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2019年5月26日日曜日

二つ目の写真展終えての収穫


 親父が逝ってしまってからちょうど一周年になる。「一周忌」と称する習わしがあるけれども、生前の本人の意向を想いながら時間がたった。自分が死んだらどうしろという言葉を聞くことはなかったし、身近な者は兄弟のみであったがすべて鬼籍に入っている。唯一の身内が風習からは少々外れた散骨の方法をとったのはこんな事情もあった。

 親父が自分の命が終了した後の処し方を決めると言うことも、大正生まれの人間には考えていなかったのかもしれない。もっとも、親父とのこの手の会話がごく少なかったことはある。しかし写真を撮ってくれと言いだしたときもあったわけだから、そのときに話せばよかったと思う。でも終活の「エンディングノート」ってのもあると話しても、面倒だったのかやっぱりそんなこと考えたくなかったのか、その先には話が進まなかった。

 まあそんなものなのかもしれないと、流されるままになってしまった。結果として独断的にやる以外はなかった。この度の写真展で、一周忌的な区切りをしようと思い立った。写真展になじまないのかもと、頭の片隅で心配しつつ、それでも区切りとして実行することにした。

 キャプションに説明不足があって、意図が明確に伝わらないという感想をいただいた。一方伝わってきたよとの感想もあった。写真の前で説明して理解してもらうのでは不備があると自戒。写真自体には受け止めは様々だった。写真の「腕」はこの先も試され続けることになる。もう少し先がありそうだし、「恐れず憂えず」でやっていきものと思う。










2018年7月6日金曜日

岩手山麓の仙人逝く

 移り住んで15年、彷徨の終焉がきた。温泉が出ぬかと採掘の手出し、山ブドウの養殖はと夢を追いつつ、岩手山麓に岩魚つりで遊んだ親父がついに身罷った。

 90歳を過ぎてからも、暖炉用の薪割りをものともせず、大雪にもひるむことなくシャベルをふるった元気さは、いつまで続くのかと周りの人たちは一様に驚いていた。今になって思えば、転んでも転ばなかったフリをする自尊心の高さも、これまでの糧になったのかもしれない。

 それでも着々と近づく終焉のときを想定して、自分の写真を撮れと言い出したことが思い起こされる。仙人とはいえ聖人にはなりきれなかったのは、今は過去の場面としてしまっておくことになるだろう。残された写真を整理しながら、親戚への思いがあったことがわかった。それは十分伝わらないこともあったやもしれない。

 その先どこへ行くのか、海への散骨を言いだし「‐家」の墓にという話にも答えずのまま、旅立ちをしてしまった。後は頼むということなのだろう。そう解釈するしかない。家族と言う単位の姿には恵まれなかったが、それだからこその山麓暮らしへの入れ込みだったように思う。

 好きだった釣りは一番の思い入れがあった。これを通じて甥姪とその子供たちへのかかわりが、温められていった。それは救いだった。80歳を過ぎてからもナンプレに挑戦し、数えきれないほどのジグゾーパズルを完成させ、家じゅう隙間のないくらい掲げた。ここに生きてきたと思うに十二分な足跡だった。

2017年2月17日金曜日

人間の脳ミソのわがままな所作

 通帳紛失事件以降少し落ち着きは見せている感じだ。しかし「使い込まれ疑念」が晴れたわけでなく、今度は月々に食料品購買契約で引き落としになっている金額がおかしいと言う。それは取り寄せた商品の一覧表の金額合計と、引き落とし額を照合すれば簡単にわかることなのだが、「裏でやっている」みたいに真顔で言う。

 そんなこと言ってもあり得ないことと、こちらは簡単に理解できるが、本人が納得できない状況(「定期預金が無くなった!」ことへのこだわりなのか)はまだ続いているようだ。毎週の購入一覧表を照らし合わせてと、しっかりと保管してある一覧表を見ることにした。ところが、その一覧表、古いものは無くして(捨てて?)しまったと言う。なくなったというものが後から出てくることは、よくありうること。
これから先のものはちゃんと残しておいてそれで調べようと話して、この件はチョン。

 その後様子を見ていると、同じことは言わなくなっているから、少々落ち着きを取り戻しているのかとも思えるが、どうなのか予測はできない。

 ゴミ捨てに行った道で羽が落ちていた。見渡すと大きい尾羽もあるし、血の跡もある。さてはやられたかなと、スマホで一枚撮る。それをFacebookに載せたのだが、「岩手山麓、ゴミ出しの道で見た。大きな羽根も、落ちていた。自然界は厳しい。これは《「蚊バリ作りにつかえそう》という声も聞こえそう。非常な人間共め。」と書き込んだ。しかし後から、そのとき蚊バリ作りに使えそうと思った自分もあったし、喰われてしまったのは自然の節理の中でのことだったから、それを利用しようとしても、悪行ということではないと、今度は人間の側から都合よく揺れて、笑った。

2017年2月14日火曜日

岩手山麓の少ない雪

 極寒でもおかしくないところなのに、雪が少ない。盛岡市内のほうは、掻いた雪はあるが、道路にはまったく雪がない。親父が今年は雪かき(除雪)少ないと言っていたが、その話は、除雪車が来てくれないと受け取れた。ちょうど山麓に着いた日の夜に降ってきて、夜遅くに除雪していたのを見たので、そう話すと、そうかいという返事がかえってきた。

 預金がなくなっているという思い込みをして、だれかが使っていると妄想みたいなことまで言う。従妹から連絡をもらって、岩手に飛んできて親父の訴える話を聞きながら、通常の話では理解できる状態でないことを感じた。耳も遠くなっているし、話す言葉も不鮮明になっているので、こちらが話す言葉を慎重に選んで、伝わったかどうかを見極めてから次の段階に行く。そんなことの繰り返しが必要になっている。

 それで会話が進むと、本人の「誤解」も少しは解けていくのかと思っているのだが、それで一段落と思うと、また新な「誤解」を持ち出す。またその話を同じようにやり取りする。と、顔つきが和らぐように見える。いくらか納得したのか、聞いてもらったことで満足したのかという風だ。

 8時過ぎに風呂に入ったとき、遠くでサイレンが鳴った。サイレンの後に「…服装は…」と拡声器から聞こえてくる。家に帰らない人がいるのか…。時々こういった放送があるが、暗くなってから聞いたのは初めてだ。風呂からあがって、体が温まったので、懐中電灯を照らして家の近所だけ見てみたが、人気はなかった。

 寝たかと思った親父が、ごそごそと何かを探し始めた。枕元に置いてあるはずのペンライトがないとのこと。一緒に探してみるが見当たらないので、べつの懐中電灯を持たせて、明日探すことにした。


2015年10月30日金曜日

これが一週間の仕事です♬

 ブログの更新の時間が一週間程空くようになった。基本的には体力の問題だろう。毎日更新はなかなかできないし、ブログをちゃんとしたものにしたいという負荷がかかるのだから、知恵の吸収が悪かったものにとってはあたりまえのことと開き直る以外はない。物事がわかってくるに従って、認識が正確でなかったことを悔いることが多くなる。どうあろうと、日記代わりに書き込むことが、決して大仰ではない己のポイントくらいにはなるか、という程度のことではある。そして脳の活性化に役立つのかなという軽いノリで「書いたよ」との自己満足を手に入れようというわけだ。

人間どこにいてもグータラに過ごすことができれば、これ以上の贅沢はないと思うのだが、なにか最近は「贅沢」というワードも聞こえにくく、そのままではいさせてくれない。なにせ、消費が停滞しようとするばっかりの手しかうてないし、無理やり消費を伸ばそうとしての売り込みなのだから、手元現金のない者にとっては「詐欺の被害」に合わぬように防戦に努める以外にない。もっと端的に言えば、税金類は十二分に払っていながら好き勝手に使われているようだし、事業者の自主性にまかせて甘やかし、その「良心」に依存するシステムはもう見切りをつけるべきだと思うのだが、毎日のニュースはごめんなさいの洪水だ。閣僚の記者会見は、官僚の書いた原稿で格好をつけるだけで、キチンとした対応ができる仕掛けにはない。だから、ホンワカとした佇まいでは今の時勢には合わない。戦争法は?沖縄は?と、SNSを見ては、ため息と歯ぎしりがでてくる。

で、一週間前には岩手の仙人のところで数日過ごして、食事の少々のまかないをして過ごした。余った時間を網張温泉やら葛根田川の上流へと向い、カメラを携えて紅葉三昧に浸らせてもらった。写真の心得はあるものとの増長が、このところのゼミやら写真展を通じてはっきりしてきて、その修復をこの時に自習することになった。シャッタースピード、絞りの超原則を確かめながらフィルターを使うことまで組み入れて、三脚使用のセルフタイマーと、普通の写真家には当たり前のしぐさを、懸命にこなした。なにかあれもこれもじっとしていられないことに囲まれて、責め立てられているような気分だ。













2015年1月17日土曜日

久しぶりの仙人の家と岩手山


  東京の都合にかまけて、しばらくぶりの仙人宅訪問。11月からの雪の便りでよほどの家を取り囲んでいるのかと思ったが、それほどの状態ではなかった。年寄りの生活からは何よりではあるが、まだ1月半ばだから、これから先があるだろう降雪に安心はできない。向かい側の家のツララが長く伸びでいて、今は背丈よりも長い。一時は二階建ての屋根から地上まで着いたというから、やっぱりすさまじい寒さなのだ。

少な目の雪の上を、やけにウサギが歩き回って(チョン、パッの足跡だから「飛び回って」か)いるようで、どこにも足跡がついている。見まわしたところ、餌となるようなものはないようなのだが、アトランダムに気まぐれで歩いているような感じで面白い。人間の生活に割と近いところで生きているのだろう。生活で不要になった残り物にありつけるということなのだろうか。狸にしろ鳥にしろ、クマにしろ、人間の生活を意識していると思うとおかしい。

クマやカモシカ、狸、キツネなど、どちらかといえば、‘友達’とは思われないような評価(文化か)が定着しているが、ほんらいそんなに悪さをするものとも思われないのだが、里に出てくると追い払われる。追い払われた場所はだいたい「昔」は人がいなかったところじゃなかったかのかな。エサの多寡も人の生産活動の影響なのだし。

親父は一層背中が曲がって小さくなった。歩くのはすり足で、転倒を避けているのだという。話は合わないことが多いが、見ていると可愛い感じになってきた。でも態度は好ましくないと従妹が言う。思い当たる節は確かにある。天命を全うするのは大変なことだ。自分の立ち振る舞いがスムーズにいかないことが多くなって、重ね合わせるとため息が出てくるようだ。











2014年5月9日金曜日

岩手山、山麓仙人の家はどんなだろうか

 いまどきの岩手山麓世人の家辺りは、一年のうちで一番いい時。命あるものが陽気に誘われて一斉に噴き出してくる。山菜の恵みを受けるころに、近くの田で田植えが始まる。
















2013年4月6日土曜日

悪天候の前に


 岩手山麓に置いてある道具が、いくつか入用になって、急にでかけることにした。山麓にいる時間が長くなる分だけ、あれこれの荷物が置き離しになっていて、この春の渓流釣りに必要なものを持って帰る必要があった。

 ここ岩手の仙人は落ち着いているので、東京にいる期間が伸びてしまった。傍に着いていなければならないわけでもない状況で、従妹の都合の兼ね合いもあってここはご無沙汰となっていた。

 東京にいると、「仙人候補生活」と違って、生の生活に浸ることになるので、これまでの関わり合いがまた復活になる。特に望んでいるわけでもないが、酒を飲むという機会も当然のごとく増える。家の年寄りも、心臓の働きが60%近くまで回復となって、いわゆる病人というスタイルからは回復を見せている。元気な分だけこちらも、こちらの活動領域を広げることになる。

 朝起きて思い立って、NETで新幹線の申し込みをした。低気圧が東京では午後から翌日にかけてとおり、悪天候になるということなので、今日早めにいくなら、帰りも荒れた期間は避けられそうだと決めて、家を出たが駅につくと、支線ゆえ、電車の数が少なくて、申し込みの時間に間に合わない。やむなく家に戻って、東京発の出発時間を一時間遅らせた。

 岩手山麓はまだ、雨も降らず曇り加減だった。天気予報では相当の悪天候を再三告げていたが、静かな事前に到着してなによりだった。




2012年7月3日火曜日

お別れは辛いが、皆と会えて


 叔父の葬式。親戚が顔を合わせて、互いの近況を伝えあう「葬式外交」のようになる。病気で調子を崩した話しが多い。良く聞く病名、症状をこの場でも聞いて、多いことを実感させられる。顔を合わせて無事を確かめられるのが幸いのよう。就活で苦労している若者もいた。

 中年も少々いるが、高齢者が多い中で若者の顔が見えるのがなんとなく嬉しい。新庄市までの往復400キロくらいを二人で運転したが、疲れた。10年前は東京から岩手山麓までの600キロほどを運転していたのだが、もう及びも付かない。

 仙人が腰を痛めていたから、行かれるかどうか心配した。幸い痛みが薄らいでいるというので、弟の別れに参加することができた。仙人も兄弟がすべていなくなってしまった。

2012年6月21日木曜日

山も人も活性が高くなった


 4号台風におかげで一日遅れの岩手山麓行きとなった。新幹線は最近秋田に向かう「こまち」の座席を取ることにしている。中年よりは上のご婦人のグループが近くにいて、騒々しくはない言葉を交わしていた。

 駅構内も、山に向かうと一見で分かる人たちが大勢いた。盛岡駅からの乗り換え列車では、大学へ向かう若者が大勢で車内を占拠状態にしていた。携帯端末を操作している若者もいるが、東京ほどでない。

 1ヶ月の間に、草木は元気よく育っている。庭の芝桜はさすがに終わっていて、かわりに除虫菊が巾をきかしていた。治りかけてまた痛めてしまった腰の状態を仙人から聞いた後、久しぶりの山麓ウオーキングにでた。

 つい、蕨が取れる場所にいってみたら、あるある。見るとどうしても採りたくなって、片手いっぱいほどを集めた。来る途中でミズも見たので、残りの片方の手いっぱいの量を確保して、晩ご飯のおかずになった。こうなるとアルコールも多めになって、尿酸値の多さを一時故意に忘れることになる。

2012年6月4日月曜日

忙しい秋から春


 昨年の秋から岩手を往復して、新たな経験をした。二カ所の生活の場を600キロ移動するのは、今の世の中難しいことではない。が、環境が変わると身体が馴染むのに時間はかかる。暖房が昔と違うから暮らしの中ではそのストレスは感じない。ただ、また一層時間がたつのが早く感じた。

 釣りをやっていると、自然に触れるチャンスが多いから、その快さは体験している。それが、自然まっただ中に入り込んで、東京にはない素晴らしい環境を味わった。これまでにはなかった貴重なものだった。


雪がチラついてから、溶けるまでの間は長かった。雪化粧はいろいろな顔をもっていた。
  
 虚鯊写真集 → 岩手山この冬

田沢湖を望む


 お気に入りブナのおっかけ。新芽まで枯葉が守るって雪が降ってきても、なかなか葉を落そうとはしなかった。
  
 虚鯊写真集 → お気に入りのブナ

2012年4月14日土曜日

スリルとサスペンスの夕げ

 冷蔵庫を開けて、あれあれ!あると思ったニンジンとゴボウが、両方無い。調理を始める直前に食材を確かめるというのは危ないな。なにせ記憶力が最近危うくなってるから、事前に確かめておかなくちゃならないんだ。


 鳥のもも肉なら仙人も食べるから、これを使ってと思っていたら目算が狂った。キャベツがあるからこれで何とかならないかと、まず鳥肉を胡麻油で軽く炒めて、だいたい火が通ったところで水を加え、醤油、みりんを入れ、白だしに鰹だしを少々。


 味見をすると少し甘い。醤油を加えて塩を入れるとだいたい良い味になってきた(と思われた)。ここにキャベツ3枚ザックリ切ったものを入れた。


 何をつくろうと思ったわけでもないが結果としてできあがった物は「鳥肉のキャベツ煮」かな。油もつゆに溶け出して、しつこくなくて良かった。「味の補償無い」と仙人に言うと「食えるよ」と反応があった。これに白菜の漬け物、ほうれん草のお浸しを付けたら、まあまあの食卓になった。


 何をどう造るかは毎日「その日暮らし」で、スリルとサスペンスの連続だ。しかし、今は「味付け」の調味料がたくさんあるから、料理を知らない物にとっても何とかなるものだ。

2012年2月4日土曜日

雪かきで

 雪かきで出入り口の前を歩けるようにした。除雪車が来て道路と、家の前を掻きだしてくれるが、隅の方までは無理なので、一家を上げて二人が、雪かきにあたった。


 というより、仙人がいつも身体を動かすためにやりはじめるので、見ていないと心配というのもある。雪がとても軽くて仕事は楽だった。


 日本海側から内陸部の山形秋田などは、ものすごいふりで雪おろしが大変らしい。ここは湿気の少ない雪で、山麓のためか飛んできて積もるようだ。プラスチック製のスコップで軽々とできてしまうので、高齢者向きで助かる。


 それでも、仙人が少し心臓がおかしかったというので、そっちの危険も心配になる。村役場に用があるというので下まで降りて済ませ、昼は外食にした。スーパーに寄って食材を少し入れて戻った。


 せっかく晴れたので、身体が動き慣れたところで三日ぶりに晴れた山麓を歩いた。久しぶりの解放感で、シャッターを何回も押してしまった。岩手山が珍しく冴えて見える。





2011年12月6日火曜日

ものの哀れとはこういうことか


 ブナの葉を除いて、みんな落ちた木の葉のなかで、残っている桜の葉がたった1枚で頑張って残っている。

 気になって、ここ朝食時の話しのタネになっている。朝方は雪が舞って止む。強風が吹いて、山麓の天気の移ろいは下界の天気予報と様相を異にしている。

 気温は3度差がある。雪囲いが飛ばされた。「やっぱり飛ばされた」と、仙人は土台の甘さを言う。まあ、2度くらいは飛ばされても、直せば良いんじゃないのと、言い返す。