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2024年12月15日日曜日

急寒むちょっとまてといっても意味なし

 噂どおり急な寒さがやっていた。寒いと言って文句をぶつけるところがない。相手は自然だから農耕民族の一員としては、とりあえず受け入れるしか手はない。文句をぶっつけられたら自然の方が困るだろうし、そりゃあなたがたの責任だよと言われるのが関の山。農耕民族のDNAをもつものとしては、先輩たちがどれだけ苦労をしてきたことか。慮れば、厳しい自然を相手に「食」を手に入れるために言われぬ苦労をしてきた先人たちの辛苦が浮かぶ。

 今に経ってもおなじように、現世を生きる酷暑極寒の試練を背負うのは、いままで人間界は何をやってきたのかを振り返らざるを得ない。だから自然を大事にしろよということなのに、「温暖化なんかないの」という言説を振りまくアメリカの石油企業。その代弁をする大統領。気候変動の影響は世界の食糧生産事情にかかわり、富の偏重が戦争の動機になっている。

 日本近海の漁業は、全てと言っていい程の栽培漁業となって、それはやむを得ないことかもしれないが、実はそれほど自然界の再生能力を劣化させてしまったことに、感性を高めるべきことではないかと思う。

 今年は訃報がとても多くて、有名人だけでな身近な知った方が音を立てるように亡くなっている。己の高齢化によるものとはいえ、「生き抜くこと」の様々な大変さの裏返しなのではないかと思ったりする。



2023年2月17日金曜日

よい夢なら見たい

 めったに夢を見ることがなく夜は穏やかに寝ていた。それはさして心配事がないからということにしておくとしても、このごろはときおり見ることある。夢は見ていても記憶に残っていないこともあるというから、よっぽど起きるタイミングがつかめないのかと思う。スッキリしゃっきりの目覚めとはいかない。

 言いたくはないが「のろのろと動き出す」と言うセリフが似合うような日中の身体の動きが現実味を帯びて、物事のこなしにも失敗することがある。そんなことからも夢見があらわれるのだろうか。頭の働きとか体力とか食欲とか、いちいち「自覚」のネタが現れて気になる。でも「共生」の道をたどるしかない。

 もう少し先には「介護」という場面も考えなくてはならない。その頃はAIロボットが介護者に変わることがあるかもしれない。ドイツは高齢者施設にロボットは使わないらしいが、日本ではどうだろうか。介護職の処遇の問題もあると思うけど、扱いの粗雑さが指摘されている。人件費削減でAI導入となると無理やり口を開けさせて、口から食べ物を突っ込むなどと言うことが…ないだろうな。




2021年6月15日火曜日

年寄の勲章がひとつ増えた

  無呼吸症候群は高齢者の特権ということでもないらしいが、いろいろな障害を及ぼすという。子供に言われて医者に相談し、家での簡易検査をしてから一泊入院をして調べてもらった結果は、りっぱな無呼吸症候群らしい。高血圧や不整脈、動脈硬化、狭心症、心筋梗塞、脳卒中などの合併症を引き起こすと物の本に書いてある。

 太りすぎが原因だということなのだが、そんな自覚がなかったわけではない。実のところ体重を落とすのはなかなか難しくて、カロリー摂りすぎが原因にもなろうからと、アルコールの量を減らそうと努力はした。ちょうど新型コロナ感染のせいもあり飲む機会は半分以下に減った。残念ながらそれでもなぜか体重減にはつながっていない。

 運動量の方は目下膝痛を招くに及んで「挫折」中だし、いささか困ったことになった。膝痛の状態が改善しているのがなによりの希望だ。高齢者の「医者だのみ」は増えるばかりで、義父の終盤には、ご飯代わりのような薬の量を用意されていたのを思い出す。医療費は増えていくばかりなので、懐もじわじわと責められてくる。

 医療費2割負担も決められてしまったが、公的負担がもっと可能だと思う。オリンピック施設関連費用は、最初8000億円程度だったものがどれだけ膨らませられたのか。ちょっと乱暴な議論だけど、社会保障に回す金(税金)がないなどとは言えないだろう。

一泊入院検査



2020年8月24日月曜日

雲台動かず、ミシン油のふりかけ修理

 三脚を使うことはほとんどなかったので、しばらく前に購入した三脚の使い方がわからなかった。一度は使った記憶があるけど、いざ使おうと脚を広げて「雲台」に自重のあるカメラを取り付けた。

 ところが「雲台」がどうやっても動かない。いくら手で力を加えてもダメ。まだ新しいものだから、道具を使って動かすわけにもいかない。ダイヤル部分を緩めても、もしかしてと締めこんでみても動かない。

 長考して油を付けてみたらどうかと、ミシン油を少しだけ丸い表面に振りかけてみた。でも結局ダメ。しょうがない修理に出すかと、またしまい込んだ。

 後日、カメラやに持って行こうかと、またケースから出して、何の気なしにダイヤルの内側ある、もうひとつのダイヤルをひねった。なんと動いた。緩めても締めてもちゃんと機能する。

 前に使ったときのことを、覚えていなかったという話。これから先もっとこういったことが起きるのかなと、落ち込むことしきり。




2019年12月17日火曜日

もれなく買い物できた(^_^;)

 最近は買い物に行ったときに、複数の品物を購入しようとして、一つ二つは忘れて帰ってくる。別に今日明日の命にかかわるものでないのだから、構うことはないのだが、だんだんその事件が多くなると、いささかの心配事になる。

 歯磨きをしようとしたら、コップが見当たらい。よくみればいつもと違う場所にある。まさか「誰か」の仕業ではないと思うところは、まだ正常の内と慰める。今朝はご飯を窯から盛ったのに、ふたを閉め忘れて「指導」を食らってしまった。

=くつかの生活必需品を買いにでかけた
リステリン…
電動歯磨きの歯ブラシと歯間ブラシを、消毒すために、先日から使い始めた。
キープポアA
包帯を固定するのに使うらしいが、セロハンテープより剥がれやすいので、ゴミ箱に使うビニール袋を固定するのに便利で手でカットできる。写真展作品の額装にも使うことができる。NETで調べたが多量でないと高くつく。
南京豆と粉茶…
お茶屋さんに、この時期に千葉の南京豆が入るので、ちょうどなくなった粉茶も一緒に購入。粉茶は冷やしたペットボトルに溶かして使う。小さなスプーンに4杯入れる。相当数作れる。ペットボトルの低減に少しでも貢献。
牛乳…
粉末コーヒーに入れている。自家製のカフェラテ用。

 以上ちゃんと買って家に戻った。ただ、「南京豆と粉茶」は店を間違えて飛び込んでしまったが、「南京豆」また入れておきますとやさしい?対応(お店もこまったろう)。気が付いて2軒先のいつもの店で購入。

2019年12月4日水曜日

「認知症」がやってくる

 またゴミ集積場が「いたずら」された。今日はプラゴミの日だったが、集積場のすぐ近くに、食品パック、空などが丁寧に並べられて置いてある。先週には生ごみで、同様に少し離れた場所に散らかされていた。このところ散らかしは収まっていたが、またはじまった。

 やむを得ず家からビニール袋を持ち出して、置いてあるプラゴミを詰め込んで、所定の場所に置いた。それを見ていた向かい側の住人が、散らかしを監視カメラで確認していると話しかけてきた。傘を持っていかれたこともあり、警察と区役所へ通報したとのこと。ちょっと先に住んでいるその「該当者」のことも知っていた。通りかかっている時間も特定しているらしい。

 前回のときには、何ヵ所かで散らかしをしていたので、朝方一時間以上も歩き回ってみた。区民活動センターに通報したしたが、町会へ連絡すると返事があっただけだった。

 その後収まったようだったが、今度は「きちんと並べて」散らかしている。親族と同居していて、ケアーセンターなどへも対応もしているということだが、是非の判断ができない状況で難しいことになっているのだろうか。

 立ち話しながら、履いていたトレーナーに違和感があり、触ると後ろ前反対に履いていた。連れ合いに「もうすぐ認知症になる人が認知症の人話をして」と言われて大笑い。まさに、他人事でない笑えないことなのに。

2019年10月18日金曜日

近所にマンションが続々と建つ


 そこは、広くて昭和の時代を通り超えてきた板塀の屋敷だった。取り壊されて平地になったと思ったら、マンション建設が始まった。公園が「美しく」改修され、グレードアップされた土地に、これ見よがしにポスターが掲示されている。大都市東京の活動をひけらかしているよう。

 しかし、近所は店が多くあるわけでもなく家庭の食材を手に入れるのは楽ではない。買い物は新宿のデパ地下になるのだろうか。景色は公園の先にライトアップした都庁が素敵に見えて、修景だけは上等だ。狭い道路であるところに、どんどん背の高いビルが入り込んでくる。道路を走る車は「介護施設」の送り迎えのものが目立つ。高齢化社会に合わせた「老人ホーム」ならなと思わないでもないが。

いまはない屋敷





眺望は抜群でも

北海道と比べ物にならない


2019年8月5日月曜日

跡継ぎのいないさむい現実でも頑張る高齢組

 高齢化が…と日本中のいつでもどこでも語られる。地域のことだけではなく、大概の団体やグループでも「高齢化の波」をかぶって、悲壮な事態を迎えている。自分がかろうじてぶら下がっている釣りの会も同様であり、頼みの若者は釣りを楽しむどころの状態でない、勤労状態であることを実感させられる。

 釣りを楽しむことが、遊んでいて働かないといわれた昔の時期もあったが、今は曲がりなりにも、スポーツの範疇としても言われるようになった。高度成長期の賃上げや、曲りなりに「労働時間短縮」の労働運動であげた成果も、好条件だった。

 いまは釣りの会どこでも会の存続が危ぶまれる状況になっている。つり具の「上州屋」も一路縮小という憂き目にあっている。他者の状況をつぶさには知らないが、テレビで取り上げられる多くの華やかなスポーツでも、メディアで騒がれる一部を除いて、その底辺の実態はどうなっているのだろう。スポーツでも文化でも十分楽しむだけの、ゆとりの時間と賃金が保障されているわけではないだろう。

 先日鑑賞した男声合唱団は70歳代が多数の構成だった。帰りの話題で、ほかの年季の入った合唱団も、高齢化が進んでいて四苦八苦していると聞いた。若い人たちは仕事の都合で、練習時間になかなか来られないという現状を、身近な合唱団もかかえている。

サラリーマン川柳各回位1位を拾ってみた。深刻さを隠して笑いを誘うが、そうでもないと深刻さに負けるというような気もした。

32回 五時過ぎた カモンベイビー USAばらし
31回 スポーツジム 車で行って チャリをこぐ
30回 ゆとりでしょ? そう言うあなたは バブルでしょ?
29回 退職金 もらった瞬間 妻ドローン
28回 皮下脂肪 資源にできれば ノーベル賞
27回 うちの嫁 後ろ姿は フナッシー
26回 いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
25回 「宝くじ 当たれば辞める」が 合言葉
24回 久しぶり~ 名が出ないまま じゃあまたね~

2019年4月28日日曜日

「いくつになったら運転免許を返納するか」だけでは事故はなくせない

 常識的というモノサシでは、己の危険さを自覚して適当なときに返納というのがフツーの判断にされる。高齢社会に起こるべきこととわかってもいたはずが、最近の交通事故が現実に問題の解決を迫っている。

 認知症検査の年齢に到達して検査を受けて、不適とされても、講習を受ければ更新ができるという制度も、やむなく運転をせざるを得ない環境の人には恵みにはなっても、起きてくる自動車事故、事象からは効用とは言い切れない面を持っている。

 「就職有利」「花嫁道具」といわば煽り立て、車を持つことを夢にしてきた社会の必然として起きたことだ。車を利用してきた利便さを否定できないが、車使用の利便さにどっぷりつかってきた過去を、いま顧みることは大切なことと思う。

 「車がなければ」生活が成り立たないとまで追い込まれている高齢者に、「車社会」からの離脱対策を早急にとらなくてはならないと思う。「赤字路線」としてバスでもローカル列車でも廃止にしてきたこともその要因として見なくてはならないことではないか。

 北海道でも新幹線建設は具体的に促進させるが、在来線は廃止にしてしまうというこれまでの手法を続けるらしいが、それではやはり「車だより」社会から抜け出すことができない。高齢化社会が来ることをわかっていながら、その対策が取られないことでは、見識がないことになる。運転免許の自主返納をいつにするのかの議論では、解決にならない。

2018年12月16日日曜日

勘違いと思えるだけからの飛躍かな。


「来週望年会の会費を集める」ということだった。だのに望年会をやるとすっかり頭に刷り込んでしまった。例会は欠席してハゼつりに行くつもりだったが、ハゼつりは絶不調で、船を出さないことになった。急いで、いまからでも望年会に乗れるかとメールを入れ、都庁近くの例会場所にいくと、例会はやっていない。場所も違っていた。

 頭の中は、都庁近くの中華料理屋で望年会との記憶になっているから、突拍子もないことになってしまった。急いで本来の例会場所の築地に向かった。終えてからの小宴会で笑いの種になったことは、言うまでもない。しかし、ブレーキとアクセルの踏み間違いは、絶対あるよねと妙な確信を共有した。

 帰りに見た「やっぱり築地」のポスターを見て、心が少しほっとした。




2018年11月28日水曜日

断捨離と対峙する老いとの闘い

 「ぼーっとしている時間」も当然ある。横になって、録画したビデオを見ながら居眠りをよくするが、「録画の残り時間が5時間を切りました」などと余計なことを教えてくれるから、溜めまくった録画を見ないわけにもいかない。ところが、ビデオで撮ったものを見終わったから「消去」するという作業がすすまない。これ忘れたらもったいないという気にさせられる。

 消すためには必要な情報をメモることにする。そうしておいてみたビデオを消すところまではいいが、そのあとメモを見て「なんだっけ?」ということになり、NETの検索にかけるというイタチごっことなる次第。

 頭に残らないということは、よくあることと言う話になるが、自分の身につかない知識を、どこかに保存するということで、安心感を得ることになっているみたいなところがある。

 パソコンにしまってあるファイルも同じようにある。役20年にわたって、新聞の記事を切り抜いたものや、旅先で手に入れたパンフレット、これまでの様々な記録などだ。つりの会の記録は「50周年記念行事」で役立った。とはいえ役だったものという意味では、そんなにないのも確かだ。これも確かに断捨離の対象でもある。

 ただし、ちまたの「家からあふれ出て、近所迷惑なゴミ」とは違って、これはパソコンのファイルなのだから、とりあえずは他人様の迷惑の対象ではない。

2018年11月25日日曜日

断捨離を追いかけるやつ


 親父のかつての住まいに、片付け(断捨離)に行った。大方済ませていたものと思っていたが、主に物置に農作業の道具と釣り道具が、置きっぱなしで後回しにしてあった。

 農作業用道具は、使えそうなものもあるのでいくつかは残すとして、釣り道具はほぼ不用としていいものだった。しかし使えそうなものがあるのがなんとももったいなくて、東京に送ることにした。

 自分の釣り道具は、先日断捨離の対象にしたのに、また増やすというのは矛盾を抱える。子供のころは、欲しいものも買ってもらえずに、その恨みがこころに残っている。それが「もったいない」の思想をはぐくんでいるのだろうか。どこかで使えそうという「悪くない」気持ちを、それまでも断捨離にかけなくてはならないときになったのだろうか。

 物置にそのほかのいらないものも結構あった。清掃工場が近くにあって、持ち込みができたので、10回にわたって軽自動車で運んだ。腰がまた痛くなるだろうかなと心配しながらだったが、力を入れて持ち上げるという「運動効果」が、かえって筋肉に刺激を与えたようで、その後の動作にしっかり感がでたのは幸いだった。



2017年12月24日日曜日

熟年だって忙しい毎日

 熟年同士の話で、時間が経つのは早いというのが、枕詞のように出る。仕事はしていないわけだから、そんなはずはないわけなのだが、どんなに時間を費やしているのか?最近は、朝はパッと起き上がることはない。寒くてグータラして起きると言えばそうなのだが、血圧上昇のことを心配すると、ジワーと動き出して血流を少しずつ上げてやるのがおすすめとのことだから。

 そうするうちには、たしかに以前よりは時間が過ぎてしまって、希少なゴミ出し仕事も少々忙しいことになる。それよりなにより、食事の時からのワイドショーだ。賑々しく時の話題を振りまくものだから、これへの時間投入がずっと増えた。北朝鮮の頻発報道(?)から、逃げ回る政府・モリからカケ問題追及、線香花火のような都民ファースト・小池知事の話題、「なんとか解散」総選挙、角界暴力事件と、目まぐるしく報道してくれて、一日の時間を縮めてくれる。昼食時も同じような報道で、新しそうなネタであればつい見続ける。

 そりゃあこのほかにも、あれこれの打ち合わせと、飲み会もあり、パソコンの前での仕事ならぬ不毛趣味などなど、天からいただいた時間の消化に努めている生業。これを称して、忙しいとはとてもとても言えず、「時間のたつのが早い」と言うしかないこと。


 ツイッターで見かけた現職の仕事、大変な状態と思いつつ。眺めるしかできない役立たず。郵便物は年内にはもう届かないという話もある。景気が回復していると、まことしやかに言うこととの違和感あり。
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 ええ、もう現場は大混乱ですよ……
ゆうパックに携わる社員は完全に労基案件ラインぶっちぎって残業休日出勤繰り返して処理に当たっていますが、やってもやっても終わりません……。管理職や本来現場とは関係ない部署も応援に入って処理や配達に向かっています……

2:51 - 2017
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2017年5月19日金曜日

老老と言いたくはない「追い追い介護」

 ひ弱にこの先のことを小声でつぶやく親父。金の管理がうまくはできなくなったせいだろうか、金が出ていかないように心配しているらしい。言葉を聞いていると執着しているのがわかる。言われているところの症状には見えるのだが、身内の関係であることで「そうかそうか」と肯定し続けるのは、確信的に自覚がみえる部分があるだけ簡単にいかない。

 会話をしようとするときには理解ができる言葉と大きさがないと成り立たない。ちょっとした意思の確認でさえも、3回も大きな声でないと伝わらなかったりする。しかしわかってもらわないと困る時には、これまでのやり取りの結果から、こちらの気持ちの置き所も素直にならない。

 仕方がないと面倒になり、そのうえでどうしたらいいのかと折り合いを探し出すのも、こちらの仕事になる。親父はなんでもきちんとこなす、几帳面にやるそれも器用にこなすという力をもって生き抜いてきた。その自負があるのはわかってきた。できなくなるのは認めがたいことなのだろう。でも終局にあたってどう軟着陸することが必要なのだろう。

 いやそれは他人事でなくて、自分の長くはない行く末にもあたること。だから自分ならこうすると、世間での話は通じるにしても自分の親は…と他人後にして置く以外に、いまのところ説教が通じるわけでもない。これで頭脳がグルグルまわりをしてなかなか出口をみつけられない。「脳細胞の老化度テスト」が古い資料の中にあったので、少しだけ甘めにテストをしてみたら、4945歳だった。まだ、若造ということか。

2017年2月21日火曜日

東京までの距離を感じる移動時間

 グーグルカレンダーに書き込んである予定表をみながら、落ち着きを見せている親父に、とりあえずできることは区切りがついたので、東京へ帰ろうかと思った。午前中までの様子もみてから決めようと、ギリギリまで盛岡発の新幹線乗車券のNET予約をしないでおいた。

 盛岡駅着までの余裕を考えて購入するのだが、午後はつなぎの銀河鉄道の本数が減るので、待ち時間が余分にかかる。東京→盛岡間で新幹線の早い方は2時間半だが、これにどうみても小一時間余計にかかる。新幹線や航空機を利用するときはどこへ行く際も同じだが、この余分な時間は馬鹿にできない。海外に行く時よりはよっぽどいいが、家から足を踏み出す習慣を気にしていると、なにをしていても落ち着かない。今日も結局自宅に着くまでは5時間を要した。

 岩手山麓でこのところずっと早寝気味だったので、朝早く目が覚めて「二度寝」状態。目を覚ました時にはもう昼かと思うほどの明るさだった。外を見ると前日降っていた雪がすっかり上がって、まぶしい光が青空を遮って差し込んでいた。今年の雪は少ない、降らないともっぱらの話題だったが、今冬一番の降り様になったとのこと。

 岩手山麓にいる間いろいろと学ぶことが多かった。終末は自分にもかかわってくることであり、だから無下にしてはならないし、されたくもない。何ができるかの自信はさっぱりないが、勉強しつつということになるのだろう。幸いなことに、高齢者問題に対する対応法は、身近な経験も結構あることだし、類する情報はたくさんありそうだ。来月また来るよと言って親父と別れた。




2017年2月17日金曜日

人間の脳ミソのわがままな所作

 通帳紛失事件以降少し落ち着きは見せている感じだ。しかし「使い込まれ疑念」が晴れたわけでなく、今度は月々に食料品購買契約で引き落としになっている金額がおかしいと言う。それは取り寄せた商品の一覧表の金額合計と、引き落とし額を照合すれば簡単にわかることなのだが、「裏でやっている」みたいに真顔で言う。

 そんなこと言ってもあり得ないことと、こちらは簡単に理解できるが、本人が納得できない状況(「定期預金が無くなった!」ことへのこだわりなのか)はまだ続いているようだ。毎週の購入一覧表を照らし合わせてと、しっかりと保管してある一覧表を見ることにした。ところが、その一覧表、古いものは無くして(捨てて?)しまったと言う。なくなったというものが後から出てくることは、よくありうること。
これから先のものはちゃんと残しておいてそれで調べようと話して、この件はチョン。

 その後様子を見ていると、同じことは言わなくなっているから、少々落ち着きを取り戻しているのかとも思えるが、どうなのか予測はできない。

 ゴミ捨てに行った道で羽が落ちていた。見渡すと大きい尾羽もあるし、血の跡もある。さてはやられたかなと、スマホで一枚撮る。それをFacebookに載せたのだが、「岩手山麓、ゴミ出しの道で見た。大きな羽根も、落ちていた。自然界は厳しい。これは《「蚊バリ作りにつかえそう》という声も聞こえそう。非常な人間共め。」と書き込んだ。しかし後から、そのとき蚊バリ作りに使えそうと思った自分もあったし、喰われてしまったのは自然の節理の中でのことだったから、それを利用しようとしても、悪行ということではないと、今度は人間の側から都合よく揺れて、笑った。

2017年2月15日水曜日

なくなったペンライト、預金通帳がでてきた。

 前日夜に、いつも枕元に置いてあるペンライトがなくなったと親父が言うので、一緒に探したのに見つからなかった。それが、結局寝る前に布団の間から出てきた。親父のベッドの掛布団はいつも二つ折りできちんと折りたたんである。親父はこういうところは実に几帳面で、昔は「神経質で」とよく周りから言われたものだった。今になるとそれは貴重なことに見えてきた。だいたい自分のことでも、身の回りの物をちゃんと整理するということがどんどん面倒になって、「ここまででいいか」という誘惑に負けることが多々出てくる。だからテレビでよく放映するゴミ屋敷も、きっとそんなことではないのかなと内心思う。

 その持ち味で親父との会話がしっかり展開しないとしても、こんなことではないのだろうかと想像することができる。それが利点とまで言わなくとも、人のなりを知る一つの根拠になりうることだ。東京からここに着いてから、すぐに本人と話をすると、K銀行の定期預金が一つ足りない「使い込みの疑念」を話しだし、ずっと聞いていると、他の預金通帳もないのだといい始めた。「他の通帳」は一緒に探したのだが、ここにあるかという範囲では出てこない。本人の質(たち)からして、なくすはずがないのにと思いながらも、やむを得ず再交付申請に行くことにした。

 HPで預金通帳の再発行方法を調べたところ、当然ながらいくつか必要なものがある。本人確認のための書類や自分とのつながりを証するものも必要だろうと、委任状も作って市役所まで出かけ、戸籍と住民票を手に入れてから銀行にでかけた。親父本人の証明は「顔がわかるもの」は一切ないので、どうかと思っていたところ保険証だけで事が済んでしまって、いささか意外だった。それに親子の証明も口頭で済んでしまったので、思ったよりも簡単に手続きができた。地方ならではのことなのかもしれない。

 通帳とキャッシュカードは早けれ4~5日で郵送されるという説明を聞いて郵便局を出た。家に戻ってから、もし前の通帳が出てきた場合でも、それは使用してはならないこと、新しい通帳の印鑑など注意されたことをメモにして、親父に渡した。一段落したところで、部屋に入ってまたごそごそしていると思ったら、出てきて「通帳とカードがあった」と小さい声で言った。

 いくらか予想したことでもあったので、「そうかー」と言って内心慌てて郵便局へ電話を入れた。当日中なら取り消しできるということで、すぐに郵便局に向かった。印鑑だけ持っていけばいいだろうと、勝手に解釈して行ったところ、出てきた通帳とキャッシュカードを持参しなければ…ということだった。戻ってすべてそろえたつもりで、また普通預金の通帳を待たずに行ってしまい、再度取って返す羽目になった。

 無くなった通帳がでてきて預金が存在することが確認できたのだから、少なくともそれは使われていないということが明確に解って、親父の「誤解」の反証になって結果はオーライだったが、弥次喜多道中みたいな一日になってしまった。しかし、それで解決になったのかどうかは先の話になる。


2017年2月14日火曜日

岩手山麓の少ない雪

 極寒でもおかしくないところなのに、雪が少ない。盛岡市内のほうは、掻いた雪はあるが、道路にはまったく雪がない。親父が今年は雪かき(除雪)少ないと言っていたが、その話は、除雪車が来てくれないと受け取れた。ちょうど山麓に着いた日の夜に降ってきて、夜遅くに除雪していたのを見たので、そう話すと、そうかいという返事がかえってきた。

 預金がなくなっているという思い込みをして、だれかが使っていると妄想みたいなことまで言う。従妹から連絡をもらって、岩手に飛んできて親父の訴える話を聞きながら、通常の話では理解できる状態でないことを感じた。耳も遠くなっているし、話す言葉も不鮮明になっているので、こちらが話す言葉を慎重に選んで、伝わったかどうかを見極めてから次の段階に行く。そんなことの繰り返しが必要になっている。

 それで会話が進むと、本人の「誤解」も少しは解けていくのかと思っているのだが、それで一段落と思うと、また新な「誤解」を持ち出す。またその話を同じようにやり取りする。と、顔つきが和らぐように見える。いくらか納得したのか、聞いてもらったことで満足したのかという風だ。

 8時過ぎに風呂に入ったとき、遠くでサイレンが鳴った。サイレンの後に「…服装は…」と拡声器から聞こえてくる。家に帰らない人がいるのか…。時々こういった放送があるが、暗くなってから聞いたのは初めてだ。風呂からあがって、体が温まったので、懐中電灯を照らして家の近所だけ見てみたが、人気はなかった。

 寝たかと思った親父が、ごそごそと何かを探し始めた。枕元に置いてあるはずのペンライトがないとのこと。一緒に探してみるが見当たらないので、べつの懐中電灯を持たせて、明日探すことにした。


2016年12月18日日曜日

義母、身罷る

 14日に義母が身罷った。医師の宣告から一週間の後だった。義父が亡くなってから六か月、89歳の往生だった。片肺のハンディを持ちながら、昭和38年に新潟から東京にでてきて、50年余の時間を、働きかつ家族との時間を過ごした。

 やはり義父に旅立たれたのが大きな気落ちになったのだろうか。弱音を吐くことが増えていたことが印象に残る。病院でもう眠るばかりの顔を見ながら、命が無くなるという重みを家族とかみしめた。落ち着いてくるにつれ、家のなかの一角がスポンと抜け落ちたような寂寥感が湧いてくる。

 直接のきっかけは肺炎だったが、傷んでいたところはそればかりではなかった。病院通いをしながらも、自覚して足を引きずりながらの散歩にでかけ、「途中休んでね」とよく話していた。寄ってくる病魔との闘いという、深刻さを感じさせない様子だったが、本音は出さぬようにしていたのかもしれない。

 一緒に過ごしてきた時間を今になって思い返しても、至らなかった後悔の上塗りになるばかりだ。孫の運転するレンタカーで温泉に行くのが楽しみだった。温泉につかり、土産屋に必ず寄って土産を買い込むのが一番の楽しみだった。風呂は大好きで、家の風呂にも長時間入っていた。あまり長いと心配だからと、最近はそれも好事魔多しとなった。

 もっている体力にもかかわらず、長命に至ったのは義父の努力が大きかった。「爺ちゃんの料理うまいね」という言葉も、義父が寝たきりになった10年近く前から途絶えてしまった。寂しさはそのころから募っていたのだろう。耳が遠くなって会話が交わしにくくなってからは、日常生活からの疎外感を味わっていたのではないかと想像する。

 しかし頑張ってきたと、それは間違いなく言える。わが身の齢と活力からして、そこまでの域にまで到達するものかと思う。戦後の困難な時期を超えてきた力が、基本にあるのかとそんな気もする。合掌。

2016年8月14日日曜日

今年のお盆、岩手山麓は涼しさ加減

 朝晩の気温が程よいく涼しさで、東京の暑さから解放された贅沢はこの上ない。冷房は暑いところからその場所に入った時の気持ちのよさはその時だけで、あとは身体が冷えて寒くなるのか、ボワーとした温風が空気をかき回すだけで、いちいち咎めたくなる。岩手山麓の太陽はその明るさが、これが夏と言わんばかりの照り方なのに、乾燥気味の涼しい風が、山と森の間を通り抜けている。

 短かった春から夏への展開がまた早い。花がもう盛りを過ぎているという。散歩に出るとファインダーから見える花々が、確かに盛期を過ぎている感じがある。田圃のイネの穂はシュッと穂を立てて、流れている透明な水を吸い上げている。家の前のススキの穂も、今はピンとたっているが、まもなくしなっとして紫がかった色に変化するのだろう。

 親父は相変わらず「現職な」人並みの意識から抜けず、あれやこれやとそれも思いついたように時々歩き出す。歩幅が狭くなってすり足の音を立てながら、「指図」に立ち回る。しゃべりが不鮮明だから、何か言ったときに聞き返すと、またそれがなんだか分からずに余計混乱する。で、聞き返さないことにしたら、今度は言いたいことを聞かせようとして、集中して話すから、かえってよく意味がわかるようになった。おおむね3回程度のやり取りをしないと、なにが言いたいのかがわからない。

 椅子から立ち上がるのでさえ、勢いをつけないとできないので、以前は助けようとしたものだったが、それはだめらしい。自分でやるという意思がなによりの元気さを産むことになると、特に親父の場合はそう考えるほうがいいのだと思う。今日も一日オリンピック、高校野球、プロ野球と飽きもせずテレビを眺めている。昼寝もせずに見ているから、きっと夜眠れるように頑張っているのだろう。おかずはロクに食べないが、ご飯と麺類はしっかり一人前食す、96歳老人はまだ先がありそうだ。