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2024年8月21日水曜日

よくある物忘れ最前線

退職者会の寄合が終わった後、担当のMさんが部屋に鍵をかけた。そして歩き始めたとたんに、今日間違いなく頭にかぶっていた帽子を、部屋に置きっぱなしだったことを思い出した。その場で戻ればよかったものを、他人の手を煩わせるのが申し訳なくて、「次回の会議の時でいいよ」と話した。なかったみたいだよと他の人が言うが、家から当地まで寄ったところはなったから、絶対にあると確信してそのまま帰ることにした。

先週はお盆で休みだったらしく、電話には応答がなかった。月曜に再度電話を確認してみたところ、あるにはあったけれども自分のものとは違っているようだった。わかりましたと電話を切ったけれども、絶対にと言えるほどだった自信がグラリと地震のように揺らめいて、いよいよ忘れ度がランクアップしたんのかと気が重くなった。

同じ月曜には約束があって、うっかりカレンダー登録を忘れてしまっていたため、当日「お休みですか?」と+メールを受け取ってしまった。この惚けたショックも重なって、ちょっと落ち込んだ。これはいよいよやばいことになってきたかと、いくつかある予定は大丈夫かなと心配になってきた。

どう折り合いをつけるかは考えようもないけど、重い気分でいたら昨日になって、帽子があったよとの電話がかかってきた。よかった!

実は帽子は置いてきたけど、なくなってもいいかという気分が生じていたのに、やっぱり確認した方がいいと思いなおして、先方に連絡をしたものだった。自分の自覚が確かだったことが確認できて、気が軽くなって何よりな結末だった。でも、予定の書き込みをスマホのカレンダーに登録しておいても、頭にはあんまりはいっていないものだから、一日に何回もカレンダーを覗いてみる。8月も20日以上はなにかかにかの予定があったから、そちらの方を縮小するのが「お年頃」にあっていることなのだろうか。



2024年2月23日金曜日

玄関の鍵をかけるのを忘れた

 読者会があるので前日ももちろん、当日も課題になっている項目を読み込む。どうしても時間がなくて、(いやそうではなくてものごとに取り組むのに時間がかかって、)また追い立てられることになった。昼近くになって会に出かける時間になり、身支度を整えて玄関のドアを開ける。珍しく小雨がまだ続いていた。昨日玄関の脇の物干しにぶら下げた傘を外して、空を見上げるとポツポツと雨粒が落ちている。ちょっと迷ったものの傘は差すことにして歩きはじめた。

駅までは5分程度で着くが、改札前でポケットを探るとスイカをいれてある小銭入れがない。よくよく探しても出てこない。家に戻りながらハタと気が付いた。小銭いれには家の鍵もついているのだから、家の鍵をかけないで出てきたかな?と。家に戻ると玄関のカギは閉まっている。

もう、部屋からカギを持ち出していないことが確信的だったので、閉まっている玄関を開けてもらって、(もちろん連れ合いが締めた)部屋にある小銭入れを持ち出して再出発となった。鍵を閉めないで家の中に入るとは結構あったので、気を付けているが締めないで出て行ったのは今回が初めてだった。本を読むのが「義務化」されれば自分の脳にも刺激になるはずとの思いで、読書会に参加しているのに、このありさまではなにもならない。物忘れが一歩更新していらない勲章がまた増えたようだ。

花は春を忘れない えらいな





2023年9月30日土曜日

自分を笑うなら他人は傷つかない

 最近は心から笑うということが少なくなった。批判される対象なら嘲って笑ってもいいが、気持ちよく笑うというものでない。テレビをつけてニュースを見ても、明るい話はまずないし、「こんなことが起きている」と言った事大主義的なことばかり。チャンネルを回してあさるドラマも、軽快に笑える内容のものはまずない。

 書留を受け取りそこなって、不在連絡票をみて指示に従って入力して、翌日に指定した。出かけていない日なのに。これは相当重症かなと、深刻な思いがちょっとした苦笑いだった。

 今週は内科の予約日に、診療所からの電話で連絡を受けて、忘れていたことに気が付いた。とぼけた返答になってしまい、(笑い)ながら再度の予約をしてもらった。これで二度目だな。原因は、前回の診療時にスマホに予定表を書きこむべきところを、後でやろうとしてそのまま忘れたことだった。忘れてはならないとカレンダにも補足して書き込んだりして、何のためのスマホかいと起きる不幸を笑うしかない。

 みどりの窓口で購入した切符を事情でキャンセルすることになり、手続きの方法を確かめようと、懸命にNETで検索した。これが今は電話で受け付けることを避けているらしい。あることは違いないが、「内緒」になっているとしか思えない。「休日クラブ」には電話の受付ができるので、そこへ電話をした。朝から何回かけたことか、結局一日がかりになった。疑問は解消されたものの、腹立たしさを超えて笑うしかない。

お天道様が背中で笑ってる



2022年5月9日月曜日

忘れるのも自然の摂理?

 寝る前にマスクがないのに気付いて、懸命に探したがみあたらない。無呼吸症候群の治療ということで、毎晩寝る前に着用しているものなのに、どこへやってしまったのか。床はもちろんベランダをみても見当たらない。やむを得ず今回は装着しないで寝ることにした。

 翌朝になって明るく見えるのを幸い、もう一度見まわしてみた昨夜とおなじところを探したら、ベランダ出入り口脇に置いてある、竿たての束の上にちょこんと鎮座しているのを見つけた。シーパップのパイプとマスク部は毎日洗浄して、風通しがいい出入り口のカーテンに、洗濯バザミで止めて乾かしていた。布団を運び出すときにカーテンにぶつかって、飛んでしまったようだ。

 ぶつかってなにか飛んだなという気がしたのに、布団を手すりに掛けたあとは、そのまま忘れていた記憶が今頃蘇った。記憶がよみがえるだけまだいいか。でも、翌日に整形外科へ行って、「マスクしていない」と指摘された。「ああいけねエ」とハンカチで顔を覆って、マイクロ波の治療にかかっていたら、看護師さんがマスクをもってきてくれた。こんなに、注意力が散漫になるのは脳の働きなんでしょうね。どうしたって起きてしまうのだから、自然の摂理だよなどと言い訳をして、あまり突き詰めてないことに。笑うのが効果的かもしれない。

これをパイプをつけてし器具から空気を取り入れる