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2019年10月18日金曜日

近所にマンションが続々と建つ


 そこは、広くて昭和の時代を通り超えてきた板塀の屋敷だった。取り壊されて平地になったと思ったら、マンション建設が始まった。公園が「美しく」改修され、グレードアップされた土地に、これ見よがしにポスターが掲示されている。大都市東京の活動をひけらかしているよう。

 しかし、近所は店が多くあるわけでもなく家庭の食材を手に入れるのは楽ではない。買い物は新宿のデパ地下になるのだろうか。景色は公園の先にライトアップした都庁が素敵に見えて、修景だけは上等だ。狭い道路であるところに、どんどん背の高いビルが入り込んでくる。道路を走る車は「介護施設」の送り迎えのものが目立つ。高齢化社会に合わせた「老人ホーム」ならなと思わないでもないが。

いまはない屋敷





眺望は抜群でも

北海道と比べ物にならない


2019年1月22日火曜日

ビルだらけの町から何が生まれるか














 

 17日にこのブログで書いた「「建設」の嵐とでも言っていいのか、ビルだらけの近所」の投稿記事は、昨年731日に撮った写真を使ったが、その後完成した公園とその周囲は、びっくりするような変容が起きている。撮影した時から5か月以上もたっているのだから、公園の隣接マンションは相当出来上がっているものだろうと思っていた。

 確かにそれは完成間近に見えた。そればかりか、その周辺の住宅ちでは建設の予定の看板を掲げているところがあった。十分立派な構えの住宅なのに3F建ての住宅にすると…。

 それに加えて公園の正面反対側にあった「旧家」はすっかり取り払われて、更地となってマンション建設を予定しているようだった。都庁が展望できる「絶好の位置」を…というコマーシャルが使われるのだろうなという気がした。都庁を建設する前に、「副都心建設の起爆剤」というセリフが使われた。「爆」とは穏やかな言葉ではないが、その変容に飲み込まれていることを、目の当たりにした。

 40年も昔だったが、黒塗りの車から「…料亭はどこ?」と声をかけられたことがある。今やその残像を探すのも難しくなってきたが、子供が小さかったころには、芸者置き場もあった風情がもう絶滅状態。

 これからどういう町になっていくのか、どういう文化を生み出していくのか?私には、いわば「破壊」から新しいものを作るという意図ばかりが先行しているようにみえる。時代の変化だから、ただ受容するということだけしかないのだろうか。

2019年1月8日火曜日

「経済活動」の在り方を問う声


 1993年に完成した中野二中プールは、地元の住民と区との話し合いで「低層で地階にプール」建設と言う結論に至った。日照権以上の配慮がされた。当時の区は住民の意向を聞くという姿勢を持っていた。予算などへの意見要望を「住区協議会」を通じて吸い上げることもしていた。

 数代後の前区長の姿勢は、そういった声を聴くことはなく、その態度のあまりの悪さに区長選で敗れた。JR中野駅周辺の再開発には極めて熱心で、サンプラザの取り壊し、区役所の建て替えなど、「公共事業」への税金投入路線を走った。

 区民の声を聴くと公約した区長が誕生したから、これまでのやり方を変えていくものと期待している。不動産業、建設業界の活力ばかりが突出しても、われわれの生活によい「経済効果」があるわけでもない。かえって物価の値上がりが返ってきている。

 近所ではマンション建設に、近所の人たちが反対の声を上げている。工事の方は構わず進められているが、このほかにも、青梅街道に面したところでは浮足だったように、マンション建設がすすめられている。売り出し価格もそう安いものではないだろう。購入層となれば「高給」に近い方になる。それこそ地方が枯れていくこととの落差が広がっていくことだろう。「経済活動」重視型を優先することへの見直しが、問われていることではないか。




2015年5月5日火曜日

下駄の鼻緒修理に商店街の履物屋さんに行く

 家の中の片づけをしたおりに、下駄箱から新品のゲタをみつけた。会津の刻印があるから、家族旅行のおりに手に入れたものだろう。そのときは、いつか履くときもあろうかと思ったのだろう。下駄は小さいころに履いていたし、ひところは就職したての頃も、使っていたことがある。しかし、道路がコンクリートで完全に覆われてくると、使う気にはならなくなっていた。

 引っ張り出して、使い道を考えた結果、ベランダだけで使うことにした。ベランダは硬質のビニールのようなコーティングをしてあるので、コンクリートよりはずっと柔らかいから、すり減り方も少ないだろう。ベランダで洗濯物を干すときに、常駐しているゴム製のスリッパに変えて使っている。ゴム製のスリッパは自分の足には小さくて、一度はいたら脱ぐのが厄介だったからちょうどいい。

 ところが、何回も使わないうちに、鼻緒が切れてきてしまった。何十年もお蔵入りしていたのだから、傷んでいるのも当然だろう。川島通商店街に、たしか履物屋があるのでと、下駄をビニール袋に入れてつりさげ、散歩がてら行ってみた。お婆ちゃんが出てきて、直せますよと後から取に来るようにと応じてくれた。商店街は売出日であるのに、歩いている客は少ない。店の4分の3くらいはやっていないのだから、寂しいものだ。帰り道の途中で本屋の前に、写真集の宣伝があった。川島通り商店街の昭和53年の写真があって、覗いてみたら当時の賑わっている様子が写し出されていた。






2012年6月20日水曜日

法は誰のために定めるか


 介護保険料は年金から天引きになるし、国民健康保険は「振替が原則」とまあ、ムダのない徴収に随分と手回しが良い。利便さは徴収する側の手を煩わせることなく当局の金庫(銀行)に入るわけだ。確かに払う側の手数が減るのは違いないが、払い方ぐらいは、どう払ってもいいだろう。そういう自由はないのか。

 振替が原則だという根拠を問い合わせてみたら、「規則」でうたってあると担当者が言う。最近の改正で決めたとか。「普通地方公共団体の長は、法令に違反しない限りにおいて、その権限に属する事務に関し、規則を制定することができる」と地方自治法が定めてあるから、できることではあるだろう。

 しかし、守らないとどうなるのかで言えば、「法令に特別の定めがあるものを除くほか、普通地方公共団体の規則中に、規則に違反した者に対し、5万円以下の過料を科する旨の規定を設けることができる」とあるから、場合によっては(区には確かめていない)定めた可能性もある。

 中野区の公式ホームページからは検索で出てこないから、聞く以外ないけれども、万一定めていたとしたら訴訟の対象になる事柄ではないか。改定規則がHPにも公表がなくて、周知されていないとしたらこれも問題だ。(法律の制定たるものはこれで済んでいる)

 振替で払わなくとも納付すればいいわけだから、方法は問えないと思うのだが。ほかの「税」の場合も、一般商取引でも支払方法は選択できるはずだ。


規則が検索できないかわりに中野公式ホームページからこんなものはでてきた


  
 中野区  平成24年度の債権管理方針(経営室)






 公務員の政治活動に条例で罰則を定めようとした、橋下大阪区長さん。政府から待ったがかかって、地方公務員法に定めがあって懲戒処分ができるから条例制定は地方公務員法違反ということ。ここは素直にあきらめたらしい。

 法律の専門家がこれでは…とも思うが、自分(自治体の長)がいいと思えばなんでもやるという風潮は、当たり前になってはいけない。もっとも知っていてやっている節もある。


2012年1月16日月曜日

「君が代」は過去もの


 官房長官が記者会見をするときに壇上に向い、日の丸の旗にお辞儀する。その姿を見るたび、あの人方は日の丸には頭をさげるが、国民には頭を下げていないなと思う。

 福島原発問題に関しての記者会見では特にそう思えた。自分が生まれたところを嫌いな人はいない。ずっとそこで暮らしたいとおもっているのが圧倒的だろう。

 それは震災で一層はっきりした。言い換えればそれが国に対する愛情というものではないのか。

 なのに、愛する相手が縁遠いわけ。わが近所の商店街はやっぱり寂れる一方。駅近くは商業化策に誘導されて、小売り商店は成り立たず、飲食店が入れ替わり、コンビニが幅を利かす。

 住宅街といえば、昔からの家が減り、歯が抜けた後のように黄色のカラーの「時間駐車場」が」増え続ける。身の回りがこれ。これは政治のせい。

 政治の処遇といえば、まるで社会保障のやりすぎで財政赤字になったと言わんばかりのやりかた。

 ユーロの信用が下がったと「格付け会社」が国の順番を発表しているが、日本はスペイン、中国と並んでいる。だいたい国債の信用で云々などということは、「大金」を持って投機に走っている連中の心配ではないのか。

 賃金をつましく得たり、年金でくらしている向きには直接関係がない。マネーゲームに左右される政治など願い下げ。こういう国を「愛せ」、直立して「君が代」を歌えというわけだ。

 最高裁の判決は「減給、停職は具体的事情がなければ許されない」とした。大阪でも不起立3回で免職という条例を決めようとしている。東京といい大阪といい、時代遅れの「過去もの」に縋っている政治は似ている。

2011年11月11日金曜日

雨が降ると、、描写が変わる


二週間ぶりの病院。爺様の晴れ男の効き目がちょっとお休みになったのか、車いすにカッパをかぶって行くことになった。

そのカッパについている帽子が、風で脱げてしまう。どうしたら脱げないかわからなくて、「頭を下げて」と声をかけると「うん」と返事。

予約時間はあってないようなもの。いつもより長く待ったみたいだ。こういう時に限って、「本」を持っていない。

やがて名前が看護士さんに優しく呼ばれて、尿パイプの洗浄。担当の女先生は体格が良くて、痩せた爺さまを造作もなく、ベッドへ移動させる。いつも頼もしいと思う。

 「骨を増強する薬」をもらうのも時間がかかって、病院を出たのは昼近くになった。

雨がまだ降っているから、出がけに「パンを買ってきて」というお婆ちゃんの言葉を気にしながら、一度家に帰ってから出直そうかと、いつもの道へ行きかけると、「何か頼まれたんじゃなかったっけ」と、爺様に言われてしまった。

「帰って出直そうかと思った」と弁解しながら、Uターンしてスーパーに寄った。

岩手山麓に憂いごとありと、なんの気なしにした電話に、応えが聞こえた。虫の知らせかなと、交わした会話。

それではと、溜まっている用事を、ドッコイショと念じながら、始末にとりかかる。ここ、ものごとが、パタパタとかたづかない。

こうなると、螺旋がかかる。夜半近くになって、もう中締め。日を改めて、やりのこった連絡をすることに。

2011年10月28日金曜日

自転車走行の取り締まりを厳重にするって

自転車の危険な走行を止めさせるのは必要なこと。自転車は道路交通法の適用を受けるのに、「研修」ひとつない。言葉は悪いが野放し状態だ。学校での講習会をちょっぴりやるくらいで、まったくと言っていいほど対策がない。

もっと対策が取られていないのが道路整備。「何とか環状線」だとか「専用道路」「バイパス」「高速道路」は極めて熱心に造るが、自転車が走行する道路はサイクリングロード以外はほとんど考えられていない。

事実上、歩道を走ったり道路を走らなければならなかったり、使っている方も人と車の間をすり抜ける走行をしている。これだけたくさん使われているのに、自転車に市民権がないのはおかしい。

言葉には出さないが、「車を使っていただく社会」造りばかりが優先されている。スポーツとしてはすごく発達している割合には、実社会での効用が危険ばかりと隣り合わせているのはいかがなものか。

 歩くには遠くて、自転車を使うとちょうどよい距離がある。交通機関の料金も馬鹿にならない。子供を連れて移動するのには欠かせない自転車利用のために、場合によっては自動車通行を制限して安全を図ることも必要ではないか。「交通権」として考えるべき時期かな。

2011年10月5日水曜日

住民サービスが細るのはいただけない

 9月中旬に、道路側の学校敷地の植込の雑草がひどいことをメールで中野区に連絡した。月末頃に植木の刈り込みをやってくれて、さっぱりした感じになった。

 ただ、道路側の笹が見苦しく垣根を越えて生えているし、案の定ゴミが投げ込まれていて、まだ手入れが必要な状況だった

 ちょうど月曜に、区の教育関係の職員に別件で会う機会があったので、その旨を話したら、言っておくということだった。

 昨日みたところ、植込みの笹竹が刈られてあった。ゴミもまだ残ってはいたが清掃したようだった。学校の敷地である場所の植木の伐採は2年に一回と、区の職員が話していた。

 ちょっと常識外だと家でも話になったが、予算をしぼっているのだろうか。その職員の名刺を見ると「…部…分野」という肩書だった。
 
 
業務分野をより広くあつかえるようになっているのだろう。これも人件費削減の表れなのか。

 地域センターから職員が撤退するし、保育園も民間委託になる。公共のサービスが細るのはうなづけないことだ。

2011年10月1日土曜日

寝ない街

 DELLコンピューターが届いた。大体一日がかりで、自分仕様に使えるところまできた。コードと電源をつなぐだけで、インターネットもつながるし、プリンターのソフトも自動的にダウンロードしたらしく、つながってしまった。使っているプリンターがどうしてわかるんだろう。気持ちが悪い。

 10時過ぎに散歩に出た。今日は歩いていないから、少しは歩こうかと思って。街中はというか、道路には、夜にしては人がたくさん歩いている。

 お定まりのコースを一周。どこの通りにも、ちらと除いた飲食店にも若い人たちがいる。

 30数年前に引っ越してきたころは、商店街も8時にはみな閉まっていたものだった。

 コンビニ、飲食店は日中なみ。子供の同級生の家は酒屋だが、12時まで開けている。みんな夜まで一生懸命働いているわけだ。

 非正規従業者が40%、貧困層が16%と聞いて、合点がいく。
ここから所得税4%増だって?消費税とるって?冗談じゃないよ。

2011年9月16日金曜日

役所は住民のためにがベスト

 

改善必要と確認したと返事がきた

 区役所に昨日打ったメール(植え込みの雑草繁茂への対応)の返事がきて、現地の改善が必要なことを確認したので、至急除草するとのこと。

 思ったより早い対応でなによりだった。内心、対応が遅いようだったらブログで書いたぞという手でいこうかと思っていた。

 役所の組織には、連絡先の電話とメールが必ずあるのでこういう場合に利用できる。記録が文章で残るから電話よりも良いかもしれないと思った。
 

 横浜市の放射性汚染焼却灰の埋め立て凍結に 

 横浜市が、放射性物質が含まれている下水汚泥焼却灰の埋め立てを、15日から実施するとしていた問題。

 当然ながら相当な抗議が住民から出て、凍結すると発表しました。「十分な説明をすることができず、市民の皆様にご心配をおかけしました」ということです。

 しかし、市は「埋め立てをすることの安全性が確認できた」ということで実施しようとしたものなので、「騒がれたから延ばす」ということのないように注視する必要がありそうです。

2011年9月15日木曜日

区役所にメールを打った

 隣接する学校敷地の道路側が、植え込みになっていて相当雑草が生い茂っている。

 その前がゴミの集積場になっているので、そのイメージがあるのか植え込みに缶やらペットボトルがよく投げ込まれる。

 区に連絡しようと、中野区ホームページからメールを送ってみた。中野区は駅前再開発を熱心にすすめている一方で、地域センターからの職員撤退、保育園の民営化など区民サービスを縮小しているので、その現れかなどと思いつつ、区の返事を待つことにした。


 住んでいる住宅地の風景というか、雰囲気はやっぱり環境がいいのが望ましい。10分ほど歩くと川島通り商店街があるが、年々寂れてしまって、今は見るも無惨な状態。

 中野新橋駅まえの通りで、14F立てのマンション工事が始まった。商店街の一角だが飛び抜けた高さのビルが建つことになる。

 駅前通の商店街は、入れ替わりが相当ある。ほんの一歩はいると低層住宅地域なので、渾然一体といった雰囲気。だんだん落ち着きのない町になっていくようで、物寂しい。

2011年9月3日土曜日

五七五、生みの悩み

 今宵は中野新橋の盆踊り。台風の影響で時々雨が飛んでくる。散歩がてらタコヤキを買おうかといってみると、こぢんまりとした感じでいつものように踊っていた。

 天気が悪いせいか夜店がほとんど無くて、家族用のシートを持ち出して座り込んでいる家族連れもいた。

 タコヤキ屋さんは普段もやっているところで、今日は行列ができていた。まあ、一回り歩いてきてから買おうと、そのまま通過して歩き出した。

 3,4日前に、コオロギだろうか、ちょっと頼りない鳴き声を、マンションの隅で聞いたから、一句まとめてみようかと、宿題にしていたので推敲しながらのウオーキングになった。
  

  チチコロロ 初鳴き競う 宵の口
  秋のぞき コオロギコロロ 宵の口

 あれこれ考えて、ようやくできあがったものは識者がみたら噴飯者かもしれない。でも時間はかかかった。だいたい俳句も川柳も知らないのに恐れ多いことで。

ところで
 松島や ああ松島や 松島や

の句は言わずとしれた、あまりの景色の良さに言葉がなかったとされる芭蕉の句。これが面白い。

 芭蕉は旅に出発の際は松島を絶賛したらしい。ところが松島では一句も詠まずに、一泊しかしないで通過した記録になっている。あれ、そしたら詠むヒマがなかった?

 仙台藩の要塞・黒羽の瑞巌寺、藩の有力商業港・石巻には熱心に見物しているので、芭蕉隠密説を構成しているとか。

 後から困ってつくりあげた句だなどと想像したら…もちろん虚言妄言です。

 ともかく五七五ができあがって、元のタコヤキ屋さんに戻ったら、なんと行列が増えていた!
 買うのを諦め、目標達せず。歩数は午前の部と合わせて10300歩。目標達成!

2011年9月2日金曜日

中野新橋完成記念式典

 中野新橋完成記念式典というから、地下鉄の中野新橋駅の新しい出入り口の完成かと思っていたら、神田川に架かる橋の完成記念だった。

 通りの通行を遮断して橋の真ん中で、お払いが始まった。挨拶には地元の区長を始めK議員、S議員、元国会議員のM氏など。

 区長は達者なしゃべりだったが、議員諸氏はやれ、だれそれ先生の尽力でとか、バス会社に掛け合って道路を通行止めにしたとか、果ては神田川の工事は自分たちが努力した結果氾濫しなくなったとかいう話を延々と続けていた。

 町会や商店会の主導でやっているらしが、映画で見る片田舎の催しで「○○先生のお陰であります」なんていうのが、都庁の高層ビルが見えるところでやっているのはなんとも可笑しい。特定の政党しかいないのも異様だ。

 小学校の鼓笛隊がパレードをするのに、近くで座り込んで待たされていた。長い挨拶の間に、にわか雨が2、3回降ってきて、付き添いのお母さんたちも大変。その度に雨宿りに走る。

 貴乃花と松村邦洋氏が来賓できていた。松村氏の挨拶がよかった。「商店街が寂しくなってきてる。賑やかな町にしたい」と言う趣旨の話で、議員連中よりも優れていた。








2011年8月9日火曜日

被災地の首長さんに見習え

 津波で破壊された町は、ところによって瓦礫の片付けがすすんでいる。更地が元のように生活の場をり戻すのにどれだけかかるのだろう。

 起るべき地震には、備えを十分対策することで対応することは必要。日本のどこであっても大切だ。

 中野区にあっては耐震改修助成は「個人財産の形成」になるためとの理由でやらず、まだ使用できる区庁舎の建て替え、駅前再開発には積極的に取り組むらしい。

 毎年やっていた「なかの祭り」は会場が確保できないから休止すべきと判断したので、区として支援しないと言っている。原発は「幅広く論議」と、判断せず。さてこれでは、東北の首長だとしたら勤まらないだろうな。

2011年7月4日月曜日

風を使おう!火は大丈夫?

 しばらく前に中野坂上に高層ビルが数棟建って、山手通りと青梅街道の交差点はビルの谷間のようになっている。

 今日は日中風が強くて、渋谷方面からふいてくる強風で地下へ降りていく階段は危険なため通行止めになっている。ここは普段でもビルにあたった風が巻き込まれて強風が吹くことは多い。

 高層ビルが一棟でつかう電力は相当な量だろう。発熱による周囲への拡散も馬鹿にならない。熱せられた風を受けながら、この風もったいないな。風車創って発電につかえないものだろうか。

 西新宿の高層ビル群もあるし、高層ビル建てるときには風力発電用の風車をつくることを義務づけたら良いんじゃないかな。なんて暑さですこしやられた頭で、歩きながら考えた。

 きょうは気になるニュースがある。ボーイング787航空機が就航されるとのことだが、機体が丈夫で軽いからメリットが多いというもの。一つだけ非常に心配になった。

 釣りをしている人はよく知っているけど、確かにカーボン竿は丈夫で軽くてよい反面、熱にはからっきし駄目なんだよね。火をつけるとチリチリと正体もなく燃えてしまう。

 事故がないという前提なら危ないよ。想定外があるかもしれないから。燃料漏れで燃えて…、離着陸で何か起こって…航空管制が…した場合は、どうなんだろう。カーボンが良導体で雷が当たった場合はどうなんでしょう?ぐらいは言ってほしいね。マスコミさん。大丈夫だとは思うけど…安全神話じゃいけないから。

2011年6月29日水曜日

夕涼みはなくなっちゃうのか

 21時過ぎから、散歩に出た。我が家の近所は、神田川を底辺にして台地がとりまいている。緩い坂、アップダウンがどこにもあって、ふと風が抜けたりする。

 熱い空気の風も、少しでも涼しい風が混じると、冷房とは違った快感さがある。

 事情で、来月の釣りの会の会報を作らなくてはいけなくなった。とはいっても、原稿は複数のライターが別に苦労を重ねているのだから、ページ数をまとめる仕事。

 入れてみたら、8ページには足らず、少し空きができる。涼しい風に当たったおかげで、埋める記事を思いついた。

 夕涼みなどという言葉も、死語になっていくのだろうか。近所に風鈴の音もない。七夕飾りもまだ、目に入らない。

 そういえば、蝉の鳴き声が聞こえないけど、どうしたんだろう。
 
 夕涼みの散歩で目標歩数を補足したつもりが、800歩ほど足りない9200歩。残念。

2011年6月11日土曜日

見れども見えず

 我が家の爺が午前中に帰ってきた。腰に力が入らないみたいで、寝たきり状態だったものだろうか

 午後晴れたので、「血圧対策」にこれ幸いと散歩にでる。アジサイを写真に撮ろうと最初にいってみたが、昨日見た以外にもアジサイを植えている処がたくさん目に入ってきた。

 散歩は、家を中心にして東西南北、結構歩いているのでいろいろ目に入っているはずなのに。心ここにあらざればということか。
 アジサイのおかげで7300歩の血圧対策になった。

昨日見たアジサイ
















あっちのアジサイ

















こっちのアジサイ

2011年6月1日水曜日

中野新橋の擬宝珠(ぎぼうし)は、新しいけど…

 中野新橋の「新橋」の工事が終わった。新しい装いでお目見えした。擬宝珠(ギボシ)がねェ。もともとは、銅か青銅で造っていたんだけど。

2011年6月1日















2010年5月3日 取り壊しの前はこんなのだった。















2011年5月23日 島根県 松江城の堀川で
 松江藩5代藩主宣維(のぶすみ)に輿入れした宮家の岩姫がみやげに「大橋と京橋の擬宝珠を持参され、京の三条に似せて京店を作った…」

  魔除けということですかね。柱の木材の腐食を抑える役割。




2011年5月23日(同日)八重垣神社で














擬宝珠(ギボシ・ギボウシュ)は諸説あるそうで、

 
 ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説


 仏教における宝珠から来ているとするもの。宝珠は釈迦の骨壺(舎利壺)の形とも、龍神の頭の中から出てきたという珠のこととも言われ、地蔵菩薩などの仏像が手のひらに乗せているもの。 この宝珠を模した形から模擬の宝珠という意味。


 ネギのもつ独特の臭気が魔除けにもなると信じられ、その力にあやかって使われるようになったとする説


 ギボウシ(擬宝珠)はユリ科の多年草、山間の湿地で自生。また花が美しく日陰でもよく育つため栽培される。茹でて食べるとこれが癖がなくておいしい。これも江戸時代に栽培されたらしい。
イワナ、ヤマメ釣りのいまどき、ちょうど生える。


 花言葉は「落ち着き」「沈静」「静かな人」。