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2025年9月25日木曜日

(新庄祭り戦記)8月26日の日記から

 古びた、そして掃除には手の回らない宿を8時半に出ることにした。「また来てください」の言葉に失礼ながら娘と顔を見合わせた。(ここだけの話、新庄祭りの期間は市内の限られた宿泊施設は予約取れなかった)しかし朝夕の食べ物が非常に気に入った。量が多くないし、きちんともてなしの食材を使っているがとても良かった。

朝食前に宿のすぐ前で、朝市の時間が終わって、片付けかけた叔母ちゃんから、ユーゴ(ユウガオ)を買って抱えて旅館の玄関に置いた。いったん3階まで運ぶか迷い、結局3階まで安くて重いお土産を3階まで上って運んだ。

帰りにも見送りしてくれたお婆ちゃんは長い間「おかみ」として采配をしてきたことだろう。息子夫婦らしき人にかかえられて、挨拶をしてくれた。何回もおとずれた肘折温泉の記憶に残る一ページになった。

新庄祭りの最終日は、駅前通りに集合している山車の披露目とお囃子の演奏があった。若手から中高生小学生と思しき子どもたちも、囃子の笛、太鼓と鉦に加わって、賑やかな囃子を奏楽していた。11時に撮影を終えて移動することにした。

汗ぐしょのTシャツを車の陰で着替えてさっぱりした。13時に西置賜郡の「十割そば紅五郎」へ。なんと注文がスマホ。回数券もスマホ利用とは恐れ入った。IC社会は山形も埒外ではない。

今日の宿は小野川温泉の「やなかわ温泉」。部屋が広くてきれい。ほかに客がいなそうだ。冷蔵庫に大びんのビールが入っていて800円だ。うれしくなって部屋飲みする。一本飲んだらけっこう効いたようだった。夕食には冷酒にした。まかないの人との会話が「米騒動」だった。飲酒4










2025年9月15日月曜日

故郷新庄祭りのお囃子見納めかも

8月24日~26日に例祭となっているイナカの祭りに行った。多分この先また行くことができないかもと、本音半分の気持ちで行くことにした。小学生時分の子供のころ東京に出て来て(親父の都合でだ)、夏休みになると、叔父のところにやっかいになって過ごしたものだった。そのときに今のような「…そ」暑さだった記憶はないが、だれかに連れられて暑い夜に祭りを見た記憶はある。

3歳にもなったころにはもうその場を引っ越していたから、あとでの回帰の記憶に残る祭りが頭に残っているわけだ。それも笛の音で…だが笛の音も、なにしろそのあと60年以上もたったことでやや不鮮明なことになっている。山車の引手の「チェリンコヤッサー」が掛け声になって記憶に残る。通りかかっていることはあっても、祭りの時期には訪れなかった。理由はないが故郷にこだわるほどの愛着はもう薄れていた事情はある。

今はそんなことにこだわる歳でもないから、その囃子の掛け声をもう一度聞いておこうかというのが今回の趣旨だった。NETのサイトを確認できるのも、今どきの便利さで簡易で便利だ。現在は、国重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産の登録がされているとのこと。でも宿泊施設などはしいて増やすということではないらしい。高名な祭りではないからなのだろうか。

善し悪しは置くとして、わが故郷に高級ホテルなどが建ってワサワサと観光客が押し掛けるのでは「祭りの文化的伝統」とは本末転倒だし、新庄藩の威勢を語り継ぐだけのちんまりした遺産文化で十分いい。心配した駐車場も案内の場で駐車可能であったし、なにせ大きくないエリアのことなので写真を撮るにも動き回るにも、必死の思いはしないで済んだ。

とても不思議に思ったのは子供たちで、「少子化」というキーワードがどこの世界かと思わされたこと。じつにたくさんの子供たちが祭りに参加している。「高齢者」は気にしてみるほどに見当たらないのはどうしてなのだろう。

この祭りの歴史には記録に残っていない部分があるらしい。公表では270年となっているが、これまでの祭りについての資料があれば知らせてもらいたいとの取り組みもなされている。自分の故郷ながら己に似て「おおざっぱな」記録ではもったいない限りだ。20台の山車が各町で製作されて、祭りの期間に披露目される。

「お婆さん」というタイトルが面白かった。おばあさんの足元に蛇がうごめいていて、なにやらの物語を形成しているものと思うが、今どきのというか、これからの文化的創造として残っていくことなのだろうか。




2025年8月31日日曜日

仙台の荒れ野は東京のため!?その2


最初に撮りに行こうと思ったところは、航空地図でも広大な「山削り」場所に見えた。後で改めて地図をながめてみると、「削られているところ」には近づけないようだった。再度行っても無駄なようだ。

その工業所の一部に「製品の置き場」があるように見える。下部の黄色で囲った部分は住宅かと思っていたが、拡大してみると同一の形体のモノが区分して見える。工業所のホームページを見てみると、製造したコンクリート製品を運んで使っている場所が紹介されていた。

その一つが江東区に造った」「海の森水上競技場」だった。膨大な費用を投入して実施した東京オリンピックの競技会場づくりに貢献したということらしい。東京とういう巨大な都市の「需要」に飲み込まれる「地方の山」というところだろうか。今回の写真撮影の意図がぴったりはあてはまった。

とはいえ、この後数か所を回った「山削り」場所で撮った写真をどうやってまとめていいのかを考えるとは頭が痛い。

ホームページから

上記のテキスト部

平成27年度 海の森水上競技場整備工事
場所:東京都江東区海の森3丁目 地内
時期:2018年8月
発注:東京都港湾局 東京港建設事務所
製品:ボート進水用斜路
詳細:B5200×H1400~4478×L1500(11ピース製造·
納入)
約20t/ピース

当初、現場打ちの設計であったものを、プレキャスト化して工期短縮したいと依頼があり検討。現場打ちで施工する場合、斜路周辺を鋼矢板で締切りして排水し、型枠組立、鉄筋加工·組立、コンクリート打設、脱型、養生と多くの時間を要する。斜路全体をプレキャスト化するのではなく、埋設型枠のように、大型U型形状にて製品化し、現場にてU型内部に水中コン
クリート打設、割栗石布設、コンクリート床版(プレキャスト製品、ほうき目仕上げ)の構造とした。現場打施工の半分以下に工程短縮できた。

2025年8月25日月曜日

仙台の荒れ野は東京のため?その1

削られた山を探して写真を撮ってみようと思った。Googleマップの「航空写真」を参考にして、削られている箇所を6、7か所選び出して地図を作って、現地へ行ってみることにした。温泉旅と墓まいりで通りかかる景色から、そんな山をよく見かけていたのでその記録も参考にした。削られている山は砂利取りが多いが、石灰を撮る山も結構ある。琵琶湖にある伊吹山や武甲山が有名だ。

今回は東北地方を的にして取り組んだ。最初の目的地は仙台にある工業所だった。航空写真ではかなり大規模に山を掘っているところだ。ここだと思うところに車を止めたつもりが、反対側に誤って歩いて失敗した。後で振り返るまでそれが分からずにいた。先のほうに削られている山が見えたので間違えてしまったが、その手前に廃墟のような工場跡があった。

錆び壊れた工場と、鉄筋がむき出しになっている煙突があった。先の山にも近づけず、歩いた畑の位置から高い位置には上がれない状態なので、あきらめて「廃工場」のみを撮る以外なかった。

自宅に戻ってからその場所を再度グーグルマップで検索した。工場の名前が出てきたので周辺情報をあたってみたら、東京の江東区にある事業所で、産業廃棄物処理をしていたところだった。そしてその会社は、産業廃棄物を一部残したまま放っておいたらしく、仙台市から処理するようにとの行政処分を受けていた、その期限がことしの7月だった。怪しげな工場跡はそんな背景があった。

東京の会社が廃棄物処理とは、産業廃棄物は東京から運ばれているのだろうかと疑った。そのうえ、付近の少し高くなった廃工場と同じ高さには、大規模な太陽光発電のパネルがびっしりと敷き詰められていたのを、航空図で確認した。(当初パネルを確認できなかった 地図が更新されたのだろう)

写真の赤枠が廃工場



こちらが目的だった 黄色の枠はコンクリート製品らしい



2025年8月14日木曜日

戦争の意味を考えさせられる8月

  戦争が終わった翌年に生まれた。正確には戦争を知らない世代だから戦争というもののはかり切れない事柄については、後日談的に耳から入ってくことが知識として積み重なっている。戦争を「やってはならないこと」「侵略のための武器は持たぬ」こととして日本国憲法に規範としてもったはずなのに、顧みることなくそれを踏みにじろうとする言動が公然と広まっているのには、80年たってもこのありさまは何だと思うばかり。

 今世界で起こされている戦争行為を理由にして「軍備増強」することで緊張関係を拡大させ、それこそ火種を増やすようなことが起こされている。万が一戦争にかかわってしまうことが起きたら、日本の80年の歴史は逆戻りするばかげたことになる。この間で積み重ねてきた日本のみんなの「価値」はどうなってしまうのか。トランプ大統領やプーチン大統領の言動や中国の領土覇権行為は、「万一」が「万一」と言えなくなるような状態に思えてくる。

 4日、武蔵野の東京都水道局境浄水場にむけてあった専用線の跡地を武蔵境駅から歩いた。途中から中島飛行機工場で使用された引き込み線跡地を歩き延命寺に寄った。中島飛行機武蔵製作所は当時、世界有数の航空機メーカーだったため、敗戦直前9回にわたって空襲を受けた。

延命寺にある爆弾の破片(売っているわけではない😁手前が露店の場所)


延命寺平和観音像

武蔵の区役所の食堂の冷やし汁うどんで涼んだ


2025年7月27日日曜日

昔(昭和)の残像チラリと味わう

写真を撮る対象として「昭和」がテーマとして取り上げることが多い。生きて親しんできた風景を残したり懐かしんだり、癒しのような気分を持たせてくれる。

合唱の練習で北千住の先に集まって、合唱でひと汗かいたあと、昼食の店さがしで駅の近所を探した。この方角はめったに行かない機会なので、カメラをもっていくべきだったと反省。合唱の練習が主なのだから、それは二の次三の次の話になるのだけれども、若い時にこの界隈を動き回った街並みを歩くうち懐かしさがわいてきた。

長年の変化を感じさせずに存在しているのはうれしかった。知っている店主さんと会話している仲間の優しいやり取りが交わされているのを見て、もう50年前にもなるかの懐かしい残像が浮かんだ。

これが例えば都庁がある西新宿の街だったらどうだろう?「残っている」ところなどはほとんどない。住宅地にある近所でさえ、魚屋、八百屋店は消えてしまい代わりにスーパーばかりが席巻して、オートキャッシャーで支払いを済ませて、会話など全くの不在だ。変容した街になつかしさを思う気持ちが残っているところがあるのかと思う。



2025年7月23日水曜日

高いところで見る景色は面白い

 高いところから見る景色はどうして気持ちが良いのだろう。自分の場合はあんまり山登りをしないからかな。高いところは恐怖症ほどではないが、あまり好まない。渓流釣りのときも川へ降りるのに傾斜のきつい斜面は降りたくないし、かと言って上りは好まない。すぐ息切れがするから、保身のために「避けろ」という脳の命令になるべく従っている。要はぐーたらなのだ。

伊豆の大室山は、リフトに乗っかっていれば山頂に連れて行ってくれるのでとてもよい山だった。日差しはつよいが風があった。何回か家族旅行で近くまで来たことがあったけど、頂上に上ったのは初めてだった。これまで車の運転手としての役目柄、疲労はせぬようにという心がけ😅だった。だからそれで割を食った部分もある。

リフトに乗るために並ぶ列は結構長かったが、若い外国人がかなり多かった。標高580メートルを載せてもらった頂上でも、ハチマキの道を歩きながら立ち止まってはスマホ撮影を楽しんでいた。

折しも外国人の排斥のごとくに声を上げる参議院選挙立候補者もいて、選挙の結果を見れば支持を集めるという妙な結果がでてしまった。選挙結果は「右寄り」に傾いたという見方を言う人もいて、たしかに「排外主義」が受け入れられたということになって、どうなのだろうと思ってしまう。

かの笹川良一(右翼活動家、元A級戦犯被疑者)でさえ(!?)「世界はひとつ、人類皆兄弟」と言ったのを知らないのだろうな。

「外国人観光客2000万を突破」を手柄のように言われると、多ければいいというものでないだろうと言いたくはなる。日本人が少ないのは、なんであれ「癒せない、遊べない」ということだろうし、だから賃上げでも時間短縮でも国がちゃんとすすめて、楽しめる体制を作るべきだろう。日本人観光客の人数との比較を発表してみろ~








2025年7月10日木曜日

先日行った蓮の撮影のとき見た不思議

 知らないことを不思議と言っていいのかはさておくとして、当日の朝方かに降った雨が蓮の葉に残っていて、銀色に反射していた。写真に撮りたいが難しそうだと眺めていたら、泡が出ている。これはなんたるものかと思って、「蓮の気泡」でNET検索してみる。AIが活躍してくれて、説明をしてくれた。

ハスの葉の気泡は、主に光合成や呼吸によって発生する酸素や二酸化炭素が、葉の内部を通って気孔から排出される際に水面に現れる現象です。特に、葉が水を張った状態や、葉が温められた時に気泡が目立ちやすくなります。

とのこと。しからばレンコン製造のために酸素を送り込んで、老廃物(?)を吐き出していることか。でも二酸化炭素と酸素もでてくるとは不思議。蓮の葉には葉脈に穴が開いているらしい。下の動画は蓮の葉の裏側の茎にホースをつなげて水を送っているもの。これがまた不思議。

<映像が表示されないので、画像で張り付けた>



<動画を縮小してアップできた>













2025年7月3日木曜日

「暑さにも負けず」に酷暑のなかの撮影会

 退職者会の催しの撮影会で古代蓮の里(行田市)へ行った。梅雨明けが近いとの予報のとおりにこの数日暑い日が続いているので、この環境に抗して「暑さにも負けず」に行かねばならないと、気合を入れてでかけた。

退職者会の催しは「歳にも負けず」に花見、麻雀大会、里芋芋種上・ほり会、囲碁の集い、カラオケ、散策、卓球大会など盛沢山におこなわれている。撮影会はカメラをもって撮影しようとの目的で計画をしていて、スマホの撮影もありとして散策を兼ねたものをイメージしている。

当日は5人が参加して、蒸し暑い天候をものともせずに…と言いたいところ、若干負けそうになりながら蓮の花の池を巡って撮り歩いた。高齢者軍団の私たちのほか、おおむね中高年の人が互いに邪魔にならない程度に行き交って、スマホで撮影していた。

車で出発した当座は、途中で雨のぱらつきがあって先行きを心配したが、そんなことはなく太陽が顔を出して、暑さの試練を与えるほうに「味方」してくれた。この暑さを超えて幾分かの暑さなれができて、熱中症対策になったに違いない。

心配した「雨にも負けず」にならなかったことはありがたいことだった。でもこの日の朝は家を出るまで時間がなくて、急いだ結果エアコンのスイッチを切るのを忘れて、途中から電話をかけて電源を切ってもらった。気が付いたからよかったが、なんとテレビもつけっぱなしだったと…「歳には負けて」いたのかも。









2025年5月25日日曜日

磐梯熱海の「削られた山」の撮影は物足りない結果だった

撮影をしようとしたところは、グーグルマップの航空写真で見ると、かなりな規模の採石場に見えた。写真撮影にはものたりない感じだったので、今後の宿題になった。(今後の宿題が後の祭りにならないように祈る)

削られている山は、歩くとあちこちで結構目立つ。山にある石灰、砂利を供出してコンクリートとして利用される。昨今の都市部での再開発の元になっていることを想像すると、「山を削って都市のビル建設へ」が浮かび上がる。そのほか道路敷設などにも使われているし、従来からダム建設でも大量に全国で利用されている。(今もある)いったいどれだけの山を削っていることだろう。

今回の撮影で撮った写真は、温泉街もかつては栄えていただろうことがわかる。一路「過疎化」へ向けて時間が流れていることが見えた。過疎化はここだけではないが、活気があるのは砕石工場だけ?それだけが生き残りなのか、そんな未来が続いていくのかと思うと暗然とする。

都市開発をどこでも強引にすすめて、より自然と山の減殺をしていくことはやむを得ないことか?SDGs(持続可能な開発目標)と反省めいていうけれど、「持続可能な」の物差しとはどこにあるのか。山の美観はもとより、樹々、草、花、動物たちの生息エリアは縮小される。都心の再開発で建設される高層ビル、億ションの「価値」はそうしたうえに成り立っているのだなと再確認したところだった。



 

2025年5月17日土曜日

二つ目の砕石工場みえず その1

二日目にもう一つの「削られた山」に向かった。そこは地図でみるとちょっと歩き出がありそうだった。でも歩けない距離ではない。少し歩くと「蓬山遊歩道」があった。ケヤキの森遊歩道という看板があって400メートルほどの行程と書いてある。どうせこの一日はたっぷり時間があるので、ゆっくり楽しもうかと行ってみることに決めた。

渓流沿いの坂道が緩く上に伸びている。小道を歩く間は誰に合うこともなかった。「クマに注意」とあるので、スマホにある合唱曲のボリュームを最大して歩いた。でも、効果は気持ちだけのことだったろう。ケヤキの巨木がたくさんあって、明るい森の中をしばらくぶりの「良い空気」を吸い込んだ。ケヤキは大きく育っていて見栄えがあった。特に木肌の模様の違いに目をとられた。












2025年5月12日月曜日

「削られる山」を撮影することと温泉を求めて

 写真展が終了したら、以前に行ったことがある磐梯熱海温泉で一休みしようかと、巡り歩くところを探すためにGoogleマップを見ていたら、温泉の近くに二か所の砕石工場があるのをみつけた。どちらも歩いて行ける範囲のようなので、勿怪の幸い、列車を使ったしばらくぶりの旅計画ができあがった。

車の運転はもうあきらめているし、最近は娘が連れて行ってくれる車旅になっていたので、荷物をトランクに入れる気軽さから離れて、ちょっとした緊張感を感じての旅計画だった。今回は何より近いのがシニア向きの計画で上出来だった。

家を出て地下鉄に乗ってからおおよそ二時間半で磐梯熱海駅に着き、温泉はすぐ近くなのでその点がいちばん気楽だった。磐梯熱海の駅に着くと、ちょうど昼時で駅ちかのレストランで昼食を済ませ、旅館に行って荷物を預けた。

カメラだけをもってスマホを取り出して、行く先を確かめた。グーグルマップはいまやすっかり必携になっている。「山を削っている」ところに行くまでは、もう全くきままに撮り歩くことになった。

相当古い小さい神社を見た後に、わき道に入ったところにあった旅館の付近だけはいくつかの花模様がカメラに収まった。砕石工場はかなり大きな範囲を使って事業しているらしい。残念ながら「山削り」の全体像を確認することができなかったが、その雰囲気は伝わってきた。