の観光地を巡ろうと相談した。早朝から「阿蘇山のかぶと岩展望台」へ行く。雲に囲まれた状態だった状態だったが、風に送られて雲がだんだん押しのけられてだんだん見えていった景色は面白い体験だった。

そこからは「柳川」へ行ってみることに。これがトチった。憎めない自分の脳が「柳川鍋」と「どじょうすくい」と結びつけてしまった。ドジョウを食べようと思ったわけでもないが、行ってみるとかつての城下町で、掘割(ほりわり)の水路が巡る水郷風景だった。そこから太宰府天満宮の有名どころへと足を延ばした。ともに外国人がたくさん観光に来ていて賑やかな様子だった。

余裕を見て福岡空港へ向かったものの、ガソリンを入れる場所と、空港へ進入する道路へのアクセスを間違えてしまって、混雑している市内を搭乗時間を気にしながら走ることになった。格安航空の使用だったこともあり、発着の場所を特定するのにも迷ってまた時間がかかった。

羽田について夕食をしたあと、駐車場へ行くのに停めた場所と行き方がわからずに、警備の人に再三聞きようよう駐車場所にたどり着いた。最終日は都合15268歩の強行軍で新記録だった。

柳川









太宰府天満宮












2025年7月23日水曜日

高いところで見る景色は面白い

 高いところから見る景色はどうして気持ちが良いのだろう。自分の場合はあんまり山登りをしないからかな。高いところは恐怖症ほどではないが、あまり好まない。渓流釣りのときも川へ降りるのに傾斜のきつい斜面は降りたくないし、かと言って上りは好まない。すぐ息切れがするから、保身のために「避けろ」という脳の命令になるべく従っている。要はぐーたらなのだ。

伊豆の大室山は、リフトに乗っかっていれば山頂に連れて行ってくれるのでとてもよい山だった。日差しはつよいが風があった。何回か家族旅行で近くまで来たことがあったけど、頂上に上ったのは初めてだった。これまで車の運転手としての役目柄、疲労はせぬようにという心がけ😅だった。だからそれで割を食った部分もある。

リフトに乗るために並ぶ列は結構長かったが、若い外国人がかなり多かった。標高580メートルを載せてもらった頂上でも、ハチマキの道を歩きながら立ち止まってはスマホ撮影を楽しんでいた。

折しも外国人の排斥のごとくに声を上げる参議院選挙立候補者もいて、選挙の結果を見れば支持を集めるという妙な結果がでてしまった。選挙結果は「右寄り」に傾いたという見方を言う人もいて、たしかに「排外主義」が受け入れられたということになって、どうなのだろうと思ってしまう。

かの笹川良一(右翼活動家、元A級戦犯被疑者)でさえ(!?)「世界はひとつ、人類皆兄弟」と言ったのを知らないのだろうな。

「外国人観光客2000万を突破」を手柄のように言われると、多ければいいというものでないだろうと言いたくはなる。日本人が少ないのは、なんであれ「癒せない、遊べない」ということだろうし、だから賃上げでも時間短縮でも国がちゃんとすすめて、楽しめる体制を作るべきだろう。日本人観光客の人数との比較を発表してみろ~








2025年7月21日月曜日

暑い中、軽めのコースで大室山に行こう

伊東のホテルで二泊する旅は、中日に歩くのはどこにするか、4人で鳩首協議。駅までホテルのバスに乗り、路線バスを乗り継ぎして、二か所ほどに廻れるか考えた。最初はぎりぎりで行けそうなルートを見つけたが、17時にホテルの食事となっているので、昼食の時間を考えると少し厳しそうだった。

結局大室山に登って山頂を一周して駅まで戻って食事をすることにした。大室山の山頂は風があって、日差しが強かったものの割と楽に歩けた。この山にも海外の旅行者が8割ほどは来ていただろうか。どこでもスマホをかざして景色を入れ込んで撮影していた。








2025年5月4日日曜日

雨が降ったのは賽銭が少なかったから

三日目は郡山に出てもう一泊するつもりだった。ホテルに荷物を預けで開成山公園に行くことに決めた。スマホの地図で確かめるとそう遠くないところにある。歩いて35分かかるとでている。3時のチェックインまでは十分時間がある。多少は蓄積脂肪の消化になるだろうかと歩き始めると、何やらポツリと雨が降る様子。ひどくならないようにと祈りつつ、公園まで強行することにした。

昔来たところかと思っていいたら、そうではなくスポーツ施設とイベント会場で利用するようになっている広い公園だった。藤棚とチューリップを撮るころには、本格的な降りになってきた。カメラが濡れないように衣服でカバーしながら歩いて、いろいろあるチューリップの畑を回って歩いた。

園内はイベントが催されて、若者の家族やグループが楽しんでいた。食べ物を売っているテント群には、並んでいる客も少なめだった。皆屋根があるところで雨をしのいでいた。一休みできそうな適当なところもなさそうで、郡山駅へ戻ることにした。

開成山大神宮にちらりと寄って、何枚か写真を撮らせてもらい、いつものようにお礼のつもりの賽銭を箱に入れた。カメラをリュックにしまって雨用のパーカーを被ってから、入り口にあるトイレを拝借した。神社の交通整理をしていたおじさんに、郡山駅行きのバス停の場所を尋ねたところ、停留所はわからなかったものの、郡山方面はあっちだよと愛想よく教えてくれた。 












2025年5月2日金曜日

旅行きの初日に出会った体験模様

7時前に目が覚めて、頭はいくらかすっきりしている旅の三日目。パタパタと散らばった荷物を集めて、キャリーのそばへもっていき、詰め込む順番を決める。ブログの原稿を何にするかが、まだ決まらない。宿の残りの時間でいくらかできるのか、パソコンの電源を入れた。お湯を沸かしてお茶の準備をしてから、窓から見える曇った空を眺める。雲は高いから雨が降る様子でない。そういえばこの旅には傘を持ってこなかった。天気予報では降らないということなので、準備の荷物からは外しておいた。朝食を終えて部屋に戻ると、空は雲の厚みが増している。雨は勘弁して~。

ノートパソコンにSDカードを入れるところがないのに気がついた。カメラで撮った写真はいつも家のパソコンで取り込むから、撮った写真が使えない。撮った場所を記録するために、スマホでも時折撮ることにしているので、それを使うことにした。

初日に現地へ着いたときに、駅前で昼食をとるために入ったこじんまりしたレストランで、カレーを食べたが、これがすごかった。税込み1100円だった。東京なら1500円はするよと言うと、米の値段に違いかと話していた。

宿に荷物を預けて写真を撮りに出かけると、滝に出会った。知っていたわけではなく、犬も歩けば…だった。




2025年1月30日木曜日

風邪ひく間もなくお忙し

あんまり寒さも感じなくなっているのか、鈍いのか体調がもひとつ芳しくない。家にいると暖房付け放題みたいなことで寒さは遠ざけているけど、今度は本格的な寒波がきているのだそうで、慣れない温度調節も温度計をしょっちゅう見ながら、体調保持につとめている。昨秋は喘息の状態が続いて元に戻るのに時間がかかった。体調を考えてインフルエンザもコロナの予防接種も受けて、備えはしたつもりでも、やっぱり体調は落ちてきているのはいかんともしがたい。

先週あった大荷物をおろしてまた、日曜日にはもう一つ山を超えなくてはならない。外来魚駆除のシンポジウムがあって、つりの会では珍しく侵略的外来魚駆除に取り組んでいるので参加してとの要請があって、現役連中から頼まれてやむなく参加することになっている。

週初めからパワーポイントで資料作りを始めて、ようやくなんとか出来上がった。出来上がったものは46ページあって、20分ほどの時間に運用できるのかと少々心配だ。1ページ当たり26秒とは無理なんじゃなかろうかと。過去に1回だけしかやっていないし、その時は相当時間がかかったことを思い出して、少し減らすかなどと相談をしている。あと二日間で調整してみよう。

日曜は関東に雪が降るとかいっているが、こんなときに試練が続くことになりそうな。くしゃみが出てきたけど、忙しきゃ風はひかないかな。京都の先の琵琶湖近くまで行くのに、日帰りになるとか。ちょっと寄り道などと頭が巡るが、一緒の仲間の人と別行動というわけにもいかない。それに相当寒いだろうし。



 

2024年11月5日火曜日

高齢者の悲哀アタリメの味わい

 値上がりした「あたりめ」をコンビニで奮発して買い込み、夕食なし宿泊に備えた。温泉に浸かって手足を伸ばし、夕食時までのスキマ時間に喉を潤す極上の瞬間。初日の夕食はスーパーで厳選した食品。ヘルシー、安価、少量で済ますパターン。アタリメと乾きもので小腹を満たして、本番の厳選食品に向かう。

 朝食は宿の比較的軽めの料理で、体重に気遣う我が身にとってピッタリ。食べ始めたらなにやら歯がちょっぴり痛む感じ、前日の固いアタリメのために歯が疲れたと見えて、顎にしっかり力が入らない。購入したアタリメは昔のように固いもので、歯ごたえがあって好みのものだった。ここまで感じたことはなかったのに、顎ではなく歯に「疲労」が残っていた。折々感じる身体の劣化を自覚させられるサインをまた味わった。

 口に出さなくても「どっこいしょ」は何べんつぶやくことやらわからない。「どっこいしょ」ばかりでなく、階段の上り下りやふろ場のしぐさも慎重にいかないと、躓いたらおしまい。ものごとに頑張ろうなどという具合にはならずに、「やれることを確実に」くらいがちょうど頃合いだ。

 この時期の墓参りの旅が楽しみで温泉が良いところに遭うのが第一。二番目は紅葉が見られること。あとのごちそうは、選択肢にはない。今回は3泊中2泊が夕食なしで予約してあった。今はどこにでもスーパーがあるし、道の駅もあちこちにある。食べ物が手に入るから、まず食に心配はない。ヘルシーな食べ物と「量」を気遣うほかはアルコール類が付けばいうことはない。今回は「ホッピーと焼酎」をはじめて買い込んでみた。食事時に焼酎をホッピーで割って2回つぎ足すとちょうどよい。プリンタイはなくてカロリーは6割くらいというからもってこいの飲み物だ。口当たりも悪くない。




2024年5月9日木曜日

写真撮って満足感が味わえれば⋯

意気ごみだけはなんでも撮ってやろうと身構えている。以前はそうでもなく、撮る?何撮る?うーん行くか、よっこらしょ、みたいな身体の重さを伴っていた。旅行で訓練したせいか今はどこでもなんでも簡単に撮るようになっている。近所でも公園、お寺、ビル街、神田川などを歩く。ただし体重は変わらないし(アルコールのせいだろうな)、経年劣化でいささか鈍くなった身体をなだめながら歩き回ることになる。

先日退職者会の旅で只見線に乗る催しがあった。列車の旅なのだから、歩き回ることはない。知らない景色を次々に移動して見せてくれるのだから、こんなに楽なことはない。車窓から眺める景色は春まだ浅い山と川の様子を映し出していた。新幹線ではまったく考えられない、速度のゆっくりした列車から撮るのは、やや早めのシャッタースピードであればよかった。

少しコツがあって、カメラを構えたまま、眼を進行方向にむかって流し目にして、よさそうな景色が目に入ったら、窓の正面で撮るようにして、その場で2,3回はシャッターを押した。右側、左側を行ったり来たりしながら結構な忙しさだった。列車では80枚撮った。撮った当座は見返すゆとりはなくて、懸命にシャッターを押すだけで、写真を味わうのは家に帰ってからの楽しみになって、パソコン医取り込んでからオオなかなかいいじゃないか、と自己満足の骨頂に浸ることになった。

とりわけ車窓から眺める破間川、只見川の残雪をかかえた景色は素晴らしい。かつてのイワナ釣りを連想させてのことかもしれない。その合間から時折見えるサクラはまだ淡い色で、春まだ浅い雰囲気を堪能させてくれた。日頃ビルばかりしか見えないところから自然の懐に飛びこんで、味わえたことだった。