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2020年8月24日月曜日

雲台動かず、ミシン油のふりかけ修理

 三脚を使うことはほとんどなかったので、しばらく前に購入した三脚の使い方がわからなかった。一度は使った記憶があるけど、いざ使おうと脚を広げて「雲台」に自重のあるカメラを取り付けた。

 ところが「雲台」がどうやっても動かない。いくら手で力を加えてもダメ。まだ新しいものだから、道具を使って動かすわけにもいかない。ダイヤル部分を緩めても、もしかしてと締めこんでみても動かない。

 長考して油を付けてみたらどうかと、ミシン油を少しだけ丸い表面に振りかけてみた。でも結局ダメ。しょうがない修理に出すかと、またしまい込んだ。

 後日、カメラやに持って行こうかと、またケースから出して、何の気なしにダイヤルの内側ある、もうひとつのダイヤルをひねった。なんと動いた。緩めても締めてもちゃんと機能する。

 前に使ったときのことを、覚えていなかったという話。これから先もっとこういったことが起きるのかなと、落ち込むことしきり。




2020年6月14日日曜日

少しずつもとのように動き始めるが、気分の持ち様が付いていくか

 いままでやっていた物事が、突如として止められてしまった。なくなってしまったことで、片付けだとか読書だとかこの際に、積んであったものを整理するという、珍しくも積極的な生活をやった。やったことはよかったが、Aを少し動かすとBに取り組み、BからまたすぐにCに移っていく。高齢者の生活態様がモロにでているのも可笑しい。たまったテレビ録画は、記録時間がなしに等しかったものが残11時間となり、新しい録画で溜まっていく時間を超えて減らせたのは、新型コロナのおかげだ。

 ぼちぼちもとの生活再開の動きが出てきて、予定表への書き込みも再開となった。そしたらこの度はなぜかだんだんおっくうな感じが出てきてしまった。他から強制されない、何もしない生活とはそれなりに良さもあるのだ。右のものを移すのも掛け声がいるような具合になったのだから、もう周回遅れでもいいからゆっくりしたい。そんな気分がフワッと現れ出てくる。

 でも年寄りになったら「動かない」のは褒められたことでない。まだ動ければまだ健康人の部類なのだろうから、ぜいたくを言っちゃいけない。しかし、「コロナ前」に戻すには、掛け声どころでは元に戻りそうもないない。自粛生活で得したことは多々あり、これまでの日常で「棚」に積むだけ積んだ「ゴミ近」を埃が経たないようにそっと下ろして、どう始末してくれようかとあり余る時間を使えた。有効に使えたのはよかったが、あんまり「切れよく」と言うわけでもなかった。でもまあ、普段ハタキをかけていなかったものに、パタパタとかけて塵を追い出せたのは精神の上でもよかった。ほかに何かいいことがあったのか?考えるほどのこともない。せいぜいそんなものだ。

梅雨の予兆、紫陽花が近所でも賑やかに咲き始めた






2020年6月2日火曜日

自粛の街が、さて6月はどうなることか。

 持続化給付金の支給769億円がまた、「お友達」を介して動いているとか。マスクの件にしても怪しげな税金の流れが表ざたになっている。モリカケの件も特定の知り合いに、特別の手立てで「稼がせる」ということが、常道なのだと考えればつじつまが合ってくる。政府の新型コロナ対策とは、感染拡大の防止はさておいて「経済」対策が先行してより重点になっている。経済と言っても中小の事業に対しては「借金」を増やす程度の手当てで、大企業が雇用調整(首切り)しようが非正規雇用者が職を失おうが、有効な手立ては見えない。ようやくの「しぶしぶ10万円支給」もいまだ届かない状態で、日本の政治の悲哀をいやというほど感じさせる。

こんな状況で、これから先の感染拡大のヤマに、どれだけの対策が期待できるかを想うと、ずれたマスクの顔を見るだけで気分が悪くなる。

新宿の街














2020年5月25日月曜日

散歩道でテイクアウト格安ワインゲット

 喫茶店で自粛の時間を生かして読書をした。このチャンスを使って本読みをしようと、思っているのに、いくらでもありそうな時間がなかなか使えない。家でごろ寝しながら読むよりは、よほどよいと思い気分転換もかねて出かけた。喫茶店は幸いにして密になるほど人がいなくて、ゆったりと椅子に腰かけられた。聞けば、休業しても給付金などはもらえる対象でなく、良い場所にはあっても売り上げがないとやっていくのが大変らしい。駅のそばで条件が良さそうだけれど、店を休業にして止めるわけにもいかないらしい。

 カフェラテを頼んで飲みながら、だいたい月刊誌の2項目ほどを読み上げると集中力は終わる。一時間ほどで、文字面を眺めるのが、見るだけになって内容を理解することまでいかなくなる。

 見切りをつけて立ち上がり、歩き始めると小さなレストランの前で、お兄さんがテイクアウトしている。一度通り過ぎてから「肉料理」が気になって取って返した。一緒にワインも置いてあり、眺めているとお兄さんが「格安なワインです」と説明した。小さいけど立派なイタリア料理店で、ワインも素人目に見ても本格的な感じだ。「よし」と買うことにした。なんと「2200円」でいいという。こんな時でなければ飲もうかと言う気にはならないが、少しばかり購入しても足しになるのだろうかと、家で美味しいワインを飲みながら思った。


2020年4月30日木曜日

神田川の後景、昔は青空だったのだろうな


 神田川の近くに住んでからは40年以上になる。当時は「革新」という政治情勢が高まっていたときであり、保育園の心配も難しくなかった。社会運動が活発に進められて、生活の面ではよくなることがままあった。当時の歌謡曲などは明るくて穏やかなものが好まれたのはそのせいだろう。「心配事」がとりあえず手に入る時代だったのは、この時期のみだったともいえる。

 だからフォークソングなどは肌合いにうってつけになったのだろう。「風呂屋」に行くと謳う神田川。そんな文化はいまどこに重ねられているのだろか。雨水を流す側溝の親分のように作ったコの字型の「川」と添えられた遊歩道。遊歩道を走る若者、犬を連れた散歩、遊歩道のほんの隅っこに花を植え飾る人、ここから生まれて出てくるものもあるのだろう。残っていくものは、目に触れないものもたくさんあるのかもしれない。








2020年4月26日日曜日

大変な時だから伝わる言葉がある

沖縄県玉城デ二―知事のツイッター
 今年の大型連休に沖縄へ来る予定の方が航空会社の予約によると6万人余いるとのこと。残念ですが沖縄は非常事態宣言の体制で充分なおもてなしは到底できません。離島を含め医療体制も非常事態です。どうか今の沖縄への旅はキャンセルして受け入れ可能な時期までお待ち下さい。stayhome weekして下さい。

応えた投稿
 旅行代理店に勤めてます。その飛行機の予約数、我々代理店がお客様からのキャンセルの連絡を処理できておらず、そのまま予約状態になっている・・・ってのが相当数だと思います。
2月下旬から私達は連日長時間残業してますが、まだ数万件の未対応の問い合わせがあります。ホント申し訳ありません。

ABっぺのツイッター

~より一層の御協力を何とぞお願い申し上げます。
接触機会の8割削減に向けた取組を加速化させてまいります。

~今後、医療防護具を、国が、直接、優先的に提供することとします。そのためのウェブを活用した状況把握システムの構築、体制整備を早急に進めてください。

~給付金についても、DVで避難している被害者に直接届くよう、対応してまいります。引き続き、民間シェルター支援の充実を含め、施策の充実に取り組んでください。

~政府を挙げて取組を強化していく必要があります。関係閣僚においては、一層の取組の強化をお願いします。

的に当たってないし、力も感じない。空しさは湧いてくる。

2020年4月19日日曜日

「あなたは私たちが方法を見つけなければならない」

 14日放送、BSプレミアムの「ガイロク」で、63歳のバンドマンにインタビュー。立川米軍基地で演奏していた。ベトナム戦争当時、兵士がよくリクエストした曲は「反戦歌」だった。その曲は禁止されていたが、小さい音で演奏したとのこと。YouTubeにあった。3258万回視聴はすごい。





~🎵
母親達よ
あまりにも多くの母親達が涙を流している
兄弟達よ
更に多くの兄弟達が命を落としている
そう、ここで今日にでも解決策を見つけなきゃ
愛しい思いを届けるすべを

父親達よ
もうこれ以上はご免だ
分かってるはず、争いが答えではない事なんて
憎しみを克服できるのは愛だけだから
そう、ここで今日にでも解決策を見つけなきゃ
愛しい思いを届けるすべを

ピケラインに
スローガンを掲げる
僕を暴力で罰しようなんて
思わないでくれ
話し合おう
そうすれば分かるはず
何が起こっているかなんて
現状がどうなのか
何が起こっているかなんて
見えるはず

母さん
僕らは間違ってるって皆が思ってる
ああ、でもただ僕らの髪の毛が長いってだけで
彼らに僕らを裁く権利なんて無いはず
ああそうさ、今ここで解決策を見つけるんだ
共に分かり合うすべを
ピケラインに
スローガンを掲げる
お仕置きなんて
やめてくれ
さあ、話し合おう
君にもきっと
現状が見えるはず
何が起こっているのか
今起こっている事を君が教えてくれ
それとも僕が教えてやろう

2020年1月22日水曜日

アメヤ横丁その2

 「ああ上野駅」(井沢八郎)という歌謡曲を思い出した。若いとき親とけんかして家を飛び出し、田舎の叔父のところへ行った。そのときから上野駅は懐かしさが記憶にとどまっている。旅客列車の最後尾に貨物車両が付いてあり、駅に到着すると車掌(?)が積んできた荷物を放り出す光景をみた。ずいぶん乱暴なんだなと…。
 
「ああ上野駅」の歌詞に「♬上野は心の駅だ~♬」とある。新婚旅行で十和田湖に行った折、青森で公演しているのにぶつかった。上野はそんな古くて懐かし記憶を持たせてくれたところだ。

 駅の配置は昔と変わらない形が残っているし、その周辺も基本的に街並みが残されている。上野公園周辺は再開発の声もでているが、むやみに変えていってほしくないと思う。










2020年1月20日月曜日

アメヤ横丁も外国人のテリトリーになったか


 上野での宴会は何回もあったから場馴れできた。「上野」という響きには、中学の頃に二等列車に乗って、田舎へ行った思い出もつながっている。時代の変化があっても、変わらない風景への親近感もある。

 いつもだいたい行く宴会場をセットしてもらって、わが身は待ち合わせ時間と店さえ忘れなければ心配ない。小一時間で着くところなので、いつもカメラを抱えていくつもりでいる。とはいえ人並みに「支度時間の増加」に阻まれて、それがかなわないこともある。

 暮れの望年会は宴席を二つ重ねたあと、アメや横丁に行ってみた。さすがの賑わいだった。暮れのニュースでは必ずアメや横丁の様子を放映するが、かつて映し出されたに商店の様子はずいぶん変わった。正月料理の品ぞろえを見て歩くよりは、日常使う衣類や靴などの店が多く見える。立ち食いや飲食の店などが目立って、生ものを扱っているところは少ない。

 いつ頃だったか釣りの餌に使うイクラを買った。そのイクラは安かったが、粒がポンポンして、皮に張りがあった。人造イクラだったと後から分かった。そのころの熱気は今感じられなくなった。外国の観光客が闊歩する街は、日本の原風景としてもう一つピンとこない。












2020年1月16日木曜日

もうじき春だから


 暮れから新年には「意気込み」を考えるみたいなことが習慣になっている。そんな習慣も、希望なんか考えることがどうでもよくなって、なかなかその気にならず思いつかない。それだけの刺激的な生き方をしていないということだろうか。

 年末から振り返りがあって、なにか息吹でも感じるところがないかと頭で思ってみても、また同じだよなという声が心の奥の方から湧き上がってくる。昨日と同じ今日などは確かに抵抗を感じるが、だからといって抵抗を乗り越えるだけのモチベーションがでてこない。

 あんまりそんな下らないことばかり考えているものだから、憂鬱になってくる。いまさら頑張ってみたってやれることはたかが知れている。そういう年頃なのだからもう頑張らない。「もう」というと昔は頑張ったみたいになるが、そんなにも頑張ってきているわけでもない。これまでどおりに似合う「ひねもすのたりのたりかな」をいただいていこうか。これなら仙人に近づける気がしてきた。



2020年1月7日火曜日

遊歩道にひっそりと祠が


 中日の時間を温泉の外に出てみる。裏側に遊歩道があった。写真を撮るには人気がない方が、シャッターを押すタイミングを自由に、かつゆったりと構えられて気が楽だ。開けた林の中の道をゆっくりと登っていくと、面白い恰好をした石像がいくつか鎮座していた。

 ちょっといたずらっぽくいて愉快なポーズをした石像は、静かな森の雰囲気と対照的に、和やかな雰囲気を醸し出していた。小さな祠に陽が当たって樹々の枝が影を映している。撮影させてもらってから、撮影料のつもりで気持ちだけ賽銭をあげた。