釣りは楽し、釣れればなお楽し、後の話また楽し

 つりの仲間には、なんの釣りでも達者な人がいる。釣り方、仕掛け、釣り場、道具なんでもしっかりした備えを持っている。だから、こちらが釣れなかったときでもそれなりに、ちゃんと釣る力量を持っている。

 なかなか達者になれない者にとっては、それゆえ競技色が強くなると抵抗を感じるところもある。ただ、はっきりしているのは、釣れないときに魚がいないと断言できないことだ。つり大会では、釣れる人と釣れない人の差は歴然と存在している。

 しかしもう一方で、魚の生息環境の悪化も「釣れない」理由となっていることも事実。日本の自然は、魚にとってもの絶好の環境だった。

 東京湾だけでも、「江戸前の」というと誰でも知っているくらい海産物が豊富だった。高度成長期の公害垂れ流し、臨海部開発のため漁業権を札びらで買い取って埋めた。これで、東京湾の漁業は衰退した。

 いままた、福島原発で、放射性物質をいとも簡単に海へ放出した。漁協が猛反発したのは当たり前だ。

 人間と自然は対立関係に扱うべきでない。我々の社会も自然の一部だから、支配被支配とはならない。自然を「資源」として見立てることを控えていかないと、温暖化にみられるようなリアクションがもっともっと広がっていくのではないか。

 人間を取り巻く自然の環境が、良好であることが一番の資源だ。釣りがこころから楽しめる環境はそこにある。

 釣りはとても面白いものだから、昔は「道楽」の一つと言われた。今は一般的には趣味と言う。欧米ではスポーツの一つになっている。日本の釣りも歴史を重ねて、スポーツの仲間入りをしてきただろうか?スポーツ新聞には情報を書かれているが、まだまだその範疇になってはいない様に思う。

 釣りの技量を上げることで釣果をあげることと併せて、考えていくことも釣愛好者にとって欠かせないことだろう。

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