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2020年12月31日木曜日

クロダイがミカンを食べるのは悪食?それにしても

 湯河原のミカン畑から落ちて転がり、川から海に流れたミカンをクロダイが食べるという。房総の方ではクロダイ釣りの餌にスイカを使うということもある。魚の知恵なのか進化か生き残りかにかかることなのかわからないが、なにかの必要条件に迫られて食を満たしているのだろう。クロダイのように悪食と言われる魚たちも、およそ自然らしさを遠ざけられてしまった海辺で、さんざんな目にあいながら生き続けているのだろう。

 悪食の定義が「人が食べないもの」を食うということだが、魚に対して例えばイワナが悪食、クロダイが悪食…などとよく言う。でもそういう人間様ほど悪食なものはいないと私は思う。「人が食べないもの」との定義でしても、新型コロナで話題のコウモリを食ってしまうのも人間様だし。魚のえさになるアミやイワシなどまで食い尽くしているのも人間だ。果ては(魚)卵類まで「美味しく」いただく。「人が食べるもの」の範疇にここまで入っていて、人間は悪食でないと胸を張れるわけがない。 

 海岸エリアの利用で開発という名の環境破壊と、熾烈な漁獲量確保の競争でどれだけの魚類を再生困難な環境に追い込んだのか。仕掛けたのは人間の方だ。遅きに失するほどでも、ようやく成長の有りようが問い直されてはきた。自然のダイナミズムな変容にマッチした対策が必要なのだろうと思う。

 アムール川から流氷と一緒に運ばれる鉄分などの栄養は、親潮に乗って運ばれプランクトン繁殖のもとになっていた。おそらくは気候変動の影響をうけて「流氷が減る」ことで、運ばれにくくなる、否定的な動きになったのではないか。北海道での魚類海藻類の水揚げが減っているのはこうした背景があると思われる。

→ 北海道大学低温科学研究所

アムール川が運び、大陸棚に堆積した鉄は、この二つの海洋の動きによってオホーツク海の中層を通り、千島列島付近の潮の動きによって広く親潮の表層へと運ばれていることがわかってきました


われわれはまだこんなところにいる。これは悪いことではないし、好ましいことだがこの先が思考停止ではまずい。

<主なフルーツ魚>

鹿児島県:柚子鰤王

大分県:かぼすヒラメ

香川県:オリーブはまち

愛媛県:みかんブリ

広島県:レモンはまち

三重県:伊勢まだい *伊勢茶を使用

2020年2月15日土曜日

海を守り町を守る真鶴半島


 行き先が高尾山から真鶴半島に替わって、真鶴駅から半島を一周歩くことした。冬の服装で寒さを感じない程度の陽ざしだった。海の陽ざしは照り輝いてもう春が近づいている感じだった。「魚付き保安林」で有名な森と海の様子をカメラに収められればいいなと、鵜の目鷹の目で眺めながら歩いた。

 真鶴はリゾート法による別荘地開発、マンション建設による影響を避けるため「景観条例」をつくって街を守ってきた。現在も「変えない価値」を大切にしている。

 江戸時代に魚の生育のために、森を保全して対策をとっていたことも驚きだけども、その精神が受け継がれて、自然と人との共存を図っていることに感心をする。自然環境をないがしろにして破壊することに、さして考慮されない現代には珠玉のことに思える。

 ついでに森林総合研究所HPから拾った、魚付き保安林についての研究論文に、漁民へのアンケートの記載があった。
「森林の魚つき機能は古くから漁民にはよく知られていて、水産庁の平成6年度の定置網漁業と森林に関するアンケート調査の結果、全国1400余の定置網業者の約80%が森林の定置網漁業に対する効果を認識していることが分かりました。」と。

 その「魚つき保安林は平成143月現在、全国で約25,137ヘクタールあります。」とも書いてある。この面積は奥多摩町 225.53平方キロよりやや広く、大島町90.76平方キロの約3倍程度。あまりにも少ない。漁業者の認識があるのにかかわらず、効果的な手を打たない政治の貧困というべきものではないか。














2018年12月26日水曜日

自分が釣りの絶滅危惧種か


 今年はとうとう一度も釣りをしなかった。写真と旅に身を置いたことでしなかった事情もあるが、気持ちの中にやりたいという気分が湧いてこなくなった。道具を断捨離で廃棄してしまったのも、気力が薄れてきたせいだ。

 時間があればやる気になるかはわからないが、しばらく前の渓流釣りで、流れをさかのぼるときに転んだことがある。けがはなかったものの、ショックを受けた打撃は大きかった。これはもう自粛する方がいいかもしれないと思っていた。

 もともと足腰が丈夫な方ではないから、そこを乗り越えてやるには一時の気合も必要だ。難しくない対象の魚だったら大丈夫だろうと。そうこうするうちに写真の方が忙しくなってしまった。

 先日、船のハゼ釣りにという話があり、のりかかったのだが、船宿で船は出ないということだった。今年の落ちハゼつりは「釣れていない」という話を聞いていたから、その事情によるものだろう。

 つりの会のハゼつりでは、木更津アクアライン周辺の港を中心にしてつり大会をやっていた。ところが、やるたびに釣果が減ってゆき、大会運営としては耐えられず、釣り場の範囲を広げてやることになった。最近のシロギス釣りも釣果が非常に悪いということで、東京湾の状況が悪化しているという気がしている。

 海底のセシウムだの最近クローズアップしている、マイクロプラスチックの影響もあるのではと疑いをもつ。東京湾に流れ込む主要な川は、15、6本ある。かつては豊饒の海と言われ、江戸前の…という誇りをもたれた魚を育んだ海に、どれだけの異物が入り込んでいるのだろうか。

 小物の魚さえ「絶滅危惧種」になるようでは、生物多様性の東京湾は終わる。釣りの楽しみと言う極上の文化は抹消されてしまう。その前に、自分の釣りも「絶滅危惧種」になりそうだけど。



2018年9月5日水曜日

三方五湖の立ち寄り、衆議一決

 連れ合いの観光推薦により、三方五湖がいいかと定めて、中一日の立ち寄り場所にした。観光のなにが好みかと言えば、温泉であることは一致するが、長年「釣り主体型」であった我が旅は、ぜいたくをなるべく避けるのを通例としてきた。

 釣り趣向は病気とは言わせないが、突っ込み型の「道楽」には違いない。だからこそ回数を稼ぎたい。となるので、なるべく安い経費でやることを旨とする。高級な温泉でなくていいと、いつも不平を垂れている。

 海と湖がくっついているのだから、ああ魚がいるのだなと、性癖からさきに頭が動く。若狭湾と言う素晴らしい漁場の一角に位置するのだから、魚種も豊富に違いないと思うと親近感が湧いてくる。

 案の定、三方五湖の案内には、魚の豊富さが書かれていた。コイ、フナ、ボラ、ハゼ、クロダイ、スズキ、カレイ、サバがいる。養殖ではハマチ、フグ、マダイなど。五つの湖はつながっているようで、三つが汽水域になっているとのこと。つまり河口と同様の役割があることで、魚種が豊富なのだろう。太平洋側でこれだけの魚が育つところはそうないだろう。釣りの会があれば、この場所は格好な釣り場となると、余計なことまで考えてしまった。





2016年2月20日土曜日

小さな港で能登の「らしさ」を切り取る

一泊目の田中旅館には、「まれ」撮影の関係者やら有名人が訪れている写真が残っていた。輪島からそう遠くないところで、海側に絶景があるというわけでもない、かえって瀟洒なものがないことの価値が、彼のドラマの筋立ての中にも使われて、日本の原風景を見ることができたのは共感があったものだろう。


 今風の観光立地で金科玉条のように重きを置かれたら、この地の将来がどうなるのかと、おせっかいながら思う。その価値は決して「金勘定」のはずがない。よくあるレジャー施設が誘致などで、地元の生活やら価値が貶められる…とは個人的な妄想かもしれないが、生活の再生産がなりたっていれば、それも価値があることではないかと余計なことを思う。間垣が大沢、上大沢のいずれもきれいになったが、そのあり様を見てつまらないことを考えてしまった。

 間垣の修理が高齢になるにしたがって、難しさを抱えているという現状が見えなくなった。きれいになったことを悲しむということではないが、善しとすることなのかどうか言い難い気がする。田中旅館を出るとき、雨も降ってきたし、皆なんとなく大沢地区を離れることに異議はでなかった。天候の具合もあったしこれまで撮った以上のものが手に入るのかという判断だったのだろうか。

 輪島に向かう途中、実はこれも以前には立ち寄ったところなのだが、「鵜入港」で車を止めた。道路の上から俯瞰してみると小さな港で歩き回りやすいと見えるところだ。上の道路で車を止めて結構な時間を使ってカメラに収めた。























2015年3月1日日曜日

旅館名が違う!NHKの朝ドラ(「まれ」)撮影で挿げ替えられていた

~旅の宿 ほのかな暖の 長火鉢~

 13日に輪島市の大沢町にむけ移動した。輪島港の近くのホテルを出てから雨模様が続く。大沢町までの間、海の景色を見飽きるくらい眺め撮りながら、町の塊が見通せる高台までたどり着く。地区の全景が撮れるビューポイントだが、何枚か撮るうち静かであるはずのバス停付近に、人が何人かうごめいているのが見えた。ちょうど宿泊する旅館のあたりだ。旅館に入るのは少々時間が早いが、雨が強くなってきたので、小さな町の塊の真ん中あたりにあるその旅館に入った。

 うごめいていたのは、撮影だった。スタッフと俳優らしき人が動き回っていた。「撮影しているので、映りこまないところに」と控えることを要求された。こっちとらだって撮影なんだぞと、ブツクサしゃべりながら、玄関先で声を上げた。奥さんが「出かけていて…」と言いながらご主人が玄関前の部屋に通してくれた。
長火鉢に炭火が熾されて、暖を取りながら暫くはご主人のテレビ撮影騒動を聞いた。昨年秋からスタッフが出入りを始めたらしい。輪島で撮影をしていると聞いてはいたが、まさかぶつかるとは思わなかった。旅館にはそのための工事関係者が泊まって、家の周りの外壁工事をしている。我々の撮影旅の対象としてきた間垣も、近所こぞって真新しい竹できれいになっていた。

 工事の費用は輪島市(?)からだされるということらしい。NHKがまさか撮影のための費用としているのではないだろうし。旅館名も変えられて(当たり前かもしれないが)看板がそれらしく古めいて造られている。二三軒隣には温泉も看板だけできていた。雨が上がったのを見計らって表に出ると、また「通行規制」に合う。若い青年が、余計な人が映らないようにと、無線で指示をうけながら懸命に働いていた。私は4回目の往訪だったが、間垣と港や山周りに積もった雪景色をターゲットにして、今回は補充をと考えていた。しかし旅館の外壁や間垣の改築で、新しい姿にはなっていたものの、「間垣の里」らしさが薄れてしまった。

 間垣用のニガ竹を修理するのに、竹の管理も必要であり、改修する高齢者が自力でやるには難しくなっている。金沢大学の学生グループが「助っ人」で、竹の管理やら間垣の修理をしているとのことだ。【私のホームページ〈20136月〉(http://29.pro.tok2.com/~urohaze/2013.5.magaki.html)】

だから、今回のように降って湧いたようなドラマ撮影も、波及効果で歓迎といえることにもなるのだろう。しかし、それだけのことでしかない。
















2012年9月1日土曜日

江田島の牡蠣ひび


 江田島の別荘に泊めていただいた帰り道に、海の浅場に「牡蠣ひび」を見た。

 8月ごろ筏に貝殻とビニールで造った「暖簾」を海につるすと、泳いでいた牡蠣の幼生が暖簾に付く(採苗)。しかしそのままでは1~2か月で死んでしまうので、海から引き揚げて海岸に並べて干す。最初は干満で海の水から出るところに置き、冬の間は一日中冷たい風のあたるところに干すことで、小さい牡蠣は丈夫になる。冬から春を過ごして暖簾を乗り換え、筏にぶらさげて海に戻され、暖かい海で十分なプランクトンを食べて育つ。
 
 牡蠣が大きく育つためには、プランクトンが豊富であることがいいらしい。東京湾奥の三番瀬干潟に、牡蠣礁が発達していると聞いた。干潟で潮の干満で空気に触れることや、波が穏やかなこと、有機物が供給されることがつくりだすものだろう。貴重な自然を守ろうとラムサール条約登録地へと運動が続いている。

 東京湾臨海部のお台場公園「人口干潟」は、下水処理水の浄化がしきれないため、一部汚染水が流れ込んでいる。海で遊ぶ場合いは、あまり酷いから、膝までしか入ってはいけないという制限をしている。

 他から海水を引いて注入したりしているが、はかばかしくなく、ついに(というべきか)牡蠣礁を造成して浄化しようという試みになった。牡蠣の浄化能力に期待して。自然をないがしろにして都市づくり、経済の発展、収益追求がされた結果がこんな可笑しなことになる。


 広島の牡蠣の養殖は室町時代に始まった。海岸に石を撒いておいて、牡蠣のついた石を集めて浅い海辺に移して育てた。自然との調和とはこれが原点だろう。原点をとっくになくして、温暖化の心配を人類の課題としなければならなくなった。これを発展だの幸せというのだろうか。


江田島の海(瀬戸内
東京湾お台場

2012年1月13日金曜日

夜灯(よとぼし)漁の祭り実行委員会から返信


 メールの返信が「稲毛あかり祭夜灯実行委員会」から届きました。ハゼや子カレイを獲る遊びの漁を「よとぼし」といったそうですが、わかったのが7年前だったとのこと。

 千葉大と商店街の共同事業で「稲毛レトロマップ」を作成するときに古老から話を聞いてわかったのだという。戦争によってこの遊びの漁は中断し、戦後再開したものの、そのころには漁の名前を知る人も少なくなっていた。

 町のおばあちゃんたちに聞いて回って探し当てたのだそうです。学生5人と商店街メンバー5人が、「真っ暗な新月の晩にカンテラの灯りがポツリポツリとついていく…周りで見ていてもきれいな光景だったろうね。そのあかり一つ一つには家族や職場の幸せがあったんだろうね」と盛り上がってその光景の再現をしようということではじめられた祭りとのことです。

 懐かしい子供のころの体験が、形をかえてしまっても、今によみがえらせているということに、こころ暖まる思いがしました。今年7回目の祭りにはぜひ参加してみたいと、今からワクついている。

2012年1月5日木曜日

被曝の安全基準はゼロで考えるべき


 NHK「親子でナットク・イチからQ!」を見た。いったい将来どれだけの影響がでるのか、ガレキ処理についての対応も気になる。 
 清掃工場での焼却灰、下水処理施設の汚泥、山林の腐葉土、スギ花粉、汚染水を海に排水、魚・食への影響はと考えると気が滅入る。

 ブログ=福島原発に対応する備忘録 は自分の「私的基準」を試算している。それが正しいのかどうかということは異論があるかも知れない。

 確固たる安全基準が設定できないとしたら、被曝はゼロと考えるのが安全基準ではないか。




  ↓抜粋
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【環境放射能値について】
●国の安全基準
国が定めた一般人の年間限界被曝量は1mSv/1年間である。
1mSv
 = 1000μSv
1000
μSv ÷ 365日 = 2.74μSv1日に許容される線量)
2.74
μSv ÷ 24時間 = 0.114μSv/h (1時間に許容される線量)

福島各地の放射線レベル」でこの基準を満たしている場所は南会津町しかない。

●私的な許容値
100mSv
 = 100000μSv
100000
μSv ÷ 365日 = 274μSv1日に許容される線量)
274
μSv ÷ 24時間 = 11.4μSv/h (1時間に許容される線量)

現実的な話をしよう。各地でサンプリングされているデータは特別なことわりが無い限り屋外で計測されている。

ゆえに屋内に居る場合の被曝量を屋外の1/10とし、屋外で活動する時間を1日の1/3としたらおよそ30μSv/hの環境までは容認できると判断できる。
一時期20μSv/h以上を記録していた福島市や飯舘村などに避難命令が出なかったのも、こうしてみると妥当なのかと思えてくる。

ただし、放射能の影響は育ち盛りの子どもや乳児、胎児に強く出る傾向がある。根拠はないが私なら上記の1/10の基準になったところで避難を考えると思う。
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2011年12月2日金曜日

共有財産を汚してはいけない


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吉田所長大丈夫か RT:"吉田所長大量吐血 29日昼頃、吉田昌郎所長(56)は病室で大量の吐血した事を東大付属病院が発表。現在、集中治療室での治療に当っている。これを受け、東大附属病院院長門脇孝(65)は、病名は本人の希望で非公表とし、原発作業での被曝の因果関係はないと話した"
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 ツイッターでつぶやかれている。被曝の影響がないということでも、劣悪な環境の元での業務が原因になっていることには違いない。

 福島原発の直下の海から、87万ベクレルのセシウム137が検出された。全国各地で放射性物質の測定がされ、広範囲にわったってセシウムが検出されている。



 2009年度に14道府県周辺の海底土に最高3.9ベクレルがあったということなので、福島原発事故まえにも放射性物質があったということ。


 原子力発電所の設置が日本の周辺海域全体に「バランスよく」配置されているのは、放射性物質の拡散を前提にしたものだということに信憑性を感じる。


 浅瀬は幼稚魚の生息域、人間の小さな子たちにも蓄積されることが心配だけれども、海に拡散していくのも心配なことだ。魚貝類の食物連鎖によって凝縮されていくことになる。


 海から受け取っている受益は精神的文化的な要素も含めて大きなものがある。人類共有の財産である海を、不用物の捨て場にするのはやめるべきだ。