2026年10月15日木曜日

ヤナちゃんに「推し活」があったのか

 朝日新聞では「簗農水省更迭」という題字になっている。言葉はその時々の状況を反映してつけられるとして、「辞任」というタイトルのほうも事態を表していると感じる。

国会中継を見ていて、首相は「辞めさせること」は承知できずに何とか乗り切ろうとしたようだった。新しい「シャトルバス使用」も火種にはなったが、(当たり前だけど)追及はかなりひろがったから、ついに庇うことはできなくなった。

「辞任」記者会見は、本人が記者会見で述べた「辞表を出した」ことのみを述べ、記者が他の質問をしても応えずに去っていった。だから、事実経過を言えば「辞任」という表現なのだろう。朝日新聞では「更迭」を使った。「やなちゃん」のワードも現場を拾い出して報道されたから、饒舌にまくしたてたのだろう。一面の気持ちとしては「更迭」が、タカイチ内閣の大きな傷になるから、対応して「更迭」が任命責任を問うことになるので、そこは合っているのかも。

農水省の役人に「お支えチーム」があった。簗和生(やな かずお)農林水産大臣をめぐる一連の疑惑や批判に対応するため、農林水産省内に内々に設置された支援組織のことだと、AI概要に書かれている。役人が大臣の所業へのバックアップをやると⋯。ここまで劣化したのか、それとも当たり前になっているのか、役人の給与は我々の税金で支給されるのだから、まったく不届きなこと。高級官僚はここまで劣化しているのか。その手柄をもって上級職への道を開くとなれば、情けない限りだ。

一つ思うことは、財政の割り振りを議員の「顔」で差配することは、悪しきことに違いないが、そのシステムを長年続けてきたのが今の政権だから、そこから問いただすことは必要だろう。沖縄知事選で現政権の支持の候補が当選したが、その直後に来年度予算の補助金額を増額した。政権を支持する、しないで交付税や補助金の額を変えられるのは、公正公平な税のあて方とは言えない。怒るならそのことも言わなくちゃならないだろう。一発のセンセーショナルな報道で時間がたてば忘れられるという批判は聞こえないのか。





2026年10月4日日曜日

命の重みが軽く扱われていないか?

 NETでみるニュースが増えた。大手のNETニュースは概括が読めるだけで、続きの「有料記事」は見ない。LINEで見られる無料ニュース(沖縄タイムズ、BBC、東京新聞)は毎日送信されるから題字を読んで、気になるものだけを見ることにしている。購読している新聞の気になるものは、NETのキーワード検索で調べると同じ事件でも複数以上が、「AI概要」としてまとめられている。

AIの概要はその項目やキーワードを使った検索を改めで検索することになる。一面的にならないでよいが、AIのまとめが万全というわけでもないだろう。ひとつの「できごと」でテレビ報道や新聞に加えてNETの世界で多様なニュースが発信されているから、正確性は置くとして、読みようによっても違ってくるけれども、ほかにない見かたや事実が含まれることもある。それでも多様なだけ真実に近いものがでてくるとまで言えるのかどうか。

テレビ報道で、例えばソ連の侵略戦争行為を論評するのに、軍事専門のコメンテーターでいいのかなと思ったりする。当事者の戦争行為を実態として取り上げることはあるのだろうけど、そこに戦争そのものの犯罪性や人権、生命、民主主義からの指摘が薄くなるのは否めない。つまり、ゲームやスポーツのような話になっているが、それでよいのだろうか。

最近の事件で気になっているものがある。

大阪府河内長野市の事件(2026年8月):

=包丁を持った男が暴れているとの通報で駆けつけた警察官が、向かってきた男に対して上空への威嚇射撃の後、2発目を発砲し男が死亡した事例。大阪府警は適切な拳銃使用と判断しています=

とのニュースで、YouTubeに紹介がある。ニュースで取り上げたものをアップしたもので、元県警だった人がコメントしている。番組の意図は警察の対応について疑問をぶつけたものだったが、元警察官のコメンテーターが「拳銃使用は正しい判断だったろうと思う」と述べた。YouTubeのアップに対してコメントが多数寄せられ、「警察よくやった」などいう意見が非常に多くあげられている。そうなのだろうか?

こうした対応の事件が最近よくある。

熊本県の事案(2026年7月):

刃物を突きつけた男に対し、威嚇射撃を含めて計4発発砲し、うち2発が命中して制圧した事例。

千葉県旭市の事案(2025年6月):

職務質問中に車を警察官に向けて突進させてきたため、警察官が3発発砲した事例。

対応している警察官の生命も大事だが、ほかに方法はなかったのか?この種の「後追い」については、発砲は正しかったとする発表以外ほとんど見たことがない。正しかったとする「評価」だけでは、また起きることになるのでは?





2026年9月29日火曜日

AIのとりこになるのか

 AIの暴走がニュースになっている。人間の知能を上回って蓄積されたデータが自立しては物事を判断していくとなれば、事の善悪よりは結論を導くことを成果として「事業性」が評価される。制限をかけないといけないという「当事者」アンソロピックなどの動きが伝えられている。

「(Anthropic)の最新AIモデル【クロード・ミュトス5】や【フェイブル5】の提供が一時停止・制限サイバー攻撃への悪用につながる安全装置の「抜け穴」が指摘され、米政府から国家安全保障上の理由で外国人や国外へのアクセス停止(輸出管理措置)を命じられた」

とアメリカの対応が報道されて、「規制」が必要な状況にあるのに、トランプ大統領の国連演説では〝AI規制「拒否」〟とのことだった。なおかつ、大統領は「AIが人類に危機をもたらすとの懸念は、(トランプ大統領が)「詐欺だ」と否定してきた地球温暖化などを訴える人々と「同じグループ」によるものだと主張したと伝えられている。「産業革命よりも巨大になるものの成長を阻害するつもりはない」とは、儲け口への配慮だけということなのだろう。温暖化もAI不規制も人類の存亡にかかわるものだということが一層はっきりしてきたのに、このままでは…。

ワン公を伴っての旅 温暖化のおかげでまた雨

ワン公もストレスがかかってか、排泄がなかなかできない














2026年9月23日水曜日

クマ対策より内閣広報室対策

 来年度の概算要求で内閣広報室の予算を今年度の10倍超、約72億円を要求するのだとか。首相官邸の公式YouTubeチャンネルで政権の政策宣伝をするためで、ぶらさがり記者会見のときには「事前通告・承認記者」しか許さず、国会出席には遠慮がちな首相の「対話対策」として、「伝えたいこと」だけをとりあげるということらしい。

トランプ大統領をまねて?X(旧ツイッター)の発信に力を注いでいるやりようが効果を上げているのか、内閣支持率が高く維持されている岩盤支持層プラスαに受けているとみられている。自分の金のようにヒョイと予算をつけるように見えるのは特権なのか?

ところで26年度のときの概算要求で「クマを含む〝指定管理鳥獣〟の対策に充てる自治体への交付金に、37億円を計上する方針」とのニュースがあった。庶民のモノサシでは大きい金額でも、さまざま国の予算を見ると大した金額ではない。しかもこの金額は

「対象の鳥獣:ニホンジカ、イノシシ、クマ類など、集中的かつ広域的な管理が必要な指定管理鳥獣。主な使途:個体数の捕獲強化、出没防止の支援、被害対策、専門人材の育成など。背景:全国的なクマによる人身被害の深刻化や、個体数管理の重要性が高まっていることに対応。負担軽減:地方負担分は特別交付税措置の対象となり、自治体の自己負担が軽減される仕組み。」としたもの。

クマだけでないシカやイノシシなどを含むものだから、「内閣広報費」と比べてもあまりにも少なく無いか?数年もの間、何人も被害にあったのに、自治体に任せていたことの責任は大きい。




2026年9月15日火曜日

畳文化の懐かしい様が消えて行く

 畳で過ごしてきた何百年のあと、なぜかどこかの国をまねたのか、棲み処がフローリング生活になり果てた。床板「廊下」と台所だけだった床が、家中に広がる文化になった。

近所の畳屋さんが遂に閉店となった。電車に乗るたびに通る道で営業していて、畳のにおいがするときもあった。「畳職人さんの写真」を撮らせてもらいたいと思っている間に、もう廃業してしまった。なにせ、造った畳をリヤカーをつけたバイクでひっぱっていたのだから、昭和の遺産的な貴重なことをやっていたのに⋯。あれよと見る間に一人用のパワーシャベルが、動き回って、更地を広げていた。畳の需要が無くなった訳ではないと、話されていたが、同世代(お子様が息子の同級生)の高齢の難しさもあったのだろうか。

わが家は当初は木造家屋で畳の生活だったが、建て替えをしてフローリングにした。いまになってみれば、膝や腰の劣化で椅子とベッドの生活は欠かせないものになっている。その時から履物は雪駄にしていた。足の蒸れ対策と足の指のための選択だった。冬は特に「畳表」を使ったものを好んで履いた。

川島通り商店街に下駄屋さんがあって、雪駄が傷むたびに何回もかよって買い求めた。つい最近まで営業していたのだが、高齢のおばあちゃんが店番をしていた。商店街はかなり前から実態がなくなるほど寂れていたが、その下駄屋さんもとうとう廃業したらしい。先日行ったら店はなかった。

NETで雪駄をしらべてみたら、大手の通販サイトで購入できはする。中野も例にもれず再開発の「都市化」で元気をだそうというが、他方では寂れていくのだから、寂しさよりもなにか空しい感情がわいてくる。

夏用雪駄



2026年9月11日金曜日

生命はぐくむ豊かな田んぼ

 春先の少し暖かくなってきたころを楽む間もなく春の蠢きの候となる。春の恵みの山菜を口に運ぶころになり、次には植えられた田んぼの稲の様子が、目に入いるようになる。このときがシャッターチャンスにもなる。

ちょっとだけ伸びた稲の「背丈」の様子がまた蘇る。蓄えた水に映える景色は清らかで気持ちが良い。田植えまで大奮戦したあとの静けさのせいかも知れない。農耕民族のDNAを持っているからかと思うと、そんな感情が涌きだすのもうなずける。

静かな田んぼにつづくのは賑やかな「カエルの合唱」だった。けれども昆虫や魚たちを育んだ繁殖地はどうなっているのか…。農薬を使う頃には皆不在になった。殺虫剤、殺菌剤の影響はどうなのか。有機栽培の声は時々聞くけど、カエルが鳴いているところは少ないのだろうか。

今はすっかり穂を垂らして、刈り取りを待ち構えているが、こんなとき「線状降水帯」の豪雨が襲ってきて、人間どもが原因を作り上げた気候変動に飲み込まれようとする。人の口に入るまでの行程を受け止める農業従事者の苦難は、商品になっても合わない価格にも現れる。米作りが「合わなければ」やめるより手はない。やはりおかしいとしか言いようがない。







2026年9月3日木曜日

命拾いのグズさ加減

 どちらかというとグズだと、人に言われはしないものの、もっと頭の回転がよかったら違った人生があったのかもしれないと想うことがある。でもそれが原因で損したということはあまり記憶にない。不都合は忘れることにしているせいか?

かえって得をしたことはあった。20歳のころだったか、三宅島の民宿に遊びに行ったときのこと。梅雨明けの前の海は波が高かった。泳ぎに自信があるほどではなかったから、砂利の浜をずっと先まで歩いて波の静かなところを探してみた。でもどこまで行っても泳げそうな穏やかさはなかった。足元は砂ではなく砂利で、引き波は足元がすくわれて立っていられないほどだった。

しかたなく泳ぐのはあきらめて、浜に寝転んで過ごしていた。ところがそのとき海に入って泳ぎ、運悪く溺れてしまったという事件が起きた。それも二人。一人は自衛隊員だとあとから聞いた。

7月に入ったばかりのときを見計らって一週間滞在する予定だった。分厚い本を数冊もって民宿へ転がり込んで、面倒なことを忘れて過ごすつもりだった。でも命拾いをしたにもかかわらず、その後の民宿暮らしではさして読書量はすすみはしなかった。

民宿の食事は好きな魚の料理がでたが、「お頭」(多分まぐろ)が大きな鍋にどーんと煮られていて、何日も「楽しんで」食べた。天気はその後もグズグズと梅雨明けせずにいた。はては民宿の人にからかわれて、お前さんがいると梅雨が明けないから帰れと言われた。

穏やかに遊んでくれる海もある