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2025年1月7日火曜日

宿のお湯がぬるくって

 冬の温泉はとりわけ魅力があって楽しみにしている。宿について温泉につかってから、夕食前に飲むアルコール類がパターンになっている。最近は缶酎ハイが多いが、乾きものを少しつまみながら、旅一番の至福の時を過ごす。その分、宴会時のアルコールが抑えられる。部屋に持って入った荷物を定位置において、すぐに温泉に入った。ところが湯の温度がいやに低い。かなりじっくり入ったのに、温まらない。女性陣が貸し切り風呂にいったら、やっぱり同じようだったらしい。ああ、これじゃ楽しみが半減だなとみんながっかりした。

 風呂はシャワーのお湯がぬるいと話を聞いて、洗うのは部屋の風呂でということだった。部屋の風呂は最近新しく作った風で、檜風呂(一人用)になっている。仕方なく部屋の風呂で温まることにした。夕食を終えてからも翌朝も温泉には入る気にもならなかった。そのうえ朝は雪がちらついて、温泉が余計に恋しい。

 冗談で話した日替わり温泉にいくアイディアがまとまって、車で出かけることにした。それでも宿のタオルは隠してフロントを抜け出した。少し遠かった温泉は、先頭に近い感じだったが、料金410円とうれしい値段だった。ついでにいつものパターンの道の駅さがしでスマホ検索。行ってみるが正月休みで営業していない。ねばって探して安曇野の「風穴の里」にようやくたどり着き、昼食のソバにありついた。

 宿へ戻って何の気なしに温泉にいってみると、なんと昨日より暖かくなっている。41度ちょっとくらいはあっただろう。日帰り温泉代410円を宿に出してもらおうかの冗談は立ち消えになった。




2022年12月22日木曜日

閉じこもって大作業

 一週間の飢餓状態から脱して、元に戻ってきた。元に戻ると言っても元がどの程度なのか、ちょっとわからない。目は乾くしすぐにボ~っとするし。成り行きによってはずずっと「元」よりは下方に落ちることになったのかもしれない。ちょっと歩くと疲労感がでてくるので、まだ体力が回復していないのだろう。身体を動かすことに気を使い、家の中でもあれこれの作業をしている。頭を動かすのも大事だろうと、身の回りの「改善」に取り組んでいる。

 このところ働いた「仕事」

・写真ゼミの例会のために写真プリントしたが、オンライン例会のため空振り

・オンラインのための写真を抽出事前送信

・友人にメールを打つが、キーボードに文字をちゃんと打ち込めない。

・パソコンモニターの電源が時々ダウンする 接触を確認しなくちゃいけないがすぐには無理 コネクタがはずれていたのが判明

・パソコンラックのライトの向きを調整 「調整ネジ」を発見!これまでわからなかった しっかり治った!

・ウェブカメラの位置を修正したが、取り付けはいまいち

・毎年作っている写真カレンダーを編集、送信したが、品物は遅れそう

・福島で撮った太陽光発電施設が大規模で驚いた 問題を持っていることNETでみる全国で問題になっている

・引き出しのレイアウト器が汚れているので新規に購入 即入れ替え

・パソコンの画面、ズームの機能がおかしい windows更新でなにかやってくれたな

・不要な写真を選別廃棄、二回やって半分くらいになったか

・娘が撮った写真をパソコンのどこに置いたかわからなくなって、散々探した ファイルの整理はうまくやらないと大変だ なんでもとって置くのでファイルの断捨離も必要だ

・写真用紙とインクを補充発注

・「4000歩コース」を歩く 終わりころしんどくなった

・移動コースを記録する「ガーミン」が不調のままなので廃棄

・湯沸し器が不調、牛乳の温めが良くなかったのか 掃除して窓際で乾燥

・アマゾンの「迷惑メール」?が止まらない アカウントは削除したのに異常を発見したとかで、送信してくる メールアドレス YahooIDを削除するかアドレスを変えるか考え中

 新潟の方はものすごい雪だ。我が身はぬくぬくとアンカと暖房機をつけてリハビリ。寒くても我慢するという気力は今はない。やることがたくさんあることは大筋よいことだと思っておかなくては。

今月はまだ写真を撮っていない



2019年2月21日木曜日

五色沼、モノクロに近い世界を雪が造った

 10人ほどのメンバーが、ガイドさんに案内されて雪の世界を歩いた。スキーをしたことがあるので、スノーシューを履き、ストックを持つのは全く違和感がなかった。スノーシューのストッパーの締め方が弱かったのを、ガイドさんが直してくれた。

 元が自然探勝で使われているところであるし、前に通ったらしい雪上に、フミ跡があるので緊張もせずに楽しむことができた。雪と、時折雪をまき散らす雲のおかげで、沼の水の色がわずかに青色に見える以外は、全くのモノクロの世界。水が湧きだしてそこだけ石に張り付いている苔の緑が、いやに印象的になった。











2019年2月20日水曜日

新雪を踏んで歩く五色沼

 スノーシューを履いて歩きまわるのは楽しい。新雪を踏むのが、なぜか楽しい。坂を滑り降りるのも、子供の頃に帰ったようで面白い遊びだった。念のために坂から滑るのは遠慮しておいた。危険は避ける年齢になったのだから…。山の中は、雪のない時ならば自由に歩き回ることができないから、今どこへでも入り込んで歩けるのは、なかなか体験できないことだ。

 いつも雪に見舞われているところでは、面白さや楽しさは後景の話なのかもしれない。そこまでも「楽しみ」に昇華させたのが人間のすごいところだが、雪との闘いの歴史をないものにしてはならないことは、東北出身の者として思うこと。











2018年12月24日月曜日

雪との戦い発祥地の故郷新庄市


12月初めに墓参りに行った新庄市で、「雪の里情報館」に寄り道した。そこに雪害対策の発祥地だったことが記録され、資料が展示されていた。雪(害)の対策を国の政治問題として取り上げた活動が大正時代に起きていた。当時の雪国の困難な生活を救い出すという運動が広がった。雪国で、安心・安全で快適な生活を続けるためには、雪氷技術の開発・普及が必要だと、現代に継がれた取り組みが提示されている。

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雪国とそうでない地方ではあまりに格差がありすぎる・・
山形県の現村山市出身の代議士、松岡俊三は雪国の人々を救いたいと運動を起こしました。これが雪害救済運動です。松岡は県内各地を調査しながら講演を行い、人々の意識を高め、皆で雪害を克服しようという気運を高めました。そして農林省の機関である、積雪地方農村経済調査所を誘致したのです。
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大正15124日のことです。松岡俊三代議士は、山形県大石田町での演説会で風邪をこじらせて、肺炎となり、山形市の済生館病院に入院しました。そこで彼が見たものは 、次々と運ばれてくる乳幼児でした。寒さと栄養状態、保健衛生が悪いためであり、その根源は「雪害」だと気づいたのです。雪国の人たちが背負っているハンディキャップを支援する法令上の施策がないことが問題で、政治的に解決することが、自分の使命であると決意した。 
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大正時代の終わりから昭和10年ころは、凶作と慢性的な米価下落で、東北農村はかなり疲弊していました。小作争議が頻発。また、世界大恐慌により、たいへんな不況となりました。生活が楽でないため、娘の身売りなども頻繁にありました。
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 豪雪地帯だからこそおこる貧困や格差を是正させるため、政治問題化を図った歴史を持っているとは、我が故郷が持つ歴史に鼻が少し高くなった。また、克雪問題に取り組んだ「日本一の健康村」沢内村の紹介があり、雪の学術用語が雪国で普段使われていた呼び方を、採用しているという記述も面白いものだった。





2018年2月6日火曜日

銀座の雪景色ねらったものの

 雪がちらちら舞っている中、銀座のツアーに行く。12人が2班に分かれて回る。銀座の古きものを撮りたくて、申し込んだのだったが、雪の降り様を前日から気にしていた。どうせなら、雪が少し積もっていれば変化があっていいのかと、勝手な願いをして、靴のすべり止めと頭にかぶる傘を用意した。でも残念ながら降っては積もるほどの状況でなく、毛糸の帽子をかぶったままで、傘がなくてはという程のことはなかった。

 史跡を巡るというが、ちょこっと残っている石碑と史跡を見ることがほとんどだ。銀座を抜ける小道を何ヵ所か通って、路地の中程にある神社を見る。神への思いは継がれているのか、きちんと手入れがされて、現職の位置を保っている。古い建物もあるにはあったが、回って見たところでは少ない。

 銀座の歴史を飾った有名人がいたという説明もいくつかあったが、その時ばかりで記憶がない。通りを抜ける路地の、薄暗い看板の前で有名人の話をしてくれた。銀座の歴史をつなぐものは、時を経て消えていくのは当たり前といえば当たり前。しかし、明確に残していこうという姿はあまり感じられない。

 汐留のあたりは本当に少ない。土地の「効率的利用」にそぐわないということなのだろうか。高級ブランドの店があれば「青山」の店の看板もあちこちに目立った。地方都市に行くとよく見る、洋服店のその看板を銀座の街で見るのも妙だ。銀座を撮っている人が多くて、どこをとっても自己満足の域は出ないだろう。もう少し前から撮っておくべきところだった。どこでもそう言えるけれども。












2017年2月14日火曜日

岩手山麓の少ない雪

 極寒でもおかしくないところなのに、雪が少ない。盛岡市内のほうは、掻いた雪はあるが、道路にはまったく雪がない。親父が今年は雪かき(除雪)少ないと言っていたが、その話は、除雪車が来てくれないと受け取れた。ちょうど山麓に着いた日の夜に降ってきて、夜遅くに除雪していたのを見たので、そう話すと、そうかいという返事がかえってきた。

 預金がなくなっているという思い込みをして、だれかが使っていると妄想みたいなことまで言う。従妹から連絡をもらって、岩手に飛んできて親父の訴える話を聞きながら、通常の話では理解できる状態でないことを感じた。耳も遠くなっているし、話す言葉も不鮮明になっているので、こちらが話す言葉を慎重に選んで、伝わったかどうかを見極めてから次の段階に行く。そんなことの繰り返しが必要になっている。

 それで会話が進むと、本人の「誤解」も少しは解けていくのかと思っているのだが、それで一段落と思うと、また新な「誤解」を持ち出す。またその話を同じようにやり取りする。と、顔つきが和らぐように見える。いくらか納得したのか、聞いてもらったことで満足したのかという風だ。

 8時過ぎに風呂に入ったとき、遠くでサイレンが鳴った。サイレンの後に「…服装は…」と拡声器から聞こえてくる。家に帰らない人がいるのか…。時々こういった放送があるが、暗くなってから聞いたのは初めてだ。風呂からあがって、体が温まったので、懐中電灯を照らして家の近所だけ見てみたが、人気はなかった。

 寝たかと思った親父が、ごそごそと何かを探し始めた。枕元に置いてあるはずのペンライトがないとのこと。一緒に探してみるが見当たらないので、べつの懐中電灯を持たせて、明日探すことにした。


2015年12月28日月曜日

岩手山のビューポイント発見

 昨日から岩手山麓に来ている。もう雪が降っているとあらかじめ教えてもらったので、東京の不可解な天候を基準にすることなく、冬の支度をがっちりすて出かけてきた。山麓は確かに粉雪が風に押されて舞い上げられている。重たい雪だと汚れも目立つが、氷点下0度前後で乾燥した風だから、雪が解けるのは車がしょっちゅう通る道路だけだ。そのうえからりと晴れた空なので、青空が気持ちよく見える。

 従妹を山形に送り出したついでに、ちょっと駅から足を延ばして、シャッターチャンスを探しに車を走らせた。北上川の橋を渡ってすぐに北上し、しばらく走ると銀世界が広がってきた。開拓農地らしいちょうど北上川の脇の大地のようになっているようだった。岩手山がくっきりと見えるので、車を止めて三脚を取り出した。

 天気は申し分ないが何しろ寒い。風で帽子が2回も飛ばされた。三脚をセットしているときには、もうフードが固くなって外れなくなっていた。フードが逆さのままでも撮れないことはないので、無視して手が凍える前に何とか数枚シャッターをおすことができた。岩手山はあちこち写真を撮るポイントがあるけれども、ここもポイントに記録しておけそうだ。





2015年2月7日土曜日

故郷だから足が向くかな

 先がどのくらいかなどと、具体的にといっても測れもせずに、穏やかにかつ楽しくやれればいいと思う。これに少しだけ恰好を付けて、何かが残れば一番いい。この旅は撮影に徹する旅でもなく釣りの旅でもない、なんとなく案内役になった旅だった。しかしカメラだけは離すわけにはいかなかったから、新しい切り取りを持って帰るつもりだった。銀山温泉から送迎バスで大石田駅に出て、新庄駅まで列車で行ってから、次の肘折温泉に行く送迎バスの時間までは、2時間ばかり空きがある。昼食は山形名物の日本蕎麦だから、以前来たところを見定めておいた。

 最上公園の城跡に行ってみるが、案の定雪ばかりの趣で、滑らぬように歩いて通り過ぎただけ。もっとも雪がなくても桜の時期以外は、これはというほどでもない。蕎麦屋はなかなかで、天ぷらに板そばを頼んで少々のアルコールで盛り上がった。特にゲソ天がうまかった。アオリイカではなかったろうか。
新庄駅から送迎バスに乗って、一時間もかからずに雪の壁を通り抜けて、肘折温泉に着いた。ここはカルデラ館という共同浴場がある。ぜひとも連れて行きたいと、歩くつもりが10分出はとても無理だという。16時までしか空いていないので、難しい話になってきた。結局往きだけは旅館の車で送ってくれるということで助かった。

 この温泉は炭酸泉を飲むことができる。なにせ胃が疲れ気味なのだからうってつけだ。朝方ならお湯がきれいなのだが、午後のせいか少し濁っていた。帰りは温まった身体で、傘に積もる雪の重さを時々払いのけながら、緩やかな下りの坂を温泉街まで戻った。20分以上はかかったろうか。

 旅の折々、温泉の部屋で飲む酒を仕入れたが、「花羽陽」(はなうよう)という酒が旨かった。帰りの新幹線まで楽しませてもらったが、この酒は肘折温泉がある大蔵村にある、山形県では一番古い蔵元で造られたものだった。以前に写真展をした金山町の特産品に「金山田楽」という酒がある。この酒が旨いので、昨年も注文したことがあったのだが、この酒造元が同じ小屋酒造だった。








旅館の窓から撮影














2015年2月3日火曜日

湯の花を 乱して雪の 一番湯

齢を重ねても元気なのは悪いことでない。いくらかでも社会の負担を避ける意味でも、懐から年金を割いて日本経済に貢献するとなれば、まことに意義あることといってもいい。旅の道連れは8人。雪見しながら酒を飲み、温泉を楽しむという趣向は、天が我らに味方したかどうか、東京駅から出発するときには、はや雪模様。新幹線で大石田駅に着くまで絶え間なく雪景色が展開するありさま。それしきのことは人生の中で嘆きの部類には入らない。ツウともなればフグの毒さえ食べたくなるのと同様だ。

銀山温泉へは送迎バスで一時間もかからない。車中で胃袋に詰めたアルコールの解毒を、一眠りで進めている間に温泉街の入り口の高台に到着する。温泉は小ぢんまりとしていて、とっとと歩けばものの10分もあるかどうか。足元の明るいうちに、一回りする。もちろん部屋で飲むお酒を手に入れるのを忘れるわけはない。翌日は出発までの朝の余裕がそうなさそうだから、お土産も手に入れておく。

旅館は建物も充分古くて、内部は木造の黒光りする建具で造られている。その壁には鏝絵が飾られて、格調を感じさせた味わいがある。宴会が終わってまた、夜の温泉をまた回ってみる。明るい時とは違って若いアベックと中国語が飛び交わしている家族連れが、スマホを片手に街を眺め撮りながら歩いている。我が道連れの8人も、旅館が貸してくれたコートと傘と長靴を履いて、つかず離れず歩き回る。

その味わいはそれぞれに任せるとして、銀山温泉で印象に残っているのは、田舎の法事で泊まったときだった。隣の部屋から聞こえてくる歌。お婆ちゃんの声で「花の山形、紅葉の天童…」という歌が聞こえてきた。このひなびた温泉にピッタリあっていた。それからは何年も経過して温泉の様子も少しずつ変わってきたようだ。数えること7回になるが、今回は宴会場のお手伝いさんも、ポンポンと料理を運び込んで、なにか都会的なものごしで、方言交じりで話をするということで、年季の入った建物の雰囲気とは少し異なった感じがした。

 扱いがぞんざい過ぎるということはないが、せっかくの雰囲気をゆるりと過ごせるというゆとりがあってもいいかな、という印象はあった。旅館街の中でも朽ち果てていきそうな旅館もあり、経営の大変さもしのばれる。温泉は良い。十分に楽しんでめずらしく3回も温まりに行って、旅の目的を満喫した。