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2021年9月13日月曜日

楽しみな「ドクターX大門未知子」

 10月(木)9時に開始される「ドクターX」を楽しみにしている。

 中間管理職の「御意」の言葉が風情に合って、目下の政治に重ねると痛快に見える。「御意」の映像が、「忖度」態様への風刺としての味わいを披露しているようで面白い。うまい言葉を拾い出したものだ。テレビドラマにも、「水戸黄門」のように「気持ち」に寄りそうところがあると、見ている甲斐がある。この言葉を非公開の閣議で使ってはいないだろうなどと、思いをはせると余計ドラマが楽しくなる。

 江戸時代のドラマでよく使われているが、当時はまったく「真摯」に使われていたことだろう。今は忖度を強引に迫る人事制度…やらの陰湿さがまかり通って、すべてイエス返事の仕立てで、ドラマにもしにくいだろう。「ドクターX」にすべて期待を載せることもできないが、コロナのご時世を中に取り入れるとの事なので、どんな描き方になるか興味深々。ドラマ中の赤字経営の病院も、公立病院の「民営化路線」で、コロナ対応で医療崩壊にいたる現在の背景が描かれて、アンカーになっている。「社会派路線」なっていると見心地がいいので期待したいと思う。


画像 2021.08.12朝日新聞

2020年1月20日月曜日

アメヤ横丁も外国人のテリトリーになったか


 上野での宴会は何回もあったから場馴れできた。「上野」という響きには、中学の頃に二等列車に乗って、田舎へ行った思い出もつながっている。時代の変化があっても、変わらない風景への親近感もある。

 いつもだいたい行く宴会場をセットしてもらって、わが身は待ち合わせ時間と店さえ忘れなければ心配ない。小一時間で着くところなので、いつもカメラを抱えていくつもりでいる。とはいえ人並みに「支度時間の増加」に阻まれて、それがかなわないこともある。

 暮れの望年会は宴席を二つ重ねたあと、アメや横丁に行ってみた。さすがの賑わいだった。暮れのニュースでは必ずアメや横丁の様子を放映するが、かつて映し出されたに商店の様子はずいぶん変わった。正月料理の品ぞろえを見て歩くよりは、日常使う衣類や靴などの店が多く見える。立ち食いや飲食の店などが目立って、生ものを扱っているところは少ない。

 いつ頃だったか釣りの餌に使うイクラを買った。そのイクラは安かったが、粒がポンポンして、皮に張りがあった。人造イクラだったと後から分かった。そのころの熱気は今感じられなくなった。外国の観光客が闊歩する街は、日本の原風景としてもう一つピンとこない。












2019年12月21日土曜日

退け時の寂しさこれあり


 10月にあった60周年記念演奏会、11月の合唱祭が無事に済んで、気分のうえでは一区切りになった。それよりグータラな身がそれ以上に休みたいと声を上げている。先週の男性コーラスの新しい曲で、「高音」の部分があった。高音部を他の人に被してもらうことができれば、とりあえずは何とかなるのだが、それはできずかすれてしまって音にならない。
 
 それで思い出したことがある。千…合唱発表会と合唱祭の演奏の際に、演奏した曲の講評を受けた際、「高音部が惜しい」旨の評価をうけた。それは思い当たることで、どうにかしなくてはと言う思いはあった。しかし自分の努力を超えてのことで、それ以上どうするかの方策は持つことはできない。

 「写真」をはじめて15年になるが、写真は作品を発表するまでの過程(「人目に晒す」まで)で、一様でない相克や葛藤がある。撮った写真がいいと思うことが絶対でないということが往々にしてあり、しかも人によってそれが異なる。ここが反面面白いところでもある。写真の表現は解釈まで含めて〈100通り〉もあるかもしれない。そういう意味では生き物のようでもある。画面に表す明暗、色彩、コントラスト、切り取ったドキュメント性など、わかってくると一層味わい深いものがある。

 合唱も重なるところはあるだろうと思う。表現力と受け手側の共生とでもいうか、曲の表現で共感を生むところは、同様の性質を持っている文化と言えるものかもしれない。極めることに近づけず残念に思うところだけれども、両方ともやりこなすには、ちょっと無理なところにきている気がする。

2019年11月24日日曜日

上に飛びぬける10階建て

 環状7号線の内側は、住宅建築規制を緩和して、高いビルを建てることができるようになった。不動産業界の事業拡大のため、かつての住宅専用地域内でも、相当な緩和を与えられた。近所はここ何年かの間はせいぜい3階建ての住宅が建ちすすんだ。20年程度の間に新しい住宅がとってかわった。

 その「低層」なかに突如10階建てのマンションが立ち上がった。ここばかりでない高層のマンションがどこの道筋でも建築中だ。近所のウォーキングではいたるところが工事中だ。人口が増え、住民税の収入も上がるのかもしれない。しかし、駅の混雑、上下水道や電気ガス供給に圧力になることだろう。

 なにより地域のコミュニティが、今でさえ希薄になりがちなのに、どういうことになるのだろう。ゴミ集積時のトラブルが目に浮かぶようだ。不動産屋が家を売らないかとしきりにチラシを入れているが、土地を確保してこういった開発をしているわけだ。

 東京一極集中への批判は、今は声が聞こえないくらいだ。年数が経つうち3階建ての住宅の「地上げ」などということになるのだろうか。奈良公園の木々を次々と伐採して、富裕層を対象にした高級リゾートホテル建設が2020年開業めざして、工事がすすめられているとのことだが、京都の下賀茂神社内に高級レジデンス…との宣伝もでてきた。もう日本中にこんなことが起きているのかと、うしろ寒くなってきた。






2019年3月19日火曜日

50銭2枚は1円ならず、お宝には縁のない生活


 使用済みの切手は、なにか価値があるかのような気がしていたが、それも今の世の中では価値はほとんどないらしい。未使用のものであればともかく、たとえ発行当時の文化を留めていようと、今の世では価値はないものらしい。

 趣味は「蒐集」などとかつては言ったが、しょせん金には縁のないものの慰み事だった。「将来の夢」に意義を見出していただけのこと。記念硬貨もお宝かと思っていたらそんなことは全くない。

 記念硬貨は500円玉などでいろいろなものが発行されているが、商品としての価値は特別高額なものでなければ、銀行で取り換えるだけのことだ。銀行に「両替」に行ったら、両替ではなく通帳に振り込むことを要求された。

 そのうちに10銭と50銭紙幣があったが、現在は流通していないから両替できないという。502枚なら1円にならないのかな?なんて急に惜しく感じてきた。でも、「大日本帝国政府紙幣」など使えない過去のものである方がいいには違いない。




2019年2月3日日曜日

恵方巻、江戸時代の文化がいま「大量廃棄」

 恵方巻を丸ごと食べる慣習は、どこからはっきりしないらしい。ニュースで「大量廃棄」の話題で取り上げられている。そのルーツがどこにあるかをウェザーニュースが書いた。アンケートをとった結果がおもしろい。

まず、
「恵方巻」を食べるか?には、
食べない人42
昔から食べていた34
最近食べるようになった24
食べている人およそ6割で、食べていない人4

 エリア別では近畿が多い
近畿では6割を超え、近畿に近い中国・四国エリアでも3割を超えており、北・東日本に比べて高め。


 近畿エリアでは

 近畿エリアでは、奈良県で「昔から食べていた」の割合が最も高い(7割以上)。また、滋賀県を除くその他の府県でも6割以上。

 北海道文教大学の北海道文教大学の「食卓の縁起に関する研究-恵方巻の受容とその背景-」(荒井三津子・清水千晶)によると
(1)江戸時代、節分の時期に美味しい香の物を巻いた海苔巻きを切らずに恵方を向いて食べて縁起をかついだ
(2)幕末から明治にかけて大阪船場の商人の商売繁盛、無病息災、家内安全祈願を願って
(3)船場の女性が階段の中段で太巻きを丸かじりして願いごとをした
(4)船場の旦那衆のあそび
~とのこと。


 近畿地方で縁起物として定着していたらしいことが、アンケートで示された。江戸時代に築かれた多様な文化の一つだろう。それにしても、「恵方をむいて丸ごと食べる」文化であったものが、今「食べずに大量廃棄」という憂き目にあっているのは、いかがなものだろう。皮肉に考えれば、この「大量破棄事件」で恵方巻に接したという宣伝効果もあったのだろうか。






2018年8月15日水曜日

阿波踊り「総踊り」を見て思い出した映画「祇園祭り」

 1968年に制作された映画「祇園祭り」の圧巻は、中村錦之助が山車の前に立って、見えをきり祭りを成功させるというシーンだった。「応仁の乱後、京都の町衆たちが室町幕府権力に抗して自治体制を築き、その象徴としての“祇園祭”を復興する」という筋立ての映画だった。そのときの堂々とした「反骨精神」のような場面に感激してよく覚えている。

 1964年オリンピックに際して、テレビの普及が大々的に進められた。映画産業に対する影響はすさまじいもので、「エログロ、暴力」路線へと傾斜していく時期だった。中村錦之助(萬屋金之助)の主演作ということだったが、映画化するまで紆余曲折があった。制作会社が予算化せず中止になったこともあった。錦之助が資本金を出し、「日本映画復興協会」を設立して、蜷川京都府へのバックアップもとりつけてようやくクランクインした。

 その後も、脚本完成の遅れ、伊藤大輔から山内鉄也への監督の交代、出演者の日程調整、製作費の増大(約3億円)、さらには政治的介入、ロケ現場での暴力団による妨害もあり、まさに艱難辛苦の末に完成した映画であった。最初の企画から完成まで実に7年を経た労作でもあるとウィキペディアに紹介されている。俳優のメンバーがものすごかった。
…中村錦之助:瀧花久子:佐藤オリエ:永井智雄:田中邦衛:志村喬:田村高廣:斉藤美和:藤原釜足:小川吉信:大里健太郎:大木晤郎:橋本仙三:沢淑子文:山口俊和:小沢栄太郎:浮田左武郎:有馬宏治:御木本伸介:三船敏郎:尾形伸之介:下元勉:渥美清:北大路欣也:関根永三郎:下條正巳:堀正夫:加藤浩:田中浩:中村時之介:玉生司郎:松山英太郎:片岡半蔵:鈴木悦子:遠山金四郎:伊藤雄之助:伊藤寿章:高倉健:美空ひばり、中村米吉、中村光輝:中村賀津雄:大辻伺郎:木暮実千代…映画衰退の時期を乗り越えようする意気込みだったのだろうか。

 「祇園祭り」は洋画系映画館にてロードショー公開され、大ヒットを記録した。東京では新宿ミラノ座、渋谷パンテオン、松竹セントラルの3館で翌年110日までの7週間上映され、観客動員数309,800 人、興行収入11,441万円を上げ、それまでの邦画ロードショーの新記録を樹立したとのこと。この完成の経緯も当時の時代背景を映してすごいものだと思う。

 ことしの阿波踊りが「政治」の方向から干渉を受ける(不正の事実もあると報道されている)とは、信じがたい。為政者の言う通りに従わないものは許さないという態度こそ、文化を軽んじるもので許されない。金儲けにつながらなければやらないなどとは、「公」のすることではない。総踊りの映像を見ながら「気概」を重ねてみた。民衆の「一揆」を感じさせることだった。

阿波おどりのルーツは、このような人々の自発的な踊りだったのだろう。江戸時代にも、為政者が何度も「一揆を招きかねない」として「阿波おどり禁止令」を出した理由がよくわかる。

2018年1月6日土曜日

紅白歌合戦見るも見ないも暮れのこと

 NHKの紅白歌合戦は見ないことにしているが、歌合戦に出演した“丘みどり”が歌った「佐渡の夕笛」のジャケットづくりに息子がかかわったとのこと。といっても、能面を持って行っただけのこと。

 佐渡は能と縁が深く能舞台が現在も30もある。江戸幕府が金銀山のために、天領とし金山奉行として大久保長安を赴任させた。そのとき能役者を同伴したのが始まりで、佐渡各地の神社に能を奉納した。庶民にも広く開放したため明治のころには200以上の能舞台が作られた。息子もそんな関係から佐渡に出かけることがあった。
 
 「佐渡の夕笛」のジャケットに能面を使いたいとの話があって届けたということだった。Facebookでともだちになっている方が、同郷出身の“丘みどり”が出演するので、今年は紅白歌合戦を見てしまったと投稿されていた。


2017年7月15日土曜日

英語という「外来種」

 英語を不要とするわけにはいかない日常になった。今は小学生の教育にも英語を取り入れていくということまでやる。グローバル化している社会には必需とされるのだろうが、和製カタカナであっても知らないものを投げつけられると、消化不良のようになる。

 文章を理解するのには、意味が分からないではすまないから、いちいちスマホやパソコンで検索して、意味なすところを調べる。わざわざ横文字にしなくてもすむところが、ずいぶんありそうな気もする。自分が学んだときでも英語を学ばされていたが、今に思えば知っていて損はないし、日常に使わないのは承知だった。だからなぜこんなものという感覚ではあった。

 社会の趨勢と言えばそれまでだが、なにか押し寄せるように横文字のカタカナが蔓延するようになった。パソコンの発達とそれに伴う「情報交換」や、伝達の迅速さがかつてとは大きく違い、多用されるようになった。新しい横文字言葉の意味がわからず、新聞を読む時でもテレビでも、その言葉が平気で使われてくるので、理解ができないこともある。このくらいの英単語は知っているものとして、勝手に決められているのかと若干腹立たしいことさえある。高齢者にスマホの市場が広がらないのは、横文字言葉の多さにも原因があるだろう。

 日本国内でもつぶさに見れば方言が駆逐されて、「都市化」によって故郷の言葉を失っている。開発の波をかぶらなかったところ以外は、NHKのお陰なのか「標準語」なるものが幅を利かせる。その地方の、つまりあの山から風が吹き降ろす厳しい寒さ、盆のころのとてつもなく蒸し暑い田んぼの、そこで生まれ出た言葉を失ってしまって、共通語となったことで、肌合いや機微など失ったものがあるのではないか。

 英語を…と、スピード~などまことしやかに宣伝し、英語クラブも流行っている。英語クラブには友人が複数通っている。言い過ぎを承知で言うなら、日本の文化を食い尽くす「外来種」の攻撃にも似ている。「英語」の名誉回復のために単語の訳を調べてみた。

「地域」
countryareazonezonegeographical zonedistrictdominionterritorial dominionterritorypart

「あうんの呼吸」
the harmonizingmentally and physicallyof two parties engaged in an activity; singing from the same hymn-sheet; dancing to the same beat


 訳の種類が多いのは、日本語の単語がそれだけ豊かな表情と意味を持っているということ。この英単語の使い分けなどとてもでないが、調べて使い分けする気はない。

2017年3月31日金曜日

桜開花を邪魔する野暮なやつ

 息子から仕事が忙しくて家に帰れないから、着替えを持ってきてほしいと連絡があった。睡眠もあまりとれずに、それらしき手当もされずに仕事をしている。身体のことを考えたら思い切った決断をした方がいいと、話はするもののもうひとつ先の結論がでていない。

 「一日8時間週40時間の例外」を野放しになるということ、他人事でない。「小規模事業所」ゆえ雇用主の責任だけではないと思うが、日本の「力」とはそんなものなのかと思うし、株価が上がればいいみたいなことで、よろこんでいればいいということにはならない。

 着替えを渡しに行ったついでに、市ヶ谷辺りの桜を見に行った。このところの低気温で、つぼみが固いものがほとんどだが、ちらりほらりと開いているものもあり、目を楽しませてもらった。歩いている人もちらりほらりだった。今期は遅れているが、時がたてば必ず咲くのだから心配はない。世の中のほうは、なかなか「開花」とはいかないようでも。







2016年2月27日土曜日

御陣乗太鼓、非暴力で戦ったといういわれに関心と感心。

 御陣乗太鼓は、名舟の催事として石川県無形文化財、輪島市指定文化財に指定されている。このいわれが面白いのと同時に、史実としての扱いがどうなのだろうかとつまらぬ心配をした。上杉謙信が各地を平定して珠洲市三崎町に上陸したとき、鍬や鎌で上杉勢を迎え撃つ準備をしたが、それではあまりに無力すぎるので、村の知恵者(古老)の指図に従って樹の皮で仮面を作り、海藻を頭髪に付け太鼓を打ち鳴らして、寝静まっている上杉勢に夜襲をかけて、陣太鼓と奇怪な怪物の夜襲に驚いて退散させたと伝えられている。

 村人たちは名舟の沖にある舳倉島の奥津姫神の御神徳によるものとして、毎年夏の大祭には、町をあげて祭りの準備に取り掛かり、奥津姫神社の大祭に仮面をつけて、太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめて、氏神様への感謝をする習わしとしてきたという。
 
 20名ほどの打ち手が、日常は能登のホテルでの公演などで、活動している。このほか海外での公演も行っており、テレビ番組への出演もこなしているとのこと。今回初めてホテルでの公演を見て、その太鼓と「振付」の迫力に驚いた。夕食後の酔いがすっかりさめるほどだった。

 ホームページに「日本においては伝統芸能や文化財に対する保護育成のための助成などはほとんどないというのが実情です。ヨーロッパや韓国などでは助成されるケースはよくあるのですが。」書かれており、日本に文化を伝承していく困難さがここにもあるのだと政治の貧困さを知らされることになった。

御陣乗太鼓







2016年2月4日木曜日

向島の面影は、ほぼなくなってしまったのかもしれない

ウィキペディアによると、向島は明治期の最盛期には料理屋や待合が100件から200件あったらしい。非公認遊郭としても有名で、関東大震災や第二次世界大戦の危機も乗り越えたものの、昭和期にはいって料亭、芸妓は減少し、2009年には料亭18件芸妓120名となったと記している。それから16年もたっているのだからその雰囲気はほぼなくなってしまったのだろう。


向島にと思って撮影に行ったのは初めてだったので、昔の花街の雰囲気があるものだろうかと路地に入ったが、古い家が散見できただけだった。写真を撮っていつも思うのだが、もっと早く目的意識をもっていたら、日本のかつての姿や雰囲気にもうちょっと触れられたのかもしれないと悔やむことが多い。









2016年2月1日月曜日

人の恋路を邪魔する奴は馬にけられて死ねばよい

「ベッキー叩き」というよりは、ネタの面白さからテレビでもてあそばれている。14日からの国会が、注目に値する「話題」にもかかわらず、正月明けたら国民は忘れるという向きの話に乗っかるがごときふるまいは、なにやっているのという思いを持つ。だからこの話の曝露については、NETのなかでも批判する向きも多い。視聴者参加型の番組を意識するのは昨今の常識でもあるのだろうが、どうせ話題にするならその視点ももっと役立つものにしたらどうなのだろう。

LENのメールが外に漏れだすというのも、仕掛けはパスワードを他人が手に入れる(探せる)という弱点があり、現行法律で規制がないと言われている。でもシロウト考えながら、「通信の秘密」はそれこそかつての戦争への反省から、憲法に謳ったことだから、それが侵されているとしたら大問題ではないのだろうか。そうしたことへの業界の対応は放っておいていいのだろうか。犯罪捜査で警察が通信記録を調べられるということも、その点が問題になっているはずだ。

社会常識からして問題であっても「犯罪」ということはできないから、熱心に取り上げるということには、それこそ「なにか意図的にはめられている」と見えないこともない。そのての「不倫」はかの国会議員のなかにさえいるわけだし、議員になるのが婚活かよと言いたくなるような所作もある。「下着泥棒」だって己がしゃべって憚らないなどという「社会常識」はいったいどうなのだろうか。

ベッキーを擁護するつもりはないが、番組の出演にはあらかじめスタッフなどと打ち合わせを丁寧にやり、周りの評判は良いと言うことを何かで見たことがある。イメージを崩したという点では、コマーシャルなどには障害とみることもあるのだろう。番組に登場すると、視聴者から抗議のメールがたくさん届くと、今朝もワイドショーでやっていたが、その問題にこだわるメディアも易さ加減を、視聴率のためかと嘆きたくなる。

ベッキーのYoutube動画は数えきれないほどある。




2016年1月21日木曜日

ベッキーとSMAPの大騒ぎ報道

 憲法の規定を破って、議会開催をサボタージュし、安保法の「丁寧な説明」を放り出して海外に行っていた首相の責任が大いに問われるべき国会が始まっている。そのときに、ベッキーが不倫しただのSMAPが解散するだのという大騒ぎしているのは何なのだろうと思っている人がNET上でも増えてきた。

 「不倫」だの離婚しただの、しそうだのという、これまでいくらもあるネタを、茶の間に大仰に持ち込んで、本人に「記者会見」で頭を下げさせる。SMAPに「お詫び記者会見」を仕立てるドキュメントを延々とやるなど、だからいったい何が大問題なの?と聞いてみたい事柄がテレビを占拠している。

 スポーツ新聞が先立ってこれを書き立てるということだが、これに乗じてワイドショーが追っかけ番組にするという図式はこれまでどおり。だがこれがご丁寧に連日とりあげるとなると、なにかおかしな感じを持たざるを得ない。予算員会でSMAP「解散」が撤回されたことを受けて、首相が「SMAPが解散しないでよかった」と答弁したのだが、どうみても立場の悪いときに、ニヤニヤしながら答える顔を見ながら、ハハアと考えてしまう。

 SMAPの後ろ盾はフジであり、読売新聞がリードしているようだから余計にそう見える。それに、官邸のメディア対策での「食事会」も薬になっているのだろうと勘繰る。12月の「懇親会」には首相とのツーショットを喜々として撮ったという話もあるし、マスコミが権力から独立して監視するということを遠ざけてしまっては、目を曇らせるだけの無益な役割だ。

産経ニュースが面白い記事を取り上げた。

 「…本来私たちが有益な情報として心に刻む作業に使うべき時間が、どうでもよいことに使わせられてしまっていることにこそ問題がある…。」との渡辺武雄(同志社大教授)のコメントはなるほどと思った。「産経」が取り上げたところに面白さがある。


2015年8月12日水曜日

"2015.8.1高知県馬路村魚梁瀬「フェスティバル魚梁瀬」の花火" を YouTube で見る

 爺さんが、ショートスティーにいって、体調が悪くてまた入院になった。入院したのは併設されている場所にある病院で、移動は大事にはならない。連れ合いが、お婆ちゃんを連れて、息抜きに出かけていたが、以前にもあったことなので、要領は承知していた。入れ替わりにこちらは馬路温泉にでかけた。二回目の訪問になった馬路村は柚子の里として知られ、人口が1000人ほどという。温泉周辺を廻ると、村をあげての取り組みを、身近に感じることができる。昨年につづいての利用で、従業員さんとも顔見知りになり、馬路村の奥から通ってくるその若者は、ちょうど祭の日であることを教えてくれた。話す言葉のの端々に郷土の思いを感じて、勧めに従ってでかけてみることにした。20分ほど走って着いた山あいの公園に、300人くらいの人が、広げられたシートに座って、舞台の出し物に喝采をおくっていた。出演した保育園の子供たちや、若者のバンドか盛り上げていたが、夕方の陽が落ちていくときのシチェーションは、昔何処かであったかなと、懐かしい想いをさせてくれた。奥まった地で、お年寄りが多いのかと思ったら、赤ちゃんをつれたママさんや若者が多くて、村の息吹きを感じさせてもらった。

2015年7月7日火曜日

写真展と能が終わって

ほっとしているのは間違いないが、見てくれ来てくれとお願いした方たちとの交流と、その周辺作業で率直くたびれた。
能の道成寺は、息子がやることとて感想なりのことも本人が受け止めればいいことだが、何事も次の糧にというあたりは本人が胸にとらえられるかどうかは、少々心配なことだ。「道成寺」は室町時代以前にもあったとかということらしいから、それだけでも「深い」ものがあるということなのだろうか。しかし、伝統を伝えるのにはもうちょっとわかりよくてもいいのではないかと思うのだが、継いで行くということなら、「一般大衆」にも近づいてくれてもいいのじゃないかと思う。


席料の設定も高いものだ。伝統文化をつないでいく永続性も、大切な要素だから高い設定になるのかもしれないが、ちょっと思い切らないとなかなか行こうかということにはならない気がする。声をかけた方のなかでも興味があるという、あるいは好きだという方もおられたから、気軽にいける値段設定であれば観る人も増えるだろう。しかし、その運営にかかる費用もなまじなものではないことも、息子の言動からうかがえる。国なり自治体が伝統文化を大事にして後世に渡せるように配慮すべきところだろう。



 直前までご指導下さいました先輩諸氏のお言葉通り、思いきっ
てやることを心がけました。まだまだ足りないことばかりですが、
これを新たな出発点と定め、励んでいきたいと思います。
伊藤 眞也