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2024年12月29日日曜日

暮れを忙しくするのは誰だ

 なぜかざわざわしてくる暮れの時節。働いている人方は年末の稼働時間が少なくて、契約の完成日に遅れないようにとか、年内決済へむけた支払いのためなどに駆け回っているかも?支払い「困難案件」も、ものみな値上げのなかで、どれだけになるものだろう。

 江戸時代の大家の家賃取り立てには、店子が手段を駆使してしのぎ大晦日を迎える。除夜の鐘が鳴ってからは「とりあえずの保留」になって、新年を迎えれば松の内は安穏に過ごせるという(落語の話)。我が人生のつまらない経験をひきあいにすると、債権回収は、三が日明けなら(油断しているから)「押さえられる」という事例があった。権力機関にあるものがあらゆる「合法的」な手法を使って「債務回収」を実行することはまったく常識のようなことになっている。

 その常識の発信先は、働く場の有り様に起因しているものだ。ブラスかマイナスか、効率的なのかどうか、成績になるのかならないのか、事業のために、そんなモノサシが当てられて、背中を押される。その結果は想像するまでもなく、強いものが立場の弱いものをたたく図式が成り立つ。たたかれるほうに原因があるとした浅薄な結論では、今の世の中不幸の連鎖しかない。「しばらく許されよ」の場面は成り立ちにくい。

 けれども、そんなスキマのない社会は、いい世の中といえないだろう。逃げ道のない蟻地獄になっているのではないか。新しい年をむかえていくらかでも希望が持てる未来があるとすれば、「助ける政治」であることは疑いのないことだ。来年こそ日常生活の「安全保障」をしっかりお願いしたいもの。

 長浜公園(熱海の先)でみつけた桜(2024.12.18)










2024年4月25日木曜日

花見山、桜満開人満開

 月曜日で幸いだった。それでも時間がたつにつれ人出がすごい。こちとらのように年配のひともいるけど、若い人たちも外国人も交じっている。小高いコースが分かれて伸びているのに、我がが身を忘れて結局は一番遠いコースまで歩いてしまう。サクラと菜の花の黄色がよく溶け合って、華やかな気分になる。ぞろぞろと連なって歩いても、お互いがそんなに邪魔しあうこともないのは、気分的にも楽だった。時々見える眼下の景色が、小高い山のなだらかさからみてちょう感じよく、高麗者(「高齢者」を間違えたにわけではない)にも優しく感じる。

 ずっと歩いて桜のいろいろな風情を写真で撮るのは撮影の練習にちょうどいい。撮り方と映り方を考えながらあるくと何枚も撮れる。デジカメは簡単に何枚も撮れるのにもかかわらず、撮る枚数が少ないことが多い。それは当然なことで、何枚も撮っても仕方がないからだ。ところがギッチョンで、ず~と写真を撮って人目にさらすということをやっていたら、どうもそんなことでは済まないことに気が付いた。もののある瞬間をシャッターチャンスとすれば、朝昼晩、雨風雪、季節、季節の変わり目年月の経過などなど、たくさんの異なった場面が対象になる(できる)ので、カメラで撮らなければもったいないということにもなる。シャッターを押すのは、「ここがいい」と決めて実行するのだから、その画像(フィルム)は自分のお好みの一枚なわけで「思い」が籠っている。だったら一枚だけ撮るということではもったいない。夕方の瞬間でも数分、何秒後かには表情が変わる。

 サクラを撮るなら、ここと決めて撮るけれど、ちょっと角度(360度ある)を変えてみるとか、後景をどうするとかで、一枚では終わらない。そんなに身を入れることはないかもしれないが、もう一つ言えるのは、人に見てもらって写真の楽しみを交流・共有するということだから、「もうひとつ良い写真」であれば、言うことはない。「もう一ついい写真」はどこかの写真展で選ばれるようなものまで考えれば限りないほど何枚も必要になる。

 写真展に出すなどということを考えないのも普通だ。それでも「もっといい写真」は撮れるけど、見てもらうという負荷(楽しみ?)がもう一歩素敵な写真を撮ることにつながることは間違いない。ただ、たくさん撮ったとしたら写真の後の始末をどうするかということがある。どこにどう残すか、もう断捨離で早々に片づけるのか、画像の後始末はどうしようか?が、ゴミ問題に近く課題になる。ちょっと話題がそれてしまったけれども、たくさん撮るということにかかわることで、花見山は良い対象だったということが言いたかった。


花見山








とびとび写真集

2024年4月18日木曜日

なにはともあれ写真を撮る福島の旅

 写真を撮るのが軸の生きがいといったらいいか、腰の痛みがあっても出かけて写真が撮れればいい。とりあえず贅沢な日常と言える。「さくらんぼの会」の旅は、ちょっと心配だったが、痛み止めの薬をもって、桜を見るのを楽しみにした旅だった。腹中の「流通障害」で、調子が悪かったがトイレに入ってからは、落ち着いてきたので安心した。初日は昼食後に霞ヶ城公園に行ってみる。福島出身のIさんが二本松城址の配置までもよく知っているので、コース案内をお世話になって、景色の良い高台(城址)からな眺めを楽しんだ。

 見下ろすサクラの方はほんのちょっとだけのお出ましで、残念だった。寒暖の激しい天気ではサクラもいつ咲くのか大変なことだろう。城址公園を下っていったところにある寺、大隣寺に戊辰戦争で奮戦した二本松少年隊16名の供養塔があるとのことで立ち寄った。一本桜の素晴らしい姿を観られた。宿は新野地温泉で、以前にも泊まったことがあるところ。この温泉の鄙びた様子と吹き上げる蒸気が印象的で写真むきだ。