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2020年4月19日日曜日

「あなたは私たちが方法を見つけなければならない」

 14日放送、BSプレミアムの「ガイロク」で、63歳のバンドマンにインタビュー。立川米軍基地で演奏していた。ベトナム戦争当時、兵士がよくリクエストした曲は「反戦歌」だった。その曲は禁止されていたが、小さい音で演奏したとのこと。YouTubeにあった。3258万回視聴はすごい。





~🎵
母親達よ
あまりにも多くの母親達が涙を流している
兄弟達よ
更に多くの兄弟達が命を落としている
そう、ここで今日にでも解決策を見つけなきゃ
愛しい思いを届けるすべを

父親達よ
もうこれ以上はご免だ
分かってるはず、争いが答えではない事なんて
憎しみを克服できるのは愛だけだから
そう、ここで今日にでも解決策を見つけなきゃ
愛しい思いを届けるすべを

ピケラインに
スローガンを掲げる
僕を暴力で罰しようなんて
思わないでくれ
話し合おう
そうすれば分かるはず
何が起こっているかなんて
現状がどうなのか
何が起こっているかなんて
見えるはず

母さん
僕らは間違ってるって皆が思ってる
ああ、でもただ僕らの髪の毛が長いってだけで
彼らに僕らを裁く権利なんて無いはず
ああそうさ、今ここで解決策を見つけるんだ
共に分かり合うすべを
ピケラインに
スローガンを掲げる
お仕置きなんて
やめてくれ
さあ、話し合おう
君にもきっと
現状が見えるはず
何が起こっているのか
今起こっている事を君が教えてくれ
それとも僕が教えてやろう

2018年12月21日金曜日

辺野古の海へ土砂投入の「愚かさ」

 基地問題などに言及すると「政治的発言」といって排除される。都知事選の際の石田純一立候補にあたっても、メディアを使ったあくどい攻撃に晒し、仕事を干してしまうなどえげつない方法を使って断念させた。政治に対して自覚的に意見を表明するのは、タブー化して、排除の対象に祭り上げる。

 企業はもちろん選挙の際には投票行動にさえ、組織の干渉をうけるし、公務員に政治活動の自由はない。それこそ憲法が保障するところの権利は、存在しないかのような社会になっている。

 「ローラ・りゅうちぇる」の沖縄辺野古をめぐるNET署名呼びかけ発言も、ごく普通の感覚なのだと思えるのだが、SNSのフォロワー数からして、影響は少なくない。だからこその「攻撃対象」ともなる。世論調査も辺野古埋め立てに反対の数が多くなってきた。「愚かさ」などと言うと不遜にもと言わないと、引っ込みがつかないが、一度壊した自然が元に戻ることはない。「元のように」戻るのには膨大な時間がかかる。

 東京湾はかつての干潟は、ほとんど埋め立てられてしまった。漁業者は仕事をつづけられなくなった。魚の保育園、幼稚園である干潟が、三番瀬や小櫃川河口干潟しか残っていない。魚も減ったのだから当然漁獲量も数分の一に減った。最近では木更津周辺のハゼも減り、アサリも他から取り寄せたものを撒いて育てている。ハマグリは絶滅危惧種になった。

 「自然を守る」一点でさえも、埋め立ては容認されない。しないのがこれまでの環境破壊への答えだろう。基地問題の有り様も「日米地位協定の見直し」要求まで高まってきた。造られたタブーを破る時期に差し掛かってきた。

ローラ「干される」心配は的外れ? 辺野古発言はむしろ「プラス」も

2014年9月14日日曜日

山と海を壊すことが、平和を守るというさもしさ

昨日の赤旗新聞で、辺野古新基地の埋め立て使われる土砂は、奄美大島や徳之島、瀬戸内海の小豆島などの山を削って使うという計画との報道があった。まさに驚きの「公共事業」だ。2020年オリンピックの競技会場でさえ、自然に配慮したやり方をとの合意形成が進んでいるのに、どうした乱暴さだろう。そのうえ新基地建設は、環境影響評価を避けるという姑息なやり方をするという。

いずれにしても、長時間を重ねて造られた自然に爪を立てて削るという行為は、自然の大切さを思うすべての人たちからも支持されないことだし、美観だけでなく地域のさまざまなバランスを崩すことになる。もう、そういう時代ではないと気付くべきだろうし、わかっているのなら一歩踏み出すのが見識というものでないか。

「アメリカのためなら」黙って従うということなら、日本国内のこれまでの自然破壊に対しての批判に、政治の面でほとんどないがしろにしてきたうえに、臆面なくまた重ねた不届き極まることだ。言い方を変えれば、環境破壊の上に進めてきた「日本の公共事業」を、アメリカの軍事行動を意識した「環境破壊」へとステップをすすめたことになる。屋上屋を重ねるとはこのこと。それも最悪の選択だ。

リニア新幹線は、残土の処理も明確にならないまま、強引にすすめられることになっている。行く先が明確になるわけでもなく、事実上造ることだけに意義があるとすれば、経済成長というよりも博打と変わらない。これが、憲法をおびやかして戦時への準備となれば、その範疇よりなおさら問題は大きい。人の生活もそうだが、自然を隷属させて人間の支配下に置こうとしてきた。そのことを今意識しなければならないときだろう。自然界の「リバウンド」はいま大きくなっていると言えないか。日本中に起きている温暖化による「異常気象」災害は、ここに至った原因に素知らぬ顔でほお被りし、自然の現象なのだと一向に顧みないできた結果ではなかったのか。







2014年1月20日月曜日

キャロラインケネディのツイートで思う

 キャロラインケネディー駐日大使が和歌山県太地町で行われているバンドウイルカの追い込み漁に「イルカ追い込み漁の非人道性を深く懸念している」としたうえで、「米政府は追い込み漁に反対する」とツイートした。
ツイッター上では、ケネディ大使の発言に賛同する意見が相次いでいるという。米ロックバンド、ガンズ・アンド・ローゼズの元ドラマー、マット・ソーラムさんは同大使に「太地に残忍な虐殺をやめるよう迫ることができたら、世界の英雄になれるだろう」と応援のメッセージを送った。米女優カースティ・アレイさんも、「何百頭ものイルカが虐殺されようとしている。日本よ、この惨劇を止めて」と書き込んだ。

イルカ漁は、縄文時代早期の約1万年前から沖ノ島遺跡(館山市沖ノ島)でイルカの骨がでてきているので、このころにはイルカ漁があったらしい。「イルカ追い込み漁」は銛を使って行われる「イルカ突き棒漁」があるが、どちらの漁法であったのかはわかっていない。イルカの回遊量が「イルカの回遊数減少は、餌となるブリの減少によるものと見られる」など、環境改変で回遊が減ってしまったことで、明治の初年頃にイルカ追い込み漁が廃止となったところが多かったという。逆に、明治になってからイルカ追い込み漁が行われるようになったところもある。静岡県の川奈、富戸(現伊東市)、田子(現西伊豆町)などでは明治以降に始められている。

日本はイルカ漁を文化としてきた国だ。沖縄の名護市でもイルカを重要なタンパク源として食用にしている。発祥は不明だが明治の初めにはその漁が行われて、方法は沖縄独特のサバニを用いた追い込み漁で(水産庁の区分では突棒とされており、近年ではもっぱら手投げ銛による漁獲が多いもよう)毎年二月から六月頃に名護湾に来遊してくるバンドウイルカやコビレゴンドウを対象にしている。1970年頃に最盛期を迎え、この頃は市民と漁協による熱烈な応援のもと港の船がほぼすべて出航し、多い時は250頭ほどを一度に漁獲していた。 
しかし以降は九州・沖縄サミット開催へ向けた議論の影響もあって減少に転じ、1989年には自由捕獲が禁止となった。以降は、毎年の漁獲量限度を設定しての実施となっている。主な用途は食用であり、絞られた油は食用油にされ、一部は肥料としても利用された。ただし食用は主に名護市に限られ、古老の話では食用として一般に普及したのは第二次世界大戦後とのこと。

2009年の日本におけるイルカ漁全体の捕獲枠は19,383頭で、実際には11,020頭が捕獲され、その実績内訳は突き棒漁で捕れるイシイルカが9,540頭(リクゼンイルカ型7,767頭、イシイルイカ型1,773頭)とほとんどを占めていた。つまり、イルカ追い込み漁での捕獲数が日本のイルカ漁業に占める割合は全体の1割程度ということだ。

名護市長選で稲嶺氏が当選した。基地建設反対の民意が明確になったが、今後もあらゆる手段で基地建設の強行が狙われると想定される。しかしとりあえず、ジュゴンが生育する豊かな海も守られる希望が持てた。イルカを捕獲することが罪悪だとすることは、100%と当たっているとは言えない。基地建設によって、名護のイルカ漁の文化も破壊され、ジュゴンもいなくなってしまうのでは、「残忍な虐殺」とは違わない。


日本自然保護協会の声明
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への埋め立て申請承認に対し強く抗議する。

公有水面埋立の手続きでも、問題は解決されるどころか、新たに深刻な問題が次々と発覚し続け、沖縄県は度々国に解決を求めてきました。
しかし、本日の沖縄県知事の会見は、これらの課題がどのように解決したのかについて、県民はもちろん、関心を寄せてきた国民が理解し納得できるものではありませんでした。
日本自然保護協会は、国と県に事業の透明性の確保を求め、ジュゴンやウミガメをはじめとするサンゴ礁生態系の環境保全措置が担保されない限り、県に埋立申請を撤回することを求めます。





2013年12月28日土曜日

沖縄の歴史は壮絶なものだ

 アメリカに対してはまことに胸襟を広く開いてことにあたる自民党政権。戦後ずっとそうだった。その態度がちっとも変わらずにここままできた。
 11月に沖縄に行って、沖縄の歴史や基地問題に少し触れることができた。話を聞くにつけ、沖縄の歴史は一日二日で理解するのは失礼だと思った。今、辺野古に基地を造るという安倍首相と仲井真知事の合意を聞いて、なんというバカげた選択なのかと思う。アメリカの言うとおりに動くというと簡単明瞭だが、こういう状況に招き入れる自民党と、ほくそえんでいるだろうアメリカの仕打ちはあまりにひどい。

 米軍府北部訓練場のヘリパッド建設反対の監視小屋を訪れた時の話は、そのひどさに仰天した。
 1995年、米兵による暴行事件が起きた。抗議する集会が開かれておよそ10万人もの人が集まった。翌年「基地の整理縮小」をかかげて設置されたのが「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」だった。日米両政府が最終報告に合意して『SACOの合意』が発表された。この合意で、北部訓練場の半分を返すという条件との名目で、返還予定地にあるヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)を高江周辺に移設すること、海からの上陸作戦訓練のための水域と土地(宇嘉川河口)の提供が決められた。つまり、転んだらただ起きるどころではなくて、転んだ弱みに付け込んで棒でたたくような仕打ちだ。

 ヘリパッドは北部訓練場に22か所あり、その上に高江集落を囲むように6箇所増設するという。人口150人ばかりの村であることを「いいことに」してだ。一文近い民家からは400メートルしか離れていないという。ヘリパットは、むろんオスプレイが訓練で使用することができる。そこまで想定された策略だ。

 「やんばる(山原)」に有名なヤンバルクイナ、ノグチゲラなどの固有種や絶滅危惧種が数多く生息している。日本全体の0.1%にも満たないところに1000種以上の高等動物や5000種以上の動物が暮らしている。国際自然保護連合(IUCN)が保護を求め、世界自然遺産、国立公園にしてとの声も上がっている。戦争は自然界も傷つける最大の暴力だが、訓練によっても人間と自然に甚大な破壊行為を生み出している。(資料「Voice of TAKAE-沖縄県高江村で起きていること-」)













2013年11月17日日曜日

沖縄ツアー付け足し

 沖縄を訪れた若者のブログに書かれていた感想があった

※沖縄は戦場とかした何て知らない人もいるこの世の中、青い海と青い空だけではない、この場所も皆に知ってもらわなければならないと感じた1日でした。※

 若者だけではない、沖縄の苦難の歴史に触れて知ることが平和を考えるうえでおおきな意味があると思った旅だった。特定秘密法案が強行されれば、「その時代」を招くことになる。そうなってしまっては、沖縄が被ってきたマイナーな歴史を追認することになってしまう。「理由が提示されなくても逮捕」されるようなことになれば、ブログで書きこむことさえ控えなければならないことになる。人権も民主主義もすべてが抑え込まれる社会だ。


 最後に新原ビーチでグラスボートに乗って、海底の魚を鑑賞したが、海底のサンゴは白化が目立った。先ごろNHKの番組で温暖化が原因とみるサンゴの白化現象を取り上げたものがあった。おりしも、温暖化対策での温室ガス削減目標を下げることを閣僚会議で決定した。経済成長ばかりを突出させて生活にかかわる施策はすべて切り刻むカジきりをする安倍内閣は、まだ支持率が高い。

琉球そばとオリオンビール










2013年11月15日金曜日

首里公園の次は「不屈館」で沖縄の心に触れ、「歌と踊りの交流会」に触れる

 「不屈」は凡人にとっては、辛い表現。多分、実世界にはそうそういるものでない。しかし瀬長亀次郎にはその言葉が100%似合う。
瀬長亀次郎は沖縄人民党で活躍した人。経歴はウィキペディアに端的なのでコピーした。
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1907年、沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれる。沖縄県立二中(現沖縄県立那覇高等学校)、東京・順天中学(現順天中学校・高等学校)を経て旧制第七高等学校(現鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。2年間の兵役を務めた後、1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で横浜刑務所に投獄される。その後は蒔絵工などを経て、召集されて砲兵として中国へ出征する。
戦後、名護町助役、沖縄朝日新聞記者、毎日新聞沖縄支局記者を経て、1946年にうるま新報(現琉球新報)社長に就任。在任中、沖縄人民党の結成に参加したことにより、軍の圧力で同社長を辞任。雑貨店を経営する傍らで沖縄人民党書記長となり、1950年、沖縄群島知事選挙に出馬するが、準備不足もあり当選者の1割にも満たない得票数で落選。しかし、1952年の第1回立法院議員総選挙では最高得票数でトップ当選を果たす。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。
195410月、米軍は瀬長を、沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑(出入国管理令違反)で逮捕。たった1人の証言を証拠として弁護士なしの裁判にかけ、懲役2年の刑の判決をして、再び投獄された(沖縄人民党事件)。19564月の出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬する。対立候補から選挙妨害を受けるが、まったく保護されない無法選挙を戦うことを余儀なくされたものの、大方の予想を覆し当選を果たす。だが占領軍出資の琉球銀行による那覇市への補助金と融資の打ち切り、預金凍結の措置に遭い市政運営の危機に見舞われるが、市民は自主的な納税によって瀬長を助けようとし、瀬長当選前の納税率が77%だったのに対し当選後は86%にものぼり、最高で97%にもなった。そのおかげで自主財源での市政運営できるようになり危機を脱する。これに対し占領軍と琉球民主党は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定し(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)1954年の投獄を理由に、瀬長を追放し被選挙権を剥奪した。市長在任期間は一年足らずであったが、那覇市政をめぐる米軍との攻防は、瀬長に対する沖縄県民の絶大な支持を呼んだ。

196712月に瀬長布令が廃止されたことで被選挙権を回復。翌68年の第8回立法院議員選挙で立法院における議席を回復した。1970年の沖縄初の国政参加選挙で衆議院議員に当選する。以降7期連続当選を果たした。日本共産党に所属し共産党副委員長などを歴任。1990年、政治活動を引退する。2001105日、肺炎で死去。享年94
ジュリオ=キュリー賞、那覇市政功労賞、県自治功労賞、沖縄タイムス賞(自治賞)を受賞。那覇名誉市民、豊見城名誉村民。
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 感心することは多々あるが、瀬長亀次郎が那覇市長になったときの市民の行動は驚くべきものだった。占領軍が補助金と融資を打ち切って、預金凍結までして妨害をした。市民は自主的な納税によって瀬長市長を助ける行動に出た。納税率が最高で97%になったという。自主財源での市政運営できるようになり危機を脱した。こんな出来事は将来もはたしてあるだろうか、まさに驚きの出来事だった。自治体財政を開発などの浪費に使う自治体の長には爪の垢を煎じてやりたい思いがする。


 「沖縄の歌と踊りの交流会」は琉球料理を味わいながらの催しだった。「沖縄参戦音楽研究の芸術学博士」の新城亘氏を中心にした沖縄の文化を披露していただいた。












2013年11月13日水曜日

東村高江は子供たちが多い集落

 沖縄本島北部の豊かな森に囲まれた地域がヤンバル(山春)と呼ばれている。地球上でここにしかいないヤンバルクイナ、ノグチゲラなど1000種以上の高等植物や5000種以上の動物が暮らしている。ヤンバルの中にある東村高江は人口約150名で中学生以下が人口の2割を占める子供が多い集落。この隣に7800ヘクタール(東京ドーム1668個分)の米軍北部訓練場がある。ジャングルでの戦闘訓練を目的に1957年に使用開始して、ベトナム戦争でのゲリラ戦の訓練に使われた。ここにはヘリパッド(ヘリコプター離着陸帯)が22か所あり、常に爆音や危険にさらされている。

 そこに新たに6カ所のヘリパッドを、高江集落を取り囲むように建設しようというのが防衛施設庁の動向だ。「基地の整理縮小」の“偽装”工作となる、オスプレイの訓練用に。一番近い民家から400メートルの位置にも。座り込み、監視を続ける人たちは、沖縄県議会と全市町村の「オスプレイ配備反対決議」の意向も受けた活動となっている。「沖縄がベトナム戦争や中東戦争での加担者になっている」という言葉が耳に残る。



「違反者は日本の法律によって罰せられる」の文言で、特定秘密保護法案を連想させられた








2013年11月12日火曜日

辺野古の海は、海の臭いがした

 新基地、V字滑走路を造るなと座り込みが続いている。本土から行って気軽で浅薄な反対の意志などを言うのが恥ずかしく思える活動だ。基地は県外にという仲井真知事とは違って、県議会の決議は「県外・国外」へとの意見書を全会一致で決めている。名護市長は辺野古移転拒否の態度だから、結論ははっきりしているものの、安倍政権はますます「日米安保協力体制」へのめり込んでいる。どんなウラ技を使ってくるものか。秘密保護法案もその一つで、それこそ基地問題にかかわることは「それはヒミツです」ということにしたいのだろう。


 辺野古の海に接してすぐ感じたのは臭いだった。海の臭いがする。足元にはヤドカリがいる。しばらく見ていないからだろうが、感嘆の声があがる。東京湾で見たのは何十年も前だった。これが海なんだよなと、海藻の臭いを感じながら思った。ジュゴンのえさ場を守れとIUCN(国際自然保護連合)が声を上げている。米国連邦地裁に提訴しているが、このことによってV字形沿岸案の実像が日本政府の説明していたのとは全く違った「軍事要塞」であることがわかった。環境現況調査をなんしてもやりたい政府が、調査をいつ強行してい来るのか、そのたびに防衛施設局に抗議し断念させてきた人たちの闘いに敬意のみ。




支援の寄せ書きがいっぱい


基地境をコンクリート塀にしたことで、基地側の砂浜は堆積して高くなっていた。自然はこれだけ微妙に改変する。










2013年11月11日月曜日

オスプレイを見下ろす嘉数(カカジ)高地

 沖縄ツアーで最初に訪れた嘉数(カカジ)台。沖縄上陸の米軍を迎え撃つ最前線の基地とされた嘉数(カカジ)高地。高地と言っても高台。本土決戦の「引き伸ばし」のためにあえてこの場が選ばれた。戦車に体当たりする「肉弾戦」があった。米軍22台の戦車が破壊され、2週間の戦闘だったことが「語り草」となって、評価される向きもある。これ以後の沖縄戦も含めると戦没者は20万人以上。(沖縄戦での住民の犠牲者数は国の調査が行われておらず正確な数は不明だが、1950年の沖縄県援護課の発表では沖縄戦の日本側死亡者:188136人⇔2013.1.1の三鷹市の人口186,416人)
 二度とあってはならないとする以外に考えようはない。






 この高台から見るオスプレイはキチンと並んで翼をたたんでいた。不幸にして落ちた場合は、本体を傷めないようにバラバラに飛び散るようになっているということだ。宜野湾市の真ん中に堂々と占拠している米軍基地は、占領軍の居座りというのがピッタリしている。





2013年11月10日日曜日

沖縄普天間基地を見る

 沖縄でオスプレイを直に見てみたいと、中野革新懇ツアーに便乗させてもらった。三日間の交流で聞きしに勝る沖縄の歴史に触れた。15年戦争の悲惨な結末とベトナム、中東の戦争に「加担してきた沖縄基地」と、こもごも語られていた。平和の本当の重みは沖縄が一番知っているのかもしれない。本土との温度差もあることも話された。知らなければならないこと、知っておくべきことが沢山あった。

 嘉数高台からみた米軍・普天間基地は、オスプレイが整頓されて鎮座していた。基地の周りには住宅街が取り囲んでいる。これが沖縄の現状なのだと、驚きながら眺めた。

ちょうどオスプレイ駐機場所に日が差した。

ちょっと遠いので、トリミング

真ん中の白いところが普天間基地





2013年8月14日水曜日

「静かにしやがれ―」とは言えない話

 お盆に入って、東京から抜け出ていく車の列が渋滞と報道している。いつものいまどきの風物だけど、近くの住宅建築の「音」が止まって静かな時間が戻っていて、ほっとしている。30年前は建売住宅だったところが、古くなって次々と売却されて、建て替えとなったことで、自宅も含めて周りの5軒が新しくなった。自宅は15年前で早かったが、周りのオーナーも変わって、ずっと建て替え工事が続いた。

 一定期間いわゆる騒音があっても、一時のことと構えてはいた。それが、順に繰り返されて4軒連続となると、「騒音性」が高くなってくる。加えて道路を隔てた住宅の建て替え工事が、一時に3軒始まって、いま槌の響きの最中となっている。おりしも裏に接する中学校の体育館プールの保守工事が始まると、断りの連絡を区役所の担当者が言いに来た。思わず「工事が続いて、もう参っている。」と言ってしまった。止めさせるわけにはいかないから、そういう気持ちなんだということを伝えただけのことだった。

 昨夜はパソコンのバックアップを夜始めてしまったら、終わらなくて、夜半過ぎまで立ち上げっぱなしだった。今日はそのパソコンの稼働音が耳に残っているみたいだ。

 オスプレイが頼みもしないのに追加配備を強行しているが、その音もものすごいものらしい。音だけではなくて、実際落ちる危険も高いし、なんといっても戦争の道具だから、心穏やかにいられることはできないだろう。ノルウェイの首相がタクシー運転手をして、国民の「本音」を探ったというが、日本の首相も沖縄の普天間基地そばに「ホームスティ」でもして体験したらいかがだろうか。





2012年11月21日水曜日

オスプレイの写真を見た


オスプレイの実戦のイメージが写真集になっている、米軍提供の写真。



写真の一枚


2012年10月17日水曜日

また、米兵が乱暴。いい加減にしろ!

 また、米兵が女性に暴行した。今年43回目の米軍が絡んだ事件になった。こんなに米軍のオスプレイ配備に反対する声が大きいのに。まったく関係がないかのような態度になった。あってはならぬことをする、しかも繰り返すのは、もはや一過性の事件とはいえない。

 軍隊だから、命令一下で人を殺めるのが仕事だし、職務だ。そのための訓練、つまり「殺せる」度胸を身につけさせられている。「米国を守る」という大義を抱えさせられて、他国に軍事的介入をしていくのだから、そこには人権感覚はない。

 基地から外に出る前に「注意」を受けたくらいで、止まるものでない。「病み」をもったまま「日本の生活圏」に飛び出す。日本でオスプレイの配備にどれだけの反対の声が上がっているか、承知しているはずだ。

 斟酌なく住宅街でもどこでもわがもの顔に「練習」をする。そういうやり方が、兵士たちに映っているのではないか。ここまでくると、沖縄県知事ならずとも、「安保条約」にまで再考論議の必要性が出てくる。及び腰の「地位協定の運用見直し」くらいではなんの解決にもならない。

2012年8月10日金曜日

オスプレイが安全だというアメリカの説得は危ない

 オスプレイは操縦ミスが原因で墜落したので、機体には問題がないというアメリカ側の説明。これはおかしい。自動車事故の場合も、車の部品の不良でリコールがしょっちゅうある。事故が起きて原因が調べられた結果で、改良がくわえられる。三菱乗車でも「欠陥車事件」があったし、アメリカでも国内でも、日本の車の欠陥について、問題がしょっちゅう起きている。

 事故が起きた当座は、運転者責任が被せられている。自動車のシステムに人が慣れていないために起こるとされてしまう。自転車の場合は、車両でありながら走る道路がなかった。事故があまりに多いということで、やっと「自転車道路」を別に作ることを「公式」に取り上げた。行政怠慢の「真骨頂」。

 航空機は自動操縦だが、危険な時には手動に切り替える。この切り替えが機能を発揮しなくて墜落したこともあった。運転者責任になっていれば、メーカーの責任も、責任を持つべき官公署の反省もいらないということなる。

 第三者機関でない当事者が、あれこれの説明をしても、そのまま信用はできない。本質は「軍隊用の輸送機」なのだから、殴り込み部隊と称される。日本の基地が、戦争を仕掛ける場として強化をされることになる。技術的操縦ミスや機体の欠陥にとどまらない大きな「安全」問題だ。

2012年7月24日火曜日

アメリカにものが言えないのが、日本のあり方では。

 アメリカは横暴なところがある。世界の「覇者」だからですか?
オスプレイの配備については、「日本の政府」以外は沖縄県も配備計画されている宜野湾市長も、岩国市長も受け入れに賛成していない。全国知事会も自治体の意向無視を批判している。


 日本政府の態度はなんだろう。喩は悪いが、ヤクザだって「「ここは一番…願いたいと思っているところでござんす」くらいは言うだろう、こういうときは。イエスマンと言う言葉があったが、それに輪をかけて、先回りまでして従うことはしても、モノを申すことはない。これが日本の政府の状態。


 これは政治でもなんでもない。国民の大事なことはお任せする資質は持っていない。これが今までの日本の政治の在り様だったのだと今更ながら思う。「安全が確認されない」の言質にすがって、調査団をアメリカに送るというが、そんなことで理解できることでない。わかりきっている結論だ。「ああそうですか」しかないんでしょ。


 プロ野球選手会がWBCに「苦渋の選択」をした。WBCは、日本野球機構が日本チームは参加するといっているから、国内の問題だろうと逃げた。(結果として出なかったら、「訴訟」でもする気だろうか?)。日本のスポンサーも金を多く出していながら、日本野球選手の「受取」が少ないことに異論はないのだろうか。それともアメリカスポンサーに配慮するのが日本の企業メリット?

2012年6月25日月曜日

穏やかな自然になじまない異様な感じ

 窓から見えるものが、緑の少し黒っぽくなった木だけ。幾何学のようなビルが見えないのがここちよい。いよいよ仙人の境地に近づいたか。


 自然界は微妙なバランスで保たれているらしい。今日は日が射して、冷た加減の風が時々吹く。気候が移ろっていく瞬間瞬間で、生き物の動きが変わっていく。それに合わせる意図があってかどうかはわからないが、一秒刻みの変化にも表れている気がする。


 鶯が鳴いているのは近くだったり遠くだったり、鳴かなくなったり。それは勝手には違いない。きのうジイジイ鳴いていたセミか何かが、今日は鳴かない。庭に撒いた一握りの古米に、雀が家族で食べに来るのが、ヤマバトより早かったり、今日は遅かったり。己と他の別のものに影響され、交り合っているようだ。


 田植えが終わった後の苗が順調に背を伸ばす。田植えのときに写り込んでいた岩手山がもう見えなくなった。それこそ秒刻みで伸びているのだろう。


 青空の岩手山を撮って戻ると、自衛隊の夜間歩行訓練なのだろうか、朝から道の傍らに数人が座り込んでいる。あとから歩行してくるものもいる。自衛隊の車が前後で警備しているから相当の訓練らしい。


 先日6月13日に練馬、板橋歩行訓練をやったと報道していたが、間近かで銃を装備した隊員を見ると、こころ穏やかでない。戦争行為は自然界では絶対になじまない。万一あれば自然界も破壊の道に入ることになる。無駄なダムや河口堰、開発の名による山の破壊の類でない。蝉も鶯もあったものでない。近くに基地があれば標的の一つともなるだろう。


2012年6月19日火曜日

日本はアメリカ軍の演習場じゃない



 オスプレイの低空飛行演習が日本のあちこちでされている。危ない「新型輸送機MV22オスプレイ」が東北、信越、四国、九州など6ルートあるのだそうな。

 低空飛行訓練は、レーダー網を潜り抜けて、地形に沿って敵地深く侵入するためのだから、そういう地形を選んで「練習していただいて」いるわけだ。

 ルートの名前が奮っている「オレンジ、ピンク、ブルー」などとカラフルに名前をつけている。軍事色を薄めるためだろう。最近はエレクトロニクスの発達で、色に配慮をすることが多くなった。写真や映像が、本物よりきれいになることもある。

 しかし、だいたい軍事戦闘行動はカラーなんかにはなじまなし、人を殺す場面をニュースであっても見たくはない。せいぜいモノクロだった時代のままで結構だ。

 そのくらい過去のものとしておきたい。領土を武力で手に入れる時代でない。日本で訓練して海外で、戦闘するアメリカのために日本の国土を提供する。

 それを「日本を守ってもらっている」という言葉だけではもう済まない。「はいはい」どころか、先回りまでして媚を売る日本の姿を恥ずかしいとは思わないのだろうか。



  スペインの旅5洞窟フラメンコ

2012年6月2日土曜日

沖縄に配備するという「新型輸送機MV22オスプレイ」


 
 よく落ちるから危ないと言われているオスプレイ。ウィキペディアでは「V-22(航空機)」と正式命名されていると書いてる。強襲揚陸艦から飛び上がるれっきとした攻めの兵員輸送機。輸送機などと言われると軍事行動に使うものとはわからない。

 オスプレイは、鷹に似た猛禽類の「ミサゴ」からとっている名称。日本では減少傾向にあるらしい。

 試作段階で2回、訓練中に2回事故を起こしている。事故の原因調査を米政府が防衛省に「非公式」に伝えていたと朝日新聞が伝えた。「機体に問題なく人為的なものだった」と。

 7月末に12機を普天間まで機体搬入する予定。政府は正式な説明を受けた後沖縄に伝えるという。上記のホームページは少し古い(2007414日付)が、このHPページは「次世代兵員輸送機MV-22オスプレイ」と称している。

 この時には「海兵隊は2014年から16年の間に沖縄に配備する意向」と記してある。なぜか2年も早く繰り上がった。日本の政治で繰り上げてすすめるのは、良いことはまずない。

2011年11月30日水曜日

犯す前に…というセンテンス

 沖縄の仲井真県知事さえ、「口にしたくもない、汚れる」と行った。元沖縄防衛局長の言葉。


 政府の高官が食言でころころ変わるのは、国民の要望と相いれないことを実行しようとするから、反対するものを悪者に仕立てないとやって言えないということだろう。


 そういう発想からすると言葉は違ってくる。例えば天皇の前で話をするとしたら、そんな言葉は絶対でないだろう。「敬意」の対象が国民となると愚民思想、つまりおまえらわかってないと言いたくなるのだろう。


 ねじ曲がっていること、基本に考えなくてはいけないことに逆らっている、そのことに気が付かない不幸だ。思うところ、政治家の資質も当然あるが、こいう政治家を生み出す小選挙区制中心の害悪きわまれりというところか。


 沖縄の基地問題も、日本から移転をというところまでは距離があるけれども、本当の解決はそこなんだというところを抑えていかなくてはならないと思う。マスコミもそんなことぐらいはわかっているはずだ。