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2019年2月17日日曜日

核兵器製造企業に融資しない「りそなHD」につづけ

 核兵器がいらないことを明示することは、日本の歴史が負ってきた責任と言える。被爆国としての体験を唯一受け、核実験の被害までこうむった。だから核兵器の禁止は誰でも賛成できること。

 であるのに、「国としては」核兵器禁止条約には、後ろ向きで「違う方法で」核をなくしていくと言って逃げまわっている。さらに「核アレルギー」とまで発して、核兵器所有までの意図を隠さない。アメリカの核兵器持ち込みでさえ、「内緒話」として隠し立てまでもするということでは、話にならない。

 15日の毎日新聞で、りそなHD(ホールディング)が核兵器製造企業への融資禁止を宣言したと報じた。当然のことと思いながらも、核兵器をなくしていく流れのひとつとして評価されていいいと思う。他の関係企業も続いていってほしいが、もう一歩入って、原発の稼働についても一言表明されないかと期待をかけたい。

 日本のプルトニウムの蓄積は47トンに達している。原発で使った核燃料から取り出して、資源として再利用する核燃料サイクルを推進している。核兵器を所有していない国では日本だけだ。これが原爆に換算すると6000発にもなるということで、恐るべき状態になっている。





 スノーシューを履いて五色沼を自然探勝。「コシアブラは福島ではまだ食べられない」とガイドさん。







2017年9月4日月曜日

核兵器廃絶の意思が後ろ向きでは

 ワイドショーとニュースをずっと見ていて、「北」との交渉を言う人がいた。対話については、圧力をかけたうえでの対話という理屈で、武力を否定しない「説得」になっている。水面下での接触があるのかもしれないが、日本政府の場合は「話をしよう」という意志を表さない。表さないというよりないという方が正確かもしれない。

 モリカケで追い詰められて臨時国会はやらないと逃げ回っていた政府が、この問題では閉会中審査をするという、まったく身勝手な「国会利用」をした。偶然だとしておくとして、「困ったときの北朝鮮」として支持率回復の効用にするという姑息なやり方だ。Jアラートで国民を脅かして頭を下げさせておいて、ミサイルには届きもしないパック3、SM3-1Aで迎撃などと格好をつけるハリボテ防衛ではないか。

 だから対話という選択肢ということではないが、圧力重視以外のことはさっぱり見えてこない。アメリカ大統領と電話でしゃべったというだけだ。海外からのコメントは、「圧力一辺倒」については肯定していない。日本はなんでそんなに騒ぐのと、他国から言われる始末で、こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。

 しかし水爆実験をしたという北朝鮮の行動は、もう一歩危険な状況を感じる。地球上の「戦争」はなくなってはいないが、なくするための努力をしてきたのは間違いない。北朝鮮の政権をどうこうするのは、北朝鮮の国民がきめることだから、外から政権を変えるということに手をかけるのは、余計なことだろう。また、政権の変更を外から武力でという選択肢はありとしたら、主権に対する侵害になる。悪い奴だからいいということにはならない。日本の首相に対して、モリカケであまりひどいから止めろという要求を、よその国からできるかを考えればわかる。

 地球上最大の暴力装置、つまり核ミサイルを外交取引の材料にするということだから、まったく肯定できることではない。それをやめさせるための方法が、ないわけではないだろう。さまざまな角度から影響をさせることはできるはずだ。

 つい先日核兵器廃絶の条約が国連で成立したが、核兵器をもつ大国は参加しなかった。日本も席には座らなかった。原爆の被害はもとより、水爆実験(アメリカ軍のビキニ環礁での実験)の被害にもあっている日本が、これでは核兵器を持つなという説得力は低いものとなる。核兵器は使用できない兵器として、ほとんどの国が認識しているのだから、持っている国が、そこに向けての動きをすべきところだろう。さらに、核拡散防止条約の「今持っているところは除いて、ほかの国は持ってはならない」とする「欠陥」条約の再検討がなければ、北朝鮮の核開発の手をも縛ることにならないのではないか。

2015年8月6日木曜日

二つの原爆投下でVサイン??

 いわゆる勝利を表するチョキのこと。第2次大戦のときのイギリス首相チャーチルが、ヴィクトリー勝利を現すVサインを出すのがお得意で、原爆投下の話を聞いたチャーチルが、得意のVサインをしたと言う話。これを見た記者が「勝利のVサインですね」と質問したところ、「いや、これは平和、ピースのサインだ」「どういう意味ですか?」「世界の平和は、この二本、広島と長崎によってもたらされる」と答えたという。以後、勝利のVサインが、平和のサインともなったとか。

 これが事実と言う前提だが、広島、長崎の原爆投下によって、Vサイン=ピース・平和が表されたということなら、日本人としてはそのまま飲み込むには抵抗がある。核実験を人類に初めて使ってみた行為が、平和のサインとされては日本にとってはたまらない。その後、泥沼になってきたベトナム戦争に行くのはイヤだ、という若者の「早く平和な世界を」というアメリカ政府に対する反抗のサインということでも使われたそうだから、それは平和を望むという意味にはとれないことはない。スポーツ競技でもよく使われることだが、このポーズはカメラの前にたったとき、若者のなかで“一般化、普遍化”している。しかしVサインの持つ意味はそれなりの意味と歴史をもつとなると、簡単に使えないことになる。

 カメラの前のポーズがVサインという定型的な恰好は、こんな意味合いを取り込んだものだろうか。今風のこのポーズの理解は楽しさと喜びの表現なのだそうだ。いささか浅薄なことだとも言えそうだ。さりとてこのワンパターンの他にどういうものがあるかということは、わが年代よりも若者の方が身に着けていることでもある。また、Vサインは、百年戦争のときイングランド軍の弓兵が、敵であるフランス軍を挑発するサインとして使用したのが発祥という説もある。平和と戦争を表象するもの、双方にかかわるVサインとは妙なものだ。
 1948年(昭和23年)に建てられた
 現在のもの(左側)

 8月6日のヒロシマに続けて、長崎に落とされた原子爆弾の「原子爆弾落下中心地の標」が1948年に長崎市によって設置された。この写真をどういうわけか父が持っていた。8年後に現在の形状に変え、1968年には表面を御影石に張り替えたとのこと。

 1996年に「撤去してモニュメントに」との計画が起きたが、当然批判もありこれは断念した。現在のものも「原子爆弾落下中心地之標 地上500米にて炸裂」と表してあった当初の木製のものよりは、現実味が薄れている。「風化」を能動的に働きかける輩もいることだろう。この地が平和記念公園でなく、平和公園と称していることも歴史の重みを感じさせることで、人類の生存にかかわる負の歴史を薄めたり風化させてはならない。

ウィキペディアから
・1948年(昭和23年) - 市が、盛り土の上に木製の標柱を設置。「原子爆弾落下中心地之標 地上500米にて炸裂」の表示。
・1956年(昭和31年)3月 - 三角形の鉄筋にを蛇紋石張り付けた現在の形状に。デザインは松雪好修。高さ6.5メートル。
・1968年(昭和43年) - 表面を黒御影石に張り替え、現在の姿に。
・1996年(平成8年) - 中心地碑を撤去して、新たなモニュメントを建立する計画が浮上、問題化する。撤去してその跡地には被爆50周年記念事業碑(母子像)を建立する予定であったが、撤去計画を断念。



2013年8月9日金曜日

テレビで見なかったニュース

ひとつは台湾のニュースで、Facebookで紹介された。
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6月に台湾軍内部の不条理さを批判した若い兵士が退役直前に虐待を受け死亡。国防相が引責辞任し、上官ら18人が起訴されたが、真相がいまだはっきりしない。そこで馬英九政権に対し、若者を中心とした抗議の座り込みデモが3日、総統府前で行われた。台湾メディアの報道では、参加者数は何と25万人。しかし日本では共同など一部のメディアしか報道しておらず、しかも共同の報道では参加者数はわずか10万人(警察発表でも11万なのに)。写真もほとんど配信されていないので、下に載せる。正義のために立ち上がった群衆の勇壮さに圧倒される。

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もう一つは米国の映画監督オリバー・ストーン氏が読売新聞のインタビューに答えたコメント。
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 「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。

 ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。

 インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい。日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。
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米映画監督のオリバー・ストーン氏は6日、原水爆禁止世界大会・ヒロシマデー集会で、アメリカン大学のピーター・カズニック教授とともに訴えをしています。

  →赤旗HP