2026年5月8日金曜日

九州の旅 阿蘇五岳と阿蘇外輪山は雲の中

 朝早く起きだして暗い道を阿蘇山のかぶと岩展望台へ向かう。しかし途中の道はもう霧だかく雲高に囲まれて、これはどうかなという心配が先だった。くねった道を上っていくと駐車場に着いた。朝日を見るつもりでも、この雲行きでは難しそうだった。外の車もほとんどいなくて、観光地にしては寂しいもの。車から出て展望台まではさしたる距離もなかったが、なにせ気温が低くて寒い。展望台は誰もいないし期待薄の状態だが、そこから見える景色は案の定雲ばかり。

でもしばらく眺めていると、雲が風に流されてうっすらと景色が見え始めた。朝のあかるさもどんどん広がってきたので、思い直して車に戻ってカメラを持ち出し、展望台に行くと、低地に田んぼや家がうっすらと小さく見えてきた。






































2026年5月5日火曜日

九州旅行 2月24日、青の洞門に行ってみた

 半ば足任せの旅なので次の行程を携帯で観光地を探ってみる。グーグルマップをあてにしてスマホで検索し、本耶馬渓町樋田にある青の洞門(隧道、トンネル)に行ってみることにした。晩秋の紅葉時期は特に観光客が多いのだそうだが、時季外れでさっぱり人がいない。一昨年12月にがけ崩れがあったとのことで、道路工事にあたっている人が「いけるよ」と道案内をしてくれた。通行止めになっているのでその影響も大きいのだろうか。

ついつい都心部の再開発の速さと比較してしまうが、他の「復興」改修との違いを見てやっぱりなと感じる。青の洞門の歴史はかなり重厚なものがあると後で知った。曹洞宗の僧が陸道の掘削をして30年もかけて完成させたこと。「有料道路」の先駆けになったこと(^_-)-☆。福沢諭吉が当地を購入して景観を保存できたこと。陸軍の輸送のための大改修をしたことなどが歴史として刻まれている。

ウィキペディア

★曹洞宗の僧禅海が豊後国羅漢寺を参詣した時、川沿いの断崖にかけられた桟橋、青野渡が危険で、人馬のしばしば覆没することを知り、これを哀れみ、鑿道の誓願を発し、陸道の掘削を思いついた。1730年(享保15年)頃、豊前国中津藩主の許可を得て掘削を始めたが、その後周辺の村民や九州諸藩の領主の援助を得て30年余りの歳月をかけて、1763年(宝暦13年)に完成させた。高さ2丈、径3丈、長さ308歩。

★1750年(寛延3年)の第1期工事の完成後には、通行人から人4文、牛馬8文の通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路ともいわれている。

★1854年(安政元年)から1856年(安政3年)にかけて制作された歌川広重の『六十余州名所図会』には、「豊前 羅漢寺 下道」と題し、この洞門が豊前国の名所として描かれている。

★青の洞門のある競秀峰は中津市出身の福沢諭吉が、景観を守るために土地を買い取ったことでも知られる。地元住民は「福沢諭吉が土地を買わなかったら青の洞門は残っていなかったかもしれない」と語る。

★1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて陸軍日出生台演習場への輸送路整備のために大改修が行われ、車両が通過できるよう拡幅された。この工事の結果、完成当初の原型はかなり失われたが、明かり採り窓等の一部に手掘りのノミの跡が残っている。

蛇足ながら曹洞宗は「宗門は当時、国家政策や世論の流れに無批判に迎合し、積極的に戦争に加担してしまいました。この事実を深く反省し、戦争のない世界の構築と平和のために果たすべき仏教者の責務を見据え、二度と同じ過ちを繰り返すことがないよう、重ねて決意を新たにし、行動してまいります」と昨年5月にも宗務総長談話(アジア・太平洋戦争終戦80年を迎えて)で表明している。

地域住民らは一帯の地名にちなんだ「青」をアピールするため、対岸一帯に春には水色の花が咲くネモフィラを植えているとのことだった。









2026年4月28日火曜日

2本のひょろりとした細い石の門が気になって引き返してみた(阿蘇郡小国町で)

 道路からは片手ほどの数も見えない街並みを抜けてしばらく走ってから、石の門が見えていたのが気になって戻ってみた。道路からは少し高い位置に、すっと立ってやけに目立っていた。

車を降りて門までつづく坂を上ると、広くはない運動場が目に入った。広場はがらんとして、ところどころに水が溜まっていた。向かい側の小高い位置に建物があった。門の恰好からして、多分学校だったのだろうと思えたが、それにしては小さな建物だった。建物の脇に階段が見えて登っていけそうだ。一瞬迷ったが足元を気にしながら上っていった。

小さな建物と施設はもうじき壊れそうな感じだった。「校舎」は樹々に入り込んで隠されていてよくわからない。階段を登り切ったところに建物があり、戸が少し開いていた。隙間から覗くとどうやら体育館らしい。

床がしっかりしていそうで、入っていくのも大丈夫そう。断りなく本当はいけないのだろうなと思いながら、どうせ断るところはないな、などと屁理屈をつけて中に入ってみた。以前に東京の五日市の奥に撮影にいったときも、古い学校跡を見たことがあるが、まだ一部が現役で使用されていたからそれなりの人臭さがあった。使われなくなった校舎も、文化財として見学ができるように整理されていた。

そことは一段古さをもった体育館の、開いている戸をすり抜けて中に侵入(不審者ではありません!)すると、不思議な光景が目に入ってきた。椅子が体育館の舞台に向かってゆるく丸型に一列になっておかれていた。なんだろう、想像をめぐらすがわからない。

床がそんなに汚れているわけでもなく、壁には子供たちが現役時代に使ったらしい賞状、写真、工作物が整然と飾られていた。「なにか」のときにこの場で催しがあるのかもしれないと、それらを見て思った。

いろいろな写真を撮るけれども、自分の思いと被写体から醸し出される「なにか」が残ればといつも思う。写真の良しあしはいつも脇に置いて、かくあるべき何かをとらえることができるのかどうか、さっぱり確信はない。でもとにもかくも、これで続けるよりてはない。学校という代物はこころに残る素材には違いない。











 

「杉室小学校跡の碑」と書いてある





2026年4月21日火曜日

九州の旅 高千穂峡は、ダイナミックな岩が印象的だった

 せっかく九州に飛んできたのに、有名な観光地も行かなくてはと選んだ高千穂峡。近くまで行ったら、現場に行くのに駐車場があちこちにあってどこに止めたらよいのか迷った。グーグルの地図でも現場に入ると読み切れない場所もある。昔のように観光地図と案内はもっていないので、感を働かせることも必要らしい。そんなに観光客が多いということもなくて、互いに邪魔にならず歩き回れた。写真でよく見る峡谷をめぐるボートはやはり人気らしく、待ち時間が相当あったようだった。








2026年4月17日金曜日

にぎやかな写真展、たくさんの来場者に感謝

 共生」写真展の7日間が終わった。連日多くの方が観覧していただいた。写真を愛好する方々が日頃の写真活動の一環として見てくださることに加えて、友人知人の方が見に訪れて旧交を温めつつ、感想を語りアンケートに記述していただいた。写真展で作品を展示することにいたるまでは、力を込めてきたという少しばかりの感慨と、展示終了にいたった時間までの区切りを終えて、まだ修業が足りないと思う反省をまとめとして残して、大過なく過ごしほっとした瞬間を迎えられた。己の写真に加えるべき様々な点を胸にして、また新しい一歩を踏み出すことになる。これも贅沢なことだと思いながら、自分の励みにできればと思うが、どこまで老い先に抗することができるだろうか。

この間パソコンの写真ソフトの「強化」作業をしたが、取り付けに失敗してまたパソコンの初期化という羽目になった。昨年購入時から不調があってずっと講師のお世話になっていたが、写真展の最中のときにまた復旧の助けをしてもらった。パソコンの「能力」が更新を重ねて、個人で使うにはそこまでいらないと思えるような変化があって、とても噛みにくいものになっている。それでも日常の生活で、ブログやら日記、購入歴、写真ファイルの管理と編集、会報の編集やメールのやり取りなど、かかせないことがある。逆にいえばこのこなしが、ボケ防止にもなっているとしよう。





2026年4月7日火曜日

写真展が始まっててんてこ舞い

 写真ゼミの展示会が昨日(6日)から始まった。その準備に動き回るのが心臓にもこたえているわけでもないと思うけど、このところ不整脈がおきて、気持ちが悪い。動きが遅くなった身体を「励まして」必要なことをするのが負担になっているのかな。生きている以上なんでも避けて通るのはわけにもいかないし、無理も多少利かさないと刺激に耐えられなくなるに違いないが、その兼ね合いはどうしたものか。

作品搬入からはじまって、オープニングパーティーまで「働いて働いて…」の一日だった。家に戻ってフェースブックの投稿をして「過酷な」一日が終わった。

~現代写真研究所入江ゼミ写真展「共生」、6日から始まりました。撮影者のテーマ写真が組として表現されています。1枚の写真とは違った複数写真の味わいは、面白さと深みを感じられ、楽しめる気がします。撮影者のテーマの違いも「みんな違って…」を体現しているのが愉快なことです。





2026年3月30日月曜日

九州の旅 可笑しかった「木の動物園」

 動物園は動物を飼育して見せるところだけれども、それが「植物」であれば植物園。通りかかった阿蘇山への途中で霧の中で見つけたのが奇怪な「動物」。植物でこしらえた動物の面白さを、写真に撮ることにした。とはいえ動物を模した木々を撮るだけでは面白味はあっても皆同じような写真になって変化に欠けて面白くない。スマホで撮ることにして、ちょうど霧をバックにしたシーンをたくさん撮った。不思議なものを見て可笑しく思ったが、千羽鶴鹿園公園の看板があった以上のことは不明だった。