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2023年12月22日金曜日

呉市立港町小学校の円形校舎を撮った最終日

 円形校舎は敗戦後の時期に全国で100校くらい建設された。敗戦後教育基本法、学校教育法制定下、制度的前身がない中学校は施設が不足のため、急増された。文部省が建築学会に学校建築の標準化を依頼して、東京都建築局が建築モデル指定した新宿区西戸山小学校などの設計に採用された(1950年<昭和25年>)。

 大成建設の設計技師だった坂本鹿名夫氏がかかわり、のちに独立して、全国の円形校舎建設に貢献した。しかしベビーブームに対応する増改築に適合しないことで、60年代後半には建設されなくなった。2010年代前半には約30棟が残存という状態になった(ウィキペディア)。円形小学校は貴重な「遺産」となった。この小学校は建て替えになるとのこと。学校にお願いして「外からなら」という条件で校内に入らせていただいた。来年の建て替えの時期に公開するチャンスが来るかもしれないと友人が言う。そのとき中を撮りたいものと思うけど、さて…。













2023年12月20日水曜日

雨模様の紅葉は素晴らしかった野呂高原

 呉市の背中のような野呂高原は、海側にむかっている展望台が素晴らしい眺めだった。雨と霧ががかって、ちょっと幻想的な紅葉が撮れた。友人の案内が見事に当たった。当日は旅行の最終日で、「円形校舎」を撮りに行くことになっており、生徒たちが下校した後にとのことで、その間の時間をゆったりと歩きまわった。












2023年12月13日水曜日

琉球との交流の痕跡が

 呉市街から東に向かって→下蒲刈→豊島の島々を渡って大崎下島に。北前船の停泊地だった御手洗へ。港を含む周辺が豊町大長。御手洗には庄屋、お茶屋(遊郭)などの建物が保存されている。今回は満舟寺へ。寺は荒れて寂しい感があったものの、石垣がなんとも端正で美しく印象に残った。「琉球の使節が18回江戸上りをしたときに、度々立ち寄った」と記されています。「使者たちは職掌に優れた学問・詩歌・芸能など文化放免においても当代一流の実力者や教養の豊かな人物が選ばれたことが推測されます」とのことで、「この湊と、果てしなく続く群青の海、琉球とのより深からん絆をいつまでも語りたいものです。」と交流の深かった様子が看板に記されていた。













2023年11月30日木曜日

カキの養殖の基地発見

 江田島で通りかかった沖美町高祖の港に寄った。カキ養殖の「貝殻」が置かれていて驚いた。人はいなかったが、港は全部カキ養殖のために利用されている様子だった。この度で牡蠣を食べたが、今は旬の時期で牡蠣は海にはない。島の高所ならどこでも牡蠣棚が視野に入ってくる。港で養殖のためホタテの殻を見て、また牡蠣三昧を楽しんで、広島を訪れたカイがあった。蛇足ながら有明海の海苔養殖は牡蠣殻を使うのだとか。その牡蠣養殖にはホタテの殻を使うとは。人間様の偉大さというか自然の営みの凄さに感動。牡蠣棚は干満を利用して、空気にさらして鍛えるとのこと。行きには水上に出ていた牡蠣棚は往路の時は水に浸かっていた。











 

2023年11月24日金曜日

オニオコゼを丸かじり

 呉旅の夕食にオニオコゼの唐揚げを食べた。「呉おこぜフェアー」を4月から7月ころまでやっているとのことで、時期は過ぎているけれど行ってみることになった。チラシにある店をホテルで聞いて探したら、場所がわからず他へということで歩いていくと、ノボリを掛けているところに運よく当たって、飛び込んだ。しっかり揚げられたオニオコゼににらまれながら二人でバリバリと食べ、残した骨の部分も二度揚げしてくれて、99%完食。噛めないところは残してとのことで、1パーセントは残った。我ながら歯の丈夫さに感心した。もしかすると、固いところで歯をダメにした人もいるのかな。





2023年11月20日月曜日

三高山砲台が残っている江田島へ行く

 明治政府が海軍の呉・江田島を防御するため、「防御上重要性」から、敵艦を攻撃する砲台と、陣地を守るための堡塁を造った。日露戦争直前の明治34年竣工。280ミリ榴弾砲6門、90ミリ速射砲4門、90ミリ臼砲4門を設置。弾薬庫4個、機械設備庫や大規模な巡回監視所等の建物跡が残っている。防御上の必要性軍備日露戦争とは、今に通ずる昔の話。 西方正面に厳島が見えた。