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2020年1月16日木曜日

もうじき春だから


 暮れから新年には「意気込み」を考えるみたいなことが習慣になっている。そんな習慣も、希望なんか考えることがどうでもよくなって、なかなかその気にならず思いつかない。それだけの刺激的な生き方をしていないということだろうか。

 年末から振り返りがあって、なにか息吹でも感じるところがないかと頭で思ってみても、また同じだよなという声が心の奥の方から湧き上がってくる。昨日と同じ今日などは確かに抵抗を感じるが、だからといって抵抗を乗り越えるだけのモチベーションがでてこない。

 あんまりそんな下らないことばかり考えているものだから、憂鬱になってくる。いまさら頑張ってみたってやれることはたかが知れている。そういう年頃なのだからもう頑張らない。「もう」というと昔は頑張ったみたいになるが、そんなにも頑張ってきているわけでもない。これまでどおりに似合う「ひねもすのたりのたりかな」をいただいていこうか。これなら仙人に近づける気がしてきた。



2017年5月29日月曜日

芽吹く季節の到来、生命の躍動を実感するとき

 もうアレヨアレヨとみるまに、桜の季節も通り過ぎてしまった。田んぼは雪融けの水を待っているし、山の眺めは雪がどんどん解けだしているようで、黒っぽい山肌が広がっていく。田起こしをする農作業の人たちが動き出すと、どこも静かだった山麓もいよいよ春の息吹をかんじることになる。ちょうどフキノトウが伸びきって、出たての頃のウキウキするような春の装いのページがめくられるときになる。頭の中では稲のちょっとだけ伸びて、風になびくあの姿が目の前にちらつく。大地に命が噴き出すように、うっすらとした緑のじゅうたんがそこかしこに敷かれると、感動と躍動の思いに浸ることができる。







2017年2月24日金曜日

思いだして朝のウォーキング

 620分には目覚ましが鳴って、(昨日セットしておいたから当たり前だけど)伸び体操をしてから起き上がった。このところ時間がぐうたら生活になっているから、起死回生の一発だ。東京に帰ってきて、なにか急に「生活改善」を思い付いた。別に深いわけがあるのではないが、日照時間がどんどん伸びて春が近くなったことが原因かもしれない。実に自然の摂理にすなおに反応したまでのこと。

 変わったことをすると、大丈夫かと自分でも反問してみるが、後ろめたい悪事を働くわけではないから、一大事が起こっても恥をかくことはないだろう。資源ごみを置いてから、神田川を遡るいつもの、最近はさぼっているコースに足を向けると、毎年今頃咲き誇る早咲きの桜が目に留まる。年配のご夫婦が記念撮影をしているのを待ってから、スマホを取り出して2枚撮っておく。歩きながらついブログのネタを考えるのが、ウォーキング時の習慣で、犬の散歩時の排泄に似た現象になっている。

2013年4月17日水曜日

溺れた犬は棒で叩け


 日本維新の会が兵庫県伊丹市、宝塚市の市長選挙に公認候補を立てて惨敗した。「退潮傾向」と東京新聞が書いた。まあそうでしょうといいたいところだ。マスメディアがいくら「橋本・石原維新」の露出度に手を貸しても、これまでにの自民党政治のエリアにいる限りは、バレるのは早い。だって、メディアを利用した宣伝に憂き身をやつすだけのことだから。

 早い話が、橋下氏がすすめる政策については、やらないほうがいいという対極にあるから、日を追うごとに、それは解ってくる。選挙結果をアップした、Facebookに「おぼれた犬は棒で叩け」と書き込んだ。酷い言葉かなとMET検索してみたら

 「1926年、魯迅が反革命派が占める北京を逃れ南下するときに述べたといわれる。彼は当時の反革命派を「犬」と呼んで憎んでおり、反革命にそまった「悪人」に対しては情け容赦もかけるべきではない、と言ったのである。」との記述があった。

 革命というワードの評価が定まらないから、軽はずみには言えないが、しかし変革を求めて「飛躍的発展」ということであれば否定されるべきでない。主権者は国民であり住民だから、その多数が今よりの幸福を求めるときに、止めるための手を広げるものは、批判されてもしかたがない。

2013年4月7日日曜日

春の嵐が通って行った


 昨日、必要な荷物をまとめて、スーツケースに詰めた。結構な量があって中は満杯になった。もうちょっと入れたいものがあったが、別に持っていくことにして宅配便の業者にネットで申し込みをした。夜に取りに来るだろうと見込んでいたが、業者から電話がかかってきて集荷は翌日になるという。荷物の輸送は夜間するとのことで、今日中に集荷しても翌日夜の出発扱いなるらしい。

 朝、集荷に来た業者は、1430頃までの申し込みでないと当日の輸送は間に合わないということだった。今度は気を付けようと話をしながら、ネットで申し込んだ伝票の作成を待っていたら、端末機から配送先と依頼主の情報を印刷して貼っていた。その印刷したワッペンを、受付票全部に張り終えるまで、結構面倒な作業をしていた。

 こちらはパソコンで登録した「依頼主、配送先」を便利だと思って、「作成する」に選択しておいたが、伝票に書き込まなくていもいい便利さが、とても面倒そうなことになっている。今度は手で伝票に書き込んだ方がよさそうだ。伝票は白紙をもらっておけば、事前に書き込んでおける。

 雨の領域は北海道が中心になっているようだ。昨夜はさして雨も降らなかったので、荒れた模様がわからない。ここの岩手山山麓は特異な場所で、いつも「滝沢村の天気予報」と異なっているので、ピンとこない。桜は堅そうな芽が出ているだけだし、まだまだ咲く気配はない。家の周りの林は、枯れた雑草が雪の重さから解放されはしたものの、くたっとなったまま。フキノトウが3つばかり顔を出して、花を開こうかとしているところ。庭先は、何かわからない小さい花が、いくつか咲いているだけの春先だ。





2013年3月8日金曜日

桜に誘われて人動き、釣り人はフナに動かされる


 気温があがってきて、人間も活性が高くなる。面白いことに、ここ二三日まえからは急にFacebookでも桜の写真が沢山投稿されるようになった。先んじられることに対抗する気はないが、写真ならデジカメが苦も無く撮れるのて、パソコンにとりいれれば、ちょっと手を加えて投稿はたやすい。それで交流ができていく。

 「近所の河津桜」をつぼみの時から撮って、投稿していた。それで反応が返ってくれば、うれしいような感情が湧く。これはどういう表現がいいのか、「おはよう」と言ったときに「おはよう」と返ってくる満足感と言ったらいいのだろうか。釣りをしているときに、魚の反応がでてくるみたいなリアクションが交流を成立させている。

 ちょっと書きたいことが違ってしまったが、本当は桜のシーズンは3月末が東京に時期なのに、話題がさっさと「桜咲いた」という盛り上がりができてしまうのが、可笑しいと思えたと言いたかった。日本の春夏秋冬のバリエーションのある素敵なシーズンを待ち過ごした生活から、春の良さを謳歌、期待するDNAが蓄積されているのだろうか。

 この春を待って、動き始めるのが生き物の本姓に違いない。ワクワクするような活性が、どれだけ人の元気さにもプラス効果を生んでいることだろう。釣りの会も、おりおりの行事計画にむけて走り始めた。桜咲く候に動き始めるフナを釣る楽しみに、鼓動が高くなっていくようだ。






2013年1月6日日曜日

雪かきのあとは春がくる

 朝方の陽射しが、林の中の方をごく薄い黄色に染めているように見えた。朝やけの現象かとおもったが、東の方の空はそんな感じでもない。朝食のときには、昨夜またひとわたり積もった雪をかき出しに、除雪車がやってきた。きょうの人は先日の人とは違うようだ。車も赤の色がイカピカに光っている新しいものだ。見ただけでなにか頼りがいを感じる。除雪車登場より、わずかに早く出てしまったお隣さんの車は、雪かき前の道を揺れながら、慎重に走って行った。
 
 ここは、国道から200メートルほどの位置にあるが、林を切り開いて宅地造成したところだから、山間の雰囲気が強く残っている。車で「下界」に降りていくとき、随分と積もったと思いながら、徐行していくと、国道に突き当たる。不思議なことに国道からは、別世界が開ける。雪があれっと思うほどなくなる。秋田から青森方面に抜ける道になっているせいか、交通量が多いので炭酸ガスの熱のおかげなのだろうか。それより下は牧場が広がる地域で、風が渡りやすくて雪が飛ばされてしまうという事情もあるようだ。

 森や林が雪を受け止めて、夏の少し前まで太陽の熱をもらいながら、徐々に溶けだす。細く流れ出した水が、近くの田の脇のホソに入っていくころに、慌てたカエルが冬眠から覚めて飛び出す。時によっては4月ころに、最後の雪が降って、飛び出してしまったカエルの立場をなくしてしまう。

 無事に田植えが済むころになると、オタマジャクシが場所を問わず、ゴシャゴシャと蠢くのが見える。今日あたりの陽射しは、力強さを感じさせる。春はじきにやってくるだろう。

2012年5月20日日曜日

今年は気候がおかしい

 気候が荒れ模様なのは、身の回りでも感じる。岩手山麓はいつもよりも寒いと言っている。この時期には床暖房を使ってぬくぬくと過ごしていたのに、今年は靴下をはかないと寒くていられないという状態だったと言う。


 そういえば4月の始めに、オタマジャクシが泳いでいたのを思い出した。カエルは早く出過ぎて、「フライイング」だったらしい。その直後にまた大雪が降ったし、そのころ出ていた蕗の薹も一度でるのを止めたらしい。


 4月末頃まではまだ花を出していたから、時期を合わせるのが大変だったことだろう。今はすっかり伸びて、タンポポみたいに綿帽子を飛ばしている。とっくに伸びている蕗を取りにいって、東京へのみやげにした。
4月3日
 4月3日
 4月6日
 5月8日

2012年5月10日木曜日

マイペースがうらやましい


 水仙が早々と咲いて、他に誰もいないのをいいことに咲き誇ると、木蓮が冬の雪の時も抱えていた蕾を一気に膨らませて散った。芝桜が小さくても頭数をそろえて、水仙と競う。お気に入りのブナの葉が、つい十日ほど前まで枯れ葉をつけていたのに、気がつくと潤沢に若葉をまとっている。蕨がもう2回も食卓に上って、ウドだって芽を出したのに、桜だけがまだつぼみのままだ。








2012年4月29日日曜日

釣りと山菜はつきもの


 蕗の薹を家に送ってやろうと思って、採りにいってきた。葛根田川の支流で、以前釣りをしたときに大きな蕗の薹があったのを見ていたので、そこを目指して網張スキー場の方へ車で走った。
 
 途中の渓流の水量をみながら上っていくと、渓流によってはちょうど釣り頃の具合のところもあった。道路が行き止まりになるスキー場は、さすがに雪がまだ残っていて、近くの沢の水は増して勢いよく下っていた。

  蕗の薹は伸びがものすごく早い。他の山菜もそうだが、チャンスを外すと直ぐ開いて茎が伸び出す。走りながら見えるものは皆背が伸び出している物ばかりだった。

 しかたがないから、少し伸びた物でもと思いながら摘んでいった。そしたら、もう帰ろうかという頃になって、芽が出たばかりの大きい物が採れた。やっぱり雪解け直後の場所がいいようだ。生のまま送りたかったが、黒くなってしまうので茹でて送ることにした。


2012年4月27日金曜日

滝沢村の小さな小さな店


 路地から出て行ったところの、十字路の角に店がある。その店は屋台。地方の道路で今時よくある、山菜などを並べておいて、勝手に100円入れて持って行く式のもの。

 この岩手山麓界隈にもいくつかある。十字路の角の屋台は冬の間は雪に囲まれて、春を待っている。ここを通る国道は、秋田から青森方面に抜ける道路で、岩手山の中腹にあるスキー場のアクセス道路にもなっている。

 十字路の店はときおり客があるのか、珍しくおばちゃんが店の中にいた。ちょうど医者に出かけた帰り道で、医師から「野菜を食べろ」という話しを聞いてきたばかりだったので、並んでいた野菜類を手に入れようと寄ってみた。

 良く育ったほうれん草二束と、蕗の薹二パックと豆を買った。車に戻りかけて、そうだ写真を撮らせてもらおうと声をかけた。まあ買ったお客の頼みだから仕方がないということもあったかも知れないが、愛想良くいい顔をしてもらった。

 近くに住んでいるから、写真持ってくるからねとお二人に約束した。良く育ったほうれん草は、すぐ茹でて食べた。柔らかくて美味しかった。


2012年3月24日土曜日

一人旅


 朝少し早く起きるだけで、10時少し過ぎには岩手山麓の仙人の家に着く。随分早く移動できるようになったものだ。

 昭和30年頃は蒸気機関車だった。電気で走るのは電関と言った。中学生の夏休みには、山形の故郷に帰るのには準急列車を使った。急行列車は乗ったことはあるのだろうが覚えていない。たしか、親の死に目にあうようなときでないと、使わないといわれていたような気がする。

 米沢アタリまで行くと山間部には入って、随分遠くへ着たものだと思ったものだ。スイッチバックでジグザグに走るときには窓から頭を出して、興味津々で見ていた。暑いから窓はめいっぱい開けて、石炭の燃えかすがよく眼にはいってきたものだった。8時間はたっぷりかかっていた。

 824日は新庄の夏祭り。日程は毎年動かない。あの笛と太鼓と鐘の音が今でも懐かしい。「チャリコ チャラリコ チャラリコ チャンチャン」と奏でる。今はもう変化しているらしい。

 そんこと考えているうちに福島。と、途端に雪の世界に入った。まさかと思ったら、なんと岩手山麓は、その「まさか」で、冬まっただ中の大雪だった。いつもだと仙台を抜けるときは一度雪が無くなるのだが今日は違っていた。仙人の家の桜の木は無論雪をかぶっている。部屋の中の枝打ちされた桜は満開だった。

2012年3月6日火曜日

蠢くのは虫だけでない

 今年はうるう年だったから、啓蟄は5日だったのかな。日中気温があがったので、夜のウォーキングのときは、生暖かい空気が混じっているようだった。

 家を出てすぐ、カエルが「ひき逃げ」にあって、つぶされているのを見た。暖かさに慌てて、出てきたものだろうか。可哀そうな。

 昼間は家の周りを猫が回って歩いて、夕刻には鳴き声をあげたから、春の訪れを告げたのかもしれない。

 一昨日の4日に、つりの会の総会を開いたが、仕事やほかの計画行事に3人もぶつかっていた。そう、3月なると「人」も動き始めるのだと、改めて思った。

 本来一か月前にやっていたものだったから、その時分は人の動きも「啓蟄前」で少なかったのだろう。

 人間の方の動きをよく表すのは「蠢く」。これも春と虫だけれども、この言葉はネットで見るとあまり良い意味に使われていない。広辞苑によると「はっきりした動きでなく、全体がわずかに絶えず動く」ということで、こちらの方が春先の動きの緩慢さを表しているようだった。

2011年5月14日土曜日

ブログとフキノトウ調理

 ブログが止まって、12日の分が更新されていなかった。13日中動かなかったが、今朝になって更新されていた。

 ログインできなかった状態が、そのとき設定をいじっていたからそれが原因だったかと思ったが、そうではなかったらしい。復旧したので13日の「過去もの」を記載した。

 日記は後から書くことがままあるが、ブログもこの点は「過去日」で書き込める。もちろん過去のものを修正もできるから、アナログ的ではある。

 よって、テーマが二つ目となった。
 岩手からもらってきた蕗の薹(ふきのとう)を、教えられたとおりに調理してみた。評判は悪くなかったが、自分では少し苦いような気がした。アクのせいかとも思うが。
 
 それにしても春の味わい。

2011年5月13日金曜日

春とお別れ

 開花直前の八重桜と、ワラビ、ウドの芽、ブナの葉を撮影して岩手山麓の春を記録した。それらを見ていると元気がもらえそうだ。

 昨日数がそろったワラビはあくだしに失敗して、柔らかくなったので胃袋に入れていくことにした。

 人の手による花はいくつも咲いているが、山の木々はまだ少々かかるようだ。今度はいつ来られるか。

2011年5月3日火曜日

短い春を


 関越道、30キロ以上の渋滞。自粛からの解放か。短い春には、山菜もいちどき出る。ゆく春をまだとどめる四万温泉。次の料理をまつ。我が家の三人が5月生まれ。

2011年4月24日日曜日

桜に続け

 近所の公園の八重桜が、花を重たそうにぶら下げて、風に合わせて花弁を散らせている。

 花弁をよく見ると、花を太陽にむけているのが少ない。花を長く持たせるためか、陽が眩しいのか、見てもらうためか。

 桜が散るのを合図にしてか、近所と我が家の花も春への参戦と咲き始まる。

2011年3月18日金曜日

まだ咲いていた我が家の桜

posted by (C)虚鯊  今日は病院に行く日。いつもどおり予約の時間にいって、診療をすませて帰り道。勝手に決めた「我が家の桜」を見ようと、寄ってみた。
   いくつか花びらが残っている。
 広場でゲートボールをやっていて、いつもどおりの風景にいっとき大震災のことを忘れられた。いつものなにげない風景なのに、これが幸せということなんだなと思う。

2011年3月9日水曜日

花粉症

 かゆい。鼻からズルズル。一ヶ月前から薬を飲んで予防にこれつとめるものの、すごい反応。風強いから。


 5,6日の栃木県のつりのとき、周囲の山は花粉をつけた杉の木がたくさんあった。もう、いちいち鼻をかむ面倒を避けて、人差し指で片鼻を押さえて「ふーん」ととばした。昔そんなことやっていた大人たちがいたなと思い出しつつ。


 窒素酸化物と杉花粉の影響と聞くけど、中国から飛んでくる「公害」の可能性などとテレビで放映していた。そうはいっても、中国の急激な成長の前から花粉症はあったし、排気ガス規制で二酸化炭素は減っても、東京のの窒素酸化物の量は減っていないということも聞いているんだけど…。

 花粉症による経済効果(無論マイナスの)を計ったら、相当なマイナス効果になるんじゃないかな。


 戦後「植えろ植えろ」と国が進めたのだから、国がちゃんと対応しなくちゃならないのだろう。何もしない手はない。自己責任だけじゃね。
 

2011年2月19日土曜日

18日に見つけた桜の名前

我が家の近所にあるこの小さな桜の名前を、“我が家の桜”とすることに決めました。家族会議で。2本あるうち、少し大きいのが一本あって、それでもまだ木と呼べるほど大きくなくて…。ずっとみていると何かいいことがありそうで…。