1945年8月6日の原爆投下によって被爆したが、鉄筋コンクリート造りの「古典様式の石張り」だった建物が残った。「3階と2階の一部に火災が発生し内部が焼失しましたが、1階の事務室や地下室の金庫等は奇跡的に火災を免れました。3階は窓が開いていたため全焼し、建物にいた20人が死亡しました。被爆当日は、負傷者の臨時病室として使われ、被爆から2日後の8月8日には被災した市民のため支払い業務を開始しました。また、被災して営業が不可能となった広島市内の金融機関のため、1階窓口を12区分し、各銀行の仮営業所を設置して、支払い業務が開始されました。」との記録がある。
https://peace-tourism.com/story/bankofjapanhiroshimabranch.html
4年前に訪れたときには改修中で内部を見ることができなかったが、今年5月に再訪したときには修理が終了していた。堅固さのゆえといっていいのかどうか、6日の被爆の二日後の8日に再開した。ほぼ被爆地点(距離380メートル)での稼働とのことに驚いた。
「殆どの職員(実働者85名)が店内ならびに出勤途上や自宅等で被爆しました。脅威的な破壊力と殺傷力をもつ原爆の不意打ちであったために、被害は激甚をきわめ、死亡者は37名、負傷者は15名にのぼり、本行戦災史上未曾有の惨禍」という状況にありながら、再開にいたるという経過が、日本銀行広島支店の原爆関連資料として記録されている。
斜めからの言いようは不謹慎かもしれないが、このエネルギーが「復興」の源泉のひとつだったのかもしれない。(言語を絶する甚大な被害状況下で、身を挺しての行動に日本の戦時体制を想う)
改修成った旧日本銀行広島支店は、当時の形状が生かされて残されており、当日は1Fのフロアが美術展示会場として利用されていた。
支店長室の壁に被爆のキズがある
















