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2025年5月9日金曜日

写真展を二つ終えて さて次に控えしは

 「自然を壊すな」といったテーマに挑戦して写真を撮ってきた。ゼミ写真展とJRP立川昭島支部写真展にその写真を作品として出した。とは言え写真の選択やら構成やらの大事な準備は、経験者の援助を得てのことだから、まだまだ写真活動の道程としては力がついていない。

一区切りがついて、正直に言って写真から思いを伝えるのは大変なことだと改めて思った。そしてまた新しいスタートが目の前に置かれている。写真で表す良い作品は前提であって、そこを求めつつ撮影を続けなくてはならない。この先どれだけのことができるのかも心配なことだし、がむしゃらにやるという歳でもないから、鷹揚さも容認していくしかないのかも。

立川で開催した写真展は4日(4月24日~28日)しかなくて、しかも「共生」写真展に連続したものだった。なにせシルバーのメンバーなので、相談事をこなすのも大変なことだった。己もその一員だからない力も絞り出してなんとかたどり着いたのは幸いだった。5枚の構成で同じようなものを作品にしたものがいいのか悪いのも心配しつつ、「却下」にはならないらしいことは理解ができた。

立川の「伏流水」写真展で作品とした写真は、あちこちで撮ったもので、砂利か石灰を採取していわゆるコンクリートや道路ために使用するもの。昨今の都市開発で多くの山がこのような目にあっていることがわかる。

タイトル   都市開発の源資

キャプション 原始時代から共生してきた自然。人類の「世界」を広げるために与えてきた負荷は大きい


広島県呉市蒲刈


山形県東根市

山形県東根市


奥多摩小丹波

山形県米沢市




2025年4月24日木曜日

次は「伏流水」写真展(JRP立川昭島支部)を立川で

ゼミの写真展が昨日終了した。たくさんの知人がきていただいて、感謝に気持ちに堪えない思いです。講評の渋いコメントに、至らぬ写真への念と思いも含めて、ともかくまた一区切りつき、ほっとしているところ。そのあと引き続いて立川で写真展をやることになっていて、その準備のために、老骨に鞭打ちの試練が続いている。昨日はゼミ展の撤収作業だったが、立川の会場へ準備のために赴いた。展示会準備は、会員に加えて有志の写真の提供もあって、会場いっぱいのレイアウトになった。馬子にも衣装というけれども、写真も大きく引き伸ばして、ぴしりと会場に収まるとなにか「映え」てくる。この感じがまた次の写真撮影の力になっていくのだろうかと思う。シニアグループの仕事としては、かなりのしんどさがあることも事実。相談したことが「決まっていなかった」り決めていないことが「決まっていた」り、意志の統一が忘れられたりすることもあって、(もちろん自分も含めて)、かまびすしいことになったりもする。そこは熟練の勇士たちなのだから、創意と工夫で乗り越えていくことになるのだろう。

16回写真展「伏流水」・JRP立川昭島支部

・4月24日~27日(日)の短期決戦

・午前10時開場~16時まで(27日は17時まで)

・立川市柴崎学習会館 



2025年4月13日日曜日

今回の写真展は中野駅北口周辺を切り取ったもので

 事業費の高騰から、中野区の再開発計画(サンプラザとその周辺施設につての野村不動産との協定)が、「白紙」になった。区長は、3月11日に「中野区の顔として区民に愛され親しまれるような施設を目指したが、施行予定者からの提案が必ずしも十分でないと判断」と発表した。施行予定者から昨年9月に急激な工事費高騰などの理由によって事業着手困難という旨の報告があり、施工予定者と見直しの協議をしてきた。今年228日見直し提案があったが、提案を検討した結果、現時点で事業成立性の見通しが明らかでなく、公募時の当初提案から大きく変更されたもので、選定過程の公平性・中立性に課題があるとのことで、目下暗礁に乗り上げた形になっている。

中野駅北口周辺の再開発は前区長のもとで、多額の基金を投入して進められてきており、区民の意向をくみ上げるという点では、開発計画は「民間主導」で作られており、不十分さはまぬがれない欠点があった。各地にあるそうした都市再開発には同様に「住民の意見」をくみ上げたものになっていない。

サンプラザを残せという意見もあり、まだ使えるという指摘もある。区議会では建物のリニューアルには100億円かかると答弁している。鉄筋がH鋼という大変強い鉄筋が使われているとのことで、100年もつという指摘も聞こえていた。

複数年、駅周辺の工事と変容する様相にカメラを向けてシャッターを押した。今年の写真展ではその写真を組写真として作品にした。都市再開発とはどういったものなのだろう?なにをつくりあげるものなのなのか、なくなってしまうのはなんだろう?などといった疑問を頭の隅に置きながらの撮影が、どこまで表現できているのか心配しながら、写真撮影の締めにむけて準備をしている。


入江ゼミ写真展

・4月17日(木)~4月23日(水)日曜休館

・AM10:00~PM6:00(最終日15:00まで)

・アイテムフォトギャラリー「シリウス」

(丸の内線新宿御苑前駅2分)

(☏03‐3350‐1211)

2024年11月19日火曜日

旅の楽しみと見識を広げる写真撮影

 退職の少し前に写真の技術を身に着けようと、現代写真研究所の講座を受講した。退職した後の活動につなげたいとの考えだった。それから20年続いた。東北の地が故郷でなんやかやつながりがあって、出かけては季節の風物を撮影できた。東北ばかりでなく、合唱や職場の仲間の旅行など頻繁な付き合いに恵まれて写真の撮影枚数だけはかどった。

 「良い写真」をとの思いで、撮影対象を普通よりはしっかりと見ることになるのに合わせて、歴史物事への興味も湧いてきた。大概は観光が目的としたものだったから、訪れたところの様々な歴史などへの接触が、できていたらもっと充実したものになっただろうにと思う。先輩の写真撮影旅に同伴させてもらった能登、奈良、京都にも、その土地の案内をしてもらいながら、風姿をカメラに収めることができた。

 昔と違ってデジタルカメラでの撮影は、多量の写真を扱えるようになった。当初のころはモノクロのフィルムで暗室現像がパターンだった。ほどなくデジタル移行がすすめられて、パソコンでの写真現像とファイル保管になった。幸いパソコンの扱いはいくらかわかっていたので、わりと楽に波に乗れた。むろん、講座やゼミの講師の助言指導ぬきには語れないことで、特にパソコンの動かしで分からないことには、躓く度に「ヘルプ」のお願いをしてきた。

 かくして写真の展示発表会へといざなわれて、ちょっと不安な写真も立派な装いをこらして、皆さんの作品と並べられて「陽の目を見る」ことになる。それなりに苦労して撮った写真に、まとまりがついて「やった感」を得ることが、ひとまとまりの着地点になる。そしてまた流れの「場慣れ」に乗って、撮影の意欲へも影響していく。どこまで続くか…。



2024年6月15日土曜日

「うららの船人」の写真は墨田川と🎵が下敷き

6日からはじまった視点展が13日で終了した。いつもの皆さんから過分の鑑賞を授かって、お礼を尽くすこともさておいて、「コミュニケーション」だけはすすんだ。

ぼーっとしてきた人生に、写真展のなにがどうだったのかより何が動いていたのかを思い返し、この機会をどう消化したらよいかを思う。

入賞した写真は偶然に等しかったが、用意した複数枚中の作品からを選ばれればいいなという気がなかったわけではない。でもこれだという確信のある押しにはまだ自分の力量が及ばないのが率直なところ。

ただ、墨田川の船を作品に用意した時に「タイトル」は懸命に考えたつもりだった。築地の跡地の写真を撮るのが目的で、ぐるりと隅田川を挟んで巡ったときに折よく川を走る船を見つけて、面白いなと一瞬思ったものだった。そのとき「いただき」とまでは考えていなかった。

面白くはあっても写真展の作品としてどうかは未知の世界だった。撮りに歩いたのは12月のやけに暖かい日で、汗をかきながら歩いていたから、もう「春のうららの…」の言葉は自然に下敷きになっていた。あと付け加えるのは「舟人」でよかった。

ただ、滝廉太郎の昔は上り下りの舟人だったけど、カメラに映ったフネは、もっとおおきいものだから、「船」とつけさせてもらった。このタイトルっていけるんじゃないかと思った。確信はそこだけだった。しかし、うれしいことに入賞と判断されたのは「タイトルの良さ」もあったとあとから聞いて、やりがいが後付けされた。

~うららの船人~


コミュニケーションは上野アメ横、ここも写真を撮るには面白いところ







2024年5月5日日曜日

写真サイトの拡張しなくちゃ

退職者の写真サイトに、写真がたくさん送られてきて、更新するのが忙しい。写真を撮るのは出かけたとき、近所の散歩したときなどで、目に触れたものを切り取って送ってもらっている。短いスライドショーにまとめて、一件落着型でおくってくれる人もいる。特には花の写真が多くて、居ながらにして季節感を味わえるのが余禄になって楽しい。

写真を撮るのは他人に見せる、伝えることが前提になっている。自分がいいもの見たら伝えたいと思うのは当然のように思う。様々なことを伝えるのは人間の営みとしても、大仰に言えば歴史の伝達にも必要不可欠なことなので、その一つの形態として写真や映像が手段になっているものではないかと…。言葉とはもう一つ違った、優れた「伝道」手段でもあるだろうか。そこまでくれば写真は、文化の一つの貴重なものという理解にもなる。

写真撮影は、デジカメラからスマホカメラに拡張したことで、写真の世界がずっと広がって「天孫降臨」みたいなことになっている。スマホカメラによる写真展も出てきている。「良いもの」が人の目に触れるという機会が与えられて、良いものは評判が湧きでる。「良いもの」にこだわる必要はないとも思うが、人目にさらすことになればそういったこともでてくる。そこいらは境目かもしれない。

写真展を会場を借りてやるのは費用が掛かるし、準備もそれなりの労力も必要だから、それだけで敷居が高い。WEBサイトであれば安価にやれる。しかし無料でやるのには制約がある。このところ退職者会の写真サイトへ思った以上の写真が集まって、更新が連日のようにあった。無料でできるWixサイトを使って作る「写真展サイト」は、容量に限度があってすぐにいっぱいになってしまう。3つ目のサイト(3つ目は開店準備中)にまで拡大しているが、これも限度が近い。有料切り替えをしろとしょっちゅう宣伝が入ってくる。3つ目のサイトは何とか作れそうでもいずれはということになりそうで後がない崖ぷっちにたたされた。

以前はやっていた有料のホームページでの作成も対象にして、方法を考えてみることも選択肢かと試してみた。でもそれは費用が掛かることであり、「写真展」に特化したものだと編集方法の使い勝手もよくない。費用の額にも寄ることもあるかもしれないが、適当な良い方法がいまのところ見つからない。

  少子化対策を年金からもというアホなことを言う。社会保障にも年金にも効果的な手を打ってきたのか?2日の公園は保育園の子供たちでにぎわっていた。










2024年4月27日土曜日

スマホ写真家が増えているのでサイト展示会

 退職者会で、デジタルカメラとスマホカメラで撮影した写真と動画を送ってもらって、写真展サイト(ホームページ)を作成した。本当はデジタルカメラを使っている人との交流をしたいと思っていたのだった。でも写真を送る操作をパソコンのメールでやるにしても、ファイルの容量(画素)が大きいと、分割して送る必要があり、そうかといって「大容量ファイルを送る」サービスを使うことも、知らない世界に踏み込むということになって、やはり簡単にできない。なによりも撮った写真の保管整理を、自己管理することが大切で、写真ファイルから引き出して、送った写真ファイルを別途記録(保管)しておかないと、そのうち送ったかさえ分からなくなったりする。小さな山をいくつも越していかなくてはならない。趣味の範囲でやるにしても「写真家」的技量がはいってきて、実に厄介だ。このあたりがデジタルカメラの「難点」なのかもしれない。

 それに比べてスマホのほうは、写真を簡単で上手に撮影できて、保管場所もわりあい分かりやすい。送るのもLINEでわりと易しくやれる。初心を投げ捨てたわけではないけれど、スマホ写真の方がずっと扱いやすい。だいたいは撮った写真を誰かに見せよう、共有しようとして「送信」までこなしていることは多い。だけども、もったいないことにそこまでで終わっているだろうと思い、それならデジカメ写真に加えてスマホの写真を供出してもらって、「写真展サイト」を作ろうと思いいたった。

 われら高麗者であるゆえに小さな山はいくつもあった。デジタルなんかという「反感」もあるし、世界はそれだけで動いているわけでもないとの厭世的気分もある。すすめてみて、小さな山にぶつかりながら、どうするのかという問いかけに自答するのが、切迫感も手伝って健康維持(特に脳)の糧になっているのかも。スマホのアプリの使い方など、自分では間に合っていたものが人に説明するとなると実はよくわかっていなために、解明が必要になって調べることもでき、その点では非常に勉強になる。

 先日のサクラを追いかけた旅で、宿から撮ったスマホの写真は、早朝から時間がたつにつれての変化がとらえられた。切り取りの範囲、どこを中心にして加除するかなど、シャッターのタイミングを変えてみた。それぞれが違った表現になっているなと、いまさらながら自覚した。昔のカメラと違ってデジタル写真は、簡便に撮れるし、数多く撮ってもスマホやパソコンでの画像処理であれば、先の費用はほとんどかからない。気に入った場面はたくさん撮ることがコツにもなりそうだ。余分なものは消せばよいのだから。そんなこともこの間に再認識した。

撮影4:32


撮影4:50↓

撮影4:55↓
撮影4:56↓
撮影5:00↓
撮影5:01↓
撮影7:45↓
撮影7:46↓


2023年4月20日木曜日

写真展が終わって台風一過みたい

  一山超えて、いろいろな感慨がわいてくる。まだ落ち着いて整理ができない状況で、最後の仕事の展示作品のホームページ作りがやっと終えた。疲れたというのが本音だけど、遠くからきてくれた人には感謝とお礼を先に言わなければと思う。会場で話したり聞いたりしたことが、たくさん耳に残っていてこれからじっくり思い返し、温めて行こうかと思っている。

 己のようなしがない写真でも、化粧を施して素晴らしい作品群と一緒に飾ってもらえるのは、ゼミ展(グループ展)のよいところだと、ゼミ生と講師にも感謝あるのみ。日頃お世話になっている友人知人とは、写真の説明と近況を語り合えて、コロナ下で交流できなかったうっぷんを、幾分か晴らせたような気がする。

 これから、展示会に来られなかった方へパンフレットの余分を配布しようと思っている。選挙戦の盛りで、名前だけの連呼が飛び回っているが、写真展「共生」の作品に込めた戦争、自然、再開発、人のふれあいなどへの思いが、生かされる方向と結果にしたいものだと思う。

(「表示中のページから https://iriezemi.wixsite.com/iriezemi-2023zemiten にリダイレクトしようとしています」とコメントがでます。遷移しなければ、URLをクリックしてください)

2023年3月25日土曜日

写真展の準備でお忙し

入江ゼミ写真展で利用する作品パンフを作る役目になった。レイアウトをすることが主な仕事でも、知らないソフトを動かさなければならない。オンラインで指導を受けて、書いたメモで思い出しながら、半分恐る恐る編集をした。昨年はパブリッシャーを使ったものだったのに、今回はインデザインというソフトで動かした。

動かしは主要には「コピー」機能を駆使して、以前のものにレイアウトされていたものを「上塗り」することで大方決着がついた。パソコンはよく「コピペ」呼ばれている、「コピーアンドペースト」=「コピーして貼り付ける」ことが随分使われる。自分のようにモノマネ型から理解をしようとするものは、とりあえずこれで動かせるので、何につけても便利な仕掛けだ。

展示する写真と写真のタイトル、コメント、キャプションなどを、貼り付けて何とか出来上がった。来週のオンラインで、全体を全員で点検する作業をすることになる。その前段の仕事ができあがってほっとした。 




2023年2月2日木曜日

写真展が終わって押し出されたカバン

 写真展が終わって人心地がついた。展示した写真のうち6枚は額装したものだったから、写真をはめ込んで組み立てるのはそれなりに気を遣うことだった。でも案ずるより産むがやすしで、経験を活かして思ったより早く仕上がった。会場の展示も自分たちでやるので、結局は撮影から展示会まで全部自己責任でやるのがスタイル。そりゃあ立派な先生でないのだから当たり前として、懸命にやりはするけれども、この先は?などと頭に浮かばないわけでもない。

 額装した一枚を展示で釣りあげる際に、うっかり落下させてしまって、角にキズが入ってしまった。展示自体に支障があるほどでなかったのは幸いだった。家で額装を解体してみて、ゆがみが生じているのがわかった。傷の部分は小さく、ゆがみをペンチで直した。何とか次も使えそうな状態なのでほっとした。

 今回は額縁を2枚購入して備えたので、終わってから家のどこに置いたらよいのか思案していたが、結局ベッド下収納になっているバック類を断捨離して、空いたスペースに収めた。

📷写真展で展示した作品は9枚だったが、額装が6枚しかできなかったので3枚をパネル張りで展示。パネル張りは千葉勝浦の朝市の跡の様子、右の三枚は養老渓谷のキャンプ場。次の三枚は木更津袖ヶ浦(アクアラインの下付近の漁港)






写真を「とびとび写真集」にアップしました

新しいサイト「つれづれ写真」にも






2023年1月29日日曜日

寒いなか写真展会場を見て

撮った写真を皆がどうみてくれるかの心配は、展示した者たちの共通する気持ちで、期待と不安が交錯する。展示者の心持ちを重ねて勝手に解釈するけれども、心配でもありながら、「どうだ!」みたいな増長も少し含んだ気持ちが混じって、精神状態がかく乱される。

「神」からの授かり物はとうの昔にあきらめたので、どれだけの「学習の成果」が現れたのかが問われるときになる。今はスマホ撮影では「映え」として「カメラ撮影の既成概念」を超えて広がり続ける。それも写真であることに違いはない。それがどれだけ融合していくのかはわからないが、自分の写真としてだけに力を籠めた結果に、意図したものが映しだされて、共感を得られればそれに越したことはない。

たとえテーマが「そこの街の」とか「今の世の中の」とかという後景を意識したものであっても、違いが出ることができたらいいなと思う。いつも思うのは皆がテーマも違うし好みの違いもあって、様々な場面を切り取りながら、重ならないというのがまた一つ面白い。「みんな違ってみんないい」とは文化のありようにも適用されるのだろう。




2023年1月12日木曜日

「今年もやります」の気力をかきだして写真展

 どんな一年にしようかと気を入れる元気は、とうに過去の話になった。とはいえ、なにかとあれこれの失敗はあるし、なおかつ増えてくるのだから、気力を軽く見ているようでは何がどうなるか心配ばかりが先行する。新しいことをするのは大変だからなるべく避けるとしても、自分が背負っている「仕事と課題」は「どっこいしょ」の気力を奮い立たせなくちゃしかたがない。

 今月の25日から立川で、写真展をやる予定で昨年から会メンバーで「どっこいしょ」と立ち上がっている。写真の選択に始まって、展示会のレイアウト、DM作りと発送、会場セットなどなど。やはり高齢者が多いし、撮影することから出品するまでの作業はなかなかすっとはいかないところがある。ここまできて全員が展示作品を出せることになったということで、ともかくも役員さんの努力には頭が下がる。

 一人で展示会をやるのは容易でないところ、皆の力でやりあげるのは、なにより撮った作品の発表としての場をもてることで、なにより貴重でうれしい。撮ってから発表までの過程はジグザクで、自分の未熟さも振り返ることになる。必ずしも満足感が先行することにはならないけれども、展示会が「区切りとまとまり」の場になる。お仕舞ではない「区切り」になって、次の撮影の始まりにつながるということでの催しになる。一年の最初の催しで、旨くいくといいなと思う。





2022年6月7日火曜日

写真展終了して一息

 一息というより、「息切れ」風の幕。受付当番以外も7日間通い詰めて「入江ゼミ展」を無事に終えた。来観者は500人(修正600人)くらいにはなっただろうか。講師を入れて19人の写真を取り外して撤収しながら、これは一人ではとてもやり切れないことだとつくづく思った。2年間はWEBでの代替えだったから、やりがいを感じたことはもちろんあるけれども、疲れ果てたという「充実感」も残った。膝だけでなく股関節まで響いてきた。ここまでくることで、様々な「至らぬ点」と、ちょっぴり「良かった点」が浮かび上がるのは、見に来て下さった方々の反響によるもの。とりわけ大きな節目になって、これから先の糧にさせてもらえることがうれしい。疲労が頑張りに転嫁していけるかどうか、心配がないでもないけれども、ともかくいったんはほっとさせていただこう。

3日は突然の豪雨だった



2022年5月27日金曜日

写真展開催へどうにかたどり着きそう

 もともとなんでもマーペースでやるたちなので、あまり急かされるのは身体がなじまない。その上に退化がかぶさって、その重みで次のことに取り掛かるのに「どっこいしょ」と声をかけるのが習いになった。膝の痛さを「克服」はできないけれども、必要に迫られて動き回るのも、一面では膝周りの筋肉には悪いことではないかもしれない。写真展開催のための、オンラインでの相談や作品プリント、額装をこなしてどうやら開催日に近づいてきた。数日前、医者へのリハビリ通院でいつも通る道端で、アジサイが元気に咲き始めていた。








2022年5月14日土曜日

写真展中止を開催に転ずる霹靂

  中止するはずだった写真展を開催することに転じた。新型コロナの感染拡大が漸減傾向にあることが、考え直すきっかにもなった。連休後の感染拡大がまた広がるのだろうことも言われていたとおりに、ここ数日はまた上昇する気配。しかし、でも…政府がというか、社会全体が行動再開へ、雨後の川の流れのごとく進んでいく状況に、取り残されていくという思いがないではない。率直にそう思うが、本当に大丈夫かと問われて胸を叩ける人は存在しないだろう。周囲の動向に責任を被せるわけにもいかないが、万全な感染拡大対策をしてやるという以外にはない。相談がまとまったところで、突然忙しくなる事態になった。「あいさつ文」の相談をオンラインで済ませ、日曜から作品のプリント作業、来週には「パンフレット」の最終点検など、…に鞭打って頑張らなくてはならない。

膝の具合を確かめながら公園に鯉のぼりを撮りに行く








2022年5月2日月曜日

能登の間垣は重要文化的景観だったっけ

 今年の写真展も、ついに3回目の中止になってしまった。月一の例会をオンラインでやってきて、撮影した写真の披露交流と、現像技法を中心にした勉強することが、ある程度できた。ただ、自分の写真の取捨選択をすることが、十分にできないことで物足りなさが残っている。

 それはやっぱり顔を合わせた例会でないと、解決できないようだ。自分の撮った写真の思いやりとこだわりがあって、次に撮っていく動機にもなるのだから、なんらかの批評のコメントに出くわして、整理がついていくものであるのに、肝心なところが解決できない状況だ。

 3年になろうとする新型コロナ蔓延社会で、苦労を被る人をさしおいて言うこともできないが、先を考えたときに、この環境を変えて動かすことができるだろうか。ともかく愛好家としての範疇、「趣味プラスアルファ」=楽しみから逸脱したままで、みっともなく鎮座をするだけのことになるかもしれない。

 写真展作品をと、以前に撮ったの写真を見直して、能登の写真を引っ張り出してみながら、通ったころを思い出した。また行くことは難しいかな。